月別アーカイブ: 2016年2月

呪い

前回のエントリーでプチついてない連続の1日を「恐ろしく能力の低い呪術師に呪われているよう」と表現したのだが、翌日あたりになってフツフツと自らのツボに入ってきた(笑)
 
恐ろしく能力の低い呪術師
 
職業的には非常に恐ろしいのだけども、能力が低いので呪いをかけてもたいした災いをもたらすことはできない。
ケガをさせようと呪いをかけても石ころにつまづく程度、あるいは激痛を与えようと身体に呪いをかけてもせいぜい「あれ?お腹がゆるいかな?」程度の効果しか与えられない。
見た目はいかにも恐ろしいルックス、呪術の方法もやたら本格的なのに、最強レベルの呪いでも「電車に一本乗り遅れさせる」とか「自転車のタイヤの空気をちょっとだけ抜く」程度の呪い(笑)
 
MARVELの映画のような特殊能力の戦士ではないし、合法的な職業でもないかといってそこまで非合法な感じもしない。
「占いの館」の隅でヒッソリと開業している分には問題になりそうもない。
 
そして人々は彼を粘着力の弱さに例えてこう呼ぶのだ。
「ポストイット呪い」と…
 
といったしょうもないファンタジー系妄想癖が僕にはある(^^;
 

 ところで「ポスト イット」は誰でもご存知の糊のついた付箋で1980年に発売された3M社の商品である。
強力な糊を開発中の失敗作として偶然できあがった「非常に粘着力の弱い糊」、当初は使い道が全く思いつかず数年間も放置されたままとなる。
商品化される1980年までの紆余曲折に興味のある方は是非ググってみてほしい。
 
PostIt
 
Wikipediaには「偶然から大発明を生む「セレンディピティ(偶察力)」の典型例として知られる」とあるように、確かに粘着力の弱い接着剤という一見相反した機能を応用する発想力こそが大発明のキッカケになるのだろう。
 
こういったケースは他にもいろいろあるようで、例えばコンピューターの入力デバイスの「マウス」にしても原型が発明されたのは1960年代だったそうだ。
しかし現在主流のGUI(グラフィックユーザーインターフェイス)がまだこの頃には存在せず、X軸とY軸を自在に操作、指定のできるマウスの使い道までたどり着けず、結局世の中に広く知られるようになるまでには20年以上の月日を必要としたそうだ。
ちなみにマウスの有用性にいち早く注目した一人がスティーブ・ジョブスであるのもまた有名な話である。
 
Apple_Macintosh_Plus_mouse
(1986年 初代apple Macintoshのマウス)
 
 

さて、話を再びファンタジーに戻して「恐ろしく能力の低い呪術師」に目を向けてみる。
もしも先日のプチついてない1日に起こったことが本当にこの「恐ろしく能力の低い呪術師」の仕業だったとしたら?(笑)
 
ポストイットに匹敵するような巨大なビジネスになるかもしれない。
しかし凡人の自分にはそこからどう展開したら大儲けできるのかイマイチ想像がつかない(笑)
 
専門学校を開校して「あくまでも能力の低さに特化した呪術師育成コース」を開くのはよしとしても、果たして生徒が集まるものか?
またこの「弱くて地味な呪い一件の料金」は幾らぐらいが妥当であるのか?
あまりに効果が地味がゆえに日常で普通に起こるただのついてないことと判別ができるのか?
 
課題は山積みである(笑)
 
 
ちなみにアフリカでは未だに呪術というものは当たり前に日常の中に存在する宗教観であり、ムガンガと呼ばれる呪術師は立派な職業として認められており、呪術は医学療法にも応用されているそうだ。
精神科医と薬剤師と内科と占い師を兼任している感じなのだろうか。
これらの正しい力を得るためには負の力も知らなければならないという「光と陰」「明と暗」同様の考え方なのだろう。
 
負の力の信仰もいまだにかなり強い。
詳しくは書かないが悲しく痛ましい事件が今もなお起き続けているのも事実である。
 

呪術における正の作用のようなものは我々の日常にもたくさんある。
「痛いの痛いのとんでけ〜」に代表されるような言葉による治癒効果。
プラシーボ効果、偽薬効果はそう簡単には騙されなくなったオトナでも大変な効き目がある。
 
僕に関していえば、先日のついてない1日の後の「地味な幸福」の挽回感を、またささやかながら感じられたりすることがいくつかあった。
相変わらず最弱呪いに匹敵する地味で些細な話ばかりなのだが、せっかくなのでいくつか挙げてみよう。
 
○ガソリンを給油しようとしたら「サービスデー」で通常よりもリッターあたり5円引きで入れられた。
○判子ケースを駅前の文具店に注文したら翌日さっそく届いた。ちょうど駅前にいたのですぐに受け取れた。
○今度こそ花粉症になったかも?とあきらめかけていたがただの鼻炎だったようだ。
○しばらくぶりに駅前串かつ店で一人飲みをした。美味しくて安かった。
○TSUTAYAでDVDを借りたら次回無料券が当たった。
 
うんうん、バランスが回復しているようでいい感じである。
 
 
朝方ちょっと雪が降ったと思われる東京だが、お日様が見えてきた(^^) 

にわかに前向き

20140401072952_0
 
先週の土曜日、日帰り大阪の帰り辺りからどうもついてない。
「え?その程度?」というぐらい些細なことばかりなのだけども、ついてないなーと思うことが連発すると心が折れてくる。
地味についてない週末の出来事を列挙してみる。
○大阪も東京も大雨だというので傘を買ったが結局一度も開くことなく荷物になっただけだった。
○電車の接続がことごとく悪く、乗り遅れの連続で待ち時間がやたら長かった
○翌日の日曜日、某大型ショッピングモールに混む前にと午前中に行ったのに既に大混雑だった
○テナントで入っている某讃岐うどんチェーン店で注文しようとしたら前のお客さんが「この店のおすすめは?」とか「最近は何が売れてるの?」とか細かい会話というか質問を店員に延々とし始めてしまい自分に注文が来ずにイライラが募った
○やっと頼んだ「牛肉温玉ぶっかけ」の牛肉がちょっとしょっぱかった
○洗剤と柔軟剤をセットで買うのが目的の一つだったのに柔軟剤のみ売り切れていた
○駐車場の「お買い上げで2時間無料サービス」がなぜか適用されず600円払えと機械に言われ、後ろに車の行列ができていたので泣き寝入りせざるを得なかった
○帰りの表道が混んでいたので裏道に逃げたら工事中で狭い道にどハマりした
○シーツを買ったつもりが掛け布団カバーだった
○地味についてなかったなーと深酒をした挙句二日酔いしてしまった←
 
ついてない以前にただの言いがかりのようなものも含まれているが、そこは一つご愛嬌で(笑)
 
一つ一つは日常にありふれている地味なことだけども、短い間に(自業自得なことも含め)ついてないことが連続して起こると心が折れる。
出鼻の一つ一つをデコピン程度の力でくじかれているようだ。
恐ろしく能力の低い呪術師に呪いをかけられているような感じでもある。
 
しかしここはやはり自分のチカラで解決していかねばならない。
(そんな大げさなことではないのだけども(笑))
 

例えばこう思うのはどうだろうか?
上記10点のついてないことを全部ひっくるめた、鈍く重い威力のついてないことが1つ起こったとしたら?
 
ケチのつき始めと思われていたせっかく買った傘を開く機会がなかったのはむしろ幸運で、
「強風大雨の中で傘を開いた瞬間にお猪口状態になって壊れてしまい風に引っ張られて転倒した場所が水たまりで全身びしょ濡れになった状態の授業開始前」。
(実際僕が登校したちょっと後にバケツをひっくり返したような大雨が降ってきたのでタイミングが悪かったらそうなった可能性もなくはない)
 
想像しただけでも泣きたくなってくる(´Д⊂グスン
 
そんな誰の目からしても「それはついてなかったねぇ……」と言ってもらえる(笑)ような10倍ついてないことを回避することができた代わりに、10分の1ぐらいの地味なことがチクチクと起こって辻褄を合わせてくれている。
そんな神様の采配が今まさに行われているのだ!
なんとありがたいことか!
 
と思うのはどうだろうか?
 
そう思えば、にわかに元気が出てくる。
 
「にわか元気」と言うとその場だけの一時しのぎのような意味合いになってしまうが、間に「に」を入れて「にわかに元気が出てくる」と言い直すだけで随分と前向きになれるようではありませんか(^^) 
 
と、にわか前向きになってきた矢先に、
「今日も引き続き地味についてないことが起こり続けたらどうするんだ?」
と意地悪なことを言う人がいたら……
 
「学校に入った後に風邪を引き、帰りの新幹線の中で40度の熱が出て寒さに震えた挙句に…」とさらについてないことを想像することで対抗するしかないだろう。
 
 
とりあえず今日は予定されていた雑事をこなした後、布団カバーの交換と駐車場の返金を求めに再び同じお店に行ってくる。
牛肉はしょっぱかったので今日は塩豚温玉ぶっかけにしよう。
いや、二日続けてうどんじゃなくてもいいじゃないか。
 
にわかに前向きになってきた。

ゾンビを語る・3

昨日からの続きである。
 
ウォーキングデッド普及活動はまだまだ続くのだが、怖い系やゾンビ系の苦手な人が無理に最新話近辺にトライしてもつらい思いをするだけなので、まずはシーズン1の第1話を見てみることをオススメしたい。
徐々にエグい描写の増えていく2話、3話へと進むことができたあなたは素質ありだ(笑)
しかしまだまだハードルはグングンと上がっていく。
シーズン2〜3あたりからトラウマ級の悪夢的展開が波状攻撃でくるし、シーズン5の冒頭の数分は未だに見返す勇気がないぐらいの最悪の状況がやってくる。
(このシーズン5の1、2話は個人的感想ではシリーズ中もっとも怖い回だった)
 
それでも続きが見たくなる悪魔的な魅力に惹きつけられているうちに気がついてみたらばあら不思議!
あなたはゾンビへの耐性がすっかりついているのである(^^
(そう簡単な話でもないだろうけど(笑))
 
尚、シーズン1の1話でも「ちょっと…」と断念した人には最後のゾンビ紹介チャンスをください!(笑)
以前Twitterでも紹介したことがあるのだが、僕の知る限りもっともライトな短編映画「CARGO」は切なく哀しくも美しい父と娘のゾンビ映画だ。(7分)
 
最初に見たときはゾンビというジャンルにこんな話まででてきたのか!と驚かされたものだ。要ハンカチ。
 
 

 
話は唐突に変わるが、僕は幼少期の頃から砂場遊びと粘土遊びが好きだった。
そういった遊びの中でも特に好きなのが、海水浴場の砂浜でやる「砂の城作り」だ。
 
「生涯海水浴合計時間」でいえば、泳いだりプカプカ浮いたりしていたよりも砂の城を作っていた時間の方が確実に長いと思う。
蛇足ながら…オトナになった今でも海水浴に行けば砂の城をついつい作ってしまっているので記録更新中でもある(笑)
 
2197942-地中海のビーチに驚くべき砂の城
(砂の城の参考写真…しかし一般的な砂の城のレベルはだいぶ低いし自分とて例外ではない(笑))
 
さてこの砂の城作り。
興味のない人にとってはどうでもいい話だろうが、まず最初の「どこに作り始めるか?」という選択一つとっても案外奥が深い。
波打ち際に近すぎると城建設そのものがままならないし、遠すぎてもいけない。
波打ち際にしても引き潮と満ち潮があり、状況が刻一刻と変化する中での建設となる。
海水浴に来てずっと城ばかり作っているわけにもいかないし、帰る時間になっても波打ち際はまだ遥か遠くであっても困る。
もろもろのタイミングを計算しての場所選びは、それなりの熟練を要する。
 
そして砂の城は城本体を作って完成というわけでもない。
時々ランダムにやってくる大きめの波から城を守る防御壁が必要だ。
城を作る前にまずは城予定地の周囲に溝を掘り、掘った砂で外壁を作る。
溝は押し寄せてきた波を速やかに排水できるような構造にすることも忘れてはいけない。
まだ時間があればさらに外側に第二の溝を作り壁も作る。
外堀と内堀というわけだ。
外壁は前面をより高くし、側面からの海水の侵入も考慮しつつ排水ルートも考え、全体のデザインを考えながら作っていく。
結構やりがいのある作業だ。
その間も城本体のデコレーションは凝れるだけ凝る。
 
そして満足のいく砂の城とその防御システムはついに完成する。
最初にやってくる至福の瞬間である。
 

しかし砂の城作りはここがクライマックスではない。
この後は一転して真逆の方向に向かい始めることになる……
 
 
砂浜は満ち潮によってジワジワと潮位を上げてゆき、せっかく作った砂の城はゆっくりながらもやがて危険な状態を迎える。
20回に1度ぐらいの危なめの波が10回に1度になり5回に1度になってくる。
 
「あぁ!せっかく作った防御壁が!あぁ!排水システムが!外堀が!」
応急処置を重ねながら修復をするも、波打ち際はさらに城に近づいてくる。
そしてついには内堀にも浸水が起こり城壁もダメージを受け始める。
城の頂上に立てた木の棒が倒れたら敗北だ!
 
しかし善戦虚しくついには壁が流され掘も平らになり丸裸となった城も崩れて木の棒が倒された瞬間、これが二度目の至福の瞬間となり、砂の城作りのクライマックスとなる。
 
そしてこの砂の城遊びだが、確実に敗北をする。
というよりは、そもそもこの崩壊劇を見届けるために始めた遊びなんである。
 
 

ぶっ壊すために作る。
 
普通のプラモデル作りにせよ例え紙飛行機のようなすぐに壊れてしまうものであっても「壊すために作る」ということを通常はしない。
Nゲージのような鉄道模型やジオラマ作りは決して壊すために作る趣味ではない。
結果的には壊れてしまう、壊してしまうことだとしても目的はそこにはない。
お片づけを前提としたプラレールにしても、片付けることを楽しみにレイアウトを組む子供もいないだろう。
 
だが、粘土遊びや砂場遊びといったものは「遊んだら元に戻す=壊す」が前提となる。
砂場に作った巨大な城を壊さずに帰ってももちろん構わないのだが、知らない誰かにいつの間にか壊されているぐらいならいっそ自分で壊す。これが原則だ(笑)
 
そしてその中でも究極に興奮するのが「波によって確実に破壊される」という分かりきった条件を全て了承した上で、というよりはむしろそれを楽しむために一生懸命になる「砂の城作り」だと僕は思うのだ。
 
 
飛躍するようではあるけれど、そんな遊びが大好きな僕がゾンビ好きになるのはむしろ必然だったのでは?と思えてくるのだ。
 
ゾンビ映画もまた崩壊のために全体が構成されており、砂の城作りと驚くほど似た性質をしているからだ。
上記の回りくどい砂の城作りの設置場所から棒が倒れるまでの説明は、そっくりゾンビ映画にも当てはまる。
 
ゾンビ好き=砂の城作りが好き
 
という大胆な仮説を打ち立ててみる。
 
自分以外の根拠ももちろんある。
VAMPSメンバーで海水浴に行った時に砂の城を作ったのは僕とハイド氏だけであったし、高校以来のゾンビ友と去年の秋に江ノ島に行った時もどちらからというわけでなしに共同で砂の城を作ったではないか。48歳のオサーン同士で(笑)
 
豊富な根拠は以上であるが、VAMPSの映像編集ディレクターのH崎氏(相当のゾンビ好き)も当然砂の城作りが好きに違いないと決めつけている。
 

ゾンビ映画は「崩壊劇」が絶対のルールとして課せられていると思う。
“ゾンビ”という波の大小によって物語の城壁や掘にストレスがかかり、やがて「結界の決壊」を迎える。
「崩壊」はゾンビ側の攻撃で起こることもあれば、人間による悪意や自暴自棄の末の暴走で故意に引き起こされることもある。
いずれにせよ…
最低限このルールを守ることがゾンビ映画の条件であるようにも思う。
 
もちろんこの条件を満たしていない佳作や秀作はある。
 
だけどもそれはあくまでも“亜流”として成立しているもの、つまりはセオリーを守っている大部分の作品があるからこそ敢えてセオリー破りができるという「ゆとり」のようなもので成立しているのではあるまいか?
ゾンビマニアとしてそこは一言物申しておきたいのである。
(「遠山の金さん」にしても桜吹雪の刺青を見せない回というのが稀にある。だけども毎回毎回刺青を見せる前に顔バレしてしまう遠山の金さんでは作品が成立しないんである)←最近時代劇の例えが多いと自分でも思っている(笑)
 
「ゾンビの侵入を完璧に防ぎ、ゾンビ以上の敵である人間も撃退し、安全な場所で無事一生暮らしましたとさ。めでたしめでたし。」
といったゾンビ映画は一本たりとも存在しない。
というか、そんなゾンビ映画を誰が見たがるものか!(笑)
 
極端なことを言えば、溢れんばかりのゾンビがなだれ込むように安全エリアに侵入してくるの見たさに90分の中の80分をガマンしているようなジャンルなのだ(笑)
 
そしてそのガマンのさせ方が上手な監督というのが名監督となるのであり、「ロードオブザリング」のピーター・ジャクソンや「スパイダーマンシリーズ」のサム・ライミ、「マンオブスティール」のザック・スナイダーなどはデビュー作でいきなり素晴らしいゾンビ映画を撮ったのちに大出世を果たした映画監督たちである。
(「ブレイン・デッド」「死霊のはらわた」「リメイク版ドーンオブザデッド」、どれも一癖も二癖もあるゾンビ映画の名作である)
 
 
崩壊に向かってのステップを楽しませてくれるのがゾンビ映画であり、崩壊という最悪の展開に突き進んでいるにも関わらず「はよ!はよ!」と崩壊を望み、そして崩壊の瞬間に最高のカタルシスを感じさせてくれる作品。
 
そんな悪魔的な内容こそが「最高のゾンビ映画」と評されるのだろう。
そしてくどいようだが「砂の城作り」とソックリだとは思いませんか?(笑)
 
 

 
ウォーキングデッドはシーズン1から6に至るまでの中で、さまざまなカタチの防壁を作ってきた。
そして一切の例外なく全ての防壁は崩壊した(笑)
「鉄壁の城塞」を手にしたシーズン3でもやはり崩壊した。
これは最初から決まっていることなので、ゾンビモノに限ってはネタばらしにはあたらないのである(笑)
 
シーズン6後半は既に城壁が前半ラストで崩壊した状態、絶体絶命大ピンチ!
からの再開という絶望的状況から始まる。
もうこの先は見たくないという精神状態であるのも本当なのだが、見たくて仕方がない!という正直な思いも本当だ(笑)
 
あぁ!金曜日が楽しみで仕方がない!
 

ゾンビを語る・2

ウォーキングデッドのシーズン6が再開された!
僕はHuluで見ているのでスカパー組よりも4日ほど遅れての視聴となるので金曜日までのこの期間は全力でネタバレガードを自ら作ってネット内をスルーしまくっているので先行組のみなさんは不必要に感想など送りつけてこないようお願いしたい(笑)
 
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「ウォーキングデッド」はアメリカのテレビドラマシリーズである。
2010年から足掛け6年目、シーズン6前半までで75話に及ぶ異例のロングヒットを続けている前代未聞のゾンビドラマだ。
 
当初ここまで自分がハマるとは思ってもみなかった。
そもそも僕は「24」をはじめとする海外ドラマをほぼ見たことがない。
海外ドラマに興味がないこともあったし全然期待していなかったのもあったし、どう考えてもテレビシリーズのゾンビでゴア表現(残虐描写)なんてソフトに決まっていると思っていたからだ。
 
しかし高校時代からの長年の“ゾンビ友”にしつこく勧められ、シブシブながら見た第1話でいきなり心臓を鷲掴みされるような衝撃が走った!
 
これはまたとんでもないゾンビモノが来たもんだぞ!
良質の映画一本分に匹敵する密度に加えて、第2話、第3話と話が続いていくのだ。
しかも毎週毎週!(テレビドラマなのだから当たり前なのだが(笑))
 
一人でも多くの人にこの作品を広めなければ!
感染するゾンビのようにゾンビ好きを増やしたいかのようなTwitterでの謎の啓蒙活動は、純粋なるゾンビ愛の爆発であろう(笑)
ゾンビ映画は古今東西1000本以上あるのだが、そのうちの950本は駄作みたいなジャンルなので(笑)、まさに奇跡が訪れたようなものだった。
年に一本の良作に出会えれば運が良い業界で、毎週毎週最高のゾンビが約束されたようなものなのだ!
 
なんたる僥倖だろうか!
 
 
…とはいえ、ウォーキングデッドマンセー論はこれまでTwitterでもさんざん語ってきたので、ここでは軽くに留めておきたい。
 
まずゾンビが発生した世界の描き方が実に素晴らしかった。
荒唐無稽としか思えない「ゾンビ」という設定が実にリアルに描かれているのだ。
 
また「これ本当にテレビオンエアーなの?」と思えるような容赦のない残虐描写てんこ盛り!
直接的描写はもちろん、間接的でありながらも想像するだけで泣きたくなってくるような相当シビアな描写がふんだんに盛り込まれている。
 
さらにこれまでの様々なゾンビ映画に対する敬意がそこかしこに感じられる。
過去のゾンビ作品での名シーンと同じようなシチュエーションがやってくるのだが、同じような展開には決してならない。
見ている限りではウォーキングデッドの方が描写としては正しいと思えてくるし、予想を毎回裏切られるので展開がことごとく読めない。
 
そして絶望的な状況をこれでもかとシナリオの中に散りばめ、「こいつは死なないだろう」と思えるような準主役クラスであってもまったく油断ができない。
あっけなく死んでしまうこともあれば、「なにもそこまで…」と顔をしかめたくなるほどエゲツない最期だったりする鬼脚本が何よりも鬼素晴らしい(笑)
 
「ゾンビ映画の決まりごと・ルール」をキチンと守りつつも、今までなかったような斬新な切り口で楽しませてくれるのだ。
「ゾンビ史上最高傑作」と絶賛されているウォーキングデッドだが、僕も声を大にして支持したい。
 
今週の金曜日を昨年末からずっと楽しみに待っていたが、もうすぐだ!
 
 

ちなみにホラー映画を苦手とする人によく聞かれるのが「なぜ怖い思いが楽しいの?」なのだが、これは「絶叫マニア」の回でも同じような説明をしている。
苦手な人にとっては「わざわざお金払って怖い思いするなんて信じられない!バッカじゃないの!」と思われることであろう(笑)
しかしこちらの立場から言わせてもらえば「わざわざお金払わなくちゃこんな経験できないじゃん!リアルにこの状況が起こったら普通死ぬよ?」となる。
ホラー映画にしても同じことで、「リアルにこの状況が起こったら普通死ぬよ?」的なドキドキハラハラ感を映画を通して楽しんでいるのだ。
トムクルーズが地上500mのガラス窓をペタペタ登ったり離陸する飛行機にしがみついているのをドキドキ見るのと基本は同じだ。
 
そしてもう一つ、僕はホラー映画が純粋に怖い。
初めて見る作品は毎回ドキドキして見るし、あまりにも怖い時はクッションにしがみついたり指の間からコッソリ覗き見るぐらい、由緒正しくキチンと怖い思いをして見ている。
 
ジェットコースターにしても落下感覚や高所に対しての恐怖感が麻痺しているようなことはなく、スチールドラゴンのファーストドロップなどは思い出すだけでもオシッコちびりそうになるぐらいの恐怖感が蘇ってくる。
あんな怖いもの!……また乗りたい(^^
 
苦手な人にとってはどうでもいいことであろうけれども「絶叫マニアではあるが絶叫ジャンキーではない」ということを強く念を押しておきたい(笑)
 
 

 
話のまくらが長くなった。
本題は次回に続く。
 
なお、本題といいつつも次回はゾンビの話がほとんど出てこないという謎の予告をしておく。
 

穴子さん

たまにやっている専門学校講師の講義原稿を書いている。
情報を整理して例題なども考えつつ、話すペースや実習をどのタイミングに入れるか?なんてことを考える作業は悩ましくもあるが基本的には楽しい。
 
ブログ記事を書くのにしても同じなのだが、僕は漠然と思っていることや考えていることを自分なりに具体的にまとめなおす作業がかなり好きらしい。
 
しかし、一つのことばかりずっと考えているのはやはり疲れる。
 
パソコン内のメモに目を通していたら去年の面白そうな日記が目に留まったので、ここで1時間の休憩を取り、ひとつおバカな内容をブログネタとして書いてみる(笑)
 
 

 
去年の7月に放送されたサザエさんの「穴子さん最後の晩さん」を覚えている方はいるだろうか?
anagosan
 
僕は海外出張中だったので見られなかったのだが、翌日あたりのネットの反応があまりに現実的で笑ってしまった。
というのも、もっとも多かった感想が「気になっていたのに見逃した」だったからだ(笑)
 
僕が20年前から会話の中で度々引用していた慣用句的表現がある。
 
「サザエさんの次週予告ぐらいどうでもいい」
 
…意味は「どうせすぐに忘れてしまうこと」である(笑)
 
そうなのだ、サザエさんを見ている日本国民は多い。
視聴率は黄金期に比べたら低迷したとはいえ、アニメ部門では堂々1位の14.2%。
 

だが、毎週欠かさずワクワクドキドキ抱腹絶倒を期待して見ている人は極端に少ないとも思われる。

果たして「さ〜て、来週のサザエさんは?」で始まる次回予告の内容を一週間忘れずに覚えている人が日本国民の中でどれほどいるものなのか? 

僕に限って言えば予定されていたエピソードが差しかわったとしても絶対に気がつかない自信がある。
 

次週予告が「穴子さん最後の晩さん」という、実にサザエさんらしからぬサブタイトルであっても、やはり見逃してしまうのがサザエさんのあるべきカタチなのだとも言えるのだろうし、正しい関わり方であるとも思う。

 

と書きつつもどんな話だったのか見てみたかったなー、、、

…と思いつつも明日にはすっかり忘れてしまうのでありましょう。
 
といった日記が発掘されたのでブログネタにしてみた(笑)
 
 
サザエさんをディスっているつもりは毛頭ない。
いつ見ても安心して見られる内容だし期待を裏切らない展開を数十年続けるというのはとてつもない偉業であるとも思う。
今後もずっとずっと続いていてほしいアニメである。
 
今日は日曜日。
久しぶりにサザエさんを見てほのぼのしてみるのはいかがだろうか?(^^
そしてせっかくここまで穴子さんのことを書いたのだから、穴子さんの活躍までは期待せずとも、せめてワンカットでもいいから出てきてほしいな(笑)
 
 
 

 ところで穴子さんの声優さんは若本規夫さんという実力派の方で、ドラゴンボールのセルや庵野秀明監督作品の「トップをねらえ!」の太田コーチ、はたまたジャンクロード・ヴァンダムやドルフ・ラングレンの吹き替えなど、渋い声をウリにしている声優さんである。
 
実は若本さんの声はハロウィンパーティー2013の時に録らせていただいたことがある。
この時はハイド氏の強い要望で「プリズンブレイク」の“ティーバッグ”という悪役キャラのイメージでしゃべっていただいたのだけども、やはり素晴らしくかっこいい声であった。
個人的には録音が終わった後に勇気を出して「トップをねらえ!の太田コーチ役がとても好きでした」と告白したら「あぁ、随分昔の作品だけどよかったよねぇ」と返されたという良い思い出も残っている。
 
 
そうなのだ!みなさんはいい加減気がついたほうがいい。
 
穴子さんがあまりにも無駄にかっこいい声であるという事実に!
 
「やぁマスオくんフグタくん、帰りに一杯どうだい?」なんてどーでもいいセリフ一つにしてもいちいちイカしているのだ。
(※読者の方から「穴子さんはフグタくんと呼ぶんですよ」という指摘あり(^o^))
 
今後はそういった視点で穴子さんに向き合ってほしいと思う。
大きなお世話だけど(笑)
 
もはや有名すぎるwikiではあるが、穴子さんはあの貫禄のルックスで27歳という設定だそうである。
 
 
 
なお、2011年に放映された実写版サザエさんの穴子さんを演じたのが元格闘家の武蔵だったことは記憶に新しいが、あまりにも直球ストライクな酷似っぷりが素晴らしかった(笑)
Mr.anago
 
今日は絶対サザエさんを見たい!
……うっかり忘れるかもしれないけど(笑)
 

パソコンとバッテリー

パソコンを使っている人が激減しているらしい。
近しい人と会話をしていても、ブログのアクセス解析を見ても、世の電気屋さんの売り場を見ていても、ここ数年のパソコンの凋落っぷりは目を覆わんばかりだ。
 
Toukei
(当ブログのプラットフォーム解析。iPhoneとAndroidが全体の8割を占める)
 
ビジネスユースは別にして、プライベートでの使い道は完全にスマートフォンやタブレットに取って代わられてしまっているようである。
一部のディープなゲーマーやディープな趣味に走っている人には必要不可欠なパソコンではあるが、ライトユーザーには確かに無用の長物のようにも感じる。
 
何をするにもパソコンしかなかった我々世代としては、全く予想のできなかった未来だと言えるだろう。
 
 
確かにネットにつなげて情報を受信する用途がメインであるならばパソコンは必要ない。
音楽のダウンロードにしてもYouTubeで動画を見るのもスマートフォンで事足りてしまう。
文章入力にしても長年タッチタイピングをやってきた僕からすればパソコンのキーボードがベストの入力デバイスとなるが、「もはやフリック入力のほうが合理的だ」という同世代の人間もいるぐらいにスマートフォンの進化と普及は著しい。
 
僕はSMSやツイッター程度の文章量ならばiPhoneで十分だが、長文傾向のこのブログを最初から最後までiPhoneだけでやれと言われたら「嫌だ」と即答する(笑)
しかしパソコンの高性能自体を特に必要としていないのも確かだ。
ストレスなく文章を打つためにタイピングしやすいキーボードは必要だが、マルチコアプロセッサーや大容量メモリーを必要としているわけではない。
文章を書くだけならば4世代前のMacBookAir(2011)でも十分に事足りる。
 
ある程度の面積のディスプレイとキーボード、内外データの検索のしやすさとストレージへのアクセス。
そういった点でパソコンが一番優れていると実感できるので、今のところはパソコンをメインに使っている。
(動画編集ツールの「iMovie」などは一部iOS版の方が優れた操作性なども出てきており、ザッとiPadで編集してからMacに持っていくといったやり方をすることもある)
 
それでも一時期はiPadでタイピングする練習もしてみたのだが、物理キーボードのような感覚がなくフリック操作もやりにくいというかえって中途半端なサイズ感に違和感を覚えて以来、iPadではiPhone以上にタイピングをしなくなってしまった。
  
iPad用のカバー兼キーボードといった製品も出ているし、最近出たiPad ProはむしろBluetoothキーボード前提の設計のようでもある。
だがしかしそこまでの武装をするならば最初からノートパソコンの方が良いのではないのか?(-“-)
きっと今はそういったモバイル端末の過渡期なのだろう。
 
結局今の僕はiPhoneとiPadとMacBookProの3つのデバイスを持ち歩くスタイルになってしまった。
オールインワンを3タイプ持ち歩くという見事なまでの本末転倒っぷりである(苦笑)
他にもハードディスクやら電源ケーブルやらモバイルバッテリーやらが入っているので総重量は相当重い。
 
※度々僕の背負っているリュックの位置が「上すぎる」という指摘をされるのだが、そういう人には黙って背負わせてみると大抵は納得してもらえる。
肩ヒモを長くすることによって生じる振動負荷で背中に余計なダメージを与えたくない、健康第一主義なのである(笑)。
2015年10月01日(木)1 tweetsource

背負ってるリュックが重い。空港で計ってみたら6.9キロあった。亀仙人の修行ほどではないけどどうりで肩がこるわけだ(笑)

p.twipple.jp/p1uJh

posted at 01:50:08

 
実は先月のZEPP名古屋6daysの折に、MacBookPro(ノートパソコン)の電源ケーブルをスタジオか自宅か事務所かのいずれかに忘れたまま名古屋に来てしまったことが初日の夜に発覚した。
 
MacBook全般のバッテリー性能はかなり優れたものではあるのだが、残念ながらVAMPS籠城期間をカバーするまでの蓄電容量はない。
 
ネットにつなげてメールチェックとちょこまかとウェブ徘徊をする程度であれば合計10時間近く、結果的に10日間以上でも対応できるのであろうが、例えば「ブログを書く」という連続的な行為は相当のバッテリー容量を消費する。
 
タイピングをしながらウェブで検索をかけたり、過去のノートを遡ったり写真フォルダーの中から使えそうな画像はないかと探しているうちに「そうそう!これについてもいつか書きたかったんだよね」とevernoteにメモ書きをしたりしていると、ものの2〜3時間でバッテリー残量は50%を切ってしまう。
自動車メーカー公称値の燃費とパソコンの連続稼働時間は未だに「実質その半分」ぐらいに思わないとやってられないのはなぜなのだろうか?
 
念のためノートパソコンのバッテリー残量はVAMPSのステージには微塵も影響はないので心配は無用である。
(ステージ用のマックは通常ネットに接続することもなく、ただただ「音楽バカ仕様」としてのかな〜り限定した使い方しかしていない。問題が起こらない限りはソフトウェアのアップデートをすることもないし、そもそもネットにつなげていないのでアップデートを催促されることもない(笑) 「iTunes」は昔のバージョンの方が圧倒的に使いやすいとこのマックを使うたびに思う)
 
 
さて電源ケーブル……
うっかりした忘れ物とはいえ仕方がない、買うか〜と調べてみたらば10,260円也。
 
…なぜたかが電源がそんなに高い?(-“-)
appleの電源はイカしたルックスをしているが……それが理由か?(笑)
 
MagSafe
 
地元駅前の行きつけの居酒屋なら3回、焼き鳥屋だったら4回飲める値段である(どちらの店も安くて美味いので贔屓にしている)。
 
…痛い出費だ(-“-)
 
そんな高価なものを忘れた自分が全て悪いのだが、なんとか買わずに乗り切る方法はないものか?
酒飲みの発想はこういう時案外堅実な倹約方向に流れるように思うのだが、飲みに行くのをガマンすれば買えるという逆の考え方はもちろんできない(笑)
 
というわけで二日目は同型のMacを使っているライターさんの電源を拝借してフル充電させてもらう。
しかし三日目のオフ日、午前中のホテルで早くもバッテリーが半分を下回る。
ぐぬぬぬ…
そうでなくとも僕は充電が50%を切ったあたりからジンワリと焦りを感じるほどの小心者なのだ。
MacにせよiPhoneにせよ残り20%を切った時の赤い表示!
20%
大嫌い!(笑)
 
そして「バッテリー残量が少なくなっています」といったメッセージ。
ios9-low-power-mode-message-01
大大大、大嫌い!!(笑)
 
ダメだ。
こんな不安を抱えたままあと一週間も名古屋にいるなんて耐えられない!
 
かくして三日目の昼でギブアップ。
観念してZEPP名古屋途中にあるヤマダ電気にてMac用電源お買い上げ。
痛い出費と引き換えに精神的安定感を手にいれる。
 
 
そしてふと思うのだ。
これがiPadだったらバッテリーの持ちが全然違うし充電の方法もいろいろある。
(バッテリー容量が大きいというよりは消費電力がかなり低いので結果として長持ちする)
快適にタイピングできるキーボードさえあればノートパソコンまでのスペックはいらないのでは?
え?だったらベストチョイスはiPad Pro?
 
ipad-pro 
 
なるほど。
iPad Proはこういった堂々巡りの思考の中から生まれてきた機械なのかもしれないなぁ。
 
一方のMacBook(ProやAirではない)はiPadのようなMacBookで、スペックがやたら低い割に妙に高いという謎の機種だ。
バッテリー駆動時間はどうなっているのだろうか?←堂々巡りにまた一台追加
 
パソコンとバッテリーと周辺デバイス。
ベストチョイスに行き着いたと思えば次の新しい商品が登場する。
堂々巡りは興味を抱いている限り永遠に続くのかもしれない。 
 
といった興味のない方にとってはどうでもいいような細かい話をチマチマしてしまいました(笑)。
 

 (後日談)
ところで痛い出費となった電源だが、自宅のデスク専用としてセッティングし従来の電源はリュックに入れて「外用」としたところ、大層使い勝手がよくなった。
 
考えてみたらばiPhoneの電源も同様の使い方をするようになって実に快適になったのであった。
 
電源ケーブルをコンセントから抜いてグルグル巻くという一連の定型作業がなくなってとてもスガスガシイ思いである(^^)
 

銭形平次とデスノート

元々脱線気味のブログではあったが、いよいよ謎の表題のエントリーをしてみる(笑)
 
自分としては何年も前から思っていたことでいつか誰かに話したいと思っており、実際何度か仲間内には小出しに会話としてしたことはあるのだけれども、なかなか真意を伝えることができずいつもシリツボミになってしまっていた。
 
ああ!誰かとこの思いを共有したい!
 
という熱い思いを今日はブログというツールを使って思う存分一方的に伝えてみたいと思う(笑)
 

「デスノート」というマンガについては、かなり有名なマンガであるし、つい最近テレビドラマ化もされ、さらには続編映画の公開日決定もつい先日あったりし、ご存知の方も多いかと思われる。
 
Death_Note
 
「このノートに名前を書かれた人間は死ぬ」
 
死神の持つべきデスノートを手にした高校生・夜神 月(ライト)が、このノートを使って次々と完全犯罪を成立させていく。
なにしろ名前を書くだけで人が死んでしまうのだから、犯人の特定は不可能としか思えない。
だが何の物証を残していないにも関わらず、かなりの短期間でライトに行き着く天才探偵エル。
お互いの挑発に乗りながらも決して手の内を明かさず、常に数手先の勝負を畳み掛け続ける物語がどうにも痛快であった。
デスノートは大きく前後編に分かれるが、探偵エルとライトの心理戦が中心となる前編が圧倒的に面白かった。
 
 

一方の銭形平次だが、こちらも知らない人はいないであろう有名な時代劇だ。
デスノート以上に説明不要のポピュラーな作品かと思われる。
 
maxresdefault
 
えーと、明確なビジョンは思いつくし歴代の平次さんを知っているにも関わらず、説明するほど熟知しているわけでもファンでもないのでここは割愛(笑)
でもまぁ日本国民で知らない人もあまりいないだろう。 
 

しかしそれにしても、なぜ銭形平次とデスノート?
「???」と思う方も多いかと思われる。
 
 
この二つの作品、あまりに違いすぎる作品かのように思えるのだが、最近僕の中では「既に同じカテゴリーに入ったのかな」と思えるようになってきた。
 
 
時は200年程前の江戸時代。
DNA鑑定はおろか、犯人の遺留品や指紋など、現代捜査と比べてしまうとあまりに決め手となる物証がなさすぎる時代。
それをいいことに下手人は大胆に犯行をやってのけ知らぬ存ぜぬとシラを切り通す。
「あぁ今なら指紋鑑定で一発なのに!」
我々としては「志村うしろ〜!」的な歯がゆさのようなものを感じざるを得ない。
 
しかしデスノートにしても、既にこの領域に達してきているように思えてしまうのだ。
エルがそこまで頭が良くなくても、ここ10年の技術革新で当時の夜神月は速攻で逮捕されていただろうからだ。
 
というのもここ最近の犯罪の立証パターンを見ていると、とにかく防犯カメラがいい仕事をしているんである。
多くの犯罪(特に都市部での犯罪)は、防犯カメラ映像だけで容疑者の行動を抜き出し、かなりの短時間でアリバイを断定できてしまうらしい。
 
夜神月の行動に関してだと、エルがいなくともおそらくは1巻の後半〜2巻の前半のレイ・ペンバー氏を山手線に誘導する時点でお縄だろう。
フードを深く被った程度の変装で防犯カメラをクリアーすることはできない。
本編マンガの中でも「防犯カメラ映像確認」という描写はあるが、もはや刑事さんや探偵がビデオテープを肉眼で一本一本確認するようなチープなシステムではないのだ。
 

現代の防犯カメラ映像確認システムは、
犯罪が起こった周辺の防犯カメラ映像を全部集め→
犯行時間近辺に現場にいた人間をピックアップし→
コンピューターがその人たちの行動のすべてを監視カメラの中から識別し→
その人たちの行動を過去に向かってさかのぼり徹底的に追跡、
ができてしまうそうなのだ。
 
カメラに映った犯行を起点に、その犯行で使った凶器を準備しているであろうトイレに入る瞬間であるとか、さらにその一週間前に金物屋で出刃包丁を購入した前後の足取りなど、過去の映像がワサワサ時系列に沿ってつなぎ合わせるように出てくるという魔法のようなシステムだ。
 
その追跡可能期間は今のところ過去3ヶ月らしい。
 
今後防犯カメラが増えれば増えるほど精度は上がり、記録媒体はさらに過去まで遡れるようになるのだろう。
容疑者候補になった時点で過去3ヶ月の行動が逆算的に浮かび上がってきてしまう。
 
これはもう既にタイムマシーンの一種といえるのではないだろうか?
 

例えば全国の郵便ポストに防犯カメラを設置したとする。
そうするだけで今後は「投函による愉快犯の犯行声明」が成立しなくなってしまうことになるのだろう。
ポストの場所と投函された時間がわかった時点で実に簡単に犯人を絞り込めるということになるからだ。
全国数万ケ所全てのポストにカメラを設置することは不可能とはいえ、オービス(自動速度超過違反取締装置)のように大部分がダミーであっても相当の抑止力になってくれそうである。
 
ちょっと前に携帯電話の番号通知システムを知らずに脅迫電話をかけた間抜けな犯罪者が相次いだ時代があったが、犯罪者もうっかり時代に乗り遅れてはいられないのである(笑)
 
しかし犯罪撲滅という点では大変喜ばしくもあるのだろうが、ちょっとこの監視システムは薄気味悪くも感じる。
もしも週刊文春がこのシステムを手に入れたら…という下世話な想像は別にしても(笑)、今後プライバシーの確保がいよいよ困難な未来に突入していきそうな悪寒が走る。
 
追記:防犯カメラのシステムはさらに進化を続けており、最新の研究では「歩き方の癖」を指紋レベルのユニーク値として解析する研究もされているそうだ。
そうなったら顔認証に加えてさらに精度の高い“追跡システム”が生まれそうだ。
 

自動車のナンバー認識システムである「Nシステム」は全国津々浦々かなりの数が設置されており、その数は既に2000を超えているらしく、この監視システムを一度も通過せずに都内を抜けるのは至難の技であるらしい。
 
N-System
(渋谷区周辺の各Nシステム分布図。県境はかなりビッシリ散りばめられている)
 
マークされた時点で現在や未来はもちろん、Nシステムは最大で過去数年まで行動を逆算できるという。
ぶっちゃけ自動車のナンバープレートを認識し蓄積するだけの技術、ビッグデータの初歩的な運用法といえるだろうが効果は絶大だ。
 
やはり犯罪撲滅という方向性では頼もしい限りではあるが、監視カメラ同様の薄気味悪さを感じる。
※高速道路上のNシステムとNシステムの間の通過時間を計測してスピード違反を成立させることも既に技術的には完成しているそうだ。
今後これを実行に移すか否かの選択は(一応)我々国民に委ねられている。
 
 
Nシステムを前提とすると、推理小説で「レンタカーを借りてコッソリ死体を山に埋めに行く」なんて描写は今後成立しなくなってしまうのかもしれない。
どうしてもそういった犯罪小説を作りたければ「平成14年」といった感じで時代を退行させないと物語が成立しなくなってしまう現代に既に投入しているのかもしれない。
そのこと自体は別に構わないし、今後は新たな時代に適合した犯罪小説が出てくるだろうけど、読者としてはそういったサイバー知識を前提とした物語についていくのも大変そうだ(笑)
 
「全ての防犯カメラに映らず全てのNシステムを通過せず、監視システムをくぐり抜ける現代版の透明人間」といった小説や映画はプロットとしては随分前からあるものの、今後はよりリアルな描写がされていくのだろう。
 
 
結論。
デスノートを使った完全犯罪は今後夜神ライトレベルの知能であっても難しい時代に突入してきており、少なくとも大胆にオモテに出て行動などしようものならたちまち捕まってしまう監視社会になっている。
ゆえにデスノートの物語は既に銭形平次と同じ「レトロ枠」に分類される現代となっているのかもしれない。
 
 

 
ところで僕が「デスノート」を初めて読んだときに「あ!この感じは子供の頃にも経験したことがある!」とピーンと直感の走った小説がある。
 
江戸川乱歩「心理試験」である。
(以下wikipediaよりあらすじ転載)
貧しい大学生・蕗屋(ふきや)清一郎は、親友である斎藤勇から、彼の下宿先の家主である老婆が大金を貯めていることを耳にした。老い先短い老婆より、まだ若くて未来のある自分がその大金を使った方がずっと効果的だ、と考えた蕗屋は、老婆を殺して金を奪う計画を立てる。
蕗屋は自分が絶対に疑われないように綿密に計画を立て、それを実行に移す。その後、老婆殺害の廉で斎藤が勾引された。心理テストを使うことで有名な笠森判事がその事件の担当者になったと知ると、蕗屋はそのための練習を重ねるなど対策を練った。そして、その練習は功を奏し、蕗屋は完璧に心理テストをこなした。だが、名探偵・明智小五郎はそのあまりにも完璧すぎる結果に疑いの目を向ける。

明智は探偵の身分を隠して蕗屋と会話する中で、蕗屋を罠にかけ自白へと追い詰める。 
 夜神月とエルの駆け引きや頭脳戦は、もしかしたらこの小説の影響が強くあったのでは?と思うぐらいに、お互い数手先を見据えた高度な読み合いに興奮させられる小説であった。
 
「心理試験」は1925年に発表された小説だが、今読んでも十分すぎるくらい面白いと断言できる。
 
おおよそのあらすじを書いてしまったが「心理試験」の面白さはネタバレうんぬんの部分ではない。 
「デスノート」を面白いと感じた方には是非とも読んでみて欲しい短編小説である。
そして「あぁなるほど!確かに明智小五郎とエルはちょっとユニークな部分も含めて似ているかも」的な感想を共有してみたい(^^
 

コンビニ経済学

最初に断ってしまうと、僕はコンビニが嫌いだ。
毎年この時期になると美味しそうな太巻の写真をこれでもかと店内に貼るだけでは飽き足らず、店外のノボリやポスターにも「予約受付中!」と写真入りで宣伝しまくっている神経のなさは本当に神経を疑う。
大好物だけどもあえて普段意識しないように目をそらしている太巻愛好家のことをまったく考えてくれていない。
なぜ道を歩いているだけでこうまで食欲を煽られ続けられねばならんのだ?
 
といった逆恨み爆発期間の節分も昨日で終わってようやくちょっとホッとできそうである(笑)
 

ツイッターやブログに「○○が好き」と書くのはアリとしても「○○が嫌い」と書く場合はいろいろと気を使う。
「恵方巻の写真が悔しいから」なんて理由であってもそれなりに気を使う(笑)
 
ほとんどの批判や中傷は、したところで良い結果がもたらされることなどめったにないからだ。
個人攻撃などあってはならないことだし、政治や企業に対する批判や中傷をするのも読む側にとっては時として痛快だったりすることもあるだろうけれども、書く側としてはやはり重く感じる。
よほどの覚悟を持ちかなり勉強してから臨まないとたちまち足をすくわれそうだ。
 
しかし僕が「コンビニが嫌い」と宣言する程度の軽さのものに関しては、まぁ許されるような気もしている。
コンビニ業界にとっては痛くも痒くもないだろうし、そもそも好き嫌いで利用するしない人もいないと思われるし、コンビニ嫌いを自称する自分にしてもなんだかんだでちょくちょくお世話になっているからだ。
 
「嫌いと言ったからには今後の利用まかりならん!」と言われたら大至急手のひらを返す用意もできている。
その程度の軟弱な宣言なので、あくまでも軽く聞き流していただけたらと思う。
 

Interior_of_Lawson_01
 
ところでみなさんは日々の生活でどれぐらいコンビニを利用しているのだろうか?
若かりし頃の僕はコンビニはなくてはならないものだった。
二十歳で最初に一人暮らしをはじめたワンルームマンションは、階段を10段ほど降りたところが即セブンイレブンだった。
 
これがもう便利で便利でたまらない。
 
親元を離れ一人暮しの開放感に加えてのコンビニ付生活。
本気を出せば部屋の中に冷蔵庫がなくてもいけるんじゃないのか?というほどに、ここに住んだ2年間はセブンイレブン漬けになっていたように思う。
ただでさえ薄給の極貧生活に加えてコンビニメインの生活という悪循環。
世のバブル時代絶頂期は我が生涯もっとも貧乏な数年間だったが、その足をさらに引っ張っていたのはコンビニ依存であったのは疑いようがない。
 
そんな若い日の反省を踏まえたのか40代後半の今、コンビニ依存はほぼなくなったと自覚している。
タバコを吸っていた頃はかなり重宝していたのだが、やめてしまってからもう随分と経つ。
今ではせいぜい買い置きのビールがないなぁと思ったときの帰宅途中に1〜2本買うとか、ごくたまに衝動的におでんを買うぐらいだ。
尚、おでんは大根、厚揚げ、ちくわ、卵が定番の組み合わせである。
 
雑誌も読まないしお菓子も食べない。
日常でのコンビニ利用はせいぜい月に2~3回程度だろう。
 
よっぽど困った時、例えばコーヒーフィルターが切れてしまっていてどうしても今コーヒーが飲みたいんだよぉ!と意地で飲みたかった時は妙に割高なペーパーフィルターを買わされた(笑)
 
そうなのだ。
コンビニのもっとも重要な要素は本来こういった「深夜であっても日用品をうっかり切らしてしまった時でも近所ですぐに揃う」という役目を果たしてくれている点だ。
使っていて突然切らしてしまって困るもの、例えば引越し荷造り中のガムテープやビニールひもであるとか、友人を招いて鍋パーティー中のカセットボンベや味ポンであるとか、テスト勉強中の蛍光ペンやシャーペンの芯など、明日に持ち越せないのっぴきならない状況時に大いなる力となってくれる。
まさしく「あいててよかった!」となる。(古っ!)
  

さてこれほど便利なコンビニではあるが、一般的なスーパーやドラッグストアと比べると売られている値段がかなり違う。
上記の例のように「緊急の用件に対応する手数料」と考えれば納得もいくのだが、日々の消耗品や日用品にこの手数料を払うのはちと悔しい。
 
僕は自分のことを合理主義者だと思っているので、同じモノが80円と150円で売られているのなら80円で買いたいと思う。
誰だってそうだと思うのだが、では人はなぜコンビニで買い物をしてしまうのであろうか?
スーパーでは80円のコーラがコンビニでは150円で売られている。 
富士山の6合目でもないのに約倍の値段である(笑)
もっと言うとスーパーで売られている2リットルのドリンクは大抵コンビニの500ミリの同商品よりも安く売られている。
 
ビールにしてもスーパーで6本パックを買えば一本165円だが、コンビニは215円。
実に50円もの差額があり、3本買えば1本タダ!みたいな状態になってしまう。
 
当然酒飲みとしてはこの差額に目をつぶれない。
 
たくさん飲めた方がよいに決まっているからである。
(ちなみにコーラなどは普段飲まないのでたまに飲む一本が倍の値段であってもなぜかあまり気にならない(笑))
しかしこれだけの値段差があることを特に隠すわけでもなく「それがなにか?」的に平然と売っているコンビニもコンビニだが、それを買う方も買う方である。
 
既にスーパーが閉まっている時間だとか、遠くて行くのが面倒臭いとか、パック買いがお得なのはわかっているけど一度の出費が多くて得した気になれないとか、人それぞれいろんな事情や考え方やフトコロ事情があるものだが、主に「気軽」というのがコンビニ利用の主な動機となるのだろう。
 
僕は基本的にスーパーや大型店、ネット通販などを利用しつつ、帰宅時間が遅くなったとき、大きな荷物を運ぶのが大変なとき、何もかもがめんどくさいとき(笑)、そして旅先に限ってはあまり多くを考えずにコンビニを利用してもよいことにしているが、「気軽に買い物」の代償は冷静に比較してみると驚くほど割高だ。
  
今までなにも考えずにコンビニを利用していた人は一度買い物のスタイルの見直しをしてみるのもいいだろうし、あるいはコンビニを気軽に利用できているという恩恵に感謝をしてみるのもよいかもしれない。
 

話はこれで終わりなのだが、最後に不条理エピソードを加えておく。
先日旅先のコンビニで謎の光景を見てしまったのだが、みなさんはこれをどう思うのだろうか?
 
IMG_7144
 
誰もが知っているであろう「い・ろ・は・す」。
 
この商品、珍しく500ミリと1リットルと2リットルの3種類が同じ棚で売られているのだが、価格を見て???とならない人はいないのか?
 
500ミリ…120円
1リットル…183円
2リットル…100円
 
安く売られているわけではなくこれが定価らしい。
この値段のつけ方は一体全体どうしてこうなってしまったのだろうか?
 
2リットルのボトルを持って移動するのも嫌だろうからコンビニの主力商品が500ミリであることは理解できるが、だからといって500ミリや1リットルを買う人をわざわざ悔しがらせてどうするのだ?(笑)
こんな値段のつけ方をされたら僕は1リットルサイズを買うことができない。
 
この件に関してはコンビニに矛先を向けるのも違うとは思うが、全体的に漂う不条理感はコンビニに共通するなにかを感じてしまう。
 
僕にはさっぱりわからない(-“-) 

ツアー終了!

追加公演を含む24本、JOINT666ツアーが終了した。
IMG_6676
今回のツアーはVAMPSとしては比較的短いと思われる2ヶ月半の期間ではあったが、途中オズフェスからのイギリスツアーがあり、ソロ名義での富良野ディナーショーがあり、そして年明けにはMTVアンプラグドの公開収録もあり、非常に密度の濃い2ヶ月半であったように思う。
この期間の濃密さに関しては当ブログでさんざん解説してきたように思うので、それを繰り返すようなことはすまい(笑)
しかし、この終了感は久しぶりだなぁ…とパソコンのカレンダーをなにげにたどってみたらば……
 
えええええ!
 
2012年の4月19日の「プリプロ」を起点とするほぼ3年9ヶ月の間、なんだかんだでずっとVAMPSは動き続けていたのか!というスケジュールであった。
一ヶ月間まるまるなにもなかったのは2015年の6月のみであった。
まことに大雑把ではあるがここ4年弱の僕目線のスケジュールをたどってみる。
  
2012年
4〜5月 制作期間
6月〜 リハ→仙台→新潟→高知→広島→熊本
7月 ZEPP東京13DAYS、レコーディング、PV撮影
8月 リハ→蒲郡イベント、名古屋
9月 福岡→東京追加→氣志團万博→札幌→大阪→
10月 →大阪、リハ→神戸→幕張
11月 プリプロ、富良野リハ
12月 富良野、プリプロ
 
2013年
1〜2月 制作期間 苗場
3~5月 制作期間、レコーディング、PV撮影
6月 リハ→東京→
7月 →東京→名古屋→大阪
8月 リハ→山中湖イベント
9月 福岡→東京追加→氣志團万博→フェス→札幌→スペイン→
10月 →フランス→ドイツ→イギリス→リハ→神戸→幕張
11月 制作、レコーディング、インドネシア
12月 ロサンゼルス→ニューヨーク、イベント、Mステ
 
2014年
1月 制作期間
2月 制作期間、リハ→苗場
3月 制作期間、イベント、台場、ロンドン
4〜5月 制作期間、レコーディング、
6月 リハ、イベント、ロンドンフェス、香港PV撮影
7月 制作、TV収録、レコーディング
8月 レコーディング、リハ→長岡イベント
9月 氣志團万博、リハ
10月 イベント、Mステ、リハ→幕張→神戸、リハ、バンドスコア制作
11月 バンドスコア制作、福岡→名古屋→札幌→プレミアライブ
12月 大阪、リハ→富良野ディナーショー
 
2015年
1月 東京
2月 名古屋ガイシ→武道館→大阪城
3月 苗場、仙台ゼビオ
4月 ジャカルタ→U.S.ツアー(13ケ所)
5月 ニューヨーク→香港→オハイオ→台湾→SSAファイナル
6月 オフ!
7月 パリ&ロンドンイベント
8月 リハ→幕張海岸
9月 氣志團万博、ブラジル→チリ→
10月 →アルゼンチン→メキシコ→ロサンゼルス→サンフランシスコ、幕張、神戸
11月 リハ→東京→U.K.ツアー(6カ所)
12月 大阪、リハ→富良野ディナーショー
 
2016年
1月 リハ、名古屋、リハ→MTVイベント、福岡→札幌 ←イマココ!
 

 書き洩らしがいろいろありそうだけども、
いやいやいや……
僕以外のメンバーはこのスケジュールを縫って別のバンドを掛け持ちしているというのだから恐れ入る。
 
しかもこれはあくまでも僕視点のスケジュールであって、例えば「制作」であるとか「レコーディング」といった作業にしてもあくまでも僕が関わった部分のみ。
 
実際のスケジュールはその前後にかなりの密度で広がっていると思って間違いない。
その他にも「プロモーション」「海外プロモーション」「各媒体インタビュー」「撮影」といったサポートメンバーの我々は全く関わっていない様々な業務をVAMPSの二人はこなしているのかと思うと…
 
さすがヴァンパイアである。
 
もういっそのこと本当にそう思うことで納得してしまいたいぐらいに人間離れした激務をこなしている二人なんである。
 
 

しばらくの間みなさんの前から姿を消す吸血鬼達となるわけだが、いつかまた姿を現してくれるだろう。
 
それまでの期間、さようなら! 
 
と、まるでこのブログも同時休止のような大&太文字であるけれども、当ブログは今後も地味に続く予定です(^^
 
 
追記。考えたら来月に苗場のイベントがあるのでした。わりとすぐでした(笑)