月別アーカイブ: 2016年3月

オトナの自由研究

前回の氷の研究はその後もなんとなく継続をしている。
ゆっくり凍らせれば72時間でできる透明丸氷。
これを24時間ゆっくり凍らせた後に24時間通常冷凍してみたら?
あるいは36時間ゆっくり凍らせて12時間通常冷凍してみたり?
とにかく72時間以下で冷凍温度のバランスを変えて、限りなくゆっくり72時間かけて作る透明氷に近い氷を作るのが目標だ。
とはいえ「まー大体」の感じで作っているし、ここ2日は焼酎もウイスキーも小休止状態で今は赤ワインを飲んでおり、氷から遠のいた生活3日目なので氷研究への情熱が薄れつつあるのでウイスキーを買ってこようかと←違
 
そしてふと思うのだ。
この研究熱心な姿勢が小・中学生時代にあったなら!
さぞかし「夏休みの自由研究」は金賞総ナメだったのではあるまいか?
 
ちなみに今でも覚えている我ながらサイテーだった夏休みの自由研究のお題は、、、
おそらくは小学6年生の時にやった「日光の強さの研究」であろう。
そもそも研究開始日が8月31日なのだ。
まともな研究ができるはずもない。
 
過去に遡れる資料=古新聞と、小学生の脳みそでも容易に想像のつくデータいらずの実験結果。
目の付け所は決して悪くはなかった!
 
しかし、、、
 
日差しの強い日は影が強く曇りの日や雨の日は影が弱かったりなかったりする。
結論:晴れの日は日差しが強い!
 
という「だからどーした!」的な結論しか導き出せなかったのは我ながらどうかと思う。
しかも結論の根拠は「影のスケッチ」というおおよそ胡散臭い絵のみである。
そりゃそうだ、実際に研究なんざやっちゃいない。
評価する先生にしてもこの発表を聞かされるクラスメイトにしても、全員が全員「サイトークンは実験をまるでやってないな」とわかりきった上での100%茶番の発表でしかなかった。
 
返す返すもサイテーな宿題であった。
 
 
時は流れること20年。
なにげないデータの蓄積こそ説得力のカナメであることを知った僕は、誰に頼まれたわけでもないことであってもマメにデータを取ることが好きなオトナになっていた。
 
12歳の若かりし日のこのテキトーでサイテーな夏休みの研究の反動だとしたら、自分の人格形成に不可欠な手抜きだったのかもしれない。
 
…つくづく前向きな人間であるなぁ自分は(笑)
 

統計値とか平均値といった数字が好きだった僕はマニピュレーターとしていくつかの功績を残した。
 
例えば「SONYデジタルマルチトラックレコーダー3348とProToolsのワードクロック同期の誤差の検証値」。
 
なんのこっちゃ?といった専門分野での話で恐縮なのだが、結論として2台の業務用機器の同期誤差は16bit48KHzの場合では19/48,000秒後ろであるという値を、レコーディング終了後の数時間、数日に及ぶ実験から導き出した。
約1/3000秒といった微小な値ではあるのだが、確定値がわかったことでその後のレコーディングが実にスムーズに進むようになったことは今でも忘れられない。
※L’Arc-en-Ciel「REAL」というアルバム制作時の話である♪
 
「ああ!蓄積されたデータっていいな!」と思う僕なので、昨今の「ビッグデータ」の流れがどうにも嫌いじゃない。
N-システムや防犯カメラについて疑問を呈したりはしているが(http://jinxito.com/2016/02/08/deathnote/)、実のところすごく興味深いというか、その流れで未来はどう変わっていくのか?という点においては非常に惹かれているというのが抗いようのない自身の感情だ。
 
 

VAMPSのステージメンバー全員が持っているapple watchだが(なぜ全員が持っているかといえばそれぞれの誕生日にハイド氏がプレゼントしてくれたからだ)、これなども毎日装着し続けていることで見えてくるデータというものがあり、寝ているとき以外は可能な限りつけるようにしている。
 
というのも連続稼働が今のところ36時間ぐらいしかないので充電を忘れると「省電力モード」、エヴァでいうところの「生命維持モード」ぶっちゃけただの時計に成り下がってしまうのだ(;^_^A
逆に「寝る時に充電する」という習慣をつけておかないと日常的に使う時計として機能してくれない。
 
IMG_8044
 
普通に生活している中で様々なものが数値やグラフで見えてくる。
基礎代謝以外の消費カロリー、活動している時間、運動量、心拍数などなど。
 
そんな毎日を刻々と記録し続けることで見えてくるもの、それこそが真の意味での「平均値」だろう。
心拍数にしてもそのとき測ってみるものではなく、日常の中での膨大な記録が平均心拍数となって日々更新されている。
この説得力は健康診断時に計測する1回の数値とは比べ物にならない。
 
apple watch装着1年まであともう少しなのだが、その時に改めてこの時計について熱く語ってみたい。
装着2〜3週間での感想ではない。
1年間ほぼ毎日着けてきた結果のレビューとなると、物欲触発系雑誌の扇動的なレビューとはまるで異なる“いぶし銀”の重いレビューとなることは間違いないだろう。
 
期待して待っていてくれたまえ!
 
となぜ自らのハードルを上げる必要があるのだろう?(;^_^A
 
 
 
ここでようやく本題となる。
 
僕はここ数年トヨタのハイブリッドカーに乗っている。
3代目プリウスに試乗して一目惚れしてしまい半年待って購入したのが6年前。
このプリウスから次の車に買い替える時にかなり真剣に迷った。
すなわち「ハイブリッドを継続するかやめるか」という葛藤である。
 
エコカーの代名詞として名高いハイブリッドカーではあるが、ちょっと調べてみるだけでそれがほぼペテン、虚偽であることがすぐにわかってくる。
 
ハイブリッドカーは確かにガソリンの消費量こそ少ないものの、コスト面的に節約できるガソリン代の差額を埋めるためには、最低でも十万キロは走らなければとてもモトが取れないのに加え、その頃には高額なハイブリッドバッテリーの交換もしなければならないらしく、そんな交換をするぐらいなら買い替えた方がオトクですよ!という本末転倒的、アンチエコな流れを平気でプッシュしてくるトヨタという矛盾が潜んでいる。
 
結論としてはハイブリッドカーはちっともエコではない。
エコを追い求めるならばハイブリッドも電気カーも、ましてや水素カーなどお呼びではない。
今のところは軽自動車かクリーンディーゼルこそがもっとも効率の良いシステムだと言えるだろう。
  
しかし、そのことを重々承知の上で僕はまたもやハイブリッドカーを選択した。
直感とか、なんとなくではない。
地味な実験と計測を繰り返し、データを蓄積し「うん!自分の生活スタイルだったらやっぱりハイブリッドがいいのだ!」と確固たる思いをもって自分なりの結論に達したのだ。
 
オトナの自由研究、次回に続く。

凍りつくような…

前回の怪談シリーズがなかなかの好評をいただいたようで嬉しい限りだ。
ホラー映画やゾンビ映画は嫌いでも、怪談にはついつい耳を傾けてしまう人は多いらしい。
都市伝説なども含めいろいろ研究をしたらさぞかし興味深い分野なのだろうなぁと思う。
しかし本腰で取り組んだら、もはや怖い思いは避けられないだろうからあまり深入りする気はない(笑)
幽霊の存在を信じる信じないは別にして、心霊現象そのものが怖いか怖くないかと言えば、僕は断然怖いのだ。
 
今日は凍りつくような怖い話から発展して、氷の話をしてみたい。
尻取りコラムはいつまで続くのか?(笑)
 

 
頂き物のサーモスの保温マグカップを気に入って使っている。
 
IMG_7987
名前入りである♪
 
一般的に保温カップは温かいものが冷めにくくなるという利点があり、実際僕もコーヒーやお茶を入れて飲んでいたのだが、先日晩酌をするときについ面倒くさくなってこのマグカップに氷を入れて「バーボンオンザロック」を飲んでいた。
 
普段心にユトリがあるときは、ハイド氏から誕生日にいただいたバカラのグラスで優雅に飲んだりしているのだが、やはり酒の味は器で変わるのである。
そればかりか酒の飲み方やテレビの内容までも微妙に変わってくる。
ちょっとアダルトな気分でグラスと氷の重なるカラン♪という音を楽しみながら「ナショナルジオグラフィック」を見たりする。
うん、優雅でイカしてるぜ俺とまでは思わないものの、なぜかややドヤ顔だ。
このスタイルで「マツコ有吉の怒り新党」を見たりはしない(笑)
 
そういった意味ではこのサーモスのマグカップで飲む酒というのはイマイチ雰囲気は出ない(;^_^A
ついつい「ホンマでっか?」の録画を見るとかのかなりフランクな空気になってしまうが、まぁ比較的日常の一人テレビ晩酌といえば圧倒的にこちらの過ごし方が多いのもまた事実だ(笑)
要するに自分としては何の問題もない。
 
「サーモスで酒飲んで何が悪い!」
 
と、半ば開き直って飲んでみたのだが……
 
異変に気がついたのは2回目のおかわりをしたとき。
つまり3杯目なのだが、氷があまり減ってないというか、まだまだ原型を留めているのである。
いつものグラスだったらコースター必須の汗かき状態でとっくに氷も追加している状況だ。
 
んん?
 
酔っ払った頭で考えるが、酔っ払っているのであまり早く回転してくれないというかほぼ動いてくれない(;^_^A
 
「うん、まぁいいや」とその日は寝てしまったのだが、翌日の朝起きてシンクにそのまま置かれていたマグカップを見てビックリ。
マグカップの中の氷がまだ溶けずに残っていたのだ!
 
ええええ!
 
少なくとも放置してから6時間は経っていたはずだ。
これは一体どうしたことか!
 

保温機能は温かさはもちろんだが、冷たさもキープしてくれる。
そんなことは知っている。
魔法瓶……今思えばなかなかファンタジーな昭和のネーミングだなぁと思いつつ、夏場の麦茶は保温機能サーバーに入っているのを知っているし、もっといえば自分自身もここ数年はサーモスの水筒に水と氷を入れて持ち歩いてもしていた。
保冷機能を知らなかったわけではない。
 
しかしだ。
魔法瓶に酒を入れるという発想はなかった!!
 
サーモスマグで焼酎やウイスキーのロックを飲む利点を順を追って箇条書きで挙げてみる。
 
・常温の酒が氷と溶けて微妙に薄くはなるが、氷点ギリギリまで下がると氷の溶解も止まる。
・氷はほぼ溶けずに安定している。
・ロックという飲み方は氷が溶けることで少しずつ酒が水っぽくなっていくのだが、あまりというかほとんど薄まらない。
・おかわりを継ぎ足せば当然また氷は少し溶けるが、思ったよりは溶けずにずっと残っている。
・溶けにくい丸氷2個でロック並々3杯楽勝でいける。
・結露をしないのでコースター不要。
 
ちなみに上の写真を撮ったのが22時24分で下の写真が23時23分。
 
IMG_7988
 
1時間経っても氷の形はあまり変わっていない。
 
この素晴らしいマグカップはそんなわけで朝はコーヒー、昼はほうじ茶、そして夜は焼酎やウイスキーのロックと大忙しの稼働率で使うことになったのだが、お酒用に別の色を新たに購入してもよいのではないか?と思った。←好きにしなさい(笑)
 
追記:わたしはサーモスの回し者ではない(笑) 
 

 
ここで唐突に僕が実践している溶けにくい氷の作り方講座を披露してみたい。
 
一つは、最近の冷蔵庫の製氷機能には「溶けにくい透明氷モード」というものがあって、お酒専用の氷を作れるのだけれども、やたら時間がかかるのが難点。
大体3日かかってようやくコロコロと出てくるような感じなのだ。
 
もう一つは、ニトリや東急ハンズなどで売っている「丸氷製氷機」を利用する方法で、単純に大きい氷は溶けにくい。
 
 
ではこの二つを組み合わせたらどうだろうか?というのが考案のポイントだ。
 
氷は急速に凍らせたものはすぐに溶け、ゆっくり凍らせたものは溶けにくくなる。
また急速に凍らせた氷は白くなり、ゆっくりと凍らせた氷は透明になる。
ゆっくり凍った天然の氷を使ったかき氷だと頭がキーンとならないという特性にもなにかしらの関係があるような気がする。
 
氷の性質で面白いのが0度以下なら氷のままを保っているという点だ。
つまりマイナス1度でもマイナス20度でも氷は氷である。
 
こういった氷のメカニズムを一歩踏み込んで解説すると…
マイナス1〜5度程度の環境で凍った氷は、凍っていく過程で水の中の気泡がすっかり抜けることにより限りなく純度100%の水で作られる透明な氷になるのに対して、マイナス20度環境だと気泡が抜ける前にすぐに凍り始めてしまい、結果空気ごと凍ってしまうので白くなってしまうのだ。
 
つまり凍っていく過程にかかる時間で氷の色、すなわち密度が変わる。
空気がたくさん混じっている氷ほど溶ける速度も早くなるというわけだ。
結論としてもっとも重要なのは「凍っていく過程にかかる時間」となる。
ジワジワと凍らせることができるのならば、それこそが「理想の氷」となるのであろう。
 

そこで利用したいのが、最近のちょっとイイ冷蔵庫にならたいてい搭載されている機能である「弱冷凍」や「微冷凍」といった機能。
 
これはマイナス3〜10度程度の温度を保つという機能で、各メーカーほぼそれ専用の室が用意されている。
ここに丸氷製氷機を入れてジックリ凍らせるのである。
この方法だと丸くて大きくて溶けにくい氷をさらに密度の濃い透明な氷に昇華させて作ることができるのだ。
2〜3日かかるのは冷蔵庫の「溶けにくい透明氷モード」同様なのだが、さらに大きくて溶けにくいスーパー氷になってくれる。
 
尚、現在凍らせ方も研究中である。
上の写真の丸氷はまさに研究途中の氷で「24時間弱冷凍で凍らせた後に普通の冷凍庫に移して24時間凍らせた氷」だ。
いかんせん酒飲みなもので氷の需要は多い(苦笑)
市販のロックアイスと併用しながらも、究極でありながらもっとも短時間で作れる溶けにくい氷を開発する日々なのである。
 
こういうことには労を惜しまないヒマな性格をしている自分なのだが…
 
……それがなにか?(笑)
 
 
※尚、各メーカー各用途で専用室の弱冷凍の温度は異なると思われる。
我が家の三菱電気製の「弱冷凍機能」だと3日目に完成する感じなのだが、実際マイナス何度であるのかはわからない。
実践してみようと思われた方はいろいろ試してみてほしい。
 
最後に0時28分の氷の状況をお伝えしておく。
IMG_7989
 
丸氷2個で2時間3杯を十分いけることを再確認した。
 
このスーパー氷サーモスマグの組み合わせはまさに鬼に金棒となるだろう。
 
しばらくは病みつきというか、もはやサーモスのロックが今後の人生の定番となりそうな飲み方になる予感をヒシヒシと感じているのだが、唯一の欠点を挙げておくとするならば……
理屈的に氷の溶ける量がかなり少ないということは……
限りなくこれは……
ロックというよりはストレートに近い飲み方となってしまうことだ(笑)
 

酔っ払い注意!

 

幽霊の正体〜番外編

なにげにコラム系最長の長さになってしまった今回の「怪談シリーズ」。
今までの3回はとにかく「怖さ重視」で攻めまくってみたのだが、最終回である4回目は今までの流れをぶち壊すというか、いつものこのブログのノリにガラリと趣向を戻してお送りしたいと思う。
さんざん引っ張るとみなさんに怒られそうなので連続のエントリーをする。
 
なお、この記事の後半ではある種ちゃぶ台をひっくり返すようなことが書いてあるかもしれないが、くれぐれも怒ってはいけない(;^_^A
 

改めて心霊現象の起こるメカニズムというものがよくわかる体験だったと思う。
不気味なシチュエーション、不合理な現象、音や振動による恐怖感の増幅。
すべてがクライマックスに向かって絶妙な盛り上がりを見せてくれているようだ。
ここからはさらに現実的な分析をしていくことにしよう。
 
 
まずは異音の正体であるシートベルトの金具。
当時のシートベルトは構造的にだいぶチャチだったので、ビローンとベルト部分が伸びてしまい、金具が外にはみ出ることは比較的よく起こっていた。
この時のような恐怖の増幅の中では、あるいはコン、コンという小さな音が巨大なドンドンドン!という音に聴こえてしまうのかもしれないし、まさにそうだったのだろう。
「心理的聴覚」による作用がオカルト方面に噴出した、で全ての説明がつく。
ちょっと前のエントリーで紹介した通り人間の聴覚は騙されやすい。
風の音の中から人の声を抽出できるぐらいなのだ。
連続的な打撃音の音量や音質が増幅して聞こえるなどはいとも簡単に起こることだろう。
 
 
そして足に落ちてきた発煙筒。
今の車は基本的に助手席側に発煙筒が設置されているかと思われるが、この車は運転席側についていた。
たまたまポロッと落ちることもありえないことではないだろう。
わけのわからない物体に叩かれたとなれば恐怖の体験となろうが、車内でたまたま発煙筒が落ちてきたとなると「まぁそういうこともあるかもね」という話で落ち着かざるをえないだろう。
ホテルの一室や病院の廊下で脈絡なく発煙筒が落ちてきたら、それはもう恐怖以外のなにものでもないだろうが(笑)
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しかし…普通に運転をしていて簡単に落ちてしまうような作りはさすがにオンボロ車といえどもしておらず、あのタイミングで自分の足の上に落ちてきたというのは、やはり何らかの超自然的な悪意があったのでは?と思わずにはいられない。
 
となると、やはり一連の出来事は幻聴でもなんでもなく本当に起こっていたのではないだろうか?
一つだけ確かな真実があるとするならば、少なくともあの交差点は事故が多発していたという客観的事実だろう。
霊かどうかはともかくとして、なにかしらの原因はあったのだろう。
いずれにせよあの交差点の異常さが一連の出来事の発端になったことは間違いないだろう。
 
論理的なオカルト否定派であると信じていた自分としては、大いに悩ましい出来事であった。
 
 

ところで、この話には一部ウソが含まれている。
大部分はほぼ実話であるのだが、ラストの「止まれ」の標識を見てブレーキを踏んでから先は、申し訳ないが完全なる“作り話”なんである(笑)
 
すごいことをサラリと言ってのけているが、もはや隠しきれないので白状する。
 
実際は車がスライドするほどの急ブレーキをかけたわけでもないし、暴走するダンプカーも実は来なかった。
というか、考えてもみたまえ。一瞬すれ違ったダンプカーの運転席なんて時間的にも角度的にも見えるわけがないっつーの!(笑)
 
しかし「あ、あぶない!」でブレーキを踏んで「あぶなかったなー、いやあぶなかった!」で話がおしまいでは怪談としてあまりにも地味すぎるではないか。
そこで話が終わりとなると、それまで話を聞かされた側にしてもたまったものではないだろう。
ゾンビの溢れてこないゾンビ映画よりもタチが悪い(笑)
 
実際の自分は2度目のブレーキで停止後もずっとガタガタ震えており、ヘッピリ腰でコンビニまで運転して生きた心地のしないまま状況を確認し、それからさらに1時間ビクビクと地元まで運転して帰ったわけで、自宅の布団に入ったときに初めて「助かった!」と思ったぐらいに奇跡の生還劇の心境だったのだが、怪談としてはここをどんなにドラマチックに語ったところで「え?結局そこなにを言いたいわけ?」とイラつかれるだけであり、聞き手は容赦ないのだ(笑)
怪談的にはいらない情報でしかない。
 
語り部としては当然、怪談として話を成立させるべく多少なりとも都合の悪い部分を削除したりテンポよく話を盛ったりしないとバランスが取れないのだ。
 
というわけで、ラストは完全なるねつ造となったのである(;^_^A
しかし怪談としてのクライマックスはこうでなくてはならず、おそらくは聞き手にとっても実に納得の行く「らしい結末」となったのではあるまいか?
 
さらに追加で白状すると、後日談の「女の子そのものが幽霊だったのではないのか?」というもう一つのオチに至っては、ついさっき思いついた完全なる嘘八百である。
その女の子には翌日「あの後死ぬかと思うぐらい怖い思いをしたので二度と送らない宣言」をしたし、紹介された友人交えてその後何度かあってもいるので、おそらくはきっと普通の人間であろう(笑)
 
突如幽霊役をやらせてしまっていや申し訳ない。
 
 

 
ここでまた考え込む。
 
まことしやかに伝承される「本当にあった…」系の怪談の多くは、僕と同じく「ある程度までは本当に体験したことではあるのだろうけれども、話のオチとなる部分などは創作」というものがほとんどなのではないだろうか。
 
“恐怖”とは本来瞬間的なことであり不合理なことであり辻褄の合わない事象による混乱が起因となっている。
幽霊譚に代表されるような「いわく」であったり「かつてこの場所は……」といった因縁や怨念といった「物語」や「答え」は普通はない。
 
逆にそういった理由を知ったことを起因として幻聴や幻覚が引き起こされることはいくらでもあるとも思う。
人間は答えや理由や原因を求めるという習性を持っているからだ。
 
今回の怪談シリーズもおかげさまで「続きが気になって仕方がない」というツイートを多くいただいたが、つまりはそういった感情が幽霊を求め、そして生み出すメカニズムになっているのだと思う。
 
 
怪談に出てくるような出来過ぎた幽霊の正体の多くは、怖い思いをした人が誰かに伝える過程でより怖くなるよう尾ひれをつけ、さらにそれっぽい原因や理由を盛り込んだ詳細設定バッチリのキャラ、なのではないだろうか。
 
つまりはよくできた幽霊像とは語る側と聴く側の共犯、需要と供給の社会のシステムそのものから生まれているように思えてならない。
 
 
決して霊的現象全般を否定しているわけではない。
ただ、情緒豊かに雄弁に語られる幽霊というのはかなりアヤシイというかオカシイということを主張したいのである。
 
本当に怖い瞬間というものには伏線もオチもない。
念を押しておくと、僕がかなり怖い思いをしたこと自体は誓って真実だ。
しかし自分が怖い思いをしたことを人に伝える場合、真実を話すだけでは怖さがあまり伝わってくれない。
 
奇妙な交差点、不気味なバイクの男、飛び出してきた黒猫、ドアを叩く不気味な異音、落ちてきた発煙筒、パニックになって気がつけば先ほどの交差点が目の前。
これだけの要素がてんこ盛りに揃っているにも関わらず、どう話し方を工夫しても散文的になってしまい怖さをうまく伝えられない。
  
「故障しかけたバイクに乗った変なおっちゃんを追い越したら猫が飛び出してきた」
「はみ出したシートベルトの金具がコンコン風で揺れていたら発煙筒がはずれた」
 
神経が太くなおかつ無感動な人だったら取るに足らないすぐに忘れてしまいそうな出来事でしかなかったかもしれない(笑)
 
それが物語としてのラストを創作することによって全ての事象に意味が生じ、あたかも関連事項として話が繋がっているように思えてくるのだから不思議だ。
そして、これを使わない手はないのである(笑)
 
 
まとめ
「これぐらいの恐怖感だった」と感情の共有手段として話を盛る、尾ひれをつける、拡大解釈をしねつ造もして無理矢理関連付け最後はデッチあげまでする。
 
そこまでして着地してこそはじめて「それっぽい怪談」となるのでないだろうか。
 
 

 
 「本当にあった怖い話」として言い張るのはただのホラ吹きだが、「怪談」は作り話が混じっても一向に構わないジャンルなのだと開き直ることもできる(笑)
 
ともかく、読者のみなさんが「怖い!」と思ってくれたのなら、こちらとしても話を盛った甲斐があったというものだ(^^) 
 
楽しく愉快なネタばらしをしたので今晩は眠れなくなったりトイレに行けなくなったりすることはないでしょう笑)
 
最後に今一度言っておきますよ。
 
騙された!ヽ(`Д´)ノ
 
と怒らないでくださいね(笑)

幽霊の正体

前回、前々回の続きである。
 
「季節外れの怪談〜前編」
「季節外れの怪談〜後編」
 
まずはこの怪談だが、僕が20歳の時に実際にした体験を元に書き起こしている。
当時の日記やその後書き残したものをさらに再構築しているので、詳細はかなり正確だ。
 
凄い体験だったと思う。
ここまでの霊的恐怖感を味わったのはもちろん初めてだった。
その他にも何度か辻褄の合わない出来事に遭遇したことはあるにせよ、この時に比べたらあまりにも瞬間的な出来事ばかりだ。
 
 
ところでこの話にはまだ続きがある。
純粋な怪談部分は前回で終わりなのだが、主にはこの不可解な怪奇現象の謎を自ら解明していくエピローグ的なパート、あるいは「真のエンディング」となる。
 
 

 
…しばらくは動けなかった。
交差点に差し掛かった場所に停車させたまま動けなかったのだが、車の往来のほとんどない田舎道。なんの問題も起こらない。
こんな交差点で事故が多発すること自体、そもそもがおかしな話じゃないのか?
 
気を取り直して車を発進させ国道16号に入り、最初にあったコンビニの駐車場に車を停める。
ここで改めて数分前に起きた一連の出来事を反芻させる。
 
一体なんだったのだろう?
 
まずはずっと違和感の残っている左足の状況を確かめてみることにする。
先ほど何かに叩かれた後も左足の甲の上になにかが乗っていたのだ。
いつの間にか感覚はなくなっているが何かの痕跡が残っているかもしれない。
 
恐る恐る足元を見てみると、発煙筒が落ちていた。
振動でホルダーから外れて足の上に落ちてきたということになるのだろうか?
 
次に車を降りて助手席側に回ってみる。
ドアの外にはおびただしい数の泥の手形がついていた…
…といった車系怪談の定番パターンがあるはずもなく、助手席ドアを叩いていた異音の正体もあっさりと判明する。
 
女の子がドアを閉めるときにうっかりしていたのか、シートベルトの金具がドアに挟まれて外にはみ出ていたのだ。
それがでこぼこした道の振動と風でコンコンと車のボディーにぶつかっていたのだろう。
 
「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」
 
しかし、恐がりな自分と偶然が作り出したというにはあまりにも話というか、状況が出来すぎているようにも思う。
素直に「なぁんだ」と思うことが出来ない。
 
何よりあの助手席ドアを叩いていた「ドンドンドン!」という音。
あれはシートベルトの金具が当たる音とはまるで違う大きな音だったからだ。
 
 
さらに後日、一連の恐怖に追い打ちをかけるようなことが発覚する。
 
この時送り届けた女の子の消息がわからなくなってしまった、というよりも、そもそも“誰だったのかすらわからない”ということが段階的にわかってきたのだ。
確かに名前を聞いているはずなのだが、記憶にモヤがかかっているようにどうしても思い出せない。
 
女の子の印象そのものがとても曖昧なばかりか、誰に紹介されたのかもハッキリとせず、その時にいた友人たちに聞いてみても誰も知らないと言うばかりであった。
そこにいたはずなのに誰も知らない、思い出せない…まるで座敷童子のような不気味さにゾクっとなる。
 
僕は誰に彼女を紹介されたのだろうか?
なぜ僕は彼女に出会い、あの場所に向かう羽目になったのだろう?
 
もう一度現地に向かい彼女の家に行けば答えがわかるかもしれない。
だけどもそれをする勇気は僕にはまるでなかったし、知らないままの方がいいに決まっているという確信もあった。
 
ありえないことだとわかっていながらも、こんなふうに考えてしまう。
もしかしたら……彼女こそがあの交差点に人を導く悪意の集合体、霊的存在の中心だったのではないのか?と。
そう考えると不合理な出来事すべてが符合してくるように思えるのだ。
 
 
国道16号を一本入った先のあの交差点は、今も信号のない同じような違和感のまま誰かが来るのを待っているのかもしれない。
 
普段は通らないから大丈夫と思っている人であっても用心したほうがいい。
 
そこを通るように罠を仕掛けてくる霊的存在があなたの助手席に絶対に座らないという保証はどこにもないのだから…
 
「次の信号を右折です」
彼女の印象は曖昧になってしまったが、この声のトーンだけは頭にこびりついており未だに離れない…
 
 
 
終わり
 
 

 
次回は「幽霊の正体〜番外編」。
あまり引っ張るのもアレな内容なので連続エントリーをする。
肩の力を抜いてさらに俯瞰ポジションからの分析をしてみる。
というよりもテンションが違いすぎるので別々に分けたというのが正解に近い(笑)

季節外れの怪談〜後編

前回からの続きである。
前編を読んでいない人は一つ前のエントリーに遡っていただきたいと思う。
 
 

 
女の子を無事送り届けた後、今来た道を引き返す。
その道中、先ほどの出来事での疑問がふと湧く。
 
……ん?、そういえばさっき猫を轢きかけた後、あの気味の悪いバイク……。
どうしてこの車を追い越していかなかったのだろうか?
 
暗い一本道には分かれ道のようなものはなかったと思うけれど…
普通に走っているならばエンストしている間に通り抜けるはずなのに。
通り過ぎたことを見落としただけだったのかな?
そうか、無灯だったしな。
ビビリの自分のことだからきっとそうだったのだろう。
 
それにしてもなんだか腑に落ちない。
 
そうなのだ。
そもそもこの真っ暗な道を無灯のまま走れるわけがないではないか!
 
絶対になにかがおかしい。
あのバイクは何者だったのだろう?
 
さっきからずっと思ってはいるけれども、そう考えたら負けだろと思いつつも思ってしまう。
「もしかして…ゆうれ…」
そこまで出かかって口をつぐむ感じだ。
 
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…あぁ、嫌だなぁ…ここいらにはなんかいるのかなぁ?…
 
と思いつつも車を走らせていると、
 
コン…コン…
 
なにか音が聞こえてくる。 
 
コン……コン…
 
不規則ながらもしっかりと、助手席のドアを誰かが叩いている。
車のメーターは時速50キロを指している。
 
—そんな馬鹿な!?—
 
しかし、明らかに音は助手席の外側から聞こえてくるのだ。
 
そしてその音は徐々に大きくなってきているではないか!
 
半ばパニックになりながらも、
「早くこの道を抜けなければ!この道さえ通り過ぎてしまえば!」
わけもなくそう思い、アクセルを踏む右足に力が入る。
 
コン…コン……ゴン!
 
ありがちな怪談だと「ふとルームミラーを見たら老婆の姿が!」なんてオチがつきそうなものだが、その時の心境は「絶対に何かがいる」という確信しかなく、とてもミラーを見る勇気なんてあるわけがない。
 
それどころか助手席も後部座席もサイドミラーも周囲の状況すべて!
すべてを確認する度胸がなく、ただひたすら正面を凝視することしかできなかった。
視線をちょっと移すだけで何か恐ろしいものが見えてしまいそうな気配を感じている。
自分の周囲に魑魅魍魎が蠢いているかのような、そんな“まがまがしい気配”が車内に満ちているのだ。
空気はピーンと張りつめており、凍りついているかのように冷たい。
 
—ちょっとでも気を抜いたらやられる—
 
誰に?なにを?
といった理性的な思考はもはやなく、本能的な危機感にのみ支配されている。 
 
ドン!……ドン!
 
助手席ドアを叩く音はさらに大きく、さらに間隔を縮めてきている。 
 
ドン、ドンドン!
 
ようやく前方右側に先程の鳥居が見えてくる。
あと少し、この先のカーブを越えれば明かりがあったはず!
 
しかし鳥居を通り過ぎ緩やかな右カーブにさしかかったとき、心臓が止まるかと思うぐらいの恐怖が身体を駆け抜ける。
 
なにかが左足の甲を叩いたのだ!
 
「!!!!」
 
そして甲の上にはそのままなにかがいる。
今までの現象とはまるで違う。
明らかな物理現象による接触がはじまったのだ。
 
間違いなくこの車にはなにかがいる!
 
泣き叫びたくなるのを必死に堪えるものの、怖くて怖くてとてもじゃないが左足がどうなっているのかを確認できない。
 
助手席を叩く音はもう狂わんばかりの勢いだ。
 
ドンドンドン!
  ドンドンドン!
 
 
ボクハ ナニカニ トリツカレタニ チガイナイ
 
モウ ニゲラレナイ
 
タスケテ!タスケテクダサイ!!
 
 
気がふれてしまうのではないかと思いながらもアクセルから足を離せない。
ブレーキを踏んでこの場所に停まることの方が遥かに怖い。
一秒でも早くこの状況から抜け出したい!
振り切ってしまいたい!
明かりにさえたどり着けたらきっと!
そして右カーブを曲がりおわった瞬間目に入る「止まれ」の標識、そこかしこに立っている「事故多発!注意!」の看板、スピードは……80キロ!
 
「う、うわぁぁぁぁ!!」
 
—キキーッ!—
 
スライドする車を必死で操りながらもスローモーションのように見える視線の先に一時不停止で交差点に突っ込んでくるダンプカーが目の前ギリギリに見えた。
そして一瞬かいま見たダンプカーの運転手の形相が目に焼き付く。
恐怖に歪んだ表情は何かを叫んでいるようだった。
間一髪で接触は起こらず、ダンプカーは凄いスピードで走り去っていく。
腰が抜けたような感覚でなにもできない、動けない。
ただ呆然と見送ることしかできない……
 
 
 
 
悪意の集合体のような“まがまがしい気配”が車内から急速に消えていく。
「ちっ」という舌打ちのような観念を感じ取ったのは気のせいだったのだろうか。
 
 
交差点は「止まれ」の標識が派手にチカチカと点滅していることを除けば奇妙な動きはない。
10秒前とはまるで別の、ごく普通の穏やかな空気に戻っていた。
 
どうやら僕は助かったらしい。
 
 
次回「幽霊の正体」。

季節外れの怪談

その日は地元で高校時代からやっていたバンドの解散ライブがあった。
自然消滅するよりかは一応終わらせておこう程度の、なんともしまりのない解散ライブだった。
なんとなく始めたバンドは3年ほど続いたが、なんとなく終わってしまった。
 
どういった経緯でそうなったのかは忘れたが、ライブ終了後に友人に紹介された女の子を隣の県のK市まで送っていくことになる。
酒なし打ち上げ後の深夜、小雨の国道16号をボロボロのバンで走る。
時期は丁度今頃、怪談をするには季節外れのまだ肌寒い3月の終わりだった。
 
 
「あ、次の信号を右折です」
と言われ16号を右折した先の細い道を入っていくと、信号のない小さな交差点が見えてくる。
何の変哲もないただの交差点なのだが、速やかに違和感を感じる。
 
交差点の縦横両方向に大きな「止まれ」の標識がチカチカと点滅しており「事故多発!注意!」といった主旨の看板がそこかしこに立っているのだ。
「止まれ」だけでも5〜6個、「事故多発」や「注意」の看板は一見して数え切れないほどある。
さながら悪霊退散のお札のようであり、後から考えればそれだけでも十分に異常な光景だった。
 
必要以上に徐行をしてしっかりと停止、おそるおそる左右を確認する。
なんの変哲もない田舎道が続いているだけのようだ。
注意しながらも“いわくつき”の交差点を直進する。
もちろんなにも起こらない。
 
…そもそもたいした交通量もなさそうなのに変だなぁ…
と思いつつ直進を続けると、その先にはゆったりとした左カーブが続いている。
左カーブの左側には鬱蒼とした林、どうやら神社かなにかがあるようなのだが、街灯のない暗い夜道なのでよくはわからない。
 
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ふと気がつくとすぐ先をゆっくりとバイクが走っている。
自車のライトに照らされて初めてその存在に気がつく。
しかしなぜか無灯のようだ。
 
—なんで無灯?—
 
と思いつつ、追い越し際になにげに運転している人を見ると、、、、
 
顔がない!
 
…最初の印象はのっぺらぼうだった。
 
ギョッとしつつも凝視すると、どうやらホッケーマスクのような防寒具を顔につけているようで、よくよく見ればちゃんとヘルメットもかぶっている。
助手席の女の子と顔を見合わせつつ、軽くビビった自分をごまかすようにしゃべる。
「な、なんか気味の悪い道だね!さっきの交差点も不自然だったし…」
 「…あの交差点、なぜだか事故が多いらしいんです」
とその女の子が答えたその時、真っ黒な猫が車の目の前に躍り出てくる!
 
「うわっ!」
 
—キキーッ!—
 
何とかギリギリで避けたものの、クラッチを踏み込めずに車はエンスト。
今でこそATが当たり前だが当時はMT、マニュアル車が主流、運転していたボロボロのバンもコラムシフトのセカンド発進が基本の車だった。
 
 
キュルルルル…キュルルルルルル…
 
もともとエンジンはかなりくたびれてはいたけど、今日に限ってキーを回せどなかなかエンジンがかかってくれない。
 
ホラー映画は好きだけど、こんなイカニモな典型的パターンは勘弁してよ!?
 
ふと助手席側の窓の外を見る。
そこには古い鳥居があり、さらにその奥は…暗くて何も見えない。
 
ここで僕はようやく自分が相当ビビっていることに気がつく。
いや、とっくにビビっていることは知っていた。
だけども得体の知れない嫌な予感をハッキリと感じたのはこの時点だったと思う。
 
 
きっとなにか怖いことが起こる…
根拠もなくそんなことを確信していた。
 
「えへへ、このままエンジンかからなかったりして…」
精一杯明るくなにかをしゃべろうとして、よりによって不安にさせるだけのような言葉が出てしまう。
なんでもいいから会話をしたかっただけなのに、なぜよりによってそんな言葉のチョイスをしてしまうのだ俺は?
ただでさえ緊迫している車内の空気がさらに凍りつく。
 
ソモソモナゼオレハコノオンナノコヲオクラナケレバナラナクナッタノダ?
 
知り合いに紹介されたのは間違いないが、よくよく考えてみれば今の状況になる理由がよくわからない。
よくわからないのは百歩譲ったとして、差し当たってこの怖い思いをしている状況をどうにかなんとかしたい。
 
エンジンはそんな僕の気持ちを察したのか、あるいはイタズラはこれぐらいと思ってくれたのか、ほどなくしてかかってくれた。
 
—ブオォン—
 
静寂の中で唯一エンジン音だけが鳴っているような漆黒の空間。
 
 
とにかくこの地を一刻も早く去りたい。
去らねば!
 
 

 
 …話の筋的にはここからいよいよ怖くなりそうなものなのだが、意外にもあっさりとこの時点から5〜6分ほど走ったところで女の子の家に着き、無事送り届けることが出来てしまう。
 
あぁよかった!
 
怪談というにはいささか拍子抜けだったかもしれないが、、、
それはあくまでも女の子視点での話。
 
なにぶん初めての土地、僕はここから今来た道をまた戻らなければならない。
他の道で帰りたいところだが、ほぼ一本道だったので他に選択肢がない。
すなわち、先ほどの道をまた通るしかなかった。
 
怪談はまだ終わっていなかった。
 
というよりは、まだ始まってもいなかった。
 
続く。

ハイレゾ音源と山小屋の幽霊

前回「普段高音質で音楽を聴いている我々はCDやmp3の音をチャチだと感じるのではないだろうか?」とセルフツッコミをした状態で終わらせてしまった。
いよいよこの件及びこの連載すべてに決着をつけたい。
 
だが例によって今回もまたおおよそ関係なさそうな話から始まる。
 
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雪に閉ざされた冬の山小屋に男が一人。
拳法家なのかなにかの達人かは知らないが、雪山に篭って一人修行をしている。
夜になると吹雪となり聞こえるのはヒューヒューという風の音と屋根から時々雪が落ちるドサッという音のみ。
間違っても誰かがヒョッコリ訪ねてくることはない。
そんな完全に孤立した空間なのに、その男は毎晩山小屋の外から聞こえてくる人の声に悩まされる。
悲しいすすり泣きだったり恨み言をつぶやいているような低い声だったり、あるいは突然笑い声が聞こえてきたりする。
並の人間ならば一目散に逃げ出すところだが、神経を研ぎ澄まし修行に集中していた彼は論理的にこの怪現象について考え、やがて声の正体をつきとめる。
 
それは孤独と妄想が生み出した自らの産物であった。
 
人間には特に意味のない自然界の現象であってもなんとかそこに有意義を見つけようとするクセがあるらしい。 
つまり、風の音は風の音でしかないのにランダムに揺れる音の中からなんとか「自分の知っている音」を無意識に探してしまうそうなのだ。
ちょっとでも似た要素があればたちまち自分の想像した音に引っ張られ、あたかも人の声のように心理的に補正をかけて聴覚に作用を及ぼす。
 
いわゆる“幻聴”である。
 

人間の聴覚はいいかげんだ。
ちょっとしたことですぐに騙されてしまう。
幽霊の正体の多くは五感の中でも特に騙されやすい聴覚の誤認識、つまりは幻聴が原因なのではないだろうか。
 
「しかし幻聴なんて非現実的なこと、雪山の山小屋ならともかくとして、日常でそうそうは起こらないでしょ?」
と思っているあなたは、あなた自身の想像力や記憶力を少々過小評価しすぎているかもしれない。
 
 
もう一つ、今度は音声実験をしてみよう。
 
以下のファイルをクリックして、まずは何を言っているかを聞き取れるかトライしてみてもらいたい。
読み進めずにまずは聞いてみていただきたい。
 
(↓下部分が空白だった場合はページ全体をリロードしてください) 

(動画が読み込めない人は音声ファイルのみ)

 
「ワレワレハ ウチュウジンダ」的な声に加工してあるが、一回で何をしゃべっているかを認識できただろうか?
わかるまで何度聞いてもらっても構わない。
 
認識できない方が流れとしては美しいのだが、何をしゃべっているかわかったらそれはそれでよしとする(笑)
 
 
答えは「みなさんコンニチワ。サイトウジンです」
 
正解を踏まえた上でもう一度聞いてみてもらいたい。
今度はハッキリとそう聞こえてくるはずだ。
むしろ「なぜ今までそう聞こえなかったのだろうか?」と思われたのではないだろうか。
 
これは映画のセリフや歌詞などでもよくあるのだけども、なにをしゃべっているのか歌っているのかよく聞き取れなかった部分を字幕オンや歌詞カードをキチッと見ることで「あ、なんだそう言っていたのか」と認識することができ、次回からは「なんでこれが聞き取れなかったのだろう?」となってしまうのと同じだ。
 
聴覚の補正作用である。
人間の聴覚の授かりものと言えるだろう。
 
 
ところで上記の音声ファイルだが、先ほどの回答は誤りであった(笑)
これはうっかりしていた!←
 
 
では加工前のオリジナルの音声ファイルを聞いてみてもらいたい。
 

 

正確には「ヒナさん、とんにちわ。怪盗 銀です。」としゃべっていたのだった。

これはうっかりした(再)
 
それを踏まえてもう一度加工した音声を聞くとあら不思議、どうにも「怪盗 銀」という初めて聞くキャラクターが訛りながらやや日本語を間違えながらヒナさんに挨拶をしているではないか(笑)
 
 
もちろんこれは悪意を前提とした「ひっかけ問題」であるので、みなさんの聴覚が異常なわけではない。
ただ“よく聞き取れない部分”を聞き取れた前後の発音や想像力で流れを組み立て補正するのも人間の聴覚の特性だ。
聞き取りにくい「ひなさん」を「みなさん」と空耳するのはむしろ正常だといえる。
 
文章を読みながら聞くという作用も非常に大きい。 
そのもっとも顕著な例が「空耳アワー」という傑作コーナーであろう。
まるで違う言語が日本語に聞こえてしまうのはまさに人間の聴覚補正の代表格といえるだろう(笑)
 
 
 


しかしこの「先入観による聴覚補正」というのは外国語の発音の勉強などに関してはあまり良いことはないだろう。
「カタカナ英語」と呼ばれている発音に代表されるように、どうしても日本人は英語の発音がカタカナ読みに引っ張られてしまう傾向が強いそうだ。
例えば「GIRL」とか「WATER」といった発音はカタカナ表記が非常に難しい発音なのだが「ガール」「ウォーター」といったファミコン8bitマリオ並みの、もはや記号的な荒い読みが一般的になっており改善される気配すらない。
 
平仮名も読めないような幼児がかなり正確に英語を発音できてしまったりするのは、文字に引っ張られない純粋なる聴覚がもたらす効果だと言えるだろう。
 
 

 
(オトナの)人間の聴覚はいいかげんである。
脳みそによる想像力や記憶力で補正をすることによって実際には聞こえていない音を聞こえているように錯覚させる。
そう考えると、どこまでが本当に聞こえている音で実際はどこから想像力で補われているのか興味が湧いてくるが、思った以上に補正されている機会は多いのではないかと想像している。
 
幻聴は決して非日常的な現象というわけではないのだ。 
 
 
ようやくここで今回のお題の最終回答にたどり着く。
 
我々がCDやmp3の製品版を聞いても「チャチ」だと思わない理由。
 
それは商品化されたパッケージであるという安心感も大きいが、既にさんざんハイレゾクラスの音で聴き倒しているので、実際にはよく聞こえていない成分も脳内補正により「割と普通に聞こえている」と認識しているからなのだろう。
(商品になる前までは「どこかに雑な箇所はなかったか、ミスはなかったか、これでよかったか」と間違い探しのあら探しのような感覚で聴くので生きた心地がしないのもまた事実だ(笑))
 
ハイレゾ音源に感動したみなさんが改めて通常音源と聞き比べをしてみると意外な結果がもたらされるかと思われる。
 
無論ハイレゾ音源の方が「良い音」であることは間違いない。
しかしハイレゾ音源でしか聞こえなかったはずの音が普通のCDからも聞こえてくるようになっているはずだ。
 
聴覚はこのように常に補正をしてくれる。
一度印象に残った音は脳に記憶され少々劣悪な環境になっても聞こえるように補正機能が働いてくれるようだ。
そこに違和感を感じたならばその違和感がさらなる印象となり曲全体の印象を補正してくれるのだろう。
 
ハイレゾ未体験の人はなんらかの手段で一度は聴いてみるとよいかと思う。
これは理屈ではない。体験なのだ。
(※ただし感動するかしないかはまた別の話。IMAXのスクリーンを「大きい。それで?」としか思わない人もいればグランドキャニオンの壮大な風景を「山と谷。それで?」としか思わない人もいるように、感動のポイントは人それぞれによって異なるのだ)
 
 
〜まとめ〜
 
その音楽に熱心なファンであればあるほどに印象的なライヴのビジュアルなどが視覚的にもフラッシュバックしつつ、もしかしたらオリジナルを遥かに超えた、それこそハイレゾを軽く凌駕するようなスペシャル音源で脳内再生されているのかもしれない。
 
そう考えてみると、みなさんの脳内VAMPSがどのように聴こえているのか非常に興味が湧いてくる。
 
音楽は体験として蓄積され、やがて経験となっていくのだろう。
 
人間の聴力。
いいかげんではあるけれども、かくも素晴らしい感覚なのである。
 
 
 

 
さて、ヘイトフルエイトから始まりハイレゾ音源に辿り着いたシリーズはようやくここで終わりとなる。
 
がしかし、今回引用した「山小屋の幽霊」についてネット検索をいろいろしていたところ「これはもはや幻聴や幻覚では済まされないかもなぁ…」という血の凍るような恐怖の体験談をいくつか読んだ。
 
僕自身幽霊に関してはずっと否定派であったのだが、現在は「テレビで紹介されるような心霊動画などはほぼ99%インチキだけども心霊現象そのものを否定はしない」という中立のポジションに変化していると自己分析する。
 
次回は自身が二十歳の頃に実際に体験した「季節外れの怪談」をしてみようかと思う。
以前夏のイベントでかなりのダイジェスト版を某氏にせかされながらかなり不完全で話したことがあるのだが、その完全版と思っていただけたらと思う。
 
連載ブログではないのだけども尻とり的に話はまだ続くようだ(笑)

デジタルデータとオレンジジュース

僕がデジタルとアナログの比較に好んで使う簡単な計算式がある。
 
10÷3×3=?
 
 
 
 
 
9.9999999…と答えたあなたは不正解。
脳みそがデジタル化しかかっているので注意が必要だ(笑)
 
答えは10。
電卓を使う前の小学生ほど正解率が高いそうだが、10÷3で答えを仮に出そうとした時点で正解できなくなるという論理的トラップが含まれた問題だ。
小数点が5桁までしか計算できなかった時代は0.00001、その後10桁まで増えても0.0000000001の誤差が生じる。
どれだけ桁数が増えようとも計算機は決して正解することができない。
 
この埋めることのできない0.001の差がデジタルとアナログの違いというか、特性を決定づけているように思う。
  
だから計算機はダメなんだ、とはまったく思っていない。
計算機は瞬時に結果を出してくれる誠に素晴らしい文明の利器であることに変わりはなく、これはむしろあえて解けない弱点をつく意地悪問題を出しているようなものなのだろう(笑)
 
 

さて、みなさんの中で「ハイレゾ音源」を聴いたことがある方はたくさんいらっしゃると思う。
VAMPSモデルのハイレゾウォークマンが限定発売されたことも記憶に新しい。
初めてハイレゾを聴いた時の衝撃を感動的に伝える人はとても多かった。
 
「今まで聞こえていなかった音が鮮明に聞こえる!」「空間の広がり方やブレスの臨場感、まるでアーティストがその場にいるような……とにかくCDとは別次元!」といった絶賛意見がとても多かった。
確かに16bit44.1KHzのCD、あるいは圧縮音声のmp3やAACとは密度がまるで別次元のプロフェッショナルな音であることに相違ないと太鼓判を押せるシロモノである、ハイレゾ音源は。
 
参考までに普段みなさんが聞いている「圧縮音声」とは、オレンジジュースの濃縮還元のようなものだと思えばよいかと思う。
オレンジから水分を完全に抜き繊維のような形状にした「元オレンジ」だった物質に、抜いたのと同量の水を加えることによって100%に戻すという方式が濃縮還元なのだが、mp3も似たようなデータ展開をしている規格だ。
 
音声データを一度圧縮し、さらに聴覚の錯覚を利用した帯域レンジ並びにマスキングされている音データをゴッソリ抜いてしまう。
この時点でオリジナルとはだいぶ違うデータだが、それをiTuneなりiPodなりが再解釈して補正して再生させている。
データ的には10分の1だが、可聴範囲外と帯状にカットされた存在しない帯域もウマイ具合に補正された音は、まるでそんなことを感じさせない「音楽」を奏でてくれるというメカニズムだ。
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(圧縮の要、等ラウドネス曲線。学校の講義みたいになってきた(笑))
 
しかし、厳密な意味合いとしてはオリジナルとはまるでベツモノと言わざるを得ないシロモノなのである。
濃縮還元のオレンジジュースは確かに文句なく美味しいが、純粋にオレンジを絞っただけの正真正銘のオレンジジュースとはやはり違う。
 
そして濃縮還元ジュースもmp3も運搬上の理由で一旦圧縮しているというのが共通する要素であることも興味深い。
オレンジを丸ごと輸入するよりも粉末や繊維状にした方が効率が良い。
場所もとらないしフリーズドライなどの製法なら腐りにくい。
音楽にしてもCDを宅急便で届けるよりもデータ化してダウンロードしてもらう方が効率が良いし、データ量が小さくなればなお良い。
 
どちらもオリジナルとは違うけれどもまぁ大体同じだし…と合理性至上主義を勝ち抜き淘汰してきた結果なのだろう。
ちなみに濃縮還元のオレンジ繊維は現在世界中ほぼ共通のものが使われているそうで、その後の還元方法の違いで味が変わっているそうだ。
エンコード(圧縮→解凍)手段によってここまで個性が出るというのも興味深い話であり、またmp3やAACなどに感じられる幅の狭さについても興味深い。
 
 エンコードにかかる時間もリアルタイム性が重視される分野となると見逃せない要素となってくる。
地上デジタル放送は圧縮されたデータが出力され→拠点局→中継局を経由することによってデータの遅延がそれぞれに発生してしまうのだが、それだけでない。
さらには各家庭のテレビが圧縮データを受信して解凍して再解釈して表示といった行程を経るのだが、各メーカー各テレビの中に入っているマイクロチップの性能によって圧縮データの解凍時間にかなりのバラツキが生じる。
 
つまり地上デジタル放送は厳密には同時に放送されていないという真実がなにげにサラッと存在している。
 
「えええ!?そうだったの?」と思った方もいるかもしれないが、実は随分前からみなさんは無意識にそれを知っていたことになる。
 

 
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みなさんは地上波の時報からいつの間にか音が消えていたことにお気づきになっていただろうか?
 
時計の表示こそあるものの「ポッポッポッポーン」という音が現在鳴っていないのは「テレビ個体の違いによってオンエアーのタイミングが微妙に異なるから」という切実な理由があってのことだったのだ。
 
「ええええ!?んなまさか!」と思った方がいらっしゃったら、試しに家電売り場に行って展示されているテレビのチャンネルを片っ端から全部合わせて音量を上げてみれば容易に実証できる。
日本製のSONYやPanasonicといったメーカーのテレビと、お隣あたりの国のよくわかんないメーカーのテレビとでは結構なタイムラグが生じ、かなり気持ちの悪い状況が展開されることになる。
ヤマダ電機やコジマ電機ではこの“よくわかんないメーカー製品”の取り扱いがあまりないので、激安を売りにしているディスカウントスーパーのようなお店で試してみるのが良いだろう。ドンドンドン♪
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話がズレている!
が、デジタルデータの普及は合理的な反面「案外いいかげんなんだなぁ」という側面があることを知っておいて欲しい。
 

ハイレゾ音源についての話の続きに戻るが、これはメーカーにヨイショするわけでなく本当に素晴らしい音をしている。
ところが、制作サイドにいる我々としてはやや不思議な感覚であったのも事実で、おそらくはファンのみなさんが味わったような「まるでベツモノ!」といった感動は、僕を含めた関係者は誰一人として体感できなかったのではないだろうか?と推測している。
 
なぜならば、我々は制作の過程の大部分をそのハイレゾ音源と同等もしくはそれ以上というか、まさにオリジナルそのもので作業をしているからだ。
ミックスがされマスタリングがされといった段階で「おぉ!」といった変化や音が格段に良くなっていく一つ一つの行程をまさに愛おしむような感覚(あるいは絞り出すような感覚)で、作品が完成していく様を至近距離で感じている。
最終マスタリングのチェックにしても当然最高グレードの音で聴いている。
 
つまりハイレゾ音源は「既に知っている音」ということになるので、新たな感動は起こりにくいということになる。
 
 
ここでみなさんは大いなる疑問が湧くかもしれない。
「じゃあCDの16bit44.1KHzやそれ以下のmp3音源はクオリティーとしてはだいぶ下、聴く価値なしのヘッポコな音源に聴こえてしまうのでは?」と思われるのではないだろうか?
 
ところがこれに関してもまた恐らく、関係者一同誰もそうは思っていないと推測している。
 
なぜならば……
 

さらに続く。

アナログとデジタル

 
前々回からの続きとなる。
 
タランティーノの最新作「ヘイトフルエイト」が「Ultra Panavision 70」という50年近く前の規格を復活させて撮影されたと伝えた。
レンズなどの機材も50年前のものを使っているそうだ。
もちろんレンズだけが古いわけではない。
デジタル撮影ではなくアナログの70mmフィルム。
通常のフィルムは35mm幅で縦向きにスクロールするのだが、70mmは倍の幅の大型フィルムが横向きに流れるそうである。
撮影はもちろん上映するのにも大変なコストがかかるそうで、採算が取れないという理由で廃れていった過去の産物である。
 
しかしハリウッドでは現在デジタル撮影は廃れつつあり、従来のフィルムでの撮影が復活傾向にある、と前回の最後に紹介したのだがその理由をご存知、あるいはなにか思い当たることはあるだろうか?
 
これは僕もアナログ回帰の記事を読んで非常に納得してしまったのだが、言われてみれば思い当たる節があった。
 
デジタル撮影。
その時代の最高スペックで撮影されたものは当然その時代では最高に美しいわけだが、現代技術の進歩速度は凄まじく、10年前の最高スペックも現代ではスマホレベルに追い越されかねないスピードだ。
 
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画面が大きくなるというよりは同じ面積の中をどれだけ細分化できるかと考えるのがポイントだ。
 
これを例えるならば、ザルの目の細かいものを使ってふるいをかけた砂つぶを1K画像だとする。
10年前なら信じられないぐらいきめ細かい砂つぶと思えたものだが、その後技術が進み2k、4Kというさらに細かいザルの目が開発され、より細かい砂つぶをより分けることができるようになる。
当然1Kサイズの砂つぶは4Kのザルは通過ができなくなっている。
 
 
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アップコンバージョンという技術はあるにはあるが、あくまでも擬似的なもの。
せいぜい石に丸みを持たせるような効果のもので、石そのものが小さくなるわけではない。
 
つまりせっかくの最新技術も数年先には「なんだこのギザギザは?」と取り返しのつかなくなる画面になるという宿命を背負うことになってしまう。
ハリウッドの映像作家たちはデジタル撮影を一旦は受け入れたものの、この10年の時代の流れで「ちょっと待て……」となったのであろう。
 

解像度の荒さに人間は敏感だ。
当時あれほど鮮明で美しく感じられたDVDの画質が今やかなり荒く見えてしまうとは思わなかった。
 
CGの技術はもっとわかりやすい。
これはスーパーマリオを思い浮かべれば極端にわかりやすいだろう(笑)
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解像度が細かくなることによってキャラの表現にここまでの違いが出てくる。
 
  
映画の画面にここまでわかりやすい違いはないにせよ、あれほど当時はリアルに感じたタイタニックやマトリックスのCG技術が今ではあからさまにCGに見えてしまうということを考えると、映像そのもののクオリティーも安心はできない。
10年後も50年後も変わらないクオリティーにしておくにはどうしたら良いのか?と考えた先の結論が「アナログ方式」になったのであろう。
 
先ほどの例をもう一度挙げるならば、「ザルの目は通さない」ということになろうか(笑)
 
僕がこのことに最初に気がついたのはブルーレイが出始めてしばらくたった頃に見た「ゴッドファーザー」だった。
1972年公開のこの映画のブルーレイがどうにも画質が良いのにビックリさせられたのだ。
その時は単純に「あぁ昔の映画でもこんなにキレイな画面になるものなんだ」と思っただけだったのだが、マスターがアナログであればその都度「その時代で最高のデジタル画質」にすることができるということになる。
 
これには虚をつかれた感じがした。
 
 

さて、音楽の世界ではどうだろうか?
音楽の録音はデジタル方式が主流になってから既に30年が経過しており、現在はDAWというコンピューター上に直接記録していく方式がほぼ100%となっている。
果たしてアナログ方式での録音の復活はあるのだろうか?
 
結論から言ってしまえば、おそらくはないだろう。
 
録音そのものはデジタルでも、その入出力時に通る際のアナログ回路の品質で音そのものが随分変わるという技術が確立しているのもある。
理由は他にもさまざまあるかとは思うが、映像との違いとして筆頭に挙げられる理由は…
おそらく録音方式の部分だけをアナログに戻したところで最終的なクオリティーの差にそこまでの大きな差が生まれないことがわかってしまっているからだと僕は思っている。
 
音、人間の聴覚というのは視覚と比べると驚くほどにいい加減なものらしく、上記に挙げた2Kと4Kの差のような聞き分けは専門家であっても結構難しい。
データ的には数倍〜数十倍の差があっても、明確な違いとしてその差を認識しにくい。
 
今現在みなさんが普段聞いているであろう音楽の再生方式はmp3やAACといった圧縮音声規格が大多数だと思うのだが、データ量的にはCDの約10分の1となる。
これはある側面から見るならば、ニンテンドーWiiの64bitマリオをファミコンの8bitマリオに退化させているようなものだと言ってしまっても差し支えない(笑)
 
一方我々が普段録音現場で使用している24bit48KHzや96KHzといった音質は、単純なデータ量で比較するならば20倍以上となる。
しかし、じゃあ20倍音質が良いのか?となると、決してそういうわけでもない。
 
話がややこしくなってきた。 
まだまだ長くなりそうなのでここで区切る。
 
次回はさらに「ハイレゾ音源と空耳アワーについての考察」をしてみたい。

VAMPS WINTER 2016終了!

ふう。今年も無事終了をした鬼イベント。
 
大勢の人の前で恥ずかしい姿を積極的に見せなければならない罰ゲームというのは、それはもちろん全力で回避したいものであるので参加は毎回真剣だ。
なんなら必死といっても過言ではない。
 
しかし、それがゆえに空回りもすれば、もともとたいしてない画力がさらに鈍ったりもしてあまりいいことはない。
去年の「お絵描きバトル」はヤマ勘がかなり冴えていて事前に予想した時事ネタがほぼ当たったのに、今年はまったく当たらなかったのも痛かった。
ちなみに今年は「BB-8」「イモータンジョー」「五郎丸」「おそ松さん」を予想して予め軽く練習しつつもその絵だけ上手になりすぎないようにあくまでもヘタをベースに似ている程度にとどめるという姑息なことをしている自分、本気でイベントに臨んでいる自分なのである。
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しかし……なぜ今ハクション大魔王なんだよ!という憤りを沈められずにはいられない(笑)
 
芸人でもないのに面白いことをすぐに思いつくはずもなく、大喜利お題も「これ面白いのか?キョトンとされないか?」と疑心暗鬼になってしまうといよいよドツボ方向にはまっていく。
 
かくして頑張っても頑張っても座布団をなかなかゲットできず、白けでもしたら容赦なく座布団を取り上げられてしまうリスクもつきまとう。
去年だったか「全部取り上げちゃって!」をやられた時は完全にやる気が失せたのも事実だ(笑)
そもそもゲーム全体を見渡せば「サイコロで1の目を出せ」なんて無茶なお題があったり、ダイゴが3番目に食べるおでんの具はなんでしょう?とか……
 
わかりっこないっつーの!ヽ(`Д´)ノ
 
かくして今年もたくさんの罰ゲームをやらされた。
練りからし入りのシュークリームを食べさせられるのは仕方ないとしても、なにもそこまで本気で入れなくても…と悲しくなるぐらい容赦のない量が入っていて本当にひどいと思う。
……あるいはスタッフチームが年に一度楽しみにしている我々へのうっぷんを晴らす復讐劇なのだろうか(笑)
 
それでもこれらの罰ゲームはまだいい。
恥の総量というか、あくまでも辛いものに対するリアクションを自然にすれば場は成立してくれる。
問題は自分からなにかをやって恥をかく場合だ。
「クサい台詞を真顔で言う」なんてのも、最初にやらされたときは真面目に顔が引きつったものだ。
 
しかし恥ずかしそうにモジモジやらされる罰ゲームというのは、見ている側にとっては痛々しいだけだろうから、そこは仕方がない。
全力で羞恥心を捨て完全に振り切るのが信条だ。
 
「クレヨンしんちゃんのモノマネをしてください」というお題をやったその後数ヶ月、ことあるごとに笑われるような巨大な恥をかき、ファンのみなさんにまでも「ポコポコプー!」と背後から声を浴びせられたりしたのが2年前。
そして今年は「アルプスの少女ハイジのモノマネをしてください」というお題をやり、翌日のゲレンデでは「昨日のハイジ、笑いました〜うぷぷ」とそれこそ100人がかりで言われ続けるような事態に陥った。
 
開き直って考えればまことに光栄な話ではある。
 
しかし、しかしですよ?(;^_^A
 
やはり僕も人間なので恥ずかしい。
急速に恥ずかしい。
全力で恥ずかしい。
 
罰ゲームが終わって1秒経たずして振り切った羞恥心がすごい反動で返ってくる。
抱腹絶倒されるようなことをした自覚がないのに、お客さんもメンバーも大声で笑っている。
 
っていうか、今の自分はなぜあんなことをしてしまったのデスカ!?
勝手に変な人格が登場して僕を陥れたのデスカ!?
 
ダめだ!ムり!ドうしよう!?
 
そんな心境になったのも事実なのだが、おかげさまで「ダムド」を使って「あいうえお作文してくださいコーナー」で座布団を1枚いただけたのでよしとする。
 
 
……いいのかそれで!?(;^_^A
 
 

 
さてこの苗場のイベント、そんなわけで僕からすればロクでもないことばかり起こるのでイベント内容自体はイヤで仕方がないのだが(笑)、それとは別にとても好きな側面があり、しかもそれがかなり楽しみであったりもするので、結果的にはとても好きなイベントとなっている。
 
イベント翌日の昼間に開催される「VAMPSウォッチング」という企画は「VAMPSビブスを装着したみなさんとなるべく多く接触せよ!」という指令を受けた各メンバーがスキーやスノボでゲレンデの各コースを滑りながらファンのみなさんと交流するというものだ。
もっともVAMPSの二人はかなりのスピードで滑っていかないとゲレンデがパニックになってしまうようで、実際彼らが通るたびに団体さんが「ドドドドッ!」と雪崩のように滑り降りていく様がやや不気味でもあった(笑)
 
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(一般のお客さんが唖然と見守る嵐の通過した後の瞬間(笑))
 
 
VAMPSの二人がスノーボード好きであることは、そもそもこのイベントをすっかり恒常化させてしまうことからしても揺るぎない事実だろう(そりゃそうだ(笑))
 
しかし僕に関してはスキーに対する情熱がそこまでもなく、ましてやこの歳からスノボに転向する意思も全くない運動音痴のめんどくさがり屋なので「ついでに上達してしまおうか」といった向上心はほぼ全くない(笑)
(一方のカメラーマンHさんなどは北海道に数日延泊して自主練をしたりその後も近場のスキー場で自主練をしたりブーツを新調したりスキーを新調したりウェアーを新調したりと向上心の塊のような先輩なんである。…え?それって仕事にかこつけた単なる趣味なんじゃ?…と思ったあなたはきっと正しい(笑))
 
とにかく向上心のない僕は、間違えて上級コブコブコースに迷いこんでしまった1回と、最後の最後に大斜面を降りたのを除いた残りの数十本全てを初級者コースでひたすら滑っていた。(同行したスタッフがこれまた僕以上に向上心のない男で「ジンさん中級者コースは疲れるからやめましょう」「あっちは行かなくても大丈夫ですよ」「ちょっと休んじゃいましょうよ」と度々弱音を吐かれたのも大きい←)
 
しかし初級者コースがほのぼのとした牧歌的なコースだと思ったあなたはシロートさんである。
リフトに乗って初級者コース全体を見回すと、そこかしこで負傷兵のように人が転がっているのだ。
お互い避けることができない者同士が接触していたり、リフトから降りられずに転倒していたり、単独で転んで身動きの取れなくなった者などのトラブルがそこかしこで頻発している。
そう、初級者コースはまるで戦場なのだ(笑)
そしてよくよく見れば転んでいる4人に3人ぐらいがVAMPSビブスをつけているではないか!(;^_^A
 
ほとんど滑ったことのない初心者だけど一目ハイド様カズ様の勇姿を焼き付けられたら……と願う健気なブラッドサッカーズの姿が微笑ましくもいじましく、そして不憫でならない(;^_^A
果たしてこの限られた時間の中でどれだけ上達できるものなのだろうか?
 
果たしてこの状況で僕にできることはなんだろうか?
 
それは……せめてVAMPS二人の通過時間をリークすることぐらいしかない!(笑)
 
 
 

 
実のところ今回もたくさんのVAMPSファンのみなさんと会話をさせていただいた。
とはいえゴーグル越しでのごく短い時間の会話しかできなかったけれども、みなさんのVAMPS愛を存分に感じることができた。
 
ここに来られなかったディープなファンの方はたくさんいたかと思われる。
歯ぎしりする思いで参加を断念された方もおられることだろう。
 
そしてここに来ているみなさんは間違いなくディープなファンばかりだ。
数万人いるファンの中からイベントに当選した各日1500人の中のさらにビブスに当選した240人ということになろうか?
そう考えると、来られなかった人たち全員を含めた中の「選抜代表」のようなみなさんと触れ合う一瞬の時間たち。
 
みなさんからしてみれば普段はステージやテレビの中の人であるVAMPSが至近距離にいる興奮と同じぐらいに、僕らからしてみれば普段はギュウギュウに詰まったスタンディングの中にいる大勢、アリーナではそれこそ「雷おこし状態」でブロックに詰められたみなさんが一人一人そこにいるという感覚。
そんな一人一人と個別に会話をし、時にはツイッターで印象的なリプをくれたフォロワーさんが名乗ってくれたり「あの罰ゲーム提案したの私なんです〜てへぺろ」とカミングアウトする人がいたりの、オフ会ならではのサプライズが起こったりするのも楽しい。
個人的には「いつも読んでますよ〜」と言ってくれたり「ゾンビがどうにも苦手なんです」とこのブログの話題をしてくれる人がとても多かったのも嬉しかった。
 
僕がもっとも楽しみとしているのが、そんなみなさんの姿を間近で見られるということなのだと思う。
 
ありそうに思えて、こういった時間はそうそうはない。
 

ぶっちゃけ僕はこのイベントが毎年イヤだ(^^;
だけどもとても楽しみにしているイベントでもある。
 
来年も開催されたらいいな、そしてまた参加できたらいいな……
 
既に今から思っています(^^