幽霊の正体〜番外編

なにげにコラム系最長の長さになってしまった今回の「怪談シリーズ」。
今までの3回はとにかく「怖さ重視」で攻めまくってみたのだが、最終回である4回目は今までの流れをぶち壊すというか、いつものこのブログのノリにガラリと趣向を戻してお送りしたいと思う。
さんざん引っ張るとみなさんに怒られそうなので連続のエントリーをする。
 
なお、この記事の後半ではある種ちゃぶ台をひっくり返すようなことが書いてあるかもしれないが、くれぐれも怒ってはいけない(;^_^A
 

改めて心霊現象の起こるメカニズムというものがよくわかる体験だったと思う。
不気味なシチュエーション、不合理な現象、音や振動による恐怖感の増幅。
すべてがクライマックスに向かって絶妙な盛り上がりを見せてくれているようだ。
ここからはさらに現実的な分析をしていくことにしよう。
 
 
まずは異音の正体であるシートベルトの金具。
当時のシートベルトは構造的にだいぶチャチだったので、ビローンとベルト部分が伸びてしまい、金具が外にはみ出ることは比較的よく起こっていた。
この時のような恐怖の増幅の中では、あるいはコン、コンという小さな音が巨大なドンドンドン!という音に聴こえてしまうのかもしれないし、まさにそうだったのだろう。
「心理的聴覚」による作用がオカルト方面に噴出した、で全ての説明がつく。
ちょっと前のエントリーで紹介した通り人間の聴覚は騙されやすい。
風の音の中から人の声を抽出できるぐらいなのだ。
連続的な打撃音の音量や音質が増幅して聞こえるなどはいとも簡単に起こることだろう。
 
 
そして足に落ちてきた発煙筒。
今の車は基本的に助手席側に発煙筒が設置されているかと思われるが、この車は運転席側についていた。
たまたまポロッと落ちることもありえないことではないだろう。
わけのわからない物体に叩かれたとなれば恐怖の体験となろうが、車内でたまたま発煙筒が落ちてきたとなると「まぁそういうこともあるかもね」という話で落ち着かざるをえないだろう。
ホテルの一室や病院の廊下で脈絡なく発煙筒が落ちてきたら、それはもう恐怖以外のなにものでもないだろうが(笑)
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しかし…普通に運転をしていて簡単に落ちてしまうような作りはさすがにオンボロ車といえどもしておらず、あのタイミングで自分の足の上に落ちてきたというのは、やはり何らかの超自然的な悪意があったのでは?と思わずにはいられない。
 
となると、やはり一連の出来事は幻聴でもなんでもなく本当に起こっていたのではないだろうか?
一つだけ確かな真実があるとするならば、少なくともあの交差点は事故が多発していたという客観的事実だろう。
霊かどうかはともかくとして、なにかしらの原因はあったのだろう。
いずれにせよあの交差点の異常さが一連の出来事の発端になったことは間違いないだろう。
 
論理的なオカルト否定派であると信じていた自分としては、大いに悩ましい出来事であった。
 
 

ところで、この話には一部ウソが含まれている。
大部分はほぼ実話であるのだが、ラストの「止まれ」の標識を見てブレーキを踏んでから先は、申し訳ないが完全なる“作り話”なんである(笑)
 
すごいことをサラリと言ってのけているが、もはや隠しきれないので白状する。
 
実際は車がスライドするほどの急ブレーキをかけたわけでもないし、暴走するダンプカーも実は来なかった。
というか、考えてもみたまえ。一瞬すれ違ったダンプカーの運転席なんて時間的にも角度的にも見えるわけがないっつーの!(笑)
 
しかし「あ、あぶない!」でブレーキを踏んで「あぶなかったなー、いやあぶなかった!」で話がおしまいでは怪談としてあまりにも地味すぎるではないか。
そこで話が終わりとなると、それまで話を聞かされた側にしてもたまったものではないだろう。
ゾンビの溢れてこないゾンビ映画よりもタチが悪い(笑)
 
実際の自分は2度目のブレーキで停止後もずっとガタガタ震えており、ヘッピリ腰でコンビニまで運転して生きた心地のしないまま状況を確認し、それからさらに1時間ビクビクと地元まで運転して帰ったわけで、自宅の布団に入ったときに初めて「助かった!」と思ったぐらいに奇跡の生還劇の心境だったのだが、怪談としてはここをどんなにドラマチックに語ったところで「え?結局そこなにを言いたいわけ?」とイラつかれるだけであり、聞き手は容赦ないのだ(笑)
怪談的にはいらない情報でしかない。
 
語り部としては当然、怪談として話を成立させるべく多少なりとも都合の悪い部分を削除したりテンポよく話を盛ったりしないとバランスが取れないのだ。
 
というわけで、ラストは完全なるねつ造となったのである(;^_^A
しかし怪談としてのクライマックスはこうでなくてはならず、おそらくは聞き手にとっても実に納得の行く「らしい結末」となったのではあるまいか?
 
さらに追加で白状すると、後日談の「女の子そのものが幽霊だったのではないのか?」というもう一つのオチに至っては、ついさっき思いついた完全なる嘘八百である。
その女の子には翌日「あの後死ぬかと思うぐらい怖い思いをしたので二度と送らない宣言」をしたし、紹介された友人交えてその後何度かあってもいるので、おそらくはきっと普通の人間であろう(笑)
 
突如幽霊役をやらせてしまっていや申し訳ない。
 
 

 
ここでまた考え込む。
 
まことしやかに伝承される「本当にあった…」系の怪談の多くは、僕と同じく「ある程度までは本当に体験したことではあるのだろうけれども、話のオチとなる部分などは創作」というものがほとんどなのではないだろうか。
 
“恐怖”とは本来瞬間的なことであり不合理なことであり辻褄の合わない事象による混乱が起因となっている。
幽霊譚に代表されるような「いわく」であったり「かつてこの場所は……」といった因縁や怨念といった「物語」や「答え」は普通はない。
 
逆にそういった理由を知ったことを起因として幻聴や幻覚が引き起こされることはいくらでもあるとも思う。
人間は答えや理由や原因を求めるという習性を持っているからだ。
 
今回の怪談シリーズもおかげさまで「続きが気になって仕方がない」というツイートを多くいただいたが、つまりはそういった感情が幽霊を求め、そして生み出すメカニズムになっているのだと思う。
 
 
怪談に出てくるような出来過ぎた幽霊の正体の多くは、怖い思いをした人が誰かに伝える過程でより怖くなるよう尾ひれをつけ、さらにそれっぽい原因や理由を盛り込んだ詳細設定バッチリのキャラ、なのではないだろうか。
 
つまりはよくできた幽霊像とは語る側と聴く側の共犯、需要と供給の社会のシステムそのものから生まれているように思えてならない。
 
 
決して霊的現象全般を否定しているわけではない。
ただ、情緒豊かに雄弁に語られる幽霊というのはかなりアヤシイというかオカシイということを主張したいのである。
 
本当に怖い瞬間というものには伏線もオチもない。
念を押しておくと、僕がかなり怖い思いをしたこと自体は誓って真実だ。
しかし自分が怖い思いをしたことを人に伝える場合、真実を話すだけでは怖さがあまり伝わってくれない。
 
奇妙な交差点、不気味なバイクの男、飛び出してきた黒猫、ドアを叩く不気味な異音、落ちてきた発煙筒、パニックになって気がつけば先ほどの交差点が目の前。
これだけの要素がてんこ盛りに揃っているにも関わらず、どう話し方を工夫しても散文的になってしまい怖さをうまく伝えられない。
  
「故障しかけたバイクに乗った変なおっちゃんを追い越したら猫が飛び出してきた」
「はみ出したシートベルトの金具がコンコン風で揺れていたら発煙筒がはずれた」
 
神経が太くなおかつ無感動な人だったら取るに足らないすぐに忘れてしまいそうな出来事でしかなかったかもしれない(笑)
 
それが物語としてのラストを創作することによって全ての事象に意味が生じ、あたかも関連事項として話が繋がっているように思えてくるのだから不思議だ。
そして、これを使わない手はないのである(笑)
 
 
まとめ
「これぐらいの恐怖感だった」と感情の共有手段として話を盛る、尾ひれをつける、拡大解釈をしねつ造もして無理矢理関連付け最後はデッチあげまでする。
 
そこまでして着地してこそはじめて「それっぽい怪談」となるのでないだろうか。
 
 

 
 「本当にあった怖い話」として言い張るのはただのホラ吹きだが、「怪談」は作り話が混じっても一向に構わないジャンルなのだと開き直ることもできる(笑)
 
ともかく、読者のみなさんが「怖い!」と思ってくれたのなら、こちらとしても話を盛った甲斐があったというものだ(^^) 
 
楽しく愉快なネタばらしをしたので今晩は眠れなくなったりトイレに行けなくなったりすることはないでしょう笑)
 
最後に今一度言っておきますよ。
 
騙された!ヽ(`Д´)ノ
 
と怒らないでくださいね(笑)