月別アーカイブ: 2016年4月

好きな言い回し

ぐぬぬ…
しばらく続いた「偶数日更新」にミソがついてしまった。
最近どうも眠くなる時間が早くなってきており、22時前に寝てしまうことが増えてきた。
深酒をさせまいという自己防御力がそうさせているのか、とにかくその頃になると猛烈に眠くなってくる。
そうなると当然目が醒めるのも早くなり、だいたい4時半〜5時半ぐらいにパッチリと目が醒めてしまう。
さすがにそこから「第二ラウンドうぇーい!」と酒を飲むわけにもいかないので、テレビをつけて大きな事件がないかを確認しつつコーヒーを挽いて飲む。
 
それはそれで良いのだが、当然それだけ早く起きてしまえば夜は早く眠くなる。
 
悪循環ならぬ「良循環」である。
 
には違いないのだが、生活のリズム的には混乱をきたすことも多いので全てが都合よく回ってくれているわけでもない(笑)。
お酒ももうちょっとだけ飲みたい
 
今日は日常の会話の中でワンポイントアクセント的に使うピリッとした言い回しについて書いてみたい。
 

「今の言葉そっくりそのままリボンつけて返すわ」
口喧嘩の常套句ともいえるような、カウンターパンチ的言い回しである。
某巨大掲示板では「お前モナー」と変化を遂げて現在に至る。
挑発してきた側に2倍のダメージを与えるなかなか効果的な技だ。
 
しかしこの言葉の攻撃力の高さを知っている人は、使うことを躊躇するかと思われる。
発動するのは簡単だが、その後の険悪な空気感に耐えられないかもしれない。
使い方を誤ればさらに大きなダメージを浴びるかもしれない諸刃の剣でもある。
 
好きな言い回しである“ゆえん”は、その辺りの心理的駆け引き感にあるかもしれない。
 
lgf01a201410272200-20160127174100
 
仕事内容ではない楽屋トークというのは基本的にトーンが明るい。
本番前の緊張感を和らげるような内容をみんなで意図して選んでいるわけでもないだろうが、結果としてはリラックスできるような内容の話をしていることが多い。
そういったムードの中では、上記のようなケンカ口調のような言い回しも絶妙なスパイス的に面白さを増幅させる効果がある。
言葉の面白さを実感できる瞬間でもある。
 
僕が好きな言い回しを紹介してみる。
全て同じ効能なのだが、
「あまつさえ〜」
「言うに事欠いて〜」
「どの口がそれを言う?」
の3つだ。
 
例えば某ベーシストが次のようなことを言ったとしよう。
 
「今年は落ち着きのあるジェントルマンを目指そうかと思っているんですよね」
 
まさかそんなこと、ネタですよねそれ?と思ったあなたはシロートさんである。
彼はそういうことをウケ狙いではなく真剣に言う漢なのである。
 
こんな時に上記3つの好きな言い回しをからめてコメントをするわけだ。
「何を言うのかと思ったら…」といったこれまた適材な言い回しを持ってきて後は好きに使えばよい。
 
 
こういった愉快な返し技を繰り出す機会などなかなかないだろうと思ったあなたはまたしてもシロートさんである。
VAMPS楽屋は激しく厳しいツッコミや返し技の応酬の連続なのだ。
 
尚、最近ではさらに「チッ!」と露骨な舌打ちをするとか、あるいは不愉快そうに机を叩くといった過激な返し方もまかり通るようになってきている。
その場だけを切り取ってみたらば「みなさん相当仲が悪いんじゃ?」と思われても仕方がないような状況だが、そうではなく単にツッコミどころ満載の隙だらけの会話を好んでしているだけなので、どうか心配なさらないようお願いしたい。
 
 

こんなことを書いたのは他でもない。
自分の中で今から精神的リハビリをしているからである。
 
ここ二ヶ月ほど各メンバーとほぼ顔を合わせておらず、いきなりまたあの濃い人間関係の中にダイヴしていくのだ。
並の精神力しか持ち合わせていない僕などからすれば、やはりイメトレから始まり、彼ら同等の応酬力を思い出しつつ、また防御力を中心としつつもある程度言葉の攻撃力も身につけておかねばならないのだ。
 
データの整理やキーボードパートのおさらいなどの準備をしつつ、そういった別の準備もしているというお話でありました。
 
軽いネタのまま終われた(笑)

たとえ話

このブログをマメに読んでくれているみなさんならお気づきかもしれないが、“たとえ話”という手法を好んで使う自分がいる。
 
状況をわかりやすく別の話に例えるだけのことだが、多くの人にとっておそらくは劇的に理解しやすくなると思われるので、積極的に用いるようにしている。
2K〜4K画面の解像度を砂粒の大きさに例えたり、決まりごとの例えに時代劇の定番パターンを当てはめてみたりといった感じだ。
 
さらにまるで関係ないような飛躍したところから話をはじめて最終的に二つの話をくっつけるといった例え方も好きである。
砂の城作りとゾンビ映画といった組み合わせや、銭形平次とデスノートの組み合わせなど、話の導入部分では完全にあさっての方向からはじめていつのまにか着地させる、というやり方だ。
 

ブログの文章はやりやすい。
読者の方も興味のない話ならばスルーすればいい話であるし、興味があれば半信半疑で読み進めてもらえばよい。
書いた文章を読んでもらうという手段は、情報の流れが一方通行となるのでコントロールをしやすい。
 
 
しかし会話の中にまじえる“たとえ話”というのは、結構難しい場合が多い。
二人での会話ならばまだ流れを掴みやすいのだが、例えばZEPP楽屋内でする3〜5人の会話となるとかなり難しくなる。
 
というのも“たとえ話”というのは、考えようによっては一旦話をぶった切るような流れを生む作用があるからだ。
 
ゾンビの話題をしている時に「ところで海水浴に行った時の砂浜での遊び方だけどさ、」と切り込むのは掟破り級の流れの断ち切り方となる(笑)。
飲みの席でのグダグダした中でなら全然アリなのだが、シラフの時となると雑談の中であっても少々やりにくい。
強行したとしても容赦なく却下される場合が多い。
「なに関係ない話始めてるの?そうじゃなくてさ」とせっかちな御人は“たとえ話”を許してくれず、強制的に話を打ち切られてしまうことが、ままある(笑)。
 
 

 “たとえ話”でもう一つ難しいのが「たとえる内容はその場にいる全員が知っているべき置き換えであること」が前提条件となる。
 
例を一つ挙げてみよう。
「プリングルスのキャラクターが村さん」というのはVAMPSファンクラブイベントの1コーナーのリハーサル時に「練習問題」として出題されたのだが、これなどはメンバースタッフ間で爆笑の渦となった。
 
「出されたお題を想像して笑ったら負け」という人気コーナーである。
しかし知らない人にとっては「ナンノコッチャ?」といった話である。
 
 
そういったおいしいネタをリハーサル時に持ってきたスタッフも心憎いが、つまりはそういうことである。
“たとえ話”のレベルは話す人によって変わることを意識しなければならない。
 
※村さん……VAMPSツアーを仕切っているとても偉い人。SMC社長。
 

 
僕がこよなく愛する「うる星やつら2〜ビューティフルドリーマー」という映画の設定はこんな“たとえ話”が設定の根幹となっている。
 
「もしも亀を助けたのが浦島太郎一人ではなく村人全員だったら?村人全員が竜宮城に行き、そして揃って村に帰ってきたら、それでもやっぱり何百年も経っていたことになるのだろうか?誰一人そのことに気がつかなかったとしても」。
 
理解困難な映画前半の状況設定が、この“たとえ話”一つでサッと光が差し込むように見えてくるのが面白い。
ちなみにこの映画の英語字幕版を見ると「Urashima Taro…Japanese Rip van Winkle」と出てくる。
 
リップヴァーンウィンクルといえば我々の世代の憧れだった松田優作主演作品「野獣死すべし」で室田日出男演ずる刑事を追い詰める狂気的名シーンで、やはり“たとえ話”として使われている。
そしてこの話に出てくる「ラム、コアントロー、それに、レモンジュースを少々」という配合で作られるウィンクルが飲んだカクテルの名称が「X・Y・Z」、すなわち「最後に飲む一杯」いう意味を持ったお酒で、映画の中でもこの意味を絡めた緊迫感のあるシーンとなっている。
 
さらにこの「XYZ」は漫画「シティーハンター」に出てくるメッセージで……
話が脱線し続けそうなので今日はここで止めよう(笑)。
 
 

といった感じの当ブログではあるのだが、今日は中間発表。
去年の8月4日(6月65日)に開設をして、今日のエントリーで第100回となりました。
 
いいのか節目の回がこんな内容で?(笑)
 
allegory2
 
今後ともよろしくお願いします(^^) 
 
 
 
 

美味しくない美味しいもの

毎朝コーヒー豆を挽いているという話を書いた。
手間暇かけてゴリゴリ挽いている一番の理由は単純に「美味しいから」だと思う。
 
我がサイトー家には「コーヒーとゴマと鰹節は挽きたて摺りたて削りたてで食するべし」という家訓があったわけではないが(笑)、僕の父は結構凝り性で日曜日の午後によくそばつゆを作っていた。
胡麻のすり鉢は妙に大きいものがあったし、コーヒーもよく挽いていた。
 
僕自身がコーヒーの美味しさを知ったのは二十歳ぐらいの時だが、胡麻や鰹節に関しては子供ながらに香りの良さや美味しさを実感していたように思う。
ちょっとの手間で美味しいものが食べられるならそうした方が幸せだ。
 
いいオッサンになった今、当時の父と同じような嗜好になっている自分に驚かされるが、そんなわけでここ10年ほどの僕は「手間暇かけて美味しくなるなら手を抜かずにキチンと作りたい派」となっている。
 
あわただしい朝にコーヒー一杯淹れる時間がないならば5分早く起きて時間を作ればよい。 
…非常に優等生的でムカつかれるだけの正論でしかないが、反論は一切認めない(笑)。
 

さて、こういった「美味しいものを食べたい」という欲求とは真逆の「あえて美味しくないものを食べたい」という感覚。
みなさんもお持ちであるかと思う。
実感していない方もあろうかとは思うが、今日はそのことについて書いておきたい。
 
 
例えばカップ麺やインスタントラーメンといった簡易食品。
「なに言ってるの?美味しいでしょあれは?」といった反論も当然あろうかとは思うが、やはりあれは極論で大別するならば「おいしくはない」に分類されると思うのだ。
 
僕は袋ラーメンではサンヨー食品の「サッポロ一番みそラーメン」が一番好きなのだが、例えば本場札幌で食べる「白樺山荘」「信玄」「雪風」「てつや」といった名店と比較すると……そもそも比較すること自体がナンセンスだ。
サンヨー食品にしてもまさか「打倒!白樺山荘!」と思って作っているわけではなかろう。
img_0
 
また、ここ10年ほど封印しているのが「カップ焼きそば」なのだが、あれなどは特にひどい食べ物だと思う。
そもそもお湯で茹でておきながらなにが「焼きそば」だ!
しかも味も匂いも焼きそばとは似ても似つかないではないか!
だが、人が横で食べているときに感じるあのあまりに悪魔的かつ殺人的な誘惑、そして説得力はただごとではない(笑)
 
ちなみに僕がカップ焼きそばを封印した最大の理由は、悪魔的に美味しいのはよいとしても、そのボリュームの物足りなさからついついご飯を一緒に食べてしまいたくなるダブル炭水化物からくるカロリー過多必至となる状況を回避するためだ。
カップ焼きそば単体で500Kcalあることをみすみす承知で食べる度胸はない。
7aae2405
ううう、自爆食テロ画像だこれは(-“-)
 

あえてインスタントの味を食べたい時というのが人間誰しも必ずあると思う。
 
ちょっと前にネットで「どん兵衛を5分ではなく10分間待って食べると別次元に美味しくなる」という記事を見つけたのだが、そのことがここ一ヶ月ほどずっと気になっており、つい数日前についに食べてしまった(笑)
「ツルツルとした食感がたまらない」という内容には若干の異論を唱えたいところだが、そもそもどん兵衛を食するのが10年ぶりぐらいだったので、オリジナルがどんなだったか覚えていないので、正直違いがよくわからなかった(笑)。
昔懐かしの“ソフトめん”のような食感のようだとも思ったのだが、ソフトめんはそれこそ40年以上食べていないので印象はさらにあやふやだ(笑)。
 
 
行きつけの店の味はその味を求めるから通うのであって、行くたびに味が変わられても困る。
一人一万円するようなお寿司を食べる時の心構えで食べるお寿司ともなれば、やはりあるラインを超えていないと納得がいかない。
激辛と書いてあるからには「ヒーッ!」と思える辛さを味わいたい。
 
それらと同様に、安くてバッチイ店構えの立ち食いそば屋は、キッチリとそれなりというか“そこそこの味”でないと納得がいかない。
これは念のため「たいして美味しくない」という方向性である。
あまり不味すぎても困るが、変に美味しかったりしてもそれはそれで納得がいかないのだ。
ec1ba340ea590e84e6671ab0cdd00e77
いや、すごく美味しそうだけども(笑)
 

 
以前「サービスエリアで食べたうどんがキチンと不味かった」とツイートしたら「営業妨害まがいの発言」とバッシングをされたことがあったのだが、これなどは大変な誤解なんである。
 
サービスエリアのうどんなんてものは美味しかったりしてはいけないのだ。
390円の食券を買って「うどんで」と言うだけでモノの20秒もしないで出てくる「天玉うどん」が、800円ぐらいする町のそば屋と同等のクオリティーであったりしては決していけない。
 
一食60円ぐらいのインスタントラーメンを作ってみたらば白樺山荘そっくりの出来栄えになってしまっては、そりゃビックリするし嬉しいとは思うけれども…やっぱり違うと思うのと同じだろう。
どんなに美味しかったとしても「今食べたかったのはコレジャナイ!」と憤慨するような気がする。
 
牛丼チェーン、スタンドカレー、立ち食いそば、レトルトカレーや缶詰などの保存食品、etc,etc…
その中でも特に素敵だなぁと思うのが「サイゼリヤ」の精神だ。
「美味しいものは飽きる。不味いものは見向きもされない。サイゼリヤはまずくないものを提供する」なんだそうである(^^
 
「B級グルメ」という言葉が定着して久しいが、そういった流行りものではない、日常にある普遍的な「おいしくないからこそおいしいもの」。
 
本当に美味しいものを実感するためにも必要不可欠な味覚でもあり、僕がこよなく愛する食べ物たちである(^^

コーヒーミル

コーヒーを飲むのが好きな人は多いけれど、豆を挽いてドリップして淹れるという人はそこまで多くないと思われる。
コンビニやファストフードのコーヒーも今はそれなりに美味しいしわざわざ手間暇かけるほどでもない、という方がほとんどであろう。
 
近しいところで最近コーヒー豆を挽くことに凝りだした方がおられる。
 
その方は「どうせやるなら…」と必要な道具を揃えるにしてもデザインや機能面を考慮し、二度三度の失敗を重ねながらも1〜2ヶ月かけて納得のいく着地をしたらしいことを詳しく綴っておられた。
事情があって誰のことだかは秘密である。
 
読んでいて「ははぁなるほど!」と膝を打ったり、「え?そっちに行ってみるのか…」と自分はしたことのない選択を試みていたり、まさに紆余曲折を経た様子が伝わってきた。
 
みなさんには詳細をお伝えできなくてザンネンな限りである(笑)。
 
 

さて、僕自身も以前からコーヒー豆を自ら挽いて飲んでいる。
最初のミルは当時北海道に住んでいたゾンビ友人がプレゼントしてくれたものだ。
彼はずっと喫茶店のマスターをしていたので当然コーヒーにはうるさい人間だ。
そんな彼が選んだミルなのだから間違いがあるはずもない。
IMG_8350
(今も愛用し続けているカリタ製ドームミル)
 
デザイン面では少々無骨な印象を受けるかもしれないが、豆を入れる上部は蓋がしまるように設計されているので挽いている最中に豆の破片が飛び散ることもないし、木製なので静電気も発生しにくい。
やはりスタンダードな形になるのには理由があるのだ。
 
そういったことをあまり意識せずに使っていたのだが、近しい方の悪戦苦闘記を読んで初めて自分の恵まれた環境に感謝した次第である。
 
ハイド君ありがとう!って結局バラすんかい!(笑)
 
 
しかしこのミルも数年間使っているうちに問題が起こってきた。
基本的に旅先でも美味しいコーヒーを飲みたかった僕は全国ツアーにもこのミルを同行させていたのだが、さすがに度重なる旅が重なり(笑)、ミル自体が振動や衝撃で少しずつ歪み始めたのだろう。
気がついたら挽き具合を調整する金具がスタックしてしまい、かなりの粗挽きしかできない状態になってしまった。
豆によってはそれでも問題ないのだが、僕の好みはもう少し細挽き傾向だったので買い換えることにした。
なおこのミルは「粗挽き専用ミル」とすることにした。
 
実際にコーヒーミルを使用している方ならわかると思うのだが、挽き具合の微妙な調整は非常に手間がかかる上に何度も何度も豆を挽いてみてベストな挽き具合にたどり着く根気のいる作業なので、挽き加減別にミルを複数所有するのは悪くない選択でもあった。
 
かくして二代目のミルを導入することにした。
IMG_8349
(カリタ製コーヒーミルKH-5)
 
せっかくなのでいただいたミルとは違う形を探す。
初代のような引き出しタイプではなく挽いた粉を3〜4杯分溜めておける胴長タイプを選んだ。
これなら多めにドリップする時でもいちいち引き出しから出さなくて済むので手間が省けるではないか♪
 
それに気がついた俺は勝ち組だ!
 
と思ったのだが、その胴長が利点であると同時にやや欠点ともなった。
本体の背が高くなった分グルグルとハンドルを回す時の安定性がいまひとつよろしくなく、少々挽きにくい。
 
あらら…美しくないなぁと思ったものの、これは椅子に座って太ももに挟んで挽くことで解決したが美しくない、が問題はない(笑)。
少々のことはねじ伏せてしまうのが悩まずに生きるコツであろう(笑)
 
 
そんなわけで柔らかめの豆や一杯分だけ挽くときは初代ミルを、固めの豆や数杯分淹れるときは二代目を使い分けるようになった。
IMG_8351
(それにしてもお宅のキッチンには華がありませんね〜なんて思ったりしてはいけない(笑))
 

基本的にコーヒーは毎日2〜3杯飲んでいる。
豆の消費量はほぼ一定で、200gを大体一週間で消費している。
 
ここ数年はずっと地元のカルディーコーヒーファームを利用しているのだが、このお店は販売単価が200gなので実に都合が良い。
一週間に一袋である。
豆マークのスタンプを店員さんに押してもらうのも楽しみの一つである。
カードいっぱいの豆マークが揃うと全品10%オフ&400円分のコーヒー豆割引という特典があるのだ(^^
せち辛い昨今にこの特典!いよっ!カルディーコーヒー!太っ腹である(^^
 
この時は生ハムとクリームチーズと赤ワインをついでに買う。
コーヒーは400円引きだわ酒も肴もついでに1割引だわ…
 
この多幸感たるや!(*´艸`) 
 
って私はカルディーコーヒーの回し者ではない(笑)
IMG_8352
(次回でポイントいっぱいになりそう(喜))
 
以前は「カフェアンデス」という銘柄が好きで迷わずそればっかり買っていたのだが、近年の南米のコーヒー不作で一昨年ぐらいから出回らなくなってしまったのが悲しい。
カフェアンデスに代わる定番の豆が見つからいまま早2年。
そろそろ販売再開してくれないものだろうか?
 
 
近年では空気の入る真空パック(?)のようなもので売られているようなコーヒーもあるが、やはり焙煎したてのものがとにかく一番美味しい。
 
カルディーコーヒーには買って袋に入れた状態のものを助手席にポイと置いておくだけで、車の中がコーヒーの素敵な香りで充満するぐらいの「当たり日」がある。
週に一度平均で買っている割には未だに法則が掴めないのが悩ましい。
誰か最新焙煎情報をリークしてくれないものだろうか?(笑)
 

尚、コーヒー豆を毎週買い求めている僕を「この贅沢者!」と思った方がいるかもしれないが、実際は全然そんなことはない。
 
もっとも安いと思われるセブンイレブンやマクドナルドのコーヒーが一杯100円。
毎日2杯ずつ飲んでいたら一ヶ月に6000円。
これがスタバやタリーズや、あまつさえ談話室滝沢だったら……おぉ恐ろしい(笑)
 
一方のカルディーコーヒーの豆はそんなに高くないものさえ選ばなければほとんどが500〜800円程度。
つまり月に2000〜3500円程度。
 
酒と同じくして恒常的に消費していくものに関してはなるべく安価に抑えたいものである。
僕は手間暇を惜しむことなく、いやむしろその手間暇を楽しみながら、
 
これからも安く美味しくコーヒーを飲み続ける!(どどーん)
 
 
……むしろ毎朝目覚めてからゴリゴリと豆を挽いている悠長な時間こそが優雅で贅沢なんじゃないの?と思ったあなたはおそらく正しい(笑)
 
どーもすみません(*´艸`) ←
 

オトナの見解

大好きなゲームをしていたいがイイ大人ともなると酒でも飲んでいないと心情的にやりにくい。
しかし酒を飲むと今度は身体がゲームを拒絶する、というジレンマに陥るといった内容が前回であった。
 
その最後にした「昨今のゲームの進化そのものが、自分にとってはある意味で“大幅な退化”に繋がっていたことに気がついてしまった」という問いかけは、前々回の“ラジコン遊び”の要素と絡んでくる。
 
オトナの〜シリーズ最終回は空想力と妄想力、昔のゲームと最近のゲームについての違いについてをまとめてみた。 
 

ラジコンのみならず子供時代のオモチャでの遊び方は実に多岐に渡る。
「本隊とはぐれてしまい孤立無援となった小隊が敵偵察機の飛び交う荒地の中なんとか隠れてやり過ごす」
…そんな空想をしながら戦車を葉っぱなどで覆いカムフラージュをする。
さらにダンボールなどの廃材を使って格納庫を作ったり、すぐに反撃ができるようにと砲身の先だけをチョロッと見せたりしつつ、公園の外を歩いている近所のオバサンを敵兵に見立て、ついでに自分も隠れたりする。
 
戦車のラジコンでありながらラジコンとしての遊び方以外の遊び方をすぐに思いつく。
一人の時はもちろんだが、トモダチ同士であっても特に断りを入れるわけでもなく遊び方をリアルタイムにどんどん変化・増幅・順応させていく応用力は、子供の持つ凄い能力の一つだと言えるだろう。
 
一方でオトナはそういった遊びをすることが苦手だ。
ラジコンは動かすものであり、それ以上でも以下でもない。
想像力なしのラジコン、それは動かしたい挙動の通りに動くだけの従順な物体でしかなく、当然すぐに飽きてしまう。 
また、ルールの改変には申請や全員の同意が必要であり実に煩わしい。
 
だからオトナは「タイムアタック」とか「予選から本戦」といった細かいルールの設定をしているのだろう。
そうしなければ面白さを見出せないのかもしれない。
 
これはオトナの階段を登った結果の副作用というべきか、あるいは人間として退化してしまったからなのか。
なんとも寂しい気持ちもあるが、💓夢見がちなオッサン💓というのもやや不気味であるので、ここは正しい退化の仕方なのかもしれない(笑)。
 
ところがそんな寂しいオトナであってもこの能力を十分に発揮させてくれるものがあった。
 
それが僕の中ではファミコンでありスーパーファミコンのゲームであったのだ。
念のためPS4や鬼のような性能のグラフィックボードを積んだPCではない。
 
 

当時のロービットのゲームは画面解像度も低く、派手な動きもできなかった。
現代っ子が見たらそれこそ「子供騙しもたいがいにしろ」と思うシロモノだろう。
 
僕がもっともハマったファミコンゲームの一つに「ウィザードリィ」という3Dダンジョンゲームがあるのだが、これなどはアニメーションの一切ないひたすら単調な迷路の中を、静止画像のモンスターと状況を説明するシンプルで短い文章、パラメーター数値の変化のみによる戦闘を繰り返すだけのゲームであった。
 
l_ki_stonewal
自分の操るキャラクターや武器や防具にしても文字と数値のみ、絵的な描写は一切ない。
究極の一人称視点とも言える。
 
また一歩ずつ歩きながら広大な迷宮をマッピングするのもすべて手作業である。
 
mapfc26
 
この手製マップは画像検索から拾ってきたものだが、当時はこうやって自分なりに迷路をアナログ的手法で解明していくのもこのゲームの楽しみの一つでもあった。
(僕はファミ通の特集記事のロゴを切り抜いて貼りつけたいかにも本物っぽいこのゲーム専用のマッピング用紙を自作してコピーして使っていた。紛失してしまったのが実に実に悔やまれる)
 
今の常識からすればあり得ないほどにチープであり、そしてやたら手間のかかるゲームだ。
 
9261802da0ecc85d
 
一方の最新ゲーム、例えば先月発売されたばかりの「ダークソウル3」の画面はこちら。
念のためこれは製品パッケージのイラストとかではない。
この画面のクオリティーがそのままゲームとして動いているのだ。
もう一度ウィザードリィの画面と見比べてみたまえ!(笑)
 
 
しかし、僕からすれば最新作の凄いゲームを遥かに凌駕するような“現実感”が「ウィザードリィ」にはあったのだ。あの画面で(笑)
 
6〜10階層に及ぶ複雑な迷宮は手製マッピングをしながらやりこむことで急速に構造を理解し道順を暗記するようになり、最終的には自宅から駅に向かうように、まるで住み慣れた街を散歩するような当たり前の感覚になる。
「さぁ今日も潜るか」とゲームの電源を入れたときの感覚は、もう一つの現実に侵入するような、まさに映画「マトリックス」のような感覚であった。
 
キャラクター同士の会話が脳内でされ、敵のエナジードレインに悲鳴を上げ、命からがら生還したときの「助かった!」と本気で思うあの感覚!
(尚、ウィザードリィはドラクエやFFのような「死ぬ=一時的戦闘不能」や、全滅したらセーブポイントからやり直しといったシステムではなく、ゲームの中でも蘇生に失敗すると永遠に死んでしまう“ロスト”というリスクがあったので、戦闘も移動も常に気が抜けなかった。)
 
そういった救済措置のない鬼ゲームデザインも“現実感”に大きく貢献していたに違いない。 
 

時は流れ現代のゲームは驚くほどの進化を遂げた。
 
僕がこよなく愛するROCK☆STAR社の「grand theft auto」通称GTAである。
 
ここ最近のゲームがどんな進化をしているのか興味のない人こそ、この予告編を見たらビックリするはずだ。
 
ほとんど映画なんである。
 
アクション映画の中のキャラクターを自分が受け持ち、物語に参加して進めていくようなエンターテインメントに進化している。
恐ろしいまでの表現力だとは思わないだろうか?
(しかもこれは2013年発売のPS3版で今となっては画質の劣るバージョン。PS4版はさらに改良された高画質になっている)
 
もはや空想力で補いながらゲームの世界観を脳内構築しながら進める遊びではなくなった。
 

 
しかし僕はこうも思うのだ。
見た目のリアリティーは比較するまでもなく現代のゲームの圧勝である。
それは疑いようもない。
 
だけども、トータル的に自分が感じるリアリティーとしてはどうだろうか?
僕には「ウィザードリィ」の地下迷宮の不気味な雰囲気、「ダンジョンマスター」の喉の渇きやダメージを負った時に死に物狂いでモンスターから逃げる際の自分の装着する鎧の重さのほうが遥かに現実的に感じる。
 
表現力がチープだったがゆえに、画面以外での脳内情報が実に多かったのだろう。
それに対して現代ゲームにはもはや想像力を巡らす隙間がなくなってしまっているように思うのだ。
 
GTAは素晴らしいゲームだが、あくまでも「最高のゲーム」に留まることとなり「自分の日常を侵食するような実体験」までには至らない。
 
 
8bitマニア、懐古主義という流れではなく、積極的に想像力を巡らせる目的でシンプルな構造にするというカタチ。
小説を読んで想像を巡らせるのともまた違う感じがするが、それがもっとも近い表現になるのかもしれない。
 
そう考えると、今のゲームは原作あっての映画化というよりも「いきなり映画化」のようなものになるだろうか。 
映画的表現が可能になったゲームは今までにないような魅力的なジャンルを生み続けているし、現代人としては当然この進化の方向を追求していくのは正しい。
  
正しいのだけれども…僕はあの頃の刺激的なゲーム感覚をまた味わってみたい。
子供の頃にあそこまで夢中になれた「空想を介した遊び方」を再びやってみたいのだ。
 
それがまたできるとしたら……酒も飲まずゲームにハマり倒れる日が再びやってくることになるのかもしれない。
 
表現力の乏しさを脳内で補完しながらイメージを増幅する旧来のゲームには、この先のエンターテインメントの大きなヒントが秘められているようにも思う。
 
想像力よ、爆発せよ!

オトナの限界

オトナの〜シリーズ、前々回からの続きである。
 
あれほど楽しかったゲームはラジコンと同じく自分の中で興味の持てないものにどんどん変化をしていく。
やりたいゲームがどんどん減っていき、やれると思えるゲームもまた減っていく。
どんな心境の変化なのか、異変とも思えるゲーマー魂消失の最大の理由は……
 
考えてみるまでもなく“酒”である(笑)
 
酒を飲んでするゲームというのは、はっきり言ってちっとも楽しくない。
というよりも、どうにも楽しむことができない。
 
グランツーリスモのようなレースゲームは完全なる飲酒運転となりシビアなタイムアタックなどできるはずもない。
(お酒を飲めない人でも飲酒運転経験をすることができるゲームが「GTA5」だ。ゲーム内でしこたま酒を飲んでから運転をすると酩酊状態をリアルに体験できる)
 
FPS(ファーストパーソンシューティング)にしても弾が当たらなくなるばかりか3D酔いまでしてくる。敵を倒した爽快感も希薄で面白くない。
 
格闘ゲームはとにかく美しいコンボが決まらなくて面白くない。
格闘ゲームの目的は「勝つ」ことではない、「美しく勝つ」ことなのだ。
 
思考型のパズルゲームは……酔った頭ではまったくもってする気が起こらない(笑)
 
RPG(ロールプレイングゲーム)にしても「あれ?さっきの村であのおじいさん何言ってたっけ?」と情報があやふやになるので心が重い。
ダンジョンでは本気で迷子になるし魔法の使い方も雑になってくるし戦うのがどうにも面倒くさくなってくるし、そもそも世界を救うこと自体が面倒くさくなってくるしで、しまいにはゲームを放り出すことになる。
 
ファイナルファンタジーに出てくる「トード」はカエルに変身する魔法だが、「カエルはいいなぁ…」と全ての使命を放棄してずっと池の中で過ごそうとするダメ勇者の心境に近い。
61WnFmdBPCL._SL500_SX312_BO1,204,203,200_
(再販も難しいであろうゲームパロディー4コマの金字塔的傑作)
 

 
なんのことはない。
酒さえ飲まなければゲームはオトナであっても楽しめる遊びであることは容易に想像がつく。
こうして考えてみると、ゲームというものが勉強や習い事同様「反復練習による技術の上達からの達成感」を刺激するメディアであることがわかる。
酒との相性がよかろうはずがない。
 
じゃあ飲まずにゲームをやればいいじゃないかと思う方もいらっしゃるだろうし、実際僕も酒を飲みようになるまではずっとゲームをやっていたように思う。
 
しかし、ここから先が僕としては非常に難しい選択肢となってくるのだ…
 

14884342 
 
 
夜に飲む酒、通称“晩酌”。
 
オトナにとってこれは何を意味するかというと「今日はもうこの先たいしたことはやらない宣言」のようなものだ。
今日1日を無事に過ごしたという区切りであり自らをねぎらう行為でもあり、また明日も頑張るぞという決意表明のようでもあり、なんなら社会人の総合的な儀式といっても差し支えないだろう。
これがないとオトナは気持ちの切り替えがつきにくいのだ…
 
……と、思う。
 
少なくとも自分はそうである(ぼそっ)
 
「週末は朝から酒を飲む」という方も多いと思うが、基本的に僕は明るいうちからの酒にはあまり興味がない。
車を運転する機会が多いということもあるけれども、酒は1日を終えたご褒美という意味合いが強い。
朝から酒を飲んで罪悪感を感じないのは正月ぐらいのものだ。
(だからといって正月以外は飲まないと言ってるわけではない念のため(笑))
 
 
そして「いいオトナが毎日ゲームしまくるのもなぁ……」という、ある種飲酒以上に感じる後ろめたさ。
僕はどこかでゲームをしている自分の姿が恥ずかしいという自覚がある。
 
その根拠として例えば電車やバスなどの公共機関でゲームをすることができない。
ソリティア程度の明らかなる時間つぶしをiPhoneでやるぐらいならアリだが、いいオッサンが電車の中でゲーム専用機を広げてやっている姿というのは、これまたいいオッサンが「少年ジャンプ」を読んでいるレベルの恥ずかしさに通じるものがある。
誰も見ていない自宅の自室内であってもどこか後ろめたいものを感じざるをえないのだ。
 
その後ろめたさを解消する唯一の手段、それこそが「酒」なんである。
 
非生産的かつ趣味というのもはばかられるような「無為な時間」。
オトナにとって実はとても重要な時間でありながらもどこか後ろめたいそんな悩ましい時間の過ごし方。
 
しかし、飲んでいるなら仕方がないではないか(笑)
 
お酒を飲みながらする映画鑑賞、優雅である。
お酒を飲みながらするTV鑑賞、楽しそうである。
お酒を飲みながらするネット徘徊、基本である。
お酒を飲みながらする読書、何度も読み返した愛読書なら十分に楽しい。
 
しかし、
お酒を飲みながらするゲーム、こればっかは上記に理由を列挙してある通りどうにも楽しめない。
 
 
といった順位により、僕の日常からはゲームが遠のいていってしまった。
酒とゲームの相性はどうにも悪い。 
 

僕の中ではつい最近まで「酒を飲むようになったからゲームをしなくなった」ぐらいにしか思っていなかったのだが、実のところもっと根本的原因があったことに思い当たってしまった。
 
昨今のゲームの進化そのものが、自分にとってはある意味で“大幅な退化”に繋がっていたことに気がついてしまったのだ。
 
次回、ロートルゲーマーのつぶやきでいいかげんこの話題を締めたいと思うが、この際なので次回は思う存分テレビゲームについて語ってみたい。
 
え?テレビゲームって死語なの?え?

地震の予知、予言について

現在進行形で発生している熊本県の地震。
最初の発生から二日経った現在でも大きな余震が続いているとの情報の中で予断を許さない状況ではありますが、被災された皆様の1日も早い日常への復帰をお祈りしております。
また亡くなられた方へのお悔やみを申し上げます。
 

こんな時に、というかこんな時だからこそ書いておきたいことがある。
「オトナの〜」シリーズを一旦区切って記しておく。
 
 
今回の地震について、きっとあと何日もしないうちに「東日本大震災を予言した○○氏がまた当てた!」といった記事やネットニュースが出てくると思われる。
そのほとんどがインチキの類であるということを説明しておきたい。
 
まず2011年の東日本大震災から5年と1ヶ月、61ヶ月の期間に震度5弱以上の地震が日本国内で何回ぐらい発生したかご存知であろうか?
10回?20回?
そんなものではない。
128回である。
(日本気象協会 過去の地震情報)
 
東日本大震災の連動地震だけで30回以上、今回の熊本地震だけで既に16回(4/16午後2時現在)起こっているが、それらを除外したとしても80回以上である。
 
つまり我が国は月に1度以上の周期で震度5以上の地震が起こり続けるという性質を持った国土ということになる。
ちなみに震度5弱とは東日本大震災時の東京23区の震度である。
「あの揺れ」が毎月一度どこかで起きている地震の多い国なのだ。
 
ここがまず第1点。
 
次に東京大学地震研究所といった権威のあると思われる地震学について。
結果を蓄積して未来の災害に対しての予測を立てるという方向性こそ見えるものの、正確な地震予測ともなると未だに指針もたっていないそうである。
データが複雑すぎて現代文明ではまだまだ地震予知は難しいらしい。
 
今回の熊本地震についても発生確率は4%未満とされており、東海地方や三陸沖の80%以上とされる確率と比べると明らかに「安全」そうであった。
また2014年に起こった御嶽山の噴火にしても危険度レベル1での大惨事であった。
 
天気予報ですら未だにこれだけ外れているのだから当然といえば当然の話だ。
  
これらのことからもわかる通り、温泉地などで見ることのできる「間欠泉」のようなシンプルな仕組みの自然エネルギーの予測程度はともかくとして、巨大地震や火山噴火というものは現代の科学では未だに解明されていない未知の領域ということになる。
 
また数年前にFM電波の乱れによる地震の発生予測というものが話題になったが、これにしてもある程度の予測はつくものの、震源地やマグニチュードまではよくわからず、その後も研究は続けられているとは思うが、あまり話題にならなくなったことを思うと実用段階にはまだ遠いということになるのだろうか。
 
結論としては学術的観点からの予測はまだまだ難しいと言って差し支えないと思われる。
 
 

 
 
次にあるのが「予言」といったやや胡散臭い類の話になるのだが、これが今の日本には実に多い。
 
近年こういった予言でもっとも稼いだ人物で思いつくのはジュセリーノ氏であろうか?(笑)
wikipediaではかなり意地悪な感じで解説されているが、有名になってからの予言はほとんどまったく当たっていない。
 
試しに今ネットで「地震 予言」と検索してみるだけで早速今回の熊本地震を的中させたという話題がウジャウジャとヒットしてくる。
 
まぁ中には人知の想像を超えた能力を持った人が神の啓示をうけた!ということもなくはないだろうけれども、この際…
 
大部分はインチキと断言してしまおう。
 
こちら側からの疑惑の根拠を挙げてみる。
 
○予言というものは事象の起こる前に予めしておくことが絶対条件となるが、実際に我々は地震や事象の前にその予言を知っていたわけではない。
 
○「実は1年前に予言して記しておいたのだ」とメモのようなものを見せられたとしても、それが1年前に書かれていた証拠が特にない。
 
○予言で有名になった人の予言はそれ以降当たらなくなる。
 
 
この3点がクリアーされない限りはなかなか信じるまでには至らない。
郵便の消印などの証拠にしてもいくらでもインチキができるのは子供向けの漫画にも出てくる手口であるし、これだけ手品マジックで事実とは違う不思議なことを起こすことができる以上、確実な証明手段を探す方が難しいだろう。
証拠提示が大掛かりであればあるほどいよいよ疑わしく感じてしまう(笑)
 
 

 
誰でもインチキ預言者になれる手段をここに記しておく。
「今日から俺も預言者だ!」と喜んで実践するのは構わないがバレても責任は取れないので自己責任で…というよりはオススメはしない(笑)
 
前述のように日本国内で起こる震度5弱以上の発生は5年で128回、年間平均約25.6回。
「5年以内に日本のどこかで震度5〜7の大きな地震が来るであろう」
という予言なら間違いなく100%的中する。
ここ5年で128回起こっているのだから、それらがピタリと止むとは思えない。
 
しかしこの予言では世間のハートを射止めることはできまい。 
次に日本全国をエリア別に分ける。
北海道・東北・関東・中部・近畿・中国・四国・九州の八地方区分が一般的だろうか。
予言の範囲を絞り込んでいくことによって的中確率は低下していくわけだが、後はそのさじ加減だけとなる。
「3年以内に関東地方で震度5以上の地震が起こるだろう」でおそらくほぼ確実に起こりそうにも思うし、もしそれで2年半後に震度4の地震が来たら、あるいは隣の中部地方で同等の地震が起きたとしたら「まぁ大体当たっていた」という印象を抱くことだろう。
この例はキリがないのでみなさんそれぞれに頭の中でシミュレートしてみていただきたい。
 
これを「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」作戦で固めていけば良い。
例えばホームページなりブログなりSNSを使って地味に予言を繰り返す。
 
「2016年4月に九州地方で震度5以上の地震が起こる」
「2016年4月に北海道地方で震度5以上の地震が起こる」
「2016年4月に関東地方で震度5以上の地震が起こる」
……
といったあらゆるパターンを記述しておき、九州以外を削除してしまうだけで簡単に100%の予言的中を演出できてしまうことになる。
 
すべてのパターンを予言しておいて外れたものは削除してしまう。
 
予言ページを作ってもいいし、ツイッターのアカウントを複数用意しておき予言の外れたアカウントは削除をしてしまう。
これであなたは的中率100%の預言者になれるということになる。
(4つの事象のYesNo全てを的中させるには16のアカウントがあればどれか1つは全部的中するアカウントになる)
 
もっともこれは誰も見ていない場合に限られるので、もうちょっと頭を使うことになる。
ここで肝心なのは地震の前に予言をしていた、という記録を残すことだけが目的であって「誰かが事前に見ていた」ことは重要ではない。
 
実際のウェブ記録がどこまでされるものなのか素人の自分には正確にはわからないのだが、そういった手口で預言者を公言しているページは実在する。
興味がある方は「地震 予言」でウジャウジャと出てくるイカガワシイ内容をザーッと読んでみるとよいだろう。
さらに複雑な手口を使ったインチキな人もたくさん暴露されているので、さらに興味があれば検索ワードを絞り込んでいけばよいだろう。
  
ねずみ算を逆に応用した「逆ピラミッド」というペテン詐欺の常套手段もこれに近い方法であるが、あまりにシンプルな手口なだけに引っかかった当人はなかなか気がつけないそうだ。
 

まとめる。
 
地震の予測や予知というのは現在の科学では今のところまだ不可能のレベルである。
南海トラフや東海大地震が30年前から予測されていながら未だに発生せず、その間に阪神大震災、中越大地震、東日本大震災、そして今回の熊本大地震などが起こっている(予測ができていない)ことからもわかる通り、科学的根拠はまだ現実的とは言えない。
 
科学的には不可能だからとオカルト的予言をも否定することはできない。
 
しかし、多くの予言はジュセリーノ氏の例を挙げるまでもなく実際には当たっていないことが多く、また当たっていたとしても10の予言の中の1つか2つでしかない。
そして地震大国日本に於いての地震予言は上記の通り、その気になれば誰でもかなりの確率で的中させることができてしまう。
 
被災地の皆様は誤った情報に翻弄されることなく、1日も早い日常への復帰を重ねてお祈りしたい。
 
またこれを読んだみなさんは、天災につけこんだペテンや詐欺にひっかかることのないよう、ちょっとでも怪しいと思った情報に関しては今一度疑ってみるぐらいの慎重さをもっていただけたらと思う。

オトナの段階

前回の「大人の階段」は主に「自動的にオトナになるわけではない」が主な内容であった。
子供の頃から蓄積された自分の思考や嗜好はそうそう変わるものではない。
カレーは50歳になっても心トキメく食べ物なのだ(^^
 
さて今回は「子供の頃はあんなに好きだったのに…」と逆にオトナになったことで興味がなくなってしまったものを取り上げてみたい。
なお、今回のケースは男性と女性では共通点があまりないと思われる上に個人差も激しいかと思われる。
悪しからずご了承いただきたい。
 

 ○遊びの質そのものの変化
 
子供の頃の遊びをオトナになった今もやり続けていたらそれはそれで気持ち悪いので、大部分に興味がなくなって正しいとは思うのだが、逆に今になってみると「なぜ子供の頃はあれほどまでに楽しかったのか?」と思う遊びがたくさんある。
 
例えば「ラジコン」。
僕らが子供の頃はまだラジコンはとても高価なオモチャで、左にしか曲がれないポルシェであるとか、異様に回転半径が大きくて何度も切り返しをしないと満足に曲がることもできない6輪タイレルであるとかのバッタモンに近い仕様のオモチャで堪えるしかなかった。
そんな中で縦横無尽な操作性を誇っていたのがリモコン戦車だった。
ラジコンではないリモコンとはぶっちゃけ「有線」のことを指し、戦車のリモコンというのは50〜100cm程度のエナメル線の先にコントローラーがあり、戦車のすぐ後ろを一緒に歩きながら操作するというスタイルだった。
S034821
 
しかしこれがもう楽しいのなんの(笑)
組み立てた後は電池が切れるまで一気に遊び倒したものだ。
家中をキュイキュイ走らせながら空想の物語を即興で作りながら戦車の活躍をひたすら楽しむ。
トモダチと公園で並走させたりしたらもういけない。楽しすぎた。
 
 
しかしなぜあれほど白熱できたのだろうか?
 
と疑問を抱いたのは30歳を過ぎた頃だっただろうか。
その頃かなり本格的な4WDのトラックのラジコンをいただいたことがある。
某アーティスト様がラジコンメーカーから進呈されたものの一部を横流ししてもらったのだ。(メイキング映像に映っていたりもするのでピンとくる方はくる(笑))
 
折しも当時僕が所属していた事務所のすぐ隣では大規模な工事がされており、タイミング的にはまだ土を掘り返しているだけの状態。
特に警備をしているわけでもなく工事現場には柵もなく簡単に入れる状態だった。
4WDのラジコンを走らせるにはうってつけの環境である。
しっかりと充電をして夜中にコッソリ工事現場に忍び込んで思う存分にトラックを走らせる。
 
おぉぉぉぉぉ!!!!
 
トラックが悪路を進む、ドリフトしながら水溜りで派手な挙動を見せる、坂をグイグイ登り姿勢を崩して横転する。
 
……ぉぉ。
 
ラジコン遊びは3分で飽きた(ちゅどーん)
 
ちなみにこの時に遊んだ工事現場には現在“泉ガーデン”というガラス張りの豪華で派手なビルが建っているが、僕がラジコンで遊んでいたことはここだけの秘密だ。
 
657-01
 

 ○ゲームですら……
 
僕はTVゲームが大好きだった。
1978年、昭和53年のインベーダーブームからの古参組となろうか(笑)
家庭用ゲーム機にも随分と膨大な時間を費やしてきたという自覚がある。
ファミコンに始まりスーパーファミコン、PCエンジン、メガドライブ、Genesis、SEGAサターン、プレイステーション、Nintendo64、ドリームキャスト、PS2、GameCube、X-BOX、PS3、X-BOX360と、最近まで筋金入りであった。
 
陰りが見えてきた最初の兆候はNintendo64を購入したあたりからだろうか?
「ゼルダの伝説〜時のオカリナ」やりたさにゲーム機本体ごと購入し、大満足で遊び終わった後にもうやりたいゲームがない。
(スーパーマリオ系はそんなに好きではなかった)
当然「ゼルダの伝説〜風のタクト」やりたさにGameCubeを購入するわけだが、やはり後が続かない。
無理にバイオハザードゼロも買ってやってみたが、妙に難易度が高く爽快感もないので序盤でやめてしまった。
 
PS2あたりでは100本近くのソフトを買っていたが、PS3ではおそらくは10本程度なのではないだろうか。
(気になって本棚を見てみたら全部で12本であったが、kenちゃんにもらったロストプラネット2とS君から借りパク状態になっているストリートファイターIVも混じっているのでやはり10本ということになろうか(笑))
 
 IMG_0092
(DL購入したタイトルを含めればもうちょっと増えるのだが話の主旨が変わるほどの量でないことは確かだ)
 
 
PS3と前後して「ヘイロー」やりたさにX-BOX、「スカイリム」やりたさにX-BOX360を購入したのだが、ソフトを入れ替えないコンシューマーゲームは当然非常に高価な買い物となる(笑)
そういった意味では僕のX-BOX360はX-BOX360ではない。スカイリムなのだ(笑)
 
今のところPS4にもX-BoxOneにもやりたいゲームが出てきていないので幸い手を出すまでには至ってないが、もし買ってしまった時はそれがほぼ専用機になることは間違いないだろう。
「レッドデッドリデンプション2」とか来られたらかなり危険なので心情的には発売して欲しくないと思うほどだ(笑)
 

あれほど楽しかったゲームはラジコンと同じく自分の中で興味の持てないものにどんどん変化をしていく。
やりたいゲームがどんどん減っていき、やれると思えるゲームもまた減っていく。
 
どんな心境の変化なのか、異変とも思えるゲーマー魂の消失。
 
これもまたオトナになるということなのだろうか?
 
着地点はなんとなく見えてきているのだがさらに続く。

オトナの階段

前回の酔っ払いネタに「大人の飲み方」のようなものをチラッと書いたのだが、まるで実践できていない自分である。
 
僕は年齢的には十分すぎる大人もオトナで、来月には「40代最後」となる誕生日を迎えようとしている。
最近では「中年」や「初老」といった定義が後ろ後ろにズレてきているようだが、不惑の歳をとっくに過ぎた今もなおまるで変化していない自分であることに気がつかされる。
 
どうやら人間というものは歳を重ねれば自動的にオトナになるといった生き物ではないらしい。
幼虫からサナギを経て成虫になるようなわかりやすい変化があれば良いのだろうなぁとは思うのだが、いかんせんそのことに気がつくのが遅すぎたようにも思う。
 
…今回テーマに沿った画像を思いつかないなぁと「幼虫サナギ成虫 フリー素材 イラスト」で画像検索なんかするんじゃなかった(泣)
 

僕のさまざまな思い違いをこれから恥を忍んで列挙してみる。
もしかしたらまだ若いみなさんも同じ思い違いをしているかもしれないので是非ともチェックしてみてほしい。
 
 
○オトナになったら自動的に「オトナの字」になるものだと思っていた。
 
中学生の頃を最後に僕の筆跡には何の進歩も見られない。
厳密には5年ほど前にユーキャンのペン字通信教育を受けたことがあり、飽きてしまうまでの半年間は結構字が上手くなったのだが、やらなくなってからはだいぶ元に戻ってしまった。
ひらがなの「た」「ほ」「み」、漢字の「誠」「城」といった「成」系の作りをした漢字のみなぜかコツを掴めて上手になったのは良いのだが、日常生活にあまり馴染みのない漢字であるのが残念だ(笑)(そんな字より「齋藤」という戸籍上のムズカシイ漢字を上手に書けるようになりたい)
 
 
○オトナになったらカレーにトキメかなくなるものだと思っていた。
 
ってかカレーライス大好き(笑)
カレー、ラーメン、カツ丼、好きなものは小学生の頃から変わっていない。
もちろん酒の肴的な新たな味覚が増えたことは確かだが、特に昼食時は子供の味覚系を好んで食べたくなることが多いように思う。
定食屋で煮魚定食とか案外頼まず、外食時はもっぱらカレーやラーメンや丼ものばかり。
せいぜい蕎麦屋でざるそばを頼むぐらいが数少ない自分のオトナ飯かもしれない。
 
Unknown
 
 
○オトナになったらウイスキーやブランデーをたしなむように飲むものだと思っていた。あるいはバーのカウンターで一人で当たり前に飲めるものだと思っていた。
 
これはあまりにもその機会が訪れそうもないので数年前に無理やり自分に課した(笑)
そうなのだ、自動的にその機会が訪れてくるわけではないことをハッキリ思い知ったのはこの経験が大きい。
ちなみに一昨年馴染みのバーをやっと開拓したのだが一年ほどして閉店してしまい、「二代目馴染みのバー」はまだ見つかっていないままだ。家から徒歩圏内にあるという条件で引き続き調査中である。
 
 
○オトナになったらポロシャツやスラックスといったオジサンぽい服を自然に好むものだと思っていた。
 
あぁ困った全然似合わないというか全然好きになれない。
「休日のまったり中年ファッション」に憧れるのにTシャツにデニムにパーカーにスニーカーのスタイルばかり。
若作りしたいわけではないのだけども、なぜか服屋さんに行っても足がそちらに一向に向かない。
 
 
○オトナになったら財布の中に常に4〜5万円ぐらい入っているものだと思っていた。
 
僕の財布には本当に普段からお金がちょっとしか入っていない。
基本的には1万円以下で、ひどい時にはお札が入っていない状態のまま10日間放置なんてことも平気である(笑)
 
もっともキャッシュレスの世の中になっているという恩恵も大きくて、お釣りをもらうのが面倒くさいとか現金で支払っても特にいいことがないというのも大きい。
 
ところで最近気がついてしまったのが地元スーパーのポイントカードがどこも大体0.5%なのに対して、クレジットカード払いだとスーパーのポイントこそつかないものの単純にクレジットカードのポイントが1〜2%つく。
ポイント10倍デーとかじゃない限り、もはやクレジットカードの方が単純にお得ということになるまいか?
 
また現金を所持するためには基本的には銀行から引き出すのが一般的となると思うのだが、銀行のATMの一定時間帯でおろすならばまだしも、コンビニや時間外でお金をおろすと108円、場合によっては216円の手数料がかかる。
手数料をゼロにする方法はいろいろあるが、ここでは除外して考える。
 
銀行の預金利息で108円の利子を得るためには、金利がさらに引き下げられた現在だと1000万円を1年間預けて100円。
(三井住友銀行が先陣を切って0.02%から0.001%に引き下げたそうだ)
そこから税金が20%引かれて80円となると思われる。
つまり1300万円を1年間預けて得られる金利がようやく108円!?
と考えると、これはもうATM手数料は一度でも使ったら負けということになるのではないか?
 
1300万円の預金をしていて1回手数料を払ったら負け。
手数料をゼロにする方法を実践していたとしても年に一度の例外をしただけで一年間で得られる金利分が手数料で相殺される。
なかなかハードルの高い考え方だが、論理的には間違っていないと思う。
 

話がズレた←このブログでは本当によく起こる(笑)
 
しかも結構な文字数となってしまったのでここで区切って次回に続く。
軽い話題のはずなのに一回で収まらなかったのが悔しい。
どう着地するのかまだ決めていない。

二日酔いの特効薬

先日「飲み過ぎた翌日の二日酔いの克服の仕方」についてマネージャーKちゃんと話をした。
彼は僕より20歳も若いクセに結構な酒豪なのだが、やはり二日酔いには悩まされていたらしい。
それがコンビニでもどこでもすぐに買えるあるドリンクを寝る前に飲むことで驚くほど効果が出たというのだ。
 
ウコンのチカラ、ヘパリーゼといったオーソドックスなものから、結構高額な二日酔い錠剤等の対策に驚くほど詳しい。
以前彼からサメミロンというアヤシゲな試供品を彼から何錠かもらって飲んだことがあるのだが、これが実に効果テキメンだった。
サメミロンを飲んで10分ほどでたちまちジワーンと身体が楽になっていくような不思議な感覚になる。
 
こりゃすげー!(・∀・)
 
ちなみに深海に生息するサメのバイタリティーの源となるウンチャラカンチャラエキス配合というのがウリらしく、「サメを見ろ、見習え」から「サメミロン」という商品名になったらしい。え?
 
悪意の解釈ではなくホームページに限りなくそう書いてあるのだ(笑)
効果はテキメンで驚くほどにシャキッとできるのだが……
 
サメミロンはもうちょっとネーミングを真剣に考えるべきだったんじゃないだろうか?
と大きなお世話なことを書いてしまったが、品質に関しては太鼓判の商品である。(かなりお高いのともうちょっと少なめのパックを作ってくれれば良いのになぁとまた大きなお世話なことを思ってみる。100錠単位じゃなくてせめて48錠、できれば24錠とかで出してくれませんかねぇ?酒飲みの心境的に最低100錠というのはかなり購買欲を削いでいるとも思うんですよねぇ…)
 
気になる方はググッてみてください(笑)
 

話を戻してコンビニにも売られている二日酔い撃退ドリンクとは?
gekiyasuitiba-asia_000805
明治の「R-1」ドリンクタイプ!
 
J「えええ?これ一時期テレビで話題になっていたやつだけど本当にきくの?」
K「いやいやこれがかなり深酒した日の翌朝でも本当につらくないんですよ!」
 
もしそれが本当なら夢のドリンクではないか!?
どれだけ痛飲しても翌日ケロッとできる!
酒飲みにとってはまさに鬼に金棒ではありませんか!(^o^)
 
かくして早速これを購入し、しばらく飲み続けてみることにする。
どこにでも売っていて1本130円というのも嬉しい条件だ。
 
説明を読むとR-1に入っている1073R-1なる乳酸菌がイロイロとやってくれるらしい。
second_image
(1073R-1乳酸菌)
ヤクルトでおなじみのシロタ株よりも細い!ってそれがどうした!(笑)
 
細かい理屈はよくわからないけれども、コツとしては定期的に飲み続けてこの菌が常に腸の中にいるようにすることが大切らしいのだ。
とりあえずは毎日寝る前に1本飲み続けてみること一週間。
 
!!!
 
確かに目覚めた時のスッキリ感が違うような気がしてきた!
ゆうべはビールを2本に赤ワインをボトル半分飲んでからさらに40度の強い焼酎をサーモスロックで3杯飲んだにも関わらずへっちゃらだ!
 
さらに翌日も同じ量の酒を飲んでからR-1を飲んで寝たのだが、やはりつらくない。
 
えええ!
これはすごいかもしれないぞ!R-1!
 

しかしちょっと冷静になって考え直すことにする。
多分このR-1は二日酔いの緩和に生み出された飲み物ではない。
おそらくではあるが、かなり邪道な飲み方なのではあるまいか?(;^_^A
 
さらに違う方向で考えてみる。
 
大量にお酒を飲んでも次の日つらくない魔法のドリンク剤。
 
しかし、それって…むしろ、
 
大酒を助長、促進するだけなんじゃ?(-“-)
 
 
酒飲みが恐れているのはやはり飲みすぎたことによる様々な副作用だ。
眠くなったりちょっとおしゃべりになったりするぐらいならまだいい。
 
だが記憶が曖昧になったり人格がよろしくない方向に変わったり気持ち悪くなったり戻してしまったりどうやって家まで帰ったのか不明だったり裸踊りをしてみたりバンドメンバー全員を立たせて王様ゲームで容赦ない王様っぷりを発揮してみたりその後クーデターを起こされてつぶされたり最近ではバス車内で酔いつぶれて頭に油性マジックで666の落書きされたりって全部自分のことか!?
 
そうはなりたくないからオトナは自分の適正な酒量を知り「飲みすぎたな」と思えばウーロン茶に変更したりウイスキーを薄めの水割りにしたりしているのだ。
……早くオトナになりたいものである。
 
それがどれだけ飲んでもチャラになってしまう魔法の薬を手に入れてしまったら、、、
 
ここ数週間ベストな丸氷の製法実験を並行してやっていたこともあるが、いくらなんでも酒量が多すぎた。
これだけ飲んでも案外平気な翌日。
これはきっとよろしくない。
というよりこれを続けていたら倒れる。
 
 
やはり飲みすぎた翌日は気持ち悪くて「あーゆうべは飲みすぎた!猛省!」といった、せめてそれぐらいの心境と体調不良に打ちのめされ落ち込む時間ぐらいはなければいけない。
それがあってこそ「今日は小休止するか」とかせめて「ビールだけにしておくか」といったメリハリもつくのである。
 
そういったわけで僕は2週間ほどR-1を飲み続けていたわけだが、、、
昨日をもって快適な日々を封印する決意を固めた。
 
きっとR-1にはその他の素晴らしい作用を身体にもたらせてくれていることは容易に想像がつくのだが、僕にとってはダメな方向に向かいかねない危険なドリンクであると判断した。
 
さらば!R-1!
魔法のヨーグルトドリンクよ!
 
 

 
というのが理由の一つ。
 
もう一つの理由は、
 
毎日130円、一ヶ月4,000円、年間48,000円。
 
…ならその分も飲んでおこうか!
 
 
というのはオチ用の冗談であるので本気にしてはいけない。
 
が、それだけあれば随分飲めるなぁと思ってしまった以上、オチ用の冗談になってないのかもしれない(笑)