エコカーの抱える光と影

さらに続きである。
ハイブリッド車の長所と短所に触れた前回と前々回であった。
今回は総括的なまとめと、なぜハイブリッド車なのか?という個人的な思い、そして似て非なるペテンだらけのエコカーの話まで及んでみたい。
 

寒冷地や急斜面の多い山岳地などの地域に住んでいる方はきっとディーゼル車を利用している人が多いことだろう。
力強いトルクや氷点下でも変質しにくい軽油といった特性はガソリン車と比べると恩恵が大きい。
急な加速などよりも粘り強い走りが特徴のディーゼル車。
燃料の軽油が安価なのも魅力的だ。
5760a051
 
ドイツ車の性能が高いのはドイツにある制限速度のない無料高速道路アウトバーンの存在が大きいからだ。
日本では高級車というイメージの強いドイツ車だが、むしろ世界レベルでも突出した高い性能の評価が高級感につながってきているのだと思われる。
日常的に時速200キロを出せるという前提で作られているのだから、日本車とは根本的な構造もバランスも違う。
20130724_top_01
 
アメ車は壊れやすいというイメージが強いが、逆に素人でも修理しやすいというシンプルな構造をしている。
壊れやすいと同じくこれはあくまでも僕が抱いている個人的なイメージだ。
しかしアメリカの車社会は映画やドラマや現地での経験からも、自分たちで直しているというのがリアルな姿だと思う。
広大な砂漠を走る一本道、周囲100キロにはディーラーはおろかガソリンスタンドすらないというのがアメリカという広い国土の大部分の環境なのだ。
IMG_3331
 それにしても何度壊れても蘇るゾンビのようなバスであった。
(なぜかオチ的に使われるデレック氏(笑))
 
つまり、車にはそれぞれの環境に適した乗り方や特徴というものがあると思うのだ。 
 
ほとんどが平地であり、時速100キロを出す機会すらめったになく、ディーラーの点検や充実したロードサービスの行き届いた環境の日本の都市部。
しかしわずか10キロの道のりに60個の信号が立ちはだかり、万年渋滞で自転車程度の平均速度しか出せないストップ&ゴーの連続が基本となる環境は、考えようによっては荒野の一本道とどっこいどっこいのようにも思えてくる劣悪な環境なのかもしれない。
 
そんな環境に適した車となるのは、やはり軽自動車やクリーンディーゼル、そしてハイブリッド車となるのではないだろうか? 
 

無論ハイブリッド車には手放しで推奨のできない課題がたくさん残っている。
前々回指摘した通り、ハイブリッド車は今のところはまだ全然エコではない。
コスト的にも見合わないし廃車時の産業廃棄物の多さなど、未来へ先送りしている問題はかなり多い。
 
しかし、それらの問題はクリアーしていける、徐々にクリアーの方向に向かっているという前提で考えるならば、実に効率の良い未来の自動車になると大いなる期待が持てる。
 
確かに今はまだクリーンディーゼルや軽自動車の方が圧倒的にエネルギー効率は良いのが実情だろう。
 
しかし「じゃあ今後も自動車はそのままのスタイルでいいでしょ」と進化の方向を模索しないという流れになってしまうと、随分前にこのブログにも書いた「進化する気ゼロ感覚」のようで悲しすぎるのだ。
 
アメリカのドライヤーは30年前からまるで進化していない。
どのホテルもこんなのしか置いてない。
 
今一度つっこんでおくが、世界一の文明大国アメリカのクセにトイレ事情は完全に進化を放棄している。
ウォシュレットはないわ便座の座り心地は最悪だわ冷たいわ、ついでに紙は粗悪だわと、実に居心地の悪いトイレ事情のままだ。(→「NIPPON〜2」
 
「んなもんイラネ!」の欧米諸国はそれでいいかもしれないが、日本人としてはやはりその切り捨て方には違和感を覚える。
 
 

 
元F1ドライバーの片山右京氏が先日FaceBookに素敵なことを書いておられた。(3/3付)
新型プリウスに乗ってみたところ、これ以上は無理だろうと思っていたハイブリッド車の課題というか限界のようなものがものの見事にクリアーされていて「より良い車に進化をしている」と驚いておられたのだ。
「良いモノを作ろう」というシンプルな発想こそが日本人のモノづくりの原点であり、クリアーできたら次!とその姿勢に終わりはない。
と大いなる敬意で結んでおられた。
 
 
僕は政治的な意味合いでの右翼思想は持っていないと思うけれども、こういった日本人としての姿勢、あるいは日本の土壌や風土を愛しているという意味での「愛国心」は強く持っていると自負できる。
今後とも愛していきたいし、今後とも日本人の一人であり続けたいと思う。
 
技術大国日本の未来への先行投資という思いも強いし、技術への情熱を応援し続けたいという純粋な思いが何より大きい。
 
 

 
といった美談の感じで締めくくりたかったのだが、最後にエコカー絡みでの深い闇部分についても言及しておきたい。
 
 
水素自動車は排ガスを出さずに水しか出さない究極のエコカーである。
 
という認識を持っている方がほとんどだと思う。
水しか出さないという点は確かに正しい。
いかにも環境に優しそうである。
 
carlineup_mirai_grade_grade1_01_pc
しかし水素はそれ単体では地球上には存在しないものであり、結局のところ天然ガスや石油に成分として含まれているものを化学的手法で取り出しているというのが現状なのだ。
 
天然ガスなり石油なりを燃焼させた方が遥かにエネルギー効率は良いのだが、あえてそこから水素を抽出するかたちとなる。
さらに液体化するのにまたエネルギーを使い、マイナス260度に冷却された状態で水素ステーションまで運搬するには特別仕様の液体水素専用のタンクローリーで運ばれる。
電気も使えば軽油も使うわけで、当然Co2も(かなり)排出される。
圧縮された液体水素となると取扱もやっかいだし危険でもある。
 
つまり、水素自動車は排ガスを出さない車であることは本当なのだが、排ガスを出さないというスタイルを造り出すために、結局は大量の電気やガスや石油を使っているという事実が巧妙に隠されている。
(水を電気分解するだけでも水素は作れるらしいが大量生産には向いていないらしい)
 
ガソリンを燃やして得られるエネルギー効率を10とするならば、水素の場合はかなりのコストと労力をかけて作らなければならず、それらを度外視した最終段階でもせいぜい6程度のエネルギー効率しか得られない。
結果としては極端に効率の悪いことをしているとしか思えない。
 
繰り返し言おう。
水しか出さない代わりに影では大量の石油とエネルギーが使われているのだ。 
ついでに水素の価格自体も上記のことを踏まえると安く上がるはずがないのだが…ガソリンとほぼ同等という価格設定が貫かれているらしい。
それこそ不気味としか思えない。
 
これをわかりやすく例えるならば、、、
映画「BACK TO THE FUTURE」に出てくるような一般ゴミをエネルギーに変えるシステムが発明されたとする。
しかし映画のようにその辺のゴミを適当に使うというわけにはいかない。
そのために新たに用意した“ゴミであってちっともゴミではないモノ”を、細かい成分分析を行い精巧な調合をした上で、非常に慎重な手段で運ばれようやく運用されるモノといったら言い過ぎだろうか?
ゴミ利用と謳いながら、結局はそれ専用にゴミを別途生産しているようなバカバカしさだと言えるのではないだろうか?
 
しかしゴミを利用しているという部分だけを切り取って見せることで「おぉ!エコだ!」と騙されてしまう人が世の中には案外多いということになるのだろう。
 
肝心の燃料がまだそんな不完全の状態のままで発売されてしまう水素自動車というのも十分異常なのだが、さらに驚くべきその価格は726万6000円!
そんな価格では誰も買ってくれないので国が助成金を200万円出しましょうというのだからこれまた驚きである。
割高と言われているハイブリッドでもTOYOTAアクアやヴィッツならその助成金だけでお釣りが来る金額だ。
もはやハイブリッド車の「翌年度自動車税を2万円免税」といったレベルではない。(他にも実は取得税7万円、重量税が2万円それぞれ免税といった細々とした助成があるにはあるが、やはり比ではない(笑))
 
 
そしてガソリンスタンドに相当する水素ステーションにかかる費用は一箇所につき5〜10億円とも言われており、さらに1日に水素を充填できる台数はかなり限られている。
現実的にはハイブリッドのように普及されても困るのか、実際に水素自動車を注文をしても2年待ちという時点でなんだかキナ臭い雰囲気を感じてしまう。
 
果たして一般人で水素自動車を購入した人がどれだけ存在するのだろうか?
  
この辺りのことをこれ以上突っ込んでいくと著しく政治的領域に踏み込む内容になってしまい、当ブログの主旨からは大幅に外れるのでこれ以上の言及はしない。
 
ある意味では怪談以上に怖い現代日本の抱える怖い闇の話なんである。
 
 
肩のこるような重い着地をしてしまった。
次回からはまた軽い気持ちになれるような内容のない話に戻りたい(笑)