クリーピー 偽りの隣人〜フルボッコ編

映画にはいろんなタイプのものがある。
 
全ての作品がハッピーエンドで終わる必要はなく、例えばトラウマ級のバッドエンドだからこそ名作となり得る作品だってたくさんある。
 
最近の邦画だと「告白」などは鬱になりそうなバッドエンドであったし、古くは「ダンサーインザダーク」などは絶望的に救いのないラストで、鑑賞後30分は口がきけなくなるぐらいのトラウマ級だったが、どちらも素晴らしい作品だ。
 
 
作品に対して個々に「好き嫌い」があって当然だが、本来自分の好みで映画の評価をするべきではない。
 
という大前提を踏まえつつ、それでも好みの問題でなく万人にとって許されないと思えることがある。 
 
批判とはそういう部分に限定してするべきものなのだと思う。
 
※映画前半の比較的穏やかなレビューはひとつ前のエントリーを参照のこと。
 

「クリーピー 偽りの隣人」に関して思う大きく2つの不満点は…
 
○ 伏線を張っておきながらちゃんと回収してない
 
○ 含みをもたせた表現をしておきながらそのことをスルーしたまま
 
こういった消化不良の展開をされると結果非常にストレスがたまる。
「だったら最初から中途半端なことはしないでくれよー」と思う。
 
・何度再生しても何ヶ月経っても井戸から貞子のでてこないポンコツな呪いのビデオ
 
・分析能力が低すぎて当てずっぽうのことばかりいうレクター博士
 
・「犯人はこの中にいる…」と言いながら結局見たこともない犯人のオッチャンが隣の部屋から登場する密室劇
 
さぞかしどれも納得のいかない思いをさせられることだろう。
 
本作「クリーピー 偽りの隣人」は、そんな歯の隙間にひっかかってとれないアタリメのような、モヤモヤがやたら蓄積する恐ろしい映画でもあった。
 
このモヤモヤ感をネタバレなしで愚痴るのは非常に難しい(笑)。
よって今回もネタバレフィールドを早々に設けることにする。
 

 
 
 
 

納得いかない〜その1
 
本作の犯人はおおよその想像通り、香川照之演じる「西野」という男だ。
あからさまに怪しい挙動の数々に何度もゾクッとさせられる。
そんなことは映画を見る前から誰もが知っていることであるので意外性は全くない。
 
そこは問題ない。
 
だが、どれだけの確定要素であっても「こいつが犯人なのか」と決定づける描写はキチンと観客に提示するべきだ。
それが特にあるわけでなく、いつの間にかヌルッと犯人ということになっている。
「あ、あれ?」と違和感を感じずにはいられない。
「好きです。僕と付き合ってください」といった交際宣言もないままなんとなく進展していく恋愛ドラマのようなのだ。モヤモヤ。
 

納得いかない〜その2
 
「あの人、私のお父さんじゃありません……全然知らない人なんです!」という衝撃的なセリフにしても納得がいかない。
そもそもそんな大それた人物すり替え劇がどうして周囲にバレなかったのか?
そりゃそうだ。
ある日突然隣の家族のお父さんだけが違う人になったら、周囲が気がつくに決まっている。
 
ありえないからこそ、このセリフの不気味さと不思議さ、一体どんな謎が?と思わせるのだ。
 
当然このセリフの謎はそれ相応のトリックの種明かしというか、納得のいく答えを求められるのだが、、、
 
答えはなんと!
犯人はご近所付き合いが疎遠だったのでバレなかった!
なのである。
 
え?…いやちょっと待って。
えええええ!?
 
しかしどう思い返してみても、この異常な事態の説明は「もう一軒の隣人である田中さんが実に感じの悪いご近所さんだった」ということでしかされていない。
ご近所付き合いをしていない隣人だったら何が起きてもわからないのか?
まさに東京砂漠でありますなぁうんうん。……って納得できるか!モヤモヤ。
 
しかもこの隣人田中さんは「西野は人間じゃない。鬼だ」とか中盤で意味深なセリフを言う。
しかしそんなことを言われて気分を害されたのか、その夜に田中さん爆死。
西野を調べていた別の刑事さんも一緒に爆死!
 
死人に口なしというか、その調子で周辺の人を殺し続けていて今までよくバレなかったものだ。
というかこの辺りからもう「サイコパスの異常犯罪」からかけ離れていく。
都合が悪くなったらとりあえず殺しちゃえって感じなのだ。モヤモヤ。
 

納得いかない〜その3
 
警察が無能すぎる。
記憶を取り戻した少女が「犯人が家の前にいた私を上から見下ろしていた気がする」という一言で事件現場の隣の家を調べてみると死体がゴロゴロと出てくる。
失踪事件の起こった隣の空き家から死体がゴロゴロ?
6年間の長き歳月をかけるにはあまりにも発見現場が近すぎやしないだろうか?
人里離れた山奥ではない。隣の家だぞ?モヤモヤ。
 
 
また警察官の聞き取りや事件捜査は二人で行動が鉄則である。
単独行動で行方不明になったら大変だから、ということだけが理由ではないだろうが、一人ノコノコと犯人の家に赴くなんてことは間違ってもしない。
 
僕の大好きなサイコスリラーの傑作「羊たちの沈黙」ではジョディーフォスター演じるクラリス捜査官が犯人宅を訪ねてしまうといったシーンがあるのだが、やや設定が不自然ではあるものの「住民調査」という犯人探しとは違う別の任務遂行中にたまたま犯人に出くわしてしまうという描写がされていた。
しかも本来なら見落としそうな何気ない違和感から犯人と直感する優秀な捜査官としても描かれている。
 
ところが本作は実に無防備に犯人宅を刑事が単独で訪れてしまうんである。
しかも免許証とは明らかに別人の男であることを知りつつ、いかにも怪しげな鋼鉄製の扉を自ら開けて犯人の待ち伏せしている秘密の部屋に入ってしまうのだ。
かなり間抜けである。
今日日のスズメだってそんな簡単な罠にはひっかかってくれまい。モヤモヤ。
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しかもそんな間抜けな刑事が1人だけではなく、なんと主人公含む3人!
3人全て単独行動をしてことごとく同じ罠にかかるのだ。モヤモヤ。
(鉄扉を開けるときにガラガラと響く音が印象的なのだが、その重い音も3回目あたりで完全なるギャグになっていた)
 
しかも笹野高史演じる年配刑事はこの鉄扉を開けた後、まさにスズメの罠並みの落とし穴に落ちてしまうトドメ付である。
 
ドイツの映画祭ではその瞬間大爆笑が起こったそうだ。
 

納得いかない〜その4
 
「偶然気がついたんだが、西野の家と俺の家が6年前の事件現場と同じ配置なんだ。調べてみてくれ」
高台から撮影した写真で共通点を見つける主人公高倉。
 
そして物語終盤でも犯人は高台から街並みを望遠鏡で眺め「見つけた。同じ配置だ」と新しく住む家を特定するのだが……
 
家の配置による犯行の手口?なんだか不気味である。
 
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3軒の家と家の間にある広めのスペース。
普通の住宅街では見かけない配置であることは確かなようだが、その配置によって犯人はどんなことができるのか?
 
盗聴?監視?
 
そのどちらもやっていそうな気もするのだが、例によって説明は一切されないまま映画は終わってしまう。モヤモヤ。
 
 
記憶を失っていた謎多き少女も結局は隣の家を調べたら死体が出てきた以外にはこれといった伏線の回収をするわけでもなく、いつの間にか出てこなくなる。モヤモヤ。
 
こんなところだろうか?
 
あ!思い出した!あと最後に一つだけ!
この映画、とにかくセリフの音量が小さく音質もくぐもっていて非常に聞き取りにくい!
 
爆音に慣れ切ったやや難聴傾向のある中年ミュージシャンには少々厳しく、それゆえに物語の詳細を聞き落としていることもあっての物語の理解度が低かっただけの話かもしれないがやっぱりそんなことはない。
 
 

以上!
またかなり長くなってしまったが、今回発見したことがある。
酷評レビューを書くのは絶賛レビュー以上に下調べや慎重な言い回しに気を使うのでより時間がかかる。
 
それゆえに作品の理解度はグンと増す。
実のところ調べているうちに実際自分の理解度が足りなかっただけのことや、「あ!そういうことか!」と発見したことによってモヤモヤを訂正したり削除したりも結構あった(笑)。
 
そして、ここまで筋道立ててモヤモヤを整理していたらいつの間にかかなりスッキリすることができているではないか!(笑)
 
なにより原作を読んでみたくなった。
劇場版の改変、改悪部分がかなり多いらしく、原作はかなり面白そうなのだ。
 
 
ここまでフルボッコに書いておきながら最後には自己完結的に作品への怒りが静まっているという実に身勝手なブログでございました。
 
最後までおつきあいいただきありがとうございました♪←いいのかそれで!