月別アーカイブ: 2016年7月

シン・ゴジラ

ストーリーや核心部のネタバレは一切なしのレビューです。
細かな部分での些細なツッコミはあるけどきっと大丈夫です。
これから観たいと思っている人も安心して読んでくださいね〜(^^) 
 
 

映画が始まってすぐの違和感。
今の「東宝映画」のロゴの後にもう一度「東宝映画」が出てくるが、これが古いロゴとモノラル音声。
そして画面いっぱいでいきなり「シン・ゴジラ」のタイトル。
 
あ!これは初代ゴジラと同じだ!
 
冒頭からいきなりのオリジナルリスペクトである。
 
「これは気を抜いていたら細かい仕掛けをいちいち見落とすぞ…」
 
観る側も真剣勝負だ。
 

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それにしても恐ろしいまでの情報量。
リアルすぎるセリフっぽくないセリフ。
ゴジラの存在、使徒?エヴァ?
東京、政府、自衛隊、アメリカ。
日本人、愛国心。
 
あっという間の2時間だった。
庵野監督の無限大の力量を改めて思い知り、一生ひれ伏します!と今一度誓うのであった。
 
今の邦画がアツい。
とにかくアツい。
 
ハリウッド映画の調子こいた感じと比べると、その緻密さ精密さ謙虚さに感動させられる。
同じ日本人だからなのだろうか?
テキトーな感じを許さない日本人の真面目さが、この映画からも滲み出ているようだ。
 

エヴァを見たことのない人に「エヴァって面白いんですか?」と聞かれた時に僕がいつも必ず言ってみるのが以下の内容。
 
「とりあえずテレビ版の第一話だけ見てみてよ?それで続きを見たいと思わなければきっと好みじゃないと思う」
 
26話分のテレビシリーズに加えて旧劇場版が2作に新劇場版が現時点で3作。
さして好きでもないのに付き合うには結構な量だ。
無理に付き合わせるのも申し訳ない。
 
逆に言えば、それほどまでにエヴァの第一話にはエヴァのいろんな魅力が凝縮されていると思う。
それを感じ取れない人がエヴァを好きになるはずがない。
 
ばかにしているとか上から目線とかでそういうことを言いたいのではない。
僕にしたって同じようにピンと来ない映画や音楽は山のようにある。
 
例えば誰もが絶賛する「ブレードランナー」が僕はどうにも好きになれない。
何度見ても面白さが理解できないのだ。
納得はできるけれども魂を揺さぶられない。
 
こういった感覚は他人に説得されてどうこうといったことではないのだと思う。
好きか好きじゃないか、もしくは嫌いか?
人それぞれであって、そこに優劣も上下もあるはずがない。
 

今回の「シン・ゴジラ」の「わけわかんないテキが前触れなく東京にやってくる」という大雑把な筋書きは、エヴァの第一話とまるで同じだ。
 
しかしあまりにも違いすぎる各種設定と映画の内容。
あくまでもエヴァを生み出した庵野さんの新しい解釈でのゴジラだ。
 
つまり、悪いことは言いません。
エヴァが好きな人はどうしたってもう「見るしかない」のだ(^^) 。
 
誰とは言わないけどエヴァ好きのそこのあなた!
スケジュール調整してBeastParty前には観ておいてくださいね!
僕も最低もう一度は観ておきますんで!
 

ストーリーや核心部分でのネタバレは一切しないが、一つだけ音楽に関して。
 
ズルイ!ズルすぎる!(*´艸`) 
(素敵!素敵すぎる!の意訳)
 
往年のゴジラファンはもとより、エヴァファンにもとんでもない嬉しい仕掛けが施されている。
 
ここであの音楽がきたら……というタイミングでまさしくそれが来てしまうのだ!
 
ズルイ!ズルすぎる!(*´艸`) (再)
 
しかもゴジラのオリジナルサウンドトラックはキッチリとモノラルなんである!
 
シン・ゴジラの音楽は鷺巣詩郎さんである。
言わずもがな、エヴァを始め数多くの庵野監督作品の音楽を作り続けている方だ。
僕は鷺巣さんを勝手に師匠とあがめて毎年勝手に年賀状を出しており、勝手に弟子を名乗っている勝手な関係でしかないのだが、とにもかくにも僕の音楽人生に強い影響を与えていただいた、とても尊敬している音楽家の一人である。
今回のゴジラの新しいテーマも素晴らしく最新のゴジラであり、そして説得力に満ち満ちた新解釈の曲だと思いました。師匠!(´;ω;`)ブワッ
 
そして、オリジナルの作曲を手掛けた伊福部昭さんの一番弟子である和田薫さんは「犬夜叉」「金田一少年の事件簿」などの作曲をされており、仕事面でとてもお世話になっている先生である。
和田さんは昨今の伊福部昭生誕祭のプロデュースや指揮などでも深くゴジラにかかわっているとても偉い先生ではあるのだが、DTMに関しては僕が師匠の逆関係でもあるという、とても仲良くしていただいているやっぱり偉い先生なんである(^^。
 
さらに15年ほど前に製作された東映版の「平成ゴジラ」の音楽は大島ミチルさんが作曲しており、こちらのシンセオペレートをしているのが何を隠そう僕なんである。
 
加えて僕は幼少の頃からの怪獣好き。
高校生の頃は8ミリフィルムで映画を作り続けていたぐらいの特撮好き。
 
言ってみればこれはもう、
僕のために作られた映画のようなものだ!(絶対違)
 
うん、絶対違うのだけれどもね(^^;
だけども、思い入れはどうしたって強くなってしまう映画であるし、その映画がこれだけ素晴らしい内容だったのだ。
 
少々ブログが熱くなったところでバチは当たるまい。
 

しばらく経って、少なくとも2回目を見終わった辺りでネタバレ全開のエントリーを改めてしてみたい。
 
あぁぁ!本当は今すぐにでもアレやコレのことについてさんざんぱら話したいんだぞー!( ゜∀゜)・∵.ぎゃぼー 
 
なお、東宝映画の代表作である「ゴジラ」でもある。
 
今回はせっかくなのでTOHOシネマズの最高峰と言われているTOHOシネマズ新宿の9番シアターで鑑賞をしてきた。
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DOLBY ATMOS対応作品でなくとも現状最高スペックでの鑑賞である。
 
参考までに最前ブロックの最後尾列のF列は視界いっぱいの大迫力であった。
2ブロック目の最前G列は誘導灯の灯りやトイレなどで出入りするお客さんが案外気になったりするので、実のところあまりオススメできない。
迫力を味わいたい映画はどの劇場に限らず、最前ブロックの最後尾列がオススメである。
 
なお、自分のオタク歴を晒すようだが、庵野監督作品を最初に見たのは1984年、九段会館「DAICON FILM上映会」での「帰ってきたウルトラマン」である。
どうだ、まいったか(笑)
 
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スッキリ!JIN’s EYE

「日テレ×LIVE in SUMMER YOYOGI “スッキリ!! 10th Anniversary SUPER LIVEッス!!”」
 
VAMPSと代々木体育館は何かと縁がある気がする。
過去のアリーナ公演で一番多く演ってきているのがここだ。
他にもa-nationなどのイベントで来たことが何度かあり、馴染み深い。
 
そして日本武道館と同じく公共の施設なので、民間施設とは違うどことなくカタい雰囲気も独特だ。
 
今日はなんとなくの自分視線で今回のイベントをレポートしてみたい。
ただし、あくまでも僕目線。
普通のレポートと違ってかなり視界が狭いので多くを期待してはいけないし、しょうもない写真だったとしても「ちっ!」などと舌打ちをしてはいけない(笑)。
 

まず身も蓋もないことを言ってしまうと、会場入りしてから本番までの間に僕がいた場所は楽屋とケータリングルームだけである。
その時点でまず視界の狭さがおわかりいただけるかと思う。
 
「ほー、今日のステージはこんな雰囲気なのか!」といった会場視察などをする雰囲気はない。
テレビスタッフが忙しそうに働いている中を“おのぼりさん”感覚で会場をウロウロするのは恥ずかしいことなのだ。
分別ある業界人は楽屋からは出ないのだ。
 
 
しかし分別ある業界人とて腹は減る
本番前に腹ごしらえ…と思ったところでメイクの順番がやってくる。
 
しまった!
 
あのメイクでVAMPS以外のスタッフがわんさかいる現場を歩くのはやや抵抗があるのだ。しかしやむをえない。
 
久しぶりにスーパーメイクのA木さんにメイクをしていただく。
A木さんのメイクは相変わらずブラックジャックのメス捌きのように手際がよく迷いがなくとにかく早い。
ベタッと大胆な動作で黒を塗りたくっていく。
「この現場はす〜ぐ黒がなくなるんですよ〜」と言ってらした(笑)。
 
同時にアシスタントの女の子に指示を出しながら髪の毛にアイロンをかけていく。素晴らしきダンドリで15分ほどで完成。
 
相変わらず見事なお手前でございます。
 

改めて「本番前に軽くご飯」と思ってケータリングルームに行こうとするが、見取り図が謎。
えーと、会場全体のどこの部分なんですか?とつっこみたくなる拡大見取り図しかないではないか。
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例えるなら地球儀で明治神宮前駅を探すような?←大げさ
 
スタッフに尋ねると今いる場所の反対側だという。
巨大施設なのでこれが案外ただごとでなく遠い。
会場を突っ切ればだいぶ近道になるのだが、会場の外周をグルッと半周する感じだ。
意を決して歩き出す←大げさ
 
しかし苦労の甲斐あってケータリングは美味であった。
なお、iPhoneを持っていくのを忘れたので食事写真はない。
 
…本当にダメダメなレポートで申し訳ない。
 

本番1時間前になったところで衣装に着替えカラーコンタクトを入れる。
 
せっかくだから自撮りを1枚とカメラを起動したら目の前に自分が。
あれ?滅多に使うことのないセルフィーモードになぜなっていたんだろう?と首をかしげつつもパチリ。
撮ってから気がついたのだけども、目の前の鏡を撮っていただけの話であった(笑)。
 
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やや不思議そうな表情を浮かべつつコワモテを作る←バカっぽい
 
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バックステージパスをしたまま本番に出そうになった前科のあるわたくし
 
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タオル(大)とタオル(小)←だからなんだ
 
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ステージドリンクはなぜかラベルを剥がすのがしきたりらしい
※協賛スポンサーが付いたときは除く
 

そして本番。
 
演者なので当然ライヴ写真はない(笑)。
 
ステージ裏から会場の熱気と空気が伝わってくる。
観客が見ているモニターは後ろからだとひっくり返って写っていて字が読みにくい。
考えるまでもなく当たり前のことなのだが一応レポートしておく。
 
VAMPSの紹介ジングルが入り大歓声。
この声を聞いて一気にテンションが上がる。
 
オスネコがメスの声一つで発情期に突入するように、あるいは赤ちゃんを出産したお母さんが産声を聞いた瞬間オッパイが出るようになるように、ミュージシャンもまたこの歓声を聞いた瞬間に入るモードがあるのだ。
 
2016版のオープニングSEが大音量で流れ、ステージ袖から登場。
この瞬間に本日の観客を初めて肉眼で確認。
やはり1万人規模というのは、一瞬ひるむしビビりもする。
 
うわっ!はじまりやがった!
 
毎度ではあるが後には戻れないこの感覚が嫌いではない。
 
 ・・・・・・
 

 
お楽しみ中の俺目線ライヴレポートですが、番組の都合によりここで終了となります。
ここから先は8月31日夜9時からの日テレプラスの放送でお楽しみください(^^) 
 
 
 
おおお、なんだか完璧すぎる番組宣伝&ステルスマーケティングブログになったではないか!(・∀・)
 
って言っちゃダメじゃないか!
 
今回は実験的にInstagram告知というのをしてみる関係上、やや写真多め(ただししょーもない写真ばかり)のブログにしてみました。
 

PS4のリモートプレイが凄い

世間はポケモンGOの話題でもちきりだ。
僕はといえば「ポケモンとモンハンにハマることを禁ず」という家訓があるわけではないが、実はどちらもやったことがない。
というか、正直なところどんなゲームなのかすらよく知らない。
 
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の意地
 
というコトワザの通り(笑)、「今からポケモンを始めてみようかな?」と思える柔軟な姿勢がないんである。
周囲が盛り上がれば盛り上がるほど退いていく自分がいる。
 
僕にはこういった天邪鬼の性質が(少なからず)あるらしい。
 
 

ここ数年はゲームから離れた生活をしていた。
レッドデッドリデンプション、GTA5、スカイリム辺りが最後の頃にやっていたゲームだろう。
(そんなに昔の話じゃないしせいぜい4年ぐらい前だし完全にオープンワールドゲーム縛りだし知らない人はなんのこっちゃ?というジャンルだし(笑))
 
元々のゲーマー歴は長い。
小学5年生の時にスペースインベーダーに衝撃を受けてから30年以上の長きに渡りTVゲームに親しんできた。
 
やらなくなってしまった理由はいくつかあるし、ちょっと前にも書いたので割愛するが、その最も大きな理由は飲酒や生活パターンなどの変化によるものだろう。
 
ひとたびツアーが始まれば数週間単位で家をあけることもあり、つまりはゲームのない生活が始まる。
帰宅して2週間ぶりに同じゲームを再開しても、なんだか盛り上がらないのだ。
やはりゲームは習慣性の強い遊びであることがわかる。
 
「イイ大人がゲームなんて!」と罵られる恥ずかしさなど、それに比べたら取るに足らない理由となるだろう(笑)。
 
 
ではPSPや3DSといったハンディゲームをやればいいじゃないかと思われそうだが、あいにく僕の好きなゲームはこれらの携帯ゲームにはないものが多く、簡易版のようなものでは物足りない。
 
ポケモンに興味が湧かないのも、単純に自分の好みのスタイルではないからという理由がもっとも大きい。
 
ちょっと前に流行ったIngressというゲームを熱く語る友人に釣られてはじめてみたものの、すぐに飽きた。
Ingressにハマれなかったのだから今度のポケモンにハマるとも思えない。
 
iPhoneやiPadでゲームをすることもほとんどなくなった。
 
据え置きゲームじゃないとダメなジャンルもあれば、最低限必要スペックというものが今の時代でも当然あるのだ。
 

ところがである。
先日ハイド氏にプレゼントとして頂いたPS4を開封し、設定やらアップデートやらの儀式を経て無事遊び始めることができ、数日後にゲーマー後輩といろいろゲーム談義をしていた時に、とある情報を入手する。
 
「仁さん、PS4には『リモートプレイ』という機能があって、ノートPCで遠隔操作をして自宅のPS4を遊べるんですよ」と言うのだ。
 
まぁPCでもリモート機能はあるし今は何でもクラウドだからそういうサービスもあるのだねー
ぐらいに思っていたのだが……
 
話半分ぐらいの気持ちで試してみたところ……
これがほぼ普通にちゃんと遊べるではないか!
 
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PS4は今回のリモートプレイ実験用に自室のルーターの隣に専用縦置きスタンド&有線LANで繋ぐ。TVにはつながっていない。
 
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MacBookの専用アプリが自宅のPS4を探している図
 
自宅にあるPS4を遠隔起動し、ネットを経由してこちらと繋がるのだ。
  
発想そのものが非常に斬新だと思える。
 
PS4のリモートコントロールは基本的にネットスピードに大きく左右されるわけだが、ゲームコントローラーの入力情報自体は比較的軽いデータ通信量で済む。
軽いデータを送り、それを受けたPS4が重い処理を担当し、結果である画面情報が返ってくるという理屈だ。
 
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接続完了と同時にパソコン画面がPS4のホーム画面になる。
 
フレーム単位のシビアなコントロールを要求する格闘ゲームやレースゲームには向かないが、思考型ゲームやRPG、オープンワールドゲームなどはほぼ何の問題もなくプレイが可能である。
 
 
これは……凄い時代になってきたぞ!
 
 
自宅から500km離れた大阪で遠隔操作プレイ。
本当に割と普通にプレイできてしまうのが凄い。
 
ゾンビのうめき声が「ウォーキングデッド」に酷似しているのはリスペクトなのかオマージュなのかサンプリングなのかは謎(笑) (DYING LIGHT)
 
 

一つだけちょっとした問題がある。
リモートプレイは本体内のハードディスクに入っているゲームであれば何でもプレイすることが可能だが、ゲームディスクの出し入れだけはリモートではできない(笑)。
 
今回の大阪一週間弱の行程でも一つの選択を迫られた。
誕生日にいただいた「ゾンビ」というゾンビゲームにするか、やはりゾンビゲームである「ダイイングライト」にするか、である(-“-)。
 
「ゾンビ」は比較的安価に販売されているダウンロード版を買い直してしまうという手もある。
悩ましい。
 
 
好きにすればえーやん!
 
といった声が聞こえてきそうだが、本人的には結構真剣に悩んだ末、
「とりあえずダイイングライトをセッティングしておき、どうしてもゾンビをやりたくなったらそのとき改めてダウンロード版を購入検討する」とした。
 
本当にどうでもいい話だが(笑)。
 
 
といったわけで、今の僕の眼中にポケモンはいない。

新幹線

前回の満員電車からの流れで電車の話題を続けてみたい。
 
日本には世界に誇れる素晴らしい高速鉄道がある。
誰もが知っている新幹線だ。
 
東海道新幹線に代表される時速300km/hの超特急は世界でもっとも時間に正確で、世界でもっとも事故が少なく、そして世界でもっとも美しい電車だ。
 
近年やたら利用することの多い新幹線だが、ライブツアーをやっていない頃の自分はどうだっただろうか?と振り返ってみると……
 
小学生の頃に家族旅行で1回。
中学生の頃に修学旅行で1回。
高校生の頃に修学旅行で1回。
オトナになってからは旅行で3回ぐらい?
購入した中古車を引き取りに遠方まで片道1回。
 
そんなものだと思う。
 
それが全国ツアーに参加するようになって新幹線の乗車回数が一気に増えた。
また同時期に大阪の専門学校講師を不定期でするようになり、東京-新大阪の往復をすることが年に5回ぐらいプラスされ、ここ10年は毎年それまでの生涯乗車合計を軽く上回る利用頻度となっている。
 
新幹線の時刻表を見てみると、改めてその本数の多さにビックリさせられる。
多くの時間帯では1時間の間に15本前後、おおよそ4分に1本のペースで運行されているのだ。
ひかりやこだまも含めてとなるが、驚異的な本数であることに変わりはないだろう。
Shinkansen
そしてほぼ遅れることなく定刻通りの毎日の発着。
世界から見れば奇跡のようなダイヤグラムなんだそうだ。
 

5年ぐらい前に流行ったジョークにこんなのがあった。
 
日本人「なんてこった! 電車が定刻から10秒遅れやがった!」
 
イタリア「なんてこった! 電車が定刻で来やがった!」

インド「なんてこった!いつも遅れる列車が定刻に来やがった!」
「安心しろ。あれは昨日の列車だ!」
 
 
海外の特急電車のイメージはせいぜいが1時間に1本程度。
そんな少ない運行量にも関わらずダイヤは当たり前のように大幅に乱れる。
30分や1時間の遅れは珍しくもなく、インドに限らず丸1日遅れたりする国も普通にあるらしい(笑)。
 
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僕は以前イタリア旅行時のフィレンツェとヴェネチアの往復時にユーロスターを、エジプトではルクソールからカイロまでの寝台夜行特急を利用したことがあるが、どちらもダイナミックなダイヤの乱れ方をしていた。
 
エジプトではパック旅行を利用したのだが、「カイロ博物館見学(ただし列車の運行によって見学時間が変わります)」といった但し書きがつくほどで、1時間の遅れで済んだのならラッキーぐらいに思った方がいいらしい。
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埼京線などの一部通勤車両のダイヤの乱れや混雑具合の評判が悪いようだが、世界の鉄道事情とはまた別次元の話となると思われるので、ここでは言及しない。
 
 

 
さて、ここからの話はやや鉄っちゃん方向になっていくのだが、現在東海道新幹線は700系と呼ばれている車両が使用されている。
そしてこの700系には4種類のタイプがあることをご存知だろうか?
 
700系、N700系、そしてN700Aは2種類、小さなAの字と大きなAの字がある。
 
700系とN700系は明らかに顔も形も違うので区別しやすい。
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左が新型のN700系で右が旧型の700系。
 
しかしN700の3種類はちとややこしい。
パッと見どれもほぼ同じなのだ。
車両情報でも事前にわかるのはN700系までで異なる3種類のどれが来るのかはわからない。
 
これらの違いについて興味深々といった方もそうそうはおられないと思うのだが、せっかくの機会なのでやや押し付け気味にお伝えしておく(笑)。
 
700系を改良して新たに開発、新造されたのがN700系。
 
N700系をさらに改良しAdvanceの頭文字AをつけたのがN700A(小さなAの文字)。
あくまでもベース車両がN700なのでAの字が控えめということらしい(笑)。
 
そして最初からN700Aとして新造された車両がN700A(大きなAの文字)となる。
 
後発であればあるほどに振動やブレーキ時の乗り心地がよくなっていくらしいのだが、あまり実感したことはない(笑)。
他にも車内照明をLEDにしたりエネルギー効率の改善が図られているそうだ。
 
見た目で一番の違いを実感できるのは車両の横にあるロゴだ。
 
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鉄っちゃんそれぞれの思い入れはあろうかとは思うが、僕に関しては大きなAの字のN700Aがホームに入ってくると「ヤタッ!当たり!」という心境になる(笑)。
 
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(今回の大阪行きはめでたく大きなAの字のN700Aに乗れた♪)
 
知らなければ知らないでどうでもよかったことだったのに、
「今後ついつい気になっちゃうじゃないか!余計な情報を与えやがって!」
 
と思ったあなたにへこたれずにダメ押しの一打を浴びせてみる。
 
ふっふっふ。
鉄の道の入り口がそこにあるかもしれませんぞ?
 
 
と言うほどの鉄道好きでもないのだけれども、最近Huluでも配信されている「鉄道発見伝」なるBS日テレのかなりマニアックな鉄道番組を見るのが密かな楽しみになりつつある。
 
群馬県の上毛電気鉄道に乗るのがここ最近の夢だ✨✨

満員電車

VAMPSのおかげで百戦錬磨の経験値を得られてきたここ数年間だった。
ほぼ毎年の全国ツアーや、いろんな国に行っての公演やアメリカや南米やイギリスでのワールドツアーといった貴重な経験を重ねることもできた。
10年有効のパスポートはあと数ページでいっぱいになってしまう。
 
そんな我々ではあるのだが、ほとんど未経験のまま過ごしてしまったいろんなこともままある。
例えば今日のタイトルになっている満員電車だ。
 
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僕は社会人になってから約30年、ほとんどこの満員電車というものに乗ったことがない。
夜時間帯の電車に乗ることは珍しくないが、やはり大変なのは7〜9時台の朝時間帯だろう。
この10年の間で朝のラッシュアワーの通勤電車に乗ったことが何回あるだろうか?
 
多めに見積もっても10回はないと思う。
 
念のため自慢をしたいわけではない。
多くの人が当たり前のように経験していることを知らないまま生きてきてしまっていることに、危機感を抱くまではいかなくとも「オトナとして大丈夫なんだろうか?」と思ったりするのだ。
 
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(ヒドい国の満員電車。これで死人は出ないのだろうか?)
 
今回の大阪入りの新幹線の時刻は東京駅発8時半。
明らかにもっとも混雑する時間帯に電車に乗らなければならない。
そのことを知った時から家を出発するまでの絶望感といったら!(笑)
 
普通の社会人は毎朝当たり前のようにこの混雑をやり過ごしているのか……
と思うと畏敬の念にも近い感情が沸き起こる。
 
「みんなすごい……俺は今こんなにもへこたれているのに」
 
そんな気持ちになる満員電車が言うまでもなく苦手だ。
 
ちなみに今回はスーツケースを事前にホテルに送っておいた。
満員電車に持ち込んで周囲の冷たい空気感に晒されるのが怖かったからだ。
 
歯ブラシとシェーバーだけ当日持っていけばいいや、と配送手続きをした後になってポロポロと忘れ物に気がつく。
「あ、サンダル入れ忘れた」
「あ、電源ケーブル入れ忘れた」
「あ、どうせなら2リットルのグリーンDAKARAとかも詰めちゃえばよかった」
 
まぁいい。
 
かくして満員電車のストレスを軽減するための努力をできるだけして就寝する。
 
明日の朝の満員電車を頑張って乗り切ろう!
 
 
そして当日の朝、
ダイナミックに寝過ごす(笑)
 
駅まで150%の早歩きをしながら歩きスマホ状態で路線検索で最短時間を調べる。
まずい…
乗り遅れそうだ。
 
いつもののんびりルートで東京駅に行っていたのでは間に合いそうもないので、混雑が激しく乗り換えが多くて面倒だけど品川を目指すことにする。
東京発の7分後になるのでギリギリの時間稼ぎもできる。
 
それにしても事前に荷物を送っておいて本当によかった。
この状態でスーツケースをガラガラ転がしていたら、途中でくじけて泣いていたことだろう。
 
私鉄2本を乗り継いでターミナル駅を経由して山手線に乗る。
 
そして気がつけば品川。
ギリギリどころか20分前に到着した。
 
あれれ?
 
さっきの路線検索ではギリギリだったのになぜ?
と思って画面をよく見ると「+経由」に余計な駅が入っていた。
何度検索しても絶望的な時間になるわけだ(笑)。
 
そして、さらにあれれ?
 
慌てて焦って汗かいて品川に到着することだけを考えていたからだろうか、満員電車の印象が妙に希薄だ。
あれ?そんなに大変じゃなかったぞ?
 
品川駅でグリーンDAKARAを買ってほぼ一気飲みする。
 
そして前日遅くまで飲みすぎたことを今更告白しておく。
こんなわかりやすい寝坊をしたのも久しぶりだ。
 
 

といったしょうもない昨日の朝を経て今日に至る。
夕べも少々飲みすぎたようだ。
 
ポカリを飲んで支度をする。
さらに時間が余ったのでブログネタにしてしまえ!

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先日家の中にゴキちゃんが出た。
 
幸い僕はゴキちゃんに対して強い恐怖心や危機感を感じない人間のようだ。
酔っ払っていたので一旦は放置したのだが、間抜けにもノコノコと目の前に再登場したのでティッシュでつまんでいっちょ上がりなものである。
 
 
思い返せば学校で職場で外出先で、ゴキちゃんが出るたびに僕はヒーローになれた。
ゴキちゃんからキャーキャー逃げ惑う人を尻目に、殺虫剤も使わずに至近距離でゴキちゃんを撃退した後に周囲から注がれる尊敬と感謝に満ちたアツい眼差しはなかなかの快感だった。
「抱かれてもいい!」と思われたことも一度や二度ではあるまい←
 
飛行機の中で「お客様の中にどなたかお医者様はおられませんか!」とスッチーさんが呼びかけ「私でよければ…」と手を上げるカッコよさに匹敵するカッコよさであろう←←
 
ゴキちゃん(一応読者のみなさんが少しでも嫌悪感を感じずに済んだらと愛称で呼ぶことにしております(笑))は、そういった意味では僕を年に一度ぐらいの頻度でヒーローに仕立て上げてくれる良きヒールでもあった。
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なお、本気を出せば素手での直接対決も可能だが、それをやると本気で嫌がられるので主に新聞紙や雑誌等を近接戦闘ウェポンとして使用している。
 
 
そういった裏事情のことはさておき、今日はゴキちゃんの立場にたって人間に冷遇されている身の上を代弁してみたい。
 
なお、ゴキちゃんが嫌いで今おそるおそるこのブログを読んでいる方には↑上の落書きを上限に「グロ描写一切なし!」と断言しておくので安心していただきたい。
 

まずはそもそも、ゴキちゃんはなぜにそこまで嫌われているのか?
 
すばしっこい、油ギッシュで気持ち悪い、カサカサ音だけでも気味が悪い、長い触角がまた気持ち悪いとさんざんであるが、これこれこうだからという正当な理由で嫌いというわけではなさそうだ。
 
意味も理由もなくただただ嫌いだ、という譲歩の余地一切なしの本能的なもの。
おそらくは“生理的嫌悪感”というのがもっとも正しい表現なのだろう。
 
 
最近このブログに度々登場する「エイリアン」だが、このエイリアンのモデルにゴキちゃんが含まれていることをご存知であろうか?
Alien1
 
エイリアンデザインを手がけたHRギーガーは「嫌悪感」と「エロティシズム」の融合、「エログロ」と言ってしまうと下品な言葉になってしまうが、それを高次元なレベルでデザインし続け、あのような最終形になったそうだ。
(ちなみにエイリアンは卵から孵化し数段階の変態を繰り返していくのだが、途中段階で「え?いいの?」と思ってしまうぐらいかなりエロキワドい形状になったりする)
 
確かにエイリアンの不気味さを一つ一つ考えてみるとゴキちゃんとの共通点が多い。
黒光りした硬そうな全身、ちょっとした隙間に逃げ込む素早い動き、異常に強い生命力、目がなく何を考えているのかわからずやたら強い(念のためゴキちゃんには一応目はある)。
 
強酸性の血液は宇宙船の隔壁を溶かし、人間を大やけどさせ、卵から孵化した幼虫は人間に寄生し腹を食い破って出てくる。
そこまでのおぞましい要素はさすがのゴキちゃんにもないが、人間が抱いているゴキちゃんへの嫌悪感は結構それに近いものがあるのかもしれない。
 
こういった根源的な生理的嫌悪感は説得して払拭されるようなことはないだろう。
「動いてなければメスのクワガタとそんなに変わらないよぉ?」と言った無駄な発言はするまい(笑)。
 

ところでみなさんはゴキちゃんに対していろいろ誤解しておられることが多いのでいくつかちゃんと説明しておきたい。
 
1.汚い?
ゴキちゃんは不潔な生き物だと思っている方が多いが、これは正確には違う。
不潔感のある場所を好んでいるだけであって、彼らに特に強い毒性があるわけでもなく、また一般的なバイキンは保有しているが、それはなにもゴキちゃんに限ったことではない。
ゴキちゃんを媒介とした伝染病が過去に流行したことなど一度もないのだ。
 
一方でネズミを媒介としたペスト菌は14世紀の大流行で当時の人類の総人口4億5千万人を3億5千万人に減らした。
1億人!もはや日本全滅レベルである。
今の人類に換算すると……15億人!
 
しかし現代の人類にとってもっとも危険な生物はネズミではない。
今も尚もっとも多くの犠牲を出し続けているのは“蚊”である。
マラリアに代表される人類の脅威となる病原菌を媒介する蚊によって、毎年70万人以上の人々が命を奪われているのだ。
 
それと比べればですよ?
台所の隅にチョロッと出てきて脅かされるぐらい、なんてことはないのである。
 
2.凶暴?
とんでもない。ゴキちゃんは逃げ惑っているだけだ。
人間を攻撃する意思は全くないばかりか、物陰でヒッソリと実に控えめに生きている善良でささやかな生き物なのだ。
スズメバチやカミキリムシなどがかなり積極的に人間を攻撃してくることを思えば彼らはかなりおとなしい。
 
ちなみにゴキちゃんはとても頭が良いので、最大限の回避行動を取ろうとする。
普段は飛べないのだが、絶体絶命のピンチの時のみ羽根を広げて飛ぶことができる。
エヴァンゲリオン、スーパーサイヤ人並の凄い能力である!
しかも複数の人間に取り囲まれた時などは、一番怖がっている人間に向かって進むことで自分の生存率が上がることを彼らは知っているそうだ。
 
あくまでも攻撃ではなく防衛行動であることを忘れてはならない。
ゴキちゃんは先制攻撃はしないのである。
憲法第9条の拡大解釈も彼らには必要のない平和主義なのだ(笑)。
 
3.人類が絶滅しても生存し続ける?
人間よりも遥かに長い歴史を生きているゴキちゃんは驚くなかれ、約3億年前から生息しているそうである。
人間などそれに比べたらひよっこもひよっこの300万年(諸説ある中での中央値)、ゴキちゃんは100倍長く生きてきている大先輩なのだ。
 
元々ゴキちゃんは森の中の枯れ木を食べ物としている昆虫だった。
ただの枯れ木がたんぱく質として変換された上で別の生物に捕食される、という自然界の食物連鎖で重要な役割を担う昆虫なのである。
今も多くの種類のゴキちゃんはシロアリと共に枯れ木をせっせと食べて自然界のバランスを保っているのだ。
そういった観点では明らかに人類のほうが劣った生物、イラナイ生物だという見方もできる。
(※シロアリに関してもいつか語ってみたいお題である)
 
しかも人間が森林を荒らし、彼らの住処を奪い、仕方なく人間界に住まわされたともいえる。
なんと理不尽なことをしているのだ、人間という種は。
 
我々は自然界の中のか弱き一生物に過ぎない。
だからあんまりイジめるな。
 
これは漫画「寄生獣」の名台詞なのだが、全ての生物に当てはまるのだろう。
 

といった感じで今回はゴキちゃんについて語ってみました。
 
ちなみにわたくし、ゴキちゃんには無双っぷりを発揮できますが、その真逆のブヨブヨした虫はダメです。
すぐつぶれちゃうような芋虫毛虫系とか、クモとか、ああいうのには虫酸が走ります。
それに比べて甲虫の硬さ、頼もしさときたら!(*´艸`) ウットリ
 
また、いかんせんゴキちゃんに遭遇する機会が減ってきたので、大丈夫とはいってもいきなり出てこられれば一瞬ひるみます。
 
その程度の常人ですので、間違っても大量のゴキちゃん退治の依頼とかはしてこないようお願いします(笑)。

名古屋オフ日記

VAMPS TOURで土曜日から名古屋に滞在している。
 
名古屋滞在期間のオフ日に限って行きたいところがお休みということが多い。
どうしたことか!?と思ったのだが、考えてみたら土日にライヴをやった翌日の月曜日がオフ日になるのが多いのは半分必然のようなもの。
美術館や博物館といった施設は全国的に月曜休館日が多いので、仕方がないといえば仕方がない。
 
さて、名古屋に来た時はたいていはお参りをする熱田神宮に今回も行ってきた。
なんでも今日は一粒万倍日と天赦日が重なるとてもありがたい日だと友人に教えてもらった。
参拝するにはとても良い日とのこと。
 
本来神社に参拝する時はその前後に用件などをくっつけてはいけないとされているのだが、まぁしかし熱田神宮といえば宮きしめんだったりあつた蓬莱軒といった美味しい食べ物屋さんがたくさんある。
 
いかんいかん、寄ってはいかんよと思いながらも参拝後、足はなぜか蓬莱軒神宮前店に向かって歩き出している。
しかしそんな自分の気持ちを神様に弄ばれているかのように、月曜定休!( ̄◇ ̄;)
 
蓬莱軒、お前もか!
 
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ぐぬぬ……とあきらめかけるも定休日の看板を見ると本店はやっているとの情報があるではないか。
GoogleMapを起動して調べてみると徒歩5~6分ぐらいのところに蓬莱軒の本店がある!
33度の炎天下の中、歩道橋を渡りテクテク歩いてお店を目指す。
 
当初の予定では「おや?参拝の帰り道うっかりうなぎ屋さんに出会ってしまったではないか。せっかくだから食べようか」ぐらいの言い訳をしながら食べるつもりであったのに、行く気食べる気共にマンマンである。
 
しかし、本店には行列ができており「只今の待ち時間90分」とある。
現在午後13時。
14時半まで待つとなると15時からの予定に間に合わない。
 
せっかく歩いてきたのに……いやいや、頭の中はもうウナギと昼ビールのことしか考えられない。
再度GoogleMapを起動して「うなぎ屋」で探す。
 
あった!名鉄神宮駅前熱田弁天なるうなぎ屋さん発見。
 
炎天下の中今来た道をそのまま戻り、熱田神宮の鳥居に「すみません通り抜けさせてください」とお許しを乞い(笑)、徒歩都合プラス15分、意地でうなぎ店に到着。
この時点でAppleWatchが「本日のエクササイズ目標値達成」と教えてくれる。
 
既にTwitterで報告済みではあるが、ここでようやく昼から生ビールとひつまぶしにありつけた(^^
年に数回しかやらないが、このために炎天下があるのではないか?と思うほどに昼から飲む生ビールは美味い。
  
14時前に食事を終え、今度は名鉄に乗って名古屋駅に向かう。
今日の15時から「インデペンデンス・デイ〜リサージェンス」を見るべく、参拝前に既に予約してあったのだ。
参拝後の予定入れまくりである(笑)。
 

IMG_9562
映画に関してというよりは、、、ローランド・エメリッヒ監督作品という視点で突っ込んでおきたい。
 
この監督は基本的にしょーもないおバカ映画ばっかり撮っている。
前作「インデペンデンス・デイ」に代表されるウソくさいSF観とご都合主義とアメリカ万歳!は彼の普遍的なテーマらしい。
「GODZILLA」「デイ・アフター・トゥモロー」「2012」そして今回の「リサージェンス」など、内容はほとんど同じといって差し支えないぐらい筋も演出も構成も進行も似ている。
宇宙人か怪獣か災害か予言かの違いはあれど、あとは大体同じだ。
 
その中でも個人的には「GODZILLA」は結構好きな映画だ。
挿入曲として一瞬ではあるがラルクの「侵食」が流れるのもいいし、ジャン・レノのとぼけた演技も結構楽しい。
CGで描かれたハリウッド版ゴジラが単純にかっこいいのもポイントが高い。
 
今回の続編もまぁ見事なまでに内容のないおバカ映画であることに変わりなく、実に都合がいい(笑)。
 
前作をほとんど忘れてしまっているけどおバカ映画だから大丈夫だろうと安心していたのだが、おバカ映画のくせに前作の登場人物が年をとって再登場したり、その子供同士がからんでいたりと、おバカ映画らしからぬ人物の絡み方がややこしいというか、この人誰だっけ?がやたら多い。
 
まーいいや、と見続けていたのだけども、どうにもこうにもあくびが止まらず一向にドキドキさせられない。
 
以前は突っ込みどころ満載のSF映画に突っ込むのが楽しかったのに、あんまり楽しめなかったのが正直な感想。
 

 一つだけ、このブログの前回までの流れに沿ったことを突っ込んでおきたい。
 
インデペンデンス・デイという映画は1996年にエイリアンが地球に攻めてきて、人類が一致団結してエイリアンと戦って勝利を収めるという内容なのだが、その20年後の2016年という、我々の今いる2016年とは違うパラレルワールドを描いているのが今回の続編だ。
 
エイリアンの残した宇宙船や光線銃を解析して今の人類とは違う文明を手にいれた人類。
重力から解放され、羽根のないヘリコプターやロケットエンジン不要の宇宙船やジェットエンジンを使わずに垂直離着陸できる戦闘機などを発明している。
また恐ろしい破壊力を持つ光線銃や砲台なども登場する。
 
しかし!発達しているのはどうやらそこだけのようで、スマートフォンは普通にiPhoneだし無線機にせよ車にせよ、他の部分がまるでこちらの世界と同じなのだ。
フワッと浮く宇宙船兼飛行機があるのに、スクールバスは鍵を回してエンジンを始動するという最近の国産車には既にあまりない旧式のまま。
光線銃以外の銃は今のままの火薬式っぽい。
 
これはやはり描き方としておかしいと思う。
重力から解放された時点で、世の中はどれだけ変わるだろうか?
全てが変わるというか、あらゆる方向の科学技術が飛躍的に向上していくはずだ。
 
電気が発明されて油のランプから電灯に変わった。
しかしその20年後も電気が電灯にしか使われていないかのような文明の発展の仕方のようなものではないか(笑)。
 
おそらくは「勘違いするなよ?これは未来の話じゃない。2016年の話なんだ!」ということを意識したのだろう。
だけども、進んだ文明を手にいれた人類というIFを描くのならば「科学技術の進歩の針が一気に加速した」という方向で描くべきだったと思う。
 
だけども、そういう詰めの甘さも含めてのおバカ映画なのだろう。
そこをあえて突っ込むというのも野暮なことなのだろう。
 
ってもう突っ込んじゃったけど(^^;
 

といった感じで名古屋のオフ日は毎回なんだかんだで充実している。
名古屋市科学館の休館をバネに、それに匹敵する楽しみ方を模索することが良い流れとなっているのかもしれない(^^
 
英気を養ったところで、また明日からのライヴを精一杯臨みたい。

タケコプター

ドラえもん」を知らない日本人もいないだろう。
僕は藤子・F・不二雄先生の大ファンである。
こども向け漫画の第一人者、まさに神様のような存在である。

一般的に漫画の神様といえば手塚治虫氏とされているが、僕の中でのナンバーワンはダントツで藤子先生だ。
ドラえもんに登場するひみつ道具は2000~3000個に及ぶそうだが、自由な発想で生み出された発明品の数々はどれもユニークで魅力的だ。

もちろんその全てが実現できるものではないし、実際実現できるモノの方が少ないだろうけれども、既に実現している発明品も数多くある。
https://www.change-makers.jp/technology/10978(ドラえもんですでに実現された「秘密の道具」35選)


今日言及してみたいアイテムは誰もが知っている「タケコプター」について。
頭にポチッとつけるだけで自在に空を飛ぶことができる画期的な発明品だ。

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特に操縦を意識するようなことはないらしく結構なスピードで飛ぶこともできる。
参考までにあのコンパクトなボディーで8時間の連続飛行ができるとのこと。
そのままの形状で開発されるとも思わないが、いつかは近い用途のモノが実現するのだと思う。

 

現代の文明を基準にこういったアイディアを否定することは実に簡単なことだ。

あんな小さなプロペラで揚力を得ることができるはずない、で話は終わりだろう。

タケコプター否定論でもっとも有名なのは柳田理科雄氏の「空想科学読本」での指摘、「プロペラの回転力によって飛ぶのなら体ごと空中に持ち上げることはできず、使用者は体がばらばらになって死亡した挙句頭皮だけがはがれて飛んでいってしまうだろう」といったもの。

なんともヒドい話だ(笑)。

空想科学読本は僕自身好きな読み物でもあるし、著者が確信犯でやっていることもわかっているので、この否定論に悪意があるとは思っていない。
「現代の科学で再現するならば」といった仮定の時点で、もうその仮説はおかしくなるに決まっているし、むしろその矛盾を笑いに変えている読み物であるようにも思うからだ。

前回も例に挙げた「64ギガバイトのUSBメモリー」を現代の我々は2千円以下で買い求め普通に使っているが、例えばこれを昔に戻してその時点の技術で再現してみたらどうなるだろう?

ここ30年の1ギガバイトの値段の変動
1981 $300,000
1987 $50,000
1990 $10,000
1994 $1,000
1997 $100
2000 $10
2004 $1
2012 $0.10

単純に3,000万円していたものが10円になったのだ!

1994年から2004年の10年間で1000分の1、さらに10年で計10000分の1まで暴落していることになる(笑)。

ちょうど20年前ということで1ギガ1万円としてみても64万円。
そこまではいいとしても、USBメモリーのような小型化するのはその当時ではどうにも不可能だ。

「切手サイズの小さなカードが1ギガ以上のメモリーを持つ時代がもうすぐ来る」
なんて実にドラえもんっぽい表現の予想がされたものだが、その後10年経たずしてSDカードは発売され、現在はさらに小さなminiSD、microSDにもなっている。

sdcard


タケコプターに関してはどうだろうか?

まずタケコプターの浮力はプロペラの回転によって得られているものではない。
装着した時点で反重力場が発生して体重が無効化される。
その上でプロペラの回転で推進力を得ているのかもしれないし、あれすらもただの飾りというか電源ランプのような確認のためのもので、実際は全然違う発想のエネルギーで飛んでいるのかもしれない。
いずれにしても現時点の我々人類では想像もつかないような技術を用いることになるのだろう。

しかし300年前の江戸時代の人からしてみたら我々の生活は完全に理解できない不思議な世界と感じるのは間違いない。

夜になっても暗くならない家や街、自動車や電車を見ても理解不能だろうし、離れた人と通信ができること、テレビはもちろんインターネットなどは概念そのもの、つまり何かに置き換えて考えることすらできないように思う。

300年後の未来の世界からすれば、現代文明とて同じような過去になっているのだろう。


藤子先生の異色SF短編集に出てくる“ヨドバ氏”という未来から来たカメラのセールスマンは、
「原理を説明してもどうせわからないでしょうけれども……」
と前置きをしてから“撮った写真がすぐ立体化されるカメラ”や、“既にある写真を撮ると前後の音が再生されるようになるカメラ”などを売ろうとする。(凄く画期的な商品なのに現代人の食いつきが悪く値切られてばかりいるのが面白いシリーズでもある(笑))

しかし藤子先生自身の中ではただデタラメを描いているわけではなく、彼独自の発想力の範囲内に収まっているアイディアだとも思うのだ。IMG_9540

(↑この理屈だと現代のデジタルカメラでは音の再生は難しそうだが)

 

1989年版の異色短編集1,2,3は一体何度読み返したことだろうか。

IMG_9541

ドラえもんの作者だけあって藤子先生の作品にはタイムトラベルモノやファンタジー系の話も多いが、高度な科学知識を要するような話も少なくない。

膨脹宇宙や相対性理論のウラシマ効果などが物語の中で使われているが、あの親しみある絵のタッチと読みやすい内容でわかりやすくSFを楽しませてくれる。

「みどりの守り神」「宇宙人」「未来泥棒」「ひとりぼっちの宇宙戦争」などは、そのどれもがハリウッドで映画化されてもおかしくないような素晴らしく面白い内容である。

2011年から順次発売された異色短編集は4つに増えて編集し直されているようだ。
興味のある方は是非読まれてみることを強くオススメする。


藤子先生が他界されてしまってから今年で20年になろうとしている。
しかし先生の作品は今もなおテレビアニメや映画、CG作品になったりTOYOTAの実写CMになったりもして愛され続けている。

先生の作品に影響を受けた人は数え切れないほどいることだろう。

そしてこれからも日本に限らず世界のこども達にも影響を与え続けていくに違いない。

空想科学〜2

前回のPart1で「空飛ぶ車はいつ来るか?」といったツイートがいくつか寄せられた。
僕はこれこそが「来なかった未来」となるような気がしている。
 

まず第一に空飛ぶ車は単純に危ない(笑)。

地上30mを飛ぶ車がガス欠を起こすような間抜けな事態が起こるとも思えないが、墜落のリスクというのは相当高い。
そこまでの危険を冒してまで車を飛ばそうとするよりも、地上を完全制御された自動運転の方が現実的だろうと、ここ数年の人類の流れはそちらを選択したように思う。

第二に今amazonが開発しているドローン配送技術に代表されるように、未来の物流は低い空を飛んで運ばれるようになるのではないだろうか。
人間の墜落死は大問題だが、荷物の運搬なら弁償できるものであればどうにでもなる(笑)。
しばらくは失敗を繰り返しながらも急速に発展していくのではないだろうか。
そうなると道路の混雑の結構な割合を占める物流が道路からだいぶ減ることになり、車がわざわざ空を飛ぶ必要性もなくなっていく。
 
そして第三に今後の人類はそこまでアクセクと移動を繰り返す生活から徐々に行動範囲を狭めていく生物になっていくような気がする。
自家用車という発想そのものがどんどん縮小していき、やがては一部のお金持ちだけが趣味で所有するようなものになるのではないだろうか。
 
日本ではまだイマイチ定着していないが、Uberのタクシー配車システムは本当に画期的だ。
スマホアプリで近くにいるタクシーにコンタクトを取り、目的地も同時に伝える。
目的地までの最短距離の料金が後日クレジットカードから引き落とされるので過剰請求されることもなければ渋滞したからと料金がかさむこともない。
Uberが自動運転タクシーに完全に置き換わり、さらにシステムが洗練されれば、もはや自家用車はいらなくなるだろう。
 
いつでもどこでもスマートフォンで配車をし、一番近い車が数分で目の前に現れ目的地まで最短最安値で送り届けてくれる。
人件費のかからないタクシーなのだから料金は今の半額以下、もしかしたらさらに安いアジア標準料金になるかもしれない。
(参考までにタイのタクシーは初乗り100円、渋滞する市内を10キロ走ってもせいぜい300円程度)
 
夢物語のようなことを語ってみたが、今回はそういった趣旨の内容なのでおもいっきり夢を語っても構わないのだ(笑)。
 

さて前回からの続きである。
 
黒電話しかなかった40年前に戻って現代のスマートフォンを説明することはさらに難しい。

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コンパクトなボディーで有線ケーブルもなく、液晶ディスクプレイはもちろん見たこともない超高解像度の未知の映像クオリティ。
通話ができるだけでなく、文字によるやりとり、さらには動画を見たり音楽も聴け、インベーダーゲームを遥かに凌駕する写真のような見たこともない動きのゲームが走っている。
新聞を見ずとも最新の株価がわかり、世界中の情報がリアルタイムに入手し続けられるコンパクトな機械。

小学生の頃の僕が当時iPhoneに触ったらどう思うのだろうか?

子供だから案外順応しそうにも思うが、その当時の技術者が目の当たりにしたらたちまち発狂するようにも思う。

根本的な部分が一つも理解できない発明品。
 
しかし数十年先の技術とはそういったものであるべきなのだろう。
 

例えば今実現しつつあるが初めて聞く方にとってはにわかには信じられない「音」の技術を紹介してみよう。
 
ネックバンドデバイス」という新しいタイプのヘッドフォンなのだが、耳の中にイヤフォンを入れないタイプのイヤフォン(?)だ。
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写真のように首に引っ掛けておくだけのデバイスなので、日常音は普通に聞こえつつ自分の耳の中にだけ直接音が届くらしい。
 
原理はよくわからないが、骨の振動を利用したマイクがあるのだから逆に骨から耳に伝わる方式があっても不思議ではない気もするが、このデバイスがそういった原理で音を伝えているのかはわからない。
 
従来のように耳の中にイヤフォンを押し込まなくても音を聞くことのできる技術は他にも様々な方法で開発中だそうで、近い未来には何も装着せずとも最適なバランスで音楽を聴くことができるという。
 
今の我々には理解できないが、これはiPodやiPhoneやHDビデオ、あるいはSUICAやT-POINTといった電子決済システムを40年前の人がまったく思いもつかなかったことにどこか似ている。
 
今一度言おう。
 
根本的な部分が一つも理解できない発明品。
数十年先の技術とはそういったものであるべきなのだろう。

 

逆に言えば、現代人に予想のつく範囲はせいぜい数年先程度が限界なのではないだろうか。


数十年先の発明品を今の我々が予想をしてみたところで、ここ最近マイブームになっている「先人の未来予想イラスト」同様、非常に陳腐なモノにしかならないと思う。

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(20年後予想でも案の定大体当たっていない(´_ゞ`)ちーん ) 

コンピューターは高性能化するごとに巨大になっていくという昔のイメージは、トランジスタやCPUの発明、各部品のコンパクト化が加速していくという前提がなかったからであるし、USBという規格も想像できなかったのだから、当然64ギガバイトの極小サイズのUSBメモリーなんて想像に達することができないのも無理からぬ話なのだ。
 
50年先100年先の未来を予想するならば、現実的な思考を一切捨て去るのがきっと正しい。
 

しかし現代の人類の未来は、そういったポジティブな方向性とは真逆の、非常に暗いイメージで語られてしまっている。
 
「間違った予想」といって差し支えない人口爆発もしくは真逆の少子化問題、食糧危機、環境破壊に資源枯渇、それに加えてインチキくさい預言者や秘密結社までもが便乗してきて終末論を語られてしまっては、もはや明るくなりようがないではないか……
 
誤ったネガティブ未来観に毒された現代、、、
なんとも残念な限りだ。
 
 
そんな現代の定説に囚われずに自由で大胆な発想で夢のある未来を空想し続けた偉大な人物がいる。

科学者や発明家というわけではないが、ある意味ではそれらを併せ持ち、今もなお子供を中心に夢を与え続けている人だ。

僕自身、子供の頃からオトナになった今もなお、ずっと憧れ続けている人だ。

 
次回はそんな偉大なる人物について熱く語ってみたい。

空想科学〜1

前回の「来なかった未来」についてもう少し言及をというか、今回は「空想科学」について考えてみたい。 
 
空想科学がもっとも近い言葉であると思うのだが、基本的にマンガや小説や映画などのSF(サイエンスフィクション)の場合は事実に基づく必要はない。 
 
「NASAが選ぶ現実的なSF映画」の上位は、
1.「ガタカ」(98)
2.「コンタクト」(97) 
3.「メトロポリス」(29)
4.「地球の静止する日」(52)
5.「Woman in the Moon(原題)」(未)
6.「遊星よりの物体X」(52)
7.「ジュラシック・パーク」(93)
 
となっているが、すべてのSF作品がこれらの映画のようにNASAに一目置かれる必要性は、特にはない。
 
自由な発想から作品を生み出して全然構わないわけだが、実は最近になって「一般的に信憑性のありそうな未来ほどやって来ない」といった傾向が顕著に示されていることがわかってきているそうだ。
 
例えば前回挙げたような「透明のチューブを走っているレトロな新幹線」といった陳腐なイラストのようなことだ。 
今だからこそ「陳腐だ」と思われるが、当時の人々はそんな未来を信じて疑っていなかったのだ。
それが時代が経過することによって「ないなこれは」と修正をかけていき「来なかった未来」方向に枝分かれが起こり、やがて止まる。 
 
チューブが透明である必要はないが、チューブの中が真空であると空気抵抗がゼロとなり、理論上時速10,000キロの超スピード走行も可能である、なんて新たな枝となる場合もある。
 

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テレビ電話という発明品は随分前から空想されており、様々な試みが繰り返されてきたのだが、なかなか普及に結びつかないようにも思う。 
 
SkypeやFaceTimeといったテレビ電話はほぼ完成の域に到達していると思われるものの、昔の人はまさかスマートフォンの100ある機能の中の一つとして扱われているとは夢にも思わなかっただろう。
 
いずれにせよ子供の頃に空想していたテレビ電話と現実のそれとは大きくイメージが異なる。
しかし実際に使ってみての最大の違和感は、なによりも「話している相手と視線を合わせることができない」ということではないだろうか?
 
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カメラを見つめれば相手にとっては視線が合うのだろうけれども、その間自分は相手の顔が見えない。
現在のテレビ電話は相手の顔を見ている=視線を下に向けている=目が合ってない者同士の会話が基本となる。 
 
ちょっと考えればわかりそうなことなのに、誰も気がつかないまま?もしかしたら「あっ」ぐらいは思ったかもしれないけれども、特に改良を試みることもしないまま現在に至るわけだ(笑)。
 
さらに技術が進み液晶モニターの中央にカメラを設置することができればまた一段階上のテレビ電話にはなるだろうけれども、果たしてそこまでして「視線の合うテレビ電話」にどこまでの需要が見込めるのかも、謎である。 
 
空想科学の発想のポイントは「なるべく突拍子もない発明品を思いつくこと」だという。 
テレビと電話といった既にあるものの組み合わせではなかなか画期的な発明までには至らないのかもしれない。 
 

たとえば今我々が当たり前のように使っているスマートフォン、その前身であるiPod。 
これなどは発表される10年前にはそれこそ「絵空事」としか思えないような発明品であったことがわかる。
「CDを100枚でも1000枚でも持ち歩けるのにCDよりも小さなポータブル音楽プレイヤー」なのだ。
「なんだその矛盾を孕んだモノは?」と、にわかには信じられないシロモノであったことだろう。
 
iPodの発表される10年前には既に音声データは当たり前にあったので想像つきそうなものなのではあるが、圧縮技術の進化で音声データを10分の1まで絞り込んだこと、またハードディスクの小型大容量化が飛躍的に進歩したことが乗算されて結果として10年の間に10×100=1000倍といった爆発的進化が起こった。
 
もしもこういった予想外の進歩がなければiPodは今のノートPC以上の大きさでの発表となったかもしれず、またiPodの登場によって周辺では大量の「来なかった未来」の枝分かれが起こり、そして消えていったであろうことがわかってくる。
 
もう少し続きそうなのでここで一旦区切る。