空想科学〜1

前回の「来なかった未来」についてもう少し言及をというか、今回は「空想科学」について考えてみたい。 
 
空想科学がもっとも近い言葉であると思うのだが、基本的にマンガや小説や映画などのSF(サイエンスフィクション)の場合は事実に基づく必要はない。 
 
「NASAが選ぶ現実的なSF映画」の上位は、
1.「ガタカ」(98)
2.「コンタクト」(97) 
3.「メトロポリス」(29)
4.「地球の静止する日」(52)
5.「Woman in the Moon(原題)」(未)
6.「遊星よりの物体X」(52)
7.「ジュラシック・パーク」(93)
 
となっているが、すべてのSF作品がこれらの映画のようにNASAに一目置かれる必要性は、特にはない。
 
自由な発想から作品を生み出して全然構わないわけだが、実は最近になって「一般的に信憑性のありそうな未来ほどやって来ない」といった傾向が顕著に示されていることがわかってきているそうだ。
 
例えば前回挙げたような「透明のチューブを走っているレトロな新幹線」といった陳腐なイラストのようなことだ。 
今だからこそ「陳腐だ」と思われるが、当時の人々はそんな未来を信じて疑っていなかったのだ。
それが時代が経過することによって「ないなこれは」と修正をかけていき「来なかった未来」方向に枝分かれが起こり、やがて止まる。 
 
チューブが透明である必要はないが、チューブの中が真空であると空気抵抗がゼロとなり、理論上時速10,000キロの超スピード走行も可能である、なんて新たな枝となる場合もある。
 

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テレビ電話という発明品は随分前から空想されており、様々な試みが繰り返されてきたのだが、なかなか普及に結びつかないようにも思う。 
 
SkypeやFaceTimeといったテレビ電話はほぼ完成の域に到達していると思われるものの、昔の人はまさかスマートフォンの100ある機能の中の一つとして扱われているとは夢にも思わなかっただろう。
 
いずれにせよ子供の頃に空想していたテレビ電話と現実のそれとは大きくイメージが異なる。
しかし実際に使ってみての最大の違和感は、なによりも「話している相手と視線を合わせることができない」ということではないだろうか?
 
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カメラを見つめれば相手にとっては視線が合うのだろうけれども、その間自分は相手の顔が見えない。
現在のテレビ電話は相手の顔を見ている=視線を下に向けている=目が合ってない者同士の会話が基本となる。 
 
ちょっと考えればわかりそうなことなのに、誰も気がつかないまま?もしかしたら「あっ」ぐらいは思ったかもしれないけれども、特に改良を試みることもしないまま現在に至るわけだ(笑)。
 
さらに技術が進み液晶モニターの中央にカメラを設置することができればまた一段階上のテレビ電話にはなるだろうけれども、果たしてそこまでして「視線の合うテレビ電話」にどこまでの需要が見込めるのかも、謎である。 
 
空想科学の発想のポイントは「なるべく突拍子もない発明品を思いつくこと」だという。 
テレビと電話といった既にあるものの組み合わせではなかなか画期的な発明までには至らないのかもしれない。 
 

たとえば今我々が当たり前のように使っているスマートフォン、その前身であるiPod。 
これなどは発表される10年前にはそれこそ「絵空事」としか思えないような発明品であったことがわかる。
「CDを100枚でも1000枚でも持ち歩けるのにCDよりも小さなポータブル音楽プレイヤー」なのだ。
「なんだその矛盾を孕んだモノは?」と、にわかには信じられないシロモノであったことだろう。
 
iPodの発表される10年前には既に音声データは当たり前にあったので想像つきそうなものなのではあるが、圧縮技術の進化で音声データを10分の1まで絞り込んだこと、またハードディスクの小型大容量化が飛躍的に進歩したことが乗算されて結果として10年の間に10×100=1000倍といった爆発的進化が起こった。
 
もしもこういった予想外の進歩がなければiPodは今のノートPC以上の大きさでの発表となったかもしれず、またiPodの登場によって周辺では大量の「来なかった未来」の枝分かれが起こり、そして消えていったであろうことがわかってくる。
 
もう少し続きそうなのでここで一旦区切る。