空想科学〜2

前回のPart1で「空飛ぶ車はいつ来るか?」といったツイートがいくつか寄せられた。
僕はこれこそが「来なかった未来」となるような気がしている。
 

まず第一に空飛ぶ車は単純に危ない(笑)。

地上30mを飛ぶ車がガス欠を起こすような間抜けな事態が起こるとも思えないが、墜落のリスクというのは相当高い。
そこまでの危険を冒してまで車を飛ばそうとするよりも、地上を完全制御された自動運転の方が現実的だろうと、ここ数年の人類の流れはそちらを選択したように思う。

第二に今amazonが開発しているドローン配送技術に代表されるように、未来の物流は低い空を飛んで運ばれるようになるのではないだろうか。
人間の墜落死は大問題だが、荷物の運搬なら弁償できるものであればどうにでもなる(笑)。
しばらくは失敗を繰り返しながらも急速に発展していくのではないだろうか。
そうなると道路の混雑の結構な割合を占める物流が道路からだいぶ減ることになり、車がわざわざ空を飛ぶ必要性もなくなっていく。
 
そして第三に今後の人類はそこまでアクセクと移動を繰り返す生活から徐々に行動範囲を狭めていく生物になっていくような気がする。
自家用車という発想そのものがどんどん縮小していき、やがては一部のお金持ちだけが趣味で所有するようなものになるのではないだろうか。
 
日本ではまだイマイチ定着していないが、Uberのタクシー配車システムは本当に画期的だ。
スマホアプリで近くにいるタクシーにコンタクトを取り、目的地も同時に伝える。
目的地までの最短距離の料金が後日クレジットカードから引き落とされるので過剰請求されることもなければ渋滞したからと料金がかさむこともない。
Uberが自動運転タクシーに完全に置き換わり、さらにシステムが洗練されれば、もはや自家用車はいらなくなるだろう。
 
いつでもどこでもスマートフォンで配車をし、一番近い車が数分で目の前に現れ目的地まで最短最安値で送り届けてくれる。
人件費のかからないタクシーなのだから料金は今の半額以下、もしかしたらさらに安いアジア標準料金になるかもしれない。
(参考までにタイのタクシーは初乗り100円、渋滞する市内を10キロ走ってもせいぜい300円程度)
 
夢物語のようなことを語ってみたが、今回はそういった趣旨の内容なのでおもいっきり夢を語っても構わないのだ(笑)。
 

さて前回からの続きである。
 
黒電話しかなかった40年前に戻って現代のスマートフォンを説明することはさらに難しい。

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コンパクトなボディーで有線ケーブルもなく、液晶ディスクプレイはもちろん見たこともない超高解像度の未知の映像クオリティ。
通話ができるだけでなく、文字によるやりとり、さらには動画を見たり音楽も聴け、インベーダーゲームを遥かに凌駕する写真のような見たこともない動きのゲームが走っている。
新聞を見ずとも最新の株価がわかり、世界中の情報がリアルタイムに入手し続けられるコンパクトな機械。

小学生の頃の僕が当時iPhoneに触ったらどう思うのだろうか?

子供だから案外順応しそうにも思うが、その当時の技術者が目の当たりにしたらたちまち発狂するようにも思う。

根本的な部分が一つも理解できない発明品。
 
しかし数十年先の技術とはそういったものであるべきなのだろう。
 

例えば今実現しつつあるが初めて聞く方にとってはにわかには信じられない「音」の技術を紹介してみよう。
 
ネックバンドデバイス」という新しいタイプのヘッドフォンなのだが、耳の中にイヤフォンを入れないタイプのイヤフォン(?)だ。
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写真のように首に引っ掛けておくだけのデバイスなので、日常音は普通に聞こえつつ自分の耳の中にだけ直接音が届くらしい。
 
原理はよくわからないが、骨の振動を利用したマイクがあるのだから逆に骨から耳に伝わる方式があっても不思議ではない気もするが、このデバイスがそういった原理で音を伝えているのかはわからない。
 
従来のように耳の中にイヤフォンを押し込まなくても音を聞くことのできる技術は他にも様々な方法で開発中だそうで、近い未来には何も装着せずとも最適なバランスで音楽を聴くことができるという。
 
今の我々には理解できないが、これはiPodやiPhoneやHDビデオ、あるいはSUICAやT-POINTといった電子決済システムを40年前の人がまったく思いもつかなかったことにどこか似ている。
 
今一度言おう。
 
根本的な部分が一つも理解できない発明品。
数十年先の技術とはそういったものであるべきなのだろう。

 

逆に言えば、現代人に予想のつく範囲はせいぜい数年先程度が限界なのではないだろうか。


数十年先の発明品を今の我々が予想をしてみたところで、ここ最近マイブームになっている「先人の未来予想イラスト」同様、非常に陳腐なモノにしかならないと思う。

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(20年後予想でも案の定大体当たっていない(´_ゞ`)ちーん ) 

コンピューターは高性能化するごとに巨大になっていくという昔のイメージは、トランジスタやCPUの発明、各部品のコンパクト化が加速していくという前提がなかったからであるし、USBという規格も想像できなかったのだから、当然64ギガバイトの極小サイズのUSBメモリーなんて想像に達することができないのも無理からぬ話なのだ。
 
50年先100年先の未来を予想するならば、現実的な思考を一切捨て去るのがきっと正しい。
 

しかし現代の人類の未来は、そういったポジティブな方向性とは真逆の、非常に暗いイメージで語られてしまっている。
 
「間違った予想」といって差し支えない人口爆発もしくは真逆の少子化問題、食糧危機、環境破壊に資源枯渇、それに加えてインチキくさい預言者や秘密結社までもが便乗してきて終末論を語られてしまっては、もはや明るくなりようがないではないか……
 
誤ったネガティブ未来観に毒された現代、、、
なんとも残念な限りだ。
 
 
そんな現代の定説に囚われずに自由で大胆な発想で夢のある未来を空想し続けた偉大な人物がいる。

科学者や発明家というわけではないが、ある意味ではそれらを併せ持ち、今もなお子供を中心に夢を与え続けている人だ。

僕自身、子供の頃からオトナになった今もなお、ずっと憧れ続けている人だ。

 
次回はそんな偉大なる人物について熱く語ってみたい。