悪魔の棲めない家

前回のエントリーをアップしたところで「あれ?そういえばホラー映画に興味のない人にとってオカルトとかホラーとかの区別ってついているのかな?」と疑問が残った。
簡単に解説をしておく。
 
ホラー映画は怖い映画全般を指す。
音楽でいうところの「ロック」みたいな大雑把な分類と思えばよい。
 
オカルトとは人間ではない超自然的存在、いわゆる幽霊や悪魔、怨霊や呪いといった定義のものを指す。
他にもサスペンス、スリラー、サイコ、モンスター、ゾンビ、スプラッター、スラッシャー、ソリッドステイト、といった感じで分類されたり「サイコサスペンス」といった感じでミックスされたりするようだが、みなさん割と勝手に命名してなんとなく定着したものが残っているといった感じだろうか。
 
ロック好きに様々なこだわりがあるように、ホラー好きにも詳細なジャンルにケチをつけてきそうな輩がいないこともないが、基本的にホラー映画全体の90%はジャンルを問わず駄作なので、貴重な良作に関してはみんなで情報を共有し好き嫌いをせず大切に愛でるといった姿勢が基本だ(笑)。
 

さて、前回の最後に「近年のオカルト映画は以前とはだいぶカタチを変えてきている。」と意味深な締め方をして終わった。
今日はそこの部分についてのさらなる持論を展開してみたい。
 
例によって怖い内容にはならないし、むしろ怖い映画が苦手な人に興味を持ってもらえるような迎合を精一杯しているので、これを機会にホラー映画に一定の興味と理解を示して頂けたらと目論んでいる(笑)。
 
 
では早速、
近年のオカルト映画は具体的にどのような変化をしているかというと…
 
物語の軸となる「人間に霊的作用をもたらせる存在」の正体が、イマイチ不明確なものがほとんどだということ。
 
オーメンやエクソシストのような教会VS悪魔といった明確な立ち位置で物語が進行するものが現代では非常に少ないのだ。
 
残虐かつ斬新な死にっぷりが売りとなっている「ファイナルデスティネーションシリーズ」などはその最たる例だ。
人に災いをもたらすオカルトちっくな存在はハッキリとありつつも、むしろ神とか悪魔といった観念とは一切関係ないことが強調されているようにも思う。
 
(作品詳細及び絶賛レビューはこちら↑)
 
もう一つ具体例を。
スパイダーマンの監督として有名になったサム・ライミ氏だが、自身の原点である「死霊のはらわたシリーズ」を今もなお作り続けている。
有名になっても自分の好きなジャンルを見失わないホラー界の偉人とも言えるし、「せっかく偉くなったのに…」と思わないでもない変わり者とも言える(笑)。
 
この「死霊のはらわた」に出てくる「死霊」にしても宗教観とかを語る以前に、ただただソッコーでスピーディーで考える余地を与えてくれない敵で、それが悪魔なのか魔界の住人なのかゾンビなのか、実のところよくわかっていない。
血飛沫ドバーッ!が慣れると笑えてくる不思議な作品だ。
(現在Huluで配信されている「死霊のはらわたリターンズ」が恐ろしいまでにくだらなくて楽しい♪)
 
 
悪魔不在
これが現代のオカルト映画の基本だ。
キリスト教やユダヤ教の定義する「悪魔」の棲める家は絶滅の危機だ。
 
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ここで声を大にして言っておきたいことは、人々から信仰心がなくなってしまったので悪魔が恐怖の対象ではなくなってしまったということでは決してない。
 
信仰心が多種多様であるがゆえに、世界のグローバル化に悪魔の存在が対応できていないということなのだ。
 
というより、民間伝承といった極々ローカルエリアで伝えられてきた怪談奇談というものは、本来グローバルの方向性には向いてないのかもしれない。
  
身も蓋もない言い方をするならば、ワールドワイドなヒットを狙う映画業界では「キリスト教限定」「イスラム圏では上映禁止」といったわざわざハードルを高くするような制約は好まれない。
 
言うならば「宗教観不在のオカルト観」というなんだかわからない設定が主流となってきているのではないだろうか?
 
 

我々日本人は「無宗教」という自覚を持っている方が多いし、僕にしても無所属(笑)だと思っている。
しかし、墓石を倒すような罰当たりな真似は絶対にできないし、神社の鳥居に落書きをするとか立ちションをするとかの行為もやはりできない。
 
政治や野球やワンピース論では意見が分かれても、こういった最低限の節度や常識に関してはほとんどの日本人が同意できるかと思う。
きっと日本人の誰しもが心のどこかで「そんなことをしたらバチが当たる」と本気で思っている。
 
これこそがもっともわかりやすい宗教観の入り口にあるものだろう。
  
「宗教」という言葉のイメージがなにか別の面倒くさそうなもの?「新興」「勧誘」「お布施」「洗脳」といったイヤな言葉を連想させてしまうのも日本のよろしくない点だと思うが、本当は「法律や条例以前に根付いている民族全体の価値観や規範」といったものが純粋な宗教観のはずだ。
 
しかし「神社仏閣で犯してはいけないタブーをテーマとした映画」はきっと日本人にしかわからないのと同様に、キリスト教にしてもプロテスタントとカトリックで教会のポジションや意味がまるで変わるし、それぞれの宗派に合わせて設定を変えて物語を作るわけにもいかない。
 
ではそういった全人類の細分化された宗教観に対応するオカルト映画を作るにはどうすればよいのか?
 
答えは一つ。
 
それはもうぶっちゃけ、対象となるオカルト要素を「よくわかんないなんか」にするしかないのだ。
全ての宗教観にフレキシブルかつマルチに対応したワルモノはもう宇宙人かゴジラかサメか、宗教観ナシの幽霊ぐらいしかないのだ。
 
以上、僕の思うオカルト映画史観でありました。
 

さて、そんな厳しい映画事情の中で120年前に生み出された古い設定を今もなお“頑なに”守り続けているジャンルがある。
 
しかも悪魔よりもさらに宗教的な限定条件があるにもかかわらず、設定の改変をする気配すらない。
それなのに世界的に受け入れられ、今もなお増産されているという謎のジャンルとは?
 
(安定の)次回に続く。