シン・ゴジラ〜強烈プッシュレビュー

初回の鑑賞から3週間、二回目の鑑賞から3日間、未だにシン・ゴジラの余韻に打ち震えている。
 
これほどまでの緻密な脚本と内容の濃さ、エンターテインメント性と社会風刺、現実的な描写と明るい未来を予感させる展望、そして旧ゴジラファンやエヴァファンへのかゆいところに手の届くサービス精神に至るまで、あらゆる要素への愛を感じた映画を僕は他に知らない。
 
現代の邦画として問題があるとすればそれは、ジャニーズやAKBタレントの起用ほぼなし(カメオ出演的に前田敦子が一瞬写るぐらい?)、男と女の恋愛要素ゼロといったあたりだろうか?(笑)
言うまでもないことではあるが、そういった要素がなければヒットしないという定説や定石こそがおかしいと断言できる。
 
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公開からまもなく一ヶ月となるのでそろそろ内容についての感想を書いてみたいのだが、今回は好事家同士が意見の交換をし合うというよりは「興味がなくもないけどどうなの実際?」といった人々を「観てみたいかも…」と思わせる方向に主眼を置くことにする。
 
また語りたいことが沢山ありすぎるので、今回は大きく二つに絞ってみたい。
 

ゴジラという映画を通ったことがないからシン・ゴジラにも興味がない。
 
案外よく聞くのがこういったシリーズ的な位置づけとしての捉え方だ。
確かに「今までX-MENを一度も見たことがないのに最新作だけ見てみよう」と思う人は少ないだろう。
ハリーポッターやエヴァンゲリオン、さらには007やガンダムのように長きにわたって様々な作品が作り続けられているものにしても、バックグラウンドとなる過去の作品を見たことがない人にとっては、新作だけを見るのはハードルが高いと感じるのも当然だ。
 
しかしシン・ゴジラに関してはそういった心配は一切無用である。
もちろん過去作品を知っていれば様々なリスペクトや自身のファン心理を満たすような喜びを感じることはできるが、あくまでもそういった要素はオマケのようなもの。
この映画の面白さの本質ではない。
 
全てのゴジラ作品に共通点があるとすれば「核実験による突然変異体」という設定であることぐらいだ。
 
シン・ゴジラの物語は過去の作品とは何のつながりもなく、前半は「巨大不明生物」としか呼称されない。
ゴジラと名付けられるのは中盤になってからで、そこでようやく旧ゴジラと同じ「民間伝承されている破壊神の名前」が引用されるといった感じだ。
 
見たことも聞いたこともない未知なる存在によって現代日本に前代未聞の大災害が起こる、という視点で描かれている。
 
 
3.11を経験した我々日本人は現代社会の大災害を目の当たりにした。
災害は一つだけではないし一回だけでもない。
地震を起点としてそこから様々な二次災害、三次災害に被害が広がっていった東日本大震災は、津波や地割れといった自然災害から施設の倒壊や火事、原発事故といった人為的災害、複合災害に発展していった。
 
シン・ゴジラで何より見応えがあるのは、そういった次々に起こっていく災害に対して毅然と立ち向かう人々の姿を正しく美しく描いていることだ。
 
戦闘終了した自衛隊員のセリフがいい。
「気落ちは不要、国民を守るのが我々の仕事だ。攻撃だけが華じゃない、住民の避難を急がせろ」
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政府や官僚の描き方もいい。
 
普通の映画だと国の機関やシステムが脆弱でまともに機能せずに窮地に追い込まれるといった描写になりそうなものだが、この映画ではそういったジレンマのようなものをほぼ感じない。
 
むしろジレンマを感じながらも果敢に行動していく官僚や政治家の姿がとにかくカッコよくて眩しくて感動的なのだ。
 
政治家も官僚も自衛官も警察官も民間機関も総理大臣も掃除のおばさんも、自分の職務をまっとうし全力で立ち向かう。
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この映画を見た子供の中には「ボクは将来カッコイイ官僚になって日本のために働きたい!」と純粋に思った子がきっといるはずだ。
「給料がいい」とか「安定している」とか「社会的信用がある」とか親の喜びそうな理由ではなく、だ。
 
利権を死守するために足を引っ張る姿や引っ掻き回すといった余計な人間の姿が一切描かれていない、ということがむしろ現代日本を皮肉っぽく描いているようでありアンチテーゼであると取れなくもないのだが…(笑)。
 
また「超法規的措置」という言葉は様々な映画の中で案外よく聞く言葉ではあるけれども、ここまで法律や公的機関の動きを正面から描きつつの発動という流れだと、言葉の重さがまるで変わってくるようだ。
 
そんな彼らが一丸となって立ち向かっていく姿がこの映画一番の見どころであり、映画全体の半分以上は会議室の中での人間描写に費やされている。
 
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巨大不明生物特設災害対策本部の面々
 

ところで「ゴジラ」とは何者なのか?
 
という問いに対して「原発批判」であるとか「隣国との戦争状態」といった見方をする人が多いらしい。
 
もちろんそういった見方もできるようにダブル、トリプルミーニング的確信犯で作られているのだろうけれども、それを言葉として発っしてしまうのは反則だと思う。
 
そういった“含み”はあくまでも含みとして個々に感じればよいことであって、怪獣映画の見方としては正しくない。
「俺気がついちゃったもんね」なんて持論を展開するのは恥ずかしい行為なのだ。
 
さらに踏み込んで考えると、自然災害にせよ戦争にせよ原発事故にせよ、被害が起こればただちに対処するという流れは現実でも同じだ。
 
自衛隊のあり方にしても「日本に何らかの被害が起こったら可能な限り即座に対処する組織」という解釈さえすんなりとできれば、現在問題となっている自衛権がどうのとか憲法の拡大解釈であるとかの論争はここまで激化しないで済むはずだ。
 
本当にゴジラのような未知の敵が来た時のためという大義名分で法整備をしておいても決して無駄にはならないだろう。
 
 
また多くのレビューを読んでいて「ゴジラはワルモノ」という短絡的な思考をする人が非常に多いことを知り、僕はとても残念な気持ちになってしまった。
 
この映画の根幹に関わるテーマでもあるので、ここは声を大にして主張しておきたい。
 
ゴジラは確かに人間の造った街を壊し、甚大な被害を巻き起こす忌むべき存在として描かれている。
しかしゴジラは基本的には「歩いているだけ」なのだ。
 
これは映画の中のセリフでも2回ほどフォローされているのだが、たまたま東京に上陸してしまっただけなのだ。
そこには悪意や敵意を始めとする一切の感情もなければ理由も目的もない。
台風に意思がないのと同じともいえるし、門柱にオシッコをかける野良犬を器物破損罪で訴えるようなものでもある。
 
このニュアンスだけはしっかりと認識していないと的外れな内容に誤解されかねないので、これから観に行く方はそこだけは押さえていただきたいと思う。
 
ゴジラは人間に危害を加える目的があって東京に出現したわけではない。
 

……当然のように語り足りない(笑)。
Twitterではすぐにブログにするようなことを書いておきながらこのザマである。
 
エヴァや気になった過去の他作品のチェックをしていろいろ考え倒した挙句、それらの要素を今回は一切語っていない。
 
……当然のように語り足りない(再)。
 
次回は逆に「今回のゴジラは面白かったけどエヴァを見たことがない人」をターゲットに「え?エヴァ見なきゃまずい?」と思わせるような視点で語ってみたい。
 
つづく!