月別アーカイブ: 2016年12月

整理整頓

年末といえば大掃除。
 
僕は基本的に掃除という作業が大嫌いだ。
几帳面な性格と思われがちだが、実のところマメな部分とズボラな部分が両極に偏り過ぎており、日常の生活に問題をきたすことが多い。
 
掃除に関しては例えば、パソコンやハードディスク周りは非常に合理的かつスッキリと整理されている。
バックアッププログラムが常に走っているし、パソコンのデスクトップが散らかっていることは許されない。
(ヤラセなしの僕のPCのデスクトップ)
 
大昔に読んだ記事に「人間が視覚的に瞬時に判別がつくのは6つまで」という整理術に深く感銘を受けたことも大きい。
 
そしてこういったパソコンの整理について考える度に思い出すことがある。
25歳の頃に所属していた事務所スタジオ内での「几帳面VSズボラ」の戦いの日々の話だ。
 
対戦相手は同業者マニピュレーターY氏。
 

当時その事務所にはマックが複数台あったものの、やはりどうしたってフルスペックのマックを使うのが一番効率が良く快適であったので、僕達は時間を決めて一台のマックを交代で共用して使っていた。
そこは問題ない。
(当時のマックとわたくし。若い!)
 
基本的には二人とも同じソフトを使っていたのだが、細かい設定などが違っているのでそれぞれ自分用のセッティングというものがあった。
これは起動するシステムを切り替えることによって簡単に解決できていた。
そこも問題ない。
 
問題はファイル管理の方法であった。
 
僕はフォルダーに日付とタイトルを入れるクセが当時からついていたし、デスクトップに余計なものがあるのを極端に嫌う潔癖性も当時からのものだ。
 
対する彼は細かいことは一切気にしない漢らしい性格であった。
いろいろ突っ込みたいことは沢山あったが、どうにも僕を混乱に陥れた大雑把っぷりとして、ファイルの名前がテキトーすぎるということがあった。
普通クライアントの名前とか、仕事の分野別とか、するものでしょう?(-“-)
 
ところが彼はどんな仕事であろうともファイルの名前はいつも「123」とつけるだけ。
マック以外の外部機器も123という名前のものばかり。
まるでドラクエの主人公に「ああああ」という名前をつける人みたいだ。
 
マックはシステム上、同じ名前のものを同一階層に置いておくことが出来ない。
「123」という名前のものを二つ作ることは結構やっかいに属することなのだが、なんと彼は「名称未設定フォルダー」を作ってそこに新たな123を作り続けた。
 
当然「名称未設定フォルダー」も同じ名前は存在できないから「名称未設定フォルダー23」「名称未設定フォルダー43」など、どんどんわけのわからないフォルダーが増えていき、デスクトップは「名称未設定フォルダーxx」だらけになる。
 
外部機器にも「123」「123copy」「123final」「123true final」などの名前が並んでいる。
 
たまに「456」という名前のファイルもあったが、僕からしてみれば「意味をなさない名前」であることに変わりはない。
彼はそんなズサンとしか言えないファイル管理で共用スペースを侵食しまくっていた。
(画像はイメージです)
 
しかしどうしてこれで仕事が成立しているんだろうか?
“あの123”と“この123”をどこで見分けているのか?
 
不思議で仕方がなかった。
 
 
しばらくしてその不思議の正体が明らかになる事件が起きた。
 
どうにもガマンが出来ずに僕がデスクトップに散らかっていた彼のそのファイルを「要整理!」と名前をつけたフォルダーにひとまとめに放り込んだ時である。
なぜそうしたかといえば、自分で作った新規フォルダーがどこに作られたかわからない程にデスクトップがゴチャゴチャになっていたからだ。
 
僕からしてみればデスクトップにあるものをフォルダーに入れてもまったく問題なしとしか思わなかったのだが、彼はどうやらデスクトップに散乱した細かな位置でファイルの把握をしていたらしい。
キチンと整頓されてしまったおかげでどれがどれがわからなくなってしまったと言うのだ。
 
そりゃわからなくもなるはずだ。
フォルダー名は「名称未設定フォルダーxx」、ファイル名は「123」しか存在しないのだから。
 
しかしこちらだって逆ギレである。
「うるせー!だったらちゃんと名前ぐらいつけろタコ!」
「そっちこそ締め切り守れカス!」
 
胸ぐらのつかみ合いに発展しそうな勢いの口論になったが、振り返ってみると実にくだらない理由であった。
 

そんな日々から25年。
今思えばその事務所にいたのは2年ほどの短い期間だった。
終わりがなく次々と入り続けてくる仕事をひたすらY氏と二人、信じられないような薄給でこなし続けていた「戦友」のような仲間である。
 
一週間会社に泊まり込んでひたすら締め切りに追われ気絶するように机の下で寝るような、、、、何日も風呂に入れず一日1回コンビニに行く以外はずっと作業しているような、、、、それが年間通してずっと続いているような、、、、
 
お互いに「二度とあの生活はしたくない」と断言できる程にすさんだ日々だった。
 
逃げ出すようにその会社をやめた後、二人とも同じ仕事を続けながらも離ればなれになっていたが、メールや電話のやりとりはなんとなく続けていた。
 
その後15年ぐらい経ちしばらくぶりにY氏の仕事場に行き仕事環境を見せてもらった時もデスクトップは相変わらず派手に散らかっており、
「123」「123copy」「123final」「123true final」などの名前が並んでいた。
 
性格もファイルの名前もまったく変わっていなくて大爆笑してしまった。
 
こんな大ざっぱな性格の彼なんであるが、ひとたび作業に突入すると僕などとは比較にならぬ程にきめ細やかで丁寧で繊細なデータを作りあげるようなマニピュレーターであり、僕の最も身近な憧れの人物でもあった。
 
 
そんなY氏ともさらに早10年会っていない。
しかし一つだけ確信することは、彼のパソコンのデスクトップは今も何も変わってないであろうということだ(笑)。
 
123
 
年の瀬ではあるが久しぶりに連絡を取ってみようか。

腸内妄想

前回のR-1腸内及び体質改善の日々を送っている続きの話である。
しかしここから話はややSFチックな妄想に発展していくことになる。
 

小腸というものは人間の身体の中でもまだわかっていないことが多い臓器なのだそうだ。 
 
口の中からカメラを入れても、あるいはお尻から入れても小腸までは届かない未知の領域という意味で、人類にとって月に行くことよりも困難な深海に例えられるほどだ。
 
その小腸のことをちょっと調べてみるだけでもいろいろと興味深いことがわかってくる。
 
中でも特に面白いのは、小腸は脳からの指令を受け取らなくても自ら判断して動く唯一の臓器であるということ。
 
独自の神経系を持ち、1億を超える脳細胞のようなものを持ち、ニューロンの数は脊髄や末梢神経よりも多い。
 
頭痛薬などの効果にしてみても、小腸まで到達した薬が腸内の毛細血管を通って脳に作用するといった流れで考えてみると「合わせて一つ」とも思えてくる。
(案外こいつ賢いのかも?ってこの子は大腸君だ)
 

「第二の脳みそ」と呼ばれることもある小腸なのだが、仮にもしも“意識”のようなものがあるとしたら?
脳みそとは違う別の思考をするもう一つの人格のようなものがあったら?
 
R-1を欲している自分に気がついたときにこの妄想がスタートした。
 
R-1を飲み続けていて嬉しいのは、尾籠な話で申し訳ないがとにかく快便の日々に恵まれるということだ。
硬すぎず柔らかすぎず、少々飲み過ぎてもかろうじて固形を保ってくれるし、逆の便秘気味からも解放される。
 
二日酔いや花粉症の軽減などに加えて実に頼もしい。
 
 
もしもこの第二の脳みそがR-1を定期的に摂取し続ける腸内を快適だと感じていたとしたら、その気持ちを僕自身に伝えるために何をするのだろう?
 
「いつもR-1を飲んでくれてありがとう!感謝の気持ちに素敵な快便生活をどうぞ!」だけではなく、さらに一歩踏み込んでいくのではないだろうか。
つまり快便生活のみならず、栄養バランスを意識しはじめ酒の量を減らし規則正しい生活リズムになるよう、さりげないシャドウワークをこなしているような…
 
深夜まで酒を呑んだくれていたい自分の感情とは裏腹に、すぐに眠くなってしまうなどの“奇妙な違和感”を感じ始めたのも、思えばR-1を飲みだしてしばらく経ったあたりではなかったのか?
 
……なにかがおかしい(-“-)
 

話は唐突に変わるが、カタツムリに寄生する“ロイコクロリディウム”という虫の存在をご存知だろうか?
 
略称“ロイ君”は鳥の糞の中で卵の状態でジッとしている。
その糞をカタツムリが食べてくれるのをひたすら待ち続けているのだ。
 
やがてカタツムリがその糞を食べると体内で卵が孵化し、カタツムリを宿主として寄生する。
そこまでは比較的普通の寄生生物なのだが、ここからが凄い。
 
ロイ君はある程度大きくなってきたらカタツムリの体内からツノに移動し、異常に肥大化し緑色に変色したツノに変形をし、さらにイモムシのようなウネウネした動きを繰り返すのだ。
(画像検索及び動画検索をすると軽いトラウマ級の衝撃が待っているので今回はロイ君の挿絵を描いてみました(笑))
 
しかも本来夜行性のはずのカタツムリを昼間に活動するよう体を操り、さらには葉っぱの先のような視界良好の位置に移動してツノをウネウネ動かすのだ。
 
結果、操られたカタツムリは鳥に捕食されやすくなり、案の定パクッと食べられてしまう。
そしてロイ君はまんまと鳥のお腹の中に辿り着き、新たな宿主として鳥に寄生をしてまた卵を産む。
 
さらなる循環&連鎖、カタツムリに捕食されるために。
 

体長数ミリの小さな虫がそんなことをやってのけてしまうのだ。
 
それを思えば、人間の第二の脳が酒飲みの酒をセーブすることぐらい朝飯前のような気もしてくる(笑)。
 
もし、もしもですよ?
 
もしも小腸が第二の脳として「この人間放っておいたらバカみたいに酒を飲み続けてしまいには肝臓癌になって数年後には死んでしまうのでは?」と危惧した結果「とりあえず酒飲ませずに寝かしとけ」という判断をして強制的に睡魔が訪れるように仕組んでいるのだとしたら?(-“-)
 
その理想的な流れを維持するためにR-1を求めるように既に僕のことを操りはじめているのだとしたら?
ジッと腸全体を見ていると……
本当に「もう一つの脳みそ」に見えてくるようではないか。
 
しかも快適な腸内を維持することは人間としての日常生活に様々な恩恵をもたらしてくれるわけで、今の生活パターンを維持したいと自然に思ってしまっている自分は、R1&腸内改善という感動的な思いを伝播すべくブログまで書いていた。
 
まるでR-1を媒介として小腸支配を促す吸血鬼かゾンビか、あるいはロイコクロリディウムに操られているようではないか。
 
そのことに僕は気がついてしまったのだ!
 
ああ!僕はもう小腸に支配されている!
 
既に半分乗っ取られている!
 
今日もまたR-1を飲み、快便に恵まれ、適度の酒に満足して眠らされてしまうのだ!
 
そして早起きは三文の得とばかり健康で快適な一日の始まりをまた迎えてしまうのだ!
 
助けて!誰か!
 
助けてくれぇぇ!
 
……なくていいですよ(・∀・)
 
ー完ー
 
※これは明治R-1の広告やステルスマーケティングではありません。
…もちろん営業妨害であるはずがありません(笑) 健康第一。

食習慣

僕は長年起床時間が遅かったこともあって(音楽業界の朝とはそれすなわち昼のことをさす(笑))、ここ30年近く朝食という習慣がないまま今に至る。
 
しかしこの4〜5年の間に自分の中では比較的早起きになってきており、今は午前7時前後の起床が多い。
さらにここ数ヶ月は晩酌を早めに切り上げて寝てしまうことも増えており、そんな時は朝方の4時半に目覚めてしまうこともある。
 
そういった意味では規則正しいというわけではなく、ジワジワと朝方……つまり年寄り傾向一直線なのだ(笑)
 
早くに寝てしまうことによる一番の恩恵は、「深酒をしなくて済む」ということであろうか(笑)
 
当然生活のリズムが変わってくると食生活にも変化がやってくる。
 
とはいえ起きてすぐに食欲があるわけでもなく、満員電車に乗って通勤するわけでもないので、午前中お腹が空くまではコーヒーを一杯飲む程度である。
 
お腹が空いてもないのに規則正しく食事をとるのは生物的には誤りであると思っている僕なので、そこはまったく気にしていない。
 
お腹が空いたら食べる。
 
満腹のライオンは目の前のシマウマを襲ったりはしない。
 
普通の人にとっては十分遅い時間に朝食をとる。
時間は大体午前10時から12時までの間のどこかになる。
麺類が好きなのでそば、うどん、ラーメンなどを作って食べることが多い。
(…と書くと必ず「え?ラーメンは年に3回だけだったんじゃ?」と鬼の首を取ったようにツッコミを入れてくる人が後を絶たないのだが 、前々回このブログでもこの夜ラーメンについて言及したばかりでもあるし、めでたく2回目の夜ラーメンを完遂できたことはツイッターでも報告済みであるが、念のため僕が年3回に制限しているのはあくまでも「夜ラーメン(主に飲みの席の〆)」であり、夜8時前に食べる分には夜ラーメンとしてカウントをしないというルールもあり、これは前回の補足となるが、そもそも夜ラーメン禁止令というのは当時の乱れまくっていた食生活を改めるために施行したオキテであり、ぶっちゃけ今となっては解除してしまっても構わないし、夜に食べるラーメンが年10回になろうともそれで荒れた日々に戻ってしまうような事態に陥ることのない自信はある。長い括弧終わり(笑))
 
ところで昼前に食べるラーメンというのはそれはそれでやや問題がある。
 
そばやうどんならともかく、心情的に朝っぱらからラーメンは食べたくないのだ(笑)。
昼食にラーメンはセーフなのだけども、朝食もしくはブランチでラーメンは理屈ではなくイヤなのだ。
 
しかし正午まではもちそうもない空腹具合でしかもラーメンが食べたい場合……
11時半までは粘ることにしている。
(自分の中のブランチの感覚はなんとなく午前11時あたりに境界がある)
 
なんとなく四捨五入して正午だと午前中のラーメンでもギリセーフな感じがするのだ。理屈ではなく(笑)。
 

話が逸れまくったが、自分の中でここ1ヶ月間かなり健康的な生活を送っている。
 
ライブツアーも終わり生活のリズムをコントロールしやすい期間というのも大きいのだが、早寝早起き、快眠快便、飲河満腹、案常処順といった趣の生活になっている。
 
そしてふと思うのだ。
 
今年の春に封印したある習慣を再開したことによって今の穏やかな日々がもたらされているのではないかと…
 

11月の北米ツアー時あたりからお腹の調子が悪くなり、病院で検査もしてもらったのだが特に異常はなし。
 
ここ最近の病院の診察はどの科も「加齢が原因です」の一点張りで実に愉快ではない(笑)。
 
しかしお腹の調子は視力や聴力と違って改善のしようがある。
 
「体質改善」という言葉はなんとなく響きがいいし、若い人にはピンと来ないかもしれないが、中年のオッチャンには結構アツいワードだ(笑)。
 
というわけで、一度は封印した
 
R-1生活アゲイン!(・∀・)
つい先日、某番組でのステルスマーケティング騒動が起こったばかりのR-1ではあるが、そんなのお構いなしである(笑)。
 
前回は2週間ほどでその効果の高さにビビって常飲するのを止めたわけだが、今回は実験を兼ねて飲むペースを最初の一週間を過ぎたあたりから毎日ではなく一日置きにしてみる。
(効果の高さをレポートしたエントリーはこちら→「二日酔いの特効薬」
 
単純に日々のことなので、同じ効果ならば経済的にも少ない方がいろいろと都合がよい。
(だってね奥さん、毎日飲むのと一日置きに飲むのとでは月1,950円、年間23,400円の差額が出るんですのよ。スーパーのセールで102円で売られていた時はまとめ買いしてしまいましたわってやーねこまかい話で)←とはいえ賞味期限が短いのであまり大量のまとめ買いはできない
 
結果、毎日飲むのと全く同じ効果が持続しつつ、健康な日々を優しく包み込むようにサポートしてくれているような……
 
穏やかな日差しモード突入!
(・∀・)
 
しかし、ある種の疑問が沸き起こる。
 
「え?これは…まさか!」
 
ってまさかのここから一気に別の方向へつづく。

TR-808

Roland TR-808
 
名前を知らない人は多いだろうけど、この音を知らない人はまずいないと断言できる。
 
発売から30年以上経った今でも日常的によく聴くリズムマシンサウンドだ。
 
しかしこの楽器は、発売当時の日本では残念なことに活路を見出せず、従来のリズムマシンの延長上としての用途でしか定着しなかった。
 
今思うにローランドという日本のメーカー品はこのパターンが実に多かった。
 
この808にせよその後の909にせよ、もっといえばベースシーケンサーTB-303、10万円台前半の廉価版シンセサイザーJUNO-106など、「名機」と呼ばれるまでに発売から数年を要したのは「日本人の誰もが名機たる使い道を思いつけなかった」からだと思う。
 
鳴かず飛ばずで生産が中止となり、中古品となって世界中に流れ、安価で購入した黒人ミュージシャンが「お、なにこれクールじゃん!」と斬新な楽器としての新たな手法や奏法を思いつき、そこでようやく楽器として息を吹き返す。
 
そのタイムラグ、実に数年。
 
そういった時代の経過を必要とする楽器であり、メーカーであり、日本製品であったように思う。
 

808といえば、僕が一番最初の事務所に入った頃には既にドンカマ、いわゆるクリックのほぼ専用機としてしか使われていなかった。
時代はサンプリング音源の過渡期。
ドラムとは似ても似つかないドラムマシンはそっぽを向かれていた。
 
SBX-80というシンクロナイザーとDINシンクというMIDIよりも優秀な精度のシンクロ方式で「キッコッコッコッ」と鳴らすためだけに、今からすれば贅沢すぎる808の実機を使っていたのだ。
(テンキーが通常の電卓とほぼ同じ大きさ。つまり巨大な電卓のようだった(笑))
 
それでも時々はクリック以外の用途、リズムパターンを組んで808サウンドを録音する時もあった。
その時に感じた独特の質感がとても好きで、小さなツマミで調整する音質は再現性も曖昧な上に“オペレーション”と呼ぶのもどうかと思うほどにぶっきらぼうな操作性だった(笑)。
 
当時のこういった電子機器は各メーカー間でろくに規格の統一もされておらず、海外からの輸入品には満足な日本語マニュアルすらなかった。
各メーカー好き勝手に決めた数値や用語をそれぞれ覚えなければならなかった。
 
それはそれで「機械を操作している感」がとても楽しく、その難易度に挑戦するかのようにシンセをいじり倒すことに生きがいを感じていたシンセ少年の自分にはとても良い時代だったのだろう。
不毛な単純作業を嬉々としてこなす日々であった。
 
まだこの頃は「マニピュレーター」という用語は存在せず、シンセサイザープログラマーが一般的な職業名だったと記憶している。 
 

それにしても一つのリズムマシンに特化した映画ができてしまうとは!
 
 
尚、映画やCDのリマスターのみならず、最近は楽器もHDリマスターのような復刻を様々なカタチで遂げるケースが多い。
 
ほとんどはコンピューターの画面内に再現される「エミュレート」といった方式によるものだが、同社から現代風に作り直されたハードウェアとしてリメイクされるといったケースもあったりして楽しい。
 
現代版の808とでも言うべきRoland TR-8 (51,840円也)
 
機械の正常進化とはこうあるべき!
 
と主張しているかのような未来風のルックスになっているのも興味深い。

夜ラーメン

 
夜にラーメンを食べてもよい回数を制限している。
 
2008年から始めた習慣なので今年でもう9年目になるのだろうか。
 
それまでは冗談抜きに週に3回とかの鬼ペースで当たり前のように食べ続けた夜ラーメンだったのだが、肥満の大敵であることに間違いはないし、ラーメン一杯に罪はなくともさすがにその回数をずっと繰り返していたら命に関わってくるだろう。
 
当時「一念発起してダイエットをする!」と宣言した以上、まずはこの悪しき習慣を断たねばなるまい。
 
かくして深夜に食べるラーメンを禁止とする生活にスイッチをした。
 
最初の一年はまさに試練の年だった。
折しもVAMPSの新たな活動がスタートし、全国ツアー、各地籠城(10日〜2週間といった長期間滞在)、毎晩果てしなく繰り広げられる打ち上げやら酒宴やら宴会やらって言葉が違うだけで内容は全部同じだ(笑)。
 
当然「んじゃシメのラーメンでも行きますか!」といった悪魔的誘惑も多い。
 
その度に黒い欲望が身体の節々からジワジワとにじみ出てくるような……
のっぴきならないお腹の虫が常にグゥと鳴ってるような……
 
みんなが車から降りてラーメン店に入って行く後ろ姿を恨めしそうに見送ったり「ボクもう帰る!」と半ベソで振り切っていたりしたものだ(笑)。
 
博多とんこつ、札幌みそ、大阪神座、名古屋台湾ラーメン、仙台……
 
すみません。コレを書いている“いま”は深夜の1時半を回っており、軽く空腹になってきたこの状況で「えーと仙台にはどんなラーメンがあったかな?」と検索をしてみたらば……これはもう完全に自爆食テロ行為であった。
 
美味そうな食べ物の画像検索なんてお腹の空いた深夜にやるべきではなかった!
 
ヤメヤメ!もう寝る!
(あなたにとって食テロになったらごめんなさい。というか喰らえ食テロ!←)
 

おはようございます。
朝目覚めて落ち着いたところで再開する(笑)。
 
週三回ペースがどこまで本当だったのかはわからないが、年間100回は普通に食べていた夜ラーメンをいきなりゼロに制限する試みではあったが、意外にも初年度に早速達成されてしまったのである。
 
やればできるじゃん!
 
しかし周囲からの「そこまで厳しく律することもないでしょうに」という意見を真摯に受け止めることにする。
こういうときだけはやけに聞き分けのよい自分が好きだ(笑)。
 
せっかく地方に行ってその土地の名物を食べないというのももったいない。
かくして翌年の2009年からは「夜ラーメン全面禁止」から「夜ラーメンは各地で1回のみ許可」とマイルールを改定する。
 
ここで進化したiOS10の新検索機能を使って画像検索「ラーメン」をしてみた。
 
……これはいかん!
 
一部うどんの写真も混ざっているとはいえまたもや自爆食テロではないか!
ヤメヤメ!
昼飯前の空腹時だというのにこんなブログ書いてられるか!
別のことをする!
 
というか今日のお昼はラーメン作って食べる!
(意外にもヒット数が少ないのはiPhoneの写真は比較的マメに整理しているからであって、パソコンの中には凄まじい量のラーメン写真が入っていると思われる。が、さらなる自爆食テロ追加はイヤなのでもう検索はしない(笑)。
というか、iOSのような便利なワード検索機能はパソコン版にはまだないようだ。決してiPhone「写真」の右上にある虫眼鏡マークに「食事」なんてワードを入力してはいけない。絶対にだ!←
 

話がなかなか進まないが、ようやく今日の本題に入る。
 
各地で1回を許可した夜ラーメンだが、結局激しく動揺するのは博多ぐらいであることが判明した。
 
他の土地でもラーメンの誘惑はあるにせよ、東京戻りの昼に持ち越せば済む話であることも実感でき、翌年の2010年には「年に3回」にさらに改定された。
 
 
年に3回の夜ラーメン権利。
 
今年はまだ5月に博多で使った1回のみのまま師走を迎えてしまった!
 
しかしこれ、実はそんなに珍しいことではなく何度か権利を放棄した年があったはずだ。
 
自分のツイートを「夜ラーメン」でログ検索してみたらば22件のヒットをした。
(案外執念を持って臨んでいるワードであることがうかがえる(笑)
 
2008年…0回
2009年…不明
2010年…不明
2011年…1回
2012年…4回ってダメじゃん!
2013年…3回
2014年…2回
2015年…3回
2016年…1.5回(シェアして食べた一口をカウントしている律儀な自分)
 
あれ?思ったよりは少なかった(´_ゞ`)ちーん
 
今年にしてもまだ1回だけかと思ったら0.5という中途半端なシェアをしていた(笑)。
 

さて、2016年も残りあと10日ちょい。
 
あと1.5回の権利を残しているのだが、忘年会のたぐいは今年は本日の夜がラストの予定。
つまり今日の夜を逃すとおそらくは今年もまた権利失効となってしまいそうだ。
 
食べるなら今晩!
 
年内ラストチャンス!
(・∀・)(・∀・) 

PPAPと恋ダンス

IT技術の進化で自分が意識せずとも情報が目の前にぶらさがってくるような時代になってきたという前回の内容から、今日はさらに一歩踏み込んだ内容を考えてみたい。
 
便利な情報の取捨選択機能はGoogle社を始めとするIT業界の活躍によるものだけではない。
我々の能力もまた確実に向上しているようだ。
そのことに気がついたのはお恥ずかしい話なのだが、実はつい最近のことだ。
 

僕は普段滅多にテレビを見ない。
リビングのテレビがついていることはあるし健康番組や特番を見ることはたまにあるが、毎週楽しみにしている番組や習慣で見るニュース番組などが一切なくなった。
 
夏前ぐらいまでは「ホンマでっかTV」「マツコ有吉の怒り新党」「TVタックル」ぐらいは録画をして見ていたのだが、それもここ最近は見なくなってしまった。
 
在宅時の限られた自由時間の中で優先されるべきものに“PS4のゾンビゲーム”が加わったからではないかと思われる。
というか間違いなくそれ(笑)。
(最近は追加シナリオ「ザ・フォロイング」に突入。終わりなきゾンビ世界(*´艸`) )
 
朝の連続テレビ小説を見たことは一度もないし、大河ドラマは「黄金の日日」が最初から最後まで見た唯一の作品だ。
(松本幸四郎さんが若すぎる件←)
 
最後にハマったドラマは5年前の「JIN完結編」のような気もするし、とにかくテレビとの関わり合いが薄い。(追記:「半沢直樹」でした(笑))
 
テレビをリアルタイムではなく録画で見るだけでまずは「CM離れ」という現象が起こる。
話題のCMを知らないまま過ごす日々だ。
 
さすがにソフトバンク家族の初期構成ぐらいは知っていたが最近はもうなにがなんだかだし、auの昔話シリーズなどはほぼ全然わかっていない。(ほとんどテレビを見ていなくてもなぜかそのレベルの情報程度は入ってくる)
 
さらに録画すら見なくなると今度は「ブレイクしているお笑い芸人さん」であるとか「流行っているドラマが何であるか」すらわからない日々に突入していく。
 
ちなみに僕はDAIGOがブレイクする随分前から面識があるのだが、終演後の楽屋等で軽く会釈をする程度の関係だった。
「あれ?いつもライブを観に来ている笑顔のお兄ちゃんによく似た人をこの前テレビで見かけたような…」と思い、次に打ち上げで会った時に「あのぉ、もしかしてこの前テレビに出てた?」とおそるおそる聞いたという恥ずかしい経緯がある(笑)。
 
すっかりブレイクした後もしばらくは気がついてなかったのだ。
(腰が低く礼儀正しい好印象キャラは今も昔もまったく変わっていない)
 
こういった恥ずかしいことが起こらないためにも、「ホンマでっかTV」一本だけでも見ていたいのだ(笑)。
 
ゲストに人気俳優やお笑い芸人さんが出たりするので、最低限の時代の流れのようなものを窺い知ることのできる僕の数少ない芸能ソースだったのになぁ……だがゾンビ優先(笑)
 
今となっては既に忘れられかけた名前かもしれないが、ここ数年の一発屋さんで知っている人はスギちゃん日本エレキテル連合ぐらいで、8.6秒バズーカを見たことがなければクマムシの歌を聞いたこともない。
瞬間的に「時の人」 としてお茶の間を席巻する一発屋さんに遭遇できる確率が著しく低いからだと思われる。
 
 
ここ最近流行しているらしいピコ太郎の名前やルックスはさすがに知ってはいるけれども、“PPAP”なるものを聞いたことは実のところ一度もない。
「恋ダンス」にしても見たことも聞いたこともないが、やはり存在そのものは知っている。
 
もちろんどちらも知ろうと思えば10秒後には見ることも聞くこともできるのだろうが、特に興味がないので知らないまま過ごしているし、ここまで知らずににきたのだからもはや意地でも知ろうとしないだろう。
“PPAP”は数日前のFNS歌謡祭でチラッと見てしまったが(笑)
 

例えとしてテレビというメディアと芸能ネタにしたけれども、政治にしても社会にしても関わり方や扱い方は同様だと思う。
我々は自分に向かってくるあらゆるジャンルの情報に対しての取捨選択を常にし続けている。
 
情報をひたすら与え続けるのがテレビや広告やIT産業の役目であるのならば、我々は自分にとって必要な情報を選別し、いらない情報はどんどんシャットアウトしていくという能力をより強力にしていく必要があるのだ。
 
なんでも無条件に許容していってはいけない。
 
新聞による社会全体のゆるやかな洗脳のようなことは、歴史を紐解けばいくらでも証明することができる。
 
近年の過剰なマスコミの姿勢にネット社会が敏感に反応しているのも興味深い現象だ。
 
政府や企業がひた隠しにしたい“不都合な真実”であってもグイグイ知りたいと能動的に探っていけるネットは、ここ数年彼らにとっては非常に厄介な存在となっていることだろう。
 
しかもネットの情報は基本無料でいくらでもたぐっていけるので、軽い閲覧はもちろんのこと、深く知りたい場合も相当詳しく理解できる部分まで踏み込んでいける。
(玉石混淆。ネットには正しい情報と誤った情報が入り混じっているので、そこを見極め判断するのにも能力が問われるが)
 
さらに自分にとって必要な情報であると思ったのなら、ネットを介して専門書を購入するなりのステップにもすぐに進める。
 
最近の物流スピードは異常とも思えるほどで、朝に注文した本が夕方には配達されてくる。
その時間すら惜しいのであれば、有料情報サイトや有料メルマガの購読といった手段もある。
 

自分に必要な情報は100ある中から識別し、自分にとって不要な大部分はスルーしていく。
 
IT技術が進化しても結局のところは自分で情報の取捨選択をしているし、その判断の連続が“日々そのもの”とも言える。
 
「自分という個を確立するため」は大げさすぎる表現かもしれないが、均一化を目指す社会の流れに一切抗わずにいると、恐ろしいほどに平坦な人間になってしまいそうで、それが僕は怖いのだ。
 
 
グローバルという言葉が高らかに謳われるようになってから久しい。
 
しかし、みんながみんなグローバルを目指してしまったら世の中はとんでもないことになってしまう。
適材適所の役割があってこそのグローバルなのだ。
 
そして真のグローバルはローカルにあり。
 
ローカルが繋がっていくことこそがグローバルの本質であり、語学力を身につけることやコミュニケーション能力を高めることは、全体の流れの中のほんの一部でしかないと僕は思っている。
 
しかし現代の日本はその“ほんの一部分”でしかない能力を伸ばそうとした教育ばかりが盛んなようだが、“日本そのもの”の部分なくして一体なにを世界につなげるというのだろうか?
 
ローカルなくしては何も始まらない。
 
ローカルとは固有の特性であり、つまるところは個性そのものだ。
そこを軽んじては決していけないと思う。
 
そのためにすること、まずはテレビを見ることをやめてゾンビゲームをやる。
 
……え?
 

PPAPと恋ダンスを知らないことを相当驚かれ笑われ呆れられバカにされたのが悔しくて最大限理屈っぽい言い訳をしてみたわけだが、どこまでいけますかね、これ?
 
というちゃぶ台返しのどんでん返しで終わらせてみる。

情報の取捨選択能力

難しそうな表題ではあるが、内容は全然そんなことはないのでご安心あれ。
 
2年ぐらい前からネットを通じて不思議なことが起こり続けていた。
自分の知りたいと思っていたこと、興味のあると思っていたことなどを実にタイミングよく見つけられるのだ。
 
能動的に検索をするまでもなく、サイドバナー記事に表示されたりネットニュースの記事になったりするのだ。
 
「なんとまぁタイムリーなこと!」と深く考えずに情報を享受していた。
 
この能力は今もなお健在で、朝起きてパソコンを開いて定期巡回しているいくつかのサイトを巡るだけで大体の知りたかった情報を知ることができるし、ちょっと検索をかけるだけでほとんどの疑問が解消できてしまう日々が続いている。
 
そんな、便利で不思議な現象を実感しているのは僕だけではなく、実はみなさんも同じだろうと思われる。
 
気がついている人はとっくに気がついていることであると思うが、今日はそのことについて補足説明をしておきたい。
 

最初に違和感を感じたのは無料メールアドレスを使っての友人とのメールでのやりとりだった。
 
メールの会話の中で「品川区のマンションって今はいくらぐらいが相場なんだろうか?」といったやりとりをした翌日、普段利用しているSNSやニュースサイトのバナー広告に「品川区のマンションをお探しなら!」という不動産広告が入り始めたのである。
 
今でこそ常識となってしまったこれらの広告戦略だが、仕組みを知らずに利用していた5〜6年前のことなので非常に不気味に思ったものだ。
 
「Googleはメールのやり取りを盗み読みしている!」という何ともアナログちっくな表現のウワサが立ったのもこの頃だろう(笑)。
 
もちろんGoogle社員が人のメールをいちいち盗み読みしているわけがない。
そんなヒマな会社であるはずがないし、実に効率が悪く不合理なやり方ではないか。
Google社に限って絶対にそんなことをするわけがない、とさすがに思った(笑)。
 
しかし盗み読みこそしていなくとも、どんな情報のやり取りをしているのか?といったワードは常に自動的に記録され続け、膨大な情報として蓄積されていき、「僕」という個人情報が今もずっと構築され続けている。
 
サイトの先々のバナー広告に展開されているのは、そういった情報を利用したごく一例に過ぎないのだろう。
 
不気味なようではあるが、見方を変えればこれはとても合理的な方法だ。
自分は一体どんな情報の構築をしているのか、Googleはどんな把握をしているのか実に興味深い。
 
興味のある車、興味のあるアーティストの新譜情報や新着情報、ショッピングサイトでチェックした商品の動向、チャンネル登録しているYouTubeの更新情報から明日のローカル天気情報まで。
 
携帯メールが鳴ったりわざわざ電話がかかってきて「本日は耳寄りの情報をお伝えしたくお電話いたしました!」なんてぶしつけな押し付けをしてくるのではない。
それら日々のささやかな情報は、視界の隅で控えめに表示されているにとどまっているだけなのだ。
 
自分の情報が蓄積していけばいくほどに自分に必要な情報が集まってくるので「ちょうど知りたかった」といった情報を手繰り寄せやすいという仕掛けがすでに出来上がっているということになる。
 
つまり、自分の能力ではなかったということになるのだ(笑)。
 
この機能に関して一つ不満があるとすれば、興味を持って検索をして無事購入できた商品であっても、しばらく表示され続けるという点だろうか?(笑)
「それもう買いましたけど?」とサイドバナー相手にツッコミを入れたくなる数日間が始まる。
 
参考までにGoogleニュース等はAIの判断のみならず自分好みのカスタマイズをすることも可能だ。
 
 
 

この流れから圧倒的に遅れているのが「楽天市場」で、利用すればするほど大量のメールが送りつけられてくる(-“-)。
「メルマガには登録しない」「すべて解除」としているのになぜかやってくる。
迷惑メールとして何度登録しても易々と突破してやってくる(-“-)。
 
非常にウザいのでメールアプリの「振り分け機能」に片っ端から登録していって強制的に迷惑メールボックスに葬り去る設定をしまくることによって受信ボックスへの侵入を回避することに成功した。
 
利用者である俺様にこんな煩わしい設定をさせる企業のやり方はもう古いと思う。
押してもダメなら引いてみろというありがたい諺を進呈したい。
 
※なにげに楽天のメルマガ設定ページを見たら知らぬ間に進化をしていた。
全部「なし」にしていたはずなのに十数のお店がオンになっていた。
ゼロに設定完了。
今一度この設定を信じてみることにする(笑)。
 
この話題、長くなってしまったので次回に続く。
 
次回内容予告「恋ダンスもPPAPも知らないけど平気です」

「君の名は」と続・略語について

2ヶ月ほど前に「何でもかんでも略すな!」とこのブログで世間を叱った。
おかげさまでその節は内外に様々な反響があり、「すみませんもうしません」とわざわざお手紙をくれる方までいたりして「いやいや好きにしてください」と思ったりもしたのだが、やはり世の中は相変わらず略語・略称で溢れかえっている。
 
 
話は変わるが先月の北米ツアーの時、バンドメンバーの間で映画「君の名は」の話題になった。
映画館で既に見ていたのが僕ともう一人、行きの飛行機で見たのが二人、まだ見てないのが一人。
誰がどこに当てはまるかはさして重要ではないので敢えて語らない(笑)。
 
結論として映画館で観た二人は「面白かった」という感想で、飛行機で見た2名は「つまらない」と意見がわかれる。
白熱の議論というわけではないものの、それぞれ思ったことを話したりしつつもまだ見てない一人が「まだ見てないんだけどなー」という雰囲気を醸し出す(笑)。
 
「君の名は」は本年度国内最大ヒットを今も更新し続けている映画なのでご覧になった方も多かろうとは思うが、現実的な描写が多々ありつつも完全なるフィクションだ。
 
「リアリティー」という言葉の定義をどこに置くべきかで物語の捉え方がまるで変わってくるが、身も蓋もないぶった切り方をするならば「ぶっちゃけ全部ウソ話」となる(笑)。
 
しかしそれが100%わかっていながらも設定や物語の時系列などを妙に知りたくなるような構成をしており、実際2回目の鑑賞では1回目ではわからなかったいろんな仕掛けが見えてくるという、なかなか心憎くもあり商売上手(笑)でもある映画となっている。
 
その会話の時に僕が無意識に話した別の話の一点にその場にいた全員が反応したのだ。
 
「まぁジブリ作品なんかもフィクションなのに現実っぽく感じる作品多いしね。魔女宅なんかが本当にヨーロッパのどこかにありそうな街並みに見えるのもクロアチアに実在する街を参考にうんぬんかんぬん……」
「え?ちょっと、魔女宅ってなに?」
「聞いたことないけど…」
「あ、もしかして『魔女の宅急便』のことを『魔女宅』っていうの?」
「そんな略し方する人初めてなんだけど」
「うん俺も初めて聞いた。」
「なんかヲタクっぽいねその略し方( ´,_ゝ`)プッ 」
 
えええええ!そうなの!?
(すんません25年以上魔女宅と言い続けておりましたm(_ _)m)
 
バンドメンバー全員このブログの存在は知ってはいるものの、熱心な読者というわけでもないと思われ、僕がその1ヶ月ほど前に略語・略称に対して苦言を呈したことを知る者、あるいは覚えている者はいなかった。
 
おかげでその時の空気はサラッと流れたのだが、僕の内心は顔から火が出るような恥ずかしい思いをしていたのだ(笑)。
 
「あああああ!略語のことを説教した自分自身がみんなに『なにそれ?』と言われるような略語をとっても普通にナチュラルに当たり前に使ってしまった!」と。
 
黙っていればバレなかったのだが、なんとなく白状しておく(笑)。
 

ところで略されないタイトルというものも当然ある。
「君の名は」なんてこれはもうどうにも略しようがなくて小気味のよいタイトルだ。
「シン・ゴジラ」もいい。
 
なんでもかんでも略されてしまう現代では「ざまーみろ略せないでやんの!わははのはー!」と囃し立てたくなるぐらいの快挙といってよい(笑)。
 
略されない最大のコツは言うまでもなく「短い言葉」であることだが、しかし少しでも隙を見せたら、例えば小沢健二がオザケンになってしまうのだから決して油断はできない。
 
 
それともう一つ、前回の苦言から2ヶ月間漠然かつ個人的に思ったことなのだが、、、
 
「Angel Trip」や「Vampire’s Love」といった英語名タイトルを「エントリ」とか「バンラブ」と略して言葉として発してみると、これがもうどうにも邦題タイトルっぽい響きになってしまうことに“残念感”のようなものを強く感じてしまうのではないか?といった考えに思い至った。
 
「スースク」にせよ、イカす映画のタイトルからは程遠い語感になってしまうようではないか。
 
これはもう作品への冒涜だ!
 
とまでは思わないにせよ、やはり略する側もちょっとした配慮をし、考えなしに発声する前に頭の中で一度シミュレーションをしてみて「この略し方はダサイかダサくないか、語感として気持ちいいか悪いか」の結論を出した上でシン・略語として申請するぐらいの慎重さで臨んでもきっとバチは当たらないだろう。
 
円滑なコミュニケーションと時間の短縮、それに言葉のバランスを考え、健全な略語文化を育んでいこうではありませんか!まったくもって大きなお世話だけど(笑)
 
……魔女宅はイイと思うんだよなぁ。うん。

気まずい瞬間

みなさんは過去にこんなことが起きたことはないだろうか?
とある定食屋、中華屋、ラーメン屋など、どこにでもあるような街の飲食店の昼下がり。
慌ただしい休憩時間内に昼食を食べにと駆け込むように店内に入りメニューを見る。
 
本日のランチはAとB。
どっちでもいいけどじゃあ何となく「豚の生姜焼き定食」であるA定食を頼む。
待つこと数分で「はい!お待ちどうさま!」と出された料理は、しかしなぜかB定食のホイコーロー定食であった。
 
(え?頼んだのコレジャナイんですけど…)とは思ったけど、どちらも値段は同じだし店員さん全く気がついてないし、慌ただしい店内で間違いを指摘するのもナニだし、なにより自分にそこまでのこだわりがない。
 
まぁいいや、と気にせず食べはじめてしまう。
 
最近は小さな店でも販売管理が行き届いているし、チェーン店などはPOSシステムが確立しているので、このような店員さんのミスはあまり起こらないのかもしれない。
 
ひと時代昔はこういった間違いがよく起こっていたのだが、店員さんの単独ミスだった場合は自分が気にしない限りは特に問題とはならない。
 
しかし別のお客さんのオーダーと自分のオーダーがあべこべになった場合となると、別の展開に発展することがある。
 
そのお客さんが自分と同じく「まぁじゃあ別にいいや」となれば大丈夫なのだが、どうしてもホイコーロー定食を食べたい人だった場合は「え、ボクが頼んだのコレジャナイんですけど!」となり、それまでは慌ただしくも平和だったお店にモヤッとした気まずい雰囲気が漂い始める。
 
そして店員さんはハッとした表情でこちらを見るのだ。
視線の先にはこだわりのない僕がモグモグとホイコーロー定食を食べている。
 
僕はキョトンとしつつも事態を察し、わかっちゃいるけど「あああ!これは生姜焼き定食じゃない!ホイコーローだ!」と今更間違いに気がついたかのようなリアクションを小さくしてみる。
 
そんな苦しい挙動をする僕を恨めしそうな顔でチラ見しながら「申し訳ありませんでした。すぐに作り直してまいります」とこちらにハッキリ聞こえる声量で迷惑そうに言い放つのだ。
 
お客さんもこちらを見ながら事情を察したようで「チッ!頼むよ」と嫌そうな顔をする。
 
……な、なんだよーそれヽ(`Д´)ノ
 
みんなで飲んでいる時に間違ったオーダーの料理が来た時などは「これ頼んでないかもですよ〜」と気軽に言えるのだが、定食屋のやや言いにくい雰囲気との違いを察していただけるだろうか?
 

もう一つ。
 
みなさんは病院で点滴を打ってもらった時に、予想外に痛い思いをしたことはないだろうか?
 
僕は以前キラキラとしたニューフェイス感溢れる期待の新人看護師さんに点滴を打ってもらったことがあるのだが、それは同時にあからさまに新人研修丸出し感漂うガチガチに緊張している看護師さんでもあった。
 
当然同じ医院内の同僚やスタッフ相手に練習したことはあるのだろうが、実戦投入一人目といった感じである。
 
こちらとしても精一杯緊張させないように「僕の血管とても評判よくてすぐにわかるってみなさん言いますよ」とフレンドリーに微笑んでみる。
 
 
結果にはあまり影響しなかったかもしれないが、まぁこういった経験を踏んで看護師さんは一人前になっていくのであろう。
 
「俺の屍を超えて行け!」
 
ということであまり気にしないことにしている。
本題はこの話ではない。
 
僕のモヤモヤした点滴のケースは以下の話である。
 
とある日、いかにもベテランそうな看護師さんが手馴れた感じで点滴のセッティングをしてくれる。
「お、今日は一発でプスッと入りそうだな」と思って安心してみていたのだが、
(イ、イテテ!痛い!)
しかしそこであからさまに痛そうな顔をするのもナニなのでガマンしてしまう。
(これぐらいの痛さだったらガマンできそうだしな…)と心の中で思うだけにする。
 
そして15分〜20分ほど痛みの取れないままガマンの時間が続いたわけだが、シュッとカーテンを開けて先ほどの看護師さんが入ってくる。
(やれやれ終わりだ、あぁ痛かった)と思ったのだが、看護師さんがギョッとした表情でこちらを見る。
「あらら、点滴全然入ってないじゃない。痛かったでしょ?」
「あーなんか痛いなーとは思っていたんですけど…」
と苦笑まじりに言ったら間髪入れずに 
「痛かったらちゃんと言ってくださいね!最初からやり直しです。(ったく後がつかえてるのによー)」
括弧内はネガティブな想像だが舌打ちまじりで心底腹立たしそうに言われたのだ。
 
……な、なんだよーそれヽ(`Д´)ノ
 
痛いのをずっとガマンしていたのは僕なのに、あんまりじゃないか…
 

どちらも恥ずかしい実体験である。
 
イマイチ納得のいかないモヤモヤの残る話なのだが、よくよく考えれてみれば自分が受けた不当な扱いをキチンと指摘していれば起こらなかった悲喜劇だとも言えるだろう。
 
なんというか、日本人独特とも思えるような何とも歯切れの悪い話である。
 
「なんとなくナニだし…」という実際意味不明な感情に支配されての意味不明の行動なのだが、きっと一定数の理解や共感は得られるのではないだろうか?(笑)
 
もちろん次に同じようなことが起こったら、同じ轍は踏まない。
 
確固たる態度で「おっと。ちょっといいかい?」と相手の間違いを鋭く訂正し誰にも実害がないようWinWinの結果に導くぜ!と心に誓ってはいるのだが…
 
いかんせん同じような事態はそうそう都合よく起こってはくれない。
 
いや、起こってほしくもないのだけども……
 
でもちょっと起こってくれないかな?
 
ここ数年間ずっと待ち続けているんである。

iPhoneの調子が悪い

ちょっと前にツイートした内容が最近深刻化してきている。

外出先でiPhoneを使っているとみるみるとバッテリー残量が減っていく。
それこそ数分で10%減といった激しい消耗をしていく。 
「なんじゃこりゃあ?」と思った頃には50%を下回り、45%あたりでバツンと電源が落ちる。 
 
再起動しようと電源ボタンを押すとバッテリー残量0を示す赤い表示が出るのみ。 
30分ほど放置してから電源ボタンを押すとリンゴマークが出てきて起動はするし残量も45%と表示されているのだが、また1分持たずにバツンと落ちてしまう。
 
nobattery
 
タイムリなーことに昨日(12月5日)iPhone6sの特定製造番号のバッテリーに不具合があったことを認めたアップル社は無償のバッテリー交換プログラムを用意したのだが、僕のiPhoneは6sではなくただの6であるし、念のためシリアル番号検索してみても交換対象外となってしまう。 
 
この現象は確か今年頭のツアー時、寒い名古屋でも同様の現象が起きたし苗場のスキー場内でも起きた。
僕以外の人のiPhoneとほぼ同じタイミングで電源が落ちたこともある。
 
寒冷地で起こるバッテリー問題だと思っていたのだが、10〜17度とかある東京の気温で同様の症状が起こるのはおかしい。
しかもこれらはiPhone6s以外の機種での話だ。
 
この現象の解決策はある。
 
モバイルバッテリーを常に持ち歩いていて不具合の度に短時間充電をしさえすればこの状況からいとも簡単に抜け出すことはできる。 
車移動をしている時もシガーソケットから充電するアダプターがあるので問題ない。
しかしモバイルバッテリーを持っていない電車移動の時(案外多い)ではアウトである。
 
smartphone_mobile_battery
 
使用してから2年と2ヶ月が経過したiPhone6ではあるが、10万円する機械としては少々寿命が短すぎる。
 
これまでは比較的出てすぐのタイミングで3→4→5→6と乗り換え続けていたのだが、なんだかマイブームが去ったのか、6でも不満なく十分用途に事足りるからなのか、あるいは単にオッチャン化が進行して新しいガジェットへの興味が薄くなったのか。
 
まぁすべての理由が複合的に作用しているとは思うのだが、とにかく新しいiPhone7にはあまり興味が湧かない。
※これは壊れるまでは使い続けるというパソコンへの執着の薄さにも共通している(笑)
 

さて、新型のiPhone7とApple Watch2に共通した新機能といえばApplePayに対応したお財布ケータイになるという点だ。
時計をかざすだけで駅の改札を抜けられるというのは実にカッコよく未来的に思える。 
 
iPhoneに関しては、僕はVAMPSグッズのiPhoneケースを長年愛用しているので物理的にSuicaのカードを入れていることでほぼ同じ見た目のタッチ&ゴーを実現できている。
しかしSuicaのチャージをするには駅やコンビニでチャージをしなければならず、完全電子化には至ってない。 
 
オートチャージや完全電子化といった最新技術への憧れはあるものの、やはり現段階ではまだ全面的な信用はできないというのが本音だ。
 
iOS10.1.1のバッテリー不具合現象はiPhone7では発生しないようだが、将来的に同じような症状が出ないと断言はできない。
Apple Watchにしても一番の問題である「油断するとバッテリーが切れる」という問題がある以上とてもじゃないが信用できない。
  
どちらもバッテリーが切れてしまったら機能しなくなる。
 
改札に入る前なら切符を買うなどの対応はできるだろうが、電車の中でバッテリーが切れてしまった場合は駅員さんはどのように対応するのだろうか?
調べてみたら「バッテリーが0%になっても完全に放電していなければしばらくは使える」らしいのだが、しかし実際は「使えなかった」といった声も多数見かける。
 
そうならないためにもモバイルバッテリーとケーブルは常に持ち歩きましょう!
 
ということらしいのだが……
 
それでは本末転倒も甚だしいではないか!
 
Suica1枚持っていればいいものを、なぜ電子のために重いバッテリーからケーブルまで常に持ち歩かなければならないのだ?
 
飛行機にモバイルバッテリーを持ち込むことは禁止されているし、旅先に行く度に使い捨てするのもシャクだし第一もったいないではないか!(ぐももも)
※あ!各地空港で“モバイルバッテリーレンタル”を起業したらこれは大層儲かるのではないでしょうか?(・∀・)
(荷物への預け入れが不可なだけで機内持ち込みはOKとの指摘あり。間違った情報を鵜呑みに信じてモバイルバッテリーを持って行かずにとても不便な思いをした先月のアメリカツアー…(´・_・`))
 
将来的にはほとんどの支払いはもちろんのこと、家の鍵などのあらゆる認証がスマートフォンやスマートウォッチでできるようになるというのだが、「ただし電池が切れたらな〜んもできなくなります」という但し書きはあまりにも恐ろしすぎる。
 
 なんでも一つにまとめることで利便性を高めるという流れは正しいような気もするのだが、問題が起こった時に「リスクの分散をしておかないからこういうことに!」という事態に陥りそうだ。
 
家の鍵と車の鍵と電話とメール手段とクレジットカードとSuicaを一度に失ったときの対処法。
考えただけで泣きたくなってくるような状況だ。
 
これらの問題が解決できない限りは完全電子化の夜明けはまだのような気がする。
もちろん近年中には解決できると信じてはいるけれども。
 
「よくわかんないけど突然電源が落ちてしまう」という深刻な症状は一刻も早く解消してほしい。
 
え?iPhone7に乗り換えで即解決?
あきらめてモバイルバッテリー持ち歩けですと?
 
そんなのスマートじゃない。
解決するまではスマートフォンと呼んであげないことにしよう(笑)。