バブル・ゆとり・悟り

僕はいわゆる「バブル世代」でくくられる世代である。
もっとも「バブル世代」は最近の言葉であり、当時のバブル時代には「新人類」と呼ばれていた。
何を考えているかサッパリわからないからというのが語源らしく、当時の世間というか中高年層にそういった扱われ方をしていた。
 
(念のため武器ではない。通称“レンガ”、当時の携帯電話)
 
こういったくくられ方をするのが当時も今も大嫌いな僕なのであるが、「オトナに理解されない若者」という見られ方自体は決してイヤなものではなかった。
これはおそらく今の若者にしてもそうだと思うのだが、むしろ「オッサンなんかにわかられてたまるか!」という反骨精神は大いに結構なことだと思う。
 
「最近の若者は…」と思われなくなったらむしろヤバいとも思うし、そうやって人類の歴史は進化(?)、少なくとも変化を遂げてきたのだ。
物分りのよい若者だけなんて、それこそ不気味だとも言えるだろう。
 
 
そういったこととは別に、バブル世代にくくられるのがイヤな別の理由もある。
 
以前このブログに書いたこともあるのだが、バブル時代と呼ばれている1987〜1991年は僕がハタチから24歳ぐらいまでの期間になるが、我が生涯の中で最も貧窮にあえいでいた時代でもあった。つまり、
 
「バブルな思いなんてちっともしてないんだよっ!」
と声を大にして主張しておきたいんである。
 
 
しかし確かに優秀な企業に就職した同級生や、同じ音楽業界内であっても例えばレコーディングスタジオに就職したアシスタントエンジニアなどは、実に華やかな暮らしっぷりをしていたように思う。
 
我々ミュージシャンサイドと違って、スタジオに就職した彼らは作業が深夜に及べば残業手当が出ていたし、ボーナスもしっかりもらっていたそうだ。
スタジオワークとは朝までが当たり前だったので、固定給の僕と残業手当がキッチリ支払われていた彼らとでは、同じ時間仕事をしていても月の収入はまるで別世界、それこそ3〜4倍の開きが出ていた。
 
今でも恨みがましい記憶が残っているのだが、例えば中野にあったサウンドスカイのアシスタント連中などは、自分と同世代の分際でありながら(笑)、RX-7やMR2やセリカといったカッチョイイスポーツカーをブイブイ乗り回していただけでも歯軋りものの羨ましさなのに、あろうことか車高を低くしたりドレスアップを施したりといったカスタムまでやらかしていたのである。(そういう時代だった(笑))
 
 (イカス90年代国産車たち)
 
サウンドスカイだけの話ではない。
グリーンバードもポリドールも音響ハウスも、スタジオ勤務のエンジニアは軒並みイカしたスポーツカーを所有しており、そしてドレスアップをしていた。
 
こちらは貰った自転車と会社のボロボロの機材車のみ。
自分の生活のなんとつましいことか!(なおこの時の羨ましすぎる逆恨み精神から「スポーツカーなんてイヤだよ」とその後のねじ曲がった車遍歴につながっていくのである)
 
 
なので今でも僕は「バブル世代はさぞ楽しい20代だったんでしょうねぇ」なんてくくられたら、「うがぁ!そうじゃないビンボーな若者もいたんじゃー!」と突如キレだすことを自分に許している。(笑)
 
そんな僕なので、ゆとり世代や悟り世代といった近年の若者たちを同一視点でくくったりはしない。
むしろ「こんな日本に誰がした?」と現オトナたちを批難する側に回りたいぐらいの心境だ。
 

ところでこういった「世代くくり」という考え方は、それこそローマ時代からあるそうなのだが、僕は長年そういった考え方を否定してきた人間だ。
 
しかし表を歩いていれば非常識な若者に遭遇することはあるし、W杯で浮かれる若者に対して「ニワカのクセに!」と思ったりすることはある。(笑)
 
そういった時にはどういった納得の仕方をしているのかといえば、世代ではなく「こいつら」と範囲を狭めてくくることにしている。
 
同じように思うかもしれないが、これはだいぶ違う。
 
若者を世代でくくるのはよくないことだ。
しかし行動に対して束でくくることには問題を感じない。
そしてよくよく周囲を見渡せば、全年齢層に困った方々がたくさん分布しているのだ。
 
クソガキ、中坊、生意気JK、パープリン(死語)大学生、バカ新入社員、クソオヤジ、クソババア、クソジジイ……
 
言葉が汚くて申し訳ない(笑)。
 
これらは世代分けというよりは個体をカテゴリーに収めているだけの言葉だ。
「コイツはなまけモノの働きアリ」といった感じだろうか。(笑)
こういった考え方をすることに対してはまったく抵抗のない自分がいることを知った。
 
 
そして、自分が罵りたくなるような人間というのは、実は一生受け入れがたい嫌いな存在のまま自分と並行して年を重ねているだけの話なのではないだろうか?と思ったりするのだ。
 
クソガキはそのままパープリン(死語)になり、バカな新入社員時代を経てやがてクソ中年になり、クソジジイとして自分に迷惑をかけ続けている「縦の流れ」があるわけである。
 
こういった相性の悪い別タイプが全年齢にまんべんなく分布しており、時代の流れで主流派になったり穏健派になったりしているだけの話なのではないだろうか?
 
あるいは一部勢力の露出といったことだけで、あたかも時代の象徴とされてしまいかねないマスコミの報道にも問題を感じるが、つまるところ時代の流れなんてものすらないのかもしれない。
変なヤツは大昔からずっと一定量存在し続けているだけの話なのだ。
 

同様に相性のよい束集団というのもたくさん存在する。
 
「ブラサカのみなさん」なんて括り方は世代に関係なく実に共通の価値観を共有できるではないか。かなり反則気味な例えではあるが。(笑)
※ブラサカ=ブラッドサッカーズの略称。VAMPSファンの意。
 
そして僕は幼稚園児〜小学校中学年ぐらいまでの良い子たちとの相性がよい。
それと年齢はわからないがジジババとも仲がよい。
というか、なぜだかやたら話しかけられる。
 
…いい人アピールをしたいわけではない。
ジジババやガキよりも若い女の子にモテた方がいいに決まっているからだ←
 
あれ?
こちらは世代でくくってもまるで気にならないのはなぜだろうなぜかしら?
 
人間とは矛盾だらけの考え方をしているのだなぁ…と浅く思ったところで本日のブログを終了したいと思う。
なかなかヒドイ終わり方だという自覚ありつつも終わりである(´_ゞ`)ちーん