月別アーカイブ: 2017年8月

たまにはシンセの話でも…その1

前回と前々回に紹介した「The Bogányi Piano」だが、その後もいろいろ検索していたら従来にない利点というものをいくつか見つけた。
その中でも「機能的に進化した部分があるのかないのか?」という部分で、従来のピアノよりも優れた点があったので追記事項として紹介しておく。
 
カーボンファイバー製のこのピアノ、その材質の特性的に「環境による材質の劣化、影響が起こりにくい」という大きな利点があることがわかった。
つまり高温多湿の国、例えば日本の風土はピアノ本来の純粋な“鳴り”を保つのが困難な環境であるといえる。
高密度のカーボンファイバーは湿気を吸収しにくく、また温度変化などにも強いという特性を持っていたのだ!
 
これは凄い!ピアノの革命となるのではないだろうか。
 
と一瞬は思ったものの……しかし、こうも思う。
3000万円もする高価なピアノを24時間空調の環境以外に置いておくことも考えにくく、実際どこのスタジオもホールもこういった特A級ピアノの保管は同じくして特A級の管理体制を怠たることもないだろう。
大丈夫だからと野ざらしにするようなズサンな管理になるとも思えず、「その特性本当に必要?」という意地悪な見方ができなくもない。
大仁田厚がボディーガードを雇うとか、kenちゃんに下ネタを提供するぐらいの“それいらないんじゃ?”と思う特性のように思わなくもない(笑)
 
が「デザインだけ」という僕の中のイメージは曲がりなりにも払拭されたということを追記しておく。
 
またアーティストでありピアニストである友人にも「1800年代に確立された現代ピアノ、あれから200年だもんねー!これもありなんだあ!🤔」(原文と絵文字そのまま)といった、何にせよ進化の模索の方向性に肯定的な意見も寄せられた。
 
今後も楽器の進化には注目していたいと思う。
 

さて、楽器の進化といえばシンセサイザーのヴァーチャル化がいよいよ過渡期を超えて次のステップに移行しつつある。
「ソフトウェアシンセサイザー」なるパソコン上で動作するシンセが登場したのが1997年、既に20年が経過している。
(ReBirth RB-338は名器Roland TR-808とTB-303を模した世界初のエミュレートシンセサイザー)
 
今となっては修理も困難なレアパーツの数々、MIDI規格よりもさらに古いDCBやCV/GATEといった古い規格の機器を現代で使い続けるのはかなり難しい。
そこでエミュレートという技術を使ってパソコンの画面上に古い名器を復活させてしまおうというのが、一連のソフトシンセの進化の流れである。
 
シンセサイザーという楽器とパソコンとの相性が良かったのはいうまでもない。
各回路や抵抗といったパーツ一つ一つの電気信号をソフトの中で再構築するという作り方は、他の楽器と比べてもかなり合理的かつ正確な再現をすることが可能であったからだ。
 
Arturia社「Moog Modular V」
YMOや冨田勲氏も使用していた巨大モジュールシンセがパソコンの画面内で蘇った!俗称の「タンス」はまさにタンスのように巨大だったから(笑)
 
YMO第4のメンバー松武秀樹氏と愛機MoogIIIc
 
最初はこういった「歴史の中の名器の再現」から始まったソフトシンセは、当然の流れとして「ソフトシンセ独自の新しいソフトシンセ」の発表に行き着く。
最も有名なのは、Native Instruments社の「MASSIVE」であろうか。
 
VAMPSのサウンドメイキングでも縦横無尽に使われているソフトシンセ
 
ハードウェアの既成概念に捉われることのない自由な発想で作られたこうしたソフトは、実際ハードウェアシンセでは作れないような音を作ることができることでも話題となり、そのサウンドから新たな音楽分野が開拓されるまでに至った。
DubStepやBigRoomHouse、Waveといった細分化されたジャンルはもとより、EDM(Electronic Dance Music)と呼ばれる巨大な音楽群そのものこそ、こういったソフトシンセの台頭がなければまず生まれなかった音楽であると言い切ってよいかと思われる。
 
僕個人のマニピュレーター経歴でも、ラルクのアルバム「KISS」制作期間のちょっと前あたりから、こういったソフトシンセに強く傾倒していった。
それまでの数十台のラック音源をスタジオに持ち込んでいたスタイルから、最終的にはパソコン2台とその他最小限の機材セットにまで縮小化していった。
 
しかし同時に弊害も感じ始めていた。
 
自由な発想は結構なことなのだが、まず音作りのイロハの部分からして非常に難しく、出来ることのあまりの多さに「どうやって音を作ったらよいのか見当もつかない」となってしまったのだ。
今までの音作りとは根本的に発想の違うソフトウェア音源が多数発表され、我々は大いに混乱させられた。
「Bundle Pack」といったものを購入する度に、10〜20の新たなソフトが提供され、各ソフト毎に数千〜数万のライブラリが雁首そろえて並んでいやがるのだ(笑)
とてもじゃないが捌ききれない!
 
結局はプリセットと呼ばれる最初に入っている音から「選ぶ」か、もしくは追加パックを購入するなどしてもどの道「選ぶ」ことしかできなくなり、いつの間にかシンセサイザーは「自由に音を作るモノ」から「膨大な量のプリセット音からイメージに近い音を探すモノ」になってしまった。
「ちょっと音の長さを変えたいだけなのに…」といった簡単なことすら階層メニューのどこをイジれば変わってくれるのかもわからない(´Д`)、ということが誇張でなく本当に起こり、ますます気力をくじかれる。
 
音作りの専門家というポジション的にも「実はよくわかってない」という複雑な構造をしたソフトシンセは、何ともバツが悪く恨めしい存在でありながら、しかし絶対的なクオリティーの高さにどうにも抗えないという……まさしく悪魔のような魅力を持ち合わせるシロモノになっていったように思う。
 

そんな複雑怪奇な進化を遂げたシンセサイザーも数年前から、そして去年あたりからも「新世代」と呼べるような次なる進化を遂げているようである。
 
その方向性とは? 
 
つづく

機能美・2

斬新なデザインの新型ピアノから話題はF1や生物模倣に脱線し続けた前回からの続きである。
話を強引に元に戻すべく、ぬるっと楽器の話題から再開したい。
 

僕がもう一つ機能美の例として挙げたいものが、フェンダー ストラトキャスター。
言わずと知れたエレキギターである。 

10年ほど前に某ギタリスト氏のギターを当時の自分の匿名ブログに載せるべく許可をもらって撮影したのだが、その許可は今も有効なのだろうか?いいや載せちゃえ〜尚撮影した携帯はP701iDだって懐かし!)
 
実のところ僕はギターをまったく弾けないわけだが、ストラトのフォルムというのは素人目にもとても美しいと思う。
そしてこのストラトのデザインもまた合理性を追求して生まれたデザインなんだそうだ。
 
それまでのハンドメイド方式から工場での大量生産に対応させるために、様々な簡略化を試みた結果から現在のストラトのデザインが生まれたわけだが、それによって実際のギタープレイに影響が出ないよう、これまた様々な工夫を重ねた結果があの独特の形状に昇華したそうだ。
ギターを弾かない人にとっては意味不明としか思えないボディーデザインかもしれないが、高音部と低音部の鳴りのバランスなどへの配慮、また座った時にも立った時にも身体にフィットし肘や脇腹など身体に余計な負荷がかからないような配慮という理由で絶妙な流線型になっているのだ。
実際にストラトを持ってみると、なるほどいろいろ考えられていることがわかる。
 
あくまでも合理性が追求されながらも改良され続けてきたフォルム。
まさに機能美そのものと言えるだろう。
 

 
 
ちなみにストラトキャスターの原型になったテレキャスターはそこまでの工夫はされておらず、ギタリスト的には「痛いのをガマンして弾く」ものなんだそうだ(笑)
こちらを持ってみると、なるほどストラトでは気にならなかったボディーの角が体のあちこちにぶつかる。
ボディーの流線型にしても(異論はあろうけれども)大雑把な感じだ。
 
こちらはこちらでストラトにはない味のある音を奏でてくれるそうで、どちらが良いとか優れているとかを比べるのはナンセンスなことらしい。
しかし「機能美」「人間工学に基づいたデザイン」という点で比べるのならば、ストラトキャスターの圧勝と言えるだろう。
 

 
といった視点で冒頭の斬新なピアノデザインを見つめ直してみると、今度はどう感じるだろうか?
確かにかっこいいとは思うけれど、その形状に「必然」がないとなると、はたしてどうなんだろう?
僕の感じた「???」はそういった理由によるものだ。
 
「このカタチにしたことによって従来のピアノと比べて音がこのように良くなった、素晴らしくなった」という進化や合理性があるならば好きになれるかもしれないけれども、「カッコイイんだからいいじゃん!」というだけならば……どうなんだろうか?
 
素材のカーボンファイバーやFRP樹脂にしても、音の共鳴や材質による音色の違いといった観点よりも「自在なフォルムを造形しやすいから」といった理由で選ばれたのではないのだろうか?
もしも「斬新なデザインながらも従来のピアノと同じ、もしくはそれ以上の響きを得るための音響工学的見地から導き出された最終形態」とかだったら断然好きになれるんだけどなぁ……
 

「カッコイイだけの何が悪い!」
と異議を唱える方がいるのも理解は出来る。
 
「オシャレとはガマンすること」という名言がある通り、例えば先の尖った靴はかっこいいけど当然足は痛くなる。
かかとの高いブーツを履けば断然足が長く見えるけど当然歩きにくい。
そしてそれらの形状は、きっと体にはよくない(笑)
しかし「オシャレなものを身につけている自分イカス!」というテンションは、時として機能とか性能を凌駕する大切な要素となる。
ピアノにしたって「うぉぉ!宇宙船みたいでイカス!」といった高揚感でプレイに磨きがかかるかもしれない。
 
が、こうも思う。
普段身に付けるファッションならばそういった感覚も十分アリかとは思うけれども、家一軒に匹敵する値段でそれはないかなぁ……と思ってしまうのはただの貧乏性なのだろうか(笑)
 
もしも3000万円が降ってきたら、僕ならこのピアノとベーゼンドルファーのフルコンサートモデルのどちらを選ぶだろうか?
ってか、どちらも大きすぎてそもそも家の中に入らないっつーの!
 
とドサクサに紛れて見栄を張った発言をしてはいけない。
アップライトピアノだって入れる場所なんてありはしないっつーの!
(ローランドのデジタルピアノを自室に入れるだけでもどれだけの苦労をしたことか)
 
 
というわけで2回に分けて新型ピアノのデザインについて語ってみたが、出た結論は「どちらにせよボクには地球7周半ぐらい離れた遠い別世界の話」という、おおよそしまりのないまとめになるのでありました(´_ゞ`)ちーん 

機能美

ハンガリーのピアニストであるゲルゲィ・ ボガーニ氏なる人物が「The Bogányi Piano」という近未来的な新しいスタイルのグランドピアノを開発、このたび製品化されたそうだ。
 
 
これまでの常識や固定観念をひっくり返すようなデザインのピアノである。
僕の読んだネット記事は概ね肯定的な内容であり、ハンガリー政府はまとめて10台発注したとか。
一台3,000万円程するらしいのだが、お宅でも一台いかがでっか?…というお気軽な値段でないことは確かだ。
国産ピアノでもグランドピアノともなれば国産車一台分、スタインウェイなどの高級ピアノともなれば同じく高級外車に匹敵するお値段となるが……3,000万円となるともはや家一軒レベルの値段である。
 
このピアノ、かつてない斬新であるという点では評価されるべきデザインではあると思うけれども、僕の頭の中はとりあえず「???」に支配された。
 
あらかじめ逃げを打っておくと、僕はデザインについて何かを学んだことなど全くないズブの素人である。
偉そうなことを“したり顔”で言うつもりなんて毛頭なく、あくまでも素人が思ったことを小さな声で囁いてみるだけ、と思っていただけたら幸いである(笑)
 
例によって話が横道にそれまくるように思えるだろうが、きっと元に戻ってくるのでゆるくお付き合いいただけたらと思う。
 

僕の乏しいデザイン知識の中でもまず筆頭に挙げたいのは、モータースポーツの最高峰「F1」だ。
 
F1マシンというものは文句なく見た目にカッコイイわけだが、あの美しさこそ機能美そのものと言えるだろう。
美しくもカッコイイ!
しかしF1マシンのデザイナーは、あくまでもレギュレーション範囲内で最も効率的な空力性能を模索して作り上げるわけであって、「かっこいいマシンにしよう」とは微塵も思っていないそうなのだ。
 
独特の形状は車体を地面にへばりつけるダウンフォースという力を得るため、あるいは効率よくエンジンに空気を送りつつ冷却もしつつ、余計な風の流れでマシンバランスが崩れない等々、複合的な理由であのような形状になっていく。
 
結果としてそれら全てに対して100%に近い効果を発揮するデザインに仕上がった時、そのマシンはかっこよくなっているという寸法だ。
 
一切の無駄のない完璧なフォルムは見た目にも美しい。
逆に言えば、速いマシンは自動的にかっこよく見えてくるものなのだろう。
F1の世界には「かっこいいけど遅いマシン」は存在しないのだ。
 
毎年毎年レギュレーションが変わる中で「よりよいベスト」を模索すると、各チームほぼ同じようなデザインに帰結していくようだ。
 
 
これは自然界においても同様のことが言える。
例えばイルカやシャチやサメといった海洋生物の流線型の美しさなどは、哺乳類と魚類の違いがあっても多くの共通点を見出せる。
海中で最も効率良く素早く動ける形に何万年もかけて進化してきた生物の姿は、まさに機能美そのものと言えるだろう。
 

こういった自然界のフォルムをデザインに応用する流れは多い。
「フラクタル」「フィボナッチの数列」「ベルヌーイの螺旋」などに代表される自然界における黄金比は、デザインに限らずあらゆる分野に応用されている。
 
(名古屋市科学館でも詳しく解説されていますぞ)
 
「イルカの流線型を真似してみたらなぜかF1マシンのタイムが上がった」というほど簡単な世界でもないだろうが、「効率の良いスピード」という共通した要素があるだけでも話としては十分可能性はあるかもしれないし、実際にイルカのフォルムを応用した水泳着や潜水具、また洗濯機の回転翼や掃除機のモーターなどにも応用されているそうである。
こういった「バイオミメティクス(生物模倣)」という分野は、工業デザインに限らず医療などでも幅広く研究されており、アイディアの宝庫であるらしい。
 
 
ここで重要なのはこういった「凄いもの」「かっこいいもの」の理由がわからないままに「かっこいいから」と真似だけをすると、実にオソマツなものしか出来上がらなくなる、ということだ。
「流線型が美しいからマグカップのデザインに採用」といったトンチンカンな応用の仕方をしてみたところで、そのマグカップに「機能美」を感じることは決してない。
なぜならマグカップとイルカのスピード性能はあらゆる角度で検証しても関連性がないであろうからだ(笑)
 
にもかかわらず、こういった関連性において根拠のないデザインというものが世の中には案外多いような気がしているのは、僕だけではあるまい。
流線型の加湿器、流線型の携帯電話、流線型のUSBメモリー、etc,etc…
 
それらの商品の形状には必然性がなく、あまつさえ「使いにくい、持ちにくい」といった欠点すら感じてしまう。
僕はこういった商品デザインに疑問を感じてしまうのだ。
 
以前テレビで有名デザイナーと思わしき人が「今や商品開発はデザインありきであるべきなのに、様々な制約が多くて思うようなデザインが出来ずにかなりの妥協を強いられている」といった苦言を呈されていた。
しかしそれでは本末転倒というか「あなたは何のためにデザインをしているの?」と思わざるを得ない発言だと僕は感じてしまった。
 
例えば「スマートフォンのホームボタンは親指で押すのが最もスムーズな位置だとは思うけどデザイン的にカッコ悪いから裏面、中指で押すように仕様変更してよ」というワガママを言っているようなものではないのだろうか?
「機能よりもデザインありきであるべき」という意見は(程度の差はあるにせよ)一介のエンドユーザーとしては傲慢であると感じてしまう。
 

といった流れで最初のピアノの話題から話は大胆にそれたが、次回は楽器の話題から再びこのピアノに戻ってくる予定である。
 
……ここまでの流れからすると、どう考えても絶賛にはならないヨカーン(^^;

弘法筆を選ばず?

こだわりの話は前回で終わったはずなのだが、なんとなくズルズルと補足的なことを書いてみたい。
 
弘法筆を選ばず」という諺がある。
能書家の弘法大師はどんな筆であっても立派に書くことから、その道の名人や達人と呼ばれるような人は、道具や材料のことをとやかく言わず、見事に使いこなすということ。下手な者が道具や材料のせいにするのを戒めた言葉。(故事ことわざ辞典より引用)
 
この諺のカッコ良さを真に受けた僕は一時期、仕事道具やスタイルから一切のこだわりを排除した時期がある。
二十代中盤から後半にかけての頃である。
お恥ずかしい過去の話なのだが、既に自分の中では時効を過ぎている。
今日は当時の自分に恥をかいてもらおう(笑)
 
その頃の鍵盤師匠がどんな安っぽいおもちゃのような鍵盤であっても、カッコいいフレーズを次々と弾いてしまうような魅力的なプレイヤーであったことも大きかった。
当時「マニピュレーター兼作編曲家見習い」だった自分は、例えば「マックのキーボードはApple Extended Keyboard IIの英語配列でなければならない」といった職業的こだわりをいろいろ持っていたのだが、そんな師匠の影響を受けて「なんでもいいや」と日本語キーボードにしてみたり、サードパーティ製の謎の形状のものを使ったりしてみた。
 
 
今思えば「なぜそこまで?」と思わないでもない純正キーボード。価格はなんと25,000円!当時アップル製品はなんでも高価だった。
 
そんなキーボードのこだわりを捨てたところから始まり、いろんなソフトや知らないメーカーの機材を手当たり次第に使ってみたり、聴く音楽も一気に別の方向にすっ飛んでみたり……
 
 
迷走は数年間続き、そして気がついてみれば軸というか芯というか、自分が何をやっているのか、また何をしたいのかすらすっかり見失ってしまっていたように思う。
 
弘法筆を選ばずという諺に憧れを抱くまでは悪くなかったが、いかんせんその当時の自分は「その道を極めた人」でもなんでもない、ただの青二才でしかなかった。
つまり弘法じゃない人が筆すら選ばないということは、それってもしかして
 
「いいとこなし」なんじゃね?
 
…ということに遅ればせながら気がつき、その時点から一つまた一つと自分のやりやすいスタイルを取り戻していったのである。
 
返すがえすもなんともお恥ずかしいエピソードである。
 
 

 
その後出会った弘法氏の数々は、ことごとく自分の筆を選びぬきこだわりを持つような人ばかりであり、しかしそんなこだわりを持ちながら黙々とストイックに技を磨く姿がまぶしく見えた。
弘法の本当の姿、それは自分に合った筆を選ぶだけに留まらず、納得がいくものを専門家に作らせるぐらいの執拗なるこだわりを持っていた。
 
まさに「鬼に金棒」である。
 
僕が憧れていた鍵盤師匠にしても、どんな安い楽器であっても弾きこなせる技の持ち主ではあったが、それはあくまでも余興的な使い方、ここぞの一番ではやはり自分の愛用楽器をこだわりを持って使っていた。
しかし当時のアホな自分はそういった本質を見落としてしまっていた。
 
 
こういった経緯を経て、半ば反動のようにこだわるべき部分にはキチンとこだわるという仕事スタイルが身についたと同時に、さらなる反作用のように「こだわらなくてよいものには徹底的にこだわらない」というひねくれた人間性が身についてしまったような気がする。
 
しかし他人からしてみれば「ちょっとはこだわったら?」と首を傾げられるぐらいに、興味のないことにはどこまでも無頓着な人格が形成されてしまったように思われる(´_ゞ`)ちーん 
 

といった人生をうっかり過ごしうっかり50歳になってしまった僕から、みなさんにありがたい言葉を贈りたいと思う。
 
名言や格言やことわざはありがたい言葉ではあるけれども時と場合と自分によるだろきっと←
 
 
ことわざや格言は言ってみれば極論の数々でもある。
しかし「そつなく適当にやりすごすのが結局は無難」といった心に響かない内容が名言になりにくい理由もわからなくもない。
 
しかし人生は「極論VS極論」だけでは到底渡っていけない。
うまく応用しながらもユルユルとかわすような柔軟性を持って臨みたいものである。
 
と最後は結局心に響かない提案で終わってしまおう(笑)

こだわらないこだわり

前回はお酒やビールの銘柄にこだわりがないことを強調してみたわけだが、実のところその「こだわりのなさ」にこそ僕はこだわりを持っていることに最近気がついた。
謎かけのような終わり方をしてみたのは、単純に長くなってしまったからだ(笑)
 
もったいぶった「こだわりがないことにこだわる」について満を持していよいよ語ってみたい。
なお、賢明なるこのブログ読者の皆さんはこの時点で眉に唾をつけている辺りだろうが、その推察はきっと正しい。
 

まずはビールを飲むシチュエーションを想像してみる。
 
汗をかいて帰宅してシャワーを浴びてパンイチでプシュッとあけるビールなら、やはりスーパードライを飲みたい。
美味しそうな刺身を奮発して買ってしまった時などは、ビールもちょっと奮発してEBISUもしくはプレミアムモルツ等のワンランク上のビールにしたい。
低糖質四天王メニュー(豆腐、もずく、キムチ、韓国のり)で質素に済ませる時はストックしてあるビールや発泡酒、つまりはなんでも構わない。
 
また、アメリカツアー時に毎日のように飲んでいた「BLUE MOON」などの場合、日本で飲むと少々癖のあるビールに感じる。
アメリカで売られている商品と味が異なるわけではない。
しかし「BLUE MOON」独特の味と香りは、低糖質四天王メニューや昆布やカツオ出汁の料理といった普段食べている食材とは合わない、ぶつかる。
これは生魚と赤ワインが合わないようなものだ。
 
同じ「ビール」であっても、銘柄や種別は状況や都度の味覚に合わせるべきなのだ。きっと。
 
つまり、日々飲むビールの銘柄が一定にならない一番の理由は、飲みたいビールもまた日々変わるから、ということになろうか。
 
(これは2015当時の旧デザイン。和食にはイマイチ合わないが洋風のおつまみとの組み合わせは天下無敵の美味しさとなる。尚、和食に合う白ビールならば「EBISU華みやび」「銀河高原ビール」等をオススメしたい)
 

 
(素敵な銘柄だがかなり極悪な度数と危険な味の焼酎)
 
晩酌後の焼酎やウイスキーにしても、飲みながらすることであったり、見る映画のジャンルや状況に合わせても飲みたい味は変化する。
あまり酔わずに映画の世界観に浸りたい時は、度数低めの焼酎をさらに水割りにする。
あるいは度数の強いお酒をチビチビやりながら次第次第に酔いたい時は、初見ではなく好きな映画をリピートする。
といったように、飲みたいお酒に合わせて状況設定する場合もある。
 
こだわりがないというよりは“こだわれない”と言うべきなのだろうか?
 
……とここまで書いて読み返してみたら「うわーむしろメンドクセーし!」と自分で思ってしまった。
ってかよっぽどこだわり強いしよっぽどウゼーし!(^^;
ああゴメンナサイ!
 
こんな僕ですが嫌いにならないでください←
 

お詫びに最近僕がハマっているビールの飲み方スタイルを紹介したい。
 
このブログでは度々アフェリエイトのように紹介しているサーモスなのだが(笑)、半年ほど前に発見して使い続けているアイテムがある。
以前はサーモスの真空断熱水筒に凍りかけのビールを入れていたのだが、絶妙の泡加減で缶一本丁寧に入れるのはやはり難しくもあり面倒でもある。
なにかもっと良いものはないかと探していて、ついに僕は見つけてしまった!
 
THERMOS ジャストフィット缶クーラー!
 
 
これは缶ビールをスポッと収めるだけの筒なのだが、それだけで保冷されるというスグレモノなのだ。
これは簡単!
いつか紹介しようと思っていたのだが、機を逃し続けていた。
食卓の上でどんどんぬるくなっていき、汗をかいて水の輪っかができるのが鬱陶しい缶ビールなのだが、これに入れるだけで冷たいままで汗もかかない。
是非オススメしたい逸品である(^^
 
さらにそれに先日プレゼントでいただいた、超音波で簡単にきめ細やかな泡が作れるという画期的商品
 
ビアサーバー 泡ひげビアー!
 
 
簡単にプロレベルのクリーミーな泡が作れるので是非ともオススメしたい!
もっともこれは絶妙な泡加減を作るのが結構難しく、未だに泡多めになってしまうことが多いのだが、バッチリ決まった時の泡加減とその舌触りときたらもう!(*´艸`) 
 
こちらもオススメである。
 
そしてこの二つの逸品を合わせ技で使っているのが今年の夏の自分だ(笑)
 
 
このように今何の銘柄のビールを飲んでいるかもわからない状態になってしまうのだが、確実に美味しい。
飲む30分前に冷蔵庫から冷凍庫に移してキンキンに冷やしておいたビールを「サーモスジャストフィット缶クーラー」にスポッと入れて「泡ひげビアー」をカチッとセットするだけ!
この組み合わせであなたのビールライフに革命が起きることは間違いない!
 
おためしあれ!
 
一つだけ欠点を挙げておくと……
 
通常のビール缶よりもかなり余計な重量が増すので「残りはあとこれぐらいかな…」というこれまで長年に渡って培ってきた手先の残量目安がまったくあてにならなくなることを報告しておく。
キッチンメーターで測ってみたら偶然どちらも148グラムあり、合わせると約300グラム、単純に350ミリ缶の倍近い重量になる。 
 
「なんだそんなこと」と思ったあなたはシロートさんである。
実際にやってみるとわかるのだが、視覚的に残量がわからずに重さの見当がつかないというのは、案外ペース配分がうまくいかなくなってプチ困るのだ(笑)
 
あと半年ぐらいこのスタイルを貫いていたら、あるいは残量感覚が身につくだろうか?(笑)
 
 
というわけで、たかがお酒の飲み方、されどお酒の飲み方。
結局はメンドークサイこだわりのお話でした♪

こだわりがない

ミュージシャンはこだわりの強い人間が多い。
音へのこだわりや楽器へのこだわりはもちろんのこと、それ以外の日常生活にも同様のこだわりをトレースさせている人間は多い。
趣味である釣具にも妥協なき選択をし、包丁も職人の作ったもはや“名刀”に近いものを選び、アンダーウェアはこのメーカーのコレに限る、といった“こだわり”を垣間見せる人を…至近距離でもよく見かける(笑)
 
ところが僕にはそのようなこだわりがあまりないらしい。
もちろん仕事道具だったりApple信者だったりTOYOTA大好きだったりといった傾向があるにはあるが、基本的には大雑把な性格がそれらを選んでいるような気がしなくもない。
Windowsが主流であることは百も承知なのだが、どうもOSが好きになれない、フォントが好きじゃないといった、もはやどうでもいいような理由をつけているだけのようにも思う。
TOYOTAが好きなのは「ここは日本だから日本の車が一番」という、多分言ってる内容は限りなく正しいけれども、こだわりとは真逆の究極のこだわりのなさのようにも思えてくるし、それもきっと正しい(笑)
 

こんなことを書き出したきっかけは、今朝資源ごみを捨てようとビンと缶のそれぞれのゴミ箱の中味を何気に見た瞬間だ。
 
日々欠かさず飲んでいるお酒。
他のことはいざ知らず、好きなお酒ぐらいはきっとなにがしかの“こだわり”を持って飲んでいるだろうぐらいには思っていたのだが……
それが瓶缶のゴミ箱の中を見て笑ってしまった。
 
我が家の缶類のゴミは…まぁ缶入り飲料はビール以外基本的に飲まないのでビール缶しかないわけだが、その銘柄のバラバラっぷりが実にいい加減な雰囲気を醸し出している。
「サッポロ黒ラベル」が傾向的に多いのは、単純に近所のスーパーで安売りされていることが多く、まとめ買いをするからであろう。
「キリンラガー」「一番搾り」「モルツ」「EBISU華みやび」「黒ラベル」「スーパードライ」さらには発泡酒である「淡麗」、昨日買って飲んでみた新ジャンルビール「サントリー頂(結構美味しかった!)」など、ビールそのものへのこだわりすらあまりない(笑)
最初の一本目はビールが望ましいが、酔った後の2本目は発泡酒でも構わないし、なんなら目隠しチェックをしたらビールとの差がわからない自信もある(笑)
 
そんなわけで我が家の缶のゴミは、実にアトランダムな配分でゴチャゴチャ入っていた。
これが例えばお隣さんなどは一貫して「プレミアムモルツ」しかない(高級ビールである)。
 
(写真はイメージです(笑)
 
瓶のゴミに至ってはさらにひどい(笑)
一定のマイブームはあるものの、基本的に僕はいろんなお酒が好きなので、その日の気分で飲む酒が変わる。
焼酎が最も多いが、バーボンを飲むこともあればワインを飲むこともある。
ブランデーをいただけばありがたく飲むし、沖縄でいただいた数本の泡盛は意地で持ち帰った(笑)
日本酒と赤ワインに関しては、美味しい肴やベストマッチするようなイタリアンをはりきって作った時などに満を持して開封したりすることはあるが、近年その頻度は激減している。
基本は簡単な肴とビールで晩酌をし、その後肴なしで焼酎ロックをキューっとやるのが通常パターンである。
 

日々別々の酒を飲む弊害として挙げられるのが「飲みかけの瓶が並ぶ」ことだろうか。
高級なお酒やオシャレなお酒ならばホームバーのような雰囲気で素敵かもしれないが、飲みかけの焼酎やらウイスキーやらゴチャゴチャしている上に、更には紙パックの1.8リットルなんかも混じっている(笑)
とてもじゃないがディスプレイする雰囲気ではない。
 
そしてどういった周期の巡り合わせかはしらないが、飲みかけの瓶の中味がある日一斉になくなるのだ。
ちょっとだけ残っていた瓶が3本同時に空いたりするので、十数本のビールの空き缶は安定して毎週、数本のハードリカー類が一定周期でゴミの日に出されることになる。
たまたまその酒瓶類を見かけた近所の人に「大酒飲みのサイトーさん」と誤解されるのではないか?と思ったりもする。
 
まぁ誤解と言い切るのも語弊があるかと思われるのであまり強くも言えないのだが(笑)、とにかくそんなわけで我が家の酒類の空き瓶空き缶は「こだわりもへったくれもないなぁ」と自らが思うほどにバラエティー豊かであり、きっと性格もそんな感じなんだろうなぁ…と思われても仕方がないのだろうけれども、、、
 
実はそんなこだわりのなさにこそ、ある種の執拗的なこだわりを持っているなんて言ったら?
「え?なになに?気になる」と思ってくれたりはしていただけるのだろうか?(笑)
 
次回につづく。

2017 BeastParty終了!

気がつけばBeastPartyが無事終了してから1週間近くが経っていた。
今は「ROCK IN JAPAN」に向かうツアーバスの中にいる。
お盆渋滞の始まっている高速道路は下り方向全て真っ赤っ赤(笑)
のんびり向かおう。
 
今年で6回目となるBeastPartyだったが、毎年毎年「夏が来た」と思う瞬間はこのイベントの準備をしている時だろう。
「今年はどの曲をやるのかな?」
「オープニングはどんなことするのかな?」
「やっぱりアコースティックコーナーでは素敵なカバー曲をやるのかな?」
といったファンの皆さんと同じようなことを考えつつ、ジワジワと決定していくここでしか演奏しない懐かしい曲の準備をしたり、送られてくる演出の草案を見てニンマリ笑ってみたり、あるいは「これ、どうやってやるんだろうか?」と思案してみたり……
 
そういった脳内妄想をする辺りから僕の夏は始まっているのだろう。
巷やスタッフの間ではすっかり「ビスパ」と略されているが、ここは意地のようにBeastPartyと呼称したい(笑)
しつこいようだが私は「なんでも略すな会」の会長である。
 

ところで今年の会場は沖縄!
これまでも日本各地で開催してきたBeastPartyではあるが、一気に移動距離を伸ばしてきた!
というか、こんなリゾート感濃厚でありバカンス感溢れるこの時期の沖縄である。
心情的に仕事との両立が難しそうである(笑)
ともすれば透明な海に足が向かってしまいそうではないか! 
 
ジリジリ照りつける日差しは東京の納得のいかない暑さと違って説得力があるのはよいとして、しかし曇っていても日陰にいても容赦なく降り注ぐ紫外線に油断をしてしまい、僕は本番前日のゲネプロの時点ですっかり日焼けをしてしまった(笑)
翌日から慌てて日焼け止めを塗るも時すでに遅し。
 
開き直って今年の夏は真っ黒に日焼けをすることにした。
(とは言えすぐに元に戻ってしまう体質のようで大体2週間ぐらいしかもたない(笑))
 
ちなみに日焼けしたことをTwitterに写真付きで呟いたら、タイムリーに速攻で日焼け止めや保湿ローションやアイシングのパックなどがプレゼントされてとても助かりました!ありがたや(^^
 
 
さて、今回のBeastParty一番のハプニングといえば……やはり2日目のスコールのような雨だろう。
これまでも度々雨に襲われてきたイベントであるが、今年もやはりやってきた。
約1時間の中断を経ての再開となったわけだが、お客さん、スタッフ、そして我々ステージメンバーそれぞれに大変な時間を過ごされたことと思われる。
 
後々ドキュメント映像になりそうな気もするので詳細はここでは書かないが、スタッフもメンバーもただ雨がやむのを待っていたわけではなく、あらゆる角度からの検証を繰り返していたということはお伝えしておきたい。
 
結果的には曲数を減らすこともなくMCをカットすることもなく最後の花火まで無事やり遂げることができたし、終わってみれば大雨中断したことによって、むしろ再開後のボルテージはお客さんもメンバーもさらに高くなったと思う。
「あ、今シンクロしている……同じ高揚感だ」
と、満場一致している感覚を強く味わうことができた気がする。
 
そして最後の打ち上げ花火。
大規模な花火大会のような長時間ではないが、打ち上げ花火のオイシイ部分を凝縮したような素晴らしい花火。
そしておそらくは観客全員が特等席!
あれだけの至近距離で全員がほぼ同じ視界で味わえる花火である。
そうそうは体験できないだろう。
 
あぁ、俺の夏が終わってしまう……
と思いながら最終日の花火を味わった。
 
 
……しかし心情的に夏は終わっても、コヨミ的な夏はまだ当分終わらない(笑)
 
VAMPSは今日からしばらくフェス出演月間となる。
 
熱い夏はまだ続くのだ!(どどーん)
 
 
どうか今年の夏も無事過ごせますように見守っていてください!
と悪霊を追い払うシーサー様にお祈りをしつつ……
 
 
あ!? オオトリ様!?

6月66日

うっかりしていたらブログ2周年の6月65日が過ぎてしまっていた(笑)
 
名古屋でバッチリの画像も撮らせてもらっていたのに!
 
本日沖縄で開催される予定のBeastPartyが6月66日というのはやはり何かの暗号なのだろうか?
秘密結社の陰謀か?
違う……と思う(笑)
 
たまたまであろう。
 
以上、6月66日ネタでした。
 
 
……あぁ!内容が薄い!薄すぎる!
 
こういう時はオフィシャルにもらったイカス写真でごまかすのじゃ!
おおそうじゃ!
 
Photo By IMAGEN-SAN
 
 
Twitterの煽り文句につられて「なになに?」と普段は読みに来ないクセにうっかり来てしまった人は、まぁぶっちゃけ騙されたようなものであろう。やーい(笑)
 
 
それはともかくとして、丸2年が経過し本日より3年目に突入する本ブログであるが、引き続きご愛好くださいませ(^^

劣情を催す

珍しく時事ネタを取り上げてみる。
 
とある中学校で「ポニーテール禁止」という校則が施行されているということがツイッターに投稿され、またたく間に拡散され話題となった今月頭。
その理由が面白く、
「うなじが男子の欲情を煽る可能性があるため」
というものだったらしい。
あちこちのネットニュースで見かけたので、それなりに話題になったのだろう。
しかし振り返れば、このような理不尽とも思える校則は太古の昔より数多く存在した。
 
 
今回の騒動で様々な反応がSNSを中心に寄せられたが、僕の意見は大方のみなさんと同じで、
「中学生なんてものは何にでも欲情してしまうのだから、ポニーテールだけを禁止しても意味がない」
となるのであろう。
そして蛇足ながらというか余計なお世話というか老婆心というか……一つ真実を申し上げておきたい。
こういったモノは禁止すればするほどにエロ心はどこまでも加速し無限の想像力を掻き立てるのだ、と(伏線)
 

実は僕は「ふくらはぎフェチ」である。
女性のふくらはぎをボーッと見て「……いいなぁ」と思ってしまうスケベ中年なのだが、そのきっかけは時代劇のあるシーンであった。
今となってはギャグ以外の何物でもない「あ〜れ〜!」という着物の帯を無理やり脱がされる時代劇エロシーンの定番中の定番というものがあったわけだが、そこで欲情したわけではない。
「越後屋、お主も悪よのぉ」的な悪代官が町娘のはだけた着物から出たふくらはぎをチラッと見てニンマリとスケベな笑みを浮かべるシーンで、小学生ながらに「ゴクッ」と生唾を飲み込むような興奮をさせられた。
その瞬間、以来数十年間のふくらはぎフェチという性癖が築き上げられた。
責任者出てこい!というか……小さくありがとう
 
ここで重要なことは、言ってしまえば多くの女性が恥ずかしがるわけでなく常日頃さらけ出してくれている“ふくらはぎ”が、超エロいカットとして描かれたことによって、まるでパンチラのような、あるいは芸能人水泳大会のアクシデントであるポロリのような、例えようもなく貴重で衝撃的なカットとして斎藤少年の目に焼きついたことだ。
 
これは漫画家の吉田戦車氏も同じようなことを過去にマンガにしていた。
お色気ムンムンのボディラインギリギリの服でクネクネされても特に色気を感じることもないが、緩んだ浴衣の襟元からごく稀に見える胸元であったり、髪の間からチラッと見えるうなじであったりにそこはかとない色気を感じたりする、と力説されておられた。激しく同意である。
 
水着姿のふくらはぎはポイントが低いかもしれないが、浴衣姿におけるふくらはぎは基本見えないけど時たま見えることがなくもないという、ランダムエンカウントのレアアイテムという見方ができなくもないのだ。
 
追記:だからといってふくらはぎを見て“のべつまくなしに”欲情するということもありませんので誤解なきよう(^^;
 

チラリズムという造語がある。
 
チラリズムとは、全裸や性器の露出といったあからさまな性的アプローチよりも、偶然や何かの拍子に見えてしまう下着や素肌などが醸し出す淡い色気の方に興奮する性的嗜好を指す。(wikipediaより転載)
 
 
ちなみに札幌のススキノには同名のキャバクラがあり、暗い店内の床はなんと一面鏡張りなんである!
そこをキャバ嬢がミニスカートで歩くという、言ってしまえばそれ以上もなくそれ以下もないお店なのだが……これがしょーもないスケベ男性諸君には絶賛ウケまくり、週末ともなれば一時間以上の行列ができる人気店となった。
時はまだ21世紀になる前であった。
当時たまたまそこの店長と知り合いだった僕は、長蛇の列をパスして店内にすぐに入れてもらえたことがあるのだが、確かに床は一面鏡張りであった!(*´艸`) 
しかし……店内の照明が暗すぎて実際はほとんど何も見えないんである!(´・_・`)
「インチキ!インチキ!」
と思いはするものの、周囲を見回しても不満の表情を浮かべている客はいない。
 
確かに昼間のように明るい照明に煌々と照らされるパンチラとなると、それはチラリズムの風上にも置けない邪道となるのであろう。
かくしてささやかなフェチを持つ男性諸君はあくまでもごく稀にチラッと「え?今のきっとそうだよな!?確かに見えたよな!?」と思えるようなチラリズムを合法的に満たすために決して安くはない料金を払うのであった。
 
今もススキノに同店があるのかは不明だが、ここでお伝えしたいことはお分かりいただけるであろうか?
 

結論に向かう。
ポニーテールを禁止するのは結構なのだが、その中学校の未来がどうなるかといえば……
これはもう圧倒的なまでに「うなじフェチ」が量産されるであろうということだ。
今までは一定量が視界に供給されていたのに、ある日を境に目の前から消えてしまった女子のうなじ。
これは日頃の劣情を催すことがなくなる代わりに(中学生の淡いその程度の感情を劣情と言うのであれば世の中は激情まみれだとも思うけれども)、静かで熱い膨大なエネルギーが蓄積されていくことになる。
 
翻って考えれば、我々が女性の裸体に劣情を催すのはなぜかといえば、身も蓋もない言い方をするならば「普段隠されているから」となるのではないだろうか。
いや、本当に身も蓋もない言い方をするならばね(笑)
 
ヘアヌード解禁時にも似たような論争が巻き起こったことをこのタイミングで思い出した。
あれは樋口可南子さんが最初だったのだろうか?
日本国民の間ではずっとタブーであったアンダーヘアーが解禁され、空前のブームが巻き起こったものの……
ブームはまた急速に収束をしていったように記憶している。
今となっては当たり前となってしまったヘアヌードのわけだが、果たして解禁前と後ではどちらがエロかっただろうか?と考えると……
僕はきっと解禁前の隠蔽体質に、より隠微なエロを感じていたと思う。
解禁はファンタジーを殺し、青少年はまた一つの淡い幻想を奪われる。
 
 
ここで話を元に戻す。
本当に「男子の欲情を煽る可能性」を未然に防止したいのならば、禁止はまるで逆の方向であることをPTAをはじめとする関係各位はキチンと把握したほうがよい。
目の前にゴロゴロしていればすぐに慣れるのが人間なのだ。
 
もしも日本のモラルが「女性は普段からなるべく水着での生活が望ましい」となったら?
「もしもボックス」があれば早速試してみたいところではあるが、その答えは火を見るよりも明らかだ。
答えは「水着姿の価値が暴落する」である。
水着姿や下着姿が美しくも悩ましいのは、それが普段滅多に拝めない貴重な瞬間であるからなのだ。
 
某ロックバンドは年に一度、お客さんの多くがビキニ姿になるらしいというけしからんイベントを催しているらしいが、これにしても「年に一度の特別な日」だから許されるのであって、これが常日頃となると……えーとあのそのいろんな意味で仕事にならなくなるのでやめてください(´_ゞ`)ちーん 
 
 
悪いことは言わない。
ポニーテールを禁止した中学校は、なるべく早くにこの校則を撤廃したほうがよい。
 
さもないと……またしょーむないフェチ嗜好の同志がイタズラに増えていくだけだ。
私はふくらはぎも好きだが、実はうなじこそ大好きだ。
 
その理由は……
話すと長くなるのでそれはまたいずれ(笑)

 


(とどめ)

こういったモノは禁止すればするほどにエロ心はどこまでも加速し無限の想像力を掻き立てるのだ(前述)

……むしろどんどんおやんなさい。健全なエロを育てるにはオープンよりもクローズ、隠して隠して隠し通して広がる未知の世界!おおおお!←