機能美

ハンガリーのピアニストであるゲルゲィ・ ボガーニ氏なる人物が「The Bogányi Piano」という近未来的な新しいスタイルのグランドピアノを開発、このたび製品化されたそうだ。
 
 
これまでの常識や固定観念をひっくり返すようなデザインのピアノである。
僕の読んだネット記事は概ね肯定的な内容であり、ハンガリー政府はまとめて10台発注したとか。
一台3,000万円程するらしいのだが、お宅でも一台いかがでっか?…というお気軽な値段でないことは確かだ。
国産ピアノでもグランドピアノともなれば国産車一台分、スタインウェイなどの高級ピアノともなれば同じく高級外車に匹敵するお値段となるが……3,000万円となるともはや家一軒レベルの値段である。
 
このピアノ、かつてない斬新であるという点では評価されるべきデザインではあると思うけれども、僕の頭の中はとりあえず「???」に支配された。
 
あらかじめ逃げを打っておくと、僕はデザインについて何かを学んだことなど全くないズブの素人である。
偉そうなことを“したり顔”で言うつもりなんて毛頭なく、あくまでも素人が思ったことを小さな声で囁いてみるだけ、と思っていただけたら幸いである(笑)
 
例によって話が横道にそれまくるように思えるだろうが、きっと元に戻ってくるのでゆるくお付き合いいただけたらと思う。
 

僕の乏しいデザイン知識の中でもまず筆頭に挙げたいのは、モータースポーツの最高峰「F1」だ。
 
F1マシンというものは文句なく見た目にカッコイイわけだが、あの美しさこそ機能美そのものと言えるだろう。
美しくもカッコイイ!
しかしF1マシンのデザイナーは、あくまでもレギュレーション範囲内で最も効率的な空力性能を模索して作り上げるわけであって、「かっこいいマシンにしよう」とは微塵も思っていないそうなのだ。
 
独特の形状は車体を地面にへばりつけるダウンフォースという力を得るため、あるいは効率よくエンジンに空気を送りつつ冷却もしつつ、余計な風の流れでマシンバランスが崩れない等々、複合的な理由であのような形状になっていく。
 
結果としてそれら全てに対して100%に近い効果を発揮するデザインに仕上がった時、そのマシンはかっこよくなっているという寸法だ。
 
一切の無駄のない完璧なフォルムは見た目にも美しい。
逆に言えば、速いマシンは自動的にかっこよく見えてくるものなのだろう。
F1の世界には「かっこいいけど遅いマシン」は存在しないのだ。
 
毎年毎年レギュレーションが変わる中で「よりよいベスト」を模索すると、各チームほぼ同じようなデザインに帰結していくようだ。
 
 
これは自然界においても同様のことが言える。
例えばイルカやシャチやサメといった海洋生物の流線型の美しさなどは、哺乳類と魚類の違いがあっても多くの共通点を見出せる。
海中で最も効率良く素早く動ける形に何万年もかけて進化してきた生物の姿は、まさに機能美そのものと言えるだろう。
 

こういった自然界のフォルムをデザインに応用する流れは多い。
「フラクタル」「フィボナッチの数列」「ベルヌーイの螺旋」などに代表される自然界における黄金比は、デザインに限らずあらゆる分野に応用されている。
 
(名古屋市科学館でも詳しく解説されていますぞ)
 
「イルカの流線型を真似してみたらなぜかF1マシンのタイムが上がった」というほど簡単な世界でもないだろうが、「効率の良いスピード」という共通した要素があるだけでも話としては十分可能性はあるかもしれないし、実際にイルカのフォルムを応用した水泳着や潜水具、また洗濯機の回転翼や掃除機のモーターなどにも応用されているそうである。
こういった「バイオミメティクス(生物模倣)」という分野は、工業デザインに限らず医療などでも幅広く研究されており、アイディアの宝庫であるらしい。
 
 
ここで重要なのはこういった「凄いもの」「かっこいいもの」の理由がわからないままに「かっこいいから」と真似だけをすると、実にオソマツなものしか出来上がらなくなる、ということだ。
「流線型が美しいからマグカップのデザインに採用」といったトンチンカンな応用の仕方をしてみたところで、そのマグカップに「機能美」を感じることは決してない。
なぜならマグカップとイルカのスピード性能はあらゆる角度で検証しても関連性がないであろうからだ(笑)
 
にもかかわらず、こういった関連性において根拠のないデザインというものが世の中には案外多いような気がしているのは、僕だけではあるまい。
流線型の加湿器、流線型の携帯電話、流線型のUSBメモリー、etc,etc…
 
それらの商品の形状には必然性がなく、あまつさえ「使いにくい、持ちにくい」といった欠点すら感じてしまう。
僕はこういった商品デザインに疑問を感じてしまうのだ。
 
以前テレビで有名デザイナーと思わしき人が「今や商品開発はデザインありきであるべきなのに、様々な制約が多くて思うようなデザインが出来ずにかなりの妥協を強いられている」といった苦言を呈されていた。
しかしそれでは本末転倒というか「あなたは何のためにデザインをしているの?」と思わざるを得ない発言だと僕は感じてしまった。
 
例えば「スマートフォンのホームボタンは親指で押すのが最もスムーズな位置だとは思うけどデザイン的にカッコ悪いから裏面、中指で押すように仕様変更してよ」というワガママを言っているようなものではないのだろうか?
「機能よりもデザインありきであるべき」という意見は(程度の差はあるにせよ)一介のエンドユーザーとしては傲慢であると感じてしまう。
 

といった流れで最初のピアノの話題から話は大胆にそれたが、次回は楽器の話題から再びこのピアノに戻ってくる予定である。
 
……ここまでの流れからすると、どう考えても絶賛にはならないヨカーン(^^;