月別アーカイブ: 2017年9月

中古水

全米ツアー中のVAMPSである。
過酷なツアーには違いないが、そこはそれ。それぞれ日々に楽しみを見出しながら空いた時間をエンジョイしている。
僕の楽しみといえば……このツアーを俯瞰的な視点で考察すること。
バス内での生活の様子一つとってもよくよくジックリと観察していると、思いがけず面白いことを発見できたりする。
今日は他愛もないちょっとしたことを一枚の写真から紹介してみたい。
 
 
なんてことはない、ツアーバスの前部ロビーである。
写真をジッと見てなにか気がつくことはあるだろうか?
真昼間からワインがあけられているが僕の仕業ではない。じゅーけんである(しかも2本目)
僕は基本的に日が明るいうちは酒を飲まないのだ。
 
バスは以前も紹介したことがあるが(http://jinxito.com/2017/05/08/busguide1/)、長時間ドライブによる振動対策があちこちに施されている。
冷蔵庫のドアにロックがついていたり、引き出しもそれぞれ簡易的なロックがついていて勝手に開かないようになっている。
当然ドリンクホルダーもちょっとした振動ではこぼれないよう深めの作りだ。
ドリンクホルダーには何も問題はないのだが…問題はとにかく飲みかけの水がやたら放置されがちなことだ。
 
同じ写真に丸をつけてみるとこれだけでも4本。
各メンバーなんとなく座る定位置はあるにせよ、流動的にポジションが入れ替わるバス車内なので、こうした「誰が飲んでいたのかわからない飲みかけの水」が日々量産されている。
 
基本的にバスの蛇口からも水は出るのだが、手を洗うまでがギリギリラインの品質らしく、歯を磨くのはもちろん、顔を洗うにしてもペットボトルの水を使っているぐらいだ。(おかげで片手で顔を洗うのが上手になった(笑)
そういった水の用途も合わせると、本当に日々膨大な量のミネラルウォーターが消費されているのに加え、このように持ち主不明の余りもたくさん出ている。
水に関しては100本単位で毎回会場からもらったりしているので常時豊富なストックがあるのだが、だからといってそのまま捨てるのはさすがにもったいないし、バスの排水タンクの容量もあまり大きくない。
トイレが溢れるのは勘弁である。
 
さてどうしたものか?
 
そこで考案されたのが持ち主不明の水はただちに「中古水」という扱いをすることにし、一箇所に集められるという取り決めがなされた。
 
 
これらは手を洗うのに使ってもよいし、顔を洗うのに使ってもよい。
さらに……
 
そう!電気ケトルで煮沸をすることで「チャラ」とする取り決めもなんとなく可決された(笑)
「え?誰が飲んだのかわからないのに不潔!」と思われる方もいるだろうが、普段もビールのまわし飲みとか貴重な国産カップラーメンのまわし食いとか普通にしているのだから、水にしたって別に構わないではないか。
 
とはいえ、時間の経過したペットボトルの飲み口というのはなんとなく抵抗がなくもない←その程度の軟弱な精神ですがなにか?(笑)
 
そこで煮沸ですよ!
 
結果としてカップ麺や味噌汁に使ったり、ウイスキーをお湯割にしたり、焼酎をお湯割にしたり、ほどよくぬるくなったところでコップの洗浄に使ったりと、いろんな再利用ができるわけである。
 
ペットボトルにマジックで名前を書けばよさそうなものではあるのだが、これが案外面倒くさい。
Jim、Jordan、Ju-ken、Jin、
といったように同じ頭文字も多く、
「このJ、誰のJなのよ?」
と混乱するのも必至だ。
筆跡鑑定するのもナニだし、マジックの色を変えるとかもアレだし、なんかどんどん話が面倒くさくなってるだけだし(笑)
 

といった中古水の使い方についてだけを語ってみたわけだが、一つちょっとした別視点を挙げるならば……
アメリカの水の販売価格はとにかく不当に安いということだ。
 
 
これはブランド品だからちょっと高いが、それでも36本で$7.99とか。
安い水だと$3.5とかで36本買えてしまう。
つまり1本500mlが10円しない計算になる。
 
そう思うと、チマチマ煮沸するまでして使わなくてもよさそうにも思う(^^;
おや?またもやちゃぶ台返しのようなオチとなってしまったのだろうか?
 
でもなんとなく日本人ぽいつましさというか、モッタイナイの感じが出てしまうのであった。
 
現在シアトルからロサンゼルスに向けて帰還中!
 
To Be Continue!

そしてまたアメリカ

既にツイートもしているが、アメリカに来て1週間が経つ。
ロサンゼルスで機材をピックアップしてサンフランシスコに向かうも、メインアクトの体調不良で公演延期となりラスベガス、テンピでのサポートアクト公演を経てロサンゼルスのヘッドライナー公演を終え、再びサンフランシスコに到着←今ココ
 
(今ココ)
 
巨大な寝台バスでのアメリカツアーはこれで3回目、イギリスツアーも含めれば4回目となる。
このブログを立ち上げた最初のきっかけが、バスツアーという体験そのものがあまりに面白くてその詳細を伝えたくなったからなのだが、さすがに慣れてきたのかネタになるようなことが減ってきた。
というよりは、最初のバスがあまりにもポンコツすぎただけなのではなかったのか?(笑)
今回のジェイミー氏も前回のオットー氏もとても安定したドライビングだしバスのメンテナンスも万全、まめに清掃もしてくれている。
結果としてさんざんな目もよい思い出として残っている最初のバスツアーではあるが、やはりリアルタイムを過ごす立場からすればトラブルは起こらない方がいいに決まっている(笑)
 
(何やら不穏なバス車内(笑))
 
バス生活は相変わらずで、ライブが終わった深夜から晩酌が始まり、各自カップ麺を食べたくなる誘惑と戦いつつも大体負け(笑)、そして僕に関しては大体記憶が曖昧になって目覚めたら昼過ぎといったダメ人間生活をしていると、なかなかブログを更新できないという流れに落ち着いていますがなにか?(笑)
 
(このTシャツには呪いがかけられているようで着るとその通りのことが起こる?) 
 
(イマイチな味…と思ったものにかけると不思議と成立する不思議な調味料)
 
 
助っ人外人部隊のジョーダン、コーリー、ジムも健在。
考えてみれば再び同じチームが集まることが、ちょっとした奇跡に思えてくる。
相変わらずジョーダンはちょっとエッチで、コーリーはクールガイで、ジムは陽気で力持ちだ。
 

そしてこの辺りで今回のツアーに慣れてきた実感が湧く。
日々の生活パターンや会場での段取りなどが定着してくるといった感じだろうか?
 
とはいえ今日でサポートアクト終了となるのでまた微妙な変化が起こるし、バス生活も間もなく終わる。
南米は飛行機移動となるし、中止となったメキシコシティー公演前後のスケジュールはまだ曖昧なままだ。
 
とかく臨機応変な対応力を求められる海外ツアーではあるが、それにしても毎回毎回一筋縄では終わらせてくれない何かが必ず起こる気がする。
 
これからもちょこちょこいろいろ起こりそうだが、いちいち乗り切っていきたい。
 
To Be Continue!

たまにはシンセの話でも…その5

先日、マニピュレーターのK氏とお茶をしながら「近況報告・最近の傾向」といった同業者同士の情報交換をし合った。
K氏は水道橋にある某音楽専門学校時代の同級生なので、かれこれ30年来の友人となる。
使ってるソフトのバグ報告といった細かい話題から、お互いの現場での機材の流行傾向や使い方など、興味のない方にとってはまるでどうでもいい話というか…つまるところどこまでも果てしなく地味な内容を、おそらくは謎の専門用語中心で会話し続けていたことになろうか(笑)
 
お互いに楽器運びのアルバイトから始まり、昨今のブラック企業顔負けの苛酷な労働条件で働き続け、なんとかフリーで一本立ちこそできたものの特筆するほどのお金持ちになれたわけでもなく、さしたる名声を得られたわけでもない。
僕に関しては40歳を過ぎてからステージにひょっこりと出させてもらったおかげで、こうして多くのフォロワーさんがブログを読んでくれるような状況に発展させていただいたわけだが(VAMPSさんありがとう!)、ことVAMPS以外にやってきた仕事となると(仕事の大小はともかくとして)CDクレジットにかろうじて名前が確認できる程度だ。
 
「好きなことを仕事にしています」と胸を張って言えればカッコイイのだろうが、30年間のあいだに関わり続けてきた音楽を振り返ってみると、もはや自分にとって何が好きな音楽でどのジャンルが得意なのかすらわからなくなってしまっている。
「好きなことを続けている」というよりは「これしかやってきていない、つまり他のことができない」が最も正解に近い答えのようにも思う。
 
夢と希望にあふれた十代だった頃からお互いを知っているK氏と僕ではあるのだが、当然お互いに年をとった。
情報交換以外の話題といえば○○予防とか○○防止といった健康話ばかりしていたように思う(苦笑)
だがそんな会話の中で一つ気がついたことがあった。
 
それは結局のところ、僕らはシンセサイザーという楽器が好きであるということだ。
シンセサイザーを操作すること、コンピューター等の外部機器を使ってシンセを演奏させることに無類の喜びを感じる人間であることを改めて認識した。
 
それはそれでヲタク道を極めるべくスクスクとマニアックに育っていくだけの話ではあるのだが、こういったシンセやDTM(desk top music)の世界は、一筋縄では済まされない実に面倒くさいテクノロジー事情がある。
 
バイオリンやピアノの演奏といった古くからある楽器の演奏習得といったものと違い、電子楽器の歴史は実に浅く、加えて技術の進化によって次から次へと常識やルールが変わり続けていく。
その時代の流れについていくことが楽しくもありチャレンジでもあるわけだが、進化を追いかけ続け、得られるノウハウもまた次々と入れ替わり続けることで、なんといったらよいのだろうか……いつまでもたっても素人のままのようなものなんである(^^;
これではまるで常に内容が更新され続ける資格試験を受験するようなものではないか(笑)
 

故・冨田勲氏の自宅スタジオの風景などは、まさに10代の自分の「究極に憧れの空間」であった。
十数台のシンセサイザーに数台の録音機、数台のミキサーに無数のエフェクター群。
念のため部屋が狭いわけではない。機材が多すぎるのだ(笑)
(今こうして写真を見るだけでもゾクゾクするような高揚感を得られる)
 
多重録音ひとつをとっても、ほんの十数年前は48トラックの録音のできる機械は数千万円もし(SONY3348)、そのルックスは業務用大型コピー機よりも大きな図体をしていた。
(僕が初めてこのレコーダーを見たのは向谷実氏のスタジオ「STUDIO JIVE」で、導入当日6人がかりで段差を下ろすのを手伝った思い出がある)
 
しかし、比喩表現ではなく今ならスマートフォン1台で富田氏のスタジオやこの業務用レコーダーを凌駕することすらできるだろう。
さすがにiPhoneの小さな画面では無理があるとはいえ、iPadであればかなり現実的、ノートPCであれば確実に凄いことができてしまうだろう。
 
つまり僕らの偏愛とは裏腹に、時代はどんどん無骨な機械を使わない方向に向かい続けている。
今や音楽制作はパソコンの中でほぼ全てが完結してしまい、従来の「演奏させる機械→伝達する機械→発音する機械→音を混ぜる機械→音を加工する機械→録音する機械」といった流れ全てが画面内だけで完結出来てしまう。
 
(こんな感じで画面の中にあらゆる機能が散りばめられている)
 
ここ十年余り、「なにかが違うんだよなぁ……」と思い続けてきた違和感は、まさに我々が探求し続けてきた進化の道とは真逆の方向であったようなものだったのだ。
ツマミをイジったり、結線するケーブルの質にこだわったり、機材のレイアウトに命をかけたり、といったことがどんどん不要になってきて、作業の中での「萌えポイント」もまた減っていく。
 
効率的だし劣化もない、便利には違いないし明らかに合理的なのに、しかし面白みに欠ける。萌えない。
これは一体どうしたことか。
 

僕らとはレベルが違いすぎるが、映画監督の宮崎駿氏がCG(コンピューターグラフィックス)について以前こんなことを語っておられた。
「CGは確かに画期的な技術だし便利だしキレイだけども…僕は単純に手で絵を描くことが好きなんです」
「CGの修正ともなるとまさに“苛酷で単調な作業”でしかなく、そこには面白みも何もない」といったことも話しておられた。
「千と千尋の神隠し」では多用されたCGではあったが、「崖の上のポニョ」では再びCGを一切使わない作画を貫いたそうだ。
引退の撤回、次回作の制作を最近発表した宮崎さんではあるが、どんな作品になるのか今から楽しみである。
 

トータルリコール(完全に記憶し完全に再現できる能力、機能)は現代のクリエイティブな現場には必要不可欠であるとされている。
そしてその流れが今後大きく変わることはないだろうし、ますます進化をしていくことだろう。
その際たる例が上に紹介したような「パソコンの画面内で全てが完結できる現代のDTM」になるのであろう。
 
そこに向かってシンセやその周辺機材もまた正常進化を遂げていったことになるのだろうが、、、
「トータルリコールという革命的要素のために肝心の何かがなくなってしまった」ということになるのではないだろうか?
 
これは、アナログレコードは扱いが面倒で保管も大変ということでコンパクトなCDとなり、さらなる利便性重視でmp3などのデータに変貌していった音楽配信事情にも似ている。
しかし今改めて手間暇をかけてレコードをプレーヤーに乗せて針を落として聞く音楽の味わい深さに回帰する流れがある。
その「手間暇」というステップを経て聴く音楽は、iPhoneのシャッフル機能やアップルミュージックでたまたま流れる音楽とは明らかに別の聴き方となる。
本来能動的に聴いていた音楽が、いつの間にか受動的になっていたことに気がついた人たちが、再び能動的な聴き方をし始めたと取ることもできるだろう。
 

環境が不完全であるがために失われるモノもあるが、不完全であるが故に得られるモノもまた沢山あったのではないだろうか?(前回のProphet-5の電源ユニット話のように)
そして音楽という表現手段は、都度変わる環境によって得られる偶発性やインスピレーションで昇華するものもまた多い分野なのではないだろうか?
 
 
時代に取り残されたロートルマニピュレーターの愚痴なのかもしれない。
しかし、だからこそ今はステージでの操作が面白い。
複数台の鍵盤とサンプリングパーカッションをPCで制御し、バックアップPCを連動追従させつつもDJ感覚でシーケンスそのものを無限ループさせたり、曲の途中で一度止めたりといったアナログ動作がとても楽しい。
(VAMPSでの僕のステージセット。正面、左側、右側の各セクションは連動している。冨田勲氏のスタジオの足元にも及ばないが「機械を制御してる萌え❤️」を確実に感じられる)
 
そして何よりも毎回微妙に変わる演奏、毎回違うオーディエンスの反応、それにより得られるテンション。
 
ライブは時代がどこまで進化しても変わらぬ不確定要素の塊だ!
 
と断言して差し支えないだろう。
 
翻っていえば、音楽の不確定要素が好きだからこそ、僕は今の仕事に巡り合う運命にあったのかもしれない。
 
僕をライブ現場に誘ってくれた運命の女神様には感謝の言葉もない。
その女神様は男だけど、ある意味女神様のように美しい(^^
 

シンセの話から最後はライブの話で締めくくろうと画策したものの、都合6回計15,000文字以上使ってしまった(^^;
 
 
ようやく書きあがった!
最後までご静読ありがとうございました!
 
これで明日から心置きなくアメリカツアーリポートに突入できる!(嬉)

たまにはシンセの話でも…その4

「鉄道マニア」と一言でいっても「乗り鉄」「撮り鉄」「模型鉄」「スジ鉄(時刻表鉄)」「降り鉄」「駅弁鉄」など多数に分派されるように、「シンセマニア」にしても同様にかなり細分化されることだろう。
「演奏派」「音作り派」「打ち込み派」「収集派」「懐古派」「同一機複数収集派」「並べて眺めて悦に浸る派」「一台で完結させる派(多重録音派)」などなど、ちょっと考えただけでもバンバン思い当たる節や人が頭の中に浮かぶ(笑)
 
「ハードウェアでなければ興味なし!」と言い切るシンセマニアはさぞかし多いことだろう。
上記のデタラメに書いた派閥にしても、4番目以降ハードウェアがなければ成立しない。
というマニア視点から考察すると、前回までに解説してきた「シンセが辿ってきた合理化の道」が、実のところ嗜好性を無視した流れであったということに最近になって気がついた。
 
ツールとしてのシンセならばソフトだろうがプリセットのみだろうが構わないが、やはり愛機としてとことん愛でたい、愛着を持ちたい、凛々しい姿をウットリ眺めながら寝落ちしたい、木目をとことん磨き込みたいといった、やや偏よった愛情を育むのであるのならば、やはりハードとして手に触れられるものであることが絶対条件となるだろう。
 
……これがいわゆる「持論を展開」であり、無論異論は全て受け入れます(笑)
 

坂本龍一氏が「このシンセで作れる音は全て作りきった」と豪語したことで知られる有名なシンセサイザーがある。
(坂本氏は2011年にも「未だに最も好きなシンセサイザー」と発言している)
Sequential Circuits Prophet-5(シーケンシャル・サーキット「プロフェットファイブ」)
 
このシンセにはいろんな逸話があるのだが、特に僕が好きなのが電源ユニットの話だ。
非常に独特で味わいのあるサウンドを生み出すこの名機。
しかし欠点もいくつかあり、その中でも「不安定さ」には多くのユーザーが悩まされた。
(プロフェットに限らずこの頃のアナログシンセは大体そうだったのだけれども)
 
電源スイッチを入れてからしばらくしないと安定してくれない、チューニングが頻繁にズレる、音質そのものが不安定だったりといった不具合が頻発し、その原因の多くは「電源ユニットの不安定さ」に起因するものだったらしい。
当時アシスタント兼楽器運びだった僕の記憶でも、アナログシンセはとにかくマメに修理に出していたしオーバーホールもしていた。
ヤマハ渋谷店には月に数回は行ってたように思うし、コルグ、アカイ、ローランドといった主要メーカーは直接修理受付に持ち込むことも多かった。
 
中でもモリダイラ楽器の林さんといえば当時マニピュレーターをやっていて知らない人はいないぐらい「外国製シンセをなんでも直しちゃう達人」だったのだけども、その林さんから面白いことを聞いたことがある。
 
「Prophet-5の電源ユニットがあまりによく壊れるのでもっと安定していて丈夫なユニットを自分で作って付け替えてみたら見事に壊れないシンセになったのだけども、肝心のイイ音が出なくなってしまった」というのだ。
しかもその音は量産タイプの廉価版「Prophet-600」にソックリなのだという。
 
同社Prophet-600。当時170万円というスーパープライスだったProphet-5に対して34万8千円とかなり現実的な値段で発売されたのだが、Prophet-5と同じ音というわけにはいかなかった。
 
つまりProphet-5は、不安定な電源ユニットこそが「深く温かみがありつつもソリッドでキレキレの音をも生み出す重要な要素」でもあったのだそうだ。
パラドックス、必要悪、あちらを立てればこちらが立たず、It is hard to please all parties.
といった言葉やことわざのようではないか。
 
不完全こその魅力
 
僕の中に今も尚深く刻まれている話だ。
 

さらに続く(サンフランシスコに来ちゃったのに全然終わんないじゃんか!)

たまにはシンセの話でも…その3

(前回までのまとめ)
元々は巨大で複雑な電子機器であったシンセサイザー。
鍵盤がついて一気に楽器に近づいたが、しばらくすると再び鍵盤がつかなくなりラック音源化が主流となる。
そしてラック音源からPC画面の内部にのみ存在するバーチャルな「ソフトシンセ」に変貌を遂げ……そしてまた再びツマミだらけの鍵盤楽器に戻ってきている。
ソフトシンセまでの流れは常に「コンパクト化」「合理化」がおもなる理由であったと思われる。
 
シリーズ4回目となる今日は、国産メーカーRolandの名器JUPITER-8を具体例にコンパクト化の進化を追ってみよう。(という前振りからわかる通り、どうやら今回も結論にはたどり着かないらしいが気にしてはいけない)
 
JUPITER-8(オリジナルモデル)
1980年発売 定価は98万円と国産シンセではかなり高価だった
 
 
MKS-80(ラック音源モデル)
1984年発売 「SUPER JUPITER」という名前に当時滾ったものだ。厳密にはJUPITER-8のラック音源化ではなく廉価版のJUPITER-6を8音ポリフォニックにしたモノといった方がニュアンスは近いがどれも出音は異なる。尚廉価版とはいえJUPITER-6にしても50万円以上した高級シンセであったし、このMKS-80にしても本体だけで30万円以上した。当時はなんでも高かった。
 
JUPITER-8V(エミュレートシンセ)
2010年発売 今回の連続記事で毎回登場する会社Arturia製のソフトシンセJUPITER-8V。ほぼ完璧にコピーされているが例によって性能は飛躍的に向上している。写真のようだがこれは実在しない「CG」である。定価12,189円とこの中では破格のプライスである。
 
JUPITER-80(新型)
2011年発売 オリジナルブランドからの新ナンバリングとなるJUPITER-80ではあるが、その内容は大きく異なる。実売価格33~34万円と現代では結構な強気のお値段。
 
写真だと大きさが実感できないのでピンとこないかもしれないが、当然シンセサイザー本体というのはデカい。
鍵盤の無骨なサイズ感と重量感は言わずもがなであろうし、コンパクト化されたラック音源MKS-80ですらコントローラーを合わせると6U、ケースに入れられた状態のイメージは「冷蔵庫の野菜庫」ぐらいはありそうだ(笑)(高さ43cm×幅65cm奥行き64cm~)
 
またラック音源は、スタンドに置かれた鍵盤まで移動をして操作するよりも手元ですぐに操作でき、同様の他の音源と合わせて音を作るときにも便利だ。
セッティングにしても電源ケーブル、オーディオケーブル、MIDIケーブルなどがラック内であらかじめ配線されている状態なのでスピーディーでトラブルも少ない。
 

これがソフトシンセJUPITER-8Vになると、物質としてのカタチがなくなり、パソコンの画面内にのみ存在するものとなる。
最近はダウンロード販売がメインなので、もはやインストールディスク1枚としてのカタチすら残らない(笑)
いかに小さくなったかが実感いただけるかと思う。
 
さらにソフトシンセは、本体の物理的な姿カタチが消えるだけでなく、接続するケーブル類も同時に消えることになる。
パソコン内に音を出すシンセがあり、録音機能があり、バランスを調整するミキサーがあり、音を加工するエフェクターまで全てが揃っているのだ。
 
それら全てがケーブルレスでつながっているのである。
よくよく考えてみれば究極の合理化ではないか!
 
シンセの進化だけで考えると「なぜ?」と思える方向性も、全体の流れを追っていくと極々自然なる変化であることがわかってくる。
 
現代はノートパソコンの中に数十台のシンセとスタジオ機材がまんま入っているようなものなのだ。
 
プロレベルでの話となると他にも利点は無数にある。
使用する電源ケーブルやオーディオケーブルの品質によっても音質は変わるし、接続するミキサーやエフェクターを経由すればするほどに音質は劣化していく。
演奏データ用のMIDIケーブルにしても「遅延」が発生し、初期の頃のMIDI機器は20〜30msec(0.02〜0.03秒)ほど発音が遅れていた。
「たったそれだけで?」と思うかもしれないが、秒速340メートルという音の特性を考えると、0.1秒で単純に34メートル離れてしまうことになる。
東京ドームや野外ステージで感じる「あの違和感(ステージを見ている光景と聴こえてくる音のズレ)」は案外小さな数字でも起こるのだ。
 
実際に鍵盤を弾いて発音されるまでの時間は20msecあたりでもう気になりだし、30msecでかなり不快な遅れとなり、50msecはもはや演奏が困難となってくる。
ソフトシンセがで始めた頃はむしろハードウェアよりも大きな遅延が発生していたのだが、コンピューターの進化によって現在は逆転しており、演奏時で3~5msec、プレイバック時は0.1msecという極めて短い遅延時間を実現するまでに至っている。
 
まわりくどい説明になったが、あらゆる音源やエフェクターがパソコンの中のみで完結していくことによって、そういった悩みの種や余計なしがらみが全て払拭されていったのである。
 
これを革命といわずしてなんと言おうか?
 
 
にも関わらず、今シンセサイザーは次の進化、というよりはむしろ退化の方向に戻っているようにも見受けられるのはなぜだろうか?
前回話した「イジっている感がないから」も大きな理由ではあるとは思うけれども、さらなる根本的な理由があると実感している。
それは……
 
いよいよここからが最も語りたい部分となるのだが、ここでまた区切ることにする(笑)
 
次回は「トータルリコールのもたらす光と影」が主な講義内容となるので十分復習をしておくように(笑)
 
…結論に向かって調べ物をしていると、どんどん追加事項が増えていくという悪質金融業者の利息のような状態となっております(^^;
 
読者がいようがいまいが、斜め読みだろうがなんだろうが、つづく!

たまにはシンセの話でも…その2

前回はグランツーリスモからお台場のガンダム立像まで話が脱線したが、いよいよ話を最初に戻してシンセサイザーの話題に戻ることにする。
 

 つい先日国産メーカーKORGからiOS版のiMONO/POLYが発売されたという嬉しいニュースを読んだ。
僕はこれのPC版を数年前既に購入しているのだが、ジッと見ていると欲しくなってしまうので見ないようにしている(笑)
それにしてもオリジナルのハードウェアよりも「できること」が大幅に増えており、4VCO×32音といった想像を絶するようなポリフォニックシンセにもなっていて、それでいて価格が2400円だというのだからビックリさせられる。
いくら原価がかからないとはいえ、iアプリはここまで不当に安くなければ売れてくれないものなのだろうか。
 
ハードとソフトのツーショット。当時(35年ぐらい前)それこそ徹夜していろんな音を作りまくったなぁ……
 
ソフトウェアである強みは音作りを視覚的に認識しやすい点だろう
 
しかし一見わかりやすく見えても、実のところシンセサイザーの一番の魅力である「ツマミをいじりながらイメージの音を作り上げていく喜び」という点に於いては、ソフトシンセは僕にとってはどうにも魅力的ではない。
画面のツマミをマウスでクリックしてもドラッグしても楽しいと思えないのだ。
 
操作している感の希薄っぷりたるや…
 
これがソフトシンセ最大の欠点であると思う。
あらゆるソフトシンセに対応した外部コントローラーも各種用意されてはいるが、どうも滾れないのが実情だ。
 

 
一方で別の流れも生まれている。
僕がここ数年VAMPSのステージで使っている同社「KRONOS」は、ハードウェアでありながらソフトシンセを内包しているというタイプの新しいシンセサイザーだ。
 
たくさんのソフトシンセが詰まっているという発想で作られたシンセサイザーである。
 
デジタル技術でアナログを再現し融合させることで新しい音作りを目指す方向性は素晴らしいと思う。
がしかし、やはり「ツマミを動かす快感」という点では、KRONOSのノブは心細い小ささだった。
「アナログっぽい操作」にそこまで重きを置いていないといえるだろうし、前述した外部コントローラーと大差ないと言っても差し支えないだろう。
 
できることが無限大に拡がっているデジタルシンセの利点は、できることが多すぎて直感的な音作りをしにくく、結果として音を選ぶことに終始してしまうという欠点にもなってしまうのだ。
まさに諸刃の剣である。
 

 アナログシンセの復活が切望されて久しい。
いよいよ原点回帰の方向に動き始めたのはここ数年のことだろうか。
 
前々回に紹介したソフトシンセのパイオニア的存在とも言えるArturia社から、まさかのハードウェアシンセが登場したのである!
Arturia MATRIX-BRUTE
 
往年の名機シンセサイザーをデジタル技術で数々蘇らせてきた実績を逆手に取り、まさかまさかのオリジナルのアナログシンセサイザーを発表したのだ。
見た目通りの無骨なルックスでありながらも、単なる懐古主義ではない最新技術が投入されていることも一目でわかる。
そして本体中央にある「いかにもデジタルシンセっぽいマトリックスパッチ」がアナログ化しているという暴挙!
アナログ要素をデジタル化してきた同社が、今度はデジタル要素をアナログ的なインターフェイスに作り変えてきたのだ。
 
※アナログとデジタルという言葉本来の意味は「連続」「不連続」であって、一般的に思われている意味とはだいぶ違うような気もする。
 
 
 
 
そしてふと楽器通販サイトを眺めてみれば、デジタルシンセに死滅させられていたアナログシンセがいつの間にやら安価な価格帯で復活していたのである。
 
この流れの傾向は大きく3つに分類できる。
 
○往年の名機の復刻版1(アナログを模したデジタルシンセ)
○往年の名機の復刻版2(Prophet5→Prophet6等の新ナンバリングの新型アナログシンセ)
○全く新しいコンセプトのアナログシンセ(前述のMATRIX-BRUTE等)
 
玉石混交。
いろんな製品が発売されているが、とにかく「ツマミをイジって大胆にも微妙にも音を自在に変えられる操作性」に重きを置かれている。
 
アナログシンセが今、熱い!
 

 
と、ここで話が終われば「元シンセ少年現中年の喜び」をぶちまけられて実に気持ちよく終われるところなのだが、残念ながらそういうわけにもいかない。
 
ここまで真面目に読んでいただいたみなさんの中には疑問を感じられた方もいらっしゃるのではないだろうか?
 
「シンセサイザーの魅力が『ツマミをいじって音を変える喜び』にあるならば、ではなぜそもそもその魅力を潰すようなデジタル化に向かってしまったの?」
 
そうなのだ。
無段階のツマミをあえて127段階の数値に区切り、やがて主要シンセからはツマミさえも消えてしまった。
それどころか鍵盤すらない「音源」にまでカタチを変え続けたシンセ。
なぜそのような方向に進化していったのだろうか?
 

これはイシバシ楽器に展示された「小室哲哉氏セットのイメージ」だが、これを毎回スタジオに移動してセッティングするのも大変だし、自宅に置くのはさらに大変極まりない。
これを極端に小さく実現してしまったのが「シンセのラック音源化」である。
 
丁度20年前、1997年頃のレコーディング風景。鍵盤は1〜2台のみ、後は全部ラックマウントされた音源というスタイルが主流であったし、それはソフトシンセが台頭する近年まで長らく続いたし、ついでに僕も長らくデブのままだった(笑)
 
 
「MIDI」という共通規格が提唱され各メーカーの機器がケーブル一本で結ばれるようになった。
それまではシンセサイザー1台毎に鍵盤がついていたが、鍵盤のない音源10台でも20台でも1台の鍵盤でコントロールすることが可能になった。
上の2枚の写真を比べると鍵盤8台あるイシバシ楽器の方がハデでカッコイイが、下のラックの中には20台以上のシンセが詰まっていることになる。
人間が手で弾くとなると2台以上を同時に弾くことは…よほどのことをしない限りはできないが(足で弾くとか頭で弾くとかする人がたまにいる(笑)、コンピューターに演奏させる分には同時に何十台でも演奏させることができる。
 
合理化、省スペース化といった理由だけではないにせよ、鍵盤楽器としてのルックスではないシンセサイザーやサンプリングマシンは長らく音楽制作現場を支配していた。
 
ところが、さらなる合理化に向けてシンセはもう一段階の進化を遂げていくのである。
 
しまった、まとまらなかった。
さらにつづく(笑)

シミュレーション

前々回「たまにはシンセの話でも…その1」からの続きではあるが、例によってまるで関係のない話題から始まる(笑)
あまりに大胆に飛躍しすぎている気もするが驚いてはいけない。
根底の部分では全てリンクした話題として続いている…とは思う(笑)。
 

プレイステーションに「グランツーリスモ(以下GT)」というレースゲームがある。
このゲームは実在する数百の実車をソフト上でモデリングし、画面内にまさしく実在させている。
ゲームではなく「ドライビングシミュレーター」という呼び方にこだわっているのも頷けるほどに、緻密なデータによって車の挙動全てが忠実に再現されている。
プロドライバーの評価も非常に高く、フォースフィードバックのステアリングコントローラーをはじめとする外部機器でプレイをすると、驚くほどリアリティーを増す。
 
このような本格的な装置が各種発売されている。僕は以前これよりさらに大きなRECARO社製のバケットシートセットを所有していたことがあるのだが、その大きさに辟易して引越しを機に捨ててしまった(笑) もったいなかった!と今でも思うが、たま〜にやるかもぐらいの車ゲームのためだけにそんなものを置いておく場所なんてもちろんどこにもないし「もらうもらう」といっていた友人も「じゃああげる」と言ったら途端に尻込みをし「やっぱりいらない」となった(笑)
 
こういったセットを運転感覚に慣れた上でいざ実車に乗ってみると、驚くべきタイムでいきなり走れるようになるらしい。
いや正確にはそういった才能の開花のさせ方のできる人もいるらしい。
少なくとも僕はそんなことはなかったからだ(笑)
実際にGT開発者がラリーコースをシミュレーター上でやり込み、そして現実のダートコースを本物のラリーカーで走ってみたところ、いきなりプロレベルの走りができてしまったそうなのだ。
また現代のF1ドライバーは、プレステのゲームでコースに慣れるというのは常識らしい。
(初代ゲーマーF1ドライバーは僕の記憶の中ではジャック・ビルヌーブだろうか?)
 
シミュレータ上で忠実に再現される現実感のメリットは非常に大きく多い。
フライトシミュレータは航空会社にはなくてはならないものだし、当然そうなれば鉄道やバス会社も同様の訓練に変わってくる。
 
「電車でGO」の本気版とも言える三菱製のホンモノ。やってみたい!
 
 
さてここで発想をひっくり返して考えてみよう。
 
例えば仮想世界の中で現実に再現可能な最速のマシンというものを新たに生み出したらどうなるのだろうか?
レギュレーションを全て外し、エンジンもタイヤも最高の性能のものを用意したら?
過去に考案されたものの、あまりにも危険すぎるからと封印された技術を装備してみたら?
という「IF…」が具現化されたことがある。
 
いわゆる「オイシイトコドリ」という発想で、GTの仮想世界の中で、究極のスピードカーが開発されたのだ。
 
RedBull X1である。
 
この車、いわゆる「ゲームの中だけの夢のマシン」といった架空のモノとは趣が異なる。
マシンの開発は当時のレッドブルレーシングとGTチームが共同で行い、エイドリアン・ニューウェイというF1界の空力デザイナーのトップがデザインを手がけたのだ。
現実的に作ることが可能であり、おそらく本当に作ったら1%の誤差もないマシンとしてできあがるのだろう。
F1マシンも今や全く同じ手法で作られているからだ。
シェイクダウンはセバスチャン・ベッテル(その後F1ワールドチャンプ4回に輝いた実力者)が担当した。
 
モックアップも作られた
 
鈴鹿の最速タイムを軽く20秒上回るマシンとなったらしい。もはや別カテゴリーである。
 
※私はレッドブルの回し者ではない(笑)
 

現実と仮想現実が「ほぼ同じ」となってから久しい。
コンピューター上で再現されたモノやコトが現実でも同じように再現できる。
現実を模倣することから始まったシミュレーションを経て、今度はシミュレーションから現実が作り出される。
 
大げさに書いてはいるが、考えてみればコンピューターシミュレーションの基本でもある。
これは実験から理論が証明されていた古典物理学に対して、理論から現象が証明されるようになってきた現代物理学にも似ている。
例えばブラックホールの存在は理論先行で予測がされ、文明の進化を待って観測可能になったことで証明された。
 
今に始まったことではない。
 
ないのではあるのだが……上記RedBull X1の例のように、ゲームを構築するプログラムの中から逆発想で架空のマシンがデザインされ、そしてモックアップといえど現実に蘇るという流れを目の当たりにすると…
やはり相当あがるし滾る。
 
ここでさらにもう一つ別の例を挙げてみよう。
…シンセサイザーの話の途中であることは自覚している(笑)
 

僕が初めてあのガンダムを見たのは2009年6月、ダイバーシティーがまだ空き地だった頃の潮風公園に展示されていたのが最初だ。
 
まだ仮公開中で展示スペースも工事中だった。つまり今月24日から公開される二代目立像となるガンダムUCが見えてしまっている「なう」とほぼ同じタイミングだろう(笑)
 
全高18メートルのガンダム立像、アニメの世界のロボットを忠実に再現したものである。
ヤバイ!カッコイイ!
全身が震えるほどに興奮したし、半ば放心気味かつ食い入るようにガン見していた。
かれこれ小一時間は眺めていただろうか(笑)
 
しかし同時に違和感というか不自然さも感じてしまったのだ。
いろんな感情が渦巻いていたのだが、最も的確なことを一言で言うならば……
 
歩くの無理だし飛ぶなんてもっと無理!
 
「翔べ!ガンダム」という主題歌全否定のこの感情!(笑)
 
こんな巨大なものが背丈ほどの高さをジャンプして着地したら何が起きるか?
疑いようもなく壊れる!まず間違いなく!
バーニアを吹かして姿勢制御?近くに人がいたらみんな焼け死ぬし吹っ飛ぶ。
それこそエヴァじゃないけど5分でエネルギーが切れそうだ。
つまり兵器としてはもちろんのこと、現実的ではないということがリアルに伝わってきたのだ。
 
実際この立像を作るにあたり、設計デザイナーは「ガンダム像を自立させることがどれだけ困難であるか?」というテーマと闘い続けていたそうだ。
あの巨体を歩かせることはもちろんというか、歩かせることの意味そのものが今のところはまったくないのだ。
白兵戦ではむしろ「格好の的」となるべく、歩兵の持つコンパクトな兵器だけでもフルボッコにできそうであるし、戦車砲の一発でも喰らえば間違いなく転倒し行動不能となるであろう。
あくまでも現代の常識をベースに考えるならば「モビルスーツは今のところ非現実的な兵器である」ということが否応なく実感できた。
 
実物大のこのガンダムを見なければ実感できなかった感覚だとも思った。
 

RedBull X1もガンダムも「コンピューター上でシミュレーションして作られたモノ」という点では同じである。
がしかし、その先にある「リアリティー」にここまでの差があるとは思わなかった。
そういった意味でもRedBull X1の持つ現実感、近い日に実車が走行するのを夢見てしまうのである。
 
 
……壮大なネタから再び地味なシンセサイザーの話題に戻りにくいが、どのツラ下げて次回なにごともなかったかのように戻る予定である。

鼻炎

花粉症に悩まされている。
しかし僕の場合は一般的な春先の杉の花粉ではない。
 
秋のブタクサやヨモギ等に反応をしているらしく、毎年10月末の例のイベントが近づいてくるとムズムズとした違和感がやってくる。
あと一ヶ月ぐらいするとまたあの症状に悩まされるのか……と思うと今から憂鬱になってくるのだが……
今年はなぜか先週ぐらいから似たような反応が身体に起こっているようで、とにかく鼻水が止まらない。
 
しかし毎年の症状と違うのは、鼻水の中に鼻血が混じらないことだ。
そう、僕は毎年10月末のイベント前後は流血沙汰の日々だったんである(笑)
 
しかし今は夏風邪も流行っていると聞くし、もし風邪だったら周囲に伝染ったら大変!とa-nationのバックステージでは自主的隔離状態になるようにメンバーに近寄らないよう隣の部屋の隅っこに逃げていた。
まぁ鼻水以外は熱も出ないし風邪ではないとは思うのだが、とりあえず明日病院に行ってみよう。
それにしてもダルい。
 
こんな日は……度数強目の焼酎をロックでキューッと飲んで寝てしまおう←割と日常だけど(笑)
 
と書いたまま寝てしまったのが昨日。
翌日近所の耳鼻科に赴き診断をしてもらった結果は……
「鼻はアレルギー性鼻炎、喉は鼻が塞がったことによる負担で腫れたのでしょう」と宣告される。
「え?しかし先生、いくら何でも秋の花粉症が始まるには早すぎるのでは?」
そうなのだ。
僕は大人になってからは滅多に病院に行くことのない健康優良不良中年なのだが、ここ数年この耳鼻科には毎年ハロウィンのリハが始まる頃というザックリした期間に必ず罹っており、耳鼻科の先生にしてもそれはカルテで把握しているようで「今年もいらっしゃいましたね」という挨拶から診察が始まっていたのだ。
 
しかし8月末、いくらなんでも早いでしょう?
 
しかし先生は落ち着いた口調で、
「ここ最近東京はずっと雨続きだったでしょう?植物のサイクルもそれによって例年よりも早く花粉を飛ばしているようです」
 
げげげ!
沖縄でハラハラドキドキさせられた台風5号の影響は僕のこんな日常にまで波及していたのか!!( ̄□ ̄;)!! 
 
と書いたのだが8/29のことであった。
 

それにしても厄介な体質になってしまった。
周囲には「風邪?うつさないでよ」と敬遠され、「いやいやこれは風邪ではなくてね…」と説明する度に「出た!じんちゃんの風邪否定」とイジられる。
春の花粉症ほどメジャーではなくマイナーな秋の花粉症なので周囲の理解度も低い。
 
しかし札幌に来たというのにちっとも鼻水が治らない。
北海道にもブタクサやヨモギの花粉は飛んでいるのだろうか?
と調べたら東北〜北海道はまさに今が旬、真っ盛りらしい(笑)
 
「今日のライブは鼻水との闘いになるの?」
 
と思ったあなたはシロートさんである。 
僕は本番前に気合いを入れることで2時間ぐらいなら鼻水を止められる。
僕に限らずミュージシャンたるもの、それぐらいのスキルは持っている。
人間、ある程度の緊張感と気合と根性でなんとかなる生物なのだ。
 
と、いい加減なことを言ってはいけない。
根性で鼻水を止められるならお医者さんはいらない。
1日に限られた回数しか許されない薬物を鼻から吸引するのだ←無駄にアヤシイ言い回し
 
それにもし万が一鼻水が垂れたところで……バンダナでマスクをしているので誰にも見られず堂々としていられるのでした(笑)