たまにはシンセの話でも…その5

先日、マニピュレーターのK氏とお茶をしながら「近況報告・最近の傾向」といった同業者同士の情報交換をし合った。
K氏は水道橋にある某音楽専門学校時代の同級生なので、かれこれ30年来の友人となる。
使ってるソフトのバグ報告といった細かい話題から、お互いの現場での機材の流行傾向や使い方など、興味のない方にとってはまるでどうでもいい話というか…つまるところどこまでも果てしなく地味な内容を、おそらくは謎の専門用語中心で会話し続けていたことになろうか(笑)
 
お互いに楽器運びのアルバイトから始まり、昨今のブラック企業顔負けの苛酷な労働条件で働き続け、なんとかフリーで一本立ちこそできたものの特筆するほどのお金持ちになれたわけでもなく、さしたる名声を得られたわけでもない。
僕に関しては40歳を過ぎてからステージにひょっこりと出させてもらったおかげで、こうして多くのフォロワーさんがブログを読んでくれるような状況に発展させていただいたわけだが(VAMPSさんありがとう!)、ことVAMPS以外にやってきた仕事となると(仕事の大小はともかくとして)CDクレジットにかろうじて名前が確認できる程度だ。
 
「好きなことを仕事にしています」と胸を張って言えればカッコイイのだろうが、30年間のあいだに関わり続けてきた音楽を振り返ってみると、もはや自分にとって何が好きな音楽でどのジャンルが得意なのかすらわからなくなってしまっている。
「好きなことを続けている」というよりは「これしかやってきていない、つまり他のことができない」が最も正解に近い答えのようにも思う。
 
夢と希望にあふれた十代だった頃からお互いを知っているK氏と僕ではあるのだが、当然お互いに年をとった。
情報交換以外の話題といえば○○予防とか○○防止といった健康話ばかりしていたように思う(苦笑)
だがそんな会話の中で一つ気がついたことがあった。
 
それは結局のところ、僕らはシンセサイザーという楽器が好きであるということだ。
シンセサイザーを操作すること、コンピューター等の外部機器を使ってシンセを演奏させることに部類の喜びを感じる人間であることを改めて認識した。
 
それはそれでヲタク道を極めるべくスクスクとマニアックに育っていくだけの話ではあるのだが、こういったシンセやDTM(desk top music)の世界は、一筋縄では済まされない実に面倒くさいテクノロジー事情がある。
 
バイオリンやピアノの演奏といった古くからある楽器の演奏習得といったものと違い、電子楽器の歴史は実に浅く、加えて技術の進化によって次から次へと常識やルールが変わり続けていく。
その時代の流れについていくことが楽しくもありチャレンジでもあるわけだが、進化を追いかけ続け、得られるノウハウもまた次々と入れ替わり続けることで、なんといったらよいのだろうか……いつまでもたっても素人のままのようなものなんである(^^;
これではまるで常に内容が更新され続ける資格試験を受験するようなものではないか(笑)
 

故・冨田勲氏の自宅スタジオの風景などは、まさに10代の自分の「究極に憧れの空間」であった。
十数台のシンセサイザーに数台の録音機、数台のミキサーに無数のエフェクター群。
念のため部屋が狭いわけではない。機材が多すぎるのだ(笑)
(今こうして写真を見るだけでもゾクゾクするような高揚感を得られる)
 
多重録音ひとつをとっても、ほんの十数年前は48トラックの録音のできる機械は数千万円もし(SONY3348)、そのルックスは業務用大型コピー機よりも大きな図体をしていた。
(僕が初めてこのレコーダーを見たのは向谷実氏のスタジオ「STUDIO JIVE」で、導入当日6人がかりで段差を下ろすのを手伝った思い出がある)
 
しかし、比喩表現ではなく今ならスマートフォン1台で富田氏のスタジオやこの業務用レコーダーを凌駕することすらできるだろう。
さすがにiPhoneの小さな画面では無理があるとはいえ、iPadであればかなり現実的、ノートPCであれば確実に凄いことができてしまうだろう。
 
つまり僕らの偏愛とは裏腹に、時代はどんどん無骨な機械を使わない方向に向かい続けている。
今や音楽制作はパソコンの中でほぼ全てが完結してしまい、従来の「演奏させる機械→伝達する機械→発音する機械→音を混ぜる機械→音を加工する機械→録音する機械」といった流れ全てが画面内だけで完結出来てしまう。
 
(こんな感じで画面の中にあらゆる機能が散りばめられている)
 
ここ十年余り、「なにかが違うんだよなぁ……」と思い続けてきた違和感は、まさに我々が探求し続けてきた進化の道とは真逆の方向であったようなものだったのだ。
ツマミをイジったり、結線するケーブルの質にこだわったり、機材のレイアウトに命をかけたり、といったことがどんどん不要になってきて、作業の中での「萌えポイント」もまた減っていく。
 
効率的だし劣化もない、便利には違いないし明らかに合理的なのに、しかし面白みに欠ける。萌えない。
これは一体どうしたことか。
 

僕らとはレベルが違いすぎるが、映画監督の宮崎駿氏がCG(コンピューターグラフィックス)について以前こんなことを語っておられた。
「CGは確かに画期的な技術だし便利だしキレイだけども…僕は単純に手で絵を描くことが好きなんです」
「CGの修正ともなるとまさに“苛酷で単調な作業”でしかなく、そこには面白みも何もない」といったことも話しておられた。
「千と千尋の神隠し」では多用されたCGではあったが、「崖の上のポニョ」では再びCGを一切使わない作画を貫いたそうだ。
引退の撤回、次回作の制作を最近発表した宮崎さんではあるが、どんな作品になるのか今から楽しみである。
 

トータルリコール(完全に記憶し完全に再現できる能力、機能)は現代のクリエイティブな現場には必要不可欠であるとされている。
そしてその流れが今後大きく変わることはないだろうし、ますます進化をしていくことだろう。
その際たる例が上に紹介したような「パソコンの画面内で全てが完結できる現代のDTM」になるのであろう。
 
そこに向かってシンセやその周辺機材もまた正常進化を遂げていったことになるのだろうが、、、
「トータルリコールという革命的要素のために肝心の何かがなくなってしまった」ということになるのではないだろうか?
 
これは、アナログレコードは扱いが面倒で保管も大変ということでコンパクトなCDとなり、さらなる利便性重視でmp3などのデータに変貌していった音楽配信事情にも似ている。
しかし今改めて手間暇をかけてレコードをプレーヤーに乗せて針を落として聞く音楽の味わい深さに回帰する流れがある。
その「手間暇」というステップを経て聴く音楽は、iPhoneのシャッフル機能やアップルミュージックでたまたま流れる音楽とは明らかに別の聴き方となる。
本来能動的に聴いていた音楽が、いつの間にか受動的になっていたことに気がついた人たちが、再び能動的な聴き方をし始めたと取ることもできるだろう。
 

環境が不完全であるがために失われるモノもあるが、不完全であるが故に得られるモノもまた沢山あったのではないだろうか?(前回のProphet-5の電源ユニット話のように)
そして音楽という表現手段は、都度変わる環境によって得られる偶発性やインスピレーションで昇華するものもまた多い分野なのではないだろうか?
 
 
時代に取り残されたロートルマニピュレーターの愚痴なのかもしれない。
しかし、だからこそ今はステージでの操作が面白い。
複数台の鍵盤とサンプリングパーカッションをPCで制御し、バックアップPCを連動追従させつつもDJ感覚でシーケンスそのものを無限ループさせたり、曲の途中で一度止めたりといったアナログ動作がとても楽しい。
(VAMPSでの僕のステージセット。正面、左側、右側の各セクションは連動している。冨田勲氏のスタジオの足元にも及ばないが「機械を制御してる萌え❤️」を確実に感じられる)
 
そして何よりも毎回微妙に変わる演奏、毎回違うオーディエンスの反応、それにより得られるテンション。
 
ライブは時代がどこまで進化しても変わらぬ不確定要素の塊だ!
 
と断言して差し支えないだろう。
 
翻っていえば、音楽の不確定要素が好きだからこそ、僕は今の仕事に巡り合う運命にあったのかもしれない。
 
僕をライブ現場に誘ってくれた運命の女神様には感謝の言葉もない。
その女神様は男だけど、ある意味女神様のように美しい(^^
 

シンセの話から最後はライブの話で締めくくろうと画策したものの、都合6回計15,000文字以上使ってしまった(^^;
 
 
ようやく書きあがった!
最後までご静読ありがとうございました!
 
これで明日から心置きなくアメリカツアーリポートに突入できる!(嬉)