下積み時代

仕事をしていく上で、誰にでも下積み時代というものがある。
「今まさにその最中です」という人もいることだろう。
僕らの職業などは一生下積み時代を重ねているような職種でもあるので、左団扇とか窓際族とか安泰といった言葉とは縁遠い世界のようだ。
なにしろ時代の進化に伴って積み上げた技術が全部不必要になったり、時代の流れによってたちまち需要のなくなってしまう知識などが職業の多くの範囲を占めていたりするからだ。
 
クラシックの音楽家になるのはとても大変なことだし、技術を維持することはさらに大変だけれども、バイオリンの弦がある日を境に5本になって新たなる演奏技法を身につけなければならないことはないだろうし、モーツァルトのピアノソナタ11番の解釈が変わることもないだろう。(と書いて一応調べてみたら既に6弦までのバイオリンは存在するらしいし「ヴィオラダモーレ」という7弦のバイオリンのような楽器まで存在するらしいが、いずれにせよクラシックというジャンルに於いてはおそらくどれも必要はないだろう)
 
新しい技術をウリにした職業はずっと新しい技術の習得に苦しめられる。
というわけで生涯下積みが続くような職業というのは案外多いと思われるのだが、僕にとって精神的に最も過酷で辛い日々、いかにも「下積み時代」と呼ぶにふさわしい一年間があった。
ラルクやハイド氏に出会う5年も6年も前の頃、最初の事務所を辞めて次の事務所に入るまでの「ひたすら通信カラオケ時代」の期間だ。
 

すっかりお馴染みのDAMやJOY SOUNDといった通信カラオケを利用する方も多いと思うが、僕はあのシステムが確立していく創世記にデータ入力要員として関わっていた。
社名は伏せるが当時乱立していた数ある中の一社だ。
 
ところでみなさんはああいった通信カラオケはどのような仕組みで音楽が流れているかご存知であろうか?
ここ10年で生音源化が進んだ通信カラオケらしいが、当時はお世辞にもゴージャスとは言い難いチープな伴奏音であったことを覚えている方も多いだろう。
アレは誰かがオリジナル曲を耳で聞いて一音一音入力していって完成させたMIDIデータというものだ。
ドラムをドンタンドドタンと入れ、ベースをヴヴヴヴ〜ン♪と入れ、ギターをキュイーンと似せて入れ、なぜか牧歌的な音のガイドメロディーを入れる。その他ブラスやらストリングスやら入っている音は全部同じように入れる。
それらを入れている誰かの一人が僕だった。(念のためチープな音だったのは打ち込んだ人間の責任というよりは、その時代の技術の限界であった)
 
(当時主流だった「カモンミュージック」の入力画面。慣れてくると画面はほぼ見ずに譜面だけを見ながら入力できるようになる)
 
にわかには信じられないかもしれないが、当時僕らはラジカセを使ってカセットテープに録音されたオリジナル曲をひたすら巻き戻しては繰り返し聞きながら譜面を書いたりデータ入力をしていた。
そんな原始的な方法しかなかったし、機材面では随分進化した現代でも、耳でコピーをする基本はあまり変わっていない。
色を見て「赤」と判断するように、音を聞いて「ド」と判断する。
言うほど簡単なことではないが、楽曲を分解し再構築する作業が通信カラオケの仕事だった。
 
この仕事はデータ提出の他に「自分の耳で音を取っていることを証明するために手書きの譜面を提出すること(コピー不可)」というルールがあった。
たいていの人はお義理程度のメロディー譜面にせいぜいコードを書いたぐらいの手抜き譜面を提出していたし、発注先もそれ以上のものは求めていなかった。
しかし当時の僕は13段のスコア譜面にビッシリとおたまじゃくしを書き込んで毎曲提出していた。
 
どうせやるのならば自分のスキルアップも兼ねてと思ったのか、前事務所の編曲師匠にもらった大量のスコア譜の使い道がなかったし新たに段数の少ない五線譜を買うのももったいないと思ったからなのか(当時は笑っちゃうほどビンボーだったのだ)、あるいはただの気まぐれではじめてしまったことなのかまでは覚えていない。
とにかく求められていないクオリティーの譜面起こしをずっと続けていた。
 
朝起きてから夜寝るまで、アパートにずっと引きこもってラジカセを操作しながらひたすらフルスコアーを書き上げ、完成したらその楽譜を見ながらPCに音を入力する日々を黙々と続けた。
あまりにも単調な毎日なので昼は1時間かけてご飯を作って食べていた。それが自分に許された唯一の「合法的な休憩時間」だったからだ。おかげで「男の一人暮らし料理」のバリエーションはこの一年で大幅に増えた。
 
 
結構な仕事量にも関わらず、この仕事の報酬は非常に安かった。
随分あとに聞いた話なのだが、大元のメーカーの発注額は一曲の制作費用として20万円を支払っていたそうだ。
世の中バブル時代、今では考えられないようなお金が世の中を回っていた(自分的には最もビンボ時代であったわけだが)。
 
しかしその発注を受けた会社はお金を抜いて一つ下の会社に再発注をしていた。
いわゆるトンネル会社である。
その一つ下の会社が人材を集め仕事を管理していた……かといえばそうではなく、ここから何社も何社もトンネル会社が関与し続け……最終的に僕らに支払われる末端価格は「一曲2万円」まで下がっていた。
90%の18万円は悪徳な人たちに搾取されていたのだ。
 
ひどい話でしょう?ヽ(`Д´)ノ
 
(誰だおまえは?)
 
その2万円を得るために最初は4日も5日もかかった。
日給にして4~5,000円、時給にしたら……400円以下?
厳密には四六時中仕事をしていたわけではないが、集中力などの自己管理を含めてまるでダメだったのでやたら時間がかかってしまっていた。
「ヤバい。このペースで仕事をしていたのでは月に15万円も稼げないではないか!」ということに気がつき、尻に火がついた。
幸い通信カラオケ創世記、仕事は数万に及ぶ楽曲数が求められており人材は常に不足していた。
単純に仕事の効率が倍になれば収入も倍になる。
譜面書き、耳で聞き取る能力、データ入力スピード、これらすべてを飛躍的に向上させる必要性に迫られた。
最終的にそれらの能力は何倍にも上昇したのだが、ところがそうなってくると今度は「より難しい曲」ばかりが僕のところにふられてくるようになった。
初回の再生でコード進行とドラム譜ぐらいはおおよそ書けてしまう簡単な演歌などはまったく来なくなり、難解な曲ばかり担当させられるのだ。
B’zのギターソロの速さを真剣に呪ったりもした。
 
そんな生活が1年近く続いた。
結果として僕は音楽の構造を根本から理解できるようになり、それまで苦手だった編曲の手順や音の使い方、ハーモニーやテンションといった数段階上の音楽理論が閃くような「武器」を手にすることができた。
耳で聴いて譜面に起こすことこそが音楽を理解する最短ルート、僕は回り道に思えた近道を歩んでいたのだ。
100曲以上の譜面起こしと耳コピの日々は、後に想像以上の宝物となってくれた。
 
 
今でも悪徳な人たちの搾取話はムカつくけれど、もしも一般的なパーセンテージである例えば20%を手数料として引かれた残りの80%を得られていたら?と考えると……それはそれで自分の血や肉にはなってくれなかったのでは?と思ったりもする。
もしも1曲完成させて16万円もらえていたら、月に2曲作業するだけで十分に食べていける。
ナマケモノの自分は「10曲やって160万円の月収」は目指さず、32万円で安穏と生活してしまったような気がするのだ←自分のことは自分が一番わかっている(笑)
 
つまり腹がたつことではあるけれども「1曲2万円しかくれなかったからこそ得られたスキル」とポジティブな考え方ができるのだ。
 
悪徳業者さんありがとう!(・∀・)
 
とは意地でも思いたくはないけれども、そういうことなのだろう(苦笑)
 
 
その後ほどなくして2つ目の音楽事務所に所属することが決まり、通信カラオケ入力の日々から解放され、めでたく下積み時代を終えることができた。
気になるこの事務所のパーセンテージも20%だと聞かされさらに安堵した(笑)
 
この1年間で得られたスキルを活かしてバラ色の音楽生活を手に入れるぞ!
 
しかし……事務所手数料が20%なのではなく自分の取り分が20%だったという、まるで一休さんのとんちのようなだまし話だったということを知ったのは、最初の報酬が振り込まれその額のあまりの少なさに驚愕することになる数ヶ月後のお話である。
 
マヌケな自分はまたもやひっかかってしまったのだ。
 
こうして僕の下積み時代はさらに2年間延長されたのであった(´_ゞ`)ちーん 
 
 
その後の自分がどうなったかというと……当ブログのこの回に続くことになる。