月別アーカイブ: 2018年2月

天玉といえば

「〆切」という言葉は心臓に悪い一方で、どうしても腰の重い自分、怠け者の自分を奮い立たせてくれる唯一の言葉でもある。
その日までに終わるように調整をしながら自分のペースをコントロールするわけだが、この〆切が遠いとどうしても集中力は持続せずに「今日はこの辺りで……」と別のことに目が向いてしまうというか、サボってしまう(笑)。
あまりに仕事量の多いものはそんなことも言ってられないのだが、自分が1日にできる仕事量というものを過信せず自覚してさえいれば、おのずとペースは導かれてくるし、〆切が近づいてくるにつれ仕事のペースも上がってくるので最終的には辻褄が合ってくれることが多い。
 
昨日ある仕事の「〆切」を無事終えられて「さぁ今晩はしこたま飲むぞ!」と張り切っていたのだが……不覚にも晩酌時にビールを2本飲んだ時点で眠くなってしまい、ほどなくして撃沈。翌日は朝の5時前に目覚めてしまった。
深酒せずパッチリの目覚めは自分にとってはかなりレアである。
去年辺りに一度は確立できた生活パターンだった。
このパターンだと1日を大変有効に活用できるので、なるべく定着させたいとは思うのだが……やはり深夜にグダグダとお酒を飲みながら映画を見たり、くだらないことを考えてはほくそ笑んだりする時間も、それはそれで捨て難い。
 
そんなわけでなかなか定着するまでには至らないのだが、それでもこうしてある日突発的に早起きができたりすれば即順応できるようにもなってきた。
今日の夜にまたすぐ眠気が襲ってくるのならば抗わずに寝てしまい、明日はまた早起きとなるのだろう。
 
ひとつ難点があるとすれば、普段の生活の中で朝食を食べる習慣のない僕が比較的早い段階で空腹を感じ始めてしまうということ。
今日も6時半の時点で切ない空腹感が募ってきてしまった。ううう、ひもじい。
しかし残り物もないしそういえばご飯も炊いてない。パン食派じゃないのでこういった時はツブシがきかない。
しかしここで画期的なことを閃いてしまう。
「あ!あの味を久々に堪能しよう!」と思いついて駅前に向かう。
 
食券を買い「お待たせしました〜」とほぼ待たずに出てきたものは……
 
 
天玉うどん!
朝っぱらからややヘビイだが、ああ懐かしい!美味しい!
 
遡ること15年ほど前、毎朝6時までが仕事時間だったような逆転生活をしていた頃の僕は、職場を出た後によく駅前の立ち食いそば屋に寄り、この「天玉うどん」を食べてから帰宅して就寝するというパターンを繰り返していた。
太るわけである(笑)。
寝る前の夜食(?)と、1日の始まりである朝食ではまるで異なる食事ではあるし、当時の職場近くにあった立ち食いそば屋と今日行ったお店はまるで違う場所にあるし味も見た目も異なる。
だけども単純に「早朝に食べる天玉うどん」という点では一致しており、やはり思った通りの懐かしさがこみ上げてくる。
 
 
ところで僕の中では「天玉」とくれば必ず「うどん」となる。
関西では「きつね」が必ず「うどん」であるように、僕の中では天玉はうどんしかありえない。
そばの時のトッピングは「ちくわ天、春菊天」からのチョイスになる。
稀に「天ぷらそば」にすることはあっても、その場合卵は入れない。
明確な理由は全くないし説得力のある説明も一切できないが、このマイルールは完全にロックしたまま30年以上が経過している(笑)。
 
そしてこれら天玉、ちくわ天、春菊天、コロッケといったメニューは、いわゆる“町のおそば屋さん”には存在しない立ち食いそば系独特のお品書きとなる。
つまりこれらを食べたいと思った場合は立ち食いそば屋に行くしかないのだ。
(例外として昨今目覚ましいチェーン店展開で全国に広がり続けている「讃岐うどん系」ではこれらの天ぷらを追加オーダーすることは可能である)
 
時々無性に食べたくなる立ち食いそばではあるが、女性の皆さんには少々敷居が高いと感じるのであろうか?滅多に女性客を見かけない。
別に怖いところでもなんでもないので是非お立ち寄りくださいませ(^^) 
 
自分にとってこの独特のB級グルメ感はなくてはならないものだ。
今後もちょくちょくと食べ続けるのだろう。

ピラミッドと月

僕は2011年の1月にエジプトを訪れている。
小学生の頃からの夢を果たすタイミングが遂にやってきたのだ。
古代遺跡をめぐる1週間の行程はまさに「弾丸ツアー」と呼ぶにふさわしい過密スケジュールで、朝の3時半に起床して昼めがけて砂漠を数百キロ爆走とか、12時間かけて寝台特急で移動とか、広い国土を移動している時間がとにかく長かった。
 
この時大小様々のピラミッドを見て「ピラミッドは間違いなく人間が造ったものだ。なぜならば失敗作が無数に残っているから」と思った。
階段式ピラミッドや屈折型ピラミッドなどは、まさに試行錯誤をした人間の苦悩がそのまま形として残っている。
作りかけのまま放置されたピラミッド、こじんまりとしたピラミッドなども無数に見かけた。
 
しかし最近は定説とされているピラミッドの時系列に疑問を感じ始めている。
 
現在の僕の考え方はこうだ。
「ギザの大ピラミッドは既に最初からそこに存在しており、人類はそれを見よう見まねで小さなものを作ってみたのではないだろうか?無数の失敗を重ねて初めて完成して残ったものこそエジプト最古のピラミッドと言われているサッカラの階段式ピラミッドだったのではないだろうか?」
 
そしてこの階段式ピラミッドは現在崩壊の危機に瀕している。
(5000年を想定した建築技術とはいかなる心構えで作られるものなのだろうか?)
 
 
ここでまず僕の思っている結論を一つ言い切ってみる。
既にほぼ言ってるようなものではあるのだが……
 
ギザの大ピラミッドは人類が作ったものではないのではないだろうか?
 
しかし地球外の知的生命体が訪れて作ったとも思っていない。
 
地球には人類の前に先住民である別の超古代文明が栄えていたのではないだろうか?
 
そして滅びることを自覚した彼らは、数万年〜数十万年後に出現するであろう新しい知的生命体、つまり我々人類に向けて段階的なメッセージを残してくれたのではないだろうか?
共通点の多い巨石で作られた遺跡が世界中に点在しつつも直線上に整列していたり、等距離に配置されていたりすることも、なんらかのメッセージに思えてくる。
 
さぞかし飛躍した発想と思われただろうが、この考え方は我々人類が100年後に確実に滅びるとわかったと想像してみるとわかりやすい。
コンピューターの類での保存はまずダメだ。故障したら元も子もないし電源が失われたら全てが消えてしまうし文明が滅びたら電源はなくなる。紙や金属なども数万年を想定した保存は無理だろう。
ほぼ全てのものは「膨大な時間」によって風化し無に帰してしまう。
 
現代文明が明日前触れなく滅びたとして、数万年後の地球上に残っているものがあるとすればそれは……
ピラミッドのような巨石建造物だけかもしれない。
全長73メートル、全高20メートルのスフィンクスであっても、発見時は完全に砂に埋没していたそうだ。
 
(1860年代のスフィンクス。放置しておくと砂に潜ってしまう子らしい(笑))
 
 
テオティワカンの太陽のピラミッドも発見当時はほぼ埋もれていて山のようにしか見えなかった。
 
 
 (2016年11月に訪れることができた)
 
今の地球にはまだまだ知られざる遺跡が埋もれているかもしれないということになるだろう。
人類が数万年後の新人類にメッセージを残すなら、やたら目立つ巨大な石造りの建造物、つまりは限りなくピラミッドのようなものを造ることになるのではないだろうか?
 
ピラミッドに秘められたメッセージは段階的に解読されていくというより、文明の進化と共に新たな事実がわかっていくようにした方がよいような気がする。
危険すぎるメッセージがわかりやすく表示されていたら、野蛮な時の支配者によって壊されてしまうかもしれない。理性が社会に浸透するまでの間は風景にとけこむことが大切だ。
 
“不思議な存在”ではあるけれども「祖先である古代人が残したもの」として保存されればしめたものだ。
文明が進歩していろいろなことがわかってきて初めて「おや?これって本当に古代人が作ったものなの?現代人でもとても無理そうな設計なんだけども……」という疑問が沸き起こる。
※ピラミッドの設計は最新の建築技術でも神業としか思えない奇跡の数々だということが今になってわかってきている。我々人類は数世紀にわたってその事実を見落としてきたことになるのだ。
 
さらに宇宙の共通言語である「数学」。
映画「コンタクト」では地球外生命体が人類に向けて発信した信号が「素数」であったわけだが、ピラミッドの外寸や内部の室内や配置された位置などにも様々な計算式が隠されていた(円周率3.14とか黄金比1:1.6とか299,792、限りなく高速と同値といった意味のある数字がたまたま偶然の一致でことごとく並ぶとは思えない)。
 
いかに人類の天文学が紀元前以前から進んでいたものであっても、光の速度の算出までされていたとは到底思えない。
ピラミッドの意味深な寸法の数々は我々に一つずつヒントを提示しているような意思を感じてしまう。
 
(3つのピラミッド位置はオリオン座の配置と一致している。またスフィンクスとの位置関係にも様々な数式が隠されている)
 

前回紹介した「ピラミッド5000年の嘘」の最後にはゾクッと震えるような仮説が唱えられている。
地球上にある誰もが知っているあるモニュメント(ピラミッドではない)こそが宇宙時計そのものであり、72年周期、2万6千年周期の天体の動きをその目でジッと見続けていると結んでいるのだ。
さらにはピラミッドの全ての謎が解明された時、近い未来への「警告」のようなものが理解できるようになるのではないかとも暗示している。
 
アリストテレスは「地球上の文明は周期的に消滅する」と語っており、マヤ文明には「現代は5番目の時」といった記述がある。
磁極が半転するとき、古文書には「灼熱の地獄」が訪れると書かれているという。抗えない天変地異が地球に周期的にやってきているのかもしれない。
 
 
なぜ超古代文明は現代文明より優れていたのにもかかわらず滅びてしまったのか?
彼らが克服できなかった問題点を人類に伝えたかったのかもしれない。
メッセージの全貌が明らかになるのはいつの日になるのだろうか。
 
映画の後半はこういったかなり飛躍した仮説が連続するのだが、説得力は十分に感じられる。
何度も何度も繰り返し見ているドキュメントだが、鑑賞のたびに新たな発見がある。
 
ピラミッドにはまだまだ多くの謎が隠されている。
さらに段階的に秘密が解明されていくことを期待したい。
 
 

そして話題は再び「月」に戻る。
前回までアカデミックに積み重ねてきたシリーズではあったのだが、今回はかなり空想の領域に踏み込んでしまった。
 
そのついでに僕の月への妄想を最後に伝えておく。
 
月もまたピラミッドと同じく、超古代文明の遺跡、人造物なのではないだろうか? 
 
段階的に「不思議すぎる偶然」が文明の進歩と共にわかってきているという点が、あまりにもピラミッドの謎と類似しているように思えるからだ。
 
 
皆既月食、皆既日食といった奇跡の天体ショーは、まるでチチェン・イッツァーやアブシンベル神殿やクフ王のピラミッドに見られる年に二回起こる奇跡に通ずる何かを感じてしまう。
まさしく人造物だからこそ起こる「綿密に計画された演出」なのではないだろうか?
 
ある日、月がトランスフォームをしてロボットとなり地球を守る、といったバカっぽい妄想をしたいわけではない。
だけども、地球の未来に起こるなにかを伝えるメッセンジャーとして静かに役目を果たし続けている……
 
なんて妄想をしながら月を眺めていると……どうにもドキドキが止まらなくなってきてしまうのだ。
月にはやっぱり我々には想像もつかないようなとてつもない秘密があるにちがいない。
 
先日の皆既月食は、そんなわけで2時間ほぼずっと月を見つめ続けてしまった。
「唐突に変形しないかな?」と3回ぐらい思ってしまったことも正直に白状しておく(笑)
 
 
あるいはこういった妄想を全てやめて「神の存在を認める」という選択肢もあるのだが、もうしばらくは「ムー系」の想像を巡らせていたい。

宇宙人とピラミッド

前回の記事中に「人類のみが宇宙の中の唯一の知的生命体なのだろうか?(過去や未来を除外した今現在という意味で)」と書いた。
 
この点についての補足をしておきたいのだが、まず僕は広い宇宙には人間以外にもきっと知的生命体はいるだろうと思っている。
しかし矢追純一サンやたま出版の韮沢サンが追い求めているような「地球に来た宇宙人」はいないとも思っている。
 
なぜならば、宇宙は広い。広すぎるのだ。
そして宇宙の時間は138億年といった想像を絶する長さが経過している。
 
宇宙の中の地球を例えるならば、サハラ砂漠の中のどこかに埋もれている一つの小石を探すようなものだろうし、エジプト王朝時代からの5000年、キリストが誕生してから2000年という人類にとっての長い時間も、宇宙の歴史からしてみれば線香花火の静かな輝きのようなわずかな時間でしかないことだろう。
 
人類の有史などたかだか「138億円の中の2000円ぽっち」なんである。
広大な宇宙の片隅で儚く輝いている人類が、同じく儚く輝いている別の異星人と出会うことなんてまず起こらないのではないだろうか?
 
そんなわけで僕は「宇宙人はきっといるけど人類が出会える確率は極めて低く、ほぼ不可能」だと思っている。
 
 
しかしその考え方とは別に「人類ではない別の文明が過去にあったかもしれない」という仮説にはとても惹きつけられてしまう。
 
別の文明?どこで? ここ地球でだ!
 

エジプトにあるクフ王のピラミッドに2017年、新たに未発見の広大な空間があることがわかった。
これは「スキャンピラミッド」と名付けられたプロジェクトで、宇宙から降り注ぐミュー粒子という存在の性質を利用して、ピラミッド内部をレントゲンのように透視するという最先端技術を使って判明したことらしい。
ちなみに発見された空間は「小型の飛行機、もしくは新幹線の車両ほぼまるごと1両分」だそうである。
 
それにしても「技術の進化と共に少しずつ判明していくピラミッドの謎」というのが実に興味深い。
まるでロールプレイングゲームのように、人類の進化に合わせて少しずつ謎が解明されていくことが、むしろなにか仕組まれた暗号かメッセージのようにも思えてくるからだ。
 
 
ギザの大ピラミッドに関しては未だに謎が多い。
エジプト考古学の権威の解釈では「クフ王の墓」ということになってはいるのだが、それも実はあやふやなままだ。
そもそもクフ王のピラミッドからは埋葬品も墓そのものも見つかっていない。
 
世界的にあれだけ有名な建造物にもかかわらず、
・なぜあのような形状なのか?
・なぜここまで巨大なのか?
・一体いつ造られたものなのか?
といった基本的情報が何一つとして「仮説の域」から脱していないのだ。
 
 
ピラミッド研究の日本の第一人者といえば吉村作治教授が有名だが、彼もまた「ピラミッドは墓ではない」という説で研究を続けており、エジプト考古学の最高権威であるザヒ・ハワス博士とは対立する立場となっている。
 
クフ王のピラミッドが「墓」であるという根拠は、「重力軽減の間」と呼ばれている「王の間」の上部にある空間に残された落書きのようなヒエログリフにクフ王の名がかろうじて残されているのみで、しかも字が間違っているというおおよそアテにならないものらしい。
ピラミッド周辺からそれらしき発見が幾つかされてはいるものの、「クフ王の墓」という定説はやや無理のある仮説を流布しているようにも思えてくる。
 
(どちらにせよ一般人が立ち入ることのできないエリア、真偽を検証する術はない)
 
2トンから最大で50トンの不揃いの巨石を合計280万個積み上げて作り上げたピラミッドではあるが、クフ王の墓を建造するという公共事業説を成立させるため、工期は20年であったとされている。
誕生前から作っていたとか死後200年経って遂に完成!では許されないからだ(笑)。
 
……ということは1年で14万個、1日383個、1時間で15個、つまり24時間不眠不休でも、4分に1個の割合で積み上げていったことになる。
しかも数百キロ離れた採石場から、硬い石とノミと杭のみを使って切り出し、船に乗せて運搬し、丸太を使って平地を移動させ、最終的には100メートルを超える高さまでどう積み上げたのかすらまるでわかっていない。
それらの行程を全て含めて巨石1個平均4分で処理された説が、どういったわけか普通にまかり通っている。
 
10万人の労働者が従事したとはいえ、農作業のないオフシーズンの公共事業説が濃厚となっているとなると作業時間はさらに半分以下、1個平均時間は2分未満になるような気もする。
トラックもなければクレーンもない時代にだ。
仮に現代文明に匹敵する技術が当時あったとしても、それでも不可能のようにも思えてくる。
それが5000年前、日本なら縄文時代、貝塚とか竪穴住居とかの時代に…である。
 
モヤモヤを感じざるをえないことに同調していただけるだろうか?
 

ここであまり知られていないであろうピラミッドの謎をたたみ込むように一部あげつらってみよう。
 
・ピラミッドは200年前に造られた天文台よりも数倍の正確無比な東西南北で建造されている(その誤差わずか0.5度未満)
 
・美しい四角錐をしているピラミッドではあるが、実は八面体である。
 
・石だけで建造されたピラミッドの正確な年代特定はできない(炭素14法という周辺にある有機質から推定するしか手段がないのだが、仮に1万年前に造られた建造物に数千年後に人が立ち入り有機物を残したら、年代特定はあやふやなものになってしまう)
 
・ピラミッドの底辺と高さの比率は黄金比1:1.6、王の間の縦横比は円周率3.14を示しており、底辺230mの二辺の和は地球の自転1秒間の距離、また秒速30万キロ、光の速度を示すような符号などが数多く示されている。
 
・イースター島、ナスカ、マチュピチュ、ギザ、ペトラ遺跡、モヘンジョダロ、アンコールワットといった失われた古代文明には「巨石文明」特有の共通の石の積み方が確認できる。そして時代も距離も遠く隔てられたこれらの遺跡はなぜか地球上に一直線で並んでいる。
 
まだまだピラミッドの謎は他にも沢山あるのだが、興味のある方はこれまでこのブログやツイッターで何度となくチラつかせている下記のドキュメント映画を見ることを強くオススメする。
「やりすぎコージー」とか「ナショナルジオグラフィック」といった対極的ではあるけれどもいわゆる“そういう系”が好きな人なら無条件に楽しめる内容です!(断言)
 
(amazonの低評価レビューを含め、是非見て感じていただきたい作品である)
 

この中でも案外知られていない「ピラミッドは実は八面体である」という事実について解説しておきたい。
 
みなさんはメキシコにあるチチェン・イッツァーのピラミッドが「一年に二回だけ羽を持つ蛇の神が舞い降りる」という話を聞いたことはないだろうか?
 
 
あるいはエジプトのアブシンベル神殿の「一年に二度だけ起こる奇跡の話」を聞いたことはないだろうか?
 
(かろうじて40代前半だったわたくし)
 
どちらも春分の日と秋分の日、真東から太陽の昇る一年に2度だけのある一瞬のタイミングに起こる奇跡が用意された遺跡だ。
チチェン・イッツァーのピラミッドはその階段状の神殿の影が蛇の胴体のような形を映し出し、アブシンベル神殿は最深部にある像をその時だけ照らし出す。
 
 
よほど精密な測定をした上で精巧なる建造をしないと、このような奇跡的な仕組みを造ることはできない。
古代文明人は天体の運行にどのような思いを馳せてこのようなアカデミックかつロマンチックな建造物を構築していたのだろうか?
 
そしてギザの大ピラミッドにも、同様というか、ギミックというにはあまりにも壮大すぎる仕掛けがされていることをご存知の方はいらっしゃるだろうか?
 
 
チチェン・イッツァーやアブシンベル神殿と同様、春分の日と秋分の日のわずかな時間のみ、四角錐に見えるピラミッドが八面体であることを示すことがわかっている。
 
(年に2回だけ、それもほんの数秒だけこのように見える巨大建造物。それがどれだけ精密な建築技術であるか、僕の理解の範疇の完全に外である)
 
大きさの不特定な大小バラバラの巨石を積み上げて造られたピラミッド。
そこにこんな繊細な仕掛けが施されているとは……いよいよもってどうやって作ったんだピラミッド!?
 
(今回のブログで唯一僕が撮影した写真。その圧倒的な質量に精神的な引力すら感じてしまうクフ王のピラミッド)
 
 
そして「持論を展開」をやりたい放題で次回「ピラミッドと月」につづく!

Lunar

 
スーパーブルーブラッド皆既月食というスペシャルな月を見た。
次回起こるのは2037年だそうで、この生涯では最後のスペシャルな月食となるかもしれないなぁ……なんて思いながら欠けていく月を眺めていた。
 
皆既月食とは太陽と地球と月が一直線上に並んだ時に起こる怪奇な現象だ。
 
図解を見ればなんとなく仕組みは理解できるのだが、それにしても神秘的だ。
 
 
僕が一番最初に月食を見たのは小学5年生の時だ。
調べてみると1978年9月17日の明け方に月食があったことがわかる。
友人のN君の家に泊まりこんでみんなで天体望遠鏡や肉眼で見たことをハッキリと覚えている。
 
地球から月までの距離 384,400 km
地球から太陽までの距離149,600,000 km
 
地球の直径 12,742km
月の直径 3,474km
太陽の直径 1,391,400km
 
不思議だと思う最大の疑問点は、大きさも距離も全然違う太陽と地球と月がなぜこうも見事に完全一致するのだろうか?ということだ。
 
わかっちゃいたけど、太陽は大きい。相当。
 
 
2012年の金環食を覚えている方も多いだろう。
金環食とは今回の皆既月食とは逆のポジション、地球と太陽の間に月が完全に重なることで太陽が黒くなり輪郭だけが輝くという現象だ。
 
太陽にスッポリと収まっている月
 
そして今回の皆既月食は地球の影によって月が覆われるという現象だ。
よくよく考えてみると、大きさの違いすぎる3つの星が織りなす奇跡とも思える天体ショーなのだが……
それにしても、少々できすぎてはいやしまいか?
1億5000万キロ離れた直径約140万キロの太陽と、直径わずか3474キロの月がほぼ同じ大きさで重なるなんて……
こんな奇跡的な偶然が起こり得るのだろうか?
 
 
現実主義者は口を揃えてこう言うだろう。
「もちろんです。なぜなら現実に月と地球と太陽がそのようなバランスで成立しているではないですか」と。
 
しかしこの奇跡のようなバランスを調べてみると、様々な違和感がいくつか浮かび上がってくる。
 
○一般的な惑星の衛星としては月は少々大きすぎるらしい
○月を構成する物質は地球よりも数億年以上古いらしい
○月の公転運動と地球の自転運動が一致しているので月は常に表側を向いているらしい
 
 
月の存在は地球にとってとても大切だ。
月の引力によって潮の満ち引きが起こり、地球上の生命のサイクルを生み出している。
太陽の光だけでは地球上に生命が満ち溢れることは限りなく不可能であったらしい。
もしも月がなかったら、今のような地球でなかったことは確かだろう。
 
しかしそんな月が地球の衛星として「在る」ことが不自然と思える。
まるでとってつけたような月の存在に違和感を覚えてしまう。
 
たまたまの偶然と奇跡のような確率で今の人類があるのではなく、大いなる意思によってお膳立てされたのではないだろうか?と思いたくなってきてしまう。
 

一旦話題を変えるが、みなさんは「ドレイクの方程式」なるものをご存知だろうか?
 
 
 
これは宇宙にどれぐらいの地球外生命体がいるかを推定する方程式のことで、「恒星が惑星を持つ確率」「生命の存在が可能となる環境の確率」「生命が知的レベルまで進化する確率」「進化した技術文明が滅びていない確率」といった非常に厳しい審査をするようなものである。
限りなく確率はゼロ近辺にしかならないような厳しい審査になるとはいえ、なにしろ銀河系にある恒星の数だけでも1500〜2500億個。
惑星の数ともなればその数倍、どれだけ天文学的な確率の低さであってもかなりの数は期待できる。
それがたとえ「100億分の1」といった笑っちゃうような確率の低さであっても、分母が1兆ならばたちまち100個の有力候補が挙げられることになるのだ。
 
しかし妥当な数値を入力していくと、
 
 
「宇宙には我々人類しかいないように見える」とも思えるような、限りなくゼロに近い計算結果になってしまうらしい(´・_・`)
人類のみが宇宙の中の唯一の知的生命体なのだろうか?(過去や未来を除外した今現在という意味で)
 
 
ところで「ドレイクの方程式」で僕が感動した注釈がある。それは、
 
N>1
 
広い宇宙の中には最低でも1つの文明はある。
なぜなら、私たちは存在しているから
 
僕らが存在している。これは相当頼もしい事実だ。
計算上では限りなくゼロだけれども、僕らの存在そのものが「最低1」という希望を示していることになる。
 

僕には敬虔なクリスチャンのYさんという友人がいる。
Yさんは神の奇跡を目の当たりにした経験があるそうで、それ以来揺るぎない信仰心をもって生きている方だ。
彼曰く「世界の全ては神が創造されたものです」なのだが、当然僕はそうは思えない。
そこは譲れていない。…今のところは(笑)。
しかし、上に記した奇跡のようなバランスの「月と地球と太陽」を科学的にどう説明できるのだろうか?
 
文字どおり天文学的確率ではあるが、たまたま合致した数千億分の一の可能性が我々人類である
 
あまりイケてない気がするが、これが科学的な答えとなるのだろうか?
 
ドレイク方程式を引き合いに出すまでもなく、まさに地球は奇跡のような確率で成立していることは疑いようのない事実だろう。
しかし現実論者の僕を含め、ここからが一番困ってしまうのだけれども……
「我々が存在している事実は確率論的にありえない」となってしまうにもかかわらず、我々は存在している。
はてさて、この矛盾をどう乗り越えたらよいのだろうか?(-“-)
ドレイク方程式の希望の「N>1」は、科学の限界を思い知らされる数値でもあるのだろう。
 
Yさんは実に明快に答えてくれる。
「神の存在さえ信じられれば全ての疑問の答えが導かれます」
 
科学では説明のつかないことはまだまだ多い。
最新科学が導き出した結論が、二千年前の神学を証明しただけに過ぎないようなことも沢山あるのだろう。 
 
「これはなにかの暗号なのではないだろうか?大いなる意思かなにかのメッセージではないのだろうか?」
 
今回のスペシャルな皆既月食を寒空の下で眺めながら、ずっとそんなことを考えていた。
 
自分の中で答えは出てこないし、死ぬまでわからないままのような気もする。