注文の多いブログ

僕が子供の頃に不気味だと思っていた童話を紹介した前回、リプライの中に「注文の多い料理店」を挙げる方が何人かいらした。
宮沢賢治といえば「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」などの作品が有名だが、多くの人はこの「注文の多い料理店」こそ最も印象に残っている作品なのではないだろうか?(いや『クラムボンはわらったよ』の「やまなし」だろうか?)
 
僕はこの作品を読む直前に、おおまかなあらすじを知ってから読むカタチとなった。
当時好きだったミステリー作家の「私が初めて出会ったブラックユーモア小説」といった内容のエッセイだったのだが、その紹介の仕方が実に絶妙で「何だこの面白そうな話は?」とすぐに文庫本を買って読んだのだった。
読了後はもちろん面白かったのだが、自分の中のインパクトは紹介されたエッセイの文章の方が怖いかつ面白く感じていたのも確かだった。
「注文の多い料理店」は、、、ご存知の方も多いかと思われるが、敢えて当時の僕の受けたイメージ通りであらすじを紹介してみよう。
 
二人の道楽者が山の中で迷いお腹が空いて途方に暮れていたところ「山猫軒」というレストランを見つける。
中に入ると細かく仕切られたドアに「当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください」「注文はずいぶん多いでしょうがどうか一々こらえて下さい」などと書いてある。
姿なきホストというわけだ。
注文は予告通り「髪を整え靴の泥を落としてください」「鉄砲と弾丸をここに置いてください」と細かく指示されながら奥のドアに進むようになっている。
二人は「作法の厳しい店だがもっともだ」といちいち納得し、ドアを開けては細かい注文に応じていく。
しかし「壺の中のクリームを手足に塗ってください」「塩を身体によく揉み込んでください」といったあたりでようやく事態を理解する。
注文の多さと内容は、料理を食べる自分達にではなく、料理される自分達へのものだったのだ……
 
といった感じで、僕が最初に読んだあらすじには姿なきホストの存在が誰であるかが書かれておらず、また結末にしても「自分たちが食べられることに気がついてしまった」という時点までだった。
そうなってくると童話や寓話というよりは紛れのないカニバリズム(人肉嗜食)となり、物語の凄味が増すことになる。現に僕は震え上がりつつも「うわー怖そう!」と思ってしまったのだった。
 
 
原文では相手が恐ろしい山猫であることを示唆しており、猟犬の突入によって術を破られる(山猫軒はタヌキの幻術のようなものだった)のはいかにも童話っぽい展開であるし、最悪の結末にならず二人は無事生還を果たすこともできる。
道楽者がこれまで狩りを無軌道に楽しんでいたこと、殺生をなんとも思っていなかったことなどの人物設定が冒頭部分にあるあたりからも、正しい寓話として構成された名作だと思う。
 
しかし僕の中では、それらの内容をあえて語らなかった紹介文の方、説明不十分であることにさらなる恐怖を感じさせてくれていたことに大いなる感銘を受けたものだった。
とはいえ無論原作のすばらしさを否定しているわけではなく、例によって何度読み返してみても不気味な物語であることは間違いない。
 
そして今になってこんなことを思ったりもする。
……もしかしたら僕のゾンビ好きの原点には宮沢賢治があったのかもしれない……そう思うと、B級趣味でしかないゾンビが幾分か高尚に思えてくるようではありませんか!←かなり苦しいこじつけ
 
尚、この「注文の多い料理店」も青空文庫で無料で10分程度で読める内容なので、再読の方も初読の方もどうぞみなさんごゆるりとお読みください。ー山猫軒ー
 
 

グリム童話やマザーグースの詩にも恐ろしいものがたくさんある。
僕が愛読していた「グリム童話集」は神奈川県から埼玉県に引っ越すときの道中に母に買ってもらった本だ。(そういうどうでもいいことをなぜかいちいち覚えている)
昭和の時代に普通に売られていたグリム童話というものは、子供向けであっても容赦のない内容だった。
 
「王子様は悪い猫の首をハサミでちょん切ってしまいました。ついでに魔女の首もハサミでちょん切ってしまいました。めでたしめでたし」といった凄惨なスプラッター描写が明るく唐突に出てくるのだ。
思い返せば当時の童話は「白雪姫」も「赤ずきん」も、ついでに「かちかち山」もとんでもなく残酷な話だった。
悪者は極悪非道であったので、だからこそ物語の最後にやってくる因果応報的な結末に納得させられることも多かったはずだ。
 
現在は表現の規制が多すぎて、特に子供向けの童話は内容の改変が酷すぎると聞く。なにかイビツな世の中になってしまったものだなぁと思わざるをえない。