月別アーカイブ: 2018年4月

Apple系の話〜TimeMachine編

慣れていないクラウド設定を把握しておらずにうっかり10年分の文書データをきれいサッパリと消去してしまった。
クラウドという構造の発想をここでおさらいをしておくと、
これまでは各種デバイスで作成したデータというものは各種デバイス毎に保存され保管されていた。
会社のPCで作業をした続きを自宅のPCでやる場合は、USBメモリー等にデータをコピーをしたり、自身に作成途中データをメールで送ったりしていたわけだ。
そういった段階を経ることで「オリジナルデータ」→「移動用コピー」→「修正作業データ」といった3つの形態に変化しながらファイルのやりとりをしていたことになるわけだが、空に浮いた雲のような場所にオリジナルを置くことで、それを別の場所や別の人が直接開いて直接改変していくという考え方がクラウドの考え方となる。
 
「AにあったデータをBに移したからAからは消す」といったこれまでの手順を踏むとCloud上のデータが消えてしまうので、結果AからもBからも消えてしまうわけだ。もっといえば「A」にあるのではなく「Aからもどこからも見えている」が正しい言い方となる。
 
僕はまさにAにあると思ってクラウドデータを消去してしまうという、そんなトンマなことをやってしまったわけだ。
 

ところで僕は自宅のネットワーク環境の中でもとりわけ縁の下の力持ち的な存在の「Time Capsule」という装置を使用している。
これはapple純正の「無線LANルーター兼バックアップHD」であり、ネットワークにつながった各デバイスを必要に応じて無線LAN経由で黙々とバックアップし続けるという機械だ。
 
↑Time Capsule(美しくもシンプルなデザイン)
↓mac mini(形も大きさも似ている)
 
 
バックアップという作業は煩わしい。
重要な仕事のデータならいざ知らず、普段の家使いのパソコンやスマートフォンのバックアップがおざなりになってしまうのも無理からぬこと。
しかしマーフィーの法則のごとく、バックアップをマメに取っている人ほどハードディスククラッシュといった惨劇は訪れないような神様の采配がされているように思えてならない。
バックアップの理想は「毎日寝ている間にパソコンが勝手に起きてどこかに保存してくれる」となるのだろう。
それを確実に黙々とこなしてくれるのが「Time Capsule」というハードウェアであり、その管理をしてくれるのが「Time Machine」というソフトウェアであり、毎日毎時間毎に差異部分のバックアップをごく短時間でさり気なく自動で取り続けてくれる頼もしいシステムなのだ。
 
なので数日前に「バックアップが60日間できていませんけどいいんですか?」といった内容の警告メッセージが出てきた時は「おいおい、60日放置しておいてさらに人を非難するような言いっぷりはいかがなものか?」と機械相手に苦言を呈したわけだが、急に不安になったので手動でバックアップを取ろうとしたのだが、Time Capsule内のHDが不調のようで認識をしてくれない。
うわ〜ん!認識してくれー!
 
四苦八苦して何とかバックアップ完了、、、
したのが奇跡的に冒頭の10年分の文書データを消してしまった前々日だった。
ここで話も冒頭部分に戻る。
 
果たして消してしまったデータは?
はらはらドキドキでタイムマシーンを起動すると…
 
(TimeMachineの画面。バックアップした過去にグイグイと遡っていける。まさにタイムマシーン!)
 
出てきた!一昨日深夜の自動バックアップに「書類-Jin’sMacBookPro」が残っている!
 
そしてこの状態に「復元」をすると…見事デスクトップ上に10年分の文書データ全てが返ってきてくれたのである。
ちょっとした操作ミスから大変なことになってしまったわけだが、無事に元に戻ってくれた。
 
このTime Capsuleを使いはじめたのは2009年なのだが、実に9年間僕の危なっかしい挙動をずっと見守り続けてくれていたわけだ。
何度かこういったミスをしてお世話になったことのあるTime Capsule&Machineではあるが、今回のミスはもしも消えてしまったら一番手痛いミスになっていたことだろう。
 
ありがとう!Time Capsule&Machine!
 
ところが、無事復元に成功した直後に再びハードディスクの認識をしなくなってしまい、9年間稼働し続けた僕のTime Capsuleは壊れてしまった。
最後の最後でおもいっきり役に立ってくれて天に召されていったようである。
 
運命的な何かを感じずにはいられない。
 
そんなわけで二代目のTime Capsuleを購入しなければならないのだが…調べてみると2013年6月に発売されたモデルを最後に5年近くアップデートされていない。
これは…正直買って良いものなのかどうか?(^_^;)
売ってるものだからもちろん買えるのだけれども…新型が出たりしないか?
と構えていたら明日突然販売を終了してしまったりはしないだろうか?
 
うわー!どっちに転んでも損した気分!
 

と、二回に分けて説明した割には、結局は「転ばぬ先の杖に救われました」というお話なのでありました。
しかし「次の杖をすぐに用意すべきか否か」といういや〜んな選択を迫られている現在というお話なのでもありました(´_ゞ`)ちーん 
 
そんなわけで現在の僕のバックアップシステムはUSBの外付けハードディスクを手動で接続しないとバックアップをしてくれないという、喉元過ぎれば&なんとかなるさ的な楽観主義である僕的にはおおよそ信用できないシロモノであり、危険極まりない状態なのだ。
 
なにか次の策を考えねば。ってか5年前の商品を買うしかないのだろうか?
 
求ム!情報!

Apple系の話〜iCloud編

先日、使っているパソコン達のオペレーティングシステムを一斉に最新のHigh Sierra(MacOS 10.13.4)にアップデートした。
音楽用のアプリはこういったアップデートへの対応がゆっくりなので、常にワンテンポ、ツーテンポ遅れての導入となるし、問題がない限りは古いバージョンのまま使い続けるのがセオリーだ。
最新バージョンを使ってみても、良いことよりも悪いことのほうが圧倒的に多く起こるので、自分が人柱になる場合を除けば静観するのが基本なのである(笑)。
 
最近のApple社はとにかく「クラウド」に命をかけているみたいで、自分が所有している各デバイスの連携が鮮やかに決まると、それはそれは超絶便利なシステムを手に入れることができる。
AppleWatchもシリーズ3となってこれら連携の鍵となってくれるのが素晴らしい。
例えばMacBookを開くと通常パスコードを要求されるのだが、腕につけているAppleWatchを感知してロックを解除してくれるのが何気に便利で凄いなと思う。
またiPhoneXにしてSuicaに対応したのは良いのだけども、改札を通る数秒前にサイドボタンをダブルクリックして起動して顔認証をしないとSuicaになってくれないのが不満だったのだが、AppleWatch3版のSuicaは時計をかざすだけでOKなので実に楽チンになってくれた。
(追記:内外からの指摘あり!僕の勘違いだったようで特にサイドボタン操作をせずかざすだけで認識されるそうだ)
 
(現役の所有デバイスは全て登録してはいるが常に連動させているのは1台のMacBookProとiPhoneXとAppleWatchの3台のみ)
 
AppleTVまでもを連携させておく意味があるのか?と思われるかもしれないが、気になった動画や映画などをとりあえず「お気に入り」に入れておいて時間のある時にリビングのテレビで見るといったメモ代わりに使うだけでも十分な利便性を感じられる。
同様にパソコンの履歴やリーディングリストを辿ってiPadで見たりする時も同じく便利だ。
別デバイスで見た映画の履歴もパソコンにそのまま反映される。あ!勇者ヨシヒコシリーズを見ていることがバレてしまったではないか!(笑)
 
良いこと尽くしと思われるクラウド同期なのだが、いろいろと問題も多い。
悩みのタネがiPhoneとMac共通の「写真」というアプリなのだが、いらない写真をパソコンから消してもiPhoneに残っている写真だといつの間にか修復と言う名の余計な復活をさせてしまったりして、何時間もかけて不要な写真を整理したはずなのに気がつくとすっかり元通り!なんて迷惑なことをしでかすことがあったりする。
その法則性がイマイチ把握できておらず、なぜか僕のMacとiPhoneを同期させる度にゴールデンボンバーのみなさんがハロウィンの時にした「LINEキャラクターの仮装姿」が新しい写真として毎回取り込まれる(笑)
(これはまとめサイトからの転載だが、これに近い写真が毎度呪いのように僕のパソコンに取り込まれる)
 
※iPhoneからパソコンに移した時点でiPhoneからは一旦消去してパソコンの「写真」で整理をしたものを再同期させればこういうことは起こらないのだろうけれども…写真の整理って本当に気が向いたときじゃないとやる気が起きなくないですか?(-“-)
 
なのでどうにもヤル気の起こらないiCloud管理しかしておらず、重要な同期はDropBoxやGoogleDrive、単純に文章の同期はevernoteで十分だと感じていた。
 
 
ところが最新OSのHighSierraではいつの間にかこのiCloudが飛躍的に使いやすくなっているみたいで、書類フォルダーなどが自在に複数間デバイスで共有できるようになったらしい。(Sierraから既にあったらしい)
PCのデスクトップ上を共用することも可能のようで、そうなると「DropBoxに放り込む手間」すら省略できてしまう。
というか、普通にPC作業をしているだけで常にデータを共有できるようだ。
 
そのことに気がつかずに「OS10.11 El Capitan」の感覚のまま扱っていた僕の身に悲劇が起きた。
仕事先のサブのPC上にメインPCの書類データが置いてあったので「これはこのPCにはいらない」と躊躇なくゴミ箱に捨てて空にしてしまう。
帰宅してメインPCを開くと…「書類フォルダー」そのものがいなくなっている。
あれ?なぜ?どうして?
そうなのだ。クラウド上で同期している「書類フォルダー」はもうメインPCだけのフォルダーではなかったのだ。
 
10年以上のテキストデータ、請求書などの保存書類、それこそブログやら会報原稿やら夢日記に至るまで、全ての文書データがキレイさっぱり消えてしまったのだ!
 
つづく。

取り締まり

以前このブログで警察の取り締まりについて長々と苦言を呈したことがある。
 
今年は免許の更新で、送られてきた通知の「更新後の有効期間」はゴールドと同じ5年だが、講習区分はやはり「一般」に落ちていた。
前回の更新は地元警察署の簡易的な講習で済んだのだが、10年ぶりに運転免許更新センターまで行かねばならない。
 
 
ここで警察への恨みつらみを再度クドクドあげつらうつもりもないのだが、交通安全週間中である昨日、えげつない取り締まりを目撃した。
悔しい思いをさせられるドライバーが一人でも減ればといった主旨で、今日は彼らの手口を書くことにする。
国家権力にたてつくわけではなく、あくまでも善良な願いであるということを今回もまた強調しておく。
 
 
場所は郊外の小さなT字路。
 
(うわーパソコンでこういうの作るの向いてない!たったこれだけの図を作るのに1時間近くかかってしまった!しかもいろいろ詰めが甘くて泣けてくるがメンドーなのでこれ以上の手直しはしない)
 
こういった自動車用の信号の付いていない小さなT字路や交差点の場合、我々ドライバーはどうやって交差点に進入するかというと、目の前の道(交差道路)のほうが交通量の多い優先道路となるので、一時停止後に十分に左右の安全を確認した後の進入となる。
そこに異論を唱える方はいらっしゃらない前提で話を進める。
 
次に歩行者用の信号が青だった場合はどうだろうか?
交差道路側の信号は赤になっているので車が出てくることは原則ない。
従って前方右の横断歩道近辺に歩行者がいるかいないか、危険はないかの確認をしながらの進入となるだろう。
念のため交差道路上の車の有無や停止しているかどうかの確認もし、横断歩道周辺には歩行者も自転車もいないので右折ウィンカーを出してゆっくりとT字路に進入したところで2名の警察官が手ぐすね引いて待っているというトラップ。
「なぜこんな場所にお巡りさんがいるのだろう?」と思いながら彼らの挙動を見ていたのだが、彼らの真意に気がついた時に「あっ!そうか!そういうことか!危なかった!」と思ってしまった。
 
これはエゲツない!
 
実際このT字路に差し掛かる時に歩行者信号が青だったら、僕は間違いなく上記の挙動をしていたと思うからだ。
 
このトラップの仕組みにもうお気づきだろうか?
 
一時停止違反…減点2 反則金7,000円
 
そうなのだ。
このケースの場合はあくまでも「歩行者専用の信号」なので、自動車には関与しない信号となる。
つまり、歩行者専用信号が青だからと交差点にそのまま進入した場合は手前の「止まれ」を無視したことになってしまうのだ。
あくまでも「止まれ」で一旦停止をしてからのT字路進入をしなければならない。
 
運転をされる方はこの状況を脳内で想定してみて欲しい。
言われてみれば理解はできるものの、これで捕まったらやはり到底納得はできないだろう。
 
僕の場合はこの時たまたま歩行者専用信号の青が点滅をしており、また警察官の姿も見えたので「加速して無理に渡って何か言われてもイヤだし早めに停まっておこう」と無難な選択をしたのが幸いした。
 
この時の警察官は明らかに「来るか来るか?…ちっ来なかった」といった挙動であったように思う(やや悪意の解釈か?(笑))。
もしも捕まって歩行者専用信号には効力はないこと、「止まれ」は絶対であることなどの説明をされたところで納得はできなかったと思う。
なぜならば歩行者専用信号での状況判断は限りなく安全であり、違いは自動車用の信号があるかないかだけであり、そして信号を守らないのは圧倒的に自動車よりも歩行者や自転車であることを我々は知っているからだ。
 
こういった小さな交差点全てに自動車用の信号をつけろと言いたいのではない。
交通量の多くない道路の信号は不合理であるとも思う。
しかしこういった微妙な差異を利用した「罠」への転用は非常に腹立たしい。
 
 
1年半前に「警察に捕まる」を書いた時から、やはりというか当たり前のことではあるけれども、警察は何も変わっていない。
相変わらず揚げ足取りのような主張で市民からカツアゲまがいのことをしているだけだ。
事故の起こりそうもないのどかで安全な場所で「危険」を主張し取り締まり、小銭をせしめている……ようにしか思えない。
 
捕まってたまるか!
っつーの!
 
そしてもう一つの僕の主張も前回から変わっていない。
 
お巡りさんは子供から憧れられ心から尊敬される正義の味方であり続けてほしい。
 
と純粋に願っている。
 
 
追記:ツイッター上で「止まれ」で止まるのは当たり前、罠でもなんでもないのでは?というお叱りをいくつか受けた。おっしゃる通りであり弁解の余地は全くない(今回は捕まったわけじゃないのだけれども)。
 
ただ、この微妙なニュアンスを理解していただけたらなぁ…という思いはある。
初めて通る道、歩行者信号が点滅を開始した小さなT字路、「止まれ」の認識度は低くドライバー的には「できれば交差道路の信号が青になる前に通過できればなぁ…」という心情。
 
大型幹線道に側道から合流する車線のあまりに地味な停止線、時速60キロ制限から40キロ制限に変わるはざま、高速道路出口直後の下り坂道、警察が網を張っている箇所というのはそんなところばかりだ。
そこだけを切り取れば確かにグウの音も出ないほどに運転手に非があるように思えてしまう。
しかしあからさまな営利目的での警察の取り締まりは、時間軸での流れ、日々の運転の中でのちょっとした隙、といった絶妙なココロのヒダに付け入っての取り締まりをしているようにしか思えないのだ。
 
例えば国道1号線に合流する側道などは当然合流するのも大変な交通量の多い中に入っていく道となるので通常は止まらざるをえない。
しかし「目視範囲で100m以上後方の赤信号で車線全体の車が停止しているのが確認できた状態」となると、これは「止まれ」を見落としがちとなる。
なぜならばその瞬間は限りなく安全であり、側道から合流するのに一旦停止する動作に安全危険の違いがあるとは思えないからだ。
そして警察が取り締まりをする瞬間というのは通常の危険な状態での合流時ではなく、こういった安全な瞬間の見落としに限定している。
 
「このブログを読んで何がトラップなのかわからなかった」と首をひねられた方もおられるようなのだが…長い運転人生で警察の取り締まりに一度も引っかからない人の方が圧倒的に少ないだろう。
捕まって初めて「あぁ!こういうことだったのか!」とその時になって思ったのでは遅いのである。
くれぐれもご用心いただきたいと願う。

渋谷

ここ最近電車通勤が続いている。
途中ターミナル駅である渋谷を利用しているのだが、毎日“あそこ”を俯瞰ポジションで通り過ぎる。
 
おそらく東京の観光ポイントとして有名であり世界的にも知られているであろう「渋谷駅前スクランブル交差点」である。
いつでも必ず誰かしらが写真や動画を撮影している。
遠方にお住まいの方が「あぁ東京に来た!」と実感する場所にこの渋谷スクランブル交差点を挙げられることが多いそうだ。
逆に雷門や明治神宮といった名所旧跡は“東京感”としてはやや希薄なのか、別種の感動なのだろうか。
(某ゲームキャラに扮した一団が信号待ちしているのはわかるだろうか?)
 
様々なビルの壁面にある大型液晶ビジョン、交差点に溢れる人の多さ、そしてフェイントのようにちょっと奥に立っている109など、テレビ画面を通して見ていた景色が目の前に広がる。
「思っていたよりも狭いかも?」「なんか想像していたより汚いかも?」「ダサい人も結構混じってるけど?」「それにしても人多すぎ」
といったネガティブな感想なども含めてとにかく感動してしまう。
 
日本人も外国人もキラキラと輝く瞳でそれらの視覚情報をインプットしているわけだが、そのような姿を見るたびに僕はすがすがしい気分になれる。
人が感動している表情を見るとこちらにもその高揚感が伝わってくるようで、自分も精神的にちょっとあがるのだ。
 
これは自分の好きな映画を人に勧めた後日に「面白かったよ!」と感想を言われた時の感情にやや似ているかもしれない。
自分が作った映画じゃないのに自分が褒められたような気分がするのはきっと「自分が好きな作品」が共有され同意を得られたからなのだろう。
 
僕自身が渋谷の街に思うことはなにもないけれど、こういった他の人の視点を主観的に感じること、感動を共有する気持ちにささやかな幸せを感じる。
つまり、ここ最近の僕はいろんな人から幸せのお裾分けをいただいていることになるのだろう。
会話をすることもなくお互い認識し合うことがなくても、人は繋がっているのだ。
そんなことをふと思った。
 
大地のパワーとか霊的なパワーは一切なさそうだけれども、僕の中ではささやかな「パワースポット」なのかもしれない。
 
珍しく簡潔にまとめられた(^^)

うずら愛

本日の昼食は町の中華屋で広東麺を食べた。
ラーメン専門店ではなく、また有名中華料理店であえて食べるのもなーという位置付けの五目中華そば、広東麺を食べるべき店とくれば、やはりなんの変哲もない町の中華屋であろう。
 
中学生の頃から大好きなメニューだったのだが、その理由のほとんどは真ん中に鎮座した小さな白い物体、ウズラの卵が好きだから❤ということになろうか。
広東麺と同じぐらい好きなメニューとして即座に「中華丼」を思いつくことからも、僕のうずら好きは間違いないだろう。
(今日のお店は当たり!五目と言いながらうずら、ぎんなん、エビ、イカ、豚肉、タケノコ、シイタケ、クワイ、白菜、ピーマン、ブロッコリ、ニンジン、ヤングコーン、と豊富な具材が幸せすぎた。尚具材は個人的嬉しい順)
 
中華丼の中央に一つだけちょこんと乗っているうずらの卵は間違いなく主人公であり、ジッと見ているとうずらの卵こそが世界の中心にさえ思えてくる
 
たまらなく愛おしいうずらの卵ではあるが、普段食べる機会はあまりない。
スーパーにパックで売られていることを知ってはいるが、自分で買ったことはこれまでの人生で一度か二度しかないような気もする。
大好きなうずらの卵ではあるが、案外自分の中での料理バリエーションは少ない。
 
去年のアメリカツアー時に差し入れでいただいた「うずらの燻製」に衝撃を受けて久々の新たなバリエーションが加わったわけだが、それにしてもうずらの卵は茹でて食べるのが基本だ。
一時期通い詰めた屋台のラーメン屋さんの「スタミナラーメン」はうずらの生卵を3個入れたものだったのと、松月庵だったか長寿庵だったかのざる蕎麦にうずらの生卵が一つ付いていたぐらいしか思いつかないし、ゆでた卵と比べるとどうしてもインパクトは弱い。
 
……うずらの卵は可愛いな。
 
なぜ今の僕は日々うずらのことを考えているのだろう。
今までずっと友達だったのに、恋人としてふと意識してみたらドキドキが止まらない!きゃっ❤
といった思春期の少女のような熱い眼差しでうずらの卵を思ってしまう←
 
先日焼き鳥屋のメニューに「うずらの卵」とあったので迷わず注文した。美味しかった❤
 
 
時々行く地元駅前の串カツ屋では「5本セットにうずらと紅生姜」が定番のマイスターターキットだ❤
うずらを3つも食べられてしまう贅沢さ❤(だけども広東麺や中華丼はあくまでも一つだけというところに「宇宙の中心」を感じるので複数あってはいけないとも思っている)←好きにしなさい(^^;
 
これが普通の鶏の卵では大きすぎて魅力がないから不思議だ。
中華丼の具がうずらではなく普通のゆで卵だったりしたら魅力半減だ。
 
あぁうずら、うずらよ。
ここ数日は紀伊国屋の「味付け燻製風味」が幸せすぎる。
晩酌時にチビチビと食べながら悦に浸っているだけで明日も生きていけると思えるほど幸せだ。
 
というわけで、明日も頑張ろう。

エイプリルフール

4月1日は1年で1日だけ堂々とウソをついても許される日として知られている。
ここ数年はかなり大掛かりなウソを企業がつくというケースが定着しているわけだが、もはや予定調和となってしまっていて意外性に乏しい。
「午後になってのウソはルール違反ですよ」とたちまち鬼の首取ったように注意されてしまう不寛容社会日本となってしまった窮屈さにしてもどうにかならないものだろうか?
 
僕自身このエイプリルフールで成功したネタなどほぼないのだが……一度だけヒドいウソでまんまと人を騙せたことがある。
あれは19歳の頃…が11年前だったらよかったのだが、、、残念ながら21年も前となろうか。
その21年前、僕は栃木県某所で2週間ほどの軟禁生活を送っていた。
 
 
運転免許取得合宿生活」を満喫?謳歌?いやいや、ただ単に過ごしていたのだ。
一般的に過酷な日々と思われがちな免許合宿だが、僕に限っていえばなかなか快適な二週間だった。
ほぼ同年代の高校卒業〜大学1年辺りのメンツ、前半はかなりの密度で学科が詰め込まれていたものの後半は1日2時間の実技講習のみのお気楽な生活だった。
他にすることもなく10人部屋の宿泊施設のみんなで試験問題を出し合ったりしていたおかげで模擬試験も仮免許も100点満点、実技こそ個人のバラつきは出たものの、僕を含めた数人はストレートに2週間ジャスト、まんまと最短卒業ができてしまった。
 
その卒業検定試験がまさに31年前の今日4月1日だったのである。
(50歳を過ぎると昔のことがどんどん貴重に思えてくるのか、愛おしむよう思い出を大切に保存しようとする姿勢で記憶を抽出する傾向があるようだ)
 
当時はメールや携帯電話はおろか、ポケベルすらない時代。
通信手段は電話、電報、手紙、伝書鳩、狼煙(のろし)ぐらいしかなかった。
 

(風の強い日はどうしていたんだろう?)

現実的に電報を自分で利用したことは一度もないし、結婚式の祝電以外で見たこともないと思う。
つまりは電話か手紙しか手段はなかった。
 
ここで唐突に昭和を知らない若者向けのクイズを出してみよう。
あ、昭和世代のみなさんも(難しくはないだろうけど)是非ご参加ください(^^) 
 
当時公衆電話には赤色と黄色と緑色があったのだけども、その機能的な違いはなあに?
画像検索したらあまりの懐かしさに笑みが……
 
答えは、、、
 
赤電話……10円玉オンリー
黄色電話……10円&100円玉
緑電話……10円&100円玉&テレホンカード
 
その他にもピンク色とか青緑とかゴールドラメといった数種類の色分けがあったが、基本はこの3種類のどれか。
「え?テレホンカードってもうあったっけ?(-“-)」
と思ったけど、高校3年生の時に遠足で行った「つくば博」のテレホンカードを記念に買った記憶があるので間違いなくあったはずだ。
※この時に買ったこの『NTTになる前の電電公社版つくば博のテレホンカード』を未使用で保存しておけば……その後最大値で50万円とかまで高騰したらしいのだが、今調べてみると平均価格は3100円まで下落している。ビットコインに限らず“旬”というものが何にでもあるのですなぁ……
(転載写真。逆になぜこれが50万円?と思わなくもない)
 
話が横道に逸れたが、そんな時代背景もあっての当時、運転免許合宿で2週間離ればなれになったカノジョへの通信手段は、公衆電話以外なかった。
 
お金もなかった貧乏時代、必要最低限のやりとりを1日100円と決めて数十秒だけやりとりする電話。
そして迎えた卒業試験。
何の問題もなく検定終了し一発合格を見事果たした僕は喜び勇んでカノジョに電話をする。
しかし当時も今も性格は基本的には変わっていない。
 
「うわー!卒検であろうことか電柱にぶつかって教習車を壊しちゃったよー!!」
「え?またまたぁ…」
「ごめん!そんなわけでそれどころじゃない!またかける!」
 
と一方的にガチャ切ってしまう俺氏。
せっかくのエイプリルフールである。
 
そしてすぐに掛け直し、
「ゴメン、もう一つ言っておくことがあった!今のウソ!」
 
……ドッキリ大成功?(・∀・)?
 
結果メチャ怒られるの巻(´_ゞ`)ちーん 
それにしても面白みに欠けるし今思えばなんでそんなウソをついてしまったのだろうか?
 
その後平謝りをしたことを昨日のことのように……というわけにはいかないが、覚えている。 
 
そんな当時のカノジョとの微笑ましい(?)思い出ではあるが、そのカノジョと数年後に結…
 

……という最近流行している流れの話であったのなら微笑ましい美談になるのであろうけれども、やはりそんなウソをついてしまってよいことはなかったらしい。
その後、程なくしてふられてしまったのでありました(´_ゞ`)ちーん 
 
結論:エイプリルフールといえど、やりすぎのウソはダメでしょう多分
 
本文中に地味なウソをいくつかつきました(笑)