月別アーカイブ: 2018年8月

毒について考える

微量の毒は薬となるが、大量の薬は毒になる。
また、善玉と思われていたビフィズス菌等の「聞こえのよい細菌」が実は人間の腸内解釈では「外敵」として認識され総攻撃を食らう対象であったという意外な事実についてをまとめた前回だった。
 
ところで自然界には食物連鎖を基本とする上下関係のようなものがあるのだが、外敵から身を護るために「毒」を持つ生物や植物が多数存在している。
 
コアラの主食であるユーカリの葉は毒性が強く、コアラ以外の動物は食べることができないそうだ。
ではなぜコアラだけがユーカリの葉を食べることができるのかというと、そこにはコアラという愛らしい見た目をした動物の悲しい進化の歴史があった。
つまり、愚鈍でおとなしいコアラという生き物は、生存競争の中で他の動物に勝ち抜くことができず、結果として他の動物が見向きもしない毒の葉っぱを食べることに順応することで、競争率のない食べ物を勝ち取ったそうなのだ。(コアラは体内でユーカリの毒素を分解する酵素を出すことで無毒化をしている)
 
 
真実は定かではないのだが、コアラはユーカリを美味しいと思って食べているわけではないらしいという説がある。こればっかりはコアラの心のわかる読心術者でもない限りはわからないことだろうけれども、少なくともユーカリの葉は毒性が強いのに加え、栄養素も乏しく消化も悪いそうなのだ。
可哀想なコアラはそんな葉っぱを消化することに生命エネルギーの大部分を注がなければならず、一日のうちの20時間を眠ることによってかろうじて生存ができているという非常に効率の悪い生涯を送らなければならない運命なんだそうだ。
 
ここまでをまとめると、毒性を持つ植物は「俺を食べたらひどい目に合うぜ?」という警告をしているわけであり、それは動物の防御、例えばスカンクのオナラ、ハリネズミのハリと同じような威嚇的な性質であるのだろう。
ユーカリのように善戦むなしく順応され食べられてしまう例外もあるけれども、あくまでも「食べられないための努力としての毒性」であることに違いはない。
 
 
一方の果物に関してはどうだろうか?
完全に真逆の方向性を向いている。
 
甘い香りを放ちつつ、むしろ「ほら!わたしを食べて!」と動物に捕食されるためのアピールを怠らない。
食べやすく柔らかい果肉は美味ではあるが、その中にある種は消化されずに残留したまま糞の中に排出される。
大地に根を張りそこから動けない植物は、自らの子孫を繁殖させる手段として、動物に実を食べられ種を遠くに運んでもらうという遠大な計画により、自分自身が美味しくなることを進化の道として選んだのだろう。
これはこれで納得のできる生態系のあり方だと思える。
 
ここまでが前説のようなもの。
面白い話はここからだ。
 
最近になって「毒であることを悟られないようにしつつも積極的に食べられようとしている菌類」の存在が明らかになってきている。
つまり、防御としての毒ではなく「美味しそうでしょ?食べてごらんよ!」と果物のような魅惑的なルックスと芳香で動物を誘惑する存在だ。
 
そしてこの誘惑は野生動物に限らず、過去の歴史から人間も騙されてしまっていたことがわかる。
おわかりだろうか?
 
いわゆる「毒キノコ」だ。
食べると死んでしまう猛毒キノコについての記事
 
多くの毒キノコの特徴として挙げられる「すぐには効果のあられない毒性」が長年疑問視されていたそうだ。
「食べられないようにするための防御としての攻撃」であるならば、味はまずくてニガくて口にした瞬間「危険!」と思われることが大切だ。
いかにも危険そうな見た目というのも重要なのに、毒キノコはそこまで毒々しいルックスをしていない。
 
そう、ほぼ全ての毒キノコは防御をしているようにはまるで思えない。
 
むしろ果物のように魅惑的な香りを放ち動物を引き寄せて美味しく食べられるわけだが、食後数時間〜数十時間が経過しないと毒が効かない。
これでは食べられ損のようなものではないか。
なぜ毒キノコはそのような性質をしているのだろうか?
 
なにかの罠?
そう!明らかにこれは罠!
そこには植物のタネと同じ働きが隠されていたのだ。
 
毒キノコを食べた動物はしばらく森の中をウロウロした後、ゆるやかに毒が体内を巡り、やがて動けなくなり死に至る。
亡骸は「森」によって速やかに分解され土に返される。※ここでの「森」とは小動物や昆虫や微生物といった森に生息する生物全体を指す。「動物→植物」という一方的な食物連鎖のように思えても、動物が死ねばその養分は結果として土に養分として返り、植物に還元されるという『循環』をしていることがわかる。
 
毒キノコを食べた瞬間にその場で死なない理由も「森全体に栄養素としての動物の亡骸をまんべんなく広げるためには即効では効かない毒性の方が都合がよい」と考えると、実にすんなりと腑に落ちる話となる。
 
そういった仮説を前提に改めて毒キノコを見てみると、警戒色というよりはむしろ「より目立つ」という方向性での進化をしてきたようにも思えてくる。
夜行性の動物にも発見されやすいもの、あるいは見た目が地味でも普通のキノコと見分けをつけにくいというもの、どちらもいかにも罠っぽい。
 
 
毒キノコとは、「森」という大きな意味での「巨大生物」が生み出した特殊な存在なのではないだろうか?
 
もしかしたら動物と植物の生態バランスによって毒キノコが大量に発生したり、減ったりしているということもあるかもしれないというか、きっとあるに違いないような気がする。
 
森のなかのバロメーター、バランサー、守護神こそが毒キノコなのでは?
 
現時点ではまだ仮説の域を脱してないそうなのだが、実に興味深い内容だ。
 
 
前回の内容と同様、毒キノコはごく少量を摂取する分には多幸感や幻覚などの快楽をもたらす麻薬として作用するが、一定摂取量を上回れば毒となり死に至る。
 
 
尚、本文とは全く関係のない話だが、僕の実の兄は「キャプテン・ウルトラ」に出てくる宇宙人「バンデル星人」を、「あれは椎茸のお化けなんだぞ〜」と父にからかわれたのを当時真に受け、それ以降椎茸が一切食べられなくなってしまったというトラウマを抱えていたが、、、今もそうなんですか?(笑)
 
〜本日の結論〜
毒キノコには注意しよう
バンデル星人にも注意しよう

原作か原案か

ここへ来て「カメラを止めるな!」に原作となる舞台があったことが明らかになったというニュースをいくつか読んだ。
原作者の方のインタビューも読んだ。
思うことはいろいろあるが、なかなか複雑な経緯の中での問題なんだなぁと思った。
 
一個人の意見としては「カメラを止めるな!」は面白い映画だと素直に思う。
原作となる舞台があったと知った上でも、その面白さが変化することはない。
 
なにか不手際があったのならば訂正をすればよいし、複雑な事情と経緯から原作表記をしにくかったこともうっすらながら想像がつく。(これは主に原作者のインタビュー内容から推察できた)
 
パクリとは違う問題だとも思う。
これまでの監督のインタビューの中には「GHOST IN THE BOX」というタイトルがたくさん出てくるし、一度は原作の映画化を試みて頓挫したことについても余すことなく語っている。
その上で登場人物や設定を大幅に変更し、新たな脚本で違う作品に仕上げたとも語っている。
ひた隠しにしたいのであれば(つまりパクリだという自覚があるのならば)、そんなことを語る必要は一切なかったはずだからだ。
 
映画のテロップには「原案 GHOST IN THE BOX(和田亮一)」と入っているそうだが、今回揉めているのは「原案ではなく原作と表記して欲しい」ということらしい。
 
う〜ん、またも個人的意見を言わせてもらえば「うん、どっちでもいいんじゃない?」となるだろうか?
舞台の構成と映画の構成が酷似していたからといって、それがすなわちパクリになるのかと言えば、決してそんなことはないとは思う。
 
「死んだ人間が生き返って人肉を求める」というゾンビの設定を、もしもジョージAロメロが「私が考えたネタを無断で使うな!」と権利を主張したらどうだろうか?
もちろん彼はそんなことはしなかったし、感染するように定着していくゾンビ設定をむしろ喜んでいたのではないだろうか。(それこそ「ウォーキングデッド」などは、ある意味では過去のゾンビ作品全てをパクリまくった作品といっても過言ではないだろう)
 
インスパイアーされた作品との類似点がどれだけあっても、まずもって違う作品となるのだし、「同じアイディアでこうしてみた!」という変化球にオリジナリティを主張するのもどうなんだろうか?という思いはある。
 
原作を主張する和田氏にしても「自分の作品がカタチを変えてこうしてヒットして嬉しかった」と素直に思ったというくだりに、僕はとてもホッとさせられるのだ。
 
なにか良いカタチで決着、和解してくれたら…と願うばかりである。
 
ネタバレなしの僕の初見の感想はこちら。
「低予算映画の魅力とは?」

大人のためのDTM講座 PV

いよいよYouTuberデビュー?
冗談です。
一度こういう解説動画を作ってみたかったので作ってみました。
7分程お付き合いくださいませ。
 
 
解説内容は「DTMは本当に簡単なの?」と思っている方に「簡単ですよ」とお伝えするといったシンプルなモノとなっております。
次回はもうちょっと大きな声で話せたら…と思います(^^;
 
さすがに内容的にiPhoneの内蔵マイクというわけにもいかずに二つの動画とは別に録音をしたのですが、まー動画に音を合わせるのが大変なこと!(一部微妙にズレている箇所もありますが気にしないでください)
 
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POISON

布袋さんの曲名ではない。
今日は「毒」についていくつかまとめてみたい。
 
僕は昔からこの「毒」という言葉に何らかの魅力のようなものを感じていたように思う。
グリム童話をはじめとする西洋の物語の中には数多くの「毒薬」が登場するが、「死んだふりをする薬」とか「飲んだ途端すぐ寝てしまう薬」といった、かなり都合の良い作用の毒薬も数多くあった。
 
 
フグの猛毒「テトロドトキシン」はとても有名だが、「ゾンビパウダー」なるゾンビを生み出す秘術に用いられていたらしい?といった説がある。(そもそもゾンビとはハイチ地方の土俗信仰ブードゥー教の「死者を蘇らせる呪術」がその原典となっている)
ゾンビとはフグの毒を利用して人間を仮死状態に追いやり一旦死者とした上で再び蘇生させていた、といったブードゥーマジックの種明かし的な説があるにはあるのだが……この辺りは「ゾンビ伝説」という映画を見ると参考になるようなならないような?(笑)
 
「毒」の効果としてまず特筆すべきことは、何といっても「少量の毒は身体に良い作用をもたらす」ということだ。
お医者さんにもらう薬にしても、用法を守れば速やかに症状の緩和に向かってくれるが、飲み過ぎれば最悪は死に至ることだってある。
「薬」が「毒」になってしまうということは、逆説的に「毒」が「薬」になるということにもなる。(だからといって猛毒は猛毒、良薬とはなり得ない例外も数多くあるとも思うけれども)
「少量の毒が薬となる」格好の例が、まさしくワクチンの摂取だろう。
 
我々が好む嗜好品のほとんどにしても「毒」となりうる。
お酒にしてもタバコにしてもコーヒーにしても甘いものにしても辛いものにしても、適度に楽しむ分には精神を豊かにかつ幸せにしてくれるものだが、当然どれも摂取量が多過ぎれば身体にとっては害、つまり毒物となる。
 
一合の酒は多幸感を与えてくれるが、一升の酒ともなれば精神を乱し身体を蝕む。
お酒はほどほどに。という話をしたいわけではない。
 
良薬と毒薬は表裏一体なのである。
 

僕はこれまでにもこのブログで度々「明治R-1」といった乳酸菌飲料が二日酔いに効果あり!といった報告をしてきた。
「二日酔いの特効薬」
「腸内妄想」
 
「腸内まで生きて届く1073R-1乳酸菌!」といった宣伝文句を見てみなさんはどんな印象を抱いているだろうか?
おそらくは僕と同じく「きっと善玉っぽい菌が腸内まで届いていろいろ働いてキレイにしてくれるんだろうなぁ」といったイメージを抱いていたのではないだろうか?
 
ところがである。
 
我々のイメージとはむしろ真逆の作用が腸内で働いていたという衝撃の事実を知ったのは比較的最近のことだ。
僕は専門家でも何でもないので、以前読んだ記事のイメージをやや誇張して伝えることになるとは思うのだが、大体の雰囲気だと思っていただければ幸いである。
 
胃の中に入り込み胃酸によって本来分解されるべき食物の中で、いわゆる「善玉菌」と呼ばれている数々の菌、ビフィズス菌であったり納豆菌であったりは、胃の攻撃をかいくぐり、生きたまま腸内に侵入してくる。
そう!本来ならば撃退されるべきはずなのに、しぶとく生き残って腸内に入ってくるのだ!この時点でもうイメージとはだいぶ違う。
 
人間の体内はどうするか?
この外敵のこれ以上の侵攻を食い止めなければならない!
そこで腸内に常駐している腸内細菌がそれらの菌に総攻撃を仕掛けるのだ!
つまり我々が「善玉」と思っていたヤクルト菌やR-1菌や納豆菌というものは、人間の体内からしたら「自動迎撃システムが作用しない厄介な敵」という位置付きになる。
つまり腸からすれば、悪玉以外の何者でもないのだ!
 
これが「腸内フローラを活性化させる」というメカニズムの真の正体なのである。
……なんだよ、ずっと好印象を持っていたのに真逆だったのかよ!
 
 
しかし結果としては、それが人間の健康に繋がっているというのが面白い。
人間の腸内に生息している細菌は100~3000種類、数にして100兆〜1000兆とも言われており、驚くなかれ、その総重量は2.5Kg~3Kgに達するそうである!
それらが総動員して活性化するということは、それすなわち小腸内の機能がフルに働くということに他ならない。
人間のウンチの半分ぐらいはこの腸内細菌の死骸だという。
我々をカタチ作っている要素として腸内細菌は欠かせない存在だ。
そんな彼らの「ヤル気スイッチ」こそが、腸内まで死なずに到達する“善玉菌”、別名“ツワモノ菌”だったのだ。
 
今現在僕は腸内細菌を活性化させるために某乳酸菌を毎日1兆個投入している。
ヨーグルト味で美味しいタブレットなのだけれども、「腸まで届け!そして暴れろ!」といった昔とはまるで違う別のイメージで飲み続けている。
100兆相手に1兆では勝ち目はないが、勝たれても困る(笑)。
 
善玉菌のイメージ、変わりました?
 
次回も別の毒について、同じく意外な側面から語ってみたいと思う。
 

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ブログ授業〜2

80年代の音楽は確かに全体の構造を耳で理解するところまでは出来ても、決して簡単には近づくことのできない決定的要因があった。
今の時代とはまた違うジレンマがあったのだがおわかりだろうか?音楽業界のみなさま←
といった前回からの続きである。
 
ジレンマの正体とはそう、単純にプロとアマの機材に差がありすぎて、とてもじゃないがプロレベルのサウンドを再現できるようなアイテムを揃えられなかったのである。
 
録音スタジオの設備だけでも数億円、シンセサイザーやサンプラーといった機材も数百万円が当たり前。
フェアライトやシンクラビアといった1,500万円〜8,000万円(ハッハッセンマンエンンンン!!!???)するような機材まであったぐらいなのだ。
そんな圧倒的物量悪魔的金額差で作られていた当時の「音」。
それをマネして10~25万円程度の国産シンセにコンパクトエフェクターをつないで4chのカセットマルチレコーダーで録音していたのでは、程遠い音しか作れなかったのも無理あるまい。
DX-7×2,DX-7II,JX-3P,VC-10,S612,MSQ700,SPX90,MT44D&RM602,MPK130で宅録中。友人の機材をかき集めDX7が3台になって滾りまくっていた二十歳の夏)
 
ところが現代はこういった機材格差があまりなくなってきている。
もちろん相変わらずプロ用機器という高価な機材があるにはあるが、そこまでの圧倒的音質差や性能差があるかといえば、かなり微妙だと思われる。
また逆の発想の技術がどんどん進化しており、例えば日常ノイズ(空調のブーンといった音など)だけを録音トラックから除去してしまう技術、安いマイクで録音した音を高価なマイクで録音したような音に変えてしまう技術、ギターのアンプやドラムを鳴らす部屋なども後から変えられてしまったりする。
つまり「防音のしっかりしたスタジオ」すらコンピュータ技術によって駆逐されようとしているのだ。
ピンと来ないかもしれないが、もはや「なんでもあり」の時代だと言えよう。
 
 
では現代の最新技術で80年代サウンドを再現することは可能だろうか?
一部のコレクター間でやりとりされている当時のビンテージシンセの値段は現在信じられないような金額に跳ね上がっているらしいが、そういった「あくまでもホンモノ」にさえこだわらなければ、いろんな手段が用意されている。
 
映画「ジュラシックパーク」の中の恐竜のように、新たな技術によってビンテージシンセと呼ばれている数々の名機がパソコン画面の中で蘇っているのだ!
 
 
このARP ODYSSEYはYMOが初期によく使っていたシンセサイザーなのだが、よ〜く見るとこれが写真ではないことがわかるだろう。
そう、パソコンの画面の中だけに存在する「バーチャルなシンセサイザー」なのだが、これが実によくできていて、そのまんまの音が再現されている。
 
「物理モデリング」という技術は当時のシンセサイザーと実に相性の良い技術のようで、今では失われてしまった回路を“プログラム上に蘇らせる”ことに成功をしたのだ。
 
こういったことを書くと「いやそのまんま同じ音ではないですよ」とマニアックな否定をしてくる方がおられる。そりゃそうだ。完全に同じということはない。
しかし、そもそもこの時代のシンセは個体差による当たり外れの幅がかなり広かったので、当時も「完全に同じ音」を同モデル別個体で作ることは厳密にはできなかったような気もする。
 
それともう一つ思うことは、結局はPCにデジタル録音してしまうのだし、そうなったらそれ以降の音の編集やら加工も全部デジタル処理。ならばもうそこまでアナログにこだわらなくてもいいんじゃないのかなぁ?という気にもなってくるが、そこはあくまでも僕が個人的に思うことだ。
 
少なくともこれだけの実機を部屋に並べてメンテをしつつ保管するなんてことは不可能だ。
 
 
ここまでをまとめると、
 
・昔の名機の音が現代では安価に再現できるらしい!
・憧れることしかできなかったあの音を手にすることができる!
・80’sサウンドを手に入れたい自分で鳴らしてみたい奏でてみたい!
 
といった流れに乗りたい方というのは、当然80’sサウンドを身近に聴き続けて来たあなたということになりはしないだろうか?
必然的に「オトナのためのDTM」というくくりになった次第である。
 
いよいよ懐かし楽しい講座のヨカーン!
 
80年代に生まれてすらいない若者をターゲットから外すというニッチ層に限定した講座、、、というわけではないのだけれども、当時中学生〜社会人やっていた人はDTMに興味がなくても無条件に面白いと思います!
あ、生まれてない人もそこそこ楽しい講座です!←手遅れ
(ってか1990年生まれが今年28歳というのはマジなのか?)
 
と、ここまで書いて読み返してハッと我に返る。
「ちっとも難しくない内容ですよ〜」というテーマで書き始めたはずなのに……ちっとも簡単なことを書いてないような気がしてきた。あわわわ。
 
次回はYouTuberもどきの実演動画で「大人のためのDTM講座」をまた別視点から熱くセンデンしたいと思います。
 
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低予算映画の魅力とは?

なんなら今回のタイトルは「ゾンビを語る・4」でもよかったのだが……
 
ネタバレほぼ一切なし宣言!
「カメラを止めるな!」を見てきた。
 
 
僕の周辺のゾンビ愛好家は元より、ゾンビ関係者のTLから日々波状的に流れてくるオススメ作品としての絶賛の数々がずっと気にはなっていた映画ではあったのだが……
そうこうしているうちに口コミがどんどん広まってゆき、最初はほぼ単館上映のような状態から、8月10日現在で全国120館を超える勢いで上映館を拡大し続けている前代未聞のインディペンス映画だ。
 
昨日地元駅前店で一緒に飲んだ某メーカーディレクターさんに「仁さんともあろうお方がまだ観てないとは思いもよりませんでしたよ……いや驚いた」とトドメともなる最大限の挑発をされ、なんとしても今日中に観なければ!と都内の上映スケジュールを当たってみるも……ぐぬぬぬ、新宿も六本木も昼から夜まで既に満席だとぉ!
 
これは一体どうしたことか!?
もはやカルト人気では済まされない状況。
ハッキリ言って「ミッションインポッシブル」以上の盛況ぶりではないか!
対予算比率にして500倍ぐらいの差があるのにですぞ!?←下世話やのぉ
かくして都下に目を向け上映館を検索し直し、TOHOシネマズ南大沢5番スクリーンにて無事鑑賞することができた。
 
 
ところでこの映画「カメラを止めるな!」だが……とにかく面白かった!
 
最低限の情報として「ゾンビ映画」ではあるのだが、それ以上の情報は必要ないし知るべきではないし、実のところゾンビ映画好きである必要もほぼない。
 
もう一つだけ知っておくべき情報があるとすれば、この映画が「超低予算映画」であるということだ。
予算は300万円未満であるらしい。
 
 
低予算映画を賞賛するつもりは全くない。
なぜなら低予算映画の大部分、それこそ99%は駄作でしかないからだ。
だがしかし100本の中の1本ぐらいの打率で、キラリと光る作品が出てくる。
「出す」のではない。「出る」のだ。←
 
 
僕はこれまでにもこういった切り口でホラー映画を絶賛→肯定→説得→洗脳、といった手順を経て、多くの人にホラー映画を見てもらっているわけだが、本当に凄い監督の力量というのは「ふんだんに当てられた予算」では埋もれてしまう場合が多いようにも思う。
スピルバーグやキャメロンのようなプロデュース能力にも長けた大御所ならば、200億円のお金の使い道でも自在にこなせる能力があると思うが、ともすれば潤沢な予算に才能が隠れてしまう場合だって多々起こることもあると思うし、逆を言えば“乏しい才能を潤沢な予算で覆い隠すこと”だってできてしまうことだろう。
近年の「なんだかなー」といった感想しか抱けないようなハリウッド佳作アクション映画の大部分がこれに当てはまるようにも思う。
(更に言えばスピルバーグにせよキャメロンにせよ「Eyes」や「殺人魚フライングキラー」といった低予算ホラー映画経験があり、同じくして突出した才能を知らしめた経歴もある)
 
「ゾンビを語る・3」http://jinxito.com/2016/02/18/zombie3/
 
この辺りの過去のエントリーでも触れていることなのだが、低予算名作映画の真髄とは「にも関わらず面白い」という結果を作り出した若き監督の才能が浮き彫りになるということ。
 
・有名な俳優は使えない
・派手なアクションはもちろん、メイクやCG、スタジオ撮影すら満足にできない
 
こういった低予算という負の要素をプラスと捉えることによって、何が生まれてくるだろうか?
 
・名優の演技ではなく、俳優のガチ演技
・とにもかくにもアイディア
・極限まで削ぎ落とした惑わされない映画表現
 
虚をつくようではあるが、剥き出しの才能や感性をさらけ出すことになるのではないだろうか?
 
そしてこういった限定条件の中で面白い映画を作ろうと思ってもかなり範囲は狭まってくる。
 
少なくとも……
・ジェット戦闘機が大活躍する空軍のエリートと美人教官の色恋沙汰
・遥か昔遠い銀河の片隅で起こるSFスペクタルサーガ
・豪華客船の出港から沈没までをリアリズムたっぷりに描いた恋愛映画
・世界規模でベストセラーとなった魔法学校小説究極の映像化!
・巨大不明生物が大都会東京で破壊の限りを尽くす怪獣映画
・オールスターキャストが泥棒劇をまんまと成功させる痛快アクション映画
 
といった内容を300万円で作ることは不可能だろうし、仮にできたところでショボいだけだし傑作になる確率は限りなくゼロでしかないだろう。
 
そこでゾンビ映画なんですよ!
 
ゾンビ映画の99%が駄作であるという推論は、おそらくそこまでの暴論でもなければ大きく間違ってもいまい。
むしろ「知られざるゾンビ映画」の数を思えば、もしかしたら99.9%が駄作なのかもしれない。(それはそれで面白いのだけども楽しめるのは一部のマニアだけだ)
 
一方でゾンビ映画の設定は公平だ。
「バイオハザード」や「ワールドウォーZ」のような100億円規模の巨額を投じたゾンビ映画もあれば、10万円以下で作られたような短編映画だって存在する。
どちらも同じ「ゾンビ映画」ではあるのだが、時として10万円の作品が100億円の予算よりも明らかに「素晴らしいゾンビ映画」となり得てしまう。
そこがゾンビ映画の凄まじいまでの懐の深さであり恐ろしさでもある。
 
低予算映画である必要はないが、少なくともゾンビ映画に関してはそこまでの予算を投じなくても、アイディア一つで面白い作品を作ることはできるはずなのだ。
 
少なくとも僕は超大作の「ワールドウォーZ」よりも、7分程度の超低予算短編「CARGO」の方が、ゾンビ映画としては圧倒的に好きだ。
 
 
イコールコンディションとは対照的、オーソドックスだろうが低予算だろうが反則しようが何しようが、「面白いゾンビ映画を作ったものこそが勝者!」というフェアなルールの中で競われているジャンルだと言えるだろう。
そう、あくまでもホラー映画やゾンビ映画は公平なのだ。(再)
 
今では大家としてハリウッド映画界に君臨している多くの映画監督は、若き日にゾンビ映画もしくはそれに準ずるホラー映画でデビューしたという経歴がある。
前述のスピルバーグやキャメロンをはじめ、「スパイダーマン」のサム・ライミ監督も、「ロード・オブ・ザ・リング」のピーター・ジャクソン監督も、「スーサイド・スクワッド」のザック・スナイダー監督も、その他多くの名監督が「若い頃にゾンビ映画もしくは低予算ホラー映画で逸脱した才能をフィルムに定着させ、のし上がり名を馳せていった名監督たち」なんである。
 
 
「超低予算ホラー映画」というと、やはり僕の中では「死霊のはらわた(1981)」「CUBE(1997)」「ブレアウィッチプロジェクト(1999)」「SAW(2004)」あたりがポンポンと出てくる。(近年のホラー映画は不勉強で申し訳ないが「パラノーマル・アクティビティ(2007)」あたりは自分の琴線にはあまり触れないようだし、「死霊館」とか「インシディアス」あたりは言われているほど低予算の印象もない)
 
その中でも「CUBE」という映画の突出した低予算ぷりには震えさせられた。
 
 
映画の舞台(セット)は「一片が4.2メートルの正方体の部屋が二つだけ」なんである。
たったそれだけ。
“今いる部屋から隣の部屋に移動する”をひたすら繰り返すだけの映画なのだ。
だが、面白い!
 
むしろこの映画は余計な状況設定を一切排除し、それだけにしたことによってアイディアが突出することになった。
1997年作品ではあるのだが、未だに定期的に見てしまう魅力的なホラー映画だ。
CGの使い方などが今となってはチャチに見えなくもないが、そんなことは無問題と思えるほどにアイディアがただただ素晴らしく、またこの単調なセットの繰り返しの閉塞感をも世界観として見事に封じ込めている傑作だと思う。
(この映画も単館上映から火がついた作品だ)
 
 
「カメラを止めるな!」は、そこまでの閉塞感はないにせよ、ほぼオールロケの半径50メートル以内での出来事を描いている。
96分中の本編の37分の時点で衝撃的な事実が発覚するのだが、パンフレットのインタビュー記事を熟読していてさらなる衝撃的な事実を知ってしまった。
 
えええええ!!本当にぃぃぃぃ?
ガチで?まじなの?
 
映画的な手法としても、恐るべきトライを本当に実行しているようなのだ。
真偽を確かめにもう一度劇場に行きたくなってしまうような事実が、ドキュメント性をも含めて映像として立証されているらしい。
いやいやいや、これはやっぱりもう一度最初から「ガン見姿勢」で見直したい映画だ。
 
ゾンビファンはもちろん、全ての映画好きにオススメしたい内容だ。
尚、ゾンビ映画としてのスプラッター描写はかなりマイルドというか……えーとあのその、最高っす!
 
そして誤解なきように言うならば、、、この映画は三谷幸喜映画に匹敵、いやもしくはそれを凌駕するほどに大爆笑できることもまた約束された事実なんである。
え?ゾンビ映画なのに大爆笑?それってどういうこと?
と思ったあなたは観るしかないと思うし……
 
絶対もう一度観ないと気が済まない!

ブログ授業〜1

「大人のためのDTM講座」なるセミナー?クリニック?も今月末で3回目となる。
なんとなく興味はあるけれども敷居が高そうだなぁ……と思われている方が案外多いっぽい。
実際そんなに難解な講座ではないのだが、DTMという言葉自体が醸し出す難易度増しの雰囲気は否めない。
そこで今日からしばらくこのブログの中で簡単な講義を並行してやってみたい。
 
ところでこの「大人のためのDTM講座」の根幹には「80年代音楽」、いわゆる80’s Musicを教材にしているケースが多い。
近年の音楽は複雑化しており、耳コピするのも非常に困難でキッカケを掴みにくいといって差し支えなく、「かっこいいけど、正直なにがなんだかチンプンカンプン」というのが率直な意見ではないだろうか?
聞いて楽しむ分には何の問題もないのだが、一度音楽を分解するという行程を経ての説明、パソコンを使っての再現といった流れの中では、現代音楽はやや扱いにくいのが実情だ。
DTMの入り口が最新のEDMとなると、最初の一歩のハードルが非常に高い位置にあることは否めない。
 
一方のエイティーズサウンドというのは、音数的には非常にシンプルだ。
様々な理由が挙げられるが、最も明確な理由として筆頭に挙がることは……
即答できますかな?音楽業界のみなさま←
 
それはマルチトラックレコーダーのチャンネル数が今よりもずっと少なかったからだと断言できる。
スマートフォンと同じぐらいの幅……は言い過ぎだが十分すぎる太さの2インチ幅テープが使われていた。
「DIGITAL」のロゴが時代を感じさせるSONY PCM-3324
 
現代では録音トラックはDAW(Digital Audio Workstation)上、実質無制限となっているが、80年代の録音機は16~32チャンネルが限界、音楽表現が一気に豊かになるのには1989年のSONY PCM-3348の登場を待たねばならなかった。
(※80年代回顧録……それ以前も24chと24chのレコーダーを同期させる“スレーブ回し”という重い宣言の後に儀式的作業を経ることによって、チャンネル数を増やすことはできたのだが、2台のレコーダーのシンクロは非常にレスポンスが悪く、また物理的機械動作音をガッチャンコガッチャンコ鳴らしながらモタつく録音作業は誰にとってもストレスフルな録音環境でしかなく、結構スレーブ回しは憂鬱だった)
 
 
当たり前の話ではあるが、録音トラック数が4つしかなければ1つのトラックにより多くの音を詰め込まなければならず、一度録音してしまったら最後、バランスを変えることもできなくなる。ビートルズの時代がまさにその頃だろう。
それはそれで変更のきかない、さぞかしスリリングなレコーディングだったことだろう。
 
故・美空ひばりさんはマルチトラックレコーダーの時代であっても、常に演奏者との一発録音でしか歌わず、しかも一回しか歌わなかったという伝説が残っている。
ひばりさんはともかくとして、バックで演奏するミュージシャン達は大変なプレッシャーの中で演奏していたことだろう。
 
一方の現代では楽器パート別に録音するのはもちろんのこと、一つのパートにしても、何トラックも使って録音がされている。
ドラムだけでも12〜24chぐらい使われている。
(Kickx2,Snarex2,HH,Tom1,2,3,OverHeadx2,Ambx2これだけでもう12ch、ここからさらに各トリガーやら部屋のさらなる空気感とかを録るチャンネルが増えていくわけだ)
 
VAMPSのギター録音などは、一つのバッキングパートの精度をより極めるために一弦ずつ録音するという手法が採用されたこともある。
パワーコードの一音一音を別々に演奏して録音するわけだが、それは当然より正確な演奏技術を求められるわけで、ギタリストとしても二度手間三度では済まされない大変な作業となったのだが、やはり良い音の方がイイ!という純粋な理由と目的で寡黙なレコーディング作業がひたすら続けられた。
そこまで突き詰めて録音された珠玉のサウンドが悪かろうはずもなく、今後もずっと色褪せることのない野太いパワーコードであり続けることだろう。
 
といった非常に高度な技術で録音されている現代音楽の再現性がいかに困難であるか?うっすらとでも想像がつくことであろう。
当然そんな音楽の表層だけを耳コピしたところで同じようになることもなく、ただただ「なんで俺の弾いたパワーコードは同じ音にならないんだろう???」となるばかりだろう。
ふっふっふ。そんな簡単な話ではないのだよ。(忠告:だからといって一弦ずつ弾いてみたところでやっぱり同じ音にはならないとも思うけれどもw)
 
では80年代の音楽をリアルタイムで聴いていた我々はどうだったのだろうか?
先ほども説明した通り、80年代サウンドは音数としてはかなりシンプル、全てのパートを耳コピするのはそこまで大変ではないと言える(とは言え複雑なテンションコードといった逆に今ではあまり聞かない音楽理論的な“難解な響き”にはさんざん苦しめられもしたが)。
確かに楽器パートの構造を耳で理解するところまでは出来ても、決して簡単には近づくことのできない決定的要因があった。
今の時代とはまた違うジレンマがあったのだがおわかりだろうか?音楽業界のみなさま←
 
このお題は次回までの宿題にすることとして、続く!
 
といった話に興味津々のあなたは是非!(YMO好きの団長さんあたりは楽しい内容だと思うんだけどなぁ……と個人指名してみるw)
 
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