ブルーソネットに描かれた今現在

中高生の頃にリアルタイムで読んでいたマンガなので35年程前の作品となるが、「ブルーソネット」は柴田昌弘氏のSF長編漫画である。
「花とゆめ」に連載されていたので一応少女漫画ではあるのだが、内容は完全なるSF作品であり、当時の自分は「これを知らないSF好き男子はもったいない!」と思っていた。
 
尚この当時の「花とゆめ」は、その可愛らしい雑誌タイトルとは完全真逆の、それこそ常軌を逸した連載陣で編成されており、この「ブルーソネット」では悪役の少年が船のスクリューでバラバラにされ、「スケバン刑事」では主人公麻宮サキがミミズで埋め尽くされたプールに放り込まれ、そして「パタリロ」ではホモネタが遺憾なく発揮されていた(笑)
 
「ブルーソネット」は……世界征服を企む悪の組織に立ち向かう美少女エスパーの物語であり、「サルでも描けるマンガ教室」的な分類をするならば「イヤボーンの法則」にあたるマンガとなる。
(敵対する相手に「イヤ!」と叫ぶと「ボーン!」と頭が破裂するエスパー系の物語は「イヤボーン」と分類される)
 
GWの部屋の片付け中にうっかりロフトに上がり1巻を手に取ってしまったが最後あれよあれよと最終巻である19巻までほぼ一気読みをしてしまったものだから実に片付けの進みが悪かったし、なんならGWが明けたこの週末もずっと片付けをしているのに終わる気配が一向にしない←(「王家の紋章」こそ読んではいけない長いから)
 
おおよそ非現実的なフィクションと思える内容ではある。
僕自身大好きなマンガだし凄く練り込まれたアイディアとストーリーであると思いつつも、しかし現実的な内容だと思ったことはこれまでになかった。
なにしろ主人公のエスパー美少女に敵対するのがさらに美少女のエスパーサイボーグ、それでもって敵が「悪の秘密結社」という“いかにも”な内容だからだ。
 
しかし、今この現代になって改めて読み直してみると、気味が悪いぐらいに「今」そのものを描いているように思えてきたのだ。
ここ最近、大友克洋氏の「AKIRA」が「まるで2020年そのものを予言していたかのような内容だ」と注目を浴びているが、僕個人的には「いやいや、この『ブルーソネット』も相当なものかもしれませんよ?」と思ってしまったのでブログに書いておこうと思ったわけだ。
 
 
世界征服をするにあたり、子供向け戦隊モノに出てくる悪の組織のすることが「幼稚園バスをジャックする」に対して、「ブルーソネット」の秘密組織タロンがしたことは、「マインドコントロールを使って世界全体を洗脳していく」という計画だった。
ちなみに敵組織「TARON」とは世界の主要軍需産業の頭文字を取った集合体の名前であり、まさしく前回のブログに挙げたような「誰もが知ってる有名企業の頭文字」そのものに酷似している。
このTARONによる最終的な人類のコントロールの方法が「『音の麻薬』となる新方式のサウンドシステムを爆発的に普及させてマインドコントロールをし『善と悪』の争いを誘発させていくことで人間不信社会を形成し最終的に地球から人類を排除していく」というものだった。
これまでは「そんなに都合よく全人類が飛びつくようなメディアなんてあるものか!」と数十年間ずっと思っていたのだが…
 
「ブルーソネット」の連載は1981〜1986年なので、当然iPhoneはもちろん携帯電話すらない時代。
物語に登場する「人類をコントロールするメディア」は「REVO」という名称の新型CDウォークマンなのだが、これが爆発的に普及しあっという間に誰もが持つ装置となってしまう。
「手にしたものは瞬時にそのメディアの虜となり肌身離さず使い続ける」なんて、マンガの世界だけの都合の良い設定としか思えなかったのだが、現代に変換するならば…まさにスマートフォンそのものではないか!
REVOを使い続けることによって知らず知らず洗脳されていく人々。現代社会のスマートフォンの普及率、そしてその普及に大きく貢献している企業集合体。不気味な共通点と思えてしまう。
 
そしてもう一つの「そんなに都合よく善と悪が対立するような洗脳ができるものか!」と突っ込みたくなる部分にしても、ここ最近の社会情勢を客観的に見て感じる違和感に妙にシンクロしてしまう。
 
「ブルーソネット」で描かれる「善対悪」には「イジメをしていた中心人物を弱者が一致団結して半殺しにする」とか「暴走族を市民が待ち伏せして袋叩きにする」といったような、これまでは泣き寝入りしていたような悪を、弱き善が一致団結して戦うような表現が多々ある。
これが結構恐ろしくて、作中では「悪い奴が裁かれて何が悪い」といった風潮で社会が弱者側につくような描写がされていく。
 
なにか、これに似たような社会になってきてはいないだろうか?
ここ最近だけでも「パチンコ店問題」「他県ナンバー狩り」「自粛警察」といったワードたちが、もろにこの構図に当てはまってしまうように思うからだ。
 
「自分は正しいと思う過剰な正義感」と「強い信念」を持った人たちの一方には、彼らの火に油を注ぐような対立側が相当数存在している。
今この状況で繁華街を出歩いてしまう人、パチンコ屋の行列に並んでしまう人、湘南の海に群がる人など、正直僕の視点からも「???」と感じる人が数多くいる。
 
自分の中ではこうした行動がまるで理解できないわけだが、しかし一定数、いやかなりの人たちがそういった行動に疑問を持たずに外出してしまっている。
それら理解できない人たちに、剥き出しの憎悪で噛み付く“さらに信じられない人たち”が、現在の「自粛警察」現象と言えるだろう。
 
これに追い打ちをかけるようにマスコミが視聴者を煽るので、ますます「過剰なる正義」が過激化し続けているように思う。
まさに「ブルーソネット」に描かれている「善対悪」の両側にコントロールされている世界そのものではないか。
 
我々、既に誰かに洗脳されてしまってますかね?
 
 
もう一つ、こういった「世界征服計画」というのも長年の間僕はずっとピンと来なかった節があった。
征服するのは良いとしても、例えば「人類滅亡」を実行してしまったら地球には誰もいなくなってしまい、それでは誰も支配ができずに征服ともならず、その後の世界は結構不便になるのではあるまいか?(笑)
しかしこの考え方も現代社会に当てはめてみると、わかりやすいぐらいに納得できてしまう。
要は「人大杉」なのだろう。
 
気味の悪い噂話や都市伝説が相変わらず猛威を振るっている昨今ではあるが、振り返ればこうした終末観を描いた作品は昔から相当数あったことだろう。
どうか過度の不安を抱かず、ネガティブな情報に絶望せず、しかし「備えあれば憂いなし」の心構えを持って、このコロナ騒動を乗り切ろうではありませんか。
 
以上、ブルーソネットを久々に読んで感じたことでした。