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ホラー映画とコメディー映画

「ラヂオの時間」
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1997年、三谷幸喜の第一回監督作品である本作。
今から21年前、周囲の評判の良さに劇場に足を運んだ作品であった。
当時の邦画は今ほどの勢いがなく、個人的には伊丹十三監督作品が大好きぐらいだったように記憶しているが、「映画館で観てよかった!」と心底思えた映画であった。
数年に一度の割合で見返す映画ではあるのだが、何度見ても文句なく面白いと思える傑作映画だ。
 
「ラヂオの時間」は元々は舞台上のお芝居を映画化したものであり、後の三谷映画のスタイルを第一作にして既に確立してしまった名作コメディー映画である。
練り込まれた脚本の素晴らしさは何度見ても惚れ惚れとする出来栄えだが、名優たちの若き姿を今このタイミングで見られる楽しさというのは、新たに加わってきた要素、追加された魅力となるのだろう。
唐沢寿明、鈴木京香、渡辺謙などの21年前の姿、また梶原善、田口浩正、小野武彦、近藤芳正といった三谷映画を固めるお約束の名脇役陣を見るのも楽しい。
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コメディー映画とホラー映画ほど満員の映画館で観たときの幸福感を感じるジャンルもないだろう。
コメディー映画での自分の笑いと劇場内の他のお客さんが完全一致したときの爆笑、ホラー映画のショックシーンでビクッ!とひるんだ瞬間と劇場内の他のお客さんのビクッ!が完全一致した時の連帯感、、、
芽生える感情は実のところどちらもほぼ同じだと思う。
 

「エルム街の悪夢」という映画を観たのは忘れもしない1986年6月1日。
「映画の日」という今ではすっかり慣習化された毎月1日のサービスデイも、当時は6月と12月の年2回に限られたイベントであった…と思う。(追記:元旦と3,6,12月の年4回であったらしい)
今ほど娯楽の多くなかった時代、たいていの映画の日は何かしら映画を観ていた学生時代であったし、周囲の他の人にしても「この日に映画を観ないのは損」ぐらいに思っていたのだろう。
映画の日の映画館はどこも満員御礼であった。
ホラー映画を満員の映画館で観た機会というのもそうそう多くはないのだが、「エルム街の悪夢」の上映中、当時の銀座ニュー東宝シネマ2劇場内でちょっとしたことが起こった。
ゆるやかに傾斜をしている劇場内の後方からジュースの缶がコロコロと転がりだしたのだ。
折しも映画のストーリーは夢の中に出てくる殺人鬼フレディーの存在がチラチラ垣間見えているシリアスでとても静かなシーン…だったので、劇場内にいたお客さん全員が画面を見ながらもコロコロコロ…という音に聞き耳を立てる。
特に加速するわけでもなくのんびり転がり続けたジュースの缶は前列の前まで転がり続け「ココンッ」とスクリーン前の段差にぶつかって止まった。
ただそれだけのことだったのだが、全員でその挙動に聞き耳を立てていたことにクスッと小さな笑いが起こった。それぐらいコロコロという音が劇場に響くような静かなシーンだったのだが、その直後に「ババーン!」というショックシーンが!
その瞬間、劇場内で「ビクッ!」という反応、反射的に出てしまう「ギャッ!」という短い悲鳴で完全にシンクロしてしまったお客さん全員、自分も含めワンテンポ置いての爆笑となった。
照れ笑いというか、偶然の産物で生み出された一体感に笑ってしまったのだろう。
その後の上映時間は、人生において一度きりと思われるような楽しい映画鑑賞となった。
劇場内の観客全員が心を開いての鑑賞となり、まるでジェットコースターに乗っているかのような大合唱の悲鳴や笑いが最後まで続いたのだった。
 

「カメラを止めるな!」をここでまた猛烈にプッシュするわけではないのだが(いやするのだけどもね(笑))、なにかこの「エルム街の悪夢」を観た時の経験に近い笑い方のできる映画だと思う。
劇場内での一体感、連帯感、共有感のようなもの?
全てのコメディー映画やホラー映画で感じられるわけではないこの感覚を確実に味わえる映画。
しかもそれが予算300万円で作られたインディペンデンス映画でゾンビ映画で異例の拡大上映をし続けている映画だというのだから、やはり今年度最もインパクトのある映画となるのだろうなぁ…
 
自分が70歳になった頃に「2018年は台風や地震があって大変な年じゃったが『カメラを止めるな!』という映画があってのぉ…ゴホッゴホッ」とか言ってるジジイをやってる気がする(笑)。
 
そして…「カメラを止めるな!」をご覧になったみなさんには是非冒頭で紹介した「ラヂオの時間」をオススメしたい。
上田監督が「影響を受けた作品」として挙げられている作品でもあるのだが、今回改めて見直してみて様々な共通点を見出すことができた。
このちょっとした感動をさらに共有できたらと思う♪
 
※さらに追記:「エルム街の悪夢」は名優ジョニー・デップのスクリーンデビュー作でもある。ベトナム戦争映画の名作「プラトーン」にも出ているが、セリフや役どころとしてオイシイのは圧倒的にこちら♪

原作か原案か

ここへ来て「カメラを止めるな!」に原作となる舞台があったことが明らかになったというニュースをいくつか読んだ。
原作者の方のインタビューも読んだ。
思うことはいろいろあるが、なかなか複雑な経緯の中での問題なんだなぁと思った。
 
一個人の意見としては「カメラを止めるな!」は面白い映画だと素直に思う。
原作となる舞台があったと知った上でも、その面白さが変化することはない。
 
なにか不手際があったのならば訂正をすればよいし、複雑な事情と経緯から原作表記をしにくかったこともうっすらながら想像がつく。(これは主に原作者のインタビュー内容から推察できた)
 
パクリとは違う問題だとも思う。
これまでの監督のインタビューの中には「GHOST IN THE BOX」というタイトルがたくさん出てくるし、一度は原作の映画化を試みて頓挫したことについても余すことなく語っている。
その上で登場人物や設定を大幅に変更し、新たな脚本で違う作品に仕上げたとも語っている。
ひた隠しにしたいのであれば(つまりパクリだという自覚があるのならば)、そんなことを語る必要は一切なかったはずだからだ。
 
映画のテロップには「原案 GHOST IN THE BOX(和田亮一)」と入っているそうだが、今回揉めているのは「原案ではなく原作と表記して欲しい」ということらしい。
 
う〜ん、またも個人的意見を言わせてもらえば「うん、どっちでもいいんじゃない?」となるだろうか?
舞台の構成と映画の構成が酷似していたからといって、それがすなわちパクリになるのかと言えば、決してそんなことはないとは思う。
 
「死んだ人間が生き返って人肉を求める」というゾンビの設定を、もしもジョージAロメロが「私が考えたネタを無断で使うな!」と権利を主張したらどうだろうか?
もちろん彼はそんなことはしなかったし、感染するように定着していくゾンビ設定をむしろ喜んでいたのではないだろうか。(それこそ「ウォーキングデッド」などは、ある意味では過去のゾンビ作品全てをパクリまくった作品といっても過言ではないだろう)
 
インスパイアーされた作品との類似点がどれだけあっても、まずもって違う作品となるのだし、「同じアイディアでこうしてみた!」という変化球にオリジナリティを主張するのもどうなんだろうか?という思いはある。
 
原作を主張する和田氏にしても「自分の作品がカタチを変えてこうしてヒットして嬉しかった」と素直に思ったというくだりに、僕はとてもホッとさせられるのだ。
 
なにか良いカタチで決着、和解してくれたら…と願うばかりである。
 
ネタバレなしの僕の初見の感想はこちら。
「低予算映画の魅力とは?」

低予算映画の魅力とは?

なんなら今回のタイトルは「ゾンビを語る・4」でもよかったのだが……
 
ネタバレほぼ一切なし宣言!
「カメラを止めるな!」を見てきた。
 
 
僕の周辺のゾンビ愛好家は元より、ゾンビ関係者のTLから日々波状的に流れてくるオススメ作品としての絶賛の数々がずっと気にはなっていた映画ではあったのだが……
そうこうしているうちに口コミがどんどん広まってゆき、最初はほぼ単館上映のような状態から、8月10日現在で全国120館を超える勢いで上映館を拡大し続けている前代未聞のインディペンス映画だ。
 
昨日地元駅前店で一緒に飲んだ某メーカーディレクターさんに「仁さんともあろうお方がまだ観てないとは思いもよりませんでしたよ……いや驚いた」とトドメともなる最大限の挑発をされ、なんとしても今日中に観なければ!と都内の上映スケジュールを当たってみるも……ぐぬぬぬ、新宿も六本木も昼から夜まで既に満席だとぉ!
 
これは一体どうしたことか!?
もはやカルト人気では済まされない状況。
ハッキリ言って「ミッションインポッシブル」以上の盛況ぶりではないか!
対予算比率にして500倍ぐらいの差があるのにですぞ!?←下世話やのぉ
かくして都下に目を向け上映館を検索し直し、TOHOシネマズ南大沢5番スクリーンにて無事鑑賞することができた。
 
 
ところでこの映画「カメラを止めるな!」だが……とにかく面白かった!
 
最低限の情報として「ゾンビ映画」ではあるのだが、それ以上の情報は必要ないし知るべきではないし、実のところゾンビ映画好きである必要もほぼない。
 
もう一つだけ知っておくべき情報があるとすれば、この映画が「超低予算映画」であるということだ。
予算は300万円未満であるらしい。
 
 
低予算映画を賞賛するつもりは全くない。
なぜなら低予算映画の大部分、それこそ99%は駄作でしかないからだ。
だがしかし100本の中の1本ぐらいの打率で、キラリと光る作品が出てくる。
「出す」のではない。「出る」のだ。←
 
 
僕はこれまでにもこういった切り口でホラー映画を絶賛→肯定→説得→洗脳、といった手順を経て、多くの人にホラー映画を見てもらっているわけだが、本当に凄い監督の力量というのは「ふんだんに当てられた予算」では埋もれてしまう場合が多いようにも思う。
スピルバーグやキャメロンのようなプロデュース能力にも長けた大御所ならば、200億円のお金の使い道でも自在にこなせる能力があると思うが、ともすれば潤沢な予算に才能が隠れてしまう場合だって多々起こることもあると思うし、逆を言えば“乏しい才能を潤沢な予算で覆い隠すこと”だってできてしまうことだろう。
近年の「なんだかなー」といった感想しか抱けないようなハリウッド佳作アクション映画の大部分がこれに当てはまるようにも思う。
(更に言えばスピルバーグにせよキャメロンにせよ「Eyes」や「殺人魚フライングキラー」といった低予算ホラー映画経験があり、同じくして突出した才能を知らしめた経歴もある)
 
「ゾンビを語る・3」http://jinxito.com/2016/02/18/zombie3/
 
この辺りの過去のエントリーでも触れていることなのだが、低予算名作映画の真髄とは「にも関わらず面白い」という結果を作り出した若き監督の才能が浮き彫りになるということ。
 
・有名な俳優は使えない
・派手なアクションはもちろん、メイクやCG、スタジオ撮影すら満足にできない
 
こういった低予算という負の要素をプラスと捉えることによって、何が生まれてくるだろうか?
 
・名優の演技ではなく、俳優のガチ演技
・とにもかくにもアイディア
・極限まで削ぎ落とした惑わされない映画表現
 
虚をつくようではあるが、剥き出しの才能や感性をさらけ出すことになるのではないだろうか?
 
そしてこういった限定条件の中で面白い映画を作ろうと思ってもかなり範囲は狭まってくる。
 
少なくとも……
・ジェット戦闘機が大活躍する空軍のエリートと美人教官の色恋沙汰
・遥か昔遠い銀河の片隅で起こるSFスペクタルサーガ
・豪華客船の出港から沈没までをリアリズムたっぷりに描いた恋愛映画
・世界規模でベストセラーとなった魔法学校小説究極の映像化!
・巨大不明生物が大都会東京で破壊の限りを尽くす怪獣映画
・オールスターキャストが泥棒劇をまんまと成功させる痛快アクション映画
 
といった内容を300万円で作ることは不可能だろうし、仮にできたところでショボいだけだし傑作になる確率は限りなくゼロでしかないだろう。
 
そこでゾンビ映画なんですよ!
 
ゾンビ映画の99%が駄作であるという推論は、おそらくそこまでの暴論でもなければ大きく間違ってもいまい。
むしろ「知られざるゾンビ映画」の数を思えば、もしかしたら99.9%が駄作なのかもしれない。(それはそれで面白いのだけども楽しめるのは一部のマニアだけだ)
 
一方でゾンビ映画の設定は公平だ。
「バイオハザード」や「ワールドウォーZ」のような100億円規模の巨額を投じたゾンビ映画もあれば、10万円以下で作られたような短編映画だって存在する。
どちらも同じ「ゾンビ映画」ではあるのだが、時として10万円の作品が100億円の予算よりも明らかに「素晴らしいゾンビ映画」となり得てしまう。
そこがゾンビ映画の凄まじいまでの懐の深さであり恐ろしさでもある。
 
低予算映画である必要はないが、少なくともゾンビ映画に関してはそこまでの予算を投じなくても、アイディア一つで面白い作品を作ることはできるはずなのだ。
 
少なくとも僕は超大作の「ワールドウォーZ」よりも、7分程度の超低予算短編「CARGO」の方が、ゾンビ映画としては圧倒的に好きだ。
 
 
イコールコンディションとは対照的、オーソドックスだろうが低予算だろうが反則しようが何しようが、「面白いゾンビ映画を作ったものこそが勝者!」というフェアなルールの中で競われているジャンルだと言えるだろう。
そう、あくまでもホラー映画やゾンビ映画は公平なのだ。(再)
 
今では大家としてハリウッド映画界に君臨している多くの映画監督は、若き日にゾンビ映画もしくはそれに準ずるホラー映画でデビューしたという経歴がある。
前述のスピルバーグやキャメロンをはじめ、「スパイダーマン」のサム・ライミ監督も、「ロード・オブ・ザ・リング」のピーター・ジャクソン監督も、「スーサイド・スクワッド」のザック・スナイダー監督も、その他多くの名監督が「若い頃にゾンビ映画もしくは低予算ホラー映画で逸脱した才能をフィルムに定着させ、のし上がり名を馳せていった名監督たち」なんである。
 
 
「超低予算ホラー映画」というと、やはり僕の中では「死霊のはらわた(1981)」「CUBE(1997)」「ブレアウィッチプロジェクト(1999)」「SAW(2004)」あたりがポンポンと出てくる。(近年のホラー映画は不勉強で申し訳ないが「パラノーマル・アクティビティ(2007)」あたりは自分の琴線にはあまり触れないようだし、「死霊館」とか「インシディアス」あたりは言われているほど低予算の印象もない)
 
その中でも「CUBE」という映画の突出した低予算ぷりには震えさせられた。
 
 
映画の舞台(セット)は「一片が4.2メートルの正方体の部屋が二つだけ」なんである。
たったそれだけ。
“今いる部屋から隣の部屋に移動する”をひたすら繰り返すだけの映画なのだ。
だが、面白い!
 
むしろこの映画は余計な状況設定を一切排除し、それだけにしたことによってアイディアが突出することになった。
1997年作品ではあるのだが、未だに定期的に見てしまう魅力的なホラー映画だ。
CGの使い方などが今となってはチャチに見えなくもないが、そんなことは無問題と思えるほどにアイディアがただただ素晴らしく、またこの単調なセットの繰り返しの閉塞感をも世界観として見事に封じ込めている傑作だと思う。
(この映画も単館上映から火がついた作品だ)
 
 
「カメラを止めるな!」は、そこまでの閉塞感はないにせよ、ほぼオールロケの半径50メートル以内での出来事を描いている。
96分中の本編の37分の時点で衝撃的な事実が発覚するのだが、パンフレットのインタビュー記事を熟読していてさらなる衝撃的な事実を知ってしまった。
 
えええええ!!本当にぃぃぃぃ?
ガチで?まじなの?
 
映画的な手法としても、恐るべきトライを本当に実行しているようなのだ。
真偽を確かめにもう一度劇場に行きたくなってしまうような事実が、ドキュメント性をも含めて映像として立証されているらしい。
いやいやいや、これはやっぱりもう一度最初から「ガン見姿勢」で見直したい映画だ。
 
ゾンビファンはもちろん、全ての映画好きにオススメしたい内容だ。
尚、ゾンビ映画としてのスプラッター描写はかなりマイルドというか……えーとあのその、最高っす!
 
そして誤解なきように言うならば、、、この映画は三谷幸喜映画に匹敵、いやもしくはそれを凌駕するほどに大爆笑できることもまた約束された事実なんである。
え?ゾンビ映画なのに大爆笑?それってどういうこと?
と思ったあなたは観るしかないと思うし……
 
絶対もう一度観ないと気が済まない!

ロメロ氏追悼と速報

敬愛する映画監督であるジョージ・A・ロメロ氏が現地時間7月16日に永眠されたというニュースが流れた。
日本国内ではそこまで有名な監督ではなかったかもしれないが、Yahoo!ニュースをはじめとする様々なネットニュースでは「ゾンビ映画の巨匠」と書かれていた。(NHKニュースにもなったそうだ)
 
(大きなメガネが特徴的な監督でした)
 
ロメロ氏がゾンビ映画の巨匠であることは疑いようもない事実であるが、それだけでなく映画界全体の活性化に大きく貢献した存在であるということを当ブログ「ピッツバーグ」という回で力説させていただいた。
 
 
今年の自分の誕生日にゾンビの聖地であるピッツバーグにいたこと、ロケ地訪問などは叶わなかったが熱いゾンビ愛を炸裂させることができたことなども併せて、「俺ってゾンビが好きなんだな」と改めて思ったものである(笑)
 
その時は「ゾンビ」「死霊創世記」「ランド・オブ・ザ・デッド」などを立て続けに見直したりもした。
本日旅先での訃報を聞き、オフ日ということもあって追悼にロメロ氏の映画を見ようとしたのだが……しまった、さすがに今回の旅では用意できていない!(ゾンビ愛に溢れていると公言してはばからない僕ではあるが、さすがに国内ツアーにDVDを常に持参するまでには至らない(;^_^A)
 
現在Huluで「ランド・オブ・ザ・デッド」は配信されてはいるが、2ヶ月前に見たばかりだしなぁ……(;^_^A
 
しまった!追悼しようといろんなことを書いたり見たりしようとしたのに、2ヶ月前にどちらも既にやり尽くしていたではないか!(笑)
 
 
ここは基本に立ち返って「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」を見たいところだが、さてどうしたものかと思っていたら…
 
あ……YouTubeに上がっている……
※ちなみにこの作品は様々な契約の関係上数年前から著作権フリー(パブリックドメイン)となっており、厳密なルール的にもYouTube等にアップロードされても違法にはならない作品なのである。
 
(超低予算で作られた16mmのモノクロ映画なのだが現代ゾンビ映画の源流作品であることは間違いない) 
 
というわけで今晩はホテルの部屋でロメロ氏のデビュー作をしんみり飲みながら見ることにしようか。
 
 
それと追悼の記事などを辿っていたら凄いことがわかった。
Twitterでは「(ロメロ氏の)新作を観ることはもうできないが」と書いたが……
 
新作があったのです!
 
製作総指揮を務めた最新作品、
ロード・オブ・ザ・デッド
キタ━━━(゚∀゚)(゚∀゚)━━!!!!
 
 
 
是非とも日本公開もして欲しい!

ピッツバーグ

今回のブログはTwitterとHYDE ROOM(オフィシャルモバイルサイト)のスタッフダイアリーをさらに補足するような内容になっている。
これを読めばあなたもピッツバーグとゾンビの関わりが100%理解出来る!(最近この煽り多いな(笑)
 
 
2017 VAMPS北米ツアー8本目の場所はピッツバーグ。
そしてピッツバーグといえばゾンビの聖地である。
現代ゾンビ生みの親であるジョージ・A・ロメロ監督の出身地であり永住地であり、そして彼のゾンビ映画はほとんどこのピッツバーグで作られてきた。
 
1978年作品「ゾンビ」はそれこそ100回以上見た映画であり、そして映画はロケ地であるショッピングセンターがほとんどの舞台となっている。ここは是非とも見学しておきたい!
 
夢にまで見たモンローヴィルショッピングモール!
 
 
 
 
しかし行く気が今ひとつ起こらない。
場所は会場から10キロ程度なのだが、「じゃあ行ってみようか」とならない我が腰の重さを呪う。
自分のゾンビ愛はこんなものだったのか?という疑問まで生じる。
 
やはり仕事で来ている時というのは悩ましい。
オフ日ならいざ知らず、空き時間にちょこっと観光といったモードシフトがなかなかできない。
またロケ地に行くことはできたとしても、帰りのUberの手配がスムーズにできないかもしれない。
ふとしたことをきっかけに全体に多大な迷惑をかけてしまうかもしれない。
きっと今回は行くべきタイミングではなかったのだ。
いつか必ず!
 
というわけで、ここは方針変更だ!
 
2006年作品「ランド・オブ・ザ・デッド」は、ピッツバーグの特徴的な地形である「三方を川に囲まれたエリア」がそのまま映画の重要な設定になっており、川向こう数キロ先にまさしくそれっぽい街が見えている。
ここならば行けるのではないか?
 
 
(映画の舞台をGoogleMapで確認!滾る!)
 
しかしGoogleMapを起動して歩き出してはみたものの、一向にビル群が近づいてこない。
地図の縮尺的に3〜4キロ程度なのだが、たちまち面倒くさいオーラに包まれる。
「俺ランド・オブ・ザ・デッドはまだ5回ぐらいしか見てないしな…」
気がつくと足はバスに向かって戻り始めていた。
 
聖地ピッツバーグにて、ゾンビ収穫ゼロ!
 
 
ちなみに「現代ゾンビ」の原型が生まれたのが「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド(68)」という同監督のモノクロ映画なのだが、それまでにも「ゾンビ」の出てくる物語や映画はあった。
しかし大抵は無報酬で働かされる奴隷的な存在、文句も言えずにひたすら働かされるような悲しい設定のものがほとんどだったらしい。
 
・ゾンビは人間を襲って食べる
・ゾンビに噛まれた人間もまたゾンビになる
・ゾンビは頭を破壊されない限り再び死なない
・ゾンビの動きはスローだが集団に囲まれたらひとたまりもない
 
といった現代ゾンビのルールを考案したのがジョージ・A・ロメロ監督なのだ。
映画の設定としても斬新だったが、それ以上に映画界に革命をもたらしたのが「超低予算モンスターの誕生」であったことだろう。
汚い服を着させて顔を青白くメイクしてちょこっと血糊をつければ一丁上がり。
予算はないが才能溢れる若き映像作家がこの設定を利用しない手はない。
ホラー映画はアイディアと才能一つで傑作を生み出しやすいジャンルだ。
実際ホラー映画をきっかけにメジャーにのし上がっていった映画監督は数多い。
スピルバーグ、キャメロン、デパルマ、サム・ライミ、ピータージャクソンやザックスナイダーといったゾンビ出身監督も今やハリウッドの一流監督となっている。
 
まさしくロメロ監督はゾンビの神様だけに留まらず、多くの映画ファンや関係者にとっても偉大なお方なのである。
 
 
ところでゾンビ映画には亜流作品もたくさんあり、全力疾走するゾンビや明確な意思をもったゾンビなどもいるにはいるのだが、基本的にはロメロの設定を採用した作品が圧倒的に多い。
(「バイオハザード」や「アイアムアヒーロー」といった和製ゾンビ作品も基本はロメロゾンビをベースにしている)
 
そんなゾンビ設定に変革をもたらせたのもまた同監督の「ランド・オブ・ザ・デッド」であった。
 
・ゾンビ同士がある程度の意思の疎通をはかることができる
・リーダー格のゾンビが大量のゾンビを統率して集団で動かすことができる
・ゾンビは水の中には入れないという弱点を克服
 
やられっぱなしだったゾンビが人間を追い詰めるという筋書きは実にスリリングであり、またロメロ監督のゾンビ愛が炸裂した名作である。
(三方を川に囲まれた安全地帯も弱点を克服された今……)
 
近年異例のヒットを独走し続けているゾンビドラマ「ザ・ウォーキングデッド」だが、ロメロ監督をリスペクトするようなシーンが数限りなく出てくる。
TWDファンの方は是非その原点となるロメロ作品も見てみて欲しい。
 
 
……せめて聖地ピッツバーグでゾンビの話題を書くことにし、我がゾンビ愛のアピールとさせていただく(笑)

ゾンビ芸人

10月6日にオンエアーされた「アメトーク」を深夜に録画で見た。
 
常日頃「ゾンビ愛好家」を自称しているおかげなのか、やさしいフォロワーさん達が「今日のアメトークはゾンビ芸人ですよ」と定期的に教えてくれたおかげである(^^
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リアルタイムでは見られなかったが至福のゾンビタイムを過ごせた♪
 
それにしても出演していた芸人さん達の「まぁみなさん本当にゾンビが好きなんだなぁ…」と思わせる「俺が!俺が!」のテンションの高さに圧倒されつつも、「ゾンビあるある」に笑わせられ考えさせられ、そしてショートムービー「GEININ OF THE DEAD」の束のようなお約束感に納得をした大満足の1時間番組であった。
 
こういった番組の中で僕が毎回必ずガン見確認するのが「そもそもゾンビとは?」といった60秒ぐらいでそのジャンルを大雑把に紹介するVTR部分だ。
 
ブードゥー教の呪術起源から始まり「ナイトオブザリビングデッド」→「ゾンビ(ドーンオブザデッド)」→「死霊のえじき(デイオブザデッド)」という王道ロメロ3部作から、マイケルジャクソン「スリラー」に行き、ゲーム「バイオハザード」を経て映画「バイオハザード」をフォローしつつの「ウォーキングデッド」「アイアムアヒーロー」という、実に一点の曇りもないゾンビ歴史ダイジェスト!
 
さらに「サンゲリア」「ゾンビコップ」「ゾンビランド」「カジノゾンビ(未見)」「ゾンビーバー(未見)」「ZOOMBIE(未見)」などの作品をフォローしつつ、ゾンビ好きの芸人が好き放題ゾンビを語る。
 
 
未見のいかにもつまらなそうなB級タイトルが乱発されるのも嬉しい。
 
よほどココロに余裕のあるときじゃないとまるで見る気の起こらないそれらのタイトルをインプットするのも、こういった番組を通しての貴重な情報源でもある。
 
ゾンビーバーはスタイリストのTKMさんにも勧められているので渋々ながらも近日中に見なければなるまい。
 
 
B級ゾンビ映画の見方は、絶対つまんないんだろうなぁと思いつつも見てしまい「あぁやっぱりつまらない!」と思うのが正しい作法である。
 
amazonのレビューなどであまりにつまらないゾンビ映画なのに妙に高評価だったりするのは「自分だけこんなつまらない思いをするのはシャクだ。同好の士を巻き込んでこの残念感を共有したい」というトラップであることが多い(笑)。
 
そしてそのトラップに「し、しまったぁ!」と率先して引っかかってしまうのもまたゾンビファンの悲しいサガなのである。
 
誰かゾンビーバーを見る勇気のある方はいらっしゃいませんかぁ?(^^;
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さて、この番組の中で「もしもゾンビの世界観が現実になったら?」といったテーマで「もっとも最適な武器は?」というコーナーがあった。
 
ゾンビ愛好家の中でも度々議論される内容ではあるのだが、やはりゾンビ芸人のみなさんもそれぞれに思うことが異なるようで誠に興味深かった。
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(「ゾンビサバイバルガイド」はハイド氏に以前オミヤゲでもらった(笑))
 
 
僕が以前見た夢の中で「VAMPSのバックステージでゾンビ大量発生」というやたら臨場感のあるゾンビ夢があった。
 
しかし夢とは名ばかりのもので、僕の脳みそは「ゾンビ世界でもっとも最適な武器は?」という問いかけを「夢」というシチュエーションを通して僕に投げかけてきやがったのだ。
 
え?誰が誰に対して?
 
僕が僕に対してである(笑)。
 
忘れもしないそのリアルな夢の舞台は、現状の日本国内ではあるはずもない一通りの銃器が揃っているゾンビ映画の世界観をベースとするZEPP東京。
 
ピストルやライフルや近接戦闘武器が揃っているという設定のZEPP東京ではあるのだが、残念ながらそこには自衛官もいなければ元警察官もいない。
 
見た目は怖い人もいるけれども、殺傷ごととは縁遠い善良なミュージシャンである僕ら5人だけである。
 
「いきなり武器だけ揃っていても……」
 
という心境がまた妙にリアルだ。
 
しかも主な舞台は普段僕らが滅多に出入りしない接客ルームに使われている小さな部屋だった。
 
あまりに間口の狭い部屋に籠城する5人という既に閉塞感たっぷりの状況。
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各メンバーが選んだ武器が夢の中とはいえ現実でも割と近い選択をしそうで興味深い。
 
HYDE氏……サバイバルナイフ
K.A.Z.氏……ピストル
Ju-ken氏……ライフル
Arimatsu氏……マシンガン
JIN(僕)……ボーガン
 
昨日のアメトークっぽいのもまた興味深い。
 
僕がボーガンを選んでいるのは、これはもう完全にウォーキングデッドのダリルがカッコイイからであろう(笑)
 
無音で中距離の敵を仕留めるのに最適な上、矢を無限回収できる優れものの武器なのだ。
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だがしかし、ZEPP東京の接客ルームのドア越しの防御となると非常に扱いづらい。
リズム隊の選んだ武器に至っては論外だ。
 
音がデカすぎる。
 
ゾンビが爆音を聞きつけて楽屋の通路は一瞬でゾンビに埋め尽くされてしまうだろう。
 
また構えた銃口があまりにもドアに近すぎるし、至近距離でそんなもの発砲したら我々の方が危険だ。
強力な武器というものは扱いどころが非常に難しい。
 
夢の中でも「わーっ!そんなもの構えるなー!」と金切り声で制する自分がいた(笑)。
 
そんなわけでVAMPSの二人がもっとも限りなく正解に近い選択だと言えるだろう。
 
リズム隊の名誉のために言っておくが、あくまでも僕の見た夢の中の話であって、実際の彼らがデッカイ武器を選ぶかどうかはわからないが絶対選ぶと思う←
 

というわけでゾンビが好きな僕に餌を与えてはいけない。
たちまちガマンがきかずに食い(書き)散らかしてしまう。
 
本来ならF1日本GPに合わせてF1について語る予定であったのに(笑)
 
とりあえず今晩またアメトークをもう一度見てからゾンビーバーの配信情報を調べてみよう。
 
ゾンビーバー、やはりやや腰が重い(^^;

夢を自在に見る方法

夢をよく見る。
 
積極的に夢を見たいという思いが強かった僕は、若い頃から「夢を見る訓練」のようなものをし続けてきた。
こう言うと「え?自在に夢を見ることができるんですか?」
と驚かれるが、そのニュアンスとは微妙に異なる。
 
しかし夢を見るには一定のコツのようなものがあるのは確かなようで、そういった意味では僕は普通の人よりもより多くの夢を見ていると断言できると思う。
 
見たい夢を念じてその通り見られればこんなに楽しいことはないだろうが、残念ながらそういうことではない。
「夢を見る訓練」と言っても眠る前に何かをするわけではない。
 
答えを先に書いてしまおう。
面白い夢を見て目覚めたときは、どんなに眠くても枕元に置いてあるノートに「夢日記」として夢の断片を記しておくこと。
 
やり続けたことはそれだけだ。
 
僕は中学生の頃からこの習慣を持っていて、今でも枕元に置いたiPhoneのメモアプリに面白かった夢を記録している。
 
夢というのは誰もがほぼ毎日見ているらしいのだが、ほとんどの夢は忘れられてしまっているらしい。つまり、、、
 
「夢を自在に見る」というよりは「忘れたくない夢を忘れないコツ」
ということになる。
 

なぁんだ!と侮ってはいけない。
 
せっかく見た面白い夢も、よほど強烈なインパクトでもないかぎりはたいてい目が醒めると忘れてしまう。
あるいは目覚めた時に「面白い夢を見た!」と興奮して起きても、うっかりしているうちに忘れてしまい、二度と思い出すことができなくなってしまうことも少なくない。
 
だったら忘れる前にメモを取っておくことで、
夢を保存しておける→
夢をいつでも思い出せる→
結果としてより多くの夢を見た
 
ということになるのだと思う。 
 
夢の記録さえあれば、いつでも当時見た夢の記憶が頭の中に鮮明に蘇ってくる。
忘れてしまった夢は結論として“見てない夢”にほぼ等しい。
これは日常の経験とは確実に性質の違うものだと言えるだろう。
 
現在大ヒット中の映画「君の名は」を先日見て大変感動したのだが、この夢日記記録に通ずるようなストーリー展開をしている。
とにかくメモをしておくことでつなぎ止めておける何かが、現実の世界にもきっとあるのだ。
 
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保存されている夢日記の一部。頻度としてもここ最近は年間10〜20程度とそこまで頻繁に記録をしているわけではない。
 

ここで夢日記のつけ方のコツを伝授しておこう。
 
寝ぼけた頭で詳細を記録しておく必要はない。
断片的なワードだけをいくつか羅列するだけでよい。
 
例えば「ビル じゅーけん せっかち 転落」とメモしておくだけで、とりあえず今見た夢の記憶は保存できる。
 
それだけ書いたら二度寝して構わないのでたいした手間ではない。
朝起きてから改めてそのメモを見れば、夢の詳細が蘇ってくる。
 
上記の断片的なメモから当時再構築された愉快な夢日記を紹介してみよう。
2009/7/30サンディエゴでの夢日記


Ju-kenとなぜかビルの屋上に迷い込む。

下にいく階段が見つからず困っているのだが、せっかちなJu-kenはビルの外壁をつたって隣のビルに移動したりピョンピョンジャンプして降り始めてしまう。

調子に乗って当然のようにコケて遥か階下に転落するJu-ken。

あ~あ、と思って一段下をのぞくとあっさり階段ハケーン。

慌てるコジキはもらいが少ない。というか死ぬ。

ビルの一階に降りると人だかりと救急車。

Ju-kenだ(´_ゞ`)ちーん 


一緒に救急車に乗り込むと悲しそうな顔をして気絶しているJu-ken。

ってか生きてんのかよ!




なんだこの夢(;^_^A
 
いかにも学術的っぽいことを書いておきながら、実にくだらない夢の例でまことに申し訳ない。
ま、僕の見る夢なんてこの程度のものがほとんどなのだ(笑)
 (こんなしょーもない夢を記録し続けて何か意味があるの?といったツッコミは決してしてはいけない)
 
近年になるにつれノート→携帯→iPhoneと記録ツールは変化していったが、夢日記記録は30年を超えて膨大な数に…というほどあるわけではないが、日々の行動からその夜見られる夢の傾向のようなものを最近実感できるようになってきた。
 
 
夢の内容というのはおおむね72時間以内に起こったことをきっかけとして構築される場合がほとんどらしい。
 
これは僕が突き止めた事実というわけではなく、なにかの本かネットニュースで読んだ記事なのだが、確かに意識をしてみると数日以内の出来事を中心に構築された夢がほとんどだということに気がつかされた。
 
「えええ?そんなはずがないよ?この前20年全く接点のなかった友人Aが夢に突然出てきたもの!」
といったシチュエーションも当然あろうかとは思う。
 
しかしよくよく思い返してみると共通の友人Bと二日前に会話をしていた、といった間接的理由がある場合がほとんどであるらしい。
 
その時のやり取りでは友人Aの話題は出なかったけれども、脳みその大脳皮質から友人Bの記憶を引っ張り出すついでに友人Aの記憶も取り出していて、記憶を管理している海馬の中に友人Aの記憶が留まり、夢に登場したというメカニズムになるらしい。
たとえA君とB君にまったくつながりがなくても、例えば“NIKEのロゴマーク”といったほんの些細な共通点から無意識の中でA君の記憶が呼び出されたりするようなことが過去にあった。
 
それに加えて寝る前に「ウォーキングデッド」を見たりすると、時として「高校時代の友人達とゾンビ世界に突入するような痛快アクションゾンビドラマの夢」を見られたりするのだ。
 
ゾンビの苦手な人には悪夢そのものなのだろうが、僕にとっては映画やドラマやゲームを超えた究極のゾンビ体験となるため、目覚めた時のラッキー感は非常に高い(笑)。
 
 
最近は“もう一つの日常”としてゾンビサバイバルゲームを寝る前の1時間やっているので、ゾンビ系の夢を見る機会がなお多いのだが、これも「72時間以内に起こったこと」としてカウントされるのだから当然の流れとなるのだろう。
 
PS4「ダイイングライト」の僕のプレイ動画。パルクールでゾンビから逃げまくり極力戦闘を回避し死なないように生き続けるゲームって、この動画すぐ死んでしまって面目ない(笑)
 
こんな恐ろしいゲームを毎日やっていると少しずつこの世界の中の住人のような錯覚に陥っていく。
現在ハマり度警告レベル3(笑)
 
そう!ゾンビの夢を見たければ日々ゾンビ経験を繰り返せばよいのだ。
 
いろいろと工夫を続ければあるいは自分好みの夢を見ることができるかも……ってほど簡単ではないが、少なくとも僕はゾンビの夢を恐らく普通の人よりもやたら見ていると思う。
方向性としてあながち間違っているとも思わない。
 
……続く!
 
次回はできれば見たくない「悪夢」についての楽しい考察と怖い考察両方をしてみたい。

映画「アイアムアヒーロー」をさらに熱く語る

久々のヒット!と思えるゾンビ映画に出会った。
それがここ数年注目していた大好きなマンガ原作なのだから、これほど嬉しいことも珍しい。
今一度予告編のリンクを貼り付けておこう。
ゾンビが苦手な人でもこの予告編は怖くなくて大丈夫なので、せめて見てやってください!(笑)
 
前回語りつくせなかった部分を引き続き語りたい。
なお今回はいろんな人の名前が出てくるのだが、全て敬称略とさせていただく。
 

まずは全体のキャスティングについてだが、これがもう実に的確だったように思う。
主役の大泉洋をはじめ、マキタスポーツ、塚地武雅、村松利史や片桐仁などのコメディー系の人たちが多く登場しているのだが、非常に適材適所というか、バッチリだったように思う。
「お笑い芸人」というと映画やドラマではポジションを低く見られがちだが、とんでもない話である。
 
大昔にビートたけしが印象的なことを話しておられた。
「人を笑わせることが一番難しい。泣かせるよりも感動させるよりもはるかに難しい。お笑い芸人が役者をやるとスッといい感じでできちゃったりするけれども、役者さんがお笑い芸人になれるかといえば、なかなかなれないものなんだ。」
 
僕は普段あまりテレビを見ないので、上記のみなさんのことも実のところほとんど知らない。
塚地武雅などはむしろ役者としての彼しか知らないぐらいで、お笑い芸を見たことはないと思う。
 
この非現実な世界のキャストをみなさんそれぞれ実にナチュラルかつ完璧に演じられていた。
僭越ながら最大限の敬意を表しておきたい。
 
ミスキャストゼロ!
 

次にこの「アイアムアヒーロー」はゾンビ化した人間のことを「ZQN(ゾキュン)」と呼んでいるが、他のゾンビ作品と比べると感染スピードが非常に早い。
 
多くのゾンビ作品の場合は数分〜数日を経て死に至り、そこからさらに数分から数時間かけて“蘇る”という設定がほとんどであるのだが、本作の場合は感染した直後からすぐに兆候が表れ始める。
 
本人は変化が起こっていることを自覚していないことが多く、しゃべっている内容を反復し始めたり意味のないことをつぶやき始めたりする。
個人差はあるようだが数分間、せいぜい10分以内といったところだろうか。
 
「28日後…」のように突然赤目になっていきなりゾンビになるわけではない。
しかし徐々にというにはあまりにも早いスピードで、みるみるとゾンビ化していく。
兆候が現れたら“即ZQN”という実に救いのない展開が待っている。
 
完全にゾンビ化した後も「お世話になっています」とか「わたくし無事故無違反でして」といった口癖のようなものをモゴモゴと言い続ける。
この描写、普通に会話をしていたのに辻褄が合わなくなってくる感じが実に不気味でイイのだ。
  

さて、本来ならネタバレはしない主義ではあるのだが、今回は一点だけ。
物語の進行には直接影響しない部分でのこの映画の見事な演出について触れておきたい。
 
主人公目線で明らかに街の様子がおかしくなりはじめている序盤のパニックシーン。
これがもうあまりにも凄すぎた。
 
ポカポカとよく晴れた昼間。
普通に人々が街の中をいつものように歩いているのだが、明らかに挙動のおかしな人たちが混じっている。
だけれども誰も気に留めていない。
僕らがそうであるように、実際道を歩いていても周囲の人なんて誰も見ちゃいない。
ヤバそうな人がいたらそれこそ目が合わないよう、より一層視線を背けるのが現代人だ。
そこかしこでゾンビに噛まれて感染者は加速度的かつ爆発的に増えていく。
しかし、それでも尚、人々はなかなか気がつけない!
 
いよいよ大勢のゾンビが集団で動き始め、ようやく気がつき始めた人が慌てて一方向に逃げ始める。
本格的パニックが始まった!
しかしそれでも尚、イヤフォンを耳につけた数人は流れとは逆にゾンビの大群に向かって歩いている。
そういった細かい描写の一つ一つが目の前の現実として伝わってくるようだ。
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この「徐々にパニックが広がっていく」という描写は原作マンガでもかなり丁寧に描かれており、走行中の電車の中といった逃げ場のない感染ルートは特にドキドキさせられた。
 

そして僕は気がついてしまった。
 
それこそゾンビ映画を普段から当たり前のように見ていたばかりにずっと気がつかなかったことだ。
 
多くのゾンビ映画はこの「パンデミック初期」の描き方がどれも弱かったように思うのだ。
思い返せばどの映画も「知らないうちに蔓延していく」だったり「数週間前から始まったこの現象」とか「今では周知の事実だが…」といったゴマカシ気味の描写をしているものが圧倒的に多いのだ。
「ウォーキングデッド」にしても、主人公が目覚めたのは一通り事件が起こり無人となった状態の病院からだし、その後語られる回想シーンにしてもすでに軍隊が介入した後の話で、肝心の“初期”についてはモヤがかかったかのように曖昧だ。
 
よくよく振り返ればどの作品も同じような感じでどこか曖昧なのだ。
 
なんだ?この“お約束感”のようなものは?
 
「ゾンビ系なんで一つよろしく」といった制作側の甘えなのではないか?(笑)
 
そんな中でザック・スナイダー監督のリメイク版「ドーン・オブ・ザ・デッド」はこの「パンデミック初期」を正面から描いてはいるものの、主人公も周囲の人間も明らかに気持ちの切り替えが早すぎるし、順応力も訓練された軍人並みに高すぎる。
隣の家の女の子が自分のダンナに噛み付いてその10秒後にはダンナも襲ってきて、その1分後には車に乗って全速力で脱出しているが、、、普通の人間はそこまで強くはない。と思う(笑)。
 
非常に迫力のある素晴らしいゾンビ映画には違いないが、「パンデミック初期の描き方」という点ではアイアムアヒーローの圧勝、あるいはすべてのゾンビ映画の頂点に立ったのではないかと素直に思う。
やや絶賛しすぎじゃないのか俺?と自分でも思いつつも、これを超える描写を思い出せないのだ。
 
実際リメイク版「ドーン・オブ・ザ・デッド」のツッコミにしても、初見から10年以上経った今、「アイアムアヒーロー」を見てはじめて気がつけたツッコミどころでもあった。
 
そんなわけで、誠に勝手ながら「ゾンビ映画におけるパンデミック初期描写部門の暫定首位」とさせていただく。
 
 
そしてダメ押しとなる映画後半の怒涛の展開、いや展開というのもふさわしくないような“ひたすら続く再殺シーン”は、まるでマッドマックスを思わせるような臨場感、もはや演出を超えた現実感に支配されていたように思う。
映画を観るという体験ではなく、あたかも至近距離に自分もいるかのような“経験”に錯覚しかけたほどだ。
 
「後半の物語性が弱い」という批判もあるが、そうではあるまい。
この臨場感を観客が経験するには、逆に物語性が強くては成立しなかったのだと思う。
 
本当に凄い映画を観てしまった!
 

「アイアムアヒーロー」の主人公は「英雄と書いてヒデオです」と言うのは結構だけれども、ウジウジしているし、気持ちはすぐに切り替えられないし、とりあえず謝ってしまうし、変なところに律儀で不器用だし、英雄の素質はまるでない。
 
そんな主人公だからこそ、通常の映画に出てくるような強いヒーローよりも圧倒的に不利な状況の連続だ(笑)。
当然、ハラハラドキドキの連続となる。必然だ。
 
可哀想に……お気の毒さま。と思いつつもシンパシイを抱かずにはいられない。
そんなキャラの魅力が原作の鈴木英雄よりも強く感じられたのは、これはやはり大泉洋の魅力が大きいのだと思った。
 
そんなキャラが「本当のヒーローになれるのか?」といったテーマはむしろどうでもいいというか、とにかくこの「世界観」を体感していただきたい。
 
ダメ押しで言っておくとこの映画はR15指定。
つまり、地上波で放送されることはまずないと思われるので観念して映画館で観るべし! 
そして念のため、地上波で放送されるべきではない不適切な内容=結構というか相当グロいということも包み隠さず伝えておく。
 
以上のことを踏まえ……僕は終了前にもう一度観ておきたい。
 
※Huluで配信中!
 
 

映画「アイアムアヒーロー」を語る

ゾンビ映画を愛してやまない僕なのであるのだが、どうもこれまでの和製ゾンビ作品というのは相当のゾンビ愛を持ってみないことにはもうどうしようもなくグダグダな作品がほとんどであったように思う。
チャチな作りをトホホと笑って許す見方しかできないような作品も少なくなかった。
 
火葬の慣習があり銃砲の所持の難しい国ではダイナミックなゾンビの世界は描きにくかったのだろうか?
どうしてもパッとする作品が出にくい土壌だったのも仕方がなかったのかもしれない。
そんなショボイ環境に突如旋風が巻き起こったのは2009年。
花澤健吾の「アイアムアヒーロー」が、そんな停滞した日本のゾンビ事情に風穴を開けた。
 
……とマンガの紹介をここで繰り返してもアレなので、興味のある方はWikipediaでも試し読みでもして確認していただきたい。
原作を知っている方なら「大幅に省略しながらも御殿場アウトレット、8巻あたりまで」と書けばよろしいだろうか(笑)
 
尚、これから原作を読もうと思っているあなたに一つだけアドバイスを。
1巻だけは最後まで読むのに相当の根気が必要かと思われる。
かな〜り動きの少ないグダグダした描写が延々と続くのだが、1巻の最後の数ページから坂道を転がり出すように物語が動きだすのでそこまでは根気強く読み進めて欲しい。
ジェットコースターでいうところの「巻き上げ」のようなもの、後の急展開をしていくための“位置エネルギーの確保”のようなものだと思っていただければよいのではないかと思う。
 
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大好きな原作の映画化というのは誰しも必ず期待と不安を同じぐらい持つのではないだろうか?
僕にしても過去に何度も期待してはガッカリしたり、不安でいっぱいからいい意味で裏切られたことへの歓喜に満たされたりしてきたのだが、今回の「アイアムアヒーロー」はもう、ただただ絶賛しか思いつかない。
 

ところで僕には映画を見終わった時の周囲のお客さんの感想になんとなく聞き耳を立てる癖があるのだが(笑)、原作の大ファン、バイオハザードやウォーキングデッドからゾンビにハマった比較的新参のゾンビファン、長澤まさみの大ファン、大河ドラマの大泉洋が好きな初老の方と思われる方々などの意見を垣間聞いた(笑)。
 
「原作はしょりすぎ!」
「もっとゾンビがたくさん出てくるかと思った」
「長澤まさみは美しい」
「大泉洋はこんな映画に出ちゃイカン!」
「・・・・・・(喜びに打ち震える興奮と満足の表情)」←俺だ(笑)
 
これらの方々に一応長年のゾンビファンから一言申し上げておきたい。
長澤まさみサンが美しいことに対しての異論はないし、大泉洋さんの演技力がこのような極限のパニック映画に生かされることへの驚きもごもっともであると思う。
ここまで異議はない。
 
まずは原作との比較だが、大幅にはしょって改変しないことには2時間ではとてもじゃないが収まらない。
ウォーキングデッドのようにトータル100時間使っても良いならば描き方も丹念に、それこそゾンビが一度も出てこないような人間劇だけで80話を超えるエピソードの1つを費やしての精密描写もできるものだが、8巻までの1000ページを超える原作量を2時間で描けるわけがないのだ。
 
そこには大幅な省略や大胆な削除が必然となってくる。
 
むしろそれらをやらずに無理につめこみすぎると映画「ダ・ヴィンチコード」のような悲惨なコトになってしまう。
(あらかじめすべての謎を最初から知っているかのような即答に次ぐ即答でもはや謎解きでもなんでもないレンジでチン的なお粗末な展開だった)
 
 
もっとゾンビが……という意見にはちょっと呆れてしまった。
確かに1万体のゾンビという描写はウォーキングデッドやバイオハザードでもあったけれども、2体のゾンビと格闘するイメージを頭の中で描くだけでも何度も失敗するような、ある意味リアルな心情をこれでもかと描いた今作品を見てのその感想はあんまりだろ!と思う。
 
もちろんそういう事情だからゾンビが少なくて良いと言いたいわけではない。
 
1万のゾンビはきっとこの世界にもいる。
でもそれを描かないから不満というのはあまりにも短絡的であろう。
 
そういった視点で見れば100体ぐらいのゾンビであっても十分すぎるぐらい大群であり、「ゾンビが足りない」と思ってしまうのはあまりにも想像力が貧困すぎやしないかということを言いたくもなってくるのだ。
 

ゾンビ映画なのに出てくる銃はたったの一艇のみ。
他の実践的な武器はクロスボウぐらいで、あとは結局トンカチや金属バットやゴルフのドライバーぐらいしかないのが日本だ。
しかしだからこそ、その銃を中心に人間模様が激しく動く。
銃こそが最終兵器のようなものだからだ。
 
ちなみに「銃砲所持許可証」にこだわる主人公の言動は原作でも映画でもかなり執拗に描かれている。
 
そしてこの銃がなかなか発射される機会が来ないのがまたもどかしい。
 
しかし、威力を発揮した時の迫力と爽快感。
これは過去のゾンビ映画すべての中で最高の瞬間だったと思う。
このカタルシスの解放感は「宇宙戦艦ヤマトの波動砲」「水戸黄門の印籠」「エヴァの暴走」クラスであった。
 
そしてハンマーやナイフでのゾンビとの格闘のリアルさ。
これなどはウォーキングデッドを凌駕するような描写だったと思う。
 
ウォーキングデッドでは後半ともなると手慣れた人々はゾンビの額にナイフをサクッと刺していとも簡単に仕留めてしまうのだが、実際は頭蓋骨もあるわけだしそこまで簡単であるとも思えないのだ(^^;
 
そこが今回の「アイアムアヒーロー」は臨場感がありすぎてどうにも痛々しいというか……見ていて何度ものけぞってしまうぐらいリアルに感じた。
やはりトンカチのリーチの短さではゾンビはなかなか倒せないし、ゴルフクラブの軽量化っぷりもまた見ていて非常に弱々しい。
オモチャのエアガンはもはやギャグでしかなかった(笑)。
 
 
やばい。
原稿用紙5枚分では全然語りきれない!
 
 
VAMPS福岡公演の近づく慌ただしい時期ではあるが、早起きして書いている(笑)
当然、つづく!

ゾンビを語る・3

昨日からの続きである。
 
ウォーキングデッド普及活動はまだまだ続くのだが、怖い系やゾンビ系の苦手な人が無理に最新話近辺にトライしてもつらい思いをするだけなので、まずはシーズン1の第1話を見てみることをオススメしたい。
徐々にエグい描写の増えていく2話、3話へと進むことができたあなたは素質ありだ(笑)
しかしまだまだハードルはグングンと上がっていく。
シーズン2〜3あたりからトラウマ級の悪夢的展開が波状攻撃でくるし、シーズン5の冒頭の数分は未だに見返す勇気がないぐらいの最悪の状況がやってくる。
(このシーズン5の1、2話は個人的感想ではシリーズ中もっとも怖い回だった)
 
それでも続きが見たくなる悪魔的な魅力に惹きつけられているうちに気がついてみたらばあら不思議!
あなたはゾンビへの耐性がすっかりついているのである(^^
(そう簡単な話でもないだろうけど(笑))
 
尚、シーズン1の1話でも「ちょっと…」と断念した人には最後のゾンビ紹介チャンスをください!(笑)
以前Twitterでも紹介したことがあるのだが、僕の知る限りもっともライトな短編映画「CARGO」は切なく哀しくも美しい父と娘のゾンビ映画だ。(7分)
 
最初に見たときはゾンビというジャンルにこんな話まででてきたのか!と驚かされたものだ。要ハンカチ。
 
 

 
話は唐突に変わるが、僕は幼少期の頃から砂場遊びと粘土遊びが好きだった。
そういった遊びの中でも特に好きなのが、海水浴場の砂浜でやる「砂の城作り」だ。
 
「生涯海水浴合計時間」でいえば、泳いだりプカプカ浮いたりしていたよりも砂の城を作っていた時間の方が確実に長いと思う。
蛇足ながら…オトナになった今でも海水浴に行けば砂の城をついつい作ってしまっているので記録更新中でもある(笑)
 
2197942-地中海のビーチに驚くべき砂の城
(砂の城の参考写真…しかし一般的な砂の城のレベルはだいぶ低いし自分とて例外ではない(笑))
 
さてこの砂の城作り。
興味のない人にとってはどうでもいい話だろうが、まず最初の「どこに作り始めるか?」という選択一つとっても案外奥が深い。
波打ち際に近すぎると城建設そのものがままならないし、遠すぎてもいけない。
波打ち際にしても引き潮と満ち潮があり、状況が刻一刻と変化する中での建設となる。
海水浴に来てずっと城ばかり作っているわけにもいかないし、帰る時間になっても波打ち際はまだ遥か遠くであっても困る。
もろもろのタイミングを計算しての場所選びは、それなりの熟練を要する。
 
そして砂の城は城本体を作って完成というわけでもない。
時々ランダムにやってくる大きめの波から城を守る防御壁が必要だ。
城を作る前にまずは城予定地の周囲に溝を掘り、掘った砂で外壁を作る。
溝は押し寄せてきた波を速やかに排水できるような構造にすることも忘れてはいけない。
まだ時間があればさらに外側に第二の溝を作り壁も作る。
外堀と内堀というわけだ。
外壁は前面をより高くし、側面からの海水の侵入も考慮しつつ排水ルートも考え、全体のデザインを考えながら作っていく。
結構やりがいのある作業だ。
その間も城本体のデコレーションは凝れるだけ凝る。
 
そして満足のいく砂の城とその防御システムはついに完成する。
最初にやってくる至福の瞬間である。
 

しかし砂の城作りはここがクライマックスではない。
この後は一転して真逆の方向に向かい始めることになる……
 
 
砂浜は満ち潮によってジワジワと潮位を上げてゆき、せっかく作った砂の城はゆっくりながらもやがて危険な状態を迎える。
20回に1度ぐらいの危なめの波が10回に1度になり5回に1度になってくる。
 
「あぁ!せっかく作った防御壁が!あぁ!排水システムが!外堀が!」
応急処置を重ねながら修復をするも、波打ち際はさらに城に近づいてくる。
そしてついには内堀にも浸水が起こり城壁もダメージを受け始める。
城の頂上に立てた木の棒が倒れたら敗北だ!
 
しかし善戦虚しくついには壁が流され掘も平らになり丸裸となった城も崩れて木の棒が倒された瞬間、これが二度目の至福の瞬間となり、砂の城作りのクライマックスとなる。
 
そしてこの砂の城遊びだが、確実に敗北をする。
というよりは、そもそもこの崩壊劇を見届けるために始めた遊びなんである。
 
 

ぶっ壊すために作る。
 
普通のプラモデル作りにせよ例え紙飛行機のようなすぐに壊れてしまうものであっても「壊すために作る」ということを通常はしない。
Nゲージのような鉄道模型やジオラマ作りは決して壊すために作る趣味ではない。
結果的には壊れてしまう、壊してしまうことだとしても目的はそこにはない。
お片づけを前提としたプラレールにしても、片付けることを楽しみにレイアウトを組む子供もいないだろう。
 
だが、粘土遊びや砂場遊びといったものは「遊んだら元に戻す=壊す」が前提となる。
砂場に作った巨大な城を壊さずに帰ってももちろん構わないのだが、知らない誰かにいつの間にか壊されているぐらいならいっそ自分で壊す。これが原則だ(笑)
 
そしてその中でも究極に興奮するのが「波によって確実に破壊される」という分かりきった条件を全て了承した上で、というよりはむしろそれを楽しむために一生懸命になる「砂の城作り」だと僕は思うのだ。
 
 
飛躍するようではあるけれど、そんな遊びが大好きな僕がゾンビ好きになるのはむしろ必然だったのでは?と思えてくるのだ。
 
ゾンビ映画もまた崩壊のために全体が構成されており、砂の城作りと驚くほど似た性質をしているからだ。
上記の回りくどい砂の城作りの設置場所から棒が倒れるまでの説明は、そっくりゾンビ映画にも当てはまる。
 
ゾンビ好き=砂の城作りが好き
 
という大胆な仮説を打ち立ててみる。
 
自分以外の根拠ももちろんある。
VAMPSメンバーで海水浴に行った時に砂の城を作ったのは僕とハイド氏だけであったし、高校以来のゾンビ友と去年の秋に江ノ島に行った時もどちらからというわけでなしに共同で砂の城を作ったではないか。48歳のオサーン同士で(笑)
 
豊富な根拠は以上であるが、VAMPSの映像編集ディレクターのH崎氏(相当のゾンビ好き)も当然砂の城作りが好きに違いないと決めつけている。
 

ゾンビ映画は「崩壊劇」が絶対のルールとして課せられていると思う。
“ゾンビ”という波の大小によって物語の城壁や掘にストレスがかかり、やがて「結界の決壊」を迎える。
「崩壊」はゾンビ側の攻撃で起こることもあれば、人間による悪意や自暴自棄の末の暴走で故意に引き起こされることもある。
いずれにせよ…
最低限このルールを守ることがゾンビ映画の条件であるようにも思う。
 
もちろんこの条件を満たしていない佳作や秀作はある。
 
だけどもそれはあくまでも“亜流”として成立しているもの、つまりはセオリーを守っている大部分の作品があるからこそ敢えてセオリー破りができるという「ゆとり」のようなもので成立しているのではあるまいか?
ゾンビマニアとしてそこは一言物申しておきたいのである。
(「遠山の金さん」にしても桜吹雪の刺青を見せない回というのが稀にある。だけども毎回毎回刺青を見せる前に顔バレしてしまう遠山の金さんでは作品が成立しないんである)←最近時代劇の例えが多いと自分でも思っている(笑)
 
「ゾンビの侵入を完璧に防ぎ、ゾンビ以上の敵である人間も撃退し、安全な場所で無事一生暮らしましたとさ。めでたしめでたし。」
といったゾンビ映画は一本たりとも存在しない。
というか、そんなゾンビ映画を誰が見たがるものか!(笑)
 
極端なことを言えば、溢れんばかりのゾンビがなだれ込むように安全エリアに侵入してくるの見たさに90分の中の80分をガマンしているようなジャンルなのだ(笑)
 
そしてそのガマンのさせ方が上手な監督というのが名監督となるのであり、「ロードオブザリング」のピーター・ジャクソンや「スパイダーマンシリーズ」のサム・ライミ、「マンオブスティール」のザック・スナイダーなどはデビュー作でいきなり素晴らしいゾンビ映画を撮ったのちに大出世を果たした映画監督たちである。
(「ブレイン・デッド」「死霊のはらわた」「リメイク版ドーンオブザデッド」、どれも一癖も二癖もあるゾンビ映画の名作である)
 
 
崩壊に向かってのステップを楽しませてくれるのがゾンビ映画であり、崩壊という最悪の展開に突き進んでいるにも関わらず「はよ!はよ!」と崩壊を望み、そして崩壊の瞬間に最高のカタルシスを感じさせてくれる作品。
 
そんな悪魔的な内容こそが「最高のゾンビ映画」と評されるのだろう。
そしてくどいようだが「砂の城作り」とソックリだとは思いませんか?(笑)
 
 

 
ウォーキングデッドはシーズン1から6に至るまでの中で、さまざまなカタチの防壁を作ってきた。
そして一切の例外なく全ての防壁は崩壊した(笑)
「鉄壁の城塞」を手にしたシーズン3でもやはり崩壊した。
これは最初から決まっていることなので、ゾンビモノに限ってはネタばらしにはあたらないのである(笑)
 
シーズン6後半は既に城壁が前半ラストで崩壊した状態、絶体絶命大ピンチ!
からの再開という絶望的状況から始まる。
もうこの先は見たくないという精神状態であるのも本当なのだが、見たくて仕方がない!という正直な思いも本当だ(笑)
 
あぁ!金曜日が楽しみで仕方がない!