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ホラー映画とコメディー映画

「ラヂオの時間」
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1997年、三谷幸喜の第一回監督作品である本作。
今から21年前、周囲の評判の良さに劇場に足を運んだ作品であった。
当時の邦画は今ほどの勢いがなく、個人的には伊丹十三監督作品が大好きぐらいだったように記憶しているが、「映画館で観てよかった!」と心底思えた映画であった。
数年に一度の割合で見返す映画ではあるのだが、何度見ても文句なく面白いと思える傑作映画だ。
 
「ラヂオの時間」は元々は舞台上のお芝居を映画化したものであり、後の三谷映画のスタイルを第一作にして既に確立してしまった名作コメディー映画である。
練り込まれた脚本の素晴らしさは何度見ても惚れ惚れとする出来栄えだが、名優たちの若き姿を今このタイミングで見られる楽しさというのは、新たに加わってきた要素、追加された魅力となるのだろう。
唐沢寿明、鈴木京香、渡辺謙などの21年前の姿、また梶原善、田口浩正、小野武彦、近藤芳正といった三谷映画を固めるお約束の名脇役陣を見るのも楽しい。
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コメディー映画とホラー映画ほど満員の映画館で観たときの幸福感を感じるジャンルもないだろう。
コメディー映画での自分の笑いと劇場内の他のお客さんが完全一致したときの爆笑、ホラー映画のショックシーンでビクッ!とひるんだ瞬間と劇場内の他のお客さんのビクッ!が完全一致した時の連帯感、、、
芽生える感情は実のところどちらもほぼ同じだと思う。
 

「エルム街の悪夢」という映画を観たのは忘れもしない1986年6月1日。
「映画の日」という今ではすっかり慣習化された毎月1日のサービスデイも、当時は6月と12月の年2回に限られたイベントであった…と思う。(追記:元旦と3,6,12月の年4回であったらしい)
今ほど娯楽の多くなかった時代、たいていの映画の日は何かしら映画を観ていた学生時代であったし、周囲の他の人にしても「この日に映画を観ないのは損」ぐらいに思っていたのだろう。
映画の日の映画館はどこも満員御礼であった。
ホラー映画を満員の映画館で観た機会というのもそうそう多くはないのだが、「エルム街の悪夢」の上映中、当時の銀座ニュー東宝シネマ2劇場内でちょっとしたことが起こった。
ゆるやかに傾斜をしている劇場内の後方からジュースの缶がコロコロと転がりだしたのだ。
折しも映画のストーリーは夢の中に出てくる殺人鬼フレディーの存在がチラチラ垣間見えているシリアスでとても静かなシーン…だったので、劇場内にいたお客さん全員が画面を見ながらもコロコロコロ…という音に聞き耳を立てる。
特に加速するわけでもなくのんびり転がり続けたジュースの缶は前列の前まで転がり続け「ココンッ」とスクリーン前の段差にぶつかって止まった。
ただそれだけのことだったのだが、全員でその挙動に聞き耳を立てていたことにクスッと小さな笑いが起こった。それぐらいコロコロという音が劇場に響くような静かなシーンだったのだが、その直後に「ババーン!」というショックシーンが!
その瞬間、劇場内で「ビクッ!」という反応、反射的に出てしまう「ギャッ!」という短い悲鳴で完全にシンクロしてしまったお客さん全員、自分も含めワンテンポ置いての爆笑となった。
照れ笑いというか、偶然の産物で生み出された一体感に笑ってしまったのだろう。
その後の上映時間は、人生において一度きりと思われるような楽しい映画鑑賞となった。
劇場内の観客全員が心を開いての鑑賞となり、まるでジェットコースターに乗っているかのような大合唱の悲鳴や笑いが最後まで続いたのだった。
 

「カメラを止めるな!」をここでまた猛烈にプッシュするわけではないのだが(いやするのだけどもね(笑))、なにかこの「エルム街の悪夢」を観た時の経験に近い笑い方のできる映画だと思う。
劇場内での一体感、連帯感、共有感のようなもの?
全てのコメディー映画やホラー映画で感じられるわけではないこの感覚を確実に味わえる映画。
しかもそれが予算300万円で作られたインディペンデンス映画でゾンビ映画で異例の拡大上映をし続けている映画だというのだから、やはり今年度最もインパクトのある映画となるのだろうなぁ…
 
自分が70歳になった頃に「2018年は台風や地震があって大変な年じゃったが『カメラを止めるな!』という映画があってのぉ…ゴホッゴホッ」とか言ってるジジイをやってる気がする(笑)。
 
そして…「カメラを止めるな!」をご覧になったみなさんには是非冒頭で紹介した「ラヂオの時間」をオススメしたい。
上田監督が「影響を受けた作品」として挙げられている作品でもあるのだが、今回改めて見直してみて様々な共通点を見出すことができた。
このちょっとした感動をさらに共有できたらと思う♪
 
※さらに追記:「エルム街の悪夢」は名優ジョニー・デップのスクリーンデビュー作でもある。ベトナム戦争映画の名作「プラトーン」にも出ているが、セリフや役どころとしてオイシイのは圧倒的にこちら♪

低予算映画の魅力とは?

なんなら今回のタイトルは「ゾンビを語る・4」でもよかったのだが……
 
ネタバレほぼ一切なし宣言!
「カメラを止めるな!」を見てきた。
 
 
僕の周辺のゾンビ愛好家は元より、ゾンビ関係者のTLから日々波状的に流れてくるオススメ作品としての絶賛の数々がずっと気にはなっていた映画ではあったのだが……
そうこうしているうちに口コミがどんどん広まってゆき、最初はほぼ単館上映のような状態から、8月10日現在で全国120館を超える勢いで上映館を拡大し続けている前代未聞のインディペンス映画だ。
 
昨日地元駅前店で一緒に飲んだ某メーカーディレクターさんに「仁さんともあろうお方がまだ観てないとは思いもよりませんでしたよ……いや驚いた」とトドメともなる最大限の挑発をされ、なんとしても今日中に観なければ!と都内の上映スケジュールを当たってみるも……ぐぬぬぬ、新宿も六本木も昼から夜まで既に満席だとぉ!
 
これは一体どうしたことか!?
もはやカルト人気では済まされない状況。
ハッキリ言って「ミッションインポッシブル」以上の盛況ぶりではないか!
対予算比率にして500倍ぐらいの差があるのにですぞ!?←下世話やのぉ
かくして都下に目を向け上映館を検索し直し、TOHOシネマズ南大沢5番スクリーンにて無事鑑賞することができた。
 
 
ところでこの映画「カメラを止めるな!」だが……とにかく面白かった!
 
最低限の情報として「ゾンビ映画」ではあるのだが、それ以上の情報は必要ないし知るべきではないし、実のところゾンビ映画好きである必要もほぼない。
 
もう一つだけ知っておくべき情報があるとすれば、この映画が「超低予算映画」であるということだ。
予算は300万円未満であるらしい。
 
 
低予算映画を賞賛するつもりは全くない。
なぜなら低予算映画の大部分、それこそ99%は駄作でしかないからだ。
だがしかし100本の中の1本ぐらいの打率で、キラリと光る作品が出てくる。
「出す」のではない。「出る」のだ。←
 
 
僕はこれまでにもこういった切り口でホラー映画を絶賛→肯定→説得→洗脳、といった手順を経て、多くの人にホラー映画を見てもらっているわけだが、本当に凄い監督の力量というのは「ふんだんに当てられた予算」では埋もれてしまう場合が多いようにも思う。
スピルバーグやキャメロンのようなプロデュース能力にも長けた大御所ならば、200億円のお金の使い道でも自在にこなせる能力があると思うが、ともすれば潤沢な予算に才能が隠れてしまう場合だって多々起こることもあると思うし、逆を言えば“乏しい才能を潤沢な予算で覆い隠すこと”だってできてしまうことだろう。
近年の「なんだかなー」といった感想しか抱けないようなハリウッド佳作アクション映画の大部分がこれに当てはまるようにも思う。
(更に言えばスピルバーグにせよキャメロンにせよ「Eyes」や「殺人魚フライングキラー」といった低予算ホラー映画経験があり、同じくして突出した才能を知らしめた経歴もある)
 
「ゾンビを語る・3」http://jinxito.com/2016/02/18/zombie3/
 
この辺りの過去のエントリーでも触れていることなのだが、低予算名作映画の真髄とは「にも関わらず面白い」という結果を作り出した若き監督の才能が浮き彫りになるということ。
 
・有名な俳優は使えない
・派手なアクションはもちろん、メイクやCG、スタジオ撮影すら満足にできない
 
こういった低予算という負の要素をプラスと捉えることによって、何が生まれてくるだろうか?
 
・名優の演技ではなく、俳優のガチ演技
・とにもかくにもアイディア
・極限まで削ぎ落とした惑わされない映画表現
 
虚をつくようではあるが、剥き出しの才能や感性をさらけ出すことになるのではないだろうか?
 
そしてこういった限定条件の中で面白い映画を作ろうと思ってもかなり範囲は狭まってくる。
 
少なくとも……
・ジェット戦闘機が大活躍する空軍のエリートと美人教官の色恋沙汰
・遥か昔遠い銀河の片隅で起こるSFスペクタルサーガ
・豪華客船の出港から沈没までをリアリズムたっぷりに描いた恋愛映画
・世界規模でベストセラーとなった魔法学校小説究極の映像化!
・巨大不明生物が大都会東京で破壊の限りを尽くす怪獣映画
・オールスターキャストが泥棒劇をまんまと成功させる痛快アクション映画
 
といった内容を300万円で作ることは不可能だろうし、仮にできたところでショボいだけだし傑作になる確率は限りなくゼロでしかないだろう。
 
そこでゾンビ映画なんですよ!
 
ゾンビ映画の99%が駄作であるという推論は、おそらくそこまでの暴論でもなければ大きく間違ってもいまい。
むしろ「知られざるゾンビ映画」の数を思えば、もしかしたら99.9%が駄作なのかもしれない。(それはそれで面白いのだけども楽しめるのは一部のマニアだけだ)
 
一方でゾンビ映画の設定は公平だ。
「バイオハザード」や「ワールドウォーZ」のような100億円規模の巨額を投じたゾンビ映画もあれば、10万円以下で作られたような短編映画だって存在する。
どちらも同じ「ゾンビ映画」ではあるのだが、時として10万円の作品が100億円の予算よりも明らかに「素晴らしいゾンビ映画」となり得てしまう。
そこがゾンビ映画の凄まじいまでの懐の深さであり恐ろしさでもある。
 
低予算映画である必要はないが、少なくともゾンビ映画に関してはそこまでの予算を投じなくても、アイディア一つで面白い作品を作ることはできるはずなのだ。
 
少なくとも僕は超大作の「ワールドウォーZ」よりも、7分程度の超低予算短編「CARGO」の方が、ゾンビ映画としては圧倒的に好きだ。
 
 
イコールコンディションとは対照的、オーソドックスだろうが低予算だろうが反則しようが何しようが、「面白いゾンビ映画を作ったものこそが勝者!」というフェアなルールの中で競われているジャンルだと言えるだろう。
そう、あくまでもホラー映画やゾンビ映画は公平なのだ。(再)
 
今では大家としてハリウッド映画界に君臨している多くの映画監督は、若き日にゾンビ映画もしくはそれに準ずるホラー映画でデビューしたという経歴がある。
前述のスピルバーグやキャメロンをはじめ、「スパイダーマン」のサム・ライミ監督も、「ロード・オブ・ザ・リング」のピーター・ジャクソン監督も、「スーサイド・スクワッド」のザック・スナイダー監督も、その他多くの名監督が「若い頃にゾンビ映画もしくは低予算ホラー映画で逸脱した才能をフィルムに定着させ、のし上がり名を馳せていった名監督たち」なんである。
 
 
「超低予算ホラー映画」というと、やはり僕の中では「死霊のはらわた(1981)」「CUBE(1997)」「ブレアウィッチプロジェクト(1999)」「SAW(2004)」あたりがポンポンと出てくる。(近年のホラー映画は不勉強で申し訳ないが「パラノーマル・アクティビティ(2007)」あたりは自分の琴線にはあまり触れないようだし、「死霊館」とか「インシディアス」あたりは言われているほど低予算の印象もない)
 
その中でも「CUBE」という映画の突出した低予算ぷりには震えさせられた。
 
 
映画の舞台(セット)は「一片が4.2メートルの正方体の部屋が二つだけ」なんである。
たったそれだけ。
“今いる部屋から隣の部屋に移動する”をひたすら繰り返すだけの映画なのだ。
だが、面白い!
 
むしろこの映画は余計な状況設定を一切排除し、それだけにしたことによってアイディアが突出することになった。
1997年作品ではあるのだが、未だに定期的に見てしまう魅力的なホラー映画だ。
CGの使い方などが今となってはチャチに見えなくもないが、そんなことは無問題と思えるほどにアイディアがただただ素晴らしく、またこの単調なセットの繰り返しの閉塞感をも世界観として見事に封じ込めている傑作だと思う。
(この映画も単館上映から火がついた作品だ)
 
 
「カメラを止めるな!」は、そこまでの閉塞感はないにせよ、ほぼオールロケの半径50メートル以内での出来事を描いている。
96分中の本編の37分の時点で衝撃的な事実が発覚するのだが、パンフレットのインタビュー記事を熟読していてさらなる衝撃的な事実を知ってしまった。
 
えええええ!!本当にぃぃぃぃ?
ガチで?まじなの?
 
映画的な手法としても、恐るべきトライを本当に実行しているようなのだ。
真偽を確かめにもう一度劇場に行きたくなってしまうような事実が、ドキュメント性をも含めて映像として立証されているらしい。
いやいやいや、これはやっぱりもう一度最初から「ガン見姿勢」で見直したい映画だ。
 
ゾンビファンはもちろん、全ての映画好きにオススメしたい内容だ。
尚、ゾンビ映画としてのスプラッター描写はかなりマイルドというか……えーとあのその、最高っす!
 
そして誤解なきように言うならば、、、この映画は三谷幸喜映画に匹敵、いやもしくはそれを凌駕するほどに大爆笑できることもまた約束された事実なんである。
え?ゾンビ映画なのに大爆笑?それってどういうこと?
と思ったあなたは観るしかないと思うし……
 
絶対もう一度観ないと気が済まない!

ジュラシックワールド/炎の王国

 
僕が第1作である「ジュラシックパーク」を観たのは遡ること25年前。
今でこそシネマコンプレックスが乱立し、良質な映画館が増えて喜ばしい限りなのだが、1993年当時はまだIMAXシアターやTHXシアターは日本には存在していなかった。
 
僕は「映画はなるべく巨大スクリーンで観るべし」という信念をもっているので、「ジュラシックパーク」を観たのも当時としては最大級のスクリーンを誇っていた銀座マリオンの日本劇場で鑑賞をした。(今はもうない)
結果、、、脳汁出まくり体験をすることになった。
「Digital Sound」という派手なロゴの「dts」を初めて体験したのもこの「ジュラシックパーク」だった。
 
その立体感と分離感と派手な音響効果にゾクゾクさせられた。
 
そして、とにもかくにもCGで描かれた恐竜のリアリティー!
「あ、この1カットで元とった!」と思えたのは、最初にブラキオサウルスが主人公たちの目の前で葉っぱを食べるシーンだっただろう(早!)。
未知の映像経験はそれだけでも満足できるものであったが、映画ジュラシックパークはそれだけではなかった!
映画の大きな魅力の一つに「描かれた世界への没入感」があり、どんなに意味不明なストーリーであってもキャラクターに魅力がなくても、その世界の中に自分が入り込めるような感覚の濃い映画は高い評価になるように思う。
CGのみならず熟成の域に達したアニマトロニクス技術が最大限発揮された映画でもあったし、パニックを描かせたら天下一のスピルバーグ監督作品のわけだし、今思えば超豪華キャスト(当時まだ無名に近かったサミュエルLジャクソンが脇役で出ていたりとか)、そしてジョンウィリアムズの音楽!もうね、全てが鉄板中の鉄板。間違いないんである。
 
それ以降、このシリーズは「最高のスクリーンで観るべし」といった同じ信念を自分に義務付けている。
第二作の「ロストワールド」は当時関東圏では2館しかなかったTHXシアターの1つ目、マイカル海老名7番スクリーン、そして「ジュラシックパークIII」は現在「爆音上映」で話題になっているもう一つのTHXシアター立川シネマシティー(現在のシネマワンg-studioであり、今は方針の変更というか路線変更でTHX基準からは外れた劇場になってはいるが、これは良い方向性での基準外と解釈している)、そして前作「ジュラシックワールド」は3年前に二子玉川の109シネマズのIMAXシアター7でそれぞれ鑑賞をしている。
 
このシリーズだけは可能な限り迫力ある環境で観なければ!
 
というわけで、今回はずっと気になっていたけど行ったことのなかった「ユナイテッドシネマ・としまえん」へ!
海老名や立川を思えば近い近い!
ちなみにここの8番スクリーンは国内のスクリーンサイズでは第12位らしいが、裏付けを取ろうとしたらイマイチ不正確。
かなり大きなスクリーンではあったけど、六本木ヒルズの7番スクリーンよりは若干小さいらしい。
 
座席の位置、その日居合わせる隣や正面のお客さんの質によっても、映画と映画館の印象というものはまるで異なる。
どんなに良質な環境が整っていても、隣のお客さんがバリバリボリボリとお菓子を食べ続け友人とことあるごとにしゃべり携帯の画面をしょっちゅう光らせていたら、最悪な鑑賞環境でしかなくなってしまう。
なのであくまでもそういったミズモノの判定しかくだせないのだけれども……ユナイテッド・シネマとしまえんは当たり!
15時40分の上映回という微妙な時間帯も幸いしたのかもしれない。
最後まで一度もイラつくことなく鑑賞できた映画館というものは……本当に滅多にないからだ。
 
ちなみに僕の独断と偏見による映画館の良質な客層基準。
・その地域に映画文化が根付いており観客のマナー全般がキッチリしている
・座席中央近辺の人は予告編がはじまる前に既に着席している
・エンドテロップが完全に終わり劇場内が明るくなるまで席を立たない人が多い
 
これまた独断でしかないのだが、都心からちょっと離れた場所のシネコンで、時間帯や曜日によって割引サービスが充実しているような映画館は良質な客層を期待できる気がする。
 
 
さて前作「ジュラシックワールド」を観た直後の3年前の感想はこちら。
 
久々に読み返してみたらば……
かなりあっさりとした紹介とネタバレガード後も比較的サッパリで、ちっとも濃くない(笑)
 
なので今回もネタバレなしのあっさり系を意識してみよう。
(の割には随分と長い前置きだなぁおい)
 

 
まずは注意点から。
今作は前作「ジュラシックワールド」の続編なので、もちろん前作を見ているに越したことはない。
だけどもまぁ…見ていなければないでそこまで問題もないだろう……んーでもやっぱりどうせ観るならレンタルなどで見ておいた方がよいかも。
登場人物相関図的には主人公の二人はそのままの関係で出てくるし、25年前の設定もしっかり出てくる(ジュラシックパーク創始者とその一族といったカタチで)。
がこれは往年のファン向けのサービスのようなものなので、前作のジュラシックワールドさえ見ておけば一応は問題ないし、何も知らなくてもまるで話がわからないということにもならないだろう。
 
そして今作の注目点は……
やはりというか、このシリーズはラプトルにはじまりラプトルに続くんである。
表層的なイメージでは圧倒的にT-REXの存在感が大きいのだが、ちゃんと映画を見た人ならば誰もが思うところの「一番怖かった恐竜は?」という問いかけに対する答えの恐竜だろう。
画面の中ではむしろ小型に見える恐竜だが、人間よりもひと回り大きい肉食恐竜だ。
そして非常に頭が良く、群れで行動をし、狙いを定められたらT-REXの比でなく逃げられない。
まさにハンターというべき恐ろしい存在こそが、ヴェロキラプトルなのだ!
 
 
格闘家マニアの友人のジュラシックパーク鑑賞後の感想が忘れられない。
「俺が熊に勝てる可能性は1%ぐらいあるかもしれないが、ラプトルにはまずどうやっても勝てない」そうだ(笑)。
 
公開3年が経過しているので前作に関してのネタバレ発言をここでしてしまうが、前作は調教されたラプトルを人間の味方につけてしまう話であり、ラプトルの群れのボスが「ブルー」だった。
 
前作の調教中のシーン(画面中央がブルー)
 
そしてこの「ブルー」が今回再登場をするのだが……
この子からとにかく目が離せない!
 
ブルーさえ無事ならばあとはもうどうでもいい!
憎たらしいオッチャンがどんな食われ方をされようが知ったこっちゃない!
なによりもブルーが大切!どうか死なないで!
 
と思えるほどに、彼女を中心にストーリーを追っていた。
(英語のヒアリングは得意ではないのだけどもブルーは全般的に「she」と扱われていたし、ジュラシックパーク内の恐竜は基本全部メスである)
 
これはカタチを変えた親子の物語であり、そしてカタチを変えたゾンビモノでもあった。
今作はこれまでのシリーズの中でも「わかりやすくワルモノ」が多数登場するのだが…もうね、その憎たらしさがハンパなくただただ憎たらしくて、まるでゾンビ映画の中での「こんな奴はゾンビに食われてしまえばいいのに!」と呪いたくなるレベルのイヤなヤツさ加減甚だしい憎たらしさなのだ。
日本語変だけどそれぐらい憎たらしく、そして観客の期待を裏切らない展開がしっかり用意されているので見逃さないようにしよう。
 
あとは何といっても今作のマルコム博士がとにかくカッコイイ!
旧作では恋多き迷える哲学者だった彼も、今ではすっかり政府を導くような立場になり……そしてラストのセリフは、、、「第1作のメイキング映像のリスペクトなのか?」と思えるほどに「スピルバーグが第1作で一番アガる一言」だったセリフをまんまオマージュしているのだ。
まぁこの辺りはマニアックネタだろうけれども、それとは別にというか、ただ単純に視界いっぱいの大迫力を是非スクリーンで確認してほしい。
逆にこの作品は、、、家のテレビとか飛行機の機内映画とか、あろうことかスマートフォンのちっさい画面とか?( ´,_ゝ`)プッ 
そういうのでは見てほしくない映画である。
ライヴの迫力を知っている人ならわかりますよねぇ?←謎の煽り
 

そして既に「ジュラシックワールド/炎の王国」を鑑賞した人と感想を共有したいので、この先にネタバレガードを設置する。
この映画を観る予定があってネタバレを回避したい人は、ここから下は決して読んではいけないし「なんでそういうこと書いちゃうんですか?楽しみにしていたのに!」とか後からクレームをつけるのも禁止である。
映画を楽しみたいと思う人は見終わってからこの先に進んでほしい。
 
 
 
 
まず感じた違和感について。
映画がはじまって割と序盤にいきなりクライマックスが来るようなストーリー展開が斬新すぎた!
え?こんなスペクタル映像を序盤でやっちゃって、後半までもつの?と思ったのが一点。(結果としてはなんの問題もなかった)
もう一つは前作「ジュラシックワールドから4年後の話」ということなのだけども、それにしては時間の経過感がハンパない。
たった4年でパークがあそこまで荒廃してしまうのも、前作のラストでT-REXに敗北したインドミナスがあそこまで見事に白骨化しているのも、早すぎやしないか?
さらにそこからDNAを回収してインドラプトルができあがるスピードは輪をかけて超早すぎないか?と思ってしまったがいかがだろうか?
 
この辺りの時系列というか正確な時間軸がイマイチ不明瞭だったような気もするけれど、モササウルスが相変わらず元気だったのは、食べられた人には申し訳ないがちょっと笑ってしまった。
 
あと今回本当にT-REXが脇役っぽくて、つじつま合わせ的かつ帳尻合わせ的にのみ存在しているようでそこだけちょっと残念だったかも。
ブルーの輸血のためと、結果として主人公の窮地を“偶然”回避するのみだったように思う。
 
 
そしてブルーの赤ちゃん映像に萌えてしまってたまらなかった!(//∀//)
あれは反則!子猫の動画を貼ってアクセスを稼ぐぐらい反則!
可愛い可愛い可愛い!
しかしストーリー的にはメイジーがその記録動画を見たことによって、汚れた大人だらけの現実に絶望させられた状況下で出会ったオーウェンをすぐに信頼することができるという回収もされていて素晴らしかった。
 
で?
実際この話ってこの後どうなっちゃうんでしょうか?(;^_^A
 
「ドラえもん」にとても印象的な話があって、「怪傑ライオン丸」的な漫画を連載している漫画家がネタにつまってついつい主人公を殺してしまう。
ラストのコマで「ギャアアアア!」つづく!みたいな?
そこで読者は漫画に釘付けになり、「一体次週はどうなってしまうんだろう?」とワクワクドキドキと興奮するわけなのだけども、漫画家はネタに詰まり勢い余って主人公を殺してしまっただけで、実のところ次の展開を全く考えていなかった。
ネタに詰まったまま苦し紛れに新たなヒーロー「お獅子仮面」が登場するという展開でお茶を濁すものの、付け焼き刃の筋書きなので当然長続きもせず、全く同じパターンでお獅子仮面も早々に「ギャアアアア!」と殺されてしまう。
そして次のヒーロー「お鍋仮面」がさらに登場するのだが……!?
 
といった“行き当たりばったり感”のようなものを感じざるをえないぐらい……
 
え?本当にどう回収するの?
 
と思ってしまったかも(笑)
まさか100億円規模の予算で作られている映画が「実は次なんにも考えてないんだよね〜」ということもないだろうけれども……心配になってしまうんである。
 
そしてDNAをもてあそんだ人類の驕りがそのまましっぺ返しのように人類に戻ってくるという構図こそが、ジュラシックパークシリーズの普遍的なテーマではあるのだけども、ついにそのDNA技術が人間にも適用されてしまった。
なんか不自然なまでに親子関係を遠回しに表現しているなぁと思ってはいたのだけどもなるほど!
この辺りは今後重要なテーマとして扱われるのか、今回恐竜を解放する目的のためだけの設定だったのか、その辺りも気になるところではある。
 
以上!
長!

透明な恐怖

怖さを味わうメディアは様々あるが、ホラー映画やジェットコースターというものは初心者向きだと思う。
なぜならば一度始まってしまったら本人の意思とは否応無しに最後までノンストップで進むから。
 
これが不気味な絵本や怖い小説だとどうだろう?
 
自らの意思でページをめくることでしかストーリーは進まない。
つまり恐怖を選択し続けなければならないのだ。
同様にバンジージャンプや自力で歩かなければ先に進まないお化け屋敷にしても、より上級者向けの恐怖嗜好であることがわかる。 
さらにこれはゲームにも言えることで、「バイオハザード」を初めてプレイした時に「怖くて先に進みたくない。扉も開けたくない。安全な場所でひたすら助けを待つという選択肢がなぜないのか?」と真剣に呪ったものだった。
(開けたくないよ実際こんな扉。尚今回のテーマではこの画像よりも怖い映像はないので安心していただきたい)
 
スティーブン・キングの小説などは本当に読み進めるのが嫌になってくるほど怖くて、「ここでやめてしまったらどんなに楽なことか」と思ったりしながらも、怖いことが起こるとわかりきっている扉をソッと開けて読み進める姿勢が基本だ。
 
そんなホラー好きのみなさんがドMかつ確固たる強い意志の持ち主であることは間違いないだろう。
 

さてここ数回のブログで不気味な童話についての考察をしていくうちに、それらの物語の魅力の根源である「怖さ」というものについてより深く考えてみた。
同好の志と語り合うのも楽しいが、一人脳内自分会議をするのもそれはそれで楽しい。
 
「恐怖」と一言でいってもその種類は様々だ。
 
最も低レベルな恐怖感は、生理的嫌悪感を刺激されたり「バン!」と突然脅かされるような原始的な本能を刺激させられるような恐怖だろう。
見るに堪えない残虐な映像や、嫌いな昆虫が大量に出てきたりされるとどうにも抗えない不快な気分になる。
これらはある意味で「反則」だが、ホラー映画で敢えてこれをやらない映画は……やはり少ない(笑)。
なにしろこれらの怖さは「鉄板」だ。
これをやらずにいられない仕掛け人を責める気にはなれない。
 
しかし我々にしても対抗策というか、振り向いた瞬間に殺人鬼がいたりする「オドカシ系」については、慣れるに従って次第に楽しくなってくるようだ。
恐怖の対象が登場するのに十分な余白のあるカメラアングル、満を持しての登場に合わせた音楽のタイミングなどの「お約束感」は独特のグルーヴを感じられるようになり、次第に心地よくなってくる。
このグルーヴを天才的に操る監督の一人が例えばサム・ライミ氏で「死霊のはらわた」などは、そのあまりの怖さが最終的には笑けてくる不思議な映画だ。
(怖い画像しかないのでここは「ギャーッ」で代用するが、楳図かずお氏のマンガもまた笑いと恐怖の同居した独特の世界観を確立している)

そのさらに半歩上を仕掛けてくる映画は当然「より怖い」ホラー映画となる。
 
人間が恐怖に対して構えている時は「息を止めて見守っている状態」になるわけだが、大丈夫と思った瞬間に虚をつくように脅されたりすると、これは心底ビックリさせられてしまう。
このフェイント技をやられると、ホラー映画好きの僕であっても「うわぁ!」と情けない声を上げてしまう。
最近見た映画の中では「インシディアス」などはアクセントのタイミングがいちいち読めなくてビビらされた映画だった。
 
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これらの定番の怖さと違ったさらにもう一段階上になるような心理的な恐怖感。
僕が一番好きな恐怖感覚は、やはり「透明な恐怖」と言うべき、実態のない掴みどころのない精神作用だ。
「得体の知れない」「理由はわからないけど怖い」といった説明の難しい感情こそに最大の怖さを感じている。
 
例えば街を散歩していて、その家の前を通るたびにいつも不吉な気分にさせられたとしよう。
奇妙な感覚だがなぜと言われても説明ができない。
だけどもなにかの違和感?怖さを感じてしまう。
多かれ少なかれそういった思いをされたことは誰にでもあるのではないだろうか?
(アメリカの「呪われた家」とくればこっち系でキマリだが…)
 
さらにその後古い新聞記事からその家でかつて殺人事件が起こりずっと空き家になっていたことがわかってまとめてゾゾゾっとさせられたとしよう。
 
この場合、後者の「原因がわかった瞬間の恐怖」が「論理的恐怖」に対し、前者の「理由はわからないけどなぜか怖かった」という恐怖、「得体の知れない怖さ」「張り詰めた雰囲気」「凍りついた空気」といったような表現をされる怖さこそが「透明な恐怖」だと個人的に思っており、そう命名している。
 
尚こういった第六感的な恐怖感というものが、実は無意識化の中で怖いことを既に知っていたけど忘れているだけ、といったことが圧倒的に多いであろうことも含めて「透明な恐怖」として分類される。
「直感」こそ記憶の蓄積、経験則によって生み出されるものだと思うからだ。
 

このブログでは過去にも実体験を元にした怪談などで数度語ってきていることではあるが、「恐怖」とは本来瞬間的なことであり辻褄の合っていないことである。
 
例えば知らない番号の着信が毎日決まった時間にくる。
気味が悪いから電話には出ない。
出たら最後1週間後に殺される「呪いの電話」だったら典型的なホラー映画になるが、現実のほとんどでは「街でナンパされたけどメンドーなので適当に教えた番号に律儀に毎日かけ続けているおバカな男の子」だったりが関の山だろう。
 
部屋に置いてある人形の顔の向きが毎日微妙に変わっているような気がする……
 
そんな些細なことも「透明な恐怖」は大好物な題材となる。
現実的には本人の過剰な思い込みだったり、あるいは家人が隅々まで掃除をする潔癖さんだったりするのだろうが、これが一人暮らしの女子のワンルームマンション内だったりすると、やはりホラー傾向が一気に高くなってくる。
変態大家さんが合鍵を使って毎日侵入していた痕跡だったりすると、それはそれでもはやホラーなんて言ってられない別の恐怖になってしまうが、なかなかどうして人形自らが意志を持って動いているといったファンタジー方向に発展することは稀だろう。
(ピンヘッドとゾンビと綾波レイが同居している僕のピアノの上だが、彼らが日々微妙に動いていてもまず気がつかない自信はある)
 

仮に霊的な存在が懸命にアピールをしていたとしても、できることが微々たるものでしかなかったら?
 
以前ZEPP福岡の楽屋でコンタクトレンズのケースが裏返るという微妙な違和感にこの「透明な恐怖」を感じたことがあったのだが、多くの場合はスルーされてしまうぐらいの弱々しい主張なのかもしれないし、その時に思ったことでもあるのだが、ほとんどの人には笑い飛ばされて終わってしまうことらしい。
http://jinxito.com/2016/01/26/backstage/(←久々に読み返したら書いた本人が「妖怪の仕業」で結論付けていて思わず笑ってしまった)
 
そうか!妖怪の仕業とすることで「透明な恐怖」は全部ほっこり系に打ち消すことができるのか!
 
……いやいやいや!それは本意ではない。
「透明な恐怖」を突き詰めて追い詰めてスタイリッシュな物語を作りたい!という本人の創作意欲まで打ち消してしまってはいけない(笑)

原点回帰

スターウォーズの話題が出たところで、再び自分視点の変な原点回帰をしてみたい。
僕がスターウォーズを初めて見たのは小学5年生の時、埼玉県幸手町(現幸手市)にあった幸手劇場でのことだ。
その時に観たエピソード4の話をしたいのではない。同時上映されたもう一つの映画についてだ。

若い世代にはピンとこないかもしれないが、大昔の地方の映画館では「2本立て、3本立て」という映画の上映が半ば当たり前の風習となっていた。
今のように封切りと同時に全国一斉ロードショーというわけにはいかなかったのだ。
配給されるフィルム数には限りがあり、地方劇場に中古のフィルムが回ってくるのに早くても3ヶ月、遅ければ半年以上待たされていたのだ。……ピンとこないかもしれないけれども(笑)
その代わりと言ってはナンだけれども、地方劇場に特典がないわけでもなかった。それが「2本立て、3本立て」といった同時上映だ。

僕の小中高の映画遍歴に多大なる影響を与えてくれた「春日部文化劇場」は実にナイスな同時上映のチョイスに長けていた映画館で、「シャイニング」と「殺しのドレス」といった正統派ホラー映画チョイス、あるいは「クラッシャージョウ」というアニメ映画になぜかシルベスタ・スタローン「ランボー」を持ってくるなどの「おいおい君たちアニメだけが面白い映画ってわけじゃないんだぜ?」的な映画教育をしてくれるような映画館でもあった。

はたまた「バーニング」「アメリカンバイオレンス」といった過激なホラー映画を2本乗り越えたご褒美として「甘い体験」という、今思えば完全に18禁ポルノとしか思えないエッチな映画が同時上映されたりして、中学生男子を大いに悩ませ劣情を催された思い出もある(*´艸`) 。


ところでこのブログを度々読んでくれているみなさんならば僕がホラー映画好きであることに薄々感づかれているかもしれないが、そんな僕にも「初体験」は当然あった。
僕のホラー映画デビューは、まさしくこの「スターウォーズ エピソード4」の同時上映で半ば強制的に見る羽目になった、ダリオ・アルジェント監督の「サスペリア2」だったのである!(どどーん)

なかなかぶっ飛んだセンスをした同時上映だと思う。なぜ「スターウォーズ」と「サスペリア2」?

サスペリアといえば「決して一人では見ないでください」というキャッチコピーが話題を呼び、もしも劇場鑑賞中にショック死をしたら保険金1000万円が降りるといった「絶叫保険」がさらなる話題を呼んだ映画である。
アメリカでは実際3人がショック死をしたらしい……というまことしやかなウワサが広まった映画である。(多分というか間違いなく誰も死んでないとは思うが(笑)

その続編とされる「サスペリア2」のキャッチコピーはこうであった。
「約束です!決して一人では見ないでください」
このコピーを考えた人はよほどの天才なのかひどく手抜き人間なのか判断に迷うところである。
「またハートに火をつけろ!」的な?(笑)

しかしそんな恐ろしい映画がなぜ同時上映!?ボクは単純にスターウォーズという話題作を見たかっただけなのに!
怖いことが大嫌いなサイトー少年は心底この同時上映を憎んだ。呪った。できれば見ずに帰りたい。
しかし昭和50年代の小学生がなけなしの小遣いで映画館にみんなで来ているのである。自分一人棄権するのはあまりにも空気を読まなすぎというか……女子も数名混じった中でとても許される雰囲気ではなかった。

そして「スターウォーズ」上映後に数分の休憩を経て「サスペリア2」の上映が無情にもはじまる……
僕のホラー映画デビュー作品だ!

結果は……惨敗!

あまりにも恐ろしすぎて上映時間のほとんどを指の隙間から見ていたように思う。
しかも勇気を奮って正視した瞬間に限ってことごとくショックシーンを見てしまうような?
断片的に見た恐ろしい映像の数々はその後数ヶ月にわたって僕を苦しめた。
・夜寝るときは部屋の明かりをつけた状態でないと寝られなくなった
・家族が寝静まった後にはもはやトイレにも行けなくなった
・エレベータードアの半径50cmに立てなくなった(映画内の凄惨な演出的に)
・元々苦手だった西洋人形が心の底から嫌いになった(不気味な人形がキーアイテムとして用いられている)


といった我が生涯トラウマ級の「サスペリア2」を小学5年生の時以来、この正月実に40年ぶりに鑑賞することになった。Huluにあったのだ。
本当はスターウォーズをエピソード1から順番に見る予定だったのに……僕のファーストスターウォーズの同時上映作品を同時に見つけてしまい、なぜかそっちの方をどうしても見たくなってしまったんである。

結果は…うんさすがに小学5年生の頃と比べればホラー映画に対して十分すぎる耐性がついているので最後まで正視できたものの…
やはり小学5年生でこれは……無理もあるまいと思うような作品ではあったかなぁ?
「ビー玉と毛糸と首吊り人形」といった犯人の狂気を表現するイメージシーンの恐怖感が、40年の時を隔てて蘇ってきたのはむしろ感動的ですらあった。

そうそう!このシーンがあまりに怖くて泣きたくなったんだよぉぉぉぉ!

自分の中ではそういった本筋とは関係のない抽象的なシーンがふんだんに使われていたイメージがあったのだが、実際に見てみると1回のみ。あれれ?

……やはり、恐怖のイメージというものは増幅をする!
これは些細な出来事から起承転結の構成をした怪談が生まれる原理と同じだろう。

幼かった自分の恐怖心を懐かしく思い出しながらも、「ここからホラー映画を克服すべく立ち向かっていくのは3年後、中学2年生以降だったなぁ…」といった遠い日の記憶がさらに蘇ってきた。

昔観た映画の再鑑賞はそんな心情的特典もあって楽しい。


尚、この「サスペリア2」だが「サスペリア」とは全く関係のない映画であることにも触れておかねばなるまい。
それどころか「サスペリア」よりも前に作られた作品であり、魔女の支配する名門バレエ学校で女子生徒を生贄にするという内容のオカルト映画である「サスペリア」に対し、「サスペリア2」は大昔の事件を隠すために何者かによって連鎖殺人が引き起こされるというサイコスリラー系のお話だ。
原題も「DEEP RED」というタイトルで、本当に全く関係性がない。

今では考えられないような話のように思えるが、勝手に続編に仕立て上げたり、トンデモな邦題をつけられたりといったことが、ホラー業界では今でも当たり前のように繰り返されている(笑)。

 

スターウォーズ、ウォーキングデッド、見たい続きモノ目白押しのHuluではあるが、限られた時間の中で少しずつ見ていきたい。
「サスペリア2」など見ている場合ではなかったのだが、つい本能のままに見てしまった(笑)。

……スターウォーズエピソード1〜6の限定期間は1月19日まで!急げ!

STAR WARS 最後のジェダイ

最初に宣言、基本ネタバレなし!
 
ようやく観る機会に恵まれた。
TOHOシネマズの六本木ヒルズ7番シアターに来るのは何年ぶりだろうか?
ここのスクリーンは過去に様々な名作をたくさん観させてもらってきたが、DOLBY ATMOSとTCXが導入されてからは初めてだ。
(僕はこういうデモ映像に昔から弱い)
最近は3Dメガネが苦手になってきており、できれば巨大スクリーンの2D鑑賞が望ましい。
やはりSTAR WARSを観るからには自分にとってベストのコンディションで観ておきたいのだ。
これは劇場選択だけでなく、それこそ自分の身体や周辺環境も重要だ。
公開から3週間、満を持しての鑑賞となった。
 
 
面白かった!
そしておそらくは……
シリーズ最高傑作!←宣伝文句ではありがちだけども(笑)
 
過去のスターウォーズのレビューを遡られるとたちまちバレてしまうので自分から白状するが、僕はこのシリーズに「奥深さ」のようなものを感じたことはこれまでなかった。(ちなみに前作「フォースの覚醒」レビューはこちら→http://jinxito.com/2015/12/25/star-wars3/
 
父と子、師匠と弟子、帝国軍と反乱軍、といった相対する中での葛藤はあるのだが、いかんせんその範囲が狭くて「実は親子でした、実は兄弟でした」といったある種反則のような展開が繰り返されたドラマでもあったからだ。
前作のエピソード7でも「またかよ……」と思わざるをえない「実は親子」が早々に炸裂した。
そうなってしまうと当然、今回の「レイ3部作」における主人公レイも、既に登場済みのキャストの極々限られた範囲の中での娘であることが確定したようなものではないか。
 
ところが……
 
といった意外な展開が起こり、「それにしても言葉のアヤとか物語を錯乱させるブラフなんでしょう?」といった疑念が湧いたりもするのだが、なにげないエピローグが挿入されて大いに混乱させられるのである。
 
うわー気になる!
 
そして!3部作中の2作目の中では文句なく「完結しているし続いてもいる感じ」として満足度の高い終わり方でした♪(エピソード5と2はひどかったもんなぁ……)
 
ってかね、、、深い!
初めてそう思えました!
長いけど(155分)すぐ終わる映画です♪
 
気になる方は劇場に急ぐのだ!
 
もっともこの映画、相変わらずというか、すっかり観る人を選ぶ映画になってしまっているように思う。
いきなりこれだけを見てもおそらくはチンプンカンプンなのではあるまいか。
シリーズも8作目となると、「全部見た人を前提とした演出や内輪ネタ」のようなものが当たり前のように出てくるし、それを当たり前のように受け止めていかないとおそらくは理解していけないことだろう。
 
急速に展開していったハリーポッターシリーズでも思ったことだけれども、シリーズが5作目を超えたあたりから映画の作り方もかなり変わってくるのだろうし、40年がかりで続いているシリーズともなるとなおさらのことだろう。
僕にしても「あれコイツ誰だっけ?」と思い出しながら見ている人物もいるし、「あぁそうだった」と前作の詳細部分が急に蘇ってきたりも多々ありだったし、おそらく理解度自体は70%以下のような気がする。(だからもう一度見たくなってしまうのだ(笑)
“フォース”というチカラの新解釈、30年篭って修行をしていたと思われるルーク・スカイウォーカーの別次元の“フォース”の凄さに滾りまくり、ジェダイの「選ばれしもの」という定義に新たな流れを生み出すシリーズであることをほのめかせた。
 
そろそろこのタイミングで自身まだやったことのない「エピソード1からローグワンを含む旧8作を、公開順ではなくエピソード順で見てみようか?と思っている。(なんとHuluで現在エピソード1〜6まで見られるのだ!7も12月は見られたのだけどねぇ)
全部で16時間ぐらいになるのだろうか?なかなか気合を入れないと実行できない。 
そんな野望を抱きつつ、 
 
次のエピソード9が今から楽しみである♪
 
とひとまず思える自分ではあるが、逆に言えばこうなったらもう意地で最後まで付き合うしかないんである(笑)
どうか自分が死ぬまでは完結してくれますように!←案外笑えないかもしれない
 
 
おまけ:
 
最後に悔しい出来事が!
都会の映画館の悩みどころといえば……そう、チケット代以外に駐車場代もかかるということ。
港区六本木に車を3時間停めさせていただくというのはそれ相応の料金がかかるのだけれども、しかし裏技的に映画館が併設されたこういった施設はなぜか「映画鑑賞の方は3時間サービス」といった太っ腹な設定がされており、そのおかげで今までは大手を振って映画を観に来ることができていたわけだが……
帰りに精算してみたらば1800円?
あれれ?映画館の受付でちゃんと登録されなかったのかな?と思って劇場に引き返して尋ねてみたらば……
六本木ヒルズのシステムがいつの間にか変更になっていたらしく、映画館特例は23時以降のレイトショーのみの適用になっていたそうだ。
なーんだしょんぼり、と駐車場に引き返して再度清算したら2100円。
劇場に引き返してしょんぼり戻っている往復でまた高くなってしまったようだ。
(2分オーバー、きぃ!悔しい!)
 
……映画のチケットよりも高額な駐車場代になってしまったではないか!(´Д`)
こんなことなら郊外のIMAXで見るんだった!←
 
というか……3Dや4Dはもうこれ以上はいらないから巨大2Dスクリーンを世の中的にもっと増やしてくれー!
 
おっちゃんもう90分以上の3D映像は目が疲れてしまって見てられんのじゃー!←今日一番の主張はここ

映画の中のBIJIN

「ブレードランナー2049」に登場するホログラムの恋人ジョイがとても可愛らしく美しいと思った。
演じているのはジョイアナ・デ・アルマスというキューバの女優なのだが、改めて画像検索をしてみると……
あれ?ジョイのイメージとはちょっと違う。
美しいには違いないのだが、映画の役を演じている彼女と実際の彼女には小さくない隔たりを感じる。
これはむしろ役者冥利に尽きる最大限の賛辞であると言えるだろうし、役者は監督の力量によって自在に美しくもなり、また時には恐ろしくもなれるのだとも思う。
(ジョイは主人公の都合の良い願望を叶えてくれる究極のバーチャルガールフレンド。露骨なまでに「萌えるシチュエーション」を仕掛けてくる)
洋画の中の美人では珍しく日本人でも素直に「萌え〜❤️」となれるキャラクターであろう。
男子諸君は是非ドキドキしていただきたいと思う。
 
 
対照的な美人も挙げてみたい。
こちらは「ザ・マミー」で呪われた女王を演じたソフィア・ブテラである。
ジョイアナ・デ・アルマス同様、画像検索をかけると……やはり映画の中のイメージとは違う。
役者人生は楽しそうであり、映画監督という仕事は偉大なのだなぁと改めて思ったりもする。
 
細川智栄子原作「王家の紋章」の実写版をハリウッド資本で撮るなら、王女アイシスは彼女で決まりだ!
 
さてこの呪われた女王、美しいのは大変結構なことなのだが、映画を見ていて大きな問題が生じた。
それは、一点の曇りもない徹底的なまでの悪役にも関わらず、そのあまりの美しさゆえについつい自分がこの悪女を応援する立場に回ってしまうのだ(笑)
加えて映画の中のヒロインはいまいちパッとせず、トムクルーズもワガママで横暴なキャラなのでシンパシーを抱けない。
さらに呪われた女王は野望を抱いて悪魔に魂を売るようなことをしたとはいえ、悲惨かつ無念の最期を太古の世界で遂げており、見方によっては(あくまで贔屓目な視点においては)可哀想にも思えてしまう。
見ている我々が「うんうん人類に対して怒るのもわかるわかる。どんどん復讐しちゃいなさいよ!」となってしまうのも無理はあるまい。
 
 
ダークヒーローやヒールと呼ばれている本来の悪役が、時に主役を食うような映画というものはそんなに珍しくもないだろう。
しかし見ている側は共犯的な共感を部分的にするとはいえ、本来の筋道までは見失わないものだ。
スパイダーマンやバットマンに出てくるドクターオクトパスやハービー、デスラー総統やシャア・アズナブル大佐などの味のある悪役キャラたちであっても、我々の中で「正義ではない」という大前提が覆ることはない。
どんな大義があるにせよ、地球に遊星爆弾やコロニーを落とすのはよくないことなのだ(笑)
 
ところがこの呪われた女王の場合は、困ったことに最終系の恐ろしいルックスに変貌してもなお美しく、真剣に復活してもらいたくなってしまうほどの悪魔的な美しさなのだ。
悪い人だということはわかっているし、復活したら世界がとんでもないことになっちゃうのもわかっているのだけれども……彼女が滅びてしまうのはイヤだ!死んでほしくない!人類は彼女に支配されてしまえばいいのに!
 
 
ああ!こんな恐ろしい姿になっても尚、美しいと思えてしまう。こんなBIJINになら憑り殺されてもイイ!
という監督の溢れる想いがビンビンに伝わってくるのだ。←と監督のせいにしてみる(笑)
しかし最大限好意的に解釈はしているものの、全体のバランスを考えるとそこまで悪役を美しく描ききってしまうというのは、映画監督の技量としては少々疑問に思う点がなくもない。
本来ならばヒロインこそ美しく描ききらなければならなかったはずだろー(笑)
 
 
ところでこの「抗えないBIJIN」という感覚は前から知っているぞ!
と思ったのだが、すぐにその答えがわかった。
これはきっと怪談「牡丹灯籠」のお露さんである。
 
「牡丹灯籠」は、「番町皿屋敷」「破られた約束」に並ぶ古典怪談の傑作だと僕は思っているのだが、要約すれば「美しい幽霊に取り憑かれて殺されてしまう男」の物語だ。
牡丹灯籠のオリジナルは落語なので噺家の力量にもよるのだろうが、登場する幽霊のお露さんはそれはそれはイイ女で、薄々奇妙だとわかってはいながらも毎晩逢瀬を重ねてしまう主人公新三郎に対して「それだけのイイ女ならば無理もない」と誰もが思ってしまうような、男のサガをくすぐる物語でもある。
(「全然怖くない怪談シリーズ」と本人が自虐的に紹介しているが、魔夜峰央氏のホラー描写は凄く怖いと思う。恐怖と笑いには共通点が多いのだと実感できる)
 
もしも貞子がセクシーな幽霊だったら?呪い方もムフフな手段で……とか思うと血も凍るようなホラー映画もだいぶ楽しげに思えてくるではないか(笑)
 
調べてみたら本当にそういうエロマンガもあった(笑)
 

 
話が逸れた(笑)
 
ところで1枚の写真だけをみて誰しもが即「美人」と判断するケースは案外少ないように思う。
上に示した女優さんたちの写真にしても、映画を見た人と見ていない人では感じ方がまるで違うと思われる。
呪われた女王の最終形態などは予備知識なしで見たらば恐ろしいだけかもしれないが、映画を見た人ならば僕に近い感情を抱いた方も多いのではないだろうか。
とはいえ、映画を見て「美しい!」と思った僕が、オフショット写真を見てピンとこないことからもわかる通り、あくまでも演じている役柄、つまり架空の人物に心を奪われていることになる。
例えるならば、どんなにトム・クルーズがイイ男であっても、じゃあ実物の彼に突如求婚されたらあなたは結婚できるだろうか?
……するか!そりゃするな!ってかしなよ!もったいない!(笑)
 
と論旨やら結論やらがグチャグチャになったところで今日の要点をまとめる。
 
○映画の中のBIJINとは、人物描写なども含めた表現者の熱い思いの集合体である。
○演じる役者はまるで別人であり、本気で憎たらしい悪役を演じたからといってその役者を嫌いになったりしてはいけない。美男美女を好きになるのは…好きにしなさい(笑)
○名監督の作品には案外美人が出てこない。スピルバーグ、キューブリック、キャメロン、黒澤明等の名作を思い返してもなぜか美人が出てくる印象があまりない。
 
ちなみに僕がこれまで見た映画で最も美しいと思ったBIJINさんは……
グチャグチャホラー映画「フェノミナ」のジェニファー・コネリーである。
可憐な少女役(当時15歳)なのだがとにかく美しい。
のは結構なのだが……彼女の後のキャリアからは到底想像もつかないようなひどいことをさんざんやらされている映画でもある。
グーパンチでぶん殴られるわ嘔吐させられるわ挙げ句の果てには……これ以上は恐ろしくて書けない(^^;
現在Huluで配信されているがとてもじゃないがオススメできない。
決して見てはいけない!いいな?言ったぞ?←(見てね)

ブレードランナー2049

年内のVAMPSの表立った活動が終了した。
これに伴いサポートメンバーである僕は、旅中心だった生活からしばらくは家に引きこもる生活にシフトすることになる。
すっかり慣れてしまったとはいえ、この生活のギャップはとても大きな振り幅だと思われる。
ずっといなかったかと思えばある日を境に今度は平日の昼間もブラブラしている謎の住人となるわけだから、近隣住民のみなさんにしてみればさぞや不審人物感満載なことであろう(笑)
早速別の仕事に着手したいところではあるが、積極的な営業力もなく基本怠け者の自分なので、「しばしの充電」と言いつつ事実上の「長期ズル休み」をしてしまうのが例年のパターンなのだが、そうも言ってられない世智辛い世の中である。
オフ期間は自身向上のための様々なことをこなしつつも……
 
関係各位の皆様!斎藤はしばらくヒマです!仕事あったらなんか振ってください!
人殺し以外なんでもやります!
 
……これで営業のつもりなんだろうか?(笑)
 

とは言いつつもせっかくのお休みができたところで先日「ブレードランナー2049」を観てきた。
 
以前このブログに書いたこともあるのだが、SF映画の金字塔的名作である前作「ブレードランナー」ではあるのだが、実のところ僕はそこまで好きな映画ではなかった。
しかし映画評論家はもちろんのこと、多くのクリエイターにリスペクトされ模倣されてきた名作であるという認識はあり、また映画好きの友人の誰しもが「あの映画は凄い」と言うので……これまでに何度も理解をしようと少なくとも5回ぐらいは見直したのだが……やはりそこまで凄い映画だとは思えなかった。
(押井守監督「攻殻機動隊」もまたジャパニメーションの革命的傑作と絶賛されているが、やはりこの作品も僕は今ひとつピンと来ていない。この手のジャンルは決して嫌いじゃないのに、またリドリースコットも押井守もそれ以外の作品は大好きなのに不思議な共通点だ。ちなみにこの二作品の影響を色濃く受けたと思われる「マトリックス」は大好きな映画である)
 
18歳の時に友人宅のビデオ(Betamax)で見た初見から32年が経過した今、35年ぶりの続編を鑑賞するにあたり、おそらくは6回目ぐらいとなる「ブレードランナー」をまずは10年ぶりぐらいに見た。
そして意外にも「あれ?面白いぞ」と素直に思ってしまう(笑)
これだから映画というものはわからない。
このタイミングになってようやく魅力を理解することができたと同時に、今までピンとこなかった理由のようなものも一気に判明した。
 
○前評判、予備知識といった期待値が非常に高すぎた。
○「ブレードランナー」という語感にもっとカッコイイ何かを求めていた。
○エンターテイメント要素満載のド派手な内容を期待してしまっていた。
○絶賛されている芸術性がなにかを探すように見てしまっていた。
 
見返すたびに僕はこういった「期待値」の確認を繰り返していただけだったのだ。
しかし今回の旧作の見直しは新作を見るにあたっての予習というか復習というか確認のためだったので、そういった期待を一切せずに見始めた。
完全なる素、ナチュラルな精神で初めて見た「ブレードランナー」は意外すぎるほどに面白かったのだ。
もしも初見時が「ほう、リドリースコット監督でハリソンフォード主演のSF映画なのか」程度の予備知識だけだったならば、あるいは32年前に純粋な面白さに気がつけたのかもしれないなぁ…と思ったりもした。
 
そしてその続編である「ブレードランナー2049」を観るときに強く念じたことは……言うまでもなく「過度の期待をしないこと」であった(笑)
 

「ブレードランナー」だけに限らず、こういった近未来を描いた作品には特有の宿命がある。
それは、リアルな時代の経過によって、オリジナル作品で描かれた「未来の世界」が現実とはだいぶ違う方向性になってしまうということだ。
その中でも「どうして誰も想像できなかったのだろう?」と思う筆頭は……やはり携帯電話の普及だろう。
退廃的な傾向の強い「ブレードランナー」ではあるが、車が空を飛んだり人間と区別のつかない精密なサイボーグ(レプリカント)などの科学技術は、今我々が生きているリアル世界よりもだいぶ未来を行ってる。
しかしスマートフォンはおろか携帯電話すら存在せず、液晶テレビも開発されずにブラウン管のままで、コンピューターに至ってはグリーンディスプレイ、OSはテキストベースでGUIでもない。
現実の2017年の視点から見ると、1982年に描かれた「2019年」はだいぶ違う方向の未来描写になってしまっている。
 
この錯誤感覚はサイバーパンクというよりもスチームパンクに近い感じがする。
スチームパンクとは「もしも電気が発明されないまま蒸気機関のみで人類が進化をしていたら?」といったIFの世界観で、歯車と蒸気機関の組み合わせによる巨大な機械とか計算機とか飛行船のイメージだ。
(「パタリロ」に登場する「ガステレビ」なんかもある種のスチームパンクだろう(笑)
 
「天空の城ラピュタ」などは明らかに古い時代のような描かれ方をされつつも、巨大な飛行艇が空中に静止しているといった、現代文明では説明のできないような一部突出した技術が同居した世界だ。
 
「マトリックス」にしてもおそろしくレトロなダイヤル式の黒電話が登場するが、それを物理的に歯車で操作して高度なプログラムを転送するといった表現がされていたりした。
(マトリックスといえばやはりこの画面ははずせない) 
 
僕はこういった「来なかった未来・レトロフューチャー」が大好きで、以前にもこのブログで何回かに渡って語らせてもらったことがある→
 
我々が過ごした35年間の現実世界の進化によって、「ブレードランナー」の世界観はだいぶイビツな未来となってしまったわけだが、クールな世界観を壊すことなく続編でそこをどう表現していくのか?
 
僕の一番の興味はそこにあった。
 
(「来なかった未来」の世界観を今カッコよく描くのは非常に難しいと思われる)
 
これがダメダメな映画になると、都合の悪いことは「なかったこと」にして仕切り直してしまう。
近年で一番違和感を感じたのはやはり「スターウォーズ」のエピソード1だろう。
この映画はエピソード4の32年前という設定なのだが、出てくるロボットも宇宙船も映画表現的にも、全てが明らかに「未来」になってしまっていた。
1977年公開のエピソード4から22年が経過し、SF映画の表現は別次元の進化を遂げたわけだが、それは同時に前作の世界観を否定しかねないほどの悪魔的進化だったと言えるだろう。
極端なことを言えば昭和の時代にスマートフォンがあるような違和感を画面の節々に感じてしまう。
(その一例。30年前の方が別次元に文明が進んでいる矛盾)
 
もしも「スターウォーズエピソード1」が単作だったら何の問題もないのだが、続きモノでこういった矛盾を感じさせるのは許されない。
これは「さらば宇宙戦艦ヤマト」で主だった登場人物がみんな死んでしまったにも関わらず、続編「ヤマトよ永遠に」では全員がシレッと生きていたぐらい許されないことだ。
子供ながらに「ひどいなこれ」と思った、まさに「なかったこと」の代表格に匹敵する(笑)
(その後「ヤマトよ永遠に」「完結編」「復活篇」など無尽蔵に続編が制作され、挙げ句の果てには「さらば〜」以前に死んでいた沖田艦長までもがついでにサイボーグ化して復活した(笑))
 
さぁブレードランナーはどう乗り切るのか?
 

結論を言えば「ブレードランナー2049」は素晴らしかったと思う。
我々の住む世界とは別のパラレルワールド、あくまでも「来なかった未来の延長線上の未来」がダイナミックに描かれていた。
前作への敬意を感じると同時に、独特の世界観にさらなる説得力をもたらせてくれていた。
ブラウン管はブラウン管のまま進化を続け、コンピューターもレトロデザインのままで進化をしているような表現を堂々とやりきっていた。
 
「人間そっくりのレプリカント」の表現は、単純に人間が普通に演じれば演じるほどに「よりリアルなロボット」となる矛盾感に、面白みも感じた。
CGによる補正やちょっとしたアクセントによって、むしろレプリカントの表現は前作よりも退化してしまったのでは?と思ったりもしたのだが、もちろんそこを突っ込むつもりはない(笑)
 

ここへ来てブレードランナーの世界観が好きになってしまった僕ではあるのだが、やはり一度見ただけで全てを理解することは困難だ。
レビューや特集を熟読し、前作をさらに見直し、前作と今作の中間の時代を紡ぐ3本の短編作品を見直し、そしてもう一度劇場に足を運びたいと思う。
 
……と、ブレードランナーの画像を1枚も使用せず、またストーリーについてもほぼまったく言及せずに、あくまでもブレードランナーについて語りつくしてみた(笑)

ロメロ氏追悼と速報

敬愛する映画監督であるジョージ・A・ロメロ氏が現地時間7月16日に永眠されたというニュースが流れた。
日本国内ではそこまで有名な監督ではなかったかもしれないが、Yahoo!ニュースをはじめとする様々なネットニュースでは「ゾンビ映画の巨匠」と書かれていた。(NHKニュースにもなったそうだ)
 
(大きなメガネが特徴的な監督でした)
 
ロメロ氏がゾンビ映画の巨匠であることは疑いようもない事実であるが、それだけでなく映画界全体の活性化に大きく貢献した存在であるということを当ブログ「ピッツバーグ」という回で力説させていただいた。
 
 
今年の自分の誕生日にゾンビの聖地であるピッツバーグにいたこと、ロケ地訪問などは叶わなかったが熱いゾンビ愛を炸裂させることができたことなども併せて、「俺ってゾンビが好きなんだな」と改めて思ったものである(笑)
 
その時は「ゾンビ」「死霊創世記」「ランド・オブ・ザ・デッド」などを立て続けに見直したりもした。
本日旅先での訃報を聞き、オフ日ということもあって追悼にロメロ氏の映画を見ようとしたのだが……しまった、さすがに今回の旅では用意できていない!(ゾンビ愛に溢れていると公言してはばからない僕ではあるが、さすがに国内ツアーにDVDを常に持参するまでには至らない(;^_^A)
 
現在Huluで「ランド・オブ・ザ・デッド」は配信されてはいるが、2ヶ月前に見たばかりだしなぁ……(;^_^A
 
しまった!追悼しようといろんなことを書いたり見たりしようとしたのに、2ヶ月前にどちらも既にやり尽くしていたではないか!(笑)
 
 
ここは基本に立ち返って「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」を見たいところだが、さてどうしたものかと思っていたら…
 
あ……YouTubeに上がっている……
※ちなみにこの作品は様々な契約の関係上数年前から著作権フリー(パブリックドメイン)となっており、厳密なルール的にもYouTube等にアップロードされても違法にはならない作品なのである。
 
(超低予算で作られた16mmのモノクロ映画なのだが現代ゾンビ映画の源流作品であることは間違いない) 
 
というわけで今晩はホテルの部屋でロメロ氏のデビュー作をしんみり飲みながら見ることにしようか。
 
 
それと追悼の記事などを辿っていたら凄いことがわかった。
Twitterでは「(ロメロ氏の)新作を観ることはもうできないが」と書いたが……
 
新作があったのです!
 
製作総指揮を務めた最新作品、
ロード・オブ・ザ・デッド
キタ━━━(゚∀゚)(゚∀゚)━━!!!!
 
 
 
是非とも日本公開もして欲しい!

類似タイトルに注意

Twitterのリプライに誤りを発見したので注意しておくことにする(笑)

シャインとシャイニングはともかくとして、非常に多い間違いが「フェノミナン」と「フェノミナ」だ(笑)

ジョントラボルタ主演の良作に対して、ジェニファーコネリーを「これでもか!」とひどい目に合わせるドSホラー映画を間違えてはいけない。

以上。

 

え?このブログにしては異常に短いんじゃ?と思ったあなたは正解である。

ブログのトップページに双子がいるのがとても怖いので、とりあえず追いやるためだけに苦しいエントリーをしておくといった裏事情なんてない。