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「君の名は」と続・略語について

2ヶ月ほど前に「何でもかんでも略すな!」とこのブログで世間を叱った。
おかげさまでその節は内外に様々な反響があり、「すみませんもうしません」とわざわざお手紙をくれる方までいたりして「いやいや好きにしてください」と思ったりもしたのだが、やはり世の中は相変わらず略語・略称で溢れかえっている。
 
 
話は変わるが先月の北米ツアーの時、バンドメンバーの間で映画「君の名は」の話題になった。
映画館で既に見ていたのが僕ともう一人、行きの飛行機で見たのが二人、まだ見てないのが一人。
誰がどこに当てはまるかはさして重要ではないので敢えて語らない(笑)。
 
結論として映画館で観た二人は「面白かった」という感想で、飛行機で見た2名は「つまらない」と意見がわかれる。
白熱の議論というわけではないものの、それぞれ思ったことを話したりしつつもまだ見てない一人が「まだ見てないんだけどなー」という雰囲気を醸し出す(笑)。
 
「君の名は」は本年度国内最大ヒットを今も更新し続けている映画なのでご覧になった方も多かろうとは思うが、現実的な描写が多々ありつつも完全なるフィクションだ。
 
「リアリティー」という言葉の定義をどこに置くべきかで物語の捉え方がまるで変わってくるが、身も蓋もないぶった切り方をするならば「ぶっちゃけ全部ウソ話」となる(笑)。
 
しかしそれが100%わかっていながらも設定や物語の時系列などを妙に知りたくなるような構成をしており、実際2回目の鑑賞では1回目ではわからなかったいろんな仕掛けが見えてくるという、なかなか心憎くもあり商売上手(笑)でもある映画となっている。
 
その会話の時に僕が無意識に話した別の話の一点にその場にいた全員が反応したのだ。
 
「まぁジブリ作品なんかもフィクションなのに現実っぽく感じる作品多いしね。魔女宅なんかが本当にヨーロッパのどこかにありそうな街並みに見えるのもクロアチアに実在する街を参考にうんぬんかんぬん……」
「え?ちょっと、魔女宅ってなに?」
「聞いたことないけど…」
「あ、もしかして『魔女の宅急便』のことを『魔女宅』っていうの?」
「そんな略し方する人初めてなんだけど」
「うん俺も初めて聞いた。」
「なんかヲタクっぽいねその略し方( ´,_ゝ`)プッ 」
 
えええええ!そうなの!?
(すんません25年以上魔女宅と言い続けておりましたm(_ _)m)
 
バンドメンバー全員このブログの存在は知ってはいるものの、熱心な読者というわけでもないと思われ、僕がその1ヶ月ほど前に略語・略称に対して苦言を呈したことを知る者、あるいは覚えている者はいなかった。
 
おかげでその時の空気はサラッと流れたのだが、僕の内心は顔から火が出るような恥ずかしい思いをしていたのだ(笑)。
 
「あああああ!略語のことを説教した自分自身がみんなに『なにそれ?』と言われるような略語をとっても普通にナチュラルに当たり前に使ってしまった!」と。
 
黙っていればバレなかったのだが、なんとなく白状しておく(笑)。
 

ところで略されないタイトルというものも当然ある。
「君の名は」なんてこれはもうどうにも略しようがなくて小気味のよいタイトルだ。
「シン・ゴジラ」もいい。
 
なんでもかんでも略されてしまう現代では「ざまーみろ略せないでやんの!わははのはー!」と囃し立てたくなるぐらいの快挙といってよい(笑)。
 
略されない最大のコツは言うまでもなく「短い言葉」であることだが、しかし少しでも隙を見せたら、例えば小沢健二がオザケンになってしまうのだから決して油断はできない。
 
 
それともう一つ、前回の苦言から2ヶ月間漠然かつ個人的に思ったことなのだが、、、
 
「Angel Trip」や「Vampire’s Love」といった英語名タイトルを「エントリ」とか「バンラブ」と略して言葉として発してみると、これがもうどうにも邦題タイトルっぽい響きになってしまうことに“残念感”のようなものを強く感じてしまうのではないか?といった考えに思い至った。
 
「スースク」にせよ、イカす映画のタイトルからは程遠い語感になってしまうようではないか。
 
これはもう作品への冒涜だ!
 
とまでは思わないにせよ、やはり略する側もちょっとした配慮をし、考えなしに発声する前に頭の中で一度シミュレーションをしてみて「この略し方はダサイかダサくないか、語感として気持ちいいか悪いか」の結論を出した上でシン・略語として申請するぐらいの慎重さで臨んでもきっとバチは当たらないだろう。
 
円滑なコミュニケーションと時間の短縮、それに言葉のバランスを考え、健全な略語文化を育んでいこうではありませんか!まったくもって大きなお世話だけど(笑)
 
……魔女宅はイイと思うんだよなぁ。うん。

ヴァンパイアの憂鬱・2

吸血鬼探求が止まらない。
 
元々僕はどんどん情報を取り入れて吸収できるタイプではない。
一つのテーマを別角度や別視点でずーっと観察し執着し続けるのが好きな人間だ。
 
映画を見るのは好きだけど、いろんな映画をまとめて見たりシリーズモノを一気見するのが苦手なのはきっと、頭の回転が遅くて情報処理が追いつけないからだと思われる。
 
なので今回も新しい作品には触れないように範囲を限定していたのだが…
 
「歳をとらない苦悩」というテーマで吸血鬼のことを調べていたら、ずっと昔から名前だけは知っている超有名少女マンガに行き着いてしまった。
 
萩尾望都「ポーの一族」である。
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こういった調べ物をしている時に検索をした作品が電子書籍化されているのは実によろしくない(;^_^A
ワンクリック購入をし10秒後には読み始めることができてしまうのは便利である反面、どうしても出費過多の傾向となってしまう。
 
人に借りるとかブックオフで古本を買うとか漫画喫茶に籠るとかを一切せずに工夫ゼロですぐに購入できてしまうのがよろしくないのに加え、この年齢になるとマンガ本はこれ以上物理的に増やしたくないという自制心も働く。
(僕の部屋はマンガ本だけでも2000冊以上がひしめいており、その他の書籍や文庫本やCDやオモチャや……倉庫兼書庫となっているロフトの底が今にも抜けそうで怖い)
その点電子の中なら何百冊増えようが安心!と発想してしまうのもよろしくない。
 
 
と言いつつも「ポーの一族」。
 
44年前の作品というのは本当なのか!!というあらゆる意味でのクオリティーの高さに興奮している。
初めて読み始めたばかりの“にわか”なので感想は控えるが、自分の中の吸血鬼の世界観が大きく変わりそうな気がしている。
 
1巻を読み終えた時点でもはや読了まで引き返せない魅力に支配されてしまった自分である。
物語冒頭にある「人間のふりをする」という説明一つとっても実にきめ細やかな説得力を感じる。
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と新たな出会いをしつつ、今回はもう一つ僕の好きなヴァンパイア映画を紹介しておきたい。
 
モールス〜Let Me In
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元々は「ぼくのエリ 200歳の少女」というスウェーデン映画のリメイク版である。
 
この作品はハイド氏が「この映画面白かったから見てみたら?」とDVDを借してくれたので早速見たら本当に面白くて、その後何度も見返してしまった映画である。
先日5回目の鑑賞をまたしてしまったが、やはり面白かった。
 
この映画のヴァンパイア少女アビーを演じるクロエ・グレースはこの時12歳。
「インタビューウィズヴァンパイア」のクローディアを演じた時のキルスティンダンストと同齢だ。
 
この映画のアビーはクローディアとは違い、少女として生き続けることへ苦悩する人間らしさ(?)のようなものはほぼ感じない。
むしろその姿であることを達観しているようでもある。
 
少女アビーは父と二人暮らし、その父は体を悪くしており疲れ果てた印象の初老の男。
しかし実際は血の繋がった父というわけではなく、アビーを守る忠実なしもべであることがわかってくる。
 
(見た目的には)同じ年頃の少年オーウェンの視点を中心に描かれる本作は淡い恋心のような美しい話であると同時に、よくよく考えてみれば非常に恐ろしく切ない話でもある。
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(KICK ASSの“ヒットガール”を演じたのが同年というのも面白い話だ)
 

ここでヴァンパイアと“せむし男”の存在について説明する。
(※せむし男は差別を助長する放送禁止用語と定義されており日本社会から葬られようとしている言葉だそうだが、おとぎ話やフィクションの世界における言葉をも圧殺しようという考え方に僕は疑問を感じている)
 
ヴァンパイアは前々回の「信心深きモンスター」でも解説した通り、優れた特殊能力を持つ反面、致命的な弱点をたくさん持っている。
太陽の出ている時間の寝込みを襲われたらそれで終わり、事実上単独で生き続けることが非常に難しい。
多くの弱点をカバーしてくれる強力なサポーター、忠実なしもべがいなければたちまち死に追いやられてしまう。
 
ヴァンパイアにとって最も重要な存在、それは美しい獲物でもなければイケメンの仲間でもない。
忠実なる側近、せむし男的ポジションの存在なのだ。
 
基本的にヴァンパイアの側近は人間であることが多い。
同じ弱点を持っていたのではあっという間に一網打尽となってしまうからだ。
 

この側近でとてもユニークなのが、以前も紹介した「フライトナイト」で、なんとイケオジ中年ヴァンパイアとホモの関係っぽいイヤラシそうな青年なんである(笑)。
男の一人暮らしに妙な説得力を持たせる存在で、ご近所さんにも「んま!不潔!」といった感じで変に納得されてしまっている感じ(笑)、いかにもコメディー要素の強い本作品らしい。
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同監督の「チャイルドプレイ」ではイカス刑事役を演じたクリス・サランドン(左)
 
 
そして「モールス」でアビーの側近をしている初老の男に目を向けてみると、ライトタッチの映画とはまるで違う“鈍い重み”のようなものを感じる。
 
永遠に歳を取らないヴァンパイアに対して、人間はどんどん年老いていく。
 
この男とアビーとの間にどんな歴史があったのかは1枚の写真を除いては特に描かれていないが、察するに余りある。
 
そういった部分に想像を巡らせ余韻に浸る余地を残してくれる映画でもあった。
 
この映画はヴァンパイアだけではなく側近の苦悩もキチンと描いており、そこにスポットを当てたヴァンパイア映画という点でも好感度は高い。
 
モールス〜Let Me In
 
僕のオススメとしては珍しく、美しく切ない耽美派のホラー映画である。
 
 

(おまけ)
ところでこの作品は「ぼくのエリ 200歳の少女」のリメイクであると書いたが、やや不自然と思うのがそのリメイク時期。
オリジナルが2008年製作に対してリメイクの「モールス」は2010年。
古い映画をリメイクするというよりはアメリカ版を速攻で作り直したという感が強い。
かなり忠実なリメイクでありながらもいろいろと違う。
 
ではどちらが面白いか?
 
このテーマで検索をしてみると興味深い意見がたくさんヒットする。
 
僕も両作品を見ているのだが、こういったケースはどうしても「先に見た方」に軍配があがるような気がする。
ポンコツ映画「宇宙からのメッセージ」にどうしても勝てない本家「スターウォーズ」という苦しい心境は以前にも書いたが(苦笑)、→http://jinxito.com/2015/12/10/starwars1/
 
自分にとってのファーストインパクトというのはなかなか払拭できないものなのだなぁとつくづく思う。
 
どちらを先に見るかはあなたのお好みでどうぞ。
 
 
※尚「モールス」は現在Huluで配信されている。
以前は「ぼくのエリ」も配信されていたのだが現在はなくなっているようだ。
 

ヴァンパイアの憂鬱

前回の予告通り、8月10日にアップした「信心深きモンスター」の続きとなる。
 
ところで更新が滞った。
いろんなヴァンパイア映画をおさらいして流し見するつもりが、ついつい面白くて最後までジックリ見てしまうが続いている。
チビチビお酒を飲みながらの深夜の映画鑑賞。
至福のひと時となるのは良いが、ブログ更新は遠のいていく。
まだ見たりないので、ブログ内容をまた二つにわけて前半だけでも更新してしまおう。
 

ヴァンパイアの魅力の一つに「永遠の若さが保たれるというものがあるが、それは特典であると同時にある種の宿命のようなものでもある。
 
ヴァンパイアは人間の血を吸って生き続けるモンスターであるわけだが、その辺りにいる人間を取って食べているわけではなく、言葉巧みに異性を誘い、妖艶な雰囲気の中で首筋をいただくというエロチックな描写が多い。
 
つまり男女どちらのヴァンパイアにせよ、異性にとって魅力的な存在であることが望ましい。
いかにもモテなさそうなブサ男では満足に血を吸うこともできない地味な吸血鬼生涯となりかねない。
ヴァンパイアにやたら美男美女が多いのにはそういったシビアな生存条件があるのかもしれない。
(しまった!温水洋一サンと村松利史サンの「オヤジヴァンパイアーズ」という冴えない吸血鬼コンビを想像してしまった!(笑))
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さて「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」という映画では、かなり込み入った手段の「吸血鬼が新たに仲間となる吸血鬼を生み出す方法」が紹介されている。
 
吸血鬼が人間の血を吸うと吸われた人間は失血死をしてしまうわけだが、血を吸われた人間が死ぬ間際に今度は吸血鬼自身の血を吸わせるという“血の交換”をすることによって新たな吸血鬼が誕生する。
 
映画の中では3回(直接的には2回)ほどこの“血の交換”が描写されているが、結構危険な行為であることが伝わってくる。
ヘタをすると新たに生み出した吸血鬼に血を吸われ尽くして自分が死んでしまいかねない雰囲気なのだ。
 
つまりゾンビのように噛まれたら自動的にゾンビ確定!といった簡単なことではないらしいが、この辺りはそれぞれの映画によって詳細は異なる。
 
ちなみにこの映画ではレスタト(トム・クルーズ)からルイ(ブラッド・ピット)という文句なくハンサムからハンサムへとヴァンパイアの血が受け継がれており、やはり上記の「美男美女説」をより濃厚に裏付けている。
「オヤジヴァンパイアーズ」のモテ度とは雲泥の差であろう(笑)。
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(後半に出てくるアントニオ・バンデラス演じるイケオジ吸血鬼のセリフにも「仲間のあいつらは美しくなくてイヤだ。その点お前はイイ!…」的なセリフがある) 
 

ヴァンパイアにとって見た目が重要ということがご理解いただけたと思うが、もう一つの要素として挙げられるのが「年齢」である。
 
上記の「永遠の若さが保たれる はすなわち「永遠に歳をとらない」ということでもある。
数ある特典の中でも特に女性にとっては魅力的な要素なのではないだろうか?(笑)
 
しかし自分がもっとも美しい頃にキッチリとヴァンパイアになれたのならともかく、お肌のハリに陰りが見え始めたあたりの微妙な時期だったらどうだろうか?
 
「くっ!あと3年早くなれていたら!」と微妙に悔しい感情が芽生えるのかもしれない。
 
男にしても「どれだけ食べても太らなかったあの頃だったら!」と、中年太りの腹を引っ込める努力を永遠にしなければならない数百年を味わう必要もなかったとか…
 
…といったくだらないことばかり思いついてしまうが、年齢による苦悩でもっともつらいのは子供のヴァンパイアだろう。
 
 
「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」でレスタトが選んだ次の吸血鬼は可愛らしい少女クローディアだった。
 
「スパイダーマン」のヒロインMJ役で一躍有名となったキルスティン・ダンストがクローディアを演じたのは12歳の時。
 
永遠の命を手に入れた少女は数十年経っても少女のままの姿という“Vampire Depression”を見事に演じている。
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精神は十分すぎるほど成長し成熟しているのに、永遠の少女の姿である自分に不満を募らせ次第に残虐になっていく様はとても恐ろしく、トムクルーズを食いかねない狂気の演技はこの映画の大きな見どころの一つともなっている。
 
実際自分がもし12歳の見た目のままで成長が止まってしまったら…と想像してみると、「お肌のハリが…」なんて悩みは実に些細なことだと思えるだろう(笑)。
 
 
ところでこの映画、例の「ヴァンパイアの条件」をあまり忠実に守っていない。
「十字架やニンニクはただの迷信」という位置付けで、条件に適合しているのは「日光の光で燃えてしまう、血を吸う、棺桶で眠る」ぐらいであった。
何度も見ている映画なのに案外見落としているのだなぁと改めて思った。
 
(※「Vampire Eyes」という特殊な視力で夜の景色が幻想的に美しく見えるというロマンチックな設定は、藤子・F・不二雄「流血鬼(1978)」と同じである。ちなみに「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」の原作「夜明けのヴァンパイア」の発表は1979年で時期もほぼ同じ。日本の子供向け漫画を原作者のアン・ライスが盗用したとは到底思えず、二人の天才作家の想像力の一致はなんだか嬉しい気持ちになれる(^^)
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(これほど絶望的な状況からの意外すぎるハッピーエンドの吸血鬼作品が他にあるだろうか?) 
 

「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」
 
何度見ても「よくできた映画だなぁ」と唸ってしまうヴァンパイア映画の傑作だ。
 
僕の好きな「フライトナイト」や「ドラキュラ都へ行く」といったコメディータッチの亜流作品ではなく、かなりキチンと作られている映画だ。
 
ヴァンパイア映画としては異例の豪華キャスト陣に加え、ほどよい怖さとグロさもある太鼓判でオススメできる作品である。
 
 
次回はクローディアを大幅に上回る200歳の少女のお話から、さらにヴァンパイアにとってもっとも大切な存在についての考察をしてみたい。

シン・ゴジラ〜原型探求編

前回の流れからタイムリーな話題が入ってきた!
「新世紀エヴァンゲリオン」全26話が9月16日よりNHK BSプレミアムでHDリマスター5.1chサラウンドでオンエアーが決定したそうだ。
 
現時点で最高品質のエヴァに出会うチャンスである!オススメ!(・∀・)
 

なお、今回のエントリーではシン・ゴジラの話はほとんど出てこない(笑)。
 
言うならば僕が個人的に勝手に思ったシン・ゴジラの所縁(ゆかり)、所以(ゆえん)、を庵野監督の過去作品や携わった仕事から発掘するという作業である。
 
一部こじつけもあるかもしれないがご了承いただきたい。
 

まずは多くの日本人なら見たことのあると思われる名作アニメ「風の谷のナウシカ」
この映画に登場する「巨神兵」を知っている方はとても多いと思われるし、シン・ゴジラと関連づけて語る人も既にかなり多いかと思われるので、意外性は低いだろう。
 
それにしても「巨神兵 ナウシカ」で画像検索をしてもどうもパッとしたものがヒットしない。
 
あの凄まじいビームの瞬間の画像が全然出てこない。
 
仕方がないので自分でスクショ撮るかとDVDをコマ送り再生してみたらば……
ありゃりゃ!そういうことか!
 
この巨神兵のシークエンスの作画をしているのが若き日の庵野監督というのは有名な話だが、見事なまでに静止画ではイイ絵がない(笑)。
脈動感と迫力に溢れたアニメ史に残る名ショットだ。
ここはやはりYouTube様に頼ってみることにする。
 
 
(こういった動画をブログに引用するのは問題あるのかないのか判断が難しい)
 
「巨神兵東京に現わる」の巨神兵のファーストショットとシン・ゴジラのファーストショットに通ずる共通点。
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ご存知の方も多いとは思うが「巨神兵東京に現わる」はCGを一切使わずに意地のように特撮技術のみで完成させた短編映画で、エヴァンゲリヲン新劇場版〜Qと同時上映された作品である。
 
僕は一昨年の11月に名古屋市科学館で催されていた「特撮博物館」で改めてこの作品を見直したのだが、メイキングと合わせてしばらく何度かリピート見してしまった。
 
その時にはまさか今回のシン・ゴジラの布石になっていようとは思いもしていなかった。
 
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非常に密度の濃い素晴らしい展覧会であった。
 

ところで庵野監督のメジャーデビュー作品は?
知っている人は知っているが知らない人は知らない。←当たり前だ
 
トップをねらえ!」を検索してみると……結構ディープな画像がたくさん出てくる。
正直、ヲタク度がかなり濃いという印象であろう(笑)。
今になって改めてスタッフクレジットを見ると一流どころの布陣だが、当時は庵野監督含めまだまだ「知る人ぞ知る」メンバーだったのではないだろうか。
 
僕にしてもDAICON(後述)のスタッフだと気がついたのはだいぶ後になってからの話だったように思う。
 
「エースをねらえ!」+「トップガン」というコンセプトの、女子高生が地球を救うという物語だ。
当時のキャッチコピーは「炎の熱血友情ハードSF宇宙科学勇気根性努力セクシー無敵ロボットスペクタクル大河ロマン!!!!!」であった(苦笑)。
 
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(かなりディープな雰囲気を醸し出している)
 
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(しかも主人公ロボットはマントを羽織っていたりしてかなりバカっぽい(^^;)
 
がしかし、この「トップをねらえ!」こそ、紛れもなくエヴァの原型でありシン・ゴジラの原型であることは間違いない。
 
エェェ(;´д`)ェェエ 
それってちょっとイヤなんですけどぉ……
 
と思った方も中にはいるかもしれない。
ここは観念して読み進んでいただきたい。
 
というより当初は鳴り物入りで公開された「オネアミスの翼」でコケた制作費の回収&借金返済のために、あまりお金をかけずに手抜きしながら作るはずのヲタク向けお色気パロディーやっつけ企画としてはじまったのが「トップをねらえ!」だったらしい。
がしかし、そのあまりの脚本の素晴らしさに庵野監督が完全本気モードになってしまい、結果的に赤字になるまで凝り作り倒したという逸話も残っているほどに、最終的にはエヴァに勝るとも劣らない凄いOVAとなってしまった。
 
この作品を知らないエヴァファンが今これをみたら「おおおお!!」と唸ること間違いなしの傑作である。
  
作中に出てくる「イナズマキック」なる必殺技はしっかりエヴァにも継承されているし、あらゆる部分でDNAというか脈々と受け継がれているなにかを感じずにはいられないはずだ。
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(ユニゾン攻撃のフィニッシュを決めたこのキックには元祖があった )
 
※宮崎駿作品によく出てくるなにげないセリフが「ひどいことするなぁ」であるならば、押井守作品は「異議なし」であり、庵野作品は「なんてヤツだ!」だと思う。それぞれよく出てくる。
 
僕個人的には「ロボットアニメ史上最強!」と太鼓判を押す究極のマシーン兵器「ガンバスター」は、エヴァとはまるで違う魅力の合体ロボットである。
スポ根をベースにした作品なので、このガンバスターも「努力と根性」によってどんどん強くなる(笑)。
 
こう書くと非常にバカっぽいのだが、実際かなりバカっぽい数億の宇宙怪獣を相手に対峙する第5話の戦闘シーンの爽快さを超える作品を僕は知らない。
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(数万単位で敵をボコボコにやっつけていく(笑) 作中でただの一度も窮地に陥らない無双っぷりはエヴァやシン・ゴジラの無敵感を軽く凌駕する)
 
 
 
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(敵となる宇宙怪獣の設定資料。こんなところにも使徒やシン・ゴジラの原型が垣間見えてくるようだ。庵野監督の好む「わけわかんない敵」の元祖だと思われる)
 
トップをねらえ!はOVA全3巻で完結しているのだが、第1巻の1話と2話は正直あまりオススメしない(^^;
むしろ3話から見始める方が話が奥深く感じるような気もする。
反則な見方のような気もするが、一応リコメンドとしてお伝えしておく(笑)。
 
相対性理論、ウラシマ効果といった科学的な設定が積極的に脚本に生かされているのがとにかく素晴らしい。
半年間の宇宙での亜光速任務を複数経て地球に帰還してみたらすでに十年以上の歳月が過ぎており、半年前にクラスメイトだった友人が三十路近い姿になっていたりとか、余命わずかの恋人を地球に残したまま再び亜光速戦闘の任務に出撃したりといった容赦のないサイエンスドラマが展開する。
 
最終話はハリウッド映画でも見たことがないほど壮大なスケールの内容で、そういった意味ではシン・ゴジラやエヴァの話がかなり地味に感じてしまうほどだ(笑)。
 
是非見ていただきたい作品である。
 
 
なお、ヲタク自慢を一つしておくと僕はこの「トップをねらえ!」のレーザーディスクに主人公タカヤノリコの声優である日高のり子さんの「JIN君へ 努力と根性!」というメッセージ付サインをもらっている。
 
いいだろー(^o^)←
 

ディープな話題をしてしまったついでにもう一段階深い話も紹介しておこう(笑)。
 
DAICON FILMという自主制作映画チームがあって、もっとも有名な作品はDAICON3と4だと思う。
知らない方が普通だが、その世界では伝説的に有名な作品である。
 
10年ほど前に大ヒットしたドラマ「電車男」のオープニングはまさしくDAICON4をリスペクトして作られており、ELOのTWILIGHTがなぜかアキバ系を象徴する曲として定着したのも、元をただせばこのDAICON4ということになる。
 
(大学サークルのアマチュアが作った作品とは到底思えない。当時のプロを唸らせた究極の8ミリフィルムアニメ) 
 
このチームは8ミリフィルムで実写映画も何本か作っていた。
「怪傑のーてんき」「愛國戰隊大日本」「帰ってきたウルトラマン」などの問題作を放ってはいるが、16ミリの長編映画である「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の逆襲」を知る人は少ない。
僕ら8ミリ特撮少年は当時こういった作品を食い入るように見入ったものだが、エヴァファンのほとんどの人は知らないのではあるまいか。
 
そして、「シン・ゴジラ」におけるヤシオリ作戦の「ヤシオリ」とは、ヤマタノオロチに飲ませて酔わせたという日本書紀や古事記に出てくるお酒の名前であり、こんなところにも意外なルーツを発見することができる。
 
実際「八岐大蛇の逆襲」がどこまでシン・ゴジラと関連しているのかどうかはさておき、このDAICON FILMこそが現ガイナックスの礎であることは揺るぎない事実であることをダメ押しで伝えておきたい。
 
「シン・ゴジラ」のブレーンはかつてのDAICON出身であり、庵野監督もそこでシコシコと8ミリの自主映画を撮っていたという歴史があるのだ。
 
恐るべきアマチュア集団であったのだなぁ…と改めて思い知る次第である。
 

自主規制文字数を大幅にオーバーしてもやはり全ては書ききれなかった(;^_^A
 
押井守監督の「劇場版機動警察パトレイバー1&2」と「シン・ゴジラ」についての考察もしたかったのだが、押井監督に関してはまたいつか機会を改めて語ってみたい。
 
僕の生涯で最もリピートした映画は、文句なく押井守監督作品の「うる星やつら2〜ビューティフルドリーマー」だ。
少なく見積もって200回、と2011年の時点でツイートしているのだが、それから5年の間にさらに5〜6回は見ている。
 
それこそ好きに語らせたら今回のシン・ゴジラを軽く凌駕するシリーズモノになりそうな悪寒がしなくもないが(笑)、いつかは語ってみたいお題ではある。
 
 
話がそれまくったが「シン・ゴジラ」、最低あと一回は観ておきたい。
 
…とこじつけるように話を戻したところで(笑)、
長々と語らせてもらったシン・ゴジラについての考察を終了する。

シン・ゴジラーエヴァファン視点編

シン・ゴジラとエヴァンゲリオン(エヴァンゲリヲン)との共通点を挙げていく……
果てしなく楽しそうな作業ではあるが、やりだすとキリがないので最小限に留めておきたい。
 
前回に引き続きサラッとネタバレをしていく内容になっているので映画本編を知りたくない人は読んではいけない。
 

シン・ゴジラは「地球上でもっとも優れた究極の生物」という定義がされている。
状況によって進化を続け、次々と欠点を克服していく。
水と空気さえあれば体内でエネルギー変換をして自身の代謝や移動や生命維持に用い、攻撃を受け生命の危機と判断したら高い防御能力を発揮する。
文字通りの「全方位」に対して高い反撃力を持っている。
さらなる攻撃を受ければもっと凄まじい反撃能力に進化するのだろう。
 
また状況や移動などによって形態を変化させることも自在だ。
映画では全身の姿は確認できなかった「第一形態」で海中を移動し、「第二形態」で陸上に上がりようやく姿を見せる。
そして二足歩行する「第三形態」に進化した後に一旦海中に身を潜め、ポスターや予告編に出てくるおなじみの姿の「第四形態」まで進化をする。
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シン・ゴジラ第四形態
 
僕が最初に「凄い!」と思ったのがこの中の「第二形態」だ。
独特の背びれ(?)の雰囲気はゴジラそのものだが、それ以外があまりにも気味の悪い姿なのだ。
歩くことができずに這いずるように蠢く巨体、体の色は猛毒をもった爬虫類のような気持ち悪い配色、なにより不気味なのが思考能力のなさそうな動きのない死んだような目。
「生理的嫌悪感の塊」が僕の第一印象だ。
 
「え?これはゴジラと戦う別の怪獣?」と思ったほどに第四形態のゴジラとは違う。
お見せできないのが残念である。
ネタバレするとは言いつつも、肝心要はネタバレしたくない主義なのだ(笑)。 
 
 
この不気味な第二形態に酷似したイメージの生物がエヴァンゲリオンに登場する。
 
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第四使徒シャムシエル
 
ニョロニョロした感じといい、何も考えてなさそうなウツロな目といい、第二形態にイメージが似ている。
 
他にもエネルギーを使い果たしたり激しい攻撃を受けて沈黙した後も自己修復をしながら自動防御をするという身体能力。
これも第三新東京市を襲ってくる使徒(敵)と同じで、サキエル戦、イスラフェル戦でそれぞれ同様の展開をしている。
 
「自己修復中か」「そうでなければ単独兵器として役に立たんよ」というエヴァでのセリフはそっくりシン・ゴジラにも当てはまる。
 
 
一旦話はそれるが、エヴァに登場する敵となる“使徒”は、ロボットアニメに出てくる敵としては相当異色なキャラクターが多い。
見た目的に生物っぽいものが多いのも変わっているが、中盤あたりからはコンピューターウィルスであったり粘菌状の微生物であったり、厚さをほぼ持たないナノ単位の薄っぺらい影のようなものであったり、宙に浮かぶ光の輪であったりして「どう攻撃すんねん!」とツッコミたくなるような特殊なモノが多いのだ。
最後のシ者にいたっては、少年の姿で登場するという予想外の連続だった。
 

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エヴァのフィギュアは自立できないものが案外多い(笑)
 
さて、エヴァと使徒とゴジラの共通点の一つが「生命体であること」だ。
エヴァンゲリオンの外観的にロボットだと思う人が圧倒的に多いとは思うが、実はエヴァは人間と同じく有機体であり生物である。
(「汎用人型決戦兵器 人造人間エヴァンゲリオン」が正式名称となる)
 
この作品をなんとなくボーッと見ていると気がつかない重要な要素なのだが、巨大な生物をヒトの手で創り出し拘束し特殊装甲で覆っているというのがもっとも近い表現となる。
特殊装甲の中に大きなヒトが入っているというイメージでまず間違いない。
(最も顕著に表現されているのは旧劇場版「第26話 まごころを、君に」の冒頭シーン、エヴァ量産機VS弐号機の結末であろう)
 
これは後々明かされる事実というよりは、比較的序盤から映像として表現されている。
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エヴァがロボットではなく生命体であるということは第弐話で早くも表現されている
 
エヴァに出てくる主人公ロボット(敢えてそう書くが)である「初号機」は度々“暴走”をするのだが、この時のロボットらしからぬ獣的な動き方が実に生き物らしい。
とりわけ決定的なシーンといえばやはりコレであろう。
 
第拾九話 「男の戰い」
 
まばたきをし呼吸をし、ついには「食べる」ことまでする。
感情を持たない使徒に対して、怒りを爆発させているようにも見えるエヴァの暴走。
 
この二つの要素を持ち合わせた生命体こそがシン・ゴジラであると今回強く思った。
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ゴジラが怒り反撃をした後のゾクッとするようなカットは暴走時の初号機を思い出さずにはいられない。監督の初号機のイメージは「鬼」だそうだが、シン・ゴジラでもほぼ同じ印象のカットがある。
 

前回紹介したヒトの動き方こそが最大の見所であるシン・ゴジラではあるが、ゴジラという生命体の元祖こそがエヴァであり使徒であるのだ。
 
ヒトの魅力にしても、エヴァファンであれば当然「特務機関ネルフ」と「巨大不明生物特設災害対策本部」の人々の印象がそこかしこで重なってくるし、画面内に登場する大きな文字、パソコン画面内の雰囲気、作戦の進行などなど……
 
シン・ゴジラの中にエヴァの様々な魅力を垣間見ることができる。
 
2時間のシン・ゴジラに対してTVシリーズ全26話、旧劇場版2作に新劇場版が現在3作、圧倒的なボリュームでシン・ゴジラに通ずる魅力を味わわせてくれるのがエヴァシリーズだとも言えるのだ!
 
 
僕は羨ましい…
 
いまだエヴァを見たことのない人がとにかく羨ましい。
 
あの感動をこれから衝撃的に味わっていける楽しみがまだ人生に残っているのだから…
何度も何度も見続けて、それでも好きで見てしまう作品ではあるが、やはり初回のドキドキワクワク感を超えることはできない。
 
アレを楽しむことができるなんて…あぁ羨ましい。
 
尚、「ちょっと見てみようかな…」と思った人はまずはTV版の第1話を見てみることをオススメする(再)。
いきなり2時間付き合う覚悟のある方は新劇場版の「序」を見るのも悪くない選択だ。
そこからTV版に遡るのもよし、新劇場版の続編「破」に進むもよし。
 
重ね重ね恐縮ではあるけれど……
 
……あああ羨ましい!
 

さらに次回はエヴァのルーツにもなっている庵野監督作品、そしてゴジラのさらなる原型である“あの名作アニメ”に登場する圧倒的な敵キャラ、さらには庵野監督のライバル?とも言える同じ畑の名監督の東京を舞台にした作品の共通点まで追い込んでみたい。
 
ほとばしれ!俺のヲタクパワー!←

シン・ゴジラ〜強烈プッシュレビュー

初回の鑑賞から3週間、二回目の鑑賞から3日間、未だにシン・ゴジラの余韻に打ち震えている。
 
これほどまでの緻密な脚本と内容の濃さ、エンターテインメント性と社会風刺、現実的な描写と明るい未来を予感させる展望、そして旧ゴジラファンやエヴァファンへのかゆいところに手の届くサービス精神に至るまで、あらゆる要素への愛を感じた映画を僕は他に知らない。
 
現代の邦画として問題があるとすればそれは、ジャニーズやAKBタレントの起用ほぼなし(カメオ出演的に前田敦子が一瞬写るぐらい?)、男と女の恋愛要素ゼロといったあたりだろうか?(笑)
言うまでもないことではあるが、そういった要素がなければヒットしないという定説や定石こそがおかしいと断言できる。
 
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公開からまもなく一ヶ月となるのでそろそろ内容についての感想を書いてみたいのだが、今回は好事家同士が意見の交換をし合うというよりは「興味がなくもないけどどうなの実際?」といった人々を「観てみたいかも…」と思わせる方向に主眼を置くことにする。
 
また語りたいことが沢山ありすぎるので、今回は大きく二つに絞ってみたい。
 

ゴジラという映画を通ったことがないからシン・ゴジラにも興味がない。
 
案外よく聞くのがこういったシリーズ的な位置づけとしての捉え方だ。
確かに「今までX-MENを一度も見たことがないのに最新作だけ見てみよう」と思う人は少ないだろう。
ハリーポッターやエヴァンゲリオン、さらには007やガンダムのように長きにわたって様々な作品が作り続けられているものにしても、バックグラウンドとなる過去の作品を見たことがない人にとっては、新作だけを見るのはハードルが高いと感じるのも当然だ。
 
しかしシン・ゴジラに関してはそういった心配は一切無用である。
もちろん過去作品を知っていれば様々なリスペクトや自身のファン心理を満たせるような喜びを感じることはできるが、あくまでもそういった要素はオマケのようなもの。
この映画の面白さの本質ではない。
 
全てのゴジラ作品に共通点があるとすれば「核実験による突然変異体」という設定であることぐらいだ。
 
シン・ゴジラの物語は過去の作品とは何のつながりもなく、前半は「巨大不明生物」としか呼称されない。
ゴジラと名付けられるのは中盤になってからで、そこでようやく旧ゴジラと同じ「民間伝承されている破壊神の名前」が引用されるといった感じだ。
 
見たことも聞いたこともない未知なる存在によって現代日本に前代未聞の大災害が起こる、という視点で描かれている。
 
 
3.11を経験した我々日本人は現代社会の大災害を目の当たりにした。
災害は一つだけではないし一回だけでもない。
地震を起点としてそこから様々な二次災害、三次災害に被害が広がっていった東日本大震災は、津波や地割れといった自然災害から施設の倒壊や火事、原発事故といった人為的災害、複合災害に発展していった。
 
シン・ゴジラで何より見応えがあるのは、そういった次々に起こっていく災害に対して毅然と立ち向かう人々の姿を正しく美しく描いていることだ。
 
戦闘終了した自衛隊員のセリフがいい。
「気落ちは不要、国民を守るのが我々の仕事だ。攻撃だけが華じゃない、住民の避難を急がせろ」
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政府や官僚の描き方もいい。
 
普通の映画だと国の機関やシステムが脆弱でまともに機能せずに窮地に追い込まれるといった描写になりそうなものだが、この映画ではそういったジレンマのようなものをほぼ感じない。
 
むしろジレンマを感じながらも果敢に行動していく官僚や政治家の姿がとにかくカッコよくて眩しくて感動的なのだ。
 
政治家も官僚も自衛官も警察官も民間機関も総理大臣も掃除のおばさんも、自分の職務をまっとうし全力で立ち向かう。
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この映画を見た子供の中には「ボクは将来カッコイイ官僚になって日本のために働きたい!」と純粋に思った子がきっといるはずだ。
「給料がいい」とか「安定している」とか「社会的信用がある」とか親の喜びそうな理由ではなく、だ。
 
利権を死守するために足を引っ張る姿や引っ掻き回すといった余計な人間の姿が一切描かれていない、ということがむしろ現代日本を皮肉っぽく描いているようでありアンチテーゼであると取れなくもないのだが…(笑)。
 
また「超法規的措置」という言葉は様々な映画の中で案外よく聞く言葉ではあるけれども、ここまで法律や公的機関の動きを正面から描きつつの発動という流れだと、言葉の重さがまるで変わってくるようだ。
 
そんな彼らが一丸となって立ち向かっていく姿がこの映画一番の見どころであり、映画全体の半分以上は会議室の中での人間描写に費やされている。
 
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巨大不明生物特設災害対策本部の面々
 

ところで「ゴジラ」とは何者なのか?
 
という問いに対して「原発批判」であるとか「隣国との戦争状態」といった見方をする人が多いらしい。
 
もちろんそういった見方もできるようにダブル、トリプルミーニング的確信犯で作られているのだろうけれども、それを言葉として発っしてしまうのは反則だと思う。
 
そういった“含み”はあくまでも含みとして個々に感じればよいことであって、怪獣映画の見方としては正しくない。
「俺気がついちゃったもんね」なんて持論を展開するのは恥ずかしい行為なのだ。
 
さらに踏み込んで考えると、自然災害にせよ戦争にせよ原発事故にせよ、被害が起こればただちに対処するという流れは現実でも同じだ。
 
自衛隊のあり方にしても「日本に何らかの被害が起こったら可能な限り即座に対処する組織」という解釈さえすんなりとできれば、現在問題となっている自衛権がどうのとか憲法の拡大解釈であるとかの論争はここまで激化しないで済むはずだ。
 
本当にゴジラのような未知の敵が来た時のためという大義名分で法整備をしておいても決して無駄にはならないだろう。
 
 
また多くのレビューを読んでいて「ゴジラはワルモノ」という短絡的な思考をする人が非常に多いことを知り、僕はとても残念な気持ちになってしまった。
 
この映画の根幹に関わるテーマでもあるので、ここは声を大にして主張しておきたい。
 
ゴジラは確かに人間の造った街を壊し、甚大な被害を巻き起こす忌むべき存在として描かれている。
しかしゴジラは基本的には「歩いているだけ」なのだ。
 
これは映画の中のセリフでも2回ほどフォローされているのだが、たまたま東京に上陸してしまっただけなのだ。
そこには悪意や敵意を始めとする一切の感情もなければ理由も目的もない。
台風に意思がないのと同じともいえるし、門柱にオシッコをかける野良犬を器物破損罪で訴えるようなものでもある。
 
このニュアンスだけはしっかりと認識していないと的外れな内容に誤解されかねないので、これから観に行く方はそこだけは押さえていただきたいと思う。
 
ゴジラは人間に危害を加える目的があって東京に出現したわけではない。
 

……当然のように語り足りない(笑)。
Twitterではすぐにブログにするようなことを書いておきながらこのザマである。
 
エヴァや気になった過去の他作品のチェックをしていろいろ考え倒した挙句、それらの要素を今回は一切語っていない。
 
……当然のように語り足りない(再)。
 
次回は逆に「今回のゴジラは面白かったけどエヴァを見たことがない人」をターゲットに「え?エヴァ見なきゃまずい?」と思わせるような視点で語ってみたい。
 
つづく!

信心深きモンスター

悪魔以上に宗教観に縛られた要素を持つキャラクター。
言うまでもなくみなさんの大好きな吸血鬼、ヴァンパイアのことである。
 
このブログを読んでいるみなさんの多くはきっと、普通の人よりも吸血鬼について詳しいことだろう。
 
「もしも大好きなあの人がヴァンパイアだったら…」
 
な〜んて中二っぽい発想をしたことのある方の一人や二人、10人や100人はおられるかと思う(笑)。
 
以前ライヴのMCで解説したこともあるのだが、今日はヴァンパイアと呼ばれている彼らについて語ってみたい。
 

まずはヴァンパイアの特徴としてよく知られているのが、
 
○人の血を吸うことによって永遠に生き続ける

○死んでいるので歳をとらない
○人間の動きを超越した瞬間移動のようなことが出来る

○コウモリやオオカミに変身できる
 
といった羨ましい特殊能力を持っている反面、
 
○昼間は棺の中で眠っていなければならない
○十字架が嫌い

○ニンニクが嫌い

○聖水が嫌い

○日光を浴びると燃えてしまう
○木の杭を心臓に打ち込まれると死んでしまう
 
この辺りまではみなさんも知っているとは思うが、さらには、
 
○鏡に映らない

○招待されないと家の中に入れない

○バラの花が嫌い

○銀に弱い(狼男と同じ弱点?)

 
といった数多くの弱点を持っている。
 
特殊能力はかなり魅力的ではあるが、冷静に考えてみると弱点や欠点の方が多く、長く生き延びるのは人間以上に大変そうだということがすぐにわかる。
「バラの花が嫌い」にしても「苦手なんスよね〜」程度で済まされるものではなく、体に触れるだけでたちまち大やけどするぐらい負の要素、ヴァンパイアにとっては致命傷を負いかねない恐ろしい凶器となるのだ。
 

今回僕が特に着目したいのは欠点の中の「十字架」と「聖水」についてだ。
 
どちらもキリスト教信者にとってはお守りのようなありがたいものであるこれらが、ヴァンパイアにとっては忌み嫌うものとなっている。
聖水とは教会で配布されている神父様が祈りを捧げたありがたい水のことである。
 
宗教観の中での背徳的ポジションとして蘇ったヴァンパイアにとって、それらが負の要素となるのは納得はできるのだが……
それにしてもなんと信心深いモンスターであることか。
 
…思ってはいけないことなのだろうけれども、あえてこんなIFはどうだろう?
 
基本的に無宗教である我々日本人が吸血鬼となった場合、それでもやはり十字架を見たら拒絶反応が出るのであろうか?
 
聖水なんて見たことも触れたこともないぶっちゃけただの水道水だろーとしか思っていない我々でも、吸血鬼になったらそれでもやっぱり恐ろしい効力が出るのだろうか?
 

僕の大好きなヴァンパイア映画に「フライトナイト」という秀作がある。
 
 
かつては銀幕のスターだったヴァンパイアキラー役者のピータービンセント氏ではあったが、世の中はスプラッター映画ブーム。
ホコリくさい吸血鬼映画はすっかり人気もなくなり、仕事は減り唯一の出演番組も視聴率低迷で打ち切りとなり、かつての英雄はすっかり弱気なおじいさんになってしまっていた。
そんな彼に助けを求める高校生チャーリー。
チャーリーの頭の中ではピータービンセントは今もなお頼もしいヴァンパイアキラーなのだ。
高校生の妄想癖に付き合わされるのも迷惑な話だが、謝礼の数百ドルに目がくらんで即答で吸血鬼退治を引き受けてしまうビンセント。
しかしこのおじいさん、実のところ本当にヴァンパイアがいるなんて思ってはいない正常な人格の持ち主でもある。
適当にお芝居すればいいかぐらいの軽い気持ちでヴァンパイアだと言われてる男と対面してみたらば、本当にヴァンパイアではないか!さぁ大変!
 
というなんだかコメディーみたいな物語なのだが、実際半分はコメディー作品なんである(笑)。
「ある日隣にヴァンパイアが引っ越してきた」というなんともユーモラスな設定も魅力的だ。  
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(おおよそ英雄とは程遠い全力で逃げ腰のヴァンパイアキラー)
 
ところでこの映画には、僕の知る限りではこの作品のみに設定されている絶賛すべきヴァンパイアの能力に関する大きな変更点がある。
 
それは……
 「信じていない者の持つ十字架なんてちっとも怖くない」
そう言いながらイケオジ吸血鬼が十字架をあっさりと握りつぶしてしまうのだ。
 
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(あっさり十字架を壊され狼狽するヴァンパイアキラー)
 
これこそが僕が今回のシリーズで一番伝えておきたいことである。
やはりヴァンパイアは深い信仰心をベースに成立しているモンスターなのだ。
 
神も悪魔も信じるものがいて初めて存在する。
信じるものが誰一人としていなくなれば、神も悪魔もまた消えてしまうのだ。 
 
 

敬虔なクリスチャンである方は別として、我々多くの日本人が無意識に持っている宗教観では十字架のパワーを感じることもできなければ、聖水と水道水を見分けることもできないだろう。
となると、そういった信仰心を前提とした上で成立しているヴァンパイアには、そもそも日本人はなれないのではないだろうか?
あれ?これは問題発言になりますか?(^^;
 
大丈夫!
日本独自スタイルのヴァンパイアになるはずだ。
 
十字架や銀のアクセサリーをファッションとして身につけることも可能であれば、バラの花を手にとることも問題なし。
ニンニクはむしろ好物であるし太陽の光も平気であるばかりか、むしろ「晴れ男」として味方につけているフシもある。
 
誰のこととは言わないが、ジャパニーズヴァンパイアはもしかしたらそんな特性を持っているのかもしれませんぞ?
 

しかし、そんな彼らも吸血鬼の弱点をちゃんと一つ押さえている。
彼らが吸血鬼である唯一の証拠とも言えよう。
 
彼らの弱点をここで公開してしまうのは単なる裏切り行為でしかないのだが…
 
あえて秘密を暴露してしまおう。
 
上記の中にも含まれている弱点ルールではあるのだが、、、
 
○木の杭を心臓に打ち込まれたら死んでしまう
 
うん、多分死ぬ。
きっと間違いなく。
 
というわけで彼らがキッチリ吸血鬼である事実が証明されたところで今日のブログは終わりである。
 
次回はヴァンパイアにとって不可欠な存在についてと、オススメの映画を紹介したい。
 

悪魔の棲めない家

前回のエントリーをアップしたところで「あれ?そういえばホラー映画に興味のない人にとってオカルトとかホラーとかの区別ってついているのかな?」と疑問が残った。
簡単に解説をしておく。
 
ホラー映画は怖い映画全般を指す。
音楽でいうところの「ロック」みたいな大雑把な分類と思えばよい。
 
オカルトとは人間ではない超自然的存在、いわゆる幽霊や悪魔、怨霊や呪いといった定義のものを指す。
他にもサスペンス、スリラー、サイコ、モンスター、ゾンビ、スプラッター、スラッシャー、ソリッドステイト、といった感じで分類されたり「サイコサスペンス」といった感じでミックスされたりするようだが、みなさん割と勝手に命名してなんとなく定着したものが残っているといった感じだろうか。
 
ロック好きに様々なこだわりがあるように、ホラー好きにも詳細なジャンルにケチをつけてきそうな輩がいないこともないが、基本的にホラー映画全体の90%はジャンルを問わず駄作なので、貴重な良作に関してはみんなで情報を共有し好き嫌いをせず大切に愛でるといった姿勢が基本だ(笑)。
 

さて、前回の最後に「近年のオカルト映画は以前とはだいぶカタチを変えてきている。」と意味深な締め方をして終わった。
今日はそこの部分についてのさらなる持論を展開してみたい。
 
例によって怖い内容にはならないし、むしろ怖い映画が苦手な人に興味を持ってもらえるような迎合を精一杯しているので、これを機会にホラー映画に一定の興味と理解を示して頂けたらと目論んでいる(笑)。
 
 
では早速、
近年のオカルト映画は具体的にどのような変化をしているかというと…
 
物語の軸となる「人間に霊的作用をもたらせる存在」の正体が、イマイチ不明確なものがほとんどだということ。
 
オーメンやエクソシストのような教会VS悪魔といった明確な立ち位置で物語が進行するものが現代では非常に少ないのだ。
 
残虐かつ斬新な死にっぷりが売りとなっている「ファイナルデスティネーションシリーズ」などはその最たる例だ。
人に災いをもたらすオカルトちっくな存在はハッキリとありつつも、むしろ神とか悪魔といった観念とは一切関係ないことが強調されているようにも思う。
 
(作品詳細及び絶賛レビューはこちら↑)
 
もう一つ具体例を。
スパイダーマンの監督として有名になったサム・ライミ氏だが、自身の原点である「死霊のはらわたシリーズ」を今もなお作り続けている。
有名になっても自分の好きなジャンルを見失わないホラー界の偉人とも言えるし、「せっかく偉くなったのに…」と思わないでもない変わり者とも言える(笑)。
 
この「死霊のはらわた」に出てくる「死霊」にしても宗教観とかを語る以前に、ただただソッコーでスピーディーで考える余地を与えてくれない敵で、それが悪魔なのか魔界の住人なのかゾンビなのか、実のところよくわかっていない。
血飛沫ドバーッ!が慣れると笑えてくる不思議な作品だ。
(現在Huluで配信されている「死霊のはらわたリターンズ」が恐ろしいまでにくだらなくて楽しい♪)
 
 
悪魔不在
これが現代のオカルト映画の基本だ。
キリスト教やユダヤ教の定義する「悪魔」の棲める家は絶滅の危機だ。
 
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ここで声を大にして言っておきたいことは、人々から信仰心がなくなってしまったので悪魔が恐怖の対象ではなくなってしまったということでは決してない。
 
信仰心が多種多様であるがゆえに、世界のグローバル化に悪魔の存在が対応できていないということなのだ。
 
というより、民間伝承といった極々ローカルエリアで伝えられてきた怪談奇談というものは、本来グローバルの方向性には向いてないのかもしれない。
  
身も蓋もない言い方をするならば、ワールドワイドなヒットを狙う映画業界では「キリスト教限定」「イスラム圏では上映禁止」といったわざわざハードルを高くするような制約は好まれない。
 
言うならば「宗教観不在のオカルト観」というなんだかわからない設定が主流となってきているのではないだろうか?
 
 

我々日本人は「無宗教」という自覚を持っている方が多いし、僕にしても無所属(笑)だと思っている。
しかし、墓石を倒すような罰当たりな真似は絶対にできないし、神社の鳥居に落書きをするとか立ちションをするとかの行為もやはりできない。
 
政治や野球やワンピース論では意見が分かれても、こういった最低限の節度や常識に関してはほとんどの日本人が同意できるかと思う。
きっと日本人の誰しもが心のどこかで「そんなことをしたらバチが当たる」と本気で思っている。
 
これこそがもっともわかりやすい宗教観の入り口にあるものだろう。
  
「宗教」という言葉のイメージがなにか別の面倒くさそうなもの?「新興」「勧誘」「お布施」「洗脳」といったイヤな言葉を連想させてしまうのも日本のよろしくない点だと思うが、本当は「法律や条例以前に根付いている民族全体の価値観や規範」といったものが純粋な宗教観のはずだ。
 
しかし「神社仏閣で犯してはいけないタブーをテーマとした映画」はきっと日本人にしかわからないのと同様に、キリスト教にしてもプロテスタントとカトリックで教会のポジションや意味がまるで変わるし、それぞれの宗派に合わせて設定を変えて物語を作るわけにもいかない。
 
ではそういった全人類の細分化された宗教観に対応するオカルト映画を作るにはどうすればよいのか?
 
答えは一つ。
 
それはもうぶっちゃけ、対象となるオカルト要素を「よくわかんないなんか」にするしかないのだ。
全ての宗教観にフレキシブルかつマルチに対応したワルモノはもう宇宙人かゴジラかサメか、宗教観ナシの幽霊ぐらいしかないのだ。
 
以上、僕の思うオカルト映画史観でありました。
 

さて、そんな厳しい映画事情の中で120年前に生み出された古い設定を今もなお“頑なに”守り続けているジャンルがある。
 
しかも悪魔よりもさらに宗教的な限定条件があるにもかかわらず、設定の改変をする気配すらない。
それなのに世界的に受け入れられ、今もなお増産されているという謎のジャンルとは?
 
(安定の)次回に続く。
 

666

「ここに知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は666である」。(新約聖書 ヨハネの黙示録13章18節)
新約聖書の中にある一節で、これを元にインスパイアされた作品は数限りなくある。
この引用をするのは2回目だが、やはり日本人の間でもっとも馴染み深い作品といえば映画「オーメン」だと思われる。
 
 
悪魔の子ダミアンが無自覚に自分の敵となる人間を、あるいは悪魔のしもべたちがダミアンを忠実に護るべく殺していくという映画なのだが、パート1は生まれたばかりの赤ん坊という設定が意外で怖かった。
殺される人間はその前兆として写真に謎の傷がつき、その傷の通りの不可解な現象によって命を落とすのだ。
オーメンという言葉は「不吉な前兆」を意味する言葉だという認識をずっと持っていたのだが、調べ直してみると特に「不吉な〜」という意味合いに限定されるものでもないらしく、「縁起」なんて言葉にも当てはまるのだそうだ。
 
なおオーメンシリーズは怖いだけの映画だと思われがちだが、ダミアンが12歳に成長した続編「オーメン2」は、自分が悪魔の子とは知らずに育った少年の苦悩や悪魔としての自覚が芽生えていく姿が存分に描かれた“切ない映画”として知られている良作である。
 
 
もう一つ、オーメンと同じぐらい有名なオカルト映画といえば、これはもう「エクソシスト」で決まりだろう。
こちらはリーガンという可愛らしい女の子に悪魔が憑依し、当時は気絶しそうなぐらいショッキングな映像に世界中が衝撃を受けたと聞く。
「エクソシスト」という語感からしてまず怖いのだが、意味は「悪魔払い師」であり、映画の中では当然正義の味方の位置付けとなるので誤解なきようお願いしたい。
 
 
どちらも今見ても十分に面白い映画なのだが……
 
正直なことをいってしまえば、、、僕は「オーメン」にしても「エクソシスト」にしてもオカルト映画を代表する名作中の名作であることになんの異議を唱えるつもりもないのだが、、、実のところそんなに怖いと思ったことはない。
 
あれ?これ言っちゃってよかったのかな?(^^;
 
古い映画なのでそれ以降に出てきたインフレ化しまくった怖い映像に慣れてしまったのでは?と思う方もいるかもしれないが、そういうわけではない。
同時期に公開された「サスペリア」は、“決して一人では見ることができない”唯一の映画で今もあり続けている。
 
しかし正統派オカルト映画に限ってはあまり怖くない。
なぜだか想像がつくだろうか?
 

話は一旦置いておいて、僕はジャパニーズホラーが大の苦手である。
怖い映画は好きなんだけれども、「リング」「女優霊」「呪怨」「サイレン」「着信アリ」といった系統のホラー映画は能動的に見る気がおきない。
「リング」は映画としてのデキがあまりにも優れているので何度か見てしまったが、ラストまで貞子が出てこない引っ張り具合といい、満を持して貞子が出てきた時の雰囲気の凄まじさは何度見ても怖い。
 
その「リング」が世界的にも評価され、ハリウッドでリメイクをされることになった同名タイトルの「The Ring」だったのだが、これがどうしたことかちっとも怖くなかった。
リメイク作品が同じ怖さである必要は必ずしもないけれども、どうしたらここまで怖さの本質が消えてしまうのだろうか?と見た当時は不思議に思ったものだった。
 
結論から書くと、二つの映画の相違点は“湿度”にあるのだと思う。
西海岸のさわやかな気候の中、広い研究室のようなところにポコッと出てくるサマラ(ハリウッド版貞子)。
 
          「え?」
 
四谷怪談のお岩さんや牡丹灯籠のお露に匹敵する怖い怖い幽霊の象徴である貞子。
 
ぶっちゃけシアトルのカラッとした青い空には似合わない。
貞子はジメジメした井戸の中から、我々の日常空間である薄暗い畳の部屋に出現する非現実的現実感が怖さの本質だ。
だがしかし、その日本独特の湿度を果たして陽気なアメリカ人がどこまで実感できるのかは甚だ疑問である。
 

同様に我々日本人が知ることのできない宗教観というものがある。
 
オーメンやエクソシストの恐怖の本質にしても、悪魔といった超現実的存在や凄惨な手段で殺される描写部分ではない。
 
絶対安全領域、霊的結界であるはずの教会や、身を護ってくれる神父さんの能力が悪魔に対して無効だったという部分こそが、敬虔なクリスチャンにはなによりもショッキングだったに違いないのだ。
 
日本の怪談の傑作中の傑作である「牡丹灯籠」に例えるならば、高僧に書いてもらったありがたいお札を鼻息で吹っ飛ばして扉をあけてやってくる「スーパーお露さん2」のようなものだ!ひぃぃぃぃ!
(くそ、怖さが伝わるどころかこれでは単なるギャグではないか)
 
貞子の怖さにしても幽霊の定番である丑三つ時であるとか、呪われた場所など無関係、朝だろうが昼だろうがテレビ画面を介して自分の家にやってくるという回避不能、掟破りの呪いは絶望的に怖い。
 
この辺りの民族それぞれが持つお約束感や、それを覆す意外性を理解し想像することはできても、ストレートな「怖さ」として実感することは案外難しい。
 

ゴシック系正統派オカルト映画がたくさん作られていたのは1970年代あたりまで。
近年のオカルト映画はその頃とはだいぶカタチを変えてきている。
 
なぜそうなってしまったのか?
まったくもって当てずっぽうの持論でしかないのだが、思い当たる節がある。
 
(案の定)次回に続く。

シン・ゴジラ

ストーリーや核心部のネタバレは一切なしのレビューです。
細かな部分での些細なツッコミはあるけどきっと大丈夫です。
これから観たいと思っている人も安心して読んでくださいね〜(^^) 
 
 

映画が始まってすぐの違和感。
今の「東宝映画」のロゴの後にもう一度「東宝映画」が出てくるが、これが古いロゴとモノラル音声。
そして画面いっぱいでいきなり「シン・ゴジラ」のタイトル。
 
あ!これは初代ゴジラと同じだ!
 
冒頭からいきなりのオリジナルリスペクトである。
 
「これは気を抜いていたら細かい仕掛けをいちいち見落とすぞ…」
 
観る側も真剣勝負だ。
 

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それにしても恐ろしいまでの情報量。
リアルすぎるセリフっぽくないセリフ。
ゴジラの存在、使徒?エヴァ?
東京、政府、自衛隊、アメリカ。
日本人、愛国心。
 
あっという間の2時間だった。
庵野監督の無限大の力量を改めて思い知り、一生ひれ伏します!と今一度誓うのであった。
 
今の邦画がアツい。
とにかくアツい。
 
ハリウッド映画の調子こいた感じと比べると、その緻密さ精密さ謙虚さに感動させられる。
同じ日本人だからなのだろうか?
テキトーな感じを許さない日本人の真面目さが、この映画からも滲み出ているようだ。
 

エヴァを見たことのない人に「エヴァって面白いんですか?」と聞かれた時に僕がいつも必ず言ってみるのが以下の内容。
 
「とりあえずテレビ版の第一話だけ見てみてよ?それで続きを見たいと思わなければきっと好みじゃないと思う」
 
26話分のテレビシリーズに加えて旧劇場版が2作に新劇場版が現時点で3作。
さして好きでもないのに付き合うには結構な量だ。
無理に付き合わせるのも申し訳ない。
 
逆に言えば、それほどまでにエヴァの第一話にはエヴァのいろんな魅力が凝縮されていると思う。
それを感じ取れない人がエヴァを好きになるはずがない。
 
ばかにしているとか上から目線とかでそういうことを言いたいのではない。
僕にしたって同じようにピンと来ない映画や音楽は山のようにある。
 
例えば誰もが絶賛する「ブレードランナー」が僕はどうにも好きになれない。
何度見ても面白さが理解できないのだ。
納得はできるけれども魂を揺さぶられない。
 
こういった感覚は他人に説得されてどうこうといったことではないのだと思う。
好きか好きじゃないか、もしくは嫌いか?
人それぞれであって、そこに優劣も上下もあるはずがない。
 

今回の「シン・ゴジラ」の「わけわかんないテキが前触れなく東京にやってくる」という大雑把な筋書きは、エヴァの第一話とまるで同じだ。
 
しかしあまりにも違いすぎる各種設定と映画の内容。
あくまでもエヴァを生み出した庵野さんの新しい解釈でのゴジラだ。
 
つまり、悪いことは言いません。
エヴァが好きな人はどうしたってもう「見るしかない」のだ(^^) 。
 
誰とは言わないけどエヴァ好きのそこのあなた!
スケジュール調整してBeastParty前には観ておいてくださいね!
僕も最低もう一度は観ておきますんで!
 

ストーリーや核心部分でのネタバレは一切しないが、一つだけ音楽に関して。
 
ズルイ!ズルすぎる!(*´艸`) 
(素敵!素敵すぎる!の意訳)
 
往年のゴジラファンはもとより、エヴァファンにもとんでもない嬉しい仕掛けが施されている。
 
ここであの音楽がきたら……というタイミングでまさしくそれが来てしまうのだ!
 
ズルイ!ズルすぎる!(*´艸`) (再)
 
しかもゴジラのオリジナルサウンドトラックはキッチリとモノラルなんである!
 
シン・ゴジラの音楽は鷺巣詩郎さんである。
言わずもがな、エヴァを始め数多くの庵野監督作品の音楽を作り続けている方だ。
僕は鷺巣さんを勝手に師匠とあがめて毎年勝手に年賀状を出しており、勝手に弟子を名乗っている勝手な関係でしかないのだが、とにもかくにも僕の音楽人生に強い影響を与えていただいた、とても尊敬している音楽家の一人である。
今回のゴジラの新しいテーマも素晴らしく最新のゴジラであり、そして説得力に満ち満ちた新解釈の曲だと思いました。師匠!(´;ω;`)ブワッ
 
そして、オリジナルの作曲を手掛けた伊福部昭さんの一番弟子である和田薫さんは「犬夜叉」「金田一少年の事件簿」などの作曲をされており、仕事面でとてもお世話になっている先生である。
和田さんは昨今の伊福部昭生誕祭のプロデュースや指揮などでも深くゴジラにかかわっているとても偉い先生ではあるのだが、DTMに関しては僕が師匠の逆関係でもあるという、とても仲良くしていただいているやっぱり偉い先生なんである(^^。
 
さらに15年ほど前に製作された東映版の「平成ゴジラ」の音楽は大島ミチルさんが作曲しており、こちらのシンセオペレートをしているのが何を隠そう僕なんである。
 
加えて僕は幼少の頃からの怪獣好き。
高校生の頃は8ミリフィルムで映画を作り続けていたぐらいの特撮好き。
 
言ってみればこれはもう、
僕のために作られた映画のようなものだ!(絶対違)
 
うん、絶対違うのだけれどもね(^^;
だけども、思い入れはどうしたって強くなってしまう映画であるし、その映画がこれだけ素晴らしい内容だったのだ。
 
少々ブログが熱くなったところでバチは当たるまい。
 

しばらく経って、少なくとも2回目を見終わった辺りでネタバレ全開のエントリーを改めてしてみたい。
 
あぁぁ!本当は今すぐにでもアレやコレのことについてさんざんぱら話したいんだぞー!( ゜∀゜)・∵.ぎゃぼー 
 
なお、東宝映画の代表作である「ゴジラ」でもある。
 
今回はせっかくなのでTOHOシネマズの最高峰と言われているTOHOシネマズ新宿の9番シアターで鑑賞をしてきた。
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DOLBY ATMOS対応作品でなくとも現状最高スペックでの鑑賞である。
 
参考までに最前ブロックの最後尾列のF列は視界いっぱいの大迫力であった。
2ブロック目の最前G列は誘導灯の灯りやトイレなどで出入りするお客さんが案外気になったりするので、実のところあまりオススメできない。
迫力を味わいたい映画はどの劇場に限らず、最前ブロックの最後尾列がオススメである。
 
なお、自分のオタク歴を晒すようだが、庵野監督作品を最初に見たのは1984年、九段会館「DAICON FILM上映会」での「帰ってきたウルトラマン」である。
どうだ、まいったか(笑)
 
140915