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カメラを止めるな!の特典映像が面白い!

「カメラを止めるな!」の特典DVD「現地リハーサル通しver.」が想像以上に面白い。尚今回は内容について一部ネタバレありの説明をしている。作品の面白さにさほど影響しないであろうとはいえ、やはりこの映画のベストの視聴環境は「何も知らずに観る」だと思うので、知りたくない人は読んではいけない。一応「ネタバレガード」を途中で一回入れておく。

僕は元々15〜20歳ぐらいまで、主にサークル活動で自主制作映画を作っていた。僕自身はその頃からホラー映画が好きだったので「人を飲み込む校庭の砂場」とか「女子高生が無自覚に吸血鬼になっていく」とか「人体実験をやっているらしい病院の地下での警備バイト」とか、そんな話ばかり妄想しては脚本を起こし、仲間内でキャストやスタッフをグルグル回しながら作っていた。

右奥で撮影しているのが高校時代の自分である


そんな前科があるので、映画のメイキング映像を見るのが昔から好きだった。舞台裏の種明かしや苦労話は、ある意味で本編より面白く感じられるからだ。そういった興味は音楽方面でも同様のようで、表舞台に立つことよりもとにかく裏方スタッフをやりたいという気持ちのほうが俄然強かった。

キャストとスタッフを兼任しながら少人数で作る映画というものが低予算映画では商業作品でもよくある。別の映画なのにキャストがほとんど丸かぶりしていたりしていて面白い。
「ピンクフラミンゴ」で有名なジョン・ウォーターズ監督なんてどの作品を見てもほとんど同じ人しか出てこない。またジェームズ・キャメロンやティム・バートンといった大御所監督のキャストの使い回しも有名だ。特に主役クラスではなく脇を固めるキャストは、両監督ともに思い入れの強い俳優さんが多いようだ。

以前「ラヂオの時間」を紹介した時にも書いたが三谷幸喜や伊丹十三もそうだし、最近では福田雄一監督作品によく出てくる役者さんは「福田組」と呼ばれるようにまでなっている。佐藤二朗やムロツヨシは福田作品の中ではなくてはならない存在になっているだろう。

ここからネタバレあり。

「カメラを止めるな!」の通しリハーサル映像。既に映画を見た方ならご存知の通り、ノンストップワンカットで撮影された映画序盤は舞台劇さながらリアルタイムに進行していく。完成した映画を繰り返し見るほどに「それにしてもよくできているなぁ」と感心してしまうのだが、この通しリハーサルを今回見てさらに「それにしてもいやいや、本当によくできているんだなぁ」と大きく頷いてしまった。


回しているカメラは一台のみなのだが、映画撮影の現場というのは当然カメラマン一人だけで撮影しているわけではない。「アツアツファンブック」のスナップにあった「『撮影スタッフ』を撮影しているスタッフ」という二重の絵それだけでもかなり面白いのだが、ガンマイクで音声を拾う人、照明やレフ板を持つ人、監督、メイク、造形スタッフなど大勢が同時に動いている。通しリハ映像にはそういったスタッフが画面のあちこちで見切れてしまっているわけだが、インディペンデントのかなり小規模な撮影チームとはいえ、OKテイクでよくぞこの人達を一度も写すことなく撮りきったものだと感心してしまった。


そしてカメラマンの体力!階段を駆け登ったり降りたり草むらを走って転んだりは映画を観ていた時からわかっていたのだが、通しリハ映像は効果音もBGMも入っていない素のままの音声。動きの激しい画面では激しい呼吸音が、それこそゼーゼー言いながら必死で追いかけている雰囲気が映画以上に伝わってくるのだ(笑)。暗い室内や明るい屋外の出入りでは画面がブラックホワイト両アウトしてしまったりといった技術系トラブルもバンバン起こっている。

ちなみに映画の中盤で血糊がレンズに飛び散ってしまうという映像があるが、これは演出ではなくまさにガチで起こったトラブルだったそうで、カメラマンが布でゴシゴシ拭いている(笑)。「なんてデタラメな!でも面白い!」と思ったものだ。


さらに録音の絶妙さ!映画の舞台は廃墟となった浄水施設。セリフは建物内を反響しまくって非常に聞き取りにくいのだが、通しリハ映像では本当に音がグオングオン回ってしまっていてよく聞こえない。セリフの音量差がこんなにあったのか!と思うぐらいに大きな声と小さな声の差が大きかった。スタッフの声や呼吸音を消し音楽や効果音をつけるポストプロダクション作業は本当に大変だったとは思うのだが、ほとんどは監督が自宅のパソコンで作り上げたらしい。その辺りの制作環境も今やそのレベルで作れてしまうのか!と思ってしまった。


僕の中ではまだまだ終わらない「カメラを止めるな!」だが、尚「カメ止め」という略語は自分の中では禁止行為である(笑)

ああ!自分もまたこういった作品作りを再開させたい!「カメラを止めるな!」は僕にとってそんな願望を激しく喚起させる映画でもあったのだ。
高校時代の映画友人とは今でも交流があり、何年に一度か集まって飲んだりもしている。とりあえず監督をやっていた男と「近々会おうな!」とコンタクトを取ったのが8月。しかし未だに実現していないのはほとんど自分の事情である(´_ゞ`)ちーん 

にぎやかな現代

YouTubeが広告なしのサービス「YouTube Premium」を始めるらしい。
価格は月額1,180円。
これを高いと取るか安いととるかだが、広告なしだけでなくオリジナル番組や音楽配信サービスもあるそうなのだが、…うん、高いだろう(笑)
 
逆に考えると、YouTubeに日頃見せられている広告にはそれだけの価値があるということになり、オトナの視線で考えると広告主はそれだけの広告費をYouTubeに支払っているということなのだろう。
 
TVの視聴率が低迷する昨今、広告は手を変え品を変え我々の生活の中にグイグイと忍び込んでくる。
 
筒井康隆の短編「にぎやかな未来」を思い出さずにはいられない。
テレビやラジオはもちろん、レコードや電話にまでも広告が割り込んでくるIFの近未来のお話。
「常に何かしらのメディアを見ていなければならない」という法律を守らねばならず、必然的に広告を見せられ聞かされる毎日。
そんな世の中で一番価値のある時間とは?
それは「無音のレコード」を聴くこと。価格は10万円。
 
 
現代社会はありがたいことにテレビもラジオもスイッチを入れなければ無音状態にできる。
しかし我々は積極的にネットを徘徊し、目と指の先にダメージを負いながらスマートフォン中毒に率先してなりつつ、自ら広告を見続けているような毎日を過ごしている。
そんな中での「YouTube Premium」はまさに「無音のレコード」に通ずる何かを感じてしまう。
 
今のところ加入する予定はないが…(笑)
 
 
 
調べていたらこんなイベントを見つけた!行きたい!

背中で着る

ハロウィンパーティー2018年の全体スタッフとして関わっている。
いろんなバンドやアーティストが束になって参加するイベントなので、当然バックステージには普段の数倍のスタッフが溢れかえっており、入れ代わり立ち代わり忙しそうに働いている。
 
今日はそんなライブ現場のスタッフ間での暗黙の了解の一つを紹介してみたいと思う。
 
大きなイベントではたいてい「クルーT」「ツアーT」と略されるスタッフ用のTシャツが配布される。
例外はあろうかとは思うが、主に
 
○黒い
○「CREW」の文字が入っている
○誰が着てもなぜかそれなりに似合う
 
といった条件を満たしているものがほとんどだ。
大好きなアーティストを応援しているファンからすれば「欲しいけど手に入らない垂涎のアイテム」なのではないだろうか?(え?そんなに欲しくないですって?僕はやっぱり憧れのTシャツでしたぞ)
 
ところが多くの現場では各自に配られるクルーTは基本的には1枚。
様々な期間のツアー中に洗濯をしながら大事に大事に着なければならず、また汗だくになる場合も多い現場なので、扱いはそれなりに気を使う。
一日だけのイベントならば問題はないが、今回のような3Daysのイベントを1枚のTシャツで乗り切るのはかなり厳しい。
そこで全スタッフがほぼ確実に実行していることがある。
それは、本番以外の時間は別のTシャツを着ているということだ。
なるべくツアーTを着用している時間を短くすることで連チャンで着られるような工夫だ。
 
というわけで本番前のサウンドチェックやリハーサル時は各スタッフは統一されていない自前のTシャツを着ているわけだが、ここに舞台裏独特のオシャレというかコダワリがあるから面白い。
(下のお二方が着ているのが今年のハロパ仕様のクルーT)
 
実のところこの時に何のTシャツを着ていても構わないとは思うし、女子スタッフはフワッとした可愛らしい服を着ている子もいるにはいるのだが、ほぼ全てのスタッフは「普段のツアーT」を着ている。
単純に「DAIGOのスタッフです」といったアピールになるからだとは思うのだが、やはりそれだけではないように思える。
以前氣志團万博の時にも書いたことがあるのだが、それぞれのアーティスト専属のスタッフは誇りを持ってクルーTを着ている。
バックステージを歩いているとそんな風に思えてくる。
 
我らがHYDEスタッフはどうだろうか。
うん、やはり背中がカッコイイ。
(実は今年のクルーTにも複数のバージョンがあったらしい。日程の入っていないもの、追加公演がプリントされたもの等…尚、シークレットの熊本がプリントされたバージョンは存在しない(笑))
 
そしてさらにクルーTの年代が古ければ古いほど、一目置かれるランキングは上昇していくらしい。
例えば2006年のFAITHツアーのクルーTなどを今年のハロウィンパーティーで着ていたらと想像すると…「物持ちよすぎ!」とは思うけれども、やはり「すっげー前から関わっている人」として一目置かれることは間違いあるまい。
たかがクルーT、されどクルーTなのである。
 
そんなクルーTを背中で着て、本日最終日のハロウィンパーティーを無事終了できるよう、助力の一人として仕事をやり遂げたいと思う。

Oさんのこと

仕事がはかどらない連休を過ごしている。
短期的、中期的、長期的、大きく分けてやらなければならないことが3つある。
もちろん目の前のことからやっつけていくべきなのだが、バランスよく進めていくように意識すればするほどに効率が悪くなっている。
今でこそ締切をキッチリと守り余裕を持って仕事に取り組めるようになった社会人…少なくともそうでありたいと思える人間には成長している自分ではあるのだが(歯切れが悪い)、若い頃の自分はそうではなかった。
世の中の締切というものは、たいてい実は上の人が楽をできるような配慮のために下に行くほど理不尽な思いをするように構築されていることを知っていた自分は、上の人に迷惑をかければ辻褄が合うことを知った上での仕事っぷりだったように思う。
とても反省している←
 
そんなわけで以前所属していた事務所には、僕の仕事を監視する係の人がいた。
すぐサボるからである。
年下で小太りのC君は「斉藤さん仕事してくださいよ〜」と懇願をするようなタイプだったが、当然のようにそんな奴のいうことはきかない。なめているからである。
ボスは非常に怖い人だったが、怒られることに慣れていたのでやはりサボっていた。
天の邪鬼な性格を自覚する自分を動かすことは、当時結構大変だったと思われる。
とても反省している←
 
そんな状況の中で新たに投入された監視係がOさんだった。
Oさんは僕よりも6つほど年上でのんびりした性格の人だった。
サボり会話をしようと話しかけるとどこまでも付き合ってくれ、「今日はもう仕事やめちゃえば?」とサボりを励行するような人だった。
「なんて楽な人が監視係になってくれたのだろう」と最初は喜んだのだが、当然のごとく仕事は遅々として進まない。当たり前である。
Oさんは仕事を急かすようなことを一切しなかったからだ。
 
そのうちに「あ、これはまずい。自分でコントロールしないと上に迷惑をかけて済むレベルの話ではなくなってくるぞ」と思うようになった。
自主的にスケジュールを組み、それに沿うように仕事を進めるように意識するようになった。
僕がそうなってもOさんは昼行灯のごとく何も言ってはこなかった。
「いてもいなくても同じじゃん!」と当初は思ったのだが、実のところOさんのおかげで僕は自分の仕事のペースを把握することができたようなものだった。
はなはだ納得が行かないのだが、感謝をしなければなるまい(笑)。
 
 
はかどらない連休をグダグダ過ごしていたら、当時のことを思い出した。
Oさんはその後ご自分の古巣であるCM業界に戻られたようだが、元気になさっているだろうか?しばらくお会いできていない。
ブログにこんなことを書くという現実逃避をしつつ、書き終わったら今度こそ作業に復帰しよう。
 
本当に進みが悪かった連休だったが、まもなく終わってしまう。ヤバい!
来週はDTM講座!(ちなみこれは中期的に仕上げなければならない事案である)

アルコール濃度

「事故後の呼気検査では、呼気1リットル当たりの基準値0.15ミリグラムの4倍ほどである0.58ミリグラムのアルコールが検出されていた。」
 
つい最近、某タレントさんが起こした事件である。
お酒が大好きな自分でもあるので、こういった事件は他人事ではないのだが、自分の中でキッチリと守っているルールが一つだけある。それは、
飲んだら乗るな 乗るなら飲むな」だ。
大好きなお酒を悪者にしてはいけない。
 
ここ最近は月イチで「おとなのためのDTM教室」を東京町田で開催しているのだが、持ち込む機材が多いので車で向かう。
しかし全三部構成の講座の第三部は「お食事会という名の講座でもなんでもないただの宴会」なので、ここは渋々でもお酒を飲まなければならない…本当は飲みたくないのにと書いてるそばから嘘八百であることが明らかなので白状するが、まぁ飲み会は楽しいので当然飲む。飲みますってそりゃ(笑)
その日のうちに車で帰るためにノンアルコールビールでお茶を濁すという選択もなくはないのだが、「車を置いて電車で帰宅して翌日の朝再び車の回収に町田に戻る」という行動に一切の迷いはない。
相当面倒くさいことも間違いないのだが、やはり酔っ払い運転をするという選択肢は絶対にないし、ノンアルコールビールという選択も今のところはないようである(笑)。
 
 
ところで「呼気1リットル当たりの基準値0.15ミリグラム」とはどれぐらいなのだろうか?
こういったニュースではよく聞くものの、具体的にどれぐらいのニュアンスなのかが今ひとつ掴めない。
わざわざ「アルコールチェッカー」を購入してまで知りたかったわけでもないのだが、ここ最近マイ肝臓のお酒の分解能力が低下してきたのか、朝起きても前日のお酒が抜けきってないような感覚の寝覚めが増えてきたように思っていた。
飲酒運転は決してしないとは言え、もしも翌朝になってもお酒が抜けず、意識せずの飲酒運転をしてしまうことになるかもしれないという危機感は抱いていた。
 
ネット通販で調べてみると安いものは1,000円から、上は数万円まで様々だ。
「会社にある業務用と並べて計測しましたがほぼ同値が出ます」といった頼もしいレビューが寄せられていたお安い商品を購入決定!翌日には届くテンポの良さよ♪
 
早速ビールを二缶(350+500ml)あけてウキウキと計測してみたところ…
おお!反応している!
血中アルコール濃度0.14%に5を掛けると「呼気中アルコール濃度(mg)」になるらしい。
つまり午後8:33の時点で0.14×5=0.7mgとなった。
飲酒直後とはいえ、ビール2本で案外高い数値になっちゃうものなのですなぁ…
 
その後焼酎(25度)をロックで2杯程飲んで計測してみたところ、この計測器の上限0.19%(0.85mg)に達してしまったので(^^;、しばらくお酒を飲むのをやめて雑事を済ませさらにHuluで映画を一本見る。
そして見終わった頃に再度計測してみると…あ、やや測定値が下がっている。
午後11:51 0.12%(0.6mg)となり、
某タレントさんの計測値とほぼ同等の値となった。
 
この状態で運転することを想像すると、今の自分はゾッとするほどの酩酊具合である。
しゃべればロレツがあやしいだろうし片足で何秒間立っていられることか?
リアルで僕の飲む姿を知る人なら「飲み始めて1時間あたり」と思っていただければよろしいかと思う。
 
これで運転…ありえん!
 
と思いつつも、そう!この感覚を自分の身体で実感したかったのだ!
呼気中アルコール濃度0.6mg、血中アルコール濃度0.12%はこれぐらい!
 
実感よし!目標達成!
 
幸いこの時点の僕は、ただ単に家で陽気に酔っ払っているだけなので無問題である。
その後「計測値が下がっちゃったことだしな…」と意味不明な言い訳をしてからさらに焼酎を飲み、再び計測値をMAXまで上げたのでありました。
就寝前の午前1:17 再びMAX値0.19%(0.85mg〜)
 
 
翌朝起床。
自分のアルコール分解能力をいろんなパターンで検証その2は、睡眠5時間の時点でどうなっているか?
 
午前6:55 しっかり酒が残っている!0.06%(0.3mg)
 
やはり起きた時に「ううう…酒が残っていてつらい」と思った時はまだ酒が抜けていないことが判明。
 
しかし、そこから口をゆすぎ顔を洗い、コーヒーを飲んで頭がシャキッとしたところで再度計測してみたところ、
午前7:43 0.00%(0.0mg)
 
軽い二日酔い感覚はあるものの、少なくとも計測値は0.00%まで下がってくれた。
どこまで正確な数値なのかはわからないけれども、細かな誤差はともかくとして概ね正常に動作していると思われる。
 

さて、アルコール分解能力について調べてみると面白い。
まずはなんと言っても「眠る前の1時間には飲酒をやめる」がとても効果的だ。
人間の内臓は睡眠中、心臓や肺臓や小腸といった常に動いている内臓以外は、(最低限の機能をしつつも)基本的には身体同様に眠ってしまうそうだ。
当然肝臓もアルコールを分解する能力が極端に低くなるので、必然的に翌朝までアルコールが持ち越されてしまうというわけだ。
上記の実験でも、起床直後にはアルコールが残っていた。
しかし1時間ほどで残留していた0.06%のアルコールは分解されたようだ。
当然、眠る前の「飲んでいない時間」が多ければ多いほど、より多くのアルコール分解が睡眠前にされることになる。
 
そしてとにもかくにも水分。
アルコールの分解には水分が不可欠となる。
ビールのように水分メインのお酒はともかくとして、焼酎やウイスキーといったアルコール度数の高いお酒を飲む場合は、とにかく多めの水を飲むように心がける。
 
「多めの水と眠る1時間前にはお酒ストップ」の二点を意識するだけで、翌日の朝の快適さがまるで異なってくるのだ。
呑兵衛の皆さんは是非とも意識をしてみるとよいだろう。
 
ただ、この辺りの分解能力には個人差がかなりありそうなので、あくまでも参考程度と思っていただけたらと思う。
 
そして現時点でわかっていることは、自分の肝臓のアルコール分解能力は一般的なサイトが示している数値を逸脱した優秀さを誇るらしいということだ。
お酒が弱い人なら15時間以上かかる分解量をどうやら6時間、ビール2本程度なら3時間で分解できているっぽいが過信は禁物、「飲んだら乗るな」のルールは絶対に破らない。
 
今後も実験と計測は続けたいとは思ってはいるのだが、どうにもお酒が大好きすぎるので「飲み終えてから1時間起きている」というのが今のところ一番つらい(^^;
「もう一口だけ!」と就寝時間が先送りになってしまう傾向が強く「今日は30分で寝ておくか!」と、いらない実験結果ばかりが蓄積していきそうな悪寒。
 
目指せ!飲み終えてから2時間後に就寝!←無理
 

どうでもいい話

今日はどうでもいいが致命的に恥ずかしい告白をしてみたい。
Twitterで140文字以内の簡潔な短文で告白をしたかったのだが、どうにもニュアンスが伝えられそうにもなかったのでブログに書くことにした。
 
みなさんの生活の中に一定の割合で浸透していると思われるブリックパック。
いちご味、バナナ味、フルーツ味、コーヒー味、ヨーグルト味、といったジュースとミルクを足したような味の乳飲料が多いかと思う。
告白というのは他でもない。
僕はこういった形状のブリックパックが子供の頃から得意ではなかった。
イチゴ味もバナナ味もフルーツ味も味自体は大好きなのに、パック本体に付属しているこのストローとの相性が悪かったからだ。
二段階式に伸びるストローが満足に伸びてくれなかったり、差込口に入れたらなにごともなくそのままストロー全部が中に入ってしまい、、、「え…で?どうしたらいいの?」と途方に暮れたりと、昔からろくなことがない。
(慎重に取り扱っているにも関わらず「ピュッ」と中味が飛び出してしまうことも数え切れないほどやらかしている)
 
そもそもこのストロー、なぜこんな強力な粘着力でパックにくっついているのだ?
それを剥がすだけでも大変だし、袋状をしたビニールからストローを取り出すのも大変だ。
(この時点で「え???」と思った方はどうかそのまま読み進めていただきたい)
 
粘着力の強いビニール袋をパックから剥がすのがまず大変、そこから細いストローを指先を使って取り出すのも大変。こんなもの小さな子供が取り出すのはまずもって無理…
と思っていたのだが、昨日僕のとなりにいた4歳ぐらいの女の子がいとも簡単にスポッとストローを取り出しているのを無意識に見てしまい…3秒後に
「!!!???えええええ!!!!」
と驚かされた。
 
思わず自分でも数年ぶりに苦手なブリックパックの飲料を購入し(上の写真)、その女の子と同じように試してみる。
 
ストローをパックから剥がさずそのままストローのお尻を押せば簡単にビニールを破って出てくるではないか!というか、そのための強力な接着だったのか!
 
51年間知らずに生きてきてしまった!(恥)
 
追記:こういうタイプのものも全て、まずストローを剥がしてました。
 
しかし今まで誰も僕のそういった動作の誤りを指摘してくれる人がいなかったのはなぜなんだろう?(-“-)
 
おそらくは…多分そんな細かすぎる仕草など誰も気にしていないのだろう。
 
そしてなぜ今までずっとストローを剥がしていたのかと分析するならば…多分ビニール部分がパックなりカップなりに付着したままの状態が微妙にイヤだったような気がするが、後付の感情のようにも思う(^^;
 
 
本当にどーでもいー話でしかないのだが、自分の中では「今になって知ったこと」というちょっとした感動話であるわけだ。
無理やりお付き合いいただいてしまって申し訳ないが、話は以上である(笑)

テレビという名のフィルター

 
関西方面に甚大な被害をもたらした台風21号、そして北海道で震度7を観測した大地震で被災された皆様、心よりお見舞い申し上げます。
一日も早い復旧、並びに現状復帰を心よりお祈り申し上げます。
 
 
災害続きの日本列島である。
台風で西日本に甚大な被害をもたらしたかと思えば翌日の北海道大地震…
我々の国に試練が続いているように感じる瞬間があったりもするが、杞憂であると信じたい。
 
それにしても今回の災害で顕著に感じたことは「もはや報道に関わる人の多くが職を失っているのでは?」ということだった。
ニュース映像の多くが「SNSで拡散されている動画が再編集されたもの」、つまるところもはやほぼ全てのソースは一般人の撮影した動画がほとんどで、業務用カメラ映像は、せいぜい記者会見やスタジオでの解説程度といった印象しか抱けないのだ。
 
いつの間にか報道機関は「まとめサイト」のような役割になってしまっている。
下世話なスッパ抜き等の芸能人張り込みネタ等を除けば、もはや「スクープ映像」は一般人によって撮られるものになってしまっているのではないだろうか。
 
現地での報道にしても、レポーターが派遣されて取材をする映像はまだしも、ディレクターが直接一般人にインタビューする映像などは画像も荒く編集も粗雑だ。
ユーチューバーの作る映像との差をほぼ感じない出来栄えといっても差し支えあるまい。
逆に言えば、撮影編集機材の進化によって素人でもクオリティーの高い映像作品を簡単に作ることができる時代になっているのだろうし、実際そういったハードウェア面でもほぼ同等になっているのだろう。
 
そしてテレビで流れる映像とSNSで流れる映像の印象を比べると…もはやテレビは「リアリティー」という方向性ではSNSに大幅な差をつけられているといって差し支えないような気がする。
そこで起こっているリアル」は、一般人視線、未編集の映像の方が圧倒的に勝っているように思う。
 
どういった倫理規定でカットされているのかはわからないが、印象としてのテレビの映像は、肝心な部分にフィルターをかけているかのような?まるでオブラートにくるんでしまっているような?映像に思えるからだ。
 
それだけならまだしも、TV番組は根拠に乏しい自称専門家や御用学者の余計な意見によって事実を歪め伝え、少しずつ少しずつ「真実」とは異なった印象に誘導しているようにも思える。
 
 
Twitterにちょろっとリツイートもしてみたのだが、東大地震研の予想はまたしてもはずれた。
にもかかわらずどのツラ下げて毎度毎度彼らはテレビにノコノコと出てこられるのか?
「厚顔無恥」とはまさにこのことであろう。
 
前にも書いたことではあるが、彼らが地震の研究を続けることは一向に構わない。
しかし、今後は地震予測の事前発表は一切控えたほうがよろしいかと思う。
人々の生活や生死に関わる重大な案件であるにも関わらず、ここまで結果として「当てずっぽう」の予測しかできないのでは困るのだ。
 
事実彼らの「当てずっぽうな予測」で東海地方に膨大な耐震対策予算が割かれたトバッチリで→十分な予算を与えられず→結果として大被害を被ってしまったのが→今回の北海道であり→数年前の熊本であり→そして福島→中越→阪神大震災であっただろうからだ。
30年以上前から南海トラフや東海地震といったワードを聞き続けたにも関わらず未だ起こらず。
起こらないのはよいとして、その間に一体どれだけの大地震が日本列島各地で起こってきたことか?
そしてどれだけの犠牲を払ってきたことか?
無責任にも程がある。
 
「日本中のいつどこでどの規模の地震が起こるか全く検討もつきません」が結論ならばそれで構わない。
しかし「今から30年以内に千葉か横浜で震度5以上の地震が来るかもしれないし来ないかもわからない」と既にして言い訳だらけの、「それ予想?」というレベルの世迷い言をのたまり続けて50年間、笑うしかないという程に一度として当たることなくハズし続けているのだ!
 
http://jinxito.com/2018/06/18/earthquake/(6/18のブログ記事で使用した画像を引っ張ってきました)
 
前回同様、これだけ広範囲の地震予測にもかかわらず(これを予測と言えるならば…ではあるが)今回の震源地も狙いすましたかのようにピンポイントではずしている。
 
 
そんなことに年間数百億円の予算が投じられているのかと思うと…「どうなんですかその方向性は?」といった疑問も抱きたくもなってしまう。
少なくともそう思ってもバチは当たるまい。
 
(2011年4月の記事。7年経ってもこの国は何も変わっていない)
 

話を戻すと、一般人がスマートフォンで撮影した動画がSNSを通じて世界中に拡散される。
情報規制もなく今目の前で起こっている出来事を世界中の人間がたちまち共有できること。
これは素晴らしい流れだと思う。
既得権益やらオトナの事情やらでがんじがらめのジャーナリズムというフィルターを通すことなく伝えられる真実。
しかし本来のジャーナリズムとはそうあるべきものだったはずなのに…とも思う。
 
いつから我が国ではここまで事実を捻じ曲げなければ公共の電波に乗せられなくなってしまったのだろうか?
 
今回の二つの災害の報道。
ネットとテレビを見比べてハッキリと感じた差異であった。
 
 
最後に無理くりゾンビネタにつなげるわけではないのだが、故・ジョージ・A・ロメロ監督は10年前の2008年の時点で既にそういった視点の「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」という映画を撮っている。
人間はこの感覚に慣らされていくと、最終的には目の前で起こっている現実よりも、YouTubeで見る映像、フィルターを通して見る映像にリアルさを感じるようになるという警告をした映画であった。
当時はピンと来なかったテーマも、今になってみると非常にわかりやすい内容であると思える。
※まぁゾンビ映画なんで「目の前のゾンビが信じられずに食べられちゃう」って、、、ぶっちゃけそんな話なんですけどね!←それよりだいぶ奥深いし!
 
※ゾンビ作品のバナー貼り付けは過激な画像が多いのでなるべくマイルドなものを貼るように気を使っております(笑)。現在Huluにて配信中!

毒について考える

微量の毒は薬となるが、大量の薬は毒になる。
また、善玉と思われていたビフィズス菌等の「聞こえのよい細菌」が実は人間の腸内解釈では「外敵」として認識され総攻撃を食らう対象であったという意外な事実についてをまとめた前回だった。
 
ところで自然界には食物連鎖を基本とする上下関係のようなものがあるのだが、外敵から身を護るために「毒」を持つ生物や植物が多数存在している。
 
コアラの主食であるユーカリの葉は毒性が強く、コアラ以外の動物は食べることができないそうだ。
ではなぜコアラだけがユーカリの葉を食べることができるのかというと、そこにはコアラという愛らしい見た目をした動物の悲しい進化の歴史があった。
つまり、愚鈍でおとなしいコアラという生き物は、生存競争の中で他の動物に勝ち抜くことができず、結果として他の動物が見向きもしない毒の葉っぱを食べることに順応することで、競争率のない食べ物を勝ち取ったそうなのだ。(コアラは体内でユーカリの毒素を分解する酵素を出すことで無毒化をしている)
 
 
真実は定かではないのだが、コアラはユーカリを美味しいと思って食べているわけではないらしいという説がある。こればっかりはコアラの心のわかる読心術者でもない限りはわからないことだろうけれども、少なくともユーカリの葉は毒性が強いのに加え、栄養素も乏しく消化も悪いそうなのだ。
可哀想なコアラはそんな葉っぱを消化することに生命エネルギーの大部分を注がなければならず、一日のうちの20時間を眠ることによってかろうじて生存ができているという非常に効率の悪い生涯を送らなければならない運命なんだそうだ。
 
ここまでをまとめると、毒性を持つ植物は「俺を食べたらひどい目に合うぜ?」という警告をしているわけであり、それは動物の防御、例えばスカンクのオナラ、ハリネズミのハリと同じような威嚇的な性質であるのだろう。
ユーカリのように善戦むなしく順応され食べられてしまう例外もあるけれども、あくまでも「食べられないための努力としての毒性」であることに違いはない。
 
 
一方の果物に関してはどうだろうか?
完全に真逆の方向性を向いている。
 
甘い香りを放ちつつ、むしろ「ほら!わたしを食べて!」と動物に捕食されるためのアピールを怠らない。
食べやすく柔らかい果肉は美味ではあるが、その中にある種は消化されずに残留したまま糞の中に排出される。
大地に根を張りそこから動けない植物は、自らの子孫を繁殖させる手段として、動物に実を食べられ種を遠くに運んでもらうという遠大な計画により、自分自身が美味しくなることを進化の道として選んだのだろう。
これはこれで納得のできる生態系のあり方だと思える。
 
ここまでが前説のようなもの。
面白い話はここからだ。
 
最近になって「毒であることを悟られないようにしつつも積極的に食べられようとしている菌類」の存在が明らかになってきている。
つまり、防御としての毒ではなく「美味しそうでしょ?食べてごらんよ!」と果物のような魅惑的なルックスと芳香で動物を誘惑する存在だ。
 
そしてこの誘惑は野生動物に限らず、過去の歴史から人間も騙されてしまっていたことがわかる。
おわかりだろうか?
 
いわゆる「毒キノコ」だ。
食べると死んでしまう猛毒キノコについての記事
 
多くの毒キノコの特徴として挙げられる「すぐには効果のあられない毒性」が長年疑問視されていたそうだ。
「食べられないようにするための防御としての攻撃」であるならば、味はまずくてニガくて口にした瞬間「危険!」と思われることが大切だ。
いかにも危険そうな見た目というのも重要なのに、毒キノコはそこまで毒々しいルックスをしていない。
 
そう、ほぼ全ての毒キノコは防御をしているようにはまるで思えない。
 
むしろ果物のように魅惑的な香りを放ち動物を引き寄せて美味しく食べられるわけだが、食後数時間〜数十時間が経過しないと毒が効かない。
これでは食べられ損のようなものではないか。
なぜ毒キノコはそのような性質をしているのだろうか?
 
なにかの罠?
そう!明らかにこれは罠!
そこには植物のタネと同じ働きが隠されていたのだ。
 
毒キノコを食べた動物はしばらく森の中をウロウロした後、ゆるやかに毒が体内を巡り、やがて動けなくなり死に至る。
亡骸は「森」によって速やかに分解され土に返される。※ここでの「森」とは小動物や昆虫や微生物といった森に生息する生物全体を指す。「動物→植物」という一方的な食物連鎖のように思えても、動物が死ねばその養分は結果として土に養分として返り、植物に還元されるという『循環』をしていることがわかる。
 
毒キノコを食べた瞬間にその場で死なない理由も「森全体に栄養素としての動物の亡骸をまんべんなく広げるためには即効では効かない毒性の方が都合がよい」と考えると、実にすんなりと腑に落ちる話となる。
 
そういった仮説を前提に改めて毒キノコを見てみると、警戒色というよりはむしろ「より目立つ」という方向性での進化をしてきたようにも思えてくる。
夜行性の動物にも発見されやすいもの、あるいは見た目が地味でも普通のキノコと見分けをつけにくいというもの、どちらもいかにも罠っぽい。
 
 
毒キノコとは、「森」という大きな意味での「巨大生物」が生み出した特殊な存在なのではないだろうか?
 
もしかしたら動物と植物の生態バランスによって毒キノコが大量に発生したり、減ったりしているということもあるかもしれないというか、きっとあるに違いないような気がする。
 
森のなかのバロメーター、バランサー、守護神こそが毒キノコなのでは?
 
現時点ではまだ仮説の域を脱してないそうなのだが、実に興味深い内容だ。
 
 
前回の内容と同様、毒キノコはごく少量を摂取する分には多幸感や幻覚などの快楽をもたらす麻薬として作用するが、一定摂取量を上回れば毒となり死に至る。
 
 
尚、本文とは全く関係のない話だが、僕の実の兄は「キャプテン・ウルトラ」に出てくる宇宙人「バンデル星人」を、「あれは椎茸のお化けなんだぞ〜」と父にからかわれたのを当時真に受け、それ以降椎茸が一切食べられなくなってしまったというトラウマを抱えていたが、、、今もそうなんですか?(笑)
 
〜本日の結論〜
毒キノコには注意しよう
バンデル星人にも注意しよう

原作か原案か

ここへ来て「カメラを止めるな!」に原作となる舞台があったことが明らかになったというニュースをいくつか読んだ。
原作者の方のインタビューも読んだ。
思うことはいろいろあるが、なかなか複雑な経緯の中での問題なんだなぁと思った。
 
一個人の意見としては「カメラを止めるな!」は面白い映画だと素直に思う。
原作となる舞台があったと知った上でも、その面白さが変化することはない。
 
なにか不手際があったのならば訂正をすればよいし、複雑な事情と経緯から原作表記をしにくかったこともうっすらながら想像がつく。(これは主に原作者のインタビュー内容から推察できた)
 
パクリとは違う問題だとも思う。
これまでの監督のインタビューの中には「GHOST IN THE BOX」というタイトルがたくさん出てくるし、一度は原作の映画化を試みて頓挫したことについても余すことなく語っている。
その上で登場人物や設定を大幅に変更し、新たな脚本で違う作品に仕上げたとも語っている。
ひた隠しにしたいのであれば(つまりパクリだという自覚があるのならば)、そんなことを語る必要は一切なかったはずだからだ。
 
映画のテロップには「原案 GHOST IN THE BOX(和田亮一)」と入っているそうだが、今回揉めているのは「原案ではなく原作と表記して欲しい」ということらしい。
 
う〜ん、またも個人的意見を言わせてもらえば「うん、どっちでもいいんじゃない?」となるだろうか?
舞台の構成と映画の構成が酷似していたからといって、それがすなわちパクリになるのかと言えば、決してそんなことはないとは思う。
 
「死んだ人間が生き返って人肉を求める」というゾンビの設定を、もしもジョージAロメロが「私が考えたネタを無断で使うな!」と権利を主張したらどうだろうか?
もちろん彼はそんなことはしなかったし、感染するように定着していくゾンビ設定をむしろ喜んでいたのではないだろうか。(それこそ「ウォーキングデッド」などは、ある意味では過去のゾンビ作品全てをパクリまくった作品といっても過言ではないだろう)
 
インスパイアーされた作品との類似点がどれだけあっても、まずもって違う作品となるのだし、「同じアイディアでこうしてみた!」という変化球にオリジナリティを主張するのもどうなんだろうか?という思いはある。
 
原作を主張する和田氏にしても「自分の作品がカタチを変えてこうしてヒットして嬉しかった」と素直に思ったというくだりに、僕はとてもホッとさせられるのだ。
 
なにか良いカタチで決着、和解してくれたら…と願うばかりである。
 
ネタバレなしの僕の初見の感想はこちら。
「低予算映画の魅力とは?」

POISON

布袋さんの曲名ではない。
今日は「毒」についていくつかまとめてみたい。
 
僕は昔からこの「毒」という言葉に何らかの魅力のようなものを感じていたように思う。
グリム童話をはじめとする西洋の物語の中には数多くの「毒薬」が登場するが、「死んだふりをする薬」とか「飲んだ途端すぐ寝てしまう薬」といった、かなり都合の良い作用の毒薬も数多くあった。
 
 
フグの猛毒「テトロドトキシン」はとても有名だが、「ゾンビパウダー」なるゾンビを生み出す秘術に用いられていたらしい?といった説がある。(そもそもゾンビとはハイチ地方の土俗信仰ブードゥー教の「死者を蘇らせる呪術」がその原典となっている)
ゾンビとはフグの毒を利用して人間を仮死状態に追いやり一旦死者とした上で再び蘇生させていた、といったブードゥーマジックの種明かし的な説があるにはあるのだが……この辺りは「ゾンビ伝説」という映画を見ると参考になるようなならないような?(笑)
 
「毒」の効果としてまず特筆すべきことは、何といっても「少量の毒は身体に良い作用をもたらす」ということだ。
お医者さんにもらう薬にしても、用法を守れば速やかに症状の緩和に向かってくれるが、飲み過ぎれば最悪は死に至ることだってある。
「薬」が「毒」になってしまうということは、逆説的に「毒」が「薬」になるということにもなる。(だからといって猛毒は猛毒、良薬とはなり得ない例外も数多くあるとも思うけれども)
「少量の毒が薬となる」格好の例が、まさしくワクチンの摂取だろう。
 
我々が好む嗜好品のほとんどにしても「毒」となりうる。
お酒にしてもタバコにしてもコーヒーにしても甘いものにしても辛いものにしても、適度に楽しむ分には精神を豊かにかつ幸せにしてくれるものだが、当然どれも摂取量が多過ぎれば身体にとっては害、つまり毒物となる。
 
一合の酒は多幸感を与えてくれるが、一升の酒ともなれば精神を乱し身体を蝕む。
お酒はほどほどに。という話をしたいわけではない。
 
良薬と毒薬は表裏一体なのである。
 

僕はこれまでにもこのブログで度々「明治R-1」といった乳酸菌飲料が二日酔いに効果あり!といった報告をしてきた。
「二日酔いの特効薬」
「腸内妄想」
 
「腸内まで生きて届く1073R-1乳酸菌!」といった宣伝文句を見てみなさんはどんな印象を抱いているだろうか?
おそらくは僕と同じく「きっと善玉っぽい菌が腸内まで届いていろいろ働いてキレイにしてくれるんだろうなぁ」といったイメージを抱いていたのではないだろうか?
 
ところがである。
 
我々のイメージとはむしろ真逆の作用が腸内で働いていたという衝撃の事実を知ったのは比較的最近のことだ。
僕は専門家でも何でもないので、以前読んだ記事のイメージをやや誇張して伝えることになるとは思うのだが、大体の雰囲気だと思っていただければ幸いである。
 
胃の中に入り込み胃酸によって本来分解されるべき食物の中で、いわゆる「善玉菌」と呼ばれている数々の菌、ビフィズス菌であったり納豆菌であったりは、胃の攻撃をかいくぐり、生きたまま腸内に侵入してくる。
そう!本来ならば撃退されるべきはずなのに、しぶとく生き残って腸内に入ってくるのだ!この時点でもうイメージとはだいぶ違う。
 
人間の体内はどうするか?
この外敵のこれ以上の侵攻を食い止めなければならない!
そこで腸内に常駐している腸内細菌がそれらの菌に総攻撃を仕掛けるのだ!
つまり我々が「善玉」と思っていたヤクルト菌やR-1菌や納豆菌というものは、人間の体内からしたら「自動迎撃システムが作用しない厄介な敵」という位置付きになる。
つまり腸からすれば、悪玉以外の何者でもないのだ!
 
これが「腸内フローラを活性化させる」というメカニズムの真の正体なのである。
……なんだよ、ずっと好印象を持っていたのに真逆だったのかよ!
 
 
しかし結果としては、それが人間の健康に繋がっているというのが面白い。
人間の腸内に生息している細菌は100~3000種類、数にして100兆〜1000兆とも言われており、驚くなかれ、その総重量は2.5Kg~3Kgに達するそうである!
それらが総動員して活性化するということは、それすなわち小腸内の機能がフルに働くということに他ならない。
人間のウンチの半分ぐらいはこの腸内細菌の死骸だという。
我々をカタチ作っている要素として腸内細菌は欠かせない存在だ。
そんな彼らの「ヤル気スイッチ」こそが、腸内まで死なずに到達する“善玉菌”、別名“ツワモノ菌”だったのだ。
 
今現在僕は腸内細菌を活性化させるために某乳酸菌を毎日1兆個投入している。
ヨーグルト味で美味しいタブレットなのだけれども、「腸まで届け!そして暴れろ!」といった昔とはまるで違う別のイメージで飲み続けている。
100兆相手に1兆では勝ち目はないが、勝たれても困る(笑)。
 
善玉菌のイメージ、変わりました?
 
次回も別の毒について、同じく意外な側面から語ってみたいと思う。
 

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