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TROUBLE〜本編

前回からの続きである。
開封した「HDMIスプリッター」が機能してくれない!
「ケチって安物を買うんじゃなかった!」と後悔しても後の祭り。
 
モニター画面が一つしか使えないということは、次の三択しかないのでは?
 
1.自分がモニターを見ずに心眼を使ってDTMをやり切る
2.もしくは聴講者のみなさんに心眼を使ってもらってDTM画面を心の中に投影してもらう
3.さもなくば自分も聴講者と同じ向き、後ろ姿で講義する
 
どれもイケてないというか……心眼とか言ってるだけで実際無理だし!
 
なんて引っ張りつつも実のところヨコタベーススタジオは町田駅から徒歩3分ほどの好立地、駅前にはヨドバシカメラがあることも知っていたので「最悪当日あそこで調達すればいいや」ぐらいに思っていたのだが、案の定その通りになってしまった。
速やかにヨドバシに向かい、手短に現状のHDMIのトラブル内容を店員さんに伝えると「そういった事情でしたらコレしかないと思います」とすすめられたのが、いかにも高性能っぽい見た目の機械。
信号の増幅をしっかりしてくれる機器じゃないと厳しいと説明を受けたが、、、
くっ!ネットで買ったやつの3倍以上の値段ぢゃないか!
しかしここでケチってまた映らなかったらイヤだ。
「じゃあそれで」と即答してすぐに購入。
手痛い出費となってしまったが背に腹はかえられぬ。
スタジオに舞い戻り接続をしてみると……あっさりと2画面にマックの画面が映った。
「安物買いの銭失い」の典型例である(´_ゞ`)ちーん 
 
(どちらが安物とかは書かないが即バレのような気もする(笑))
 
しかし思わぬタイムロスをしてしまった。
まだ出音の確認すら取れていないのに会場時間まで1時間を切っているではないか!
急がねば!やらなければならないことはまだまだある。
ふとPC画面をみると外付けのSSDの名称が「17%$^#*2」こんな感じで文字化けをしている。
「……なんだろこれ?」
とてつもなくイヤな予感がしたのだが、とりあえずその先は考えないことにする。
目をそらすようにセットアップを進めるが、不安な気持ちを抑えられない。
「ナーニ、きっと大丈夫だろう」
とは思うものの、(多分ダメなんじゃないか?)という思いがよぎる。
 
外付けのSSD(超高速ドライブ)は本日の講義で使用するソフトシンセ類のデータがビッシリ入っており、いわば倉庫のような役割をしている。
近年のソフトシンセは大容量を謳ったライブラリが主流となってきており、例えば「OMNISPHERE2」は約60GB、「VintageVault2」で116GB、「KOMPLETE 11」で126GBと、目眩のするような膨大な容量を必要とするライブラリー量のものが多い。
ノートPCだと内蔵ドライブ128GBとかは割と普通にあるスペック、つまりソフトシンセ1本だけでも本体メモリー全部を埋め尽くしかねない容量なのだ。
ピアノ専用音源の「Ivory2」などにしても、ピアノの音だけで実に77GBもの容量を費やすことになる。
 
そして自宅作業と外作業といったように、別々のコンピューターにこれらをいちいちインストールするのは非常に効率が悪いので、僕は外付けSSDに一括管理をしているのだが……
 
そのSSDの名称がなぜか書き換わってしまっている。
それってつまり……もしかして最悪……
と思いつつ本日使用するシーケンスデータを開いてみると……
 
 
案の定いや〜んな感じの画面が表示される。
データが格納されているべき番地を見失って「どこどこ?」と困っている状態なのだ。
「Find all missing samples」というボタンを押しても予定調和のように見つからない。
 
そして僕は、外付けSSDにどんな名前をつけていたのか全く覚えていなかった。
 
つまり、本日使用する十数曲分の音色全てを再設定してやり直すか、気合いを入れてSSDの名前を思い出すかの二択を迫られることになった。1時間以内に。
どちらかの手段で解決しないと、今日の講義内容はかなりショボいものになってしまうことは明らかだ。
しかしメドレーのようにいろんな曲をデモ演奏するので、使用している音数は膨大だ。
とてもじゃないが小一時間で再設定できることではない。
しかしもう一方の「気合で名前を思い出す」って……どうやって?
 
どうする俺?
 
(またもやつづく)
 
 

TROUBLE〜Intro

僕が最初にDTMに触れたのは……
恐らくは中学3年生の頃、“昭和楽器 春日部西口店”のヤマハエレクトーン教室の同じフロアーにあった練習スタジオ。そこには数台のシンセサイザー「YAMAHA CS-10」が無造作に壁に立てかけられていた。
 
今思えば当時のYMOブームに便乗した「シンセサイザー教室」なるものが開設されたのだろうか、CS-10のパネルが描かれたホワイトボードも用意されていた。
そのスタジオ内にコッソリと潜入してCS-10の電源を入れてみると……赤いランプが点灯する!
恐る恐る鍵盤を弾いてみるが、音は出ない。
本体の「OUTPUT」と書かれた端子にはケーブルがささっており、その先を辿ってみるとキーボードアンプの「INPUT」につながっている。
「……」
そこでアンプのパワーをONにしてみると「ブォゥン」と鈍い音を立てつつ、やはり赤いランプが点灯する。
ボリュームは「5」、再びCS-10の鍵盤を弾いてみると……今度は「ベン!」という野太い音が鳴った。
 
この時の衝撃と興奮は今でも忘れられない記憶として残っている。
 
(かなりシンプルなシンセサイザーなのだが当時の僕には十分難しかった)
 
中三ということで高校受験を控えてはいたのだが、僕はなんとなくエレクトーン教室に通い続けていた。
しかし教室に通っていた半分ぐらいの理由は、シンセサイザーをいじるのが楽しかったからだと思う。
 
CS-10の転がっていた練習スタジオは、大抵の時間は閑古鳥が鳴いており、いつも空室だった。
そこに目をつけた僕はいつしか教室の始まる30分前、もしくは1時間前に行くようになっていた。
当時の東武伊勢崎線は1時間に2本しか電車が走っていなかったので、外出時の行動クオンタイズは30分が最小単位となっていた。
 
その時エレクトーンの先生には「高校受験があるので半年かけてこの曲が弾けるようになれたらそれでいいです」と選んだ1曲が、よりにもよってかなり上級グレードの「New York Passion Street」という曲だったことも覚えている。
この曲をキッカケに僕の音楽人生が大きな転機を迎えることになるのはそのまたちょっと先の話なのだが、機会があればいつか記してみたい。
 

そんな若かりし頃のエピソードを思い出しつつ……2018年7月8日、人生の中でも相当イヤな悪夢レベルのトラブルに見舞われたのは、DTM歴(石の上にも)35年の自分自身であった。
 
僕は基本的に「運命には抗わないし受け入れる派」の人間だ。
自分の身に嫌なことや困ったことが降りそそいできたとしても、きっとそれには意味があり理由があり後になれば「自分にとって必要なことだったのだ」と、前向きに思うことにしている。
 
 
第二回DTM教室の開催が決定した時にただちに思ったことは、「第一回で使ったノートPCではスペック的にかなり厳しい」ということだった。
「最低限このスペックであれば、これぐらいのことはできます」というデモンストレーションを兼ねて、敢えて非力な世代落ちのノートPCを使用したのだが、本当にギリギリのスペックなので正直心臓に悪い。
(事前に打ち込まれたものを再生するなら問題ないのだが、リアルタイム演奏には数倍のスペックを要求される)
 
なので今回は不要なリスクを避けてデスクトップマシンを使用することにした。
こちらを使う場合は自分が見るモニターと受講者が見るモニターと二つの画面出力をしなければならないので、事前に「HDMIスプリッター」という小さな機器をあらかじめネット通販で購入しておいた。
 
先週頭の時点で商品は自宅に届いており「動作確認しておかなくちゃなぁ」と思いつつも、電子書籍の作成とDTMクリニックの準備の並行作業に追われ、ついつい先延ばしのまま当日を迎えてしまった。
会場のヨコタベーススタジオに予定通り午前10時半に入り、黙々とセッティングをこなしていた。
前回同様にリハーサルを兼ねた最終調整を、2時間の範囲でする予定だ。
 
今回のクリニック内容、実のところまだ完璧に詰まりきっておらず、しゃべる内容の順番、それに合わせてのスライド資料の入れ換え、終了後のアンケートURL取得やQRコード取得などをその2時間以内にやるはずだったのだが……
開封した「HDMIスプリッター」が機能してくれない!
 
直接モニター画面につなげれば問題なく投影される画面が、この機器を介すると何も映らない。
入力された映像を二つに分けるだけのシンプルな機器なので、設定もへったくれもない。
これが使えないとなると……あれ?それって結構深刻な事態なんじゃないの?
 
問題のないはずの午前中がザワつきはじめた。
この時点ではさらなる試練が襲ってくることを知る由もない自分なのであった。
 
(つづく)

NEXT…

6月29日、HYDE LIVE 2018がZEPP東京でいよいよ幕を開けた!
 
ライヴツアーがスタートしたであろうその日の19時過ぎ頃、僕はお台場のZEPP東京にはおらず、近所のプールで泳いでいた。
5月のアジアツアーから戻ってきて以降しばらく引き篭もり生活が続いていたので、軽い運動とリフレッシュを兼ねて週に1〜2回ほど泳いでいたらすっかりハマってしまったのだ。
今はクロールでもなく平泳ぎでもない、“魚のようにただ水の中に居るような”ユルい泳ぎ方を探求している。
 
お気付きの通り、ハイド氏の新たな挑戦に僕は今回大きな関与をしていない。
しかし「偉大なアーティストをリスペクトし続けたい」という僕の思いは20年以上前から何も変わっていない。
今の自分にできることは精一杯の後方支援のみだが、今後ともにみなさんと感動を共有していけるよう、自らを精進し続けていきたいと思う。
 
「シン・ハイド第二形態」を純粋に目撃しに、そしてその姿を熱いレポートとしてお届けするため、近日中にZEPP東京に出没することを予告……ってすんまそん、我慢できず6月30日の公演を早速観てきちゃいました(笑)
 
ここ数年、「文章表現」という音楽とはまるで異なる方向性に、少なくないエネルギーを注いできた自分ではあったが、そのことにいち早く気がつき、チャンスを与えてくれたのもまたハイド氏であった。
熱心なファンのみなさんならご存知かと思われるが、定期的というわけではないけれども主に海外ツアー時(すなわちそれは定期的の意(笑))のファンクラブ会報の記事を書かせていただいたり、モバイルサイトのスタッフダイアリーを書かせていただいたりしていたのも、ハイド氏の助言あってのトライだった。
 
そんなわけで僕は今現在「音楽+文章」といった新しいカタチを追い求めているのだが、ハイド氏はまるで10年以上前から僕がその方向を目指すことに気がついていたかのように、ナチュラルにその方向性を受け入れてくれていたのではないのか?と今になって思うことがある。
そんな大昔のエピソードを伝える機会があったら、いつか語ってみたい。
 
 
 

時ほぼ同じくして、尊敬しているアーティストであり長年の友人でもあるJENIがアルバムを発表した。
彼女の長い音楽経歴では初となる「ピアノ弾き語り」のアルバムだ。
逆算することにはなるのだが、彼女はこのアルバムを作るために20年以上の歳月を費やしたことになる。
いや…「この表現をするために今までのバンド活動があったのだ」と結論づけてしまうのはあまりにも乱暴すぎるかもしれない。
しかし彼女の音楽性を熟成させ続けた数十年があり、一度は離れてしまったピアノと再び出会い、真の覚醒を遂げてからの3年半が凝縮されたアルバムとなったことは間違いないだろう。
僕と彼女は不思議なご縁があるようで、インディーズ時代〜メジャーデビュー前後〜再びインディーズ時代〜ピアノ修行時代〜今現在といった長いスパンの要所で関わりを持ち続けていた。
クリエイティビティを一切伴わない「新年会で呑んだくれて終わっただけ」といった年もあるにはあったが(笑)、彼女が変化していく姿を20年の長きにわたって見続けていたのだなぁ……と届いたサンプル盤を聴きながら思った。
 
Twitterでは既に告知していることではあるが、このアルバム「I am Music」のライナーノーツというものを今回書かせてもらった。
資料として同封されていたA4サイズのフライヤーにも同じ僕の文が載せられており、嬉しいサプライズをいただけた。
 
彼女もまた僕の文章が好きだと素直に伝えてくれる人で、「いつか出すアルバムのライナーノーツを絶対書いてね!」と言われたのは一昨年の忘年会だっただろうか?
僕は僕で彼女とその周辺の素敵な人間関係に心底惚れ込んでおり、「機会があればいつかあなた達のその足跡を世間様に吊るし上げてやるからそのおつもりで」と穏やかではない“ある計画”をずっと目論んでいるのだが、それを実現することが僕の大きな目標の一つになっている。
彼女が辿ってきた音楽同様、僕の表現にしても一朝一夕で実現するのは難しそうだが、「必ずやカタチにしてみせます!」と今から宣言しておく。
 

タイプも関わり方も世間的な知名度もまるで異なるお二方ではあるが(JENI子さんスマン(笑))、僕にとってはこれからもずっと愛し続けていきたい大切なアーティストたちだ。
 
そして偶然とはいえほぼ同じタイミングで新たな一歩のお披露目がそれぞれあった6月末。
僕もこのムーヴメントに呼応するかのように、ここで次の自分の展開を発表することができたら一番よかったのだけれども……あともうちょっとだけ時間が必要のようです!
 
「音楽+文章」という組み合わせで様々な方向を模索しているのだけれども、近日中に発表できるであろう第一弾がほぼ完成まで漕ぎ着けております。
今は身近な見識者に意見を求めての最終調整に入っておりますが、まもなく公開の運びになるかと思われます。
 
ヒントは「音楽と旅」
 
 
そして今週末の7月8日は「大人のためのDTM講座」の第二回がYOKOTA BASE STUDIOにて開催されます。
よりわかりやすく、よりライトにをテーマにした「DTMの入り口」を紹介していく第一部と、前回予告編的に軽いデモ演をした最新プラグインを用いた実践音楽制作講座を中心とした第二部といった内容になっております。
 
現状第一部に若干の空きがあるようですが、第二部はほぼ満席のようです。
東京都下の町田ではございますが、お時間あれば是非ご参加ください♪
 
(詳細は一つ前のブログ記事を参照してください)

地震

大阪地震で被災されたみなさま、心よりお見舞い申し上げます。
一日も早い復旧並びに現状復帰を心よりお祈り申し上げます。
 
2年前の熊本地震の時にも書いたことなのだが、こういった大きな地震が起こるたびに改めて伝えておきたいという思いがあるので、今回も地震予知について書かせていただこうと思う。
 
僕のタイムラインに以下のようなツイートが届いた。
村井俊治・東大名誉教授の有料メルマガ『MEGA地震予測』が先週号で出していた、最新の地震予測(公開情報のサマリーによる)。これだけピンポイントで外すのは、もはや職人芸の域。



https://twitter.com/Yokohama_Geo/status/1008502797510144000
 
東大地震研がまた赤っ恥をかいたらしい。
これだけ当たらない予測を50年間続けているというのも凄い話なのだが、どのツラ下げて存続していられるのだろうか?と思わずにはいられない。
 
このブログでは2年前の熊本地震の時にも書いていることではあるが、現代文明では地震予知をすることは難しく、「不可能」と言い切ってしまってよいレベル。
かろうじて地震の数秒前のP波を感知して「緊急地震速報」を伝えられるシステムまではできあがったものの、それにしても誤動作が多く「完成の域」に達したとは到底言えないシロモノだろう。
熊本地震から2年経ってはいるが、それらが特になにか大きく進歩したわけでもないだろう。
 
にも関わらず、多くの日本国民は政府やこういった権威の言うことをいまだに鵜呑みに信じてしまっている。
 
地震の研究をやめろとは言わないが、当たらない予測なら発表しないほうがよい。
 
↑上のツイートの皮肉めいた言い回しをしたくなる気持ちももっともだと思うぐらいに、一度たりとも当たったことがないそうなのだ。
 
上記の図のように国土の9割方を塗りつぶして「ここのどこかに来るかもしれない」なんてしたり顔で発言すること自体が既に常軌を逸しているし、それが当たり前のようにまかり通っているのもどうかと思うし、さらにはその予測をことごとくはずしているのだ。
 
それはつまり、
 
と断定(?)しておきながら10代の犯行だったようなものではないのか。
 
「東海地震」「南海トラフ」といった言葉を聞いてからの数十年、いまだに発生しないこれらの地震なのだが、その間に一体全体日本の各地でどれだけ大きな地震が起こり続けてきたことだろうか。
ここまで的中しない予測データも確率的に珍しいそうだ。
笑い話ではなく完全に“逆張り”して構えた方がよほど安全なんである。
 
これならばまだジュセリーノさんやその他の預言者の方が、真偽のほどはともかくとして過去に当たったことがあるだけまだマシではないか。
根拠のない予言や占いにも憎悪に近い感情を抱いている僕ではあるが、2年前にブログを書いた時点からちょっと考え方を改めることにした。
 
「少なくとも眉唾予言者の方が東大地震研よりはまだ当たる」
 
現実問題として耐震予算が彼らの予測を前提とした予算組で東海地方に集中してしまい、結果として無防備となった熊本や中越や東北地方に甚大な被害をもたらした、という考え方ができてしまうとしたら……これはもう「学問の探求」といった曖昧な責任回避では済まされないのではないだろうか?
 
「現実に地震はきたのだからまるであてずっぽうだったわけではない」と弁解したいのだろうけど……もしも恥ずかしげもなくその主張を通すのであれば、少なくとも今後は「要警戒」「要注意」といったエリア分けなどはしてはいけない、と思う。

ジャパニーズウイスキー高騰

みなさんは「世界の5大ウイスキー」をご存知だろうか?
アメリカ、カナダ、アイルランド、スコットランド、そして日本のウイスキー達をそう呼ぶのだそうだ。
 
ウイスキーと一括りにされてはいるが、それぞれバーボン、カナディアン、アイリッシュ、スコッチ、ジャパニーズといった通称もついているにはいるが……バーボン以外はひねりがなくてそのまんまではないか(笑)。
 
これら5大ウイスキーはそれぞれ特徴を持っており、味もクセも異なるのだが、どうも最近ジャパニーズウイスキーが異常なほどの高騰をしているらしい。
 
ことの始まりはハイボールの人気が原因で「白州」の生産が追いつかないというニュースを見たあたりからだっただろうか。
「え?そんな美味しいウイスキーをハイボール(炭酸割り)にしちゃうなんて贅沢だなぁ」と思うぐらいだったのだが、そこから一ヶ月も経たないうちにあれよあれよと白州、山崎、響といった高級ウイスキーの値段が高くなっていったらしい。
 
海外からの買い付けやらオークションやらで煽られまくったのも大きいらしい。
 
ウイスキーは8年とか12年とか、もしくはそれ以上の長期間静かに樽の中で熟成させるお酒なので、今から増産したところで供給が安定するわけではない。
必然的に希少価値が高まり値段は高騰していく。
 
まぁ普段はめったに飲まない高級銘柄ばかりなので庶民の我々には関係ないしな、と思っていたのだが……
あれ?ちょっと待てよ?とゴソゴソと整理をしてみると……出てきちゃったのだ!
 
どどーん!
うわぁ……これが今話題の値段の高騰したジャパニーズウイスキー!
 
どれも開封してあるので転売とかはできないけど「どれぐらいの価値があるのかな?」……頂いたものの値段を調べるのはちょっといやらしい気もしたのだけれども……誘惑に負けて調べてしまった。
価格.comの価格推移表を参照した現在価格は以下の通り。
 
竹鶴21年……36,720円
響 17年……74,916円
山崎18年……80,892円
───────────
 合計   192,528円
 
ほほう。イイ値段なんだなぁ……ほほう。(ぷるぷるぷる)
※オークションではさらに高値で取引されている
 
やはり普段から呑んべいを自称していても、こうやって高級なウイスキーは有事に備えてとっておかないとね。
オトナのヨユーってやつかな?(ぷるぷるぷるぷる)
 
え?何をさっきから震えているのかって?
いや、、、あのその、、、
 
スミマセン!とうの昔に全部飲んじゃっていてとっくにありません!
 
というか、3年前の写真を昨日たまたま見つけたことで、今回みたいなブラフ記事を書いてみたくなったのでした!(´_ゞ`)ちーん
 
自称呑んべいの自分がこんな美味しそうなウイスキーを頂いて、飲まずにそのまま取っておくと思いますか?
……もらってすぐ開封して飲み比べとかしちゃったし。うっしっし。
 
まぁさすがにどれも尋常じゃない美味に「ヤバイ…これは酔った勢いでカパカパ飲んでいいような酒ではないぞ」と自制心が働いたので、数ヶ月かけてちょっとずつチビチビといただいていたけれども……
それでもすっかり飲みきってから2年半は経っていますなぁ……
 
ここまで値段が高騰するとわかっていたら……それでも飲んじゃっていただろうなぁ(笑)
というか、コレらが本当に今この状態で出てきたら……もったいなくて飲めないような気がするし!
開封後も風味を損ないにくい種類のお酒とはいえ、おのずと限界もあるだろうし。
だから飲んじゃっていてよかったのだ。
 
先月ハイド様からいただいた高級ウイスキーも全部飲んじゃいました♪
 
下手にまた高騰されでもしたらいよいよ飲めなくなってしまうので、これでいいのだ!←と天才バカボン風に終わる

先輩後輩

第一回目のDTMクリニックを終えてやや脱力していた。
これまでしてきた学校の講義は半分ぐらいの時間が生徒さんたちの実習時間となるのに対して、クリニックの内容はこちらが一方的に発信し続け、注目され続ける2時間となる。
人から言われて気がついたことなのだが「ソロライブ」みたいなことだったのだろう。
クリニック終了後、2本目のビールで早くも“いい気分”になってしまったのは、一気に緊張が解けたからだったに違いない。
 
来月も開催するので、参加できる方は是非♪
 
詳細情報は横田ベーススタジオにて!(今日現在はまだ更新されていない模様)
 

僕にはたくさんの先輩の方々がいる。
これまで生きてきた全てのシーンや音楽の世界はもちろんのこと、日常や趣味の世界などでお世話になった方々のことを指す。
一方で後輩というものが極端に少ない生き方をしてきたように思う。
 
一般的な会社員経験が全くないので上司と部下という関係を持ったことはない。
無論フリーのミュージシャンの仕事現場にも明確な上下関係があるので、最低限の常識は持ち合わせているつもりではいる。
師匠にあたる人は何人かいるし自分が師匠になったこともあるにはあるが、いわゆる「後陣の育成」をした自覚はほぼない。
 
加えて僕は目下の人間に対して偉そうな態度を基本的に取れない人間のようだ。
愛称的に呼びつけをしている例外はいくつかあるものの(みなさんもそうしているようにDAIGOはDAIGOだ)、基本的には君やちゃんやメンといったフランクな敬称をつけて呼んでいる。(辻メン、深尾メンといった謎の敬称が定着している人は案外多い)
 
会社員の上下関係はこの辺りがいろいろややこしく厳しいのは知っている。
対外的には上司も呼びつけにするといった慣習はいまだに馴染めないのだが、そういうものだという理解はある。
 
ところで僕が後輩に対して傲慢な態度がなぜできないのかを自己分析してみると、答えはとてもシンプルだ。
 
「優秀な人間は自分なんて軽く超えてどこまでも偉くなってしまうから」
 
年齢が上だとか、経験年数がちょっと長いからといった些細な理由で上下が決まってしまうことに違和感もあるし、もしも先輩ヅラしていばり散らしていた相手が自分の上司になってしまい、今度は逆にいばり散らされたとしたら……とてつもない屈辱感を味わうことになるのだろう。
 
 
なので僕は威張らないし、威張られたくもない。
 
 
さて、ミュージシャンの先輩後輩のルールは微妙らしい。
僕自身はスタッフとしての経歴の方が圧倒的に長いので、結局このミュージシャンルールには馴染めないまま客観的に捉えるのみだったのだが、、、基本的には「デビューをした順」が基準になるそうだ。
 
例えば「ラルクとグレイはどちらが先輩ですか?」なんて知恵袋の答えを見てみると、
「どちらもデビューは同じ1994年ですがバンド結成はグレイが88年、ラルクが91年なのでバンド歴が長いのはグレイです」と書いてある。
さすがにあそこまでの大物バンドとなってしまうと「俺らの方が結成早かったし」といばることもないだろうが、結構この先輩後輩事情は複雑らしい。
中でも知名度といった一般的な格差があまり反映されていないように思えるのが、僕の中では最大に疑問だ。
近場のミュージシャンでも「え?明らかに目上なのにタメ口きいちゃうの?」といった違和感を感じる関係を幾つも見かけてきたが、なにか僕の知らない別ルールがあるのかもしれない。
 
自分を例に挙げてみると……
UVERworldのSEIKA君は今だに僕のことを慕ってくれる後輩となるのだが、今では彼のほうが知名度も収入も全然上だ。
ね?いばってなくてよかったでしょ?(笑)
一時期は同じマンションの別の階に住んでおり、お互いの部屋を行き来しては情報交換をし合ったり、地元駅前の居酒屋に行ったりもしたが、今度飲みに行った時はぜひご馳走してもらいたいと思う←プライドなし
 
「威張る」という行為はどこか滑稽で子供っぽいとも思っている。
最近流行りの言葉では「マウンティング」というそうだが、自分の立場が上であることを強く主張することを指すのだろう。
威張る行為の何が滑稽かというと……本当に偉い人というのはそんなことをする必要がないということだ。
威張ることによって自分の立場が上であると主張しなければならないというのは、裏を返せばちっとも偉そうに見えないから一生懸命アピールしなければならないということになるのではあるまいか?
 
そして本当に偉い人というのはなにもしなくても偉い人に見えるか、あるいは偉そうに見えないことをちっとも気にしていないかのどちらかなのだ。
「偉い人に見られたい」という行為が子供っぽく見えてしまうのも無理からぬことだろう。
 
威張られて不愉快に感じた時には「ちっさいなぁ」とほくそ笑むことで精神バランスを整えることにしている。
みなさんも試してみてはいかがだろうか。

キムチ考

キムチという食品が好きだ。
僕の母の好物だったので幼い頃から食卓によく出ていたと思うのだが、「子供が食べるとバカになる」と牽制されて食べさせてもらえなかった(笑)。
昭和の当時は一般的に「朝鮮漬け」と呼ばれていたと思う。
 
それでも初めて食べたのは普通の子供よりだいぶ早かったように思う。
強烈な辛さでありながらご飯と相性バッチリの味にビックリしつつもすぐに順応できた。
以来40年以上、嫌いになることなく食べ続けている食品である。
 
拙著「楽痩せ」でも言及していることなのだが、キムチはとても身体によい食品であり、またダイエットの心強い味方になってくれる。
前述の通りご飯との相性が良いので肥満を後押しする危険性もはらんだ商品なのだが、僕に関してはここ10年ご飯とは切り離して「おつまみ」として捉えられている。
 
 
本場韓国で食べるキムチは本当に美味しい。
辛すぎず酸っぱすぎず絶妙なコクと食感が堪らない。
キムチばかりを食べているわけではない。
その他の韓国食品を食べつつもふとキムチに戻ってリセットを繰り返す。
参鶏湯のようなあっさりした味わいと交互に食べだしてしまったらもういけない。
絶妙なあっさりさ加減と絶妙な辛さ加減のエンドレス波状攻撃は、「無限ループ地獄(天国)」に陥ってしまう。
 
日本で食べるキムチも美味しいのだが、同じ食材を直輸入して本国と同じ方法で作っても、決して同じ味にはならないそうだ。
やはり気候風土、気温や湿度などの違いが発酵食品の味を変えるのだろうか?
まぁそこまで同じ味である必要もないし、最近は日本で売られているキムチでもかなり気合の入った美味しいものが増えてきている。
 
韓国で有名な「宗家」「一億兆」といった有名なキムチも、最近は大手スーパーでも売られている。
「宗家」はセブンイレブンでも小さなパックで売られているのでご存知の方も多いだろうが、スーパーで売られている250グラムのパックはより本場の味に近いと思うのでオススメしておきたい。
(うちの近所だとスーパー「LIFE」で売ってる)
 
そして国内で売られているキムチで僕が贔屓にしているのがスーパー「サミット」で売られている「ヤンバンキムチ」である。
330グラム398円税別は一般的なキムチと比べるとややお高いのだが、このキムチは上記の韓国本場とはやや趣が異なりつつも安定した美味しさを誇っており、食べるたびに「それにしても美味しいなぁ……」と思える逸品だ。ご近所にサミットがあり、まだこのキムチを試したことがない方がいらしたら是非一度ご賞味あれ(^ ^)
 
 
ところでキムチを家庭で美味しく食べるコツをご存知であろうか?
この「ヤンバンキムチ」の外枠に書いてあった説明文を読んで知ったことなので、僕にしても2年ぐらい前に実践しはじめたことではあるのだが、「毎回食べる分だけさっと取り分けたらすぐに封をすること」が大切らしい。
 
キムチは発酵食品なので、なるべく空気に触れさせる時間が短いほど美味しさを保てるそうなのだ。
そもそも「発酵」とは微生物の生命活動の一環なのだが、わかりやすく説明をすると、微生物は空気がある状態では「呼吸」をし、空気がないと「発酵」をしているそうなのだ。
つまり発酵を促進させたいならば「空気にはなるべく触れさせない」が最も効果的で簡単な方法となるのだろう。
 
そしてスーパーサミットのヤンバンキムチ販売方針の奥深さに気がついて思わずニヤリとしてしまったのが半年ほど前だっただろうか。
一般的に食品の賞味期限というのは先の日付である方が鮮度があって美味しいとされているわけだが、キムチに関しては必ずしもそうとは言えない。浅漬けすぎたのでは物足りないからだ。
 
 
この写真を見てお気づきになられたことはあるだろうか?
 
そう、5/23時点で賞味期限が5/31〜6/28までと、かなり幅広いのだ。
蓋に書かれている通り、賞味期限40日前はあっさりとした漬かり方、15日前でたっぷり漬けなので、同じ商品でも味わいはまるで異なる。「お好みの味覚で選んでくださいね」ということなのだ。
 
僕はどちらの味わいも好きなので毎回気分で選んでいるのだが、大体この1パック330グラムを5日間で食べきっているので賞味期限10日前の商品であっても問題はない。
 
また基本的にはキムチはそのままストレートに食べることが多いのだが、時には気分を変えて豆腐の上に乗せてキムチ豆腐にしてみたり、納豆と混ぜてキムチ納豆にしたりすることもある。
しかしキムチ納豆にする場合はこのヤンバンキムチを使うのはややもったい気もするので、もうちょっと安いキムチを使うことにしている(笑)。
だってほら、せっかくの素晴らしい味なのに納豆にかなり味を持っていかれちゃうのはやっぱりもったいないでしょ?
 
逆に買ったことのない未知のキムチが期待に反してガッカリな味だった場合、「豚キムチの刑に処す!」といった感じで食材として転用することにしている。
キムチチゲ、スンドゥブ、キムチチャーハン等のセカンドライフを全うしていただきたいし、イマイチなキムチであっても大量に投入したキムチチゲはやはり美味しくならざるを得ないのだ。
 
ああキムチ、キムチちゃんよ、これからも僕の酒の肴として、小腸内の秩序のため、ずっと美味しく食べさせておくれ!

Apple系の話〜TimeMachine編

慣れていないクラウド設定を把握しておらずにうっかり10年分の文書データをきれいサッパリと消去してしまった。
クラウドという構造の発想をここでおさらいをしておくと、
これまでは各種デバイスで作成したデータというものは各種デバイス毎に保存され保管されていた。
会社のPCで作業をした続きを自宅のPCでやる場合は、USBメモリー等にデータをコピーをしたり、自身に作成途中データをメールで送ったりしていたわけだ。
そういった段階を経ることで「オリジナルデータ」→「移動用コピー」→「修正作業データ」といった3つの形態に変化しながらファイルのやりとりをしていたことになるわけだが、空に浮いた雲のような場所にオリジナルを置くことで、それを別の場所や別の人が直接開いて直接改変していくという考え方がクラウドの考え方となる。
 
「AにあったデータをBに移したからAからは消す」といったこれまでの手順を踏むとCloud上のデータが消えてしまうので、結果AからもBからも消えてしまうわけだ。もっといえば「A」にあるのではなく「Aからもどこからも見えている」が正しい言い方となる。
 
僕はまさにAにあると思ってクラウドデータを消去してしまうという、そんなトンマなことをやってしまったわけだ。
 

ところで僕は自宅のネットワーク環境の中でもとりわけ縁の下の力持ち的な存在の「Time Capsule」という装置を使用している。
これはapple純正の「無線LANルーター兼バックアップHD」であり、ネットワークにつながった各デバイスを必要に応じて無線LAN経由で黙々とバックアップし続けるという機械だ。
 
↑Time Capsule(美しくもシンプルなデザイン)
↓mac mini(形も大きさも似ている)
 
 
バックアップという作業は煩わしい。
重要な仕事のデータならいざ知らず、普段の家使いのパソコンやスマートフォンのバックアップがおざなりになってしまうのも無理からぬこと。
しかしマーフィーの法則のごとく、バックアップをマメに取っている人ほどハードディスククラッシュといった惨劇は訪れないような神様の采配がされているように思えてならない。
バックアップの理想は「毎日寝ている間にパソコンが勝手に起きてどこかに保存してくれる」となるのだろう。
それを確実に黙々とこなしてくれるのが「Time Capsule」というハードウェアであり、その管理をしてくれるのが「Time Machine」というソフトウェアであり、毎日毎時間毎に差異部分のバックアップをごく短時間でさり気なく自動で取り続けてくれる頼もしいシステムなのだ。
 
なので数日前に「バックアップが60日間できていませんけどいいんですか?」といった内容の警告メッセージが出てきた時は「おいおい、60日放置しておいてさらに人を非難するような言いっぷりはいかがなものか?」と機械相手に苦言を呈したわけだが、急に不安になったので手動でバックアップを取ろうとしたのだが、Time Capsule内のHDが不調のようで認識をしてくれない。
うわ〜ん!認識してくれー!
 
四苦八苦して何とかバックアップ完了、、、
したのが奇跡的に冒頭の10年分の文書データを消してしまった前々日だった。
ここで話も冒頭部分に戻る。
 
果たして消してしまったデータは?
はらはらドキドキでタイムマシーンを起動すると…
 
(TimeMachineの画面。バックアップした過去にグイグイと遡っていける。まさにタイムマシーン!)
 
出てきた!一昨日深夜の自動バックアップに「書類-Jin’sMacBookPro」が残っている!
 
そしてこの状態に「復元」をすると…見事デスクトップ上に10年分の文書データ全てが返ってきてくれたのである。
ちょっとした操作ミスから大変なことになってしまったわけだが、無事に元に戻ってくれた。
 
このTime Capsuleを使いはじめたのは2009年なのだが、実に9年間僕の危なっかしい挙動をずっと見守り続けてくれていたわけだ。
何度かこういったミスをしてお世話になったことのあるTime Capsule&Machineではあるが、今回のミスはもしも消えてしまったら一番手痛いミスになっていたことだろう。
 
ありがとう!Time Capsule&Machine!
 
ところが、無事復元に成功した直後に再びハードディスクの認識をしなくなってしまい、9年間稼働し続けた僕のTime Capsuleは壊れてしまった。
最後の最後でおもいっきり役に立ってくれて天に召されていったようである。
 
運命的な何かを感じずにはいられない。
 
そんなわけで二代目のTime Capsuleを購入しなければならないのだが…調べてみると2013年6月に発売されたモデルを最後に5年近くアップデートされていない。
これは…正直買って良いものなのかどうか?(^_^;)
売ってるものだからもちろん買えるのだけれども…新型が出たりしないか?
と構えていたら明日突然販売を終了してしまったりはしないだろうか?
 
うわー!どっちに転んでも損した気分!
 

と、二回に分けて説明した割には、結局は「転ばぬ先の杖に救われました」というお話なのでありました。
しかし「次の杖をすぐに用意すべきか否か」といういや〜んな選択を迫られている現在というお話なのでもありました(´_ゞ`)ちーん 
 
そんなわけで現在の僕のバックアップシステムはUSBの外付けハードディスクを手動で接続しないとバックアップをしてくれないという、喉元過ぎれば&なんとかなるさ的な楽観主義である僕的にはおおよそ信用できないシロモノであり、危険極まりない状態なのだ。
 
なにか次の策を考えねば。ってか5年前の商品を買うしかないのだろうか?
 
求ム!情報!

Apple系の話〜iCloud編

先日、使っているパソコン達のオペレーティングシステムを一斉に最新のHigh Sierra(MacOS 10.13.4)にアップデートした。
音楽用のアプリはこういったアップデートへの対応がゆっくりなので、常にワンテンポ、ツーテンポ遅れての導入となるし、問題がない限りは古いバージョンのまま使い続けるのがセオリーだ。
最新バージョンを使ってみても、良いことよりも悪いことのほうが圧倒的に多く起こるので、自分が人柱になる場合を除けば静観するのが基本なのである(笑)。
 
最近のApple社はとにかく「クラウド」に命をかけているみたいで、自分が所有している各デバイスの連携が鮮やかに決まると、それはそれは超絶便利なシステムを手に入れることができる。
AppleWatchもシリーズ3となってこれら連携の鍵となってくれるのが素晴らしい。
例えばMacBookを開くと通常パスコードを要求されるのだが、腕につけているAppleWatchを感知してロックを解除してくれるのが何気に便利で凄いなと思う。
またiPhoneXにしてSuicaに対応したのは良いのだけども、改札を通る数秒前にサイドボタンをダブルクリックして起動して顔認証をしないとSuicaになってくれないのが不満だったのだが、AppleWatch3版のSuicaは時計をかざすだけでOKなので実に楽チンになってくれた。
(追記:内外からの指摘あり!僕の勘違いだったようで特にサイドボタン操作をせずかざすだけで認識されるそうだ)
 
(現役の所有デバイスは全て登録してはいるが常に連動させているのは1台のMacBookProとiPhoneXとAppleWatchの3台のみ)
 
AppleTVまでもを連携させておく意味があるのか?と思われるかもしれないが、気になった動画や映画などをとりあえず「お気に入り」に入れておいて時間のある時にリビングのテレビで見るといったメモ代わりに使うだけでも十分な利便性を感じられる。
同様にパソコンの履歴やリーディングリストを辿ってiPadで見たりする時も同じく便利だ。
別デバイスで見た映画の履歴もパソコンにそのまま反映される。あ!勇者ヨシヒコシリーズを見ていることがバレてしまったではないか!(笑)
 
良いこと尽くしと思われるクラウド同期なのだが、いろいろと問題も多い。
悩みのタネがiPhoneとMac共通の「写真」というアプリなのだが、いらない写真をパソコンから消してもiPhoneに残っている写真だといつの間にか修復と言う名の余計な復活をさせてしまったりして、何時間もかけて不要な写真を整理したはずなのに気がつくとすっかり元通り!なんて迷惑なことをしでかすことがあったりする。
その法則性がイマイチ把握できておらず、なぜか僕のMacとiPhoneを同期させる度にゴールデンボンバーのみなさんがハロウィンの時にした「LINEキャラクターの仮装姿」が新しい写真として毎回取り込まれる(笑)
(これはまとめサイトからの転載だが、これに近い写真が毎度呪いのように僕のパソコンに取り込まれる)
 
※iPhoneからパソコンに移した時点でiPhoneからは一旦消去してパソコンの「写真」で整理をしたものを再同期させればこういうことは起こらないのだろうけれども…写真の整理って本当に気が向いたときじゃないとやる気が起きなくないですか?(-“-)
 
なのでどうにもヤル気の起こらないiCloud管理しかしておらず、重要な同期はDropBoxやGoogleDrive、単純に文章の同期はevernoteで十分だと感じていた。
 
 
ところが最新OSのHighSierraではいつの間にかこのiCloudが飛躍的に使いやすくなっているみたいで、書類フォルダーなどが自在に複数間デバイスで共有できるようになったらしい。(Sierraから既にあったらしい)
PCのデスクトップ上を共用することも可能のようで、そうなると「DropBoxに放り込む手間」すら省略できてしまう。
というか、普通にPC作業をしているだけで常にデータを共有できるようだ。
 
そのことに気がつかずに「OS10.11 El Capitan」の感覚のまま扱っていた僕の身に悲劇が起きた。
仕事先のサブのPC上にメインPCの書類データが置いてあったので「これはこのPCにはいらない」と躊躇なくゴミ箱に捨てて空にしてしまう。
帰宅してメインPCを開くと…「書類フォルダー」そのものがいなくなっている。
あれ?なぜ?どうして?
そうなのだ。クラウド上で同期している「書類フォルダー」はもうメインPCだけのフォルダーではなかったのだ。
 
10年以上のテキストデータ、請求書などの保存書類、それこそブログやら会報原稿やら夢日記に至るまで、全ての文書データがキレイさっぱり消えてしまったのだ!
 
つづく。

取り締まり

以前このブログで警察の取り締まりについて長々と苦言を呈したことがある。
 
今年は免許の更新で、送られてきた通知の「更新後の有効期間」はゴールドと同じ5年だが、講習区分はやはり「一般」に落ちていた。
前回の更新は地元警察署の簡易的な講習で済んだのだが、10年ぶりに運転免許更新センターまで行かねばならない。
 
 
ここで警察への恨みつらみを再度クドクドあげつらうつもりもないのだが、交通安全週間中である昨日、えげつない取り締まりを目撃した。
悔しい思いをさせられるドライバーが一人でも減ればといった主旨で、今日は彼らの手口を書くことにする。
国家権力にたてつくわけではなく、あくまでも善良な願いであるということを今回もまた強調しておく。
 
 
場所は郊外の小さなT字路。
 
(うわーパソコンでこういうの作るの向いてない!たったこれだけの図を作るのに1時間近くかかってしまった!しかもいろいろ詰めが甘くて泣けてくるがメンドーなのでこれ以上の手直しはしない)
 
こういった自動車用の信号の付いていない小さなT字路や交差点の場合、我々ドライバーはどうやって交差点に進入するかというと、目の前の道(交差道路)のほうが交通量の多い優先道路となるので、一時停止後に十分に左右の安全を確認した後の進入となる。
そこに異論を唱える方はいらっしゃらない前提で話を進める。
 
次に歩行者用の信号が青だった場合はどうだろうか?
交差道路側の信号は赤になっているので車が出てくることは原則ない。
従って前方右の横断歩道近辺に歩行者がいるかいないか、危険はないかの確認をしながらの進入となるだろう。
念のため交差道路上の車の有無や停止しているかどうかの確認もし、横断歩道周辺には歩行者も自転車もいないので右折ウィンカーを出してゆっくりとT字路に進入したところで2名の警察官が手ぐすね引いて待っているというトラップ。
「なぜこんな場所にお巡りさんがいるのだろう?」と思いながら彼らの挙動を見ていたのだが、彼らの真意に気がついた時に「あっ!そうか!そういうことか!危なかった!」と思ってしまった。
 
これはエゲツない!
 
実際このT字路に差し掛かる時に歩行者信号が青だったら、僕は間違いなく上記の挙動をしていたと思うからだ。
 
このトラップの仕組みにもうお気づきだろうか?
 
一時停止違反…減点2 反則金7,000円
 
そうなのだ。
このケースの場合はあくまでも「歩行者専用の信号」なので、自動車には関与しない信号となる。
つまり、歩行者専用信号が青だからと交差点にそのまま進入した場合は手前の「止まれ」を無視したことになってしまうのだ。
あくまでも「止まれ」で一旦停止をしてからのT字路進入をしなければならない。
 
運転をされる方はこの状況を脳内で想定してみて欲しい。
言われてみれば理解はできるものの、これで捕まったらやはり到底納得はできないだろう。
 
僕の場合はこの時たまたま歩行者専用信号の青が点滅をしており、また警察官の姿も見えたので「加速して無理に渡って何か言われてもイヤだし早めに停まっておこう」と無難な選択をしたのが幸いした。
 
この時の警察官は明らかに「来るか来るか?…ちっ来なかった」といった挙動であったように思う(やや悪意の解釈か?(笑))。
もしも捕まって歩行者専用信号には効力はないこと、「止まれ」は絶対であることなどの説明をされたところで納得はできなかったと思う。
なぜならば歩行者専用信号での状況判断は限りなく安全であり、違いは自動車用の信号があるかないかだけであり、そして信号を守らないのは圧倒的に自動車よりも歩行者や自転車であることを我々は知っているからだ。
 
こういった小さな交差点全てに自動車用の信号をつけろと言いたいのではない。
交通量の多くない道路の信号は不合理であるとも思う。
しかしこういった微妙な差異を利用した「罠」への転用は非常に腹立たしい。
 
 
1年半前に「警察に捕まる」を書いた時から、やはりというか当たり前のことではあるけれども、警察は何も変わっていない。
相変わらず揚げ足取りのような主張で市民からカツアゲまがいのことをしているだけだ。
事故の起こりそうもないのどかで安全な場所で「危険」を主張し取り締まり、小銭をせしめている……ようにしか思えない。
 
捕まってたまるか!
っつーの!
 
そしてもう一つの僕の主張も前回から変わっていない。
 
お巡りさんは子供から憧れられ心から尊敬される正義の味方であり続けてほしい。
 
と純粋に願っている。
 
 
追記:ツイッター上で「止まれ」で止まるのは当たり前、罠でもなんでもないのでは?というお叱りをいくつか受けた。おっしゃる通りであり弁解の余地は全くない(今回は捕まったわけじゃないのだけれども)。
 
ただ、この微妙なニュアンスを理解していただけたらなぁ…という思いはある。
初めて通る道、歩行者信号が点滅を開始した小さなT字路、「止まれ」の認識度は低くドライバー的には「できれば交差道路の信号が青になる前に通過できればなぁ…」という心情。
 
大型幹線道に側道から合流する車線のあまりに地味な停止線、時速60キロ制限から40キロ制限に変わるはざま、高速道路出口直後の下り坂道、警察が網を張っている箇所というのはそんなところばかりだ。
そこだけを切り取れば確かにグウの音も出ないほどに運転手に非があるように思えてしまう。
しかしあからさまな営利目的での警察の取り締まりは、時間軸での流れ、日々の運転の中でのちょっとした隙、といった絶妙なココロのヒダに付け入っての取り締まりをしているようにしか思えないのだ。
 
例えば国道1号線に合流する側道などは当然合流するのも大変な交通量の多い中に入っていく道となるので通常は止まらざるをえない。
しかし「目視範囲で100m以上後方の赤信号で車線全体の車が停止しているのが確認できた状態」となると、これは「止まれ」を見落としがちとなる。
なぜならばその瞬間は限りなく安全であり、側道から合流するのに一旦停止する動作に安全危険の違いがあるとは思えないからだ。
そして警察が取り締まりをする瞬間というのは通常の危険な状態での合流時ではなく、こういった安全な瞬間の見落としに限定している。
 
「このブログを読んで何がトラップなのかわからなかった」と首をひねられた方もおられるようなのだが…長い運転人生で警察の取り締まりに一度も引っかからない人の方が圧倒的に少ないだろう。
捕まって初めて「あぁ!こういうことだったのか!」とその時になって思ったのでは遅いのである。
くれぐれもご用心いただきたいと願う。